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おっすおっす、おはようございます。こんにちは、こんばんは。
地球元気食堂、開店でございます。僕の名前は、もおちゃりと申します。
薬前史をしたり、森林活動ガイドをしております。本日もよろしくお願いいたします。
今、僕が取り組んでいるプロジェクトのお話をしてみたいなと思っております。
僕は今、高知県に移住をしてきて、1年半が経過いたしました。
1年半の中で、本当に一番最初の方、この土地に誘われて間もない頃に、
集落を回ったんですね。 集落というのは、
町にも村にも満たないような、小さな小さな家の集まりのことを言います。
その家の集まりで、一つの集落、グループというものができていくんですね。
ここを挨拶回りしていった時のことです。 とあるおじいちゃんに出会いました。
そのおじいちゃんは、もう腰が曲がって、杖をついて歩く。
山の中で暮らす。 ただその山は、すごく絶景。
日が射す集落。
日の裏という集落でした。 裏というのは、海っていう意味ですね。
海なんか一つもないのに、 山の中なのに、
裏という字が使われていました。 太陽の光が、
海のように、たゆやかに溜まる場所。 それが、日の裏という集落です。
僕も大好きな風景です。 この日の裏を訪れた時、
一人のおじいちゃんが言うんですね。 子供の声がしないんじゃ。
コーチを救ってくれ。 そんな風に、
僕に語りかけたんです。 子供の声がしない。
少子高齢化。
その集落もまた例外ではありませんでした。 その集落は、
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もう、 向こう何年人が住むことができるか。
新しい移住者というものがいないんですね。 人口は減っていく一方です。
カンコ鳥が鳴く。 そんな表現がありますが、本当にそうです。
鳥の声しかしないんです。 そんな静かな場所で、
おじいちゃんが言うんですね。 もう一度、もう一度この土地で、
子供の声を聞きたい。 僕はその言葉を
ずっとずっと胸に秘めて、 1年半、
今日まで活動をしてきました。
僕がなぜ移住をしたかというと、
実は、 僕に憧れがあったんだなと思いました。
それは、 自然の中で生活がしたい。
願わくば、 子供たちと
自然の中で、 外で遊びたい。
そんな思いがあったんですね。 僕が勤めていた
東京都の小学校では、
僕は11年間勤めていたんですが、 そこでは
都会のど真ん中にある学校なので、
本当によくみんな、
勉強をしていました。 勉強というのは、
修学入試とか、また、 自分の興味・関心に
突き進んだ、そんな勉強です。 いろんなバックグラウンドを持った子が
おりました。 それぞれの家庭で、
お家の方が持っているなりわい、 それから職業、
そういったことも、みんなそれぞれ違う。
そんな中で、みんなが
自分の好き、 自分の興味というものを
突き進むことができる。 そんな面白くて、素敵で、
いつまでも、いつもここに帰ってきたくなる。
そんな場所だったと思います。
ただ一つ、
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ある時、 小学校のグラウンドで
こんなことがあったんですね。 怪我人が俗出する。
怪我人が俗出するというのは、 一体なぜだったのか。
別に至って普通のフラットな グラウンドですから、
何か怪我をさせる原因がそこにあったわけではありません。 ただ、
ひとたび怪我をすると大変な大怪我になってたんですね。
例えば、ドッジボールをしていた時、
球を取り損ねると、 それはもう片っ端から骨折をしていく。
走っていって、 転んでしまうと、
結構な大怪我になってしまう。 そんな子が多くいました。
都会のど真ん中にあったので、 敷地が狭い学校でした。
グラウンドが狭い。 だから、僕は忘れもしない。
一時、 そのグラウンドで走ることが禁止された。
そんな期間がありました。 え?って思うじゃないですか。
走るのが禁止されたグラウンド、 そんなことがあるのでしょうか。
あるんです。 すごく小さな敷地です。
けど、 とても素敵な学校だったので、
たくさんの子供たちが学びに来てたんですね。
こんなにも賑わう学校があるのかと。
私立、私立の小学校でした。
そんな学校が、今この少子化の時に、 たくさんの生徒、児童を抱えるなんていうことは、
実は珍しいことなんですよね。
だから、僕たちも本当に苦肉の策として、
校庭では走ってはいけません。
そして、鬼ごっこはしてはなりません。
ボールで遊ぶとか、砂場で遊ぶとか、 そういうことは多いに決行。
どんどんやりましょう、ということにした。
でも、走ることができない。
子供は走るものですからね。
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走行しているうちに、校庭が土のグラウンドから人工芝のグラウンドに変わりました。
転んでも大怪我につながるということはなくなり、
また、子供たちもますます外に出たくなるようになりました。
しかし、全校生徒が、全校児童が一気に遊びに出るっていうことは、
とても難しい、そういうスペースであることは変わりがありません。
なので、まあ、
学年ごとにね、
何曜日は1年生、火曜日は3、4年生みたいな、そんな風に分けて外で遊べるようになったんです。
とはいえ、なかなか外で遊ぶということは難しい状況にありました。
また、狭い学校というのは、
お互いに、お互いの気配を常に感じながら生活をしていくものなのです。
あまりにも大きな声や音を出すと、隣の教室に響いてしまう。
ですから、隣のことを常に気遣って、自分たちの活動をしていく必要がある。
例えば、今日は雪が降っているね。
外に出かけて、雪の結晶を見てみようか。
黒い紙を持って、そこに
降ってきた雪を乗せるんだ。そうすると、その黒い紙の上に綺麗に、その雪の結晶というものが見て取れる。
僕は忘れもしない。自分が小学生だった時、そういう授業を受けました。
なんて綺麗なんだろう。
ここまで落ちてくる間に、結晶が綺麗に残っているものと、少し形が崩れちゃったものがあるな。
あの雪印っていう会社があったけど、あのマークにそっくりだ。
いろんな発見をしたものです。
季節や自然に合わせて、さあ教科書を閉じて、外に出かけよう。
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そういう学びをたくさんたくさんさせてもらったなって思っています。
僕はそこに憧れたんですね。
でも、外でもし他の学級が体育をしていたら、外に出ることはできないんです。
他の学年が何かで使っていたら、むやみやたらに外に出ることはできないんです。
これが今の教育現場の、かなり大多数を占める、そんな姿だったんです。
子供は遊んで学んでなんぼ。
遊びから学べることがあったり、遊びから感じることがあったり、
遊びの中で体が鍛えられたり、
頭で考えることだけではない、何かを手に入れることができるのが、実は遊びなんです。
遊びの中では、みんなが夢中になって遊んでいくので、
あからさまな教える、教えられるという関係性すらもないんです。
あるのはただ、遊んでるっていう、ただそれだけです。
遊びの中で学ぶ人がいて、それを何か真似されることによって学ばれる人がいて、
この2種類しかないんですね。
この関係がとても心地いいなって思ったし、
そこには完全に自分の時間を自分でコントロールしている、
自分でハンドルを握っている、そういう子たちの姿があるように僕は感じているんです。
ですから、いつか僕も一緒になって遊んでいけるような、
そんな一人の人になりたいと強く願っていました。
よく職業を変えたのは何で?
職業、職業、仕事だけで見ていくと、なかなかそれは浅はかな、薄っぺらい説明になっていきます。
でも、僕は自分の人生の中でやっていきたい、生きていきたい、
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そんなスタンスっていうものを見つけて、そして洗練をさせていったんです。
今僕はこの街で子どもたちと遊ぶ、そんな時間を楽しんでいます。
今度何して遊ぼうかな?
どんな遊びがそこで展開されるのかな?
繰り広げられるのかな?
うわ、それは僕も思いもよらなかったことだ。
ほんのちょっとしたきっかけがあれば、
思いに発想を膨らませて、
シュ、ハ、リっていう言葉がありますが、
このシュなんていうのは一瞬で終わってしまって、
一気にハ、リ、そこを展開させていけるのが遊びの世界です。
だから僕はこの世界に入りたいって思った。
そういうスタンスで生きていきたいって思ったんですね。
教育現場、環境教育っていうのが言葉があるけど、
僕は最近はこの教育っていう言葉が
少し自分の中で捉え方が変わってきました。
教育、教え、育てるという言葉がありますね。
もともとは別の言葉だったんですよね。
ラテン語だったりとか海外の方から入ってくる言葉なんですけれども、
エデュケーションね。
これを日本語にどうやって訳すかって言った時に、
教え、育てるというふうに翻訳をした人がいましたが、
その時に昔どう訳すのかということで、
やはり議論が巻き起こった。
どんな翻訳にするかっていうことを考えた人たちがいたと言われています。
その時に、学ぶとか教えるとか、
本当にいろんな言葉が飛び交った中で、
最終的に教育、教え、育てる。
教えて育つ。
一方的に情報を伝達するというような認識が生まれたのかもしれません。
しかし、本当に人が育つ。
自分のお腹で感じて腹落ちしてやっていく。
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それは、教育、教えるだけではない。
自ら子供たちが何か学んでいく、学習していく、
そんなことでもない。
ただ夢中になってやっていく過程で、
いつの間にか自分の中に身につくものがある。
また、自分の中にもともとあったことに気がつくことがある。
非常に深い営みなんだなということを僕は思っています。
僕が勤めていた学校は仏教の学校でした。
仏教の学校というとイメージとしては、
毎朝手を合わせたり、
それから時にお寺からお坊さんから説法というものを受けて、
仏教とは何なのか、なぜ仏教が大事なのか、
何かを説明を受けるものだと思っているのではないでしょうか。
しかし、僕が勤めていた学校で、
これ究極だなと思ったことがありまして、
それは感能という言葉でした。
感能は、感じる、応じると書いて感能です。
お寺の鐘が聞こえるだけで、
なんだか心がスーッと静まっていくのを感じる。
森の中から鳥の声が聞こえるだけで、
なんだか豊かな気持ちになる。
風に乗って花に運ばれる花の香りとか、
そういうものをただ感じることで、
心がほぐれる。
感じる、応じる。
この感能の精神には非常に僕は感銘を受けました。
しかし、当時僕はまだまだ今よりも更に、
まだまだ志半ば、道も途中でしたので、
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それを頭では理解をしていたけれども、
腹の底からお腹の底から感じて実践をしていたわけではなかった。
目の前に子どもたちがいて、
その子どもたちに何を今日は教えるか、
ということを常に考えていた。
子どもたちと一緒に活動するというものは、
結構なばかりで、
自分が心からやりたかったこと、
楽しい時間を一緒に過ごすとか、
そういうこと、
僕にはまだまだ遠い話だった。
今、場所が変わり、役割が変わり、
高知という大自然のある場所で、
子どもたちと一緒に遊ぶ場を作っています。
グリーンピースパークと言います。
この活動は、プロジェクトは、
僕にとって生き方そのものです。
子どもたちと一緒に同じ目線で遊ぶことが、
ようやくできるようになったなって感じがします。
子どもたちの発想を、
同じ目線、同じ目の高さで、
わあ、すごいねって言うことができる、
そういう心のゆとりを、
自分の心の中に作ることができたと感じています。
さあ、これからも僕は、
この子どもの遊び場というものを通して、
何かやっていくんでしょうね。
この先、僕がどんな未来を描いているかっていうことは、
ちょっと分かりません。
なんか、今僕は何かに突き動かされて、
確かに僕のこれは役割なんだ、
ここでやることなんだっていうことを感じて、
毎日を生きています。
とにかく僕の役目は、
遊ぶことなんだと。
子どもたちと一緒に同じ目線で、
時に子どもたちから学びながら、
学ぶことだらけですね。
その中で遊ぶことなんだと、
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いうことを強く思っています。
いかがだったでしょうか。
最後まで聞いてくださったあなた、
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今日は、
学ぶ、学ばれる、
いろんな関係を子どもたち、
もう本当に自然ですよね。
その中から学ぶという、感じるという、
そういうラジオの回になりました。
僕は、
この遊びという尊い営みの中で、
きっと生き方をまた深めていくことができる。
ぜひ、あなたにも、
僕でも、こんなただ遊ぶという、
ただそんな単純なシンプルな営みの中に、
営みの中に生き方を見つけた。
複雑なことじゃない。
複雑なことではない。
一番自分が大切にしたいこと、
これを見つけて、気づいて、感じていく。
それは、自分自身が見つけることもあるけど、
時に何かに突き動かされて、
そして、自分がそれを引き受けていく。
その役割を引き受けていくということもあると思うんです。
そんな大きな大きな世界の中で、
自分はどんな役割を引き受けていくのか、
その覚悟が、僕たちを突き動かすのでしょう。
お時間が来てしまいましたので、
今日はこの辺で、
お相手は薬前師であり、
森林活動ガイドである、
もうちゃりがお送りいたしました。
また、お会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。