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おっすおっす、おはようございます。こんにちは、こんばんは、こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
ということでですね、昨日収録ができなかったんですけれど、それは、僕が久しぶりに歯医者に行ったからなんですね。
いや、なっさけないなぁと思いつつもですね、なんか久しぶりにその歯医者とか病院とかに行くと、すごいドキドキしちゃって、もう何されるのかわかんねえなっていう感じになっちゃってさ。
しかも、僕が住んでいる町に、歯医者は一件もないんですよ。
でね、どこにあるかっていうと、車で1時間走らせたところにあるんですよね。
だからさ、そこまでまず運転していくのが大変なわけです。
ようやくたどり着いたと思ってからもさ、ドキドキは続きますよね。
それでさ、初めての歯医者さんですよ。初めて行ったところなんですけど、そこでどんなところなのかなーって言ってさ、ドキドキしながら、結果的にすごく丁寧だったのでね、良かったって思ったんですけれど、
いやーもうそれがすっごく、なんかさ、心が疲れてしまって、ちょっとですね、下手ってしまって、で、昨日はですね、もう泥のように眠るしかなかった。
そして、今日の朝を迎えました。
で、今日はですね、何をしてたかっていうと、1日中、土をいじっていたんですよね。
で、畑をやってたんですけれど、そんな感じで過ごさせていただいていて、そして夜なんですが、明日はね、釣りに行くんですよ。
海なんですけどね。釣りに行くっていうことで、じゃあ釣りの前にちゃんとお弁当作んないかねって言って、今お弁当の仕込みが終わって、で、ようやく日付が変わろうとしている今。
収録ができているっていうわけなんです。
で、走行しているうちに日付が変わって、4月27日になりました。
4月27日といえばですね、ずっとこの1ヶ月間応援コールさせていただいてきました、木の名刺サポートコミュニティのヒカさん。
ヒカさんがですね、タカオさんでCNPトレカ交流会を無料開催するということでですね、それが今日なんですよね。
いや本当にね、開催おめでとうございます。
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僕は現地にはいくことができません。なぜなら高知県で釣りに勤しむからです。
なんですが、遠くからご生会をお祈りしております。
楽しんでくださいね。
ということでですね、今日はヒカさんを応援しつつですね、なんだか今日僕が畑をしていて気がついたことっていうのをちょっとたらたらと話そうと思っているんですね。
それでね、今日の話も僕たちの考え方とか、それから僕たちの暮らし、生き方っていうところに多分結論付けていくんだと思うんですけれど、
僕も話しながら探っているのでね、結論はお約束はできませんが、なんだか今日はふわっとした話になるかもしれません。
ただ思想の旅なんだということをですね、ぜひぜひ知って、心に留めながら楽しんでいただけたらなと思っております。
ということで始めていきましょう。
今日はですね、こんな話からしてみたいと思うんですね。
要は僕が今日伝えたいことはですね、僕たちの中には何かがあるって思っていると思うんです。
好きなことがある、でもわからないから探し続けるとかですね、自分にとってのこの人生の意味みたいなものをずっと探しまくるみたいな感じです。
でも実はこの意味っていうものはないんじゃないか。
実は自分が本当に心からやりたいことなんてないんじゃないか。
だけど実はあるんじゃないかっていうね、どっちやねんって感じですけども。
ただですね、結構いると思うんですよ。
なんか自分、あんまり自分がやりたいことないんだよねみたいなことをおっしゃる方々結構いるような気がしておりましたし、
それから自分がやりたいこといっぱいあって、いっぱいやりすぎて何がやりたいのか結局わからないっていうパターンだったり、いろいろあると思うんですよ。
でね、今日ね、日本人ってどういう民族なのかっていうところからちょっとお話ししてみたいと思うんですよね。
先日僕は皇居、あの天皇のですね、お家があるところなんですが、
この皇居のですね、よく見渡せる、そんな場所に結婚式の会場で行かせていただいたんですよ。
友人が結婚するんだっていうことで、遠路はるばる東京へね、高知県から行って、
そしてそこでですね、もうすごいです。もう一望できるんですよね。すっごい綺麗な景色がさ。
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で、その景色をさ、見ながらね、見ながら、まあいい式を味合わせていただきました。
本当にありがとうございました。おめでとうございました。
そこでですね、僕はその時こう思ったんですよ。
この皇居っていうものの周りにビル群がダダダダダダダダーンと立っているわけですね。
このビル群っていうのは、今にもこの皇居を侵食してしまいそうなくらい、こう競り立っているんですよね。
僕はそれをずっと見ながら、いや違うかなって思ったりもしたんです。
人の経済活動っていうものは歯止めが効かないものなので、
どこにかしこも、どこであってもビルは建てていきたいものなのかなって思っていたんですよね。
僕は人をそんな風に思ってたんですよ。
それで多分この皇居っていうところも、そこを潰してですね、ビルを建てたいっていう企業はあるんじゃないかなって思ったりもしたんですよ。
ただ、ただですね、じーっと見ていたら、あれ?なんかこの皇居をみんなが拝んでいるように見えるな、見守っているように見えるなっていうことを感じたんですね。
何が言いたいかって言うとですね、このビル軍たちがどんどんどんどんとこの皇居を取り囲むようにして建っているんですが、そこからみんながこの皇居っていうところを見てですね、そこでその皇居に生えている木とか芝生とかそういうものを見たりとかして、
心落ち着くなあ、あそこはなんか聖なる場所な感じがするなあ、みたいな風にですね、なんとなく心の安らぎっていうものを感じているんじゃないかなと。
そして、まあそこにですね、思いを馳せたり、心の安寧っていうことは、心の安定ということはやっぱりそれはあってほしいなってみんなが思っていて、そこにビルを建てようなんていうふうには思わないでね、なんだかこう拝んでいたいなって思うような、そんな場所なんじゃないかなって思ったんですよ。
でです。これは以前にもどこかで話したことがあるものです。ここまでは。ここからなんですよ。ここからなんですけど、皇居の成り立ちっていうことを聞いたことありますでしょうか。
実はですね、これは常識のように捉えられるかもしれませんが、案外知らない方もいらっしゃるんですね。皇居って中に入ってですね、一般解放されている場所があるんですよ。そこに行ってみるとですね、門がバーンってあるんですよね。
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しかもヤグランっていう名前がついているところもあるんですよね。それは一体皇居にふさわしいのかどうか。いやー、実はですね、ここはもともとお城だったんですよ。江戸城があったんですよね。
江戸城が1868年、この時代は明治時代の始まりなんていうふうに言われますけど、その時に江戸無欠会場って言って江戸城が明け渡された時だったわけですよね。
そこで、そこに京都から天皇家がやってきて、この江戸城がある場所に住むわけです。今はもう江戸城というものはなくなってしまってはおりますけれども、
江戸城を再建しようというプロジェクトが政府の力を借りずに団体だったか企業だったかやろうっていうふうになっているらしいですね。すごいことだなと思いますけど。面白いですね。何百億円とかかるからクラウドファンディングしてるとかっていう感じだったと思いますけどね。
ここは政治の中枢だったんですよ。江戸城があって、そこから周りに対してどんどん司令伝達が走っていくっていう日本の中心地だったんですよね。
この構造っていうのは、結構西洋の方には見られる街づくりだと思うんですよ。西洋っていうのはまずお城が建つんですよね。そのお城から浄化町っていうものが出来上がっていくんですよ。そしてそのお城の周りで経済活動がどんどん始まっていくんですよ。
ただです。このお城でも実はその経済活動が行われているというか、もうお城とこの街が一体となっているっていうのがこの西洋の街づくりだったと思うんです。
江戸城があった時の日本もそうだったはずなんです。江戸城というものが中心になり、そして周りの街々、ここにやっぱり密接な関わり合いがあって、江戸城から発せられた様々なものが江戸の街を駆け巡り、そして日本全国へ届いていくなんていう感じがあって。
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この江戸城も含めてこの経済活動というものが行われていたんだっていうことがまずこれが歴史的な一つの事実だと僕は思うんですね。考えています。そう考えています。
ただですね、この江戸城というものが明け渡されてから天皇家がお住まいになるようになりました。するとですね、そこは今どうなっているかというと外の世界というか僕たちの世間からはちょっと切り離された場所になっているんじゃないかと思うんですね。
その証拠にですね、天皇家の皇居の中には儀式をやるその伝統をずっと守り続けている場所があったりとか、それからですね、来賓をもてなすような場所があるわけなんですけれども、そこで経済活動が何か行われているわけでは決してないんですよね。
そういう天皇家が住んでいる皇居なわけです。つまりですね、この皇居では今そういった経済活動という、僕たちが考えるならば経済活動というものは前進していくもの、成長していくもの、つまり時間軸をずっと前に進めていくものなんですが、
この皇居というところは実はこの時間が止まった場所なのではないかと、むしろ遡って遡っていろんなことを研究していって、そしてもう時代に逆行しながら伝統というものを守り続けている、そういう場所なのではないかと、そんな風に思うんですよね。
言ってること伝わってますでしょうか。
つまりです。江戸城があったときは、町と一緒にどんどん進め、前へ、未来へ、っていうようなものだった。しかし皇居になった途端にそこは何もなくなったんです。
僕たちの感覚で言えば、それを残しておくことで、どんな経済的効果があるの、みたいな風に思ってしまう、言ってしまいそうになるくらい、そこの場所っていうものはないんですよね。
ドーナッツのように、まるでドーナッツの輪っかの穴の中心のように、そこはないんですよ。そしてそれを取り巻くように経済活動が繰り広げられていて、時間の流れっていうものが違っているんですよね。
だから、外側からこの皇居を眺めたときに、なんだか心がゆったりするなって思うのは、やはりそこには時間の流れの緩やかさというものがあって、今自分たちがいるそのビルの中っていうのは目まぐるしくビジネス、時間、ビジネスはbusy、忙しいっていうのは語源ですからね。
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この時間が目まぐるしく流れていて、その流れているそこに身を置いている自分たちは、緩やかな時間が流れる皇居を眺めて、ああっていう風に胸を撫で下ろすというかですね。
固く結んだ手をほどくことができるようなですね。そんなことが起こっているのではないだろうかということなんです。これ考えてみると、皇居のような場所っていうものは、実は各地にあるんです。それが神社、仏閣と言われているようなところですね。
神社や仏閣っていうのは山の上にあったりですね。それから川のそばにあったりですね。また、半島、突き出たところの先っぽにあったりですね。人があんまり立ち入らないような、そんな場所に神社や仏閣っていうのがあるんですよね。
そして、何もないわけです。そこは手をつけられない場所なんですよね。そこでは経済活動っていうものがやることができない。そんな場所を起点として、実はその周りに人が住んで、そして町が起こり、そして経済活動が生まれということになっているんじゃないかなと思います。
それが日本全国各地つつ裏裏に点在しているんだと思うんですよね。僕たちは中心地、中心市街地っていうと何を思い浮かべるかっていうと、経済がぐるぐる回っている場所を中心だって言うんですよね。
僕が住んでいる町はですね、山がぐわーっとある町なんですけれども、中心市街地というと唯一の商店街がある場所、国道がすぐそばを走っている場所、役場がある場所、ちょっとですね、そこだけは平地になっていて開けているんですけど、そこを中心市街地と呼ぶんです。
でもこれはちょっと意義ありなわけです。実は僕たちの中心地っていうのは市街地ではない。そうではなく、もっと自分たちが信仰の対象としている山だったり、そこなんじゃないかなと思うんですね。
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そしてそこが中心地で、僕たちが住んでいる、僕たちがこの中心市街地って呼んでいるそんな場所っていうものは、実はこれは偏遠ですね。周り、縁にあたる部分ではないのかなと思うんですよ。
ここで僕たちの心の中、内面っていうものにも触れてみたいと思うんですね。僕たちは何かある。自分の中には何かあるはずだって信じて信じて信じて信じてめっちゃ信じてでもわからないっていうこの自己理解っていうものがなんかどうしたらわかるのかなとわからないことがいっぱいあるんですよね。
で、これで私たちの中に何かあるっていうのは実はですね、西洋とか欧米の考え方なんじゃないかなって思うんですね。これは先ほどの街の作り方を見てもそうだったはずです。
中心には何かやっぱり城みたいなものがあってですね。そして城を起点として周りに街がぐわっとあると。そしてしかもそこはですね城壁なんかで囲まれちゃってですね。外の世界とは隔絶されている。
つまりこの街っていうのは自分の中っていうような感じですね。そしてその街の中の中心地つまり王宮がある場所お城がある場所。これは自分にとってどこなのかっていうものをずっとずっと探しているように思います。
このお城っていうのはやっぱりこう中心地なわけですよ。だから自分の中の中心を探すようになっていきました。しかしです日本っていうのはちょっと違う民族なんじゃないかなって思うんですよね。
自分の中には何もないっていうことをまず前提とするっていうことが結構大切なことなのかなと思うんです。っていうのはやっぱり日本の街っていうのはそうなんですよね。
何もないっていうところからそこからを周りにそこを中心にして周りにいろんなものを作っていったからなんですよね。だから僕たちの中心にも実は何にもないんじゃないかなんだけどなんだけどです。僕たち皇居のことを無意味だとか意味がないなんていうことは言わないじゃないですか。
神社やお寺のことを何もない意味がないなんて言わないじゃないですか。神社やお寺、皇居には何かしらの意味が包まれて、すごく奥深くに隠されていそうだっていうような感じがありますよね。
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そしてその秘められた部分っていうものは普段見えないからさ、信仰の対象になっているんですよね。というふうに思うと僕たちはですね。なんかやっぱりないものの中に何か一粒のこの砂っていうのがね、砂の一粒みたいなものがなんかきらめくものがあるような気がするんですよね。
だから自己理解とかをしようと思ったときに自分には何かあるはずだーって言ってその一粒の砂をいきなり探しに行くのではなくですね。ありとあらゆるものを無い、無くす、いらない、これ違う、これいらない、いらない、いらないとそぎ落としにそぎ落として、そして最後に見つかるその一粒っていうものがあるのか。
なーって思うんですよ。だから僕たちやろうとしていることって実はこうなんだろう消去法というか消去法っていうかですねもうなんか本当にこう手放しまくることが結構大事で、画を無くすっていうんでしょうかね。
こういったものをですねやっていくっていうことがまず僕たちの生きる術なのではないかと日本人は特にそうなんじゃないかなーって思ったりするんですよねって言ったけどちょっと日本人全員に当てはまるかどうかはちょっと定かではありません。
なぜならばです。僕たちの地っていうのは本当に純粋な日本人かって言われたらみんなそれぞれちょっと違うような気もするんですよね。日本で生まれたから日本人だっていうふうに国籍になっているけど本当にこうね太古の昔まで遡っていくと別の大陸の地とかがあるかもしれませんよね。
っていうのはやっぱりこう縄文系の人と弥生系の人っていうものはちょっと顔の形が違って縄文系の人っていうのは顔の彫りが深いよねーとかねこれって沖縄の方にすごく似てるよねーとかだから沖縄人っていうのは縄文時代からの人なのかなーなんていう話があったりとかですね。
弥生人の方はちょっと顔がのっぺりしている感じ。どちらかというとソース顔というよりも醤油顔みたいなこと言われますよね。だからなんかこう様々な血が遺伝子が混じっているようにも思うので一概にこれっていうふうに言えることではないんですけれども。
でも僕たちってやっぱりこう長い日本人の歴史の中で様々なものをですねこう手放しこれは違うこれはいらないって言ってやってくることができた。それはなぜなのかっていうと自然がそばにあったからなんですよね。
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自然の中で生きていたからなんですよね。自然を開拓する対象ではなく自然から恵みをいただくっていうそういう思いで生きてきたからなんですよね。自然を開拓していくっていう対象だというのは実はこれアメリカ的な考え方なんですよね。
これはまたいつかですね話の話す機会があったらしたいと思っているネタでございます。これは西洋の考え方なんですよね。でも日本人っていうのはそうではない。自然は開拓する対象ではない。管理する対象ではなく自然の中にいてそしてどちらかというと自分は自然に合わせて生きていくんだっていう感じになっていくんです。
今日僕はですね畑をやっていきました。一言で言うならば自然の力を借りた農法っていうのをやります。自然農とか自然農法とか自然栽培とかいろんな言い方がありますけどこれ全部ですね流派によって表現の仕方が違うのでもうその表現どれがいいかなってわかんないし僕はそこの中の世界に行くことをやめました。
ただただ僕は自分の土地をじっくりと観察をして作物の苗をどこに植えたら良いのかっていうことを考えてですねというか感じ取って今日植えていったんですよね。これが正解かどうかはちょっとわからないんですけど今日僕がやった農法についてちょっと話をしますね。
僕はですね耕さない農法をしたいと思っています。そして無農薬で無肥料でそして水やりもしない本当に自然に任せたそんな畑を作りたいと今目指しています。
これはですねどうしてそんなことをしようかと思ったかっていうと草って生きてるじゃないですか。草ってさ肥料も水も与えられてないのになんでこんなにニョキニョキ生えてくるんだっていうとそれ生えることができるような能力を持ってるんですよ。
つまり植物っていうのは水もなくても何日間も生きていけるようなものを持ってるんですよね。すごいよねすごいよね。でじゃあ僕たちの育てる野菜だとかあってこれって水とかやらなくても肥料もやらなくてもなんか土を耕したりとかしなくても他の草たちと同じようにやっていけるんじゃないだろうかっていうことがまず一つあったんですね。
しかもそのほか楽だから昼寝もできちゃうかと思うんですけど。そうそれがまず一つあるんですよね。そしてやっぱりこう地面を耕す掘る掘り返すっていうのは何をしているかっていうとですね土の中にいる生き物たちを暮らしを脅かしてしまうっていうことになったりねするんですよ。
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だから僕はできる限り地面に穴を掘りたくないし、穴を掘るんだったら本当に局所的にしたいしね。それから中に住んでいる虫たちのことも大切にしたいなって思うし、微生物たちも大事にしたいなって思ってやっています。
でじゃあ今日はその野菜の苗たちをどこに植えるかっていうことをしたんですよ。で一つ僕が結論付けたものはですねわからんっていうことです。どこに植えたらその野菜がちゃんと育ってくれるのかってことはわからんってことなんです。
なぜならば自然の中だからです。自然の中をですねこう見てみると土の下を見てみると本当に様々なネットワークが根っこが張り巡らされていて地面の下がどうなっているかなんてわかんないんですよ。これを全部リセットしようっていうのが耕すっていう行為なんですけど。でも耕したくないです。
僕はだからねだからどこに植えたらいいかがわかんないんですよ。だけどだけどですね風の通り道っていうものをよく観察して風の通り道にはこの草は置かない。この作物は植えないぞっていうのをまず決めました。そしてですね一つわかっていることがあるんですよ。
植物たちは水を吸い上げるじゃないですか。この吸い上げるっていうことは木たちも全く同じなんですね。っていうか木の方が実はこう植物あの水をグーッと吸い上げる力が強いんじゃないかなと思います。なので木のそばに植えてあげるっていうことをしました。
するとですねその木が水をグーッと吸い上げてくるこの吸い上げてきた水のこの恩恵もいただくことができるんじゃないかということを考えたんです。そして木がそばにあることで風よけにもなってくれるということもちろん日陰にも作ってくれる。
植物ですね野菜たちって日当たりがいいところが好きなものもいれば日当たりがちょっと苦手っていう子もいるんですけれど僕はわからないと思ったんですよね。
日当たりがいいところが好きだっていうことあっても日に当たりすぎちゃうとあんまり良くないんじゃないかなって思ったりもします。なのでこの木のですね影を見ていってその影の間ですね影と日向のこの間その植物が確実に1日の間で日陰に入ることができる。
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そして日向になることも日向に出ることだってできる。植物は動けないからこそですねこの両方を味わえる場所っていうものを作ったんです。
ともすればやっぱり考えてみるとそうですよね植物たちってさ完全に日当たりが抜群なところだけにだけで育てるっていうことじゃないじゃないですか。
なんかの表紙に陰に隠れたりもするしねなんかの表紙に日向にぽっと出たりもするしねもういろんなシチュエーションが考えられるなと思ったんですよね。
さらにです最後なんですけど今日は苗をですね植えていきましたがその苗を植える角度ですね角度っていうのはどういう向きで葉っぱを置いたら良いか。
東から太陽が昇るから表向きが東になるようにしてあげようとかですね。
花も東側に向けてあげようとかですね。いろんなことを言います。でも西日が強いからやっぱり西日にはあまり当たらない方がいいかなとかそんなことだってね。
いろいろ考えるんですけど僕がですね見たのは自然に学ぶっていうことです。
ですからその自然の中でですね同じようなこの葉っぱを持っている植物を探すんですね。
ですぐ近くの中でその植物で同じような葉っぱを持った子がいたとしたらその子がどんな風に葉っぱを広げているのかっていうことを見てそれと同じような角度でセットしてあげるというようなことをしました。
ここまで話をしてきて何の話をしたのかというとですねこの中に自分自身のこのがというものが僕はなかったんですね。
たくさん取れたらいいなって思うのは正直なところあります。いっぱい野菜取れたらいいなって思うのは正直なところあるんですけど取れても取れなくてもいい。
それが自然だからっていうこともなきゃないでいいっていうことも一応覚悟はしています。
それから今日僕がやったその植え付けの方法とかっていうのは自分自身の考えとか感覚っていうものはほとんどなくてですねただただ自然の中で聞いてたんですよね。
どこが日が当たると元気になるのかなとかですね。そんな風にですねもう植物自然側に僕自身が100%できる限り100%合わせてやってみました。
そういったことを実は日本人はやってきているんじゃないかなと思いましたっていう話なんです。
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なのでこの自然の中の自然の力を借りた農業とか自然の力を借りた何かっていうものをやっていくとそこにはですねだんだん自分自身のがというものがなくなってくるんですよね。
そしてなんかそれがここにかが心地よくさをすごく感じたんですよね今日僕はそれをずっと1日中でひねもすやっていってなんだか心がですね落ち着いていってなんかもっとやりたいなーって思ってきたんです。
そういった時間を極力いっぱい過ごすことによってそれでもなお自分がやりたいなって思うことが多分残ると思うんですね。
それがあなたの好きなこと僕たちのやりたいことなんですよ僕たちの使命なんだろうなーなんていうことを思いました。
だから要は僕たちは最初空っぽになっていいんだとでも空っぽになっても空っぽになれないからだって一粒の砂は確実に自分たちの中にもあるからねっていうことを伝えたくて今日はこんな話をさせていただきました。
いかがだったでしょうか最後まで聞いてくださったらぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
今日何の話だったんだって感じですけれども今日はとにかくですねこの日本の街の作られ方もこれっていうのは実は自分たちの心を表しているんじゃないかと。
でも僕たちはですね自己分析とかしようとした時に西洋の方法を踏襲しようとするんですよね。
コーチングなんていうのももちろんこれは海外のですねものだしねそれから何ですかね企業の経済活動みたいなものをですね見てみると今の形っていうのは完全に日本特有のものというよりも西洋のものがですね取り入れられてやっているんだろうなっていうことを思うんです。
だから僕たちはしっくりこないなぁって思いつつも毎日生きている人もいるかもしれません僕なんかはそうです。
なのでそういう時にはですねやっぱり自然の中に入ってそして自然の中に身を委ねるっていうことはがをなくすということがを取るっていうことですね。
それでようやくその自分の中の何か一粒っていうものに触れていくことができるんじゃないかなっていう話でございました。
今日が4月27日ということは明日がですね4月28日になる子供こまちプロジェクト1周年記念ですね。
まだ準備が整ってはいないんですけど子供こまち1周年記念をですねお祝いする意味も込めてですね。
というか感謝の意味も込めてメールマガジンを始めていきたいなと思っておりますのでよろしければですね今準備中でございますのでまた準備が整ったらご連絡しますので登録していただけたら嬉しいです。
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ということでお時間が来たので今日はこの辺にしたいと思います。
お相手は子供こまちプロジェクトのもうちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。
あなたとあなたの大切な人に森の精霊の子が子が訪れますよ。
おうに。