本との再会
おすおす、おはようございます。こんにちは、こんばんは、こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
突然ですが、買い戻したことがある、っていうことって経験あります?
一度手放してしまったものを、もう一度自分のもとに置いておきたいなぁと思って、買い戻すっていうことです。
ぼくは、3年前に東京から高知県へ移住をさせていただきました。
その折に、250冊くらいあった、自分の家にあった蔵書、本を一挙放出したんですね。
この放出するのは、ぼく本がすごく大好きだったので、捨てることができなかったんですね。
でも、売るっていうことで、お金に買えるっていうことでもなんかなかったんですよね。
なんだか自分が持っているものを、人に譲りたいっていう思いにすごく駆られて、
メルカリとかではなくてですね、結局自分の公式LINEに登録をしてくださっていた方々だったりとか、
それからFacebookとかでですね、ぼくのことをずっと追いかけてくださっている方々に、皆さんに渡しますっていうキャンペーンをしたんですね。
ぼくの本を受け取ってくださることが、ぼくの引っ越しのお手伝いになるから、ぜひぜひお願いします、なんて言ってですね、受け取っていただきました。
ただしその時はですね、一人一人本をですね、選んでいただくことまではできなかったんですね。
それはできなかったんで、ぼくはFacebookライブでですね、一人一人名前を読み上げて、抽選を行うことにしました。
で、それでですね、本ってないだったら、本ってさ、買ってもらうことが一番いいじゃないですか。作者にとって印税も入るしさ。
でもそれができないっていうことだったので、ぼくはお金はいただかないけれども、その代わり一冊一冊その本との出会いとか、その本が書かれていることだとか、
そういうことをFacebookライブで一冊一分ぐらいかな、お話をしていったんです。
で、それを250冊ぐらい続けていって、それで本をですね、全部、配送料も全部こちらが持ちで負担でですね、一冊一冊宛名書きをして、で、送りました。
そんなことをやったことがありました。で、その時に手放してしまった本の中で一冊、いやー、読みきれなかったなーっていう本があったんですね。
で、もう一度機会があったら手に取ってみたいなーって思う本がありました。
で、その本をですね、なんかこう頭のどこか片隅にあったんでしょうね。
この前、高知県内のブックオフに行ったんですよ。そしたらあったんですよね。
もう思わずそれ手に取って買い戻してしまいました。
もちろん僕が手放した本ではないんですよ。でもその同じ本がそこに置いてあったのでね、買ってしまいました。
で、持ち帰って読んでいるんですね。そしたらですね、
ああ、この本って出会い直すタイミング、今だったんだなっていうことに気がついたんですね。
多分あのまんま自分の本棚にあったとしてもですね、もう一度こう興味を持って読み進めることってきっとできなかったと思います。
でも今このタイミングで買い戻すことによって、
ああ、今だったらこれをすごく興味を持って読むことができるっていう感じになっていってですね。
今僕それをですね、1ページ1ページ本当に丁寧に読み込んでいるところなんですね。
その本とは中澤新一さんのアースダイバーという本なんです。
湿った土地の文化
このアースダイバーという本は中澤新一さんという方がですね、実際に自分の足で歩いて自転車の旅をしてそこで見つけたもの。
それをですね、紐解いてすごく深く深く深くまで考えているんですね。
このアースダイバーで舞台となっている場所は東京なんです。
どうして東京ってあんなにも栄えたのか。
だけど文化がしっかり残っているのか。
そういうことがですね、非常に丁寧に紐解かれているんですね。
このアースダイバージャンルはですね、ノンフィクションっていうジャンルなんですね。
あんまりこのノンフィクションっていうジャンルを好きだよとか読んだことがあるよっていう方はもしかしたらいらっしゃらないかもしれない。
多くの小説はノンフィクションではなくフィクションで書かれていますよね。
でもね、事実は小説よりも気なりっていうね言葉があるように。
事実、このねノンフィクションってめちゃくちゃ面白いんですよね。
っていうことで、今日はこの中澤真一さんのアースダイバーに寄せてちょっとお話ししてみたいと思うんですが。
これをね、僕が今日語ることで何が明らかになるのかっていうことはですね。
お金の流れなんですよね。
っていうのは、僕自身が今一時産業にどっぷり浸かるような生活をしていて。
どうしてもこの一時産業だけで食べていくことができない。
お金を得ていくことが難しい。
だから兼業で何かをやらなくてはならないっていう状況にあるんですよ。
どうしてもこの農家さんだけでやっていくことができない。
もし農家さんだけでやっていくならものすごく広い面積の何かが必要だったりするんですよね。
でもこれ僕はすごく理不尽さを感じています。
農家さんがいなくては僕たちは生きていくことができないじゃないですか。
農家さんがいて初めて食料というものが提供されるじゃないですか。
でも農家さんがなんでこんなにも苦労しているのか。
なんでお米農家さんはあんなにも安い賃金で働いているんだなんていうことを訴えるのか。
これは政治のせいなんだとか経済のせいなんだとか。
そうやって愚痴を言ったり文句を言ったりするのは非常に簡単なんですけれども。
そもそもどうしてそういうような取り組みになってしまったのかということはですね。
実はこの資本主義というものとそして日本人が出会った時のことだったりとか。
そもそも僕たち日本人の気質、一人一人の持っている気質っていうものが
弥生時代の変化
実はそういう経済的なことに自分の身を寄せてしまっていたんだよね。
ということに立ち返ることができたんですね。
だから今日はそんなお金の出どころの話と
それから僕たち日本人の生き方のお話をかいつまんでさせていただけたらなと思っております。
そこから見えてくる僕たちはどう生きれば良いのかっていうお話ですね。
よろしくお願いいたします。
この番組はつい先日CNPトレカ交流会を高尾さんで開催し
無事に成功を収めた木の名刺コミュニティのヒカさんを応援しております。
ヒカさん本当におめでとうございました。
この世界には乾いた土地とそれから湿った土地、その2つの土地があり
そしてそれぞれの文化を形成してきました。
東京という場所はですね
この湿った土地と乾いた土地がお互い交互に入り組んだ場所になっているんですね。
渋谷っていう場所は谷って書くじゃないですか。
しかも渋いですよ。
なんなんですかね、あの土地は。
渋谷っていうのはかつてすごく治安が良くなかった場所だったんだそうですね。
今でも治安が良いかどうかっていうのは置いといて微妙なところがありますよね。
それから池袋とか新宿の中でも歌舞伎町と言われている場所だとかですね。
そういう場所って治安っていうものが栄えているように見える一方で
独特の文化が繰り広げられていませんか。
あと僕がですね、そうだよねってわかるのが大阪の西成地区ですね。
あそこは日本で一番日雇い労働者が大勢いるというそういう土地柄なんですけれども。
なんでああいう場所は治安というか少し独特の文化があるのだろうかということなんですね。
実はああいった場所はもともと湿った土地だったんだということなんですね。
湿った土地ってどういうこと?
実は湿っているっていうのは沼地だったりとか池だったりとか、もともとそういう場所だったわけです。
そんな場所はですね、すがすがしいねっていう気分ではなく、どこかどんよりした雰囲気があり、
そしてその周りにはですね、無法者、つまりまかたぎじゃない。
そうですね、ちょっと悪さをしてしまう人だったりとか。
あとそのどんよりした場所っていうのはですね、今の歌舞伎町のような水商売っていうじゃないですか。
本当に読んで地の如く水なんですよね。
そういうようなものが栄えていたんですよね。
なんだかちょっとダウナーな雰囲気がある場所っていうようなイメージですね。
しかしですね、このダウナーな場所にもかかわらずですけど、
この湿った土地から様々な文化が生まれているっていうのは確かなはずなんですね。
それは縄文時代の時。
縄文時代っていうのはですね、もうこれ水、湿った大地と木っては切り離せないようなそんな文化が築き上げられたんですよね。
自分たちで何か作物を栽培するということではなかった。
自分たちで狩猟採取をしていく。
動物たちっていうのはやはり林の中にいたりするじゃないですか。
だからそんな場所にどんどん入っていかなくてはならなかった。
そして木の実とかっていうのも森の中にあったわけです。
だからその森の中に入ってその木の実とかを採っていた。
そして縄文時、これでですね、煮て食べていたんですよね。
縄文時のこの表面にはどんな文様があるのか。
もちろんこれは縄の文様があるから縄文と言うんですけども、
なんで縄だったのか。
それはですね、一説によると蛇を模様してたんじゃないかということなんですね。
あしらってたんじゃないかと。
その証拠に縄文時には蛇のですね、マークがよくあるんですね。
この蛇というのはまさにこの川とか水とかそういうものの象徴であります。
だから川が氾濫をした時には蛇が抜けると書いてジャヌケという風に言うんですね。
そして蛇は竜にも例えられますのでやっぱりこう川が氾濫するというのは
蛇が起こるというか竜が起こる神様が起こる神様の激霖に触れたなんていう感じがあったりします。
ということでそのですね、縄文時代にはですね
この湿った土地で何かこう過ごしていたっていうことが見えてくるんですよね。
面白いですね。いいですね。
しかも縄文土器っていうのは粘土で作られるわけですけれども
あまり高温で焼き上げていないんですよ。
そしてその縄文土器で食べられるものっていうのは大体が煮物だったんですね。
煮て食べる、アクを抜いて食べるっていうものだったので
とにかくこの湿っている空気っていうものがこの縄文時代にはあちこちに見られたのではないかなと思いますよね。
すごくこれ興味深い話です。僕にとっては。どうですか?
縄文時代面白いなと思いませんか?
そして弥生時代になるとですね、これがだんだん乾いた文化になっていくんですね。
この稲作というものが始まっていくわけですけれども
これ水田というのもありますけれどね。
だけどこのお米っていうのはあまりにも湿りすぎてはいけない。
根が腐っちゃうからですね。
だから乾かすっていうことももちろん大切なんですよ。
そこでだんだんこの弥生的な文化っていうものが発展していく。
乾いているところっていうのは疫病も発生しにくいんですね。
なんで僕たちは乾いた場所の方がなんだかカラッとしてて気持ちがいいねって感じるのかというと
実はですねこれ疫病っていうものが流行らないからっていうことも別の本から僕はですね読み解いております。
湿った土地の重要性
やっぱりねこの水の場所、水がいっぱいある場所、地面とした場所っていうのは病気が蔓延しやすい。
そして虫も湧きやすいとかねそういうことがあったりします。
しかしですね何かが生まれる場所っていうのは乾いた場所ではないんですね。
この湿った大地であるということは間違いないわけです。
それはですね僕たち人間もそうなんですよね。
女性ですね。
女性っていうのはさ体の中に赤ちゃんを宿すわけですけれども
その中には赤ちゃんは羊水という水をまとっているわけですよね。
それから様々な体液っていうものがやっぱりここにはありまして
昔から僕たちはこの湿った場所から何かが生まれるっていうこと。
無から有が生まれる場所として僕たちはこの湿った大地っていうものを見ているんです。
しかし僕たちは生きていく上でですね
やっぱりこう疫病っていうものとかっていうことから避けたいとか
あとお金、資本主義というものが入ってきたらですね
何が生まれてきたのかっていうと
それはですね
自分自身が手を使わずにお金の流れの場所の中に自分が場所を取るということですね。
お金が流れているこの金脈とも言われているこの流れの中に
自分自身がどこかにポジションをとっていく
すると自分もそのお金を預かることができる
そして預かったものをまた使って流していくことができる
そういうこの流れの中にですね
身を置くことができるようになるんですよね。
こうして僕たちは貨幣経済の中に
どんどんどんどんどっぷり使っていくわけですけれども
実はこれは弥生時代の時から始まったもので
弥生時代っていうのは
お米を蓄えることができるようになったっていうことですよね。
そしてこの弥生時代にお米を蓄えることができようになったっていうことは
ずっとずっと働き続ける ずっとずっとご飯の心配をしなきゃいけないってわけじゃなくなって
高床式倉庫の中とかにですね しばらくこう蓄えておくことによって
いつでも食べることができるようになって そしてお米をいっぱい持っているものっていうのは
たくさんの人を雇うことができるようになったり お米のですね取れる土地をいっぱい持っているっていうことはそれだけ
権力が自分の中にあるっていう風になっていく っていうようなこのですね流れがあったんですよね
だから僕たちは弥生時代のこの乾いた文化というところあたりからこの 貨幣経済というか資本主義の社会考え方っていうものに
つかり始めてきたっていうことなんですよね じゃあ一方で海外はどうだったかっていう話なんですけど
自然環境との調和
日本とはちょっと逆の感じがしますね僕にとっては 日本っていうのは今お話をしたように湿った土地から乾いた土地へ
湿った文化から乾いた文化へっていうこの移行の順番だったんですが 海外はですね乾いた土地からスタートをしているんですよね
とにかく乾いているからとにかくそこは開拓をしていかなくてはならない そこから何か自然の恩恵を受けられるかというとそうじゃなかったわけですね
そして 世界の4大文明っていうのはですね
いずれも川のそばから始まっているんですが とにかく乾いた土地でだけどそこには川が流れていて
その川を起点として文明が発達していったということなんですね だからバックグラウンド背景っていうものがですね全くもって逆なんですよね
そしてこの海外での論理みたいなもの つまり早かったわけですよね資本主義
貨幣経済っていうものがどんどんどんどん発展をしていく この海外西洋文明だとかねそういったところの文明文明が
日本に入ってきて 弥生時代ぐらいからですね
コツコツとこの乾いた文明というものはあったんですけれども そんなところでガツッと入ってきたのがですね
この資本主義というものだったんですね まあそれでですね
これまで森にいた人たちっていうのは じゃあそのお金とかっていうのは富っていうのはどこから湧いてくるのかっていうことがわからなかったんですよね
なので結構ですね 民話なんかを調べていくとその富とかっていうのは空から降ってきたっていうよりもですね
この大地の中から出てきたみたいな感じがありますね 土の中に埋めてあった湿った場所に埋めてあった
そこからなんかこう湧いて出てくるみたいなところがあって つまりこれっていうのは湿った場所何もなかった場所ね
何もなかったんだけど自然の恩恵が多分にあった場所っていうところからザックザック 掘ったら出てきたなんていうことは結構あるんですねここ掘れワンワンみたいな話ですね
はいだってことなのでまあ日本人にとってですねこの貨幣経済資本主義っていうのは まあなかなかなじみがなかったというか薄かったというかね
まあねそういうものだったんでしょうかね だから何でしょうかね僕の中の dna が騒ぐのがどうしてもこのお金に感謝をしましょうねとか
え金はエネルギーなんですよねとかお金っていうもののブロックがあるだけでしょうとか いろんなこと言われていて確かにそう確かにそうって僕なんかは揺れ動きそうになり
ながらも何だかこう自分の中のですね湿った文化 湿った dna っていうのがうずくということなんですよね
だから僕ここにですねなんか割り切りっていうものをつけなくていいんじゃないかなって いうことをねまあ思ったりとか
無理をしてブロックを外すとかですねなんかそんなことをしなくてもいいんじゃないかと まあブロックだったらまあそれは仕方がないのかもしれないけど
やっぱりなが自分の中にはもやっとしたものがあってですねこの自然の恩恵とか 自然というものは何もこうお金とか見返りを求めることなく僕たちに与えてくれた
ものがあるよねってそしてそこの中に身を置くっていうことが僕はすごく 心地良いということなんですね
これは湿った文化の dna っていうのがなんか言い方嫌だけど めちゃくちゃ自分の中には色濃く存在するっていうことなんじゃないかなと最近思っている次第でございます
それでですねじゃあ 湿った文化の中に乾いた文化を持ってくる
つまりこの自然のいっぱい溢れた中に資本主義の考え方を持ってくるっていうことは これは本当に正しいことなのだろうかっていうことがですね
今僕のですね一番のご関心事になっているんですよね どうすればこの自然の中でお金をですねたくさん生み出すことができるのだろうかっていう風に
なった途端に何が行われるのかそれは乾いた文化でこれまで様々なところをですね エコを切り開いてきた森を切り開いてきた池を埋め立ててきた
沼地を埋め立ててきたそうやって乾いた土地にどんどんどんどん作り変えていった その文化をこの湿ったところにですね
あえてまた持ってくるべきなのかどうか自然の中に持ってくるべきなのだろうかって いうことを僕は思うんですね
ここでちょっと待ってブレーキまずかけようよ立ち止まって考えようよっていうのが僕の 立場なんですね
この自然の中に乾いた土地の文化しまし本主義のことを持っていくと今あるその 自然環境っていうものもですね
またたく間になくなっていってしまうのではないかと思うのですよね その中ではですね
やはりこのお金がどれだけ増えるかどうかっていうことをあまりにも ねえこう研究するというか追い求めていくが故に
そしてそこには必ず競争というものが入ってくるが故にですね争うようにして この自然というものを切り開いていくっていうことが起こっていきます
で今僕はすごく感じているのがですね 森の中に駐車場を作ろうとかデータセンターを作ろうとか
そういうことって人が便利に暮らすとか 人が他の場所にはないような他の場所よりもですね
より優れたより豊かなものを作っていこうとしたが故に切り開かれてしまう 整地されてしまう森っていうものがあるんだっていうことなんですね
こんなことをずっとずっと繰り返していったらそのうちもうなくなってしまいますよね 自然というものは
なので僕はこの自然環境の中にこのですね 貨幣経済とに乾いた土地の文化っていうものを取り入れるっていうことはですね
いやーこれは僕言ってもいいから反対なんですよね 反対なんですしかし逆はありだと思うんです
乾いたと文化の中に乾いた土地の文化の中に湿った土地の文化を持ち込むということは 僕はこれはありだと思うんですね
それは今一体どんな形で行われているのかっていうと経済的な活動とそれから 自然環境を守っていくっていう活動のこの両輪を兼ね備えている企業だとか
プロジェクトだとか制作だとかそういったものがありますよね で僕はこれはね
どんどんやった方がいいのって思うんですね それこそがですね実はこの乾いた土地の文化っていうものが少しですねこう緩んでいくって
いうことになっていくんじゃないか こんなガツガツしなくてもいいんじゃないのってこんなにも利益いっぱい追求するって
いうことだけにならなくてちょっとブレーキをかけるというか ブレーキをかけるって言うよりもですね僕のイメージはギアをシフトダウンするって
いうことなんですね 今5速で走っていたねギアを5に入れて走っていた
車をギア3とかギア2に落としていくってことなんです これマニュアル運転している人じゃないとよくわからない
例えかもしれませんけれどもそうするとねすごく力強く車を走らせることができるんですよ スピードは出ないんだけどすごく力強いんですよね
山道だって登っていけますグッグッグッグッと引っ張っていくことができるんですよ そんな風に生きていくっていうことが僕たち
すべきことなのではないかなと思います なのでですね今その乾いた土地
乾いた土地の文化の中に身を置く人たちっていうのは先ほども申し上げたように お金の流れ金脈の中に自分自身のポジショニングをすることによって自分自身もお金を得
ているということになります そしてその乾いた土地の文化というのはですね
このお金の流れの中に身を置くっていうことが大切なのであって 自然環境の中に身を置くっていうことが大事なのわけではないんですよね
そうしていくうちに何が起こっていくのかっていうと 乾いた土地の文化の日もう持っている人たちっていうのはどんどん
自然とか大地とかこういった環境というところから離れてしまっています でですね
いうこういうんですねいや私虫なんか苦手だからとかですね私土なんていじれません なんていうことになっていきそうなんですけれどもそれだったらそれだってもいいですよ
それぞれ適正というものがあるからです だけどそこで一つこうグッと僕が祈りを持ってですね
伝えたいことがあってそれは乾いた土地の文化にいる方々本当にいつもありがとうございます あなたたちがお金というものを回してくれるから
僕たちも生きていくことができるんです その代わりですぜひ乾いた土地の皆さん
湿った土地のことをですね湿った土地の文化文明っていうものを汚いものだとか あんなのはですね
なんかを稼いでないんだから価値のないものだとか価値を生み出してないものなんだっていう ふうに言うのではなくってどうかリスペクトを持って
接していただければと思うんですよね 僕この話を聞くたびにすごく悲しい思いをするんですねお金を作り出していない人お金を
自然への尊敬
稼げていない人っていうのは価値を生み出してない人なんだとか 感動を生み出してない人なんだっていうこの言説
僕これはすごく許せないんですねでですねなんでなのかっていうと そのねお金を作り出しているっていうことがいるっていう人はですね
お金が作り出さなくても満足しているっていう人も傍らにいるっていうことなんですよね そしてそんなに儲からないかもしれないけれども日々日々
この大地の恵みっていうものを恩恵を受けながらですね 少ないお給料でやっているっていう人たちがいるんですよ
というか僕たちですねこの一時産業に関わっているとすごくわかることがありました それは自然というものは僕たちに何の対価も見返りも求めずに何かいろんなものを
くれるんですよねだから僕たちもまた自然からもらったものっていうものの値段をつけて 売るっていうことっていうものにすごく抵抗感があるんですよね
そこに人が何かしらの手を加えてそして持っていくのであればその手待ちんだとかそう いったものは発生するでしょう
でもその自然からもらったものをですね なんかそれをお金を
出して売るっていうことがまあしていいのかどうかっていうことはすごく思うんですよね 先日ですね河原を歩いていた時に1本の大根が生えていたんですよ
すごくないですか河原に大根が生えてたんですよ 僕はそれを抜いたわけなんですけどその
ただ河原にたまたま生えていた大根をじゃあ値段をつけて売りますかって言ったら 売らないですよね
まあ家で帰ったあの美味しくいただいたんですけれど まあそういうことですよその辺にあるものを取って売るっていうことはまあしないだろうな
って思いますじゃあ僕たちはそれに手を加えて人に届けたらいいじゃんって言うんです けど
僕たちっていうのはですね田舎の人たちっていうのはできる限り手を加えないで届ける っていうことにも使命感を持っているんですよね
自然のものは自然のまんま誰かに届けていきたい 都会の人たちにも届けていきたいそれが一番新鮮であるし一番自然へのリスペクトにも
なるんだっていうことなんですよねそんな気持ちを持ってやっているからこそですね お金っていうものを本当に必要最低限で大丈夫ですよなんていうことを言ってしまうのがこの
プロジェクトの報告
田舎にいる人たちなんだよっていうことを僕は言いたいんですね 湿った土地の文化湿った文化にいる人たちなんだよっていうことを言いたいんですよね
はいということでですねいかがだったでしょうか 最後まで来てくださったあなたぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね
ということでぜひですね乾いた土地の文化に身を置く方々はですね 湿った土地の文化に身を置く人たちまた湿った土地そのものにですね
リスペクト尊敬の念をぜひ送っていただきたいと思う そしてそこに思いを馳せていったりとかですねそしてそこの応援するっていう何かそう
いった思い志っていうものがもしあればですね 僕たち湿った土地の文化を守っている人たちもですね
これからもっともっとここに居続けようかなって思います 僕たちですね湿った土地の文化っていうのはですねかなり体力がいるんですよね本当に
体を使わないと生きていけないものであって だんだんですね乾いた土地に移動していこうっていう風になってしまう
これはまさにあるだろうなと思うんです でもこの湿った土地にしかないもの湿った土地から生まれたものっていうものは
必ずあるわけですねっていうかほとんど全てがこの湿った土地から生まれているもの 無から生まれた優なんですよね
なのでぜひぜひこれをですね 知っていただけたらなと思っておりますということでいかがだったでしょうか
さて最近ですね4月28日に 小玉小町プロジェクトの1周年を迎えさせていただきました本当にありがとうございます
そしてお祝いのメッセージなどもいただきましたいいねやフォローなどもたくさんいただき ました本当にありがとうございます
現在ですね小玉小町プロジェクト応援をしたいなと思ってくださった方は ぜひ設定披露集ボリュームゼロ残り20冊となっております
こちらをですねお買い求めいただけたらと思います 番組の概要欄のリンク貼り付けております
二度と作らない限定100冊の本残り20冊で完売となります もしよろしければ手に取っていただけたらと思います
そして後はですねこれからメールマガジンっていうものを始めていきたいと思いますので 準備ができ次第こちらも登録いただけたらと思います
ということでお時間をいただきありがとうございました お相手は小玉小町プロジェクトのモーちゃんでございました
またお会いできることを楽しみにしております 今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ
あなたとあなたの大切な人に森の精霊のご加護が訪れますように