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おすおす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
3月8日、土曜日の朝に収録をしております。
いかがお過ごしでしょうか。
2日間お休みをいただきました。
どうもありがとうございました。
最後の放送がちょっとうつうつとした内容だったので、
もしかしたら、もおちゃん大丈夫かなって気にかけてくださった方もいらしたかもしれません。
本当にありがとうございました。
メッセージやレターを届けてくださった方、励みになりましたよ。
本当にありがとうございました。
こうやって、誰かに何か出来事が起こったり、人生の節目となるような大きなことがあった時にはね、
周りの人たちもまた何かしらのお役目をいただいているような気がするんです。
もおちゃんの父は、今、現代の医学ではちょっとこれ以上手の施しようが難しいと言われているような、
言ってしまえば難病にかかっていると言われています。
この難病という言葉だったり、病気という言葉はとても重いものですね。
なんだかその病気なんですっていう風に言われてしまった途端に、
自分自身の生き方が決まってしまうような気がしていく。
自分はもうこういった薬を飲んでいかなきゃいけないんだとか、
自分はこんな安静にしていかなきゃいけないんだとか、
それから家から出ることができないんだとか、
1日に何時間は横になっていなきゃいけないんだとかですね。
様々にその人の人生というものを決定づけてしまうような力を持っているなと、
この病名という言葉にはですね、そのような力を僕は感じるんです。
なんだか、自分自身がどんな病なんだっていうことを言われて自由になる人もいますけれど、
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それによって生き方が制限されてしまうような人もいますよね。
父はですね、一生懸命って言うんでしょうかね。
一生懸命よりも一生懸命っていう言葉の方がピタッとくるかなと思うんですけれど、
本当に毎日毎日1日1日をですね、噛み締めるようにして、
呼吸を日々しているのではないかなと思いを馳せるんですね。
この一呼吸、この一呼吸を行うことができている奇跡、
奇跡という言葉が浅はかに聞こえてしまう時がありますね。
それが今ですね、それを噛み締めるようにして、噛み締めるようにして、
毎日毎日その瞬間を生きていると思うんです。
この世界でまだ生きているっていうことはです。
父はですね、もうね、本当にこれ医療界に医学界に革命が起きているくらいですね、
この病名を診断されてからですね、今日に至るまでですよ、
本当に長くこの世界に留まってくれていてですね、
そして病院の先生たちを驚かせるわけでございます。
この世界にいられる限りは何かしら自分の役割、役目というものが
きっとあると思うんですね。
現に僕から見ていて思うのは、もう病院の先生たちも驚きまくってる。
そしてなんていうかですね、その周りにいる僕たちもまたそれによって、
その父の病態によって自分たちの役割、役目というものを見出して、
何かに突き動かされるようにして動いています。
とは言うものの役割、役目というものって自分には計り知れないものですよね。
本当にそうだと思います。
この世の中でさ、今僕の目の前には山とか森とか川とか、
今日は外から収録をしているんですけどね、
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そういった世界が広がっていてさ、目に見えているものなんてほんの一部でさ、
地下ではどうなっているのかなとか、水の中ではどんなことが起こっているのかなとか、
あの雲の裏側ではどんな世界が広がっているのかなとかさ、
そういうことはさ、僕たちの想像力に任されているんですよね。
だから人が預かり知れぬことっていうのはやっぱりいっぱいあるんですよね。
かつてこんなことを言った人がいましたね。
自分自身が人生に意味を見出すよりも、人生から何を問われているのかを考えよ。
これは僕たちに、僕たち家族に今本当に身につまされるほど何かを感じさせるものがある言葉なんですよね。
人生というか、自分の人生よりも大きいものに抱かれて僕たちは生きていて、
その何か大きいものが僕たちに何をさせようとしているのかっていうことですね。
猛ちゃんはこれ考えても想像しても思いを馳せても猛ちゃんのようにまだまだ修行中の身でありますから、
そんな我が身にとってはですね、全くもってその人知を超えた大きなものの意思っていうものはわからないことがあるんですよ。
あるんですけど、何で猛ちゃんは今父がこんなに大変な毎日を過ごしている中、
隣にいることをせずに高知県という山奥で暮らしているんだろうかということを勘違えてみました。
そしたら猛ちゃんの中にある一つのキーワードがやっぱり浮かぶんですよね。
それは人は自然の一員なんだということです。
先日東京に行った時に猛ちゃんが感じたことがありました。
僕が行った場所は極めて限定的で局所的で、今から伝えることをすべてのことに当てはめるっていうことはあまりにも乱暴かとは思います。
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けれど、人がやっている営みのほぼほぼすべてが、なんだか自然の循環という輪からはみ出ているように思えたんですね。
それは食事でもそうですし、病院で行われていることとかもそうですし、
それから何より経済活動とかそういったことも何から何まで人が築き上げてきたものではありますけれど、
自然という循環の輪から外れたもののように感じてきています。
だから猛ちゃんがこの世界で今問われている役割って何なのかなって思った時に、
やはり自分自身が自然という循環の輪の中に何とか身を置き続けるということなんだろうなと思うんです。
時にその循環の輪から振り落とされそうになることだって猛ちゃんはあります。
はみ出しそうになることだってあります。
ゆっかりすると働きすぎていたり、自分を追い込んでいたりとかして、ゆったりとした時間を見失ってしまうようなことだってあります。
でも猛ちゃんはここで自然感覚っていうものを研ぎ澄ませてきました。
自然感覚、そうですね。何が自然で、自然とは何ではないのか。
それを見極める力がついてきていると自分では感じているんですね。
そう思った時に、このスマートフォンとかもね、僕すごい最近感じるんですけど、もしかして同じように感じている方いらっしゃいませんかね。
猛ちゃんはスマホを肌見放さず持っていたいと思っているんですね。
思っているというか思っちゃうんですね。肌見放さずっていうのは本当に文字通りです。
ポケットにずっと入れっぱなしにするんですよね。
それで最近猛ちゃんはそれをなんか感じてきたんですね。
ポケットの中がミリミリするぞと。
ビリビリよりももっと細かいような感じなんですけど、ミリミリするぞっていうのを感じてきたんですね。
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だんだん足がそこから痺れてくるような感じさえします。
もちろんスマホを離せばどうってことはないんですけど、
またやっぱりポケットの中に入れるとミリミリ感じるようになるんですね。
こういったことっていうのは自分にとって自然ではないこと、不自然なことを僕に伝えてくれているんじゃないかなって思っているんです。
だからこの2日間猛ちゃんはどうしたら僕たち人が人間がそして父が自然の循環の中に身を置くことができるだろうかっていうことを考えていたように思います。
そして導かれるようにして猛ちゃんは森の中に入っていきました。
森の中で薬草を摘ませていただいたんですね。
猛ちゃんがこの高知県にやってきてから学んできた様々な自然療法だったりとか、自然の力を借りて自分の体を清めていくことですよね。
こういったことを猛ちゃんは直感的に感じて薬草を摘みに行って、そして昨日父に送ることができたんです。
高知県という場所の自然の恵みをたくさん摘っているそんな薬草たち、今現代の医学では何ともならないと言っているっていうのはなんか絶望的な感じもしますけれど、
でもよくよく考えると、人というのは自然よりももっともっと小さな単位なので、人ができることとか人がやれることっていうのは本当にごくわずかなんだろうなと思います。
だから何かね、例えば人に頼る時とかもそうですけれども、自分よりも大きいものにすがるじゃないですか。
僕なんかもよくやります。
例えばこだまこまちプロジェクトでさ、絵が描けないよって自分では絵が描けないんだ思いつきまするけどさっていう時には、絵を描いてくださる方に仲間に頼っていくわけです。
その時僕にはその仲間が自分よりもはるかに大きな存在に見えるんですよね。
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そんな感じです。
だから自分よりも大きなものにすがっていくじゃないですか。
とした時になぜ、現代の医学では手の施しようがありませんとか、全てやりきりましたと言っているところで絶望してしまうのかです。
そうではないよね。
だったら次は自分よりも大きな自然というその存在に抱かれてみることっていうことが大切なのではないかと。
そして昔の人たちはですね、その自然の力を借りる術っていうのをよく心得ていたんだろうなと思います。
それが薬草の使い方だったりですね、食事の取り方だったりですね。
こういったところでよくよく昔の方はご存じだったのではないかと思っているんです。
ということで最後にスポンサーコール、この番組で応援をしている方の名前を読み上げさせていただきたいと思います。
この番組はあれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっとできる。
で、自分は一体何がしたいんだっけ?で困っている方に人生のラシーン版を一緒に探してくださる
多動前後コーチングのペスハムさんを応援しております。
ペスハムさん、いつもありがとうございます。
本当そうだよね、このさ、自分っていうものを見失いそうになることをいっぱいあるなって思います。
そんな時、自分よりも大きいなって思えるような、そんな存在にぜひ会いに行ってください。
ペスハムさんはきっとあなたの人生のラシーン版を丁寧に探しに行ってくれるはずです。
はい、ぜひですね、ペスハムさんの多動前後コーチングのキャンペーン、今始まっておりますのでね、ぜひぜひご覧いただけたらなと思っております。
そして、モーちゃんは自然の中にやっぱり入っていって、何を自分が求められているのかということをですね、解釈、紐解いていきたいなって思っています。
今日はモーちゃんはこれから田んぼのお世話をしに行きます。
今日からまた今年の稲作りの作業が始まっていくんですね。
およそ10ヶ月とは言わないか、半年以上はちょっとかかっていきますよね。
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3月から始まって収穫が10月とか11月とか、それくらいかなと思っているので、秋口に向けてとすると半年ぐらいはかかっていくかなと思います。
ちょっとね、雨で天気が良くないということなので、作業を前倒ししてやっていこうと思うんですよね。
きっとこうやって人は天気というものに左右されるんだけども、天気というものの中に抱かれるようにして生きているんですよね。
天の気分ですか。
それによって人はそれぞれが時間の調整をされているんじゃないかなって思います。
本当に1分間違っていたらというか遅かったら出会えなかったご縁とかってあるじゃないですか。
そういうのって天気だとか、天気が僕たちに与えてくれた何か影響だとか、ちょっと今日は寝ぼけちゃってとかさ、寝過ごしてしまってとかさ、ちょっと今日は体調が悪かったとかそういうこともあるかもしれませんし、
逆に今日は目覚めがすごく良かったんだよね。
太陽もすっごく気持ちよく出ててさ、みたいな。
それで1分いつもよりも早く出たことで巡り会うことができた、そんな出会いっていうのもありますよね。
これが僕にとっての、そうですね、自分より大きなものに抱かれることっていうことなんでしょうかね。
いかがだったでしょうか。最後まで聞いてくださってありがとうございました。
ということで、今日はこの辺でお会いでは児玉小町プロジェクトのモーちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。
あなたとあなたの大切な人に森の精霊のご加護が訪れますように。