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おすおす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
3月5日のお昼過ぎに収録をしております。
いかがお過ごしでしょうか?
ほっっとに悔しいんです。
もうね、腹渡がにえっくり返るっていうのは、怒りの表現ですけど、
それくらい悔しさっていうものが、僕の中に巻き起こってきた。
こんな悔しいことがあるだろうか。
僕は今、人生史上最も悔しい、そんな感情の渦に飲み込まれているような気がします。
何が悔しいのかと言いますと、父のことなんです。
僕はこのラジオでも何度か、父のことを話題に出してきました。
僕は決して、父と良好な関係を築いてきたわけではありません。
でもさ、父が今、一生懸命毎日を生きているんですよね。
生き抜いているんですよね。
病が父を襲い、そして父は懸命にその命を繋いでいます。
昨日まで一週間、僕は東京へ行っていました。
今はもう高知県に帰ってきています。
昨日までの一週間、本当にいろんなことがありました。
今までお会いしたくてもなかなかお会いできなかった方々に、もう一度巡り会うことができたり、
応援をしたいと思っていた教え子に会うことができたり、
また、友人の晴れ舞台、晴れ姿、結婚式という人生の門出に立ち会うこともできました。
そして、全く決まっていたことではなかったんですが、
僕が東京に飛行機で着陸をしたその瞬間に、一通のメッセージが入ってきたんです。
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父が退院をすると、それは僕にとって非常に喜ばしい報告になりました。
なんだか、僕は今回のこの病というものを通して、
皮肉にもこの病というものを通して、これまで親子でコミュニケーションを取れなかった期間、
取ろうとしてこなかったそんな期間の埋め合わせをするかのように、この時間を紡いでいるんですね。
だから、今まで以上に父といろんな話ができているような気もするし、
父の気持ちなんて今まで一度も聞いたことがなかったんですが、
入院をしている最中、非常に辛かったんだというような言葉だとか、
それも含みながら心配をしなくてよいと、僕たちに気情に振る舞って伝えた言葉とか、
そういうのを受け取るんですね。
で、父は120日に渡る、およそ120日、4ヶ月に渡るその入院生活に一旦終止符を打ち、
この家に戻ってきたんですよ。
病院から出てきた父の姿は、当時の僕が思い描く父の姿に出てくるような、
そんな元気さというものとはかけ離れた、そんな状態でした。
もうかなりボロボロになっていたというのが言葉を選ばずに言うならば、
そういう状況だったでしょうか。
本当によく命を繋いでいたなと、そして家に戻ってきたんですね。
父は、現代の医学においては、もう良くなることが難しいと言われている、そんな病なんです。
切除すれば、その部分を切除すれば良いとか、そういうものでもない、そんな病なんです。
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だから、その進行をいかに遅らせるかっていうことが、この病気との立ち向かい方であり、付き合い方になるのだそうです。
僕が悔しいのはね、父が今もそうですけど、
今日という日まで、一生懸命仕事に打ち込んで、僕を含めた家族を守りやってきたっていうことです。
こんなにも、こんなにも身を子にして、気を張ってやってきた、
その仕打ちが、こんな言葉を使ってしまいますが、その仕打ちがこの病気なのかって、すごく僕は悔しいんですよ。
父は、老後のためにすごく準備をしてきた人なんですね。
未来を見据えて、どんなことがあろうとも、やっていけるようにということで、ここまで準備を積み重ね、積み重ね、丁寧に丁寧にやってきた人だったんです。
本当であれば、仕事を退職したならば、もう悠々自力で自分がやりたいことをやり、行きたい場所に行き、そんな時間を過ごせるはずだった。
にもかかわらず、無情にも無情にも、病が父を襲った。
だって、病院ではおそらく、やれることはやった、手は尽くしている、そういうことなんですね。
これ以上は、現代の医療ではわからない、そんな息に達しているんだと。
だから、父は本当にすごい量の薬を持ってきました。
決して言い過ぎではないんだと思うのですが、一回に自分が飲まなければならないその薬の量は、小さなお茶碗、茶碗、一杯分はあろうかというくらいの、そんな量に及んでいました。
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父から、この薬は何の薬なの?一つ一つ説明を聞いた時に、僕は直感をしたんです。
父の中での、命をつなぐ、その生命のサイクルのバランスが、今非常に崩れているのだと。
それを感じたんですね。
東京にいた時に、わかったことは、東京という場所、僕が今回行った場所は、非常に限定的で、局所的で、僕はこれから言うことをすべて当てはめるようなことは、僕はしていない、その前提で話をさせていただきたいんですが、
東京で営まれている食事や医療や経済活動をはじめとする様々な営みが、自然という循環の輪の外側にあるような気がしていました。
本当にすべてが、自然の外で行われているというように、普段自然の中で暮らしを続けてきた猛ちゃんは感じたんですね。
だから、この自然の輪の中に入ること、これが今、父が1秒でも長く、この世界で呼吸をしていく、そんな手がかりになるのではないかと、感じている次第でございます。
ということで、猛ちゃんどうしても、何だかこう話したいですよね、これがね。お付き合いいただけたらと思います。
2回目もこんな思っ苦しい放送ですけれども、スポンサーコールをさせていただきたいと思います。
この番組は、あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたいって、一体自分は何をしたいのかわからなくなっている、そんな人に一緒に人生の羅針盤を見つけてくださる、多動前後コーチングのペスハムさんを応援しております。
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ペスハムさん、いつもいつもありがとうございます。
僕はかつてコーチングというものを、僕自身もなりわいにして活動をしていましたし、また様々な人のサービスを受けてきました。
その中で、僕に一番長く寄り添いながら、今もどこにいるかわからなくなっちゃった、そんなメンターがおりました。
彼は非常に単価が高い、そんなメンターだったんですよね。本当に、もう1ヶ月のお給料分じゃ済まないくらいの、それくらいの値段がかかりました。
でも、そのメンターと僕は話をすると、いつも何か新しいことというか、自分の中の本当に大切なものに気がつくことができたような気がしているんです。
だから、今はもうお金を持ってどこか行ってしまったんですけど、それを詐欺だとか、そういうことを言うことは決してありません。感謝しかしていません。
そんな彼が僕に残した言葉があって、その言葉を今思い出すんです。
モーちゃんさ、人生って何だと思う?そう言うんですね。僕は、今こうやって生きている、これが人生でしょ?そのように伝えたような気がします。
食事をしている時だってそうだし、生活をしている時だってそうだし、君と今話をしているこの瞬間もまた、僕にとっては人生だよ。
でも、モーちゃんはこの言葉にも確信があったわけではないんですね。どこかもやっとしながら、これを答えていました。
そのメンターは僕にこう伝えたんです。
モーちゃん、よく聞きた?人生というのは、人生について考えていない時間だよ。そう言うんですね。
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僕はこれを本当の意味で解釈をするまですごく時間がかかりました。
し、今もなお全てを理解しているとは思っていません。
しかも、僕の解釈はもしかしたらそのメンターがしていた解釈とは違うものなのかもしれません。
でも、今モーちゃんがこの言葉をひも解いて見ている中で、見えている答えを今話をしますね。
それはね、自分の人生を生きているっていうその時間そのものが人生であり、それ以外のことは実は自分の人生を生きていないんだぜっていうことです。
それ以外のことを考えているってどういうことなのでしょうか。
人は考える足だと昔の人は言っていましたね。
考えることができるというのは人の能力であり、それから人しか持ち得ないものなんだっていうことは言われていますよね。
だから人は考える。頭でとにかく考える。考えに考えに考えを重ねて、そして今日という一日をより良く生きようとしていきます。
人は知識を身につけ、そして考えを巡らせるようになることで、実は自分自身のその人生ともいえる時間を生きていないのかもしれないなと最近思ってもきました。
それはね、様々なことが考えをよぎるわけです。
例えば、ぼーっとしていたとしてもね、そこに様々なSNSや動画などの情報がどんどん入ってくるでしょう。
これ、楽です。楽だけどさ。本当にそれは自分の人生を生きていることになるのでしょうかと言われたら、ちょっともしかしたら違うかもしれないって思ってしまうんですね。
もーちゃんは直感的にですよ。これは理屈ではなくですよ。
つまり、それは自分で行動をせずに、ただ外側から眺めて、ああでもない、こうでもないと考えを巡らし続けること。
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これでは人生ではないんだよっていうこと?それを言われたような気がしたんですね。
いわば、海を外側から眺めていて、あの海は深いのかな、浅いのかな、温かいのかな、冷たいのかな、中にはどんな生き物がいるんだろうか。
そのように考えを巡らして、中に入ろうとしないのと同じで、それはある意味自分の時間でありながら、自分の時間ではないのかもしれないと。
本当に自分の人生を生きたいと思ったならば、その海の中に飛び込んで身をたゆたえ、そして生きたい方向へ泳ぎながらも、波やうねりに身を任せるっていうことなのかもしれませんよね。
その時、僕たちの頭の中には、海って冷たいのかな、温かいのかな、どんな生き物がいるんだろうか、深いのかな、浅いのかな、そのように巡らしていた考えがすべてなくなります。
あるのは、目の前に登場してくる生き物たちの姿であり、肌を通じて感じる水の温度であり、そしてその海の中に立って初めてわかる足がつくのかつかないのかということなんでしょうね。
ともすれば、この人生のことを考えていない時間こそが人生なんだよ、と。
この構文でしょうかね、言葉っていうのは、さまざまなことに当てはまるような気がします。
例えば、健康のことを考えていないときが健康なんだよ、とかね、お金のことを考えていないときがまさしくその裕福ということなんだよ、ということだったり。
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誰か会いたいなって思っている人が今自分の中に、頭の中にない、そんなときに自分は孤独じゃないって思えたりね。
なんだか同じようなことで言い回せることっていっぱいあるなって思ったりもしますね。
これは本当に僕の中に残っている言葉なんですよ。
そう考えたときに、僕は父に敬意を払いたいと思ったんです。
自分の病気は一体何なのだろうか、それを分からずに、分からないままにしておく、そんなことだってできたはずです。
でも、どうしても自分の中には、自分は生き続けなくてはならない、生き続けたい、そしてこの病気とは何なのかという正体を知りたいと、そういう思いがあったんじゃないかなと思うんです。
だからこそ、医療機関にかかり、そして長い長い入院生活にも自分が耐え抜いたのかもなって、そう思ったんですね。
まさにそれは決して、決して心地よい海でなかったかもしれないけれども、その海の中に自分が頭までどっぷりと浸かってみたっていうことは、父の勇気だったんじゃないかなと僕は思っています。
だから、すごいことをされたなと。
そしてだ、今、父は退院をして実家におります。
1日1日、非常に命をつないでいくっていうことが、本当に隣で見ていて、自分が苦しくなってしまうくらいきついことです。
そんな父に僕ができること、そしてどうすればこの病気とうまく付き合っていけるだろうか、いい方向へ持っていくことができるだろうか、自分はやるべきことはやってるぞと思えるだろうか、こうやって考えを巡らすんですね。
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考えを巡らせれば巡らせほど、それは僕もそうですし、父もそうですし、今という自分の人生という時間を、もしかしたら無心になって生きることができてないってことなのかもしれない。
だから、僕たちは一つ決めたことがあるんですね。
それは、病院では受け取ることができなかった治療というものが、この世界にはあるということです。
今回かかった病院は、日本でもこの研究においてはトップの医療機関です。
しかし、そこで病気を癒すということの手立てはなかった。
ならば、僕たちができることは何なのか、それは自然という循環の輪の中に入ることなのではないかと思ったんです。
父の体調は素人ながらにして、なんとなく薬膳とか、自然民間療法だとか、そのような学びを重ねてきた僕にとって、自然とは無縁の生活、そして治療を続けてきたんだなということが分かりました。
父がこれから命を繋いでいくには、自然の力を借りていくことが欠かせないと思ったんです。
僕はその実家に昨日までいた中で、自分が持っている限りの薬膳や民間療法の知識を置いてきました。
すぐに家族はそれを取り入れ、食事の作り方や準備の仕方に反映させてくれたんですね。
こうやって僕たちが行動をすることによってのみ、僕たちは今という時間を本当の意味で生きることができるのかなって思うんです。
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計らずも悔しくも、病というものが僕たち家族をまた繋ぎ合わせ、そして僕たちがどうこれから生きていくのかということの中に、自然というキーワード、キーワードレベルではありますけど、それをようやく取り込むことができたんですね。
僕は今自然の中で生きていますが、都会で生活をしてみるとやはりわかるのは、自然というものは自分の生活の一部になっちゃうということです。
自分が自分より大きな自然というものに取り囲まれるのではなく、自然というものよりも自分というものの方が大きいんですね。
だから一日を通して一度だって木や葉っぱに触るということがない、そんな日だってざらにあるんです。
一日を通して一本も木を見ないという日だってあるんですよね。
これが実は今都会というものが抱えている語弊を恐れずに言えば、病の種なのかもしれないと思った次第でございます。
だからぜひ自然の中に入ってきてくださいよ。
自然ってどういうものなのかなとか、自然を外側から眺めているだけじゃ、それを考えているときは人生という自分の時間ではないんでしょうね。
いろんなことに気を取られてしまっている時間なのだと思います。
僕たちは人間は迷いながら、考えながら、そして前進をしていきます。
だから考えない、迷わない、悩まない、それが大事なわけではないんです。
それはここで僕が声を大にして伝えたいんですね。
けど、いつまでもそれを外側から眺めているだけでは決してたどり着くことができない、そんな本当の意味での自分の人生とか、本当の意味での健康だとか、そういったものがあるはずなんですね。
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僕はだから今日もまたできることを行動に移していきたいと思っている。
そして、そこにはできる限り自分にとって利益があるからとか、自分が得するからとか、そういうことではない。
ただ、今日一日を自分という自分自身に嘘をつかず、偽りなく正直に生きていくっていう、ただ、ただそれだけなんですね。
いかがだったでしょうか。最後まで聞いてくださったあなた、ぜひ、いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
今回はですね、この一週間、僕はかつてないほどに薬膳のこと、自然のことを伝えることができた、そんな時間だったんです。
炸裂しました。いや、わかるでしょって。
父や母が小さい時はきっともっと自然は身近にあったはずだし、自分が怪我をすれば怪我口に、傷口にアロエを貼り付けてさ、それでさ、怪我を治すみたいなさ、ことだってやってたじゃないですか。
それが、たかだか60年くらいの間に失われてしまっているんですよね。
自然と共に生きていた、そして自然というものを自分の生活の中で生かしてきた、そんな先人たちの知恵がどんどん失われています。
それを今僕は改めて学び直し、この現代に復活させているということなんです。
こだまこまちプロジェクトという木のキャラクター一体一体もまた、それは昔からの言い伝えだったりとか、その木が持つその用途、どんなふうに人はその木を使ってきたのかという、そんなこともそこにぐっと凝縮されているんですね。
だから僕はこのキャラクターを手渡しさせていただくっていうことは、あなたの生活の中に何か自然というものをお送りするっていうことにつながると思っているんですね。
ありがとうございました。
一つだけお知らせですね。
33:02
僕ですね、1年間ずっとスポティファイという音声メディアの登録頑張ってきていたんですが、何せかエラーがずっと起こってまして、それができなかったんですね。
最近さ、スポティファイのポッドキャストが熱いみたいな話が多分皆さんわかると思うんですけど、あるじゃないですか。
確かにそうだよなっていうのは僕はずっと思ってたんですけど、何故か自分の持っている端末ではうまくいかなかった。
そんな日々を1年間、本当に1年間過ごしてきたんですね。
去年の3月に頑張ってやってましたからね。
けど、ようやくそれが登録が完了しました。
なので、スタンドFMとスポティファイでこれから、この配信はまだしないと思うんですけど、これから両方で配信ができていったらいいかななんていうことは思っているところがあります。
あの、僕ね、これね、でも色々葛藤があるんですよね。
こんなさ、自分の心の声みたいなやつって、やっぱり今聴いてくださっているスタンドFMで聴いてくださっているあなたには安心して伝えることができるけれど、てんてんてんというようなところがまだブロックとしてありましてね。
どれだけスポティファイを活用できるかなっていうことがわからないんですけど、そういう意味ではね、つながりが濃いのがスタンドFMだなって思っています。
僕はスタンドFM大事にしたいなって思っております。
でね、ただ、この音声メディアって僕ね、ずっと初期の頃からやって続けていて、その歴史をずっと肌で感じてきたんですね。
でね、このスタンドFMっていうのは、生き残った音声メディアなんですよ。
で、このスタンドFM以外のところには、生き残らなかった音声メディアがたくさんあるんですよ。
僕はこのスタンドFMと同じ内容を、Googleポッドキャストでもですね、配信をしていたんですよ。
でも、そのGoogleポッドキャスト、Googleですら、その音声配信なくなったんですよね。
正確に言えば、YouTubeミュージックの方に統合されたのかな、確か、というようなふうに記憶をしているんですけれども、なくなっちゃったんですよ。
みたいなことがあって、やっぱり僕たちがこうやって紡いでいる言葉とか、思いとか、気持ちっていうのはさ、残していきたいじゃん。
だから、複数のメディアでやっておくこととか、自分が自分の元として、なんかこうデータとして取っておくということは大事なんだよっていうことを思っております。
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話しすぎたね。
ということで、ありがとうございました。
お相手は、こだまこまちプロジェクトのもうちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。
あなたと、あなたの大切な人に森の精霊のご加護が訪れますように。