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おすおす、おはようございます。こんにちは、こんばんは、こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
4月13日、日曜日のお昼に収録をしております。
いかがお過ごしでしょうか。 今、実家の引っ越し作業をしておりまして、
この東京という土地に降り立ちました。 そして、
いま、ようやっと引っ越し作業の90%が終了をしたというところとなっております。
ここはね、ぼくは今、7階にいるんですね。
この街は、再開発が本当につい最近進んだ場所となっておりまして、
近くにはタワーマンションがドーンと立ち、 そしてショッピングモールなんかもあってですね、
まあ1年を通してずっと人でにぎわっている、そんな街なんですね。
ぼく自身も実家を、こうやって引っ越しをお手伝いさせていただきまして、
実家はこれまで1軒家だったんですね。2階建ての1軒家でした。
そこから、すぐ近くなんですけれども、
マンションの7階に住ませていただくというか、
実家はここでお世話になるということになっております。
ここに来て、7階という場所から、
東京の街並みを眺めるのです。
今日ね、それを眺めていて、
あまりにも高知県にいてですね、
見ている、感じている風景とは違って、
様々な考えが湧き出てきたんですね。
悪く言うつもりは全くなく、
ここで暮らしている一人一人がいて、
懸命に生きようとしている人たちがいて、
そんな方々が今、
この土地でどんな価値観や文化を感じながら生きているのかなということを思いを馳せています。
僕はですね、
3年前、ちょうど3年前に東京から高知県へ移住して、
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3年もあればですね、
物の感じ方ですね、
それから生活といったものがまるっと変わってしまうような感じがありまして、
東京というこの景色を見て、
今までだったら綺麗な街並みだなぁとかですね、
マンションの上の階に住むということは、
興奮も覚えていたと思うのです。
今回この物件に出会えたこと自体が、
すごく大きなありがたい巡り合わせでですね、
この家というのは僕たち家族にとって必ず必要なものだったんだろうと、
そう思っているのですが、
その一方で、やはりコインは生み出した瞬間に裏と表というものが存在するんですね。
何かものがこの世の中に誕生した時には、
必ず光の部分と影の部分があります。
その影の部分はじっと見つめることで、
自分自身に何かを語りかけてくるのですね。
光というのは外から差し込むもののようにも思いますが、
影というものはですね、じっと見つめていると、
その自分の中のまた光というものに感じていくんですよね。
ということで、
今日はですね、そんな東京を上から見下ろしてみて、
何を感じているのかということをお伝えさせていただきたいと思っております。
ということで始めていきましょう。
この番組は自然あふれるタカオさんで、
4月27日にCNPトレカ交流会を無料で開催したい。
そのためにクラウドファンディングを4月16日から始める、
キノメイシサポートコミュニティのHikaさんを応援しております。
Hikaさん、いつもいつもありがとうございます。
はい、今日は夢をよく見る一晩を過ごしました。
普段僕は夢を見ない、
夢を見ているかもしれないけど忘れてしまう、
そんな人なんですけど、
今日はなんだかそうですね、
田舎の夢をよく見たように思います。
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今田舎で待ってくれている家族たちがいっぱい登場するような、
そんな夢でね、
まあここの景色はどこなんだろうなという感じでもありましたけれど、
鮮明に覚えているのが今過ごしている家族のことですね。
日本では古来より現実物語などなど様々なものがね、
物語の中で語られているものがあってさ、
夢っていうのは誰か強い念、
それが誰かを憎む念であったり、
誰かの幸せを願うような念であったり、
まあどういうわけかそれが人に伝わるなんていうことがあったりしますよね。
僕結構これは素敵なことだなと思っておりまして、
きっと家族が僕のことをね、
夢の中で呼んでくれたのかなぁなんて思ったりもするわけですけれども、
その僕たちを取り囲んでいた、包んでいた景色というのは田舎の風景だったんですよね。
やはり僕は今田舎の方に呼ばれているんだなということを感じるわけでございます。
東京を上から見下ろした時に、
なんだか一つの切なさ、
なんか寂しさを感じました。
その感じたものはですね、
きっと僕自身で大切にしているというものが、
今その東京を上から眺めた限りでは見当たらなくなってしまっているようにも思えたんですね。
というのはですね、
一つ一つのお家というものが、
なんだかキュキュキュッと接近しているようなね、
本当に所狭しとお家が建っています。
それは一軒家でもあり、それからマンションでもあり、
キュキュキュッと肩を寄せ合って、
そこに転在しているというか、密集しているそんな風景です。
しかしながら、
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物理的な距離というものは近いんだろうけれども、
その家と家の間には硬い硬い、そんなコンクリートの壁、
こういったもので敷居ができているんですね。
公園なんかは敷居がないじゃないですか、
そこにはありとあらゆる人たちや植物や、
そして生き物たちが集まってきます。
でも何か囲いを作るということは、
自分と他人を分けていくということなんですよね。
ここに引っ越しをしてきて、
おそらくなんですけど、
お隣の人と言葉を交わすこともほぼないんだろうなということです。
壁を隔てて、壁を一枚隔てて、
隣は別の人が住んでいるにもかかわらず、
引っ越しのご挨拶などは求められていないだろうし、
こちらも死にはいかない、そんな感じなんですよね。
そうなってくると、
おそらく地域で生きていくということはなくなってくるように思います。
もうちゃん、すごく珍しく横文字を使わせていただきます。
この言葉はもう昔から言われている言葉なので、
まあ馴染みがある言葉だと思うし、
もうちゃんが考えた言葉でもないし、
そんな言葉をこの放送、このラジオで載せていくっていうのは、
あまり僕の本位でもないところがあるのですが、
まあちょっと話してみますね。
ワーク・ライフ・バランスという言葉があるじゃないですか。
仕事とそれから生活、
これはそれぞれが独立するものであり、
そしてその2つをしっかりとバランスをとっていくんだというこの考えですね。
その仕事というのは、昨日、おとといか、
おとといの放送で話をした稼ぎという仕事ですね。
お金を得るためにその稼ぎと言われている活動、営みをしに行く。
そして帰ってきたら趣味や家族の時間を楽しむ。
そういった両立が大事なんだということでした。
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しかしこの言葉がもう古いものになっていき、
2024年の国の会議ではよくこんな言葉が出ていたようです。
この言葉自体はもっと昔からありますけれど、
2024年の厚生労働省の資料なんかを読むとこんな言葉が結構出てくるんですね。
それはワーク・ライフ・インテグレーションという言葉です。
インテグレーションというのは統合とか調和なんていう意味があるそうなんですが、
自分の人生、生活の中に仕事というものがあって、
生活そのものが仕事、稼ぎであり、
稼ぐことそのものが自分自身の趣味だとか好きなことであるというような考え方。
これがワーク・ライフ・インテグレーションというものなんですね。
ワーク・ライフ・バランスと比べると随分と柔軟な感じになったなぁなんて思いました。
YouTubeが一昔前に、僕が渋谷を歩いていると、渋谷の地下鉄に向かう駅構内の中に、
YouTuberたちの広告がドンドンドンドンドーンといっぱい並んだ時があったんですよ。
それはYouTuberの一人一人の写真、画像というものが一つ一つの大きなパネルに出ていって、
そして下のところにはですね、すべての写真に同じ文言が書かれていました。
好きなことで生きていく、好きなことで生きていく。
僕はこの言葉にすごく当時勇気をいただいたことがありました。
そうだよね、今これからの時代さ、好きなことで生きていくっていうこと大事だよね。
だから副業をしようとかさ、それから一つの組織に所属をするだけでない何かを探していこうなんていうことを僕自身思っていたんですよ。
しかしながらですね、本当にそれで良いのだろうかというのが、今僕が立っている現在地なんですね。
僕の立っている現在地は、その当時は東京でね、一つの組織に属して過ごしておりましたので、
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まあそういった好きなことで生きていくっていう言葉が僕の中によくよく入ってきたんでしょう。
しかしながら現在は田舎で自然の中で暮らしております。
なんか都会で長時間いるとザワザワっとするんですよね。
で、本当にこう言ってしまったら申し訳ないのですが、都会で買えるものが僕にはないんですよね。
これはね、金銭的なことというよりも、食べ物とかですね、そういったものの中で自分の体の中に取り入れたいと思えるものが本当に100お店があったら3つぐらいあればいいかなというくらい少ないんですね。
このザワザワっとする自分の中のこの感覚は自然感覚だと僕は信じてやまないわけですけれども、
その感覚を持ち合わせた自分にとってですね、この好きなことで生きていく、そしてワークライフインテグレーションというものがこれからずっとどんどん
押し進んでいくときっとみんな孤独を感じるのだろうと思うのですね。
まあ人は誰だって自分の中に孤独を宿し、孤独を抱きながら生きています。
なぜか人といるのに、なぜか友人や家族とワイワイしているのに、そういったたくさんの人たちと一緒にいるときにこそ
ああ、なんで自分はというなんだかこの孤独感を感じながら生きていくんですよね。
で、この孤独というものがどんどん浮き彫りになっていくというかですね、
そうですね、孤独というよりも孤立というものが増えてくるのではないかと思います。
孤独は胸の中に宿すものだと思います。
孤独な時間は大切な時間です。しかしながら孤立した時間はどうでしょう。
これはすごくもう耐えがたい。
なんだか自分自身が頼るところもない、
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寄りかかるところもない、なんだか非常に
寂しさを覚えるのです。
このね、孤立というものが進んでいくようにも思うんですよね。
究極、人は完全には分かり合うことができないのであるのならば、好きなことを追求し続け、
そしてワークライフインテグレーション、自分の生活と稼ぎの調和、これが進んでいくということはすごく自由なようにも思えて、
それはきっと僕は思う孤立を押し進めていってしまうものではないのだろうかと。
僕はね、今田舎に行ってすごく変わった生活の中の一つがあって、
それは地域に貢献をするという時間なんですね。
地域貢献というのは地域にとって何か良いことをするというか、
何だろうね、おじいちゃんおばあちゃんと話をするとかですね、
それからそのちょっとお借りしている土地を大切に使っていくなんていうことですね。
畑をする、農作業をする、これもですね、自然に配慮をしてやっていくということで、
この配慮する気持ちがとても大事ですよね。
僕は地域の中で活動するということが増えてきました。
そして先日僕は経験をさせていただきました。
神様のお祭り、神祭。
そこで当番ですね、お問屋、当たる家と書いてお問屋と言うんですが、
そのお問屋の代表をさせていただきました。
この時間はとってもね、なんだか気持ちの安らぐものだったんですよね。
気持ちが安らぐというのは何なのでしょうか。
それは今やっていること、今いる場所に自分の気持ちを留めておくということです。
なんだか悩み事があったり、また予定、スケジュールがパンパンに詰まっていると、
次はあれしなきゃいけない、これしなきゃいけないと言ってですね、
そのスケジュールがどうしてもどうしても気になってしまうものじゃないですか。
すると心ここにあらずというような状態になってしまっていて、
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自分の気持ちが休まらないということになっていくと僕は思うんですよね。
神祭、儀式、そういった時ってできる限り神様というところに自分の意識を向けようとする。
そして神様というのはお宮をね、神社やしろを開けてですよ。
そしてその神様、目の前におわしますその神様に手を合わせるわけですけれども、
なんだか神様は僕たちの中にいるような、入ってくるような気がしました。
その神社のお堂を開けるとですね、そこに風がスーッと入り込んできて、
そしてその風は僕たちの中にも入ってくるような、溶け込んでくるような気がするんですよね。
ですから僕にとって地域の皆様と一緒にその神様をお祭りする、
まあこれ仏様でも良いんですよ。
何か信仰心を持って活動を営みをしていくということは、
神様の息吹を、自分よりも大きな存在の息吹を自分が感じていく、
自分の中に取り入れていくものなんだろうなぁと思うんです。
東京という街を上から眺めてみると、先ほども申し上げたように兵が見られる。
なぜ兵が見られるのかというと、お隣同士が急接近しているからなんです。
もし急接近していなかったとしたら、
お互いがお互いにある一定のちょっと広い間隔を持っているのであれば、
その間隔の間には自然というものが入り込んできて、
木や草などが生い茂ってきて、
それが兵を作らずとも、なんとなくのお隣同士の境と、
そして繋がりを同時に作り始めるのだと思うんですよね。
緑の道とでも言いましょうか。
そういうものが起こってくるように思います。
そしてその自然環境というものは、
僕たち人がどうやろうとも作り出すことができないもので、
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その自然環境にこそ、それをめでる時間こそ、
そしてその自然というものを大切にするという心こそ、
実は神様や仏様や、自分より大きな大きなその存在に、
自分の感謝を、気持ちを委ねるというんでしょうかね。
なんだろう、そういう時間になるのではないかと思いました。
なので、僕はあえてこんな言葉を使いますけど、
この街には神様がいないなって思ったんです。
これね、語弊を恐れず言っていますが、
誤解しないでいただきたいのが、
ちゃんと神社やお宮というのはこの街にはあります。
そして今回引っ越しをするにあたってね、
家の中に置いていた神棚とも言うべきようなですね、
神社からいただいたお札だとか、そういったものは持ってきました。
そんな人の中にこそ信仰心はあるというのはよく言われることなんですけれども、
実はこの信仰心というのはですね、
僕は人と人の繋がりにもなっていくんだよねっていうことを思うんですよ。
これが地域というものですよね。
みんなで自然を大切にしていく、
これも一つの信仰心のような気がしていて、
そこの自然へのこの作業、
由意作業ですね、結ぶ作業と書いて、
みんなでやっていくこの由意作業というものも、
信仰心をみんなで大切にしていこうねっていう、
人と人の繋がりを生み出すようなことになっていくと思うんです。
これこそやっぱり孤立を生まないっていうことなんだろうなって思うんですよね。
さらにですね、
僕が田舎で経験をした近くの神社のお祭りを、
年に数回、4回とかですね、
みんなでやっていこうっていう、
そういった時間はおそらくないですよね。
この街でそれを意識を持っている人って、
おそらくもうほぼほぼいないんだろうなと思うのですけれども、
そういう時間があるということは、
皆さんのお顔をお互いに見合って、
地域としての時間があるということなんですよ。
これこそが孤立ではない、
何かこう繋がりというものになっていくと思うんですよね。
だから僕たちはこのね、好きなことやればいいよとか、
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人生どんどんどんどんこうね、
自分の生きたいように生きればいいよっていうこと、
これがよく言われてきますけれども、
なんだかそれが押し進んでいったその先にはですね、
寂しさっていうものが待っているんじゃないかな、
ということをふと思ったんですよね。
偉そうにすみませんね。
例によってこの言葉はね、
この考えは押し付けているのではないんですが、
僕自身が見ている景色というものなんですよね。
で、この前地域の方がね、
僕が住んでいる集落の方がね、
一人がおっしゃっていたんですけど、
この集落に住むということはね、
ここの集落でやる儀式とか、
そういったことは大切にしていってほしいということでした。
もちろん一人一人お仕事、稼ぎですよねとか、
そういったことがあってさ、
なかなか生活をしていくためには平日に時間を取ることができない
なんていうことはあると思う、あると思うんだけどさ、
でもね、大事にしてほしいんだよって。
だからこの集落で、
もし儀式参加をしないのであれば、
それなりに他のところでカバーをしていただくとかですね、
そういうことを努力をしてほしい。
それがこの集落で生きていくっていうことなんだよと。
これをね、やっぱり煩わしいと思うことってあると思うんですよ。
都会に住んでいて、隣の人も気にしなくていいやっていう、
高い塀で、固い分厚い塀でね、覆われたそんな場所に住んでいると、
僕もそうでしたかつて。
人付き合いというのがすごく煩わしいなと思ってしまう。
でも自然がある場所では人と人が繋がるんですよ。
そして信仰心を持つんですよね。
そしてそういったところで、
皆さんがお互いに顔を見合うんですよね。
いかがだったでしょうか。
最後まで聞いてくださったあなたは、
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本当に一言で言うならば、
神様がいない街だなっていうのを思いました。
思いましたね。
本当に本当に思うよ。
で、上から見下ろすとさ、
まあ緑が少ないんだわ。
木があったりはしますよ。
ありますけど少ない、本当に少ない。
そしてお土産とかそういうものも、
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僕のその今いる実家の上からは見下ろすことができない。
そして飛び込んできてしまうんです、どうしても。
それは字とかですね、
企業のロゴなんかですね、
そういったものがですね、ドーンとですね、
僕たちの目に飛び込んでくる24時間365日、
この企業のロゴをずっと見続けるんだなとか、
なんかこのキャッチコピーね、
僕がですね、今住んでいるとか、
今いる実家から見えるね、
あの場所にはですね、工事をしているマンションがあるようで、
そのマンションがネットで覆われているんですよ。
そこにはね、こう書かれています。
美しい住まい、美しい人生。
すごく意味深ですよね。
なんかこういう、僕はザワッとしてしまったんですけど、
こういった言葉がずっと目に飛び込んできます。
自然がない場所でこういった言葉を掲げている、
僕たちにずっとそれを見せてくる、
メッセージを届けてくる、
何なんだろうと思って聞きますね。
別にこれ悪口ではないんですよ。
でも気づかせてくれてありがとうというような思いなんですよね。
そういうさことですね、
あの街並み、景観というものって、
その地区でさ、整えましょうというのがあると思うんですよ。
高い家を建ててはいけませんとか、
2階建てまでですとかさ、
広い家を建てなきゃいけませんとかさ、
ちっちゃい家は禁止ですとかさ、
庭は必ず持ちましょうとかさ、
そういうのが結構あると思うんですけど、
そういうのってまさにですね、
この自分さえ良ければいいや、ではなく、
この街、この土地というもののですね、
すごく大切な場所、
これをみんなで約束を守って使っていきましょうね、
使わせていただきましょうねっていう、
この大地へのリスペクトがあるような気がするんですよね。
僕たちそれを、これ見よがしにですね、
何かメッセージだとか、
そういったものをポーンと外に掲げることによって、
失わせてしまう手はないだろうかということも思いますね。
ということでですね、いかがだったでしょうか?
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ありがとうございました。
いやー、ちょっとですね、
僕そういう環境にずっと身を置き続けることで、
それが当たり前になっていってしまうことってあるんじゃないかなって思ったり、
やはりどんどん自然というものが人から離れていってしまっているんだなぁと思うのでございます。
あとですね、タワーマンションってあるじゃないですか、
高層階に住む、
僕今回タワーマンションではないのでね、
そんなに高いマンションではないです。
この7階という場所に身を置いて感じたことがあって、
人はなんでこの高い場所に住みたいと思う、
そんな気持ちが出てくるのかなぁということは、
ちょっと不思議だったんですよね。
でもね、なんかわかった気がしました。
それはね、よく言われるのは、
外から、上から見下ろす景色っていうものは、
成功の象徴なんだというね、
まあそういうことですよね。
高さっていうのは権力や権威っていうものを表すことであって、
そしてそこから一望する、
誰よりも高いところから見下ろすというこの景色っていうのは、
何にも変えがたいものがあるのだということだというふうによく言われます。
実はですね、これね、すごくこうジレンマを抱えながらも、
自分の中にある自然感覚っていうものが、
上を目指させるのではないかと思ったんですね。
っていうのは、やはり都会というのは喧騒の波に絶えず包まれていると思います。
車がビュンビュン走るとかさ、人がいっぱいいるとかさ、
あとさっき言ったように文字とかイラストとかロゴとかで、
どんどん自分のところに情報を投げかけてくると。
でも高いところに行けば行くほど静寂が手に入るんですよ。
七階というこの場所は結構静かでした。
もう本当に隣に有名な国道、すごく広い国道が通っていて、
車がもう24時間絶えずビュンビュン通るところなんですけど、
静かなんですよ。静寂なんですよ。
で、この静寂っていうのは、
実はもう今都会であれだけ人がひしめきあっている中では、
上、上空にしかないんじゃないかなと思いました。
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この静寂に耳をすすませたいというか、浸りたいというそんな思いが、
実はこの人の中にあって、
この高い場所、物理的に高層階に住みたいという思いが出てくるんじゃないかな、
なんていうことも思った次第でございます。
ただ一つ言うことがあると、
それならば人は大地から離れて生きることはできない、
というこのジレンマですね。
いかがだったでしょうか。
はい、ということで今日はこの辺にしたいと思います。
お相手はこだまこまちプロジェクトのももちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいません。
あなたとあなたの大切な人に森の精霊のご加護が訪れますように。