1. もおちゃんの「なぜなに?」樹木図鑑📗
  2. 鍋の中は聖域。そこには宇宙が..
2025-03-24 32:18

鍋の中は聖域。そこには宇宙が渦巻いてるんだなぁ

余計なことしない。そんな新生活にします。 〈らんらんのブログ〉⏬ https://ameblo.jp/ice-55/entry-12888730515.html?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR0xGGPAVSy3h-KJ0jmtcki0QJw9bMnyDGbNDK5V4_JUCUiW4HQ6R0GaNfA_aem_1qKfUhWsKR_TF8gc91QvvA <スポンサーコール>ペスハムの「価値ある人が報われる」ラジオ⏬ https://stand.fm/channels/5f7e673ff04555115dc868ae 【初の公式ファンブック『こだまこまち設定資料集vol.0』発売中!】 https://codama-comachi.booth.pm/items/6344688 【Link まとめ】 https://lit.link/codamacomachi 【Web小説】こだまこまち ご覧いただき、ありがとうございます。 最新話は、 「小説家になろう」でチェック✅ https://ncode.syosetu.com/n0393jl/51/ 〈これまでのお話はこちら〉 https://ncode.syosetu.com/n0393jl/ ____________ 〈これまでのおはなし〉 ザックスレストランを営む主人公ユウは、 謎の少女の声を聞き、 森の中へと入っていった。 森には異変が起こっていた。 次々に倒れる樹。 襲ってくるかずら。 森の精霊、 エノキとイロハモミジに出会ったユウは、 自身が伝説の存在「杜人」の末裔であることを知り、森の奥へと歩みを進めた。 迫り来る怪異たちを振り払い、 見事、大精霊アカガシを救ったユウたち一行は、 旅の疲れを癒すため、「昴宿よこぐら」を目指すのであった・・・・・・。 これは、もしかしたらこれから人類が経験してしまうかもしれない 今からちょっと未来の話。 人は、自然から離れ、そして、自然もまた人から離れてしまった。 都市で起こっている異変、自然界で起こっている異変。 世界の秘密とは。 旅立ち。別れ。そして、森の精霊たちとの不思議な出会い。 自然界は人間を、人間は自然を取り戻すことができるのか。 近未来のオーガニックファンタジー冒険活劇。 森をめぐる冒険が今はじまる。 _________________ illustrated by @teraoka.shokai @sibainu_hotate #こだまこまち 【小説】 〈カクヨム〉 https://kakuyomu.jp/works/16818093083046463187 〈小説家になろう〉 https://ncode.syosetu.com/n0393jl/ 〈pixiv〉Web小説『こだまこまちと杜人ユウ』 https://www.pixiv.net/users/108735967 【各種SNS】 〈youtube〉こだまこまちチャンネル https://youtube.com/channel/UCpmaR7d_vZVdDBJvtRTuJbw?si=c1GQqH-qSKVB0IvO 〈Facebookページ〉こだまこまちProject https://www.facebook.com/profile.php?id=61560822043650 〈Instagram〉@codama.comachi https://www.instagram.com/codama.comachi 〈X〉@codama_comachi https://x.com/coda_coma168 〈BlueSky〉@codama-comachi0428 https://bsky.app/profile/codama-comachi0428.bsky.social --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/6507b36381469ca10d6df5c2
00:06
おすおす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
3月24日、月曜日のお昼過ぎに収録をしております。
いかがお過ごしでしょうか。
もおちゃんは、今日朝から車の健健ということでね、
片道40分くらいかけて車屋さんに行ってきました。
なかなか遠いですよね。
片道40分、山をいくつ越えたでしょうか。
っていうようなね、感じでやらせていただきましたけれども、
まあこれでね、安心してまた半年ぐらいは車に乗れるのかなということですね。
僕、車いただいたんですよ。
すごくないですか。
田舎に来てね、車いるかって言われてね、
っていうか、くださいって言ったんですけどね。
そしたら、パジェロが来た。
パジェロミニというね、軽自動車のものなんですけれども、
それが来てね、すごく喜んでね。
で、確かにもう30年くらい前の車なんですけども、
大切に大切にここまでされてきたその車を譲り受けて、
僕自身もまたこれをね、大事にできる限り長く乗っていきたいなと思っている次第でございます。
さて本日はですね、またもちゃん外からお送りしておりますので、
川の音が聞こえるかもしれませんね。
さーってね、この音をせせらぎって言いたくなるんですけど、
せせらぎっていうのは小川で流れている音のことを言うんだそうですね。
で、僕の目の前にある川はあまりにも大きいので、せせらぎとは言えないんですけど、
まあ川のほとりでですね、ちょっと座って川の流れを眺めながら、
そして揺れる笹の葉を眺めながらですね、
こちらの配信を撮らせていただきたいと思っております。
今日ね、僕の大好きなこのスタンドFMパーソナリティーのランランというね、
世界一緩いカブンセラーというですね、方がいらっしゃいますね。
この紹介の時に笑っちゃうとちょっと失礼なっちゃいますよね。
いや失礼なことは言っても本当に僕はランランにすごくいつも癒されているんですけれども、
このランランがですね、今回ブログに僕の話題を載せてくださったんですね。
その話題がですね、ちょっと前に僕がランランの配信に寄せたコメントを引用して書いてくださっていたんですよね。
03:01
なんて書いたのかというとですね、
ちょっと僕のコメントを読み上げさせていただいてもいいですか?
これね、確かランランが自分の放送の時に私は深掘りもしないしっていう話をしてたんですよね。
とにかく緩く雑談ベースで楽しく話をしていく。
それだけで人って実は癒されるんだよ。
そして明日への活力を自分で自身で作っていくことができるんだよみたいな放送だったと思うんですけど、
それに対してこんな話をしました。
ランランなんということでしょうか。
僕がいつか言いたかったことを言ってくださった。
深掘りもしないし。
これ僕本当に共鳴しております。
インタビューとかは深掘りするとか丸裸にするとか言うんですが、
僕はその言葉にとてもウッとなってしまいます。
人ってどんなに語り合っても理解しきれないところ、そんな到達点があると思うんです。
それはちょうど自分の中にも分からないことがあるように、
自分の背中はどうしたって見えないように、
目の前の人のことを深掘ることを前提にした対話なんて、
僕には恐れ多いと思ってできないなーって思ってました。
あなたを私なら理解できますなんて僕にはとても言えません。
理解したいとは思っても、そのままでいいんだよ。
僕が大事にしたいことはこれだったのかって、
ランランに今回も教えていただきました。
ありがとうございます。
だなんていうコメントを寄せたんですよ。
ちょっと懐かしいコメントですね。
僕が本当にいつも対話をするとか、
コラボをさせていただくとか、
そんな時に僕は別にあなたのこと深掘りしますみたいなことをね、
思ってしたことは一度もないんですね。
っていうのは自分自身がすごく嫌なんですよね。
あなたを深掘りさせてください。
あなたを徹底解剖させてください。
あなたを丸裸にさせてくださいみたいなね。
こういうことを僕言われると、なんだか気恥ずかしい気分になるし、
それから相手にそれを伝える時にですね、
僕だったらあなたのことを徹底的に解明できます。
だなんてことを言っているような気になっちゃってですね、
06:02
それはなんか恐れ多いんじゃないかなと。
どんなにやったってあなたのこと分からないことって、
私にもあるし、あなたにも分かりますよって。
ありますよって。
でもそれを一緒になってね、
一つ一つ、もし希望があるんだったら深めていくっていうか、
深めたかったら深まりますよ、勝手にみたいなことがありまして、
僕はランランの言葉にすごく共感をさせていただいたんですね。
ランランはこう言ってた。
丸裸にするというか、自分から丸裸になりたいと思って、
気がついたらすっぽんぽんになっちゃうみたいなことを言ってました。
これいいよね。
確かにね、あなたのことを服を脱がせてあげますなんていうことではなくて、
なんかこう自分自身で話している側が、
これも話しちゃおうかなって思うっていうね。
これが大事なことですよ。
北風の太陽っていうね、童話がありますけれども、
北風になってね、相手の服を全部脱がしてやろうではなくですね、
太陽になってですね、
この太陽の下元だったら自分自身で服を脱ごうかなって、
コートを取ってみようかなとか、帽子を取ってみようかなって、
思えるってことが大事だよねって思いました。
このランランのコミュニケーションもそうですし、
僕自身のことでもそうですし、
それから僕が自然界に関わる時もそうなんですけど、
とにかくですね、余計なことをしないっていうこと、
しないことっていうことを伝えておくってことも、
とても大事なんじゃないかなと思っております。
ということで始めていきましょう。
この番組はあれもしたい、これもしたい、
もっとしたい、もっともっとできる、
で、一体自分は何屋さんなんだっけ?
と悩んでいる方と一緒に、
人生の羅針盤を見つけてくださる、
多動前後コーチングのペスハムさんを応援しております。
ペスハムさん、いつもいつもありがとうございます。
さてさて、余計なことをしないっていうことをですね、
僕好きなお料理があります。
このお料理はですね、
なんで僕自身こんなにも美味しくなるんだろうって、
分からないものなんですよ。
で、なんかね、その調理の中では宇宙が出来上がっている。
それは僕自身がなんかこう手を加えることができない、
そんな生意気がこの中にあって、
09:01
もうそれを信じるしかないっていうね、
そういうお料理の手法があります。
聞きたいっすか?
そのお料理はですね、煮るっていうお料理です。
はい、なんてことありませんでしたね。
煮るとか茹でるとか、
あの鍋の中でですね、具材を入れて、
そしてじっくりコトコト煮込んでいるその最中に、
その鍋の中で起こっていることって何なんでしょうかね。
ともすれば、蓋を閉めたり、また落とし蓋をしたりしてですね、
それで煮込むじゃないですか。
その間って、人はそこに触ることができないんですよね。
これね、焼くは触れるし、炒めるも触れるんですよ。
でも、茹でると炊くと蒸す、
この3種類のお料理だけは、
どうしてもその中に触ることができない、
その生意気っていうものがあるんですよね。
僕はね、この炊くと蒸すと茹でる、煮る、
この3つのお料理がすごく大事だと思ってます。
ここは人が触れることができず、
自然の力を借りることでしか、
それを信じることでしか成し得ない味わいというものがあるんですよね。
その魅力に取り憑かれたのが、最初の煮込み料理だったんですね。
ただの煮物ですね。
肉じゃがだったか何かを作ろうと思った時に、
なんでこんな美味しくなるんだろうってびっくりしたんですよ。
自分で自分の料理の腕のハードルを上げるようなもんですけども、
こんな話をすると。
びっくりしたんですよね。
自分はただいろいろポンポンポンと入れて、
火をかけただけなんだけど、
出来上がったら想像もしてないような味わいに仕上がってるっていうことがあって。
これって、もし途中で蓋を開けて人がかき混ぜたりとかしようものならですね、
その蒸気が逃げていったり、
また中の温度が急激に下がったり、
そうしたことがあってさ、
多分美味しくなくなるんですよね。
だから余計なことをしない方がいいんですよ。
どうしても見たいと思っても見なくていいってことなんですよね。
これ、ご飯もそうですよね。
ご飯ってさ、鍋でさ、土鍋とかでコトコトコトコト炊くことありますよね。
僕はもう炊飯器って一回も使ったことがなくって、
調理実習ぐらいでしか使ったことがなくって、
12:01
もうずーっと土鍋で炊かせていただいてるんですけど、
これ、赤子が鳴いても蓋は取るなみたいな、
そんなことを昔から言われるもんで、
時間になるまで絶対に蓋を開けてはいけませんよっていうふうに言われてます。
別に取ったってご飯は炊けるんですけどね、
炊けるんですけど、
でも多分何かが失われてしまうんでしょうね。
ということがあると。
これ、蒸すっていうこともそうですよね。
蒸し料理っていうのは水蒸気のスチームで食材をまとわせて、
そして火を通していくっていうことですから、
すごくしっとりと仕上がるんですけど、
あの水蒸気をひとたび外に逃がしてしまうと、
蒸し料理としての完成というものが、
ちょっと質が落ちるかもしれないということがあります。
だから余計なことをしてはいけないという、
そういった性域のお料理がありまして、
で日本って多分ね、
この煮ると炊くと蒸すっていうことと、
ずっと付き合ってきた民族なんじゃないかなと思うんですよ。
もちろん焼くとかね、
焼き魚とかっていうことはあったと思うんですけれども、
おそらくね、結構長いこと煮る、炊く、蒸すっていう、
あのいわゆる家庭料理的なものっていうものがさ、
よくこういうのも使われると思うんですよ。
で僕はね、それがすごく大事なことだなって思います。
最近僕ね、料理の哲学っていうのをすごくハマっててですね、
これを勉強させていただいているんですけれども、
土井よしはる先生という男性の先生がいらっしゃいます。
その先生のラジオ、本などをですね、
読ませていただいたり聞かせていただいて、
そのエッセンスっていうものをね、
自分自身の中に取り入れているところなんです。
で土井先生が語られる、
そのお料理の哲学っていうのは目から鱗であり、
そして僕も実はそれ大事にしていたことだったのかなとか、
目指していたことなのかもしれないなっていうことを思ったんです。
で最近僕が挑戦したいなと思っていることがありまして、
それはですね、食材一つ一つの味わいっていうものを引き出すっていうことなんです。
何を当たり前のことを言っているんだって、
もしかしたら思われるかもしれません。
大した話ではないかもしれないよね。
ただね、自分で畑で野菜を育てるようになったりしたいった時にですよ、
そのさ、一つの食材ができるまでものすごい長い時間がかかってるんですよ。
15:06
スーパーで買ったら10秒で買えてしまうものは、
自分で育てると90日かかったりするんですよ。
ジャガイモ1個実らせるのに90日かかるんですよ。
すごい時間ですよね。
でそれだけやっぱりその一つのお料理の中や食材の中には、
なんかこう物語というかストーリーがあります。
でこれを様々な食材を一緒にガッチャンコしてですね、
混ぜてしまうと新しい人間が手を加えて一品ができるかもしれません。
新しいお料理ができました。
これは自然界にない味なんですみたいなことは言えてしまうかもしれないんですが、
ただですね、それを見た時にどうもですね、
なんか食材一つ一つの味わいではないような気がしてきてならないんですね。
それよりも全てが混ざり合って新しい味が、
ハーモニーが、ハーモニーも音楽って一つ一つの音に耳を澄ませていけばですね、
ヴァイオリンの音だな、チェロの音だな、コントラバスの音だなとか、
そういったのはわかると思うんですけれども、
それすらもわからないぐらいぐしゃっとなっているっていうお料理って結構あるんじゃないかなと思います。
でもこれはこれでね美味しいんですよ。
もちろん美味しいし、そうしなくてはならなかった理由もあると思うんですが、
その理由っていうのはだいたいはですね、
長い餅させるってこと?
日餅させるっていうことだったり、病気にならないというか、
その何、売金が入りづらいとかですね、腐りづらくさせるとか、
そういうことがあってよく焼くとかですね、
そうですね、よく混ぜるとかですね、
そういったことがあるはずなんですよ。
ただ、もしもうすぐそばに畑があって、
その日に食べる分だけ畑から引っ張ってきてね、
それで調理を冷蔵庫にも入れずにスッとできるのであれば、
まあこんなの理想ですけれどね、
でももしそんな風になるのであれば、
別に混ぜてお料理する必要もなく、
しかもですね、野菜とか食材って本当に、
このとれたてっていうのは味がものすごく濃いんですよね。
風味がすごくしっかりしてる。
そんな時って何か手を加えすぎることなく、
その一つの食材をいかにまずくせずにいただくか、
18:06
ということとかがよっぽど大事なんじゃないかなと、
僕も思うんですね。
例えば、とれたてのご飯、収穫したてです。
秋の実り、その恵みをそのままいただきたいと思った時に、
もう白いご飯をメインとしていただくっていうことが、
一番大事だと思いますよね。
で、そこに何かお肉お料理とか、お魚料理とか、
そういうことも特に実は必要がなくって、
ただその白いご飯を白いご飯のまんまいただく、
その白いご飯の味をさらに引き立てるために、
ちょこっと佃煮があったりとか、
ちょこっと塩があったりとか、
そんなぐらいでいいんじゃないかなということですね。
ちょこっと鮭フレークぐらいあってもいいかもしれませんけどね。
海苔を巻くとかね。
そうやっていって、海苔を食べるというか、
ご飯をそのものを食べる、
佃煮を食べるとは言わないですよね。
たぶんご飯を味わうために、
その引き立て役があるというようなことがあります。
僕はこれまでお料理をね、
かなりいろんなものを混ぜたりしてきたんだと思うんですね。
でもそれによって、
一つ一つの味わいを本当に味わえていたかというと、
ちょっとそうじゃないかもしれないなと思ってきました。
じゃあ混ぜちゃいけないのかっていうと、
そういうわけでもなく、
土井先生曰くですね、
今日はもう土井先生の話ばっかですね、
ランランとね。
土井先生曰くですね、
日本には混ぜるというお料理の手法って、
日常には存在しないんだ、
っていう話をされていました。
どういうことなのかと興味津々で聞くとですね、
日本は昔からアエルと言いますと、
アエルというのは混ぜると違うんです。
調和なんです。
それぞれがそれぞれのハーモニーですよね。
まさにね、先ほど言いました。
一粒一粒の食材、
例えばポテトサラダを作るであっても、
じゃがいもが完全に混ざりきる必要はないんだということです。
もうちょっとすれば混ざりきるなっていうところで、
止めておくっていうことですね。
僕この前、無限キャベツっていうのをね、
子供と作ったんですよ。
キャベツの上に塩昆布乗っけて、
ごま油回して、
それであとは混ぜるっていうことだったんですけど、
これ混ぜすぎちゃったなーって今反省してるんですよね。
実はこれ混ぜ合わせないで、
もうそれはアエルだけ軽くね、
サッサッサと完全に全部のね、
21:02
キャベツにごま油が回るようにとか、
塩昆布が触れるようになんていうことはすることはなくって、
あと少し混ぜたら、
ね、かき混ぜたら全部が混ざってしまう。
そのギリギリ手前で止めておく。
これが実はそのアエルという、
日本古来からやっていることなんだよって、
だから余計なことをしすぎない方がいいの。
その方が一つ一つの味わいっていうものを味わえるし、
食べる方がね、食べる側の方が、
自分の好みに応じて必要であれば、
さらにかき混ぜたらいいんだと、
食べるときにと、いただくときにと、
ということをおっしゃっておりました。
なるほどなぁと思いました。
僕もこれから子供とね、無限キャベツ作るときには、
完全に混ぜ合わせないっていうことをしたいと思います。
そうだよね、そうだよね。
なんかその方が料理も綺麗なのかなって思いました。
塩昆布がいろんなところに見えているよりも、
なんかこうね、まとまっているというかですね。
はい、そんな感じの方が実はちょっと綺麗に見えて、
ここはちょっと塩昆布が多いな、ここはまだ少ないなっていう、
実はそういう不揃い感というか、
揃ってないっていうことが、
味の変化、バリエーションにつながってきて、
美味しさにつながっていくんじゃないかなと思ってきたんですね。
はい、なのでこの春から、この3月、今日からですけれども、
棒ちゃんは一品料理というか、
一つの食材をいかに引き立てていくかっていうことをやっていきたいと思いました。
今日はね、先ほどいただいてばっかりのほうれん草。
ほうれん草めちゃくちゃ息のいいやつをいただいたんですよ。
このほうれん草があまりにも立派なので、
このほうれん草を何かと混ぜるのではなく、
やったとしても和える程度でね。
できればね、僕がこれをやろうと思ってるんですけど、
今日は醤油で水の中に醤油を入れて沸騰させて、
そこの中にですね、ほうれん草を適当な長さに切ったのを入れます。
そして海苔も入れます。
あとはことこと煮汁がなくなるまで煮切るという感じですね。
もうそれだけ。それだけで出そうと思います、今日は。
ほうれん草大量にあるからね。
これほうれん草と海苔のクタクタ煮って言うんですけれど、
これめっちゃ美味しいんだよね。僕大好きです。
やっぱり醤油と海苔っていうのは、
ほうれん草を引き立てるためにそこにあるっていうような形なんですよね。
24:01
なので、あってもいいしなくてもいいけど、
あるとほうれん草を美味しくいただけるっていうような感じです。
今日はこれをね、やってみようかなって思ってます。
そうするとさ、品数めっちゃ増えると思いません?
ほうれん草を何かの副菜にするっていうことはあると思うんですが、
ほうれん草はほうれん草のままいただくということです。
さらに、お膳全体で考えた時にですね、
そのほうれん草が何か他のお料理を引き立てるかもしれません。
例えば魚料理を引き立てるかもしれませんしね、
お肉料理を引き立てるかもしれません。
まあ僕はお肉料理はしないんですけれど、
豆腐料理を引き立てるかもしれないとかね、
そんな風にね、していきたいなって思ってます。
あともう一個やろうと思ってるのは今日大根餅ですかね。
大根餅ってすごいですよ。
あれね、僕の作る大根餅は大根丸々全部使うんですよ。
丸々全部っていうのは大根だけじゃなくて葉っぱも使うってことです。
葉っぱを細かく刻み、大根を完全にすりおろし、
その大根おろしの中にその大根の葉っぱを入れるんですね。
お好みで干しエビをその中に入れてあげる。
そうするとめちゃくちゃ風味がまた引き立つんですね、大根のね。
で、それを片栗粉をちょっと入れたかな。
それで両面をごま油で焼くんですけれど、
ちょっと焼くだけで大丈夫。
そうするとね、中までですね、しっかり火を通さなきゃみたいなことはなくって、
中にですね、あるのが大根おろしのちょっとしたみずみずしさですね。
完全に焼いてしまうとそのみずみずしさもなくなっちゃうから、
余計なことしすぎない方がいいんだということです。
ということでですね、今日はお料理の話もしたったんですけれど、
最初はランランのコミュニケーションの話、深掘りをしない。
本人がしたいと思ったらね、丸裸になりたいと思ったら勝手に脱ぐでしょみたいな、
そういうスタンスっていうところからお話をさせていただきました。
いかがだったでしょうか。
本当に余計なことをしすぎない、やりすぎないっていうことがすごく大切なんだなっていうことを、
お料理からも学ぶし、ランランからも学ぶよね。
僕ね、すごく迷っていることがあって、
自分の畑なんですけれど、玉ねぎを植えたんですね。
玉ねぎってすごく肥料食いだっていうことを言ったりします。
どういうことかというと、肥料をめちゃくちゃ与えると太るよっていう、立派な玉ねぎができるよっていうことなんですよ。
僕が育てている玉ねぎ、確かに太り具合がちょっと弱くって、
27:03
収穫の時期は5月か6月ぐらいなので、あと2、3ヶ月はあるのでね、
まだまだこれから大きくなるでしょうって僕は信じているし、
これから雨も降るらしいので、またすくすく育つでしょうとは思っているんですけれども、
周りの人から見るとですね、「もーちゃん、それ肥料あげなきゃダメだよ!」って言われるんですよ。
肥料って何なのかっていうと、化学肥料って言われているもので、
その化学肥料を僕は使わない農法をやりたい。
つまり自然の力に任せる農法をやりたいと思って、それを実践しているんですよ。
だけど周りの人はそれじゃ育たんよっていうことをおっしゃるので、
いやどうしたものかなと思っているんです。
周りの人たちの声を取り入れて肥料を与えてあげた方が良いのか、それともそうじゃないのかっていうことです。
僕一つね、今回のこのことに関して答えを出しているのが、
育てても育ってなくてもまぁいいかって思っています。
それよりもちょっと長い間、長い目で考えて、
見てね、この土が本当に元気でいてくれるっていうことを祈りたいって思うんです。
そう思った時に、本当に狭い畑ではありますけど、
この狭い畑だからこそですね、その肥料に頼るのではなく、
自分の耕してきた土の力を信じたいなって思っているんです。
だからやっぱり太り具合っていうのは、もしかしたら化学肥料を使うよりも少ないかもしれないしね、
それから遅いかもしれないけれど、でもきっとそれなりにその玉ねぎたちは元気に育つでしょうって思っているんですよ。
なんか葉っぱも元気ないわけじゃなさそうだし、なんか感じるところがあるんですよね。
だからなんかね、こう触れ合っていると、自然と触れ合っていると、だんだんこう磨かれていく感覚っていうのもあって、
それから食事にも気を使っていると、自分の体のために今余計なことしない方がいいなとかっていうこともわかってくる。
ランナーの話に戻ると、これをしませんっていう、なんかそういうサービスの売り方もありなのかっていうことも思ったんですね。
深掘りをしようなんて思いませんみたいな。
すごいよね、これをしないっていうね約束、すごいこれはでも大事なことだろうなって思いました。
30:02
自然界もそうだし、人間同士の関係性の中でもそうだし、料理もそう、食事もそう、なんでもなんか余計なことをしなくていいんだよっていうことを何か学ばせていただいている最近だなぁと思って今日はこんな話をさせていただきました。
ということでありがとうございました。最後にお知らせです。
4月5日と4月6日に四国最大級のアニメの祭典、コーチ兄栗祭というイベントに出展をさせていただくことが決まりました。
よいどんどんパフパフよいしょということで、これとっても嬉しいことなんです。
今回は街のブースの中に出展をさせていただけるということで。
つまり僕たちこだまこまちプロジェクトという木の精霊のキャラクターたちは街公認のコンテンツになったということなんですね。
これ公式ではないですよ。公式ではなく公認です。
あなたたちうちのブースの中で活動していいよっていう風に言ってくださったっていうことがとっても嬉しいですね。
そしてもう間もなくですね、コーチ県立図書館大手ピアでは僕たちの初の公式ファンブックこだまこまち設定広集vol.0の無料貸し出しが始まります。
しかもこれも高知県の資料としての貸し出しとなりますということをおっしゃってくださってすごく光栄なことだなと思っております。
こんな感じでですね、こだまこまちプロジェクトますますどんどんバシバシ活動していきたいと思っております。
夜景なことはしないように自然界にもしていきたいと思っております。
ということでお時間が来たので今日はこの辺でお相手はこだまこまちプロジェクトのもうちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。
あなたとあなたの大切な人に森の精霊のご加護が訪れますように。
32:18

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