1. もおちゃんの「なぜなに?」樹木図鑑📗
  2. 大都会の雨の夜。その一滴の雫..
2025-04-10 48:07

大都会の雨の夜。その一滴の雫が沁み込み、落ち着く先は

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〈これまでのおはなし〉
ザックスレストランを営む主人公ユウは、
謎の少女の声を聞き、
森の中へと入っていった。

森には異変が起こっていた。
次々に倒れる樹。
襲ってくるかずら。

森の精霊、
エノキとイロハモミジに出会ったユウは、
自身が伝説の存在「杜人」の末裔であることを知り、森の奥へと歩みを進めた。

迫り来る怪異たちを振り払い、
見事、大精霊アカガシを救ったユウたち一行は、
旅の疲れを癒すため、「昴宿よこぐら」を目指すのであった・・・・・・。

これは、もしかしたらこれから人類が経験してしまうかもしれない
今からちょっと未来の話。

人は、自然から離れ、そして、自然もまた人から離れてしまった。
都市で起こっている異変、自然界で起こっている異変。
世界の秘密とは。

旅立ち。別れ。そして、森の精霊たちとの不思議な出会い。

自然界は人間を、人間は自然を取り戻すことができるのか。

近未来のオーガニックファンタジー冒険活劇。
森をめぐる冒険が今はじまる。

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00:01
オスオス!おはようございます。こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
4月10日、夜に収録をしております。いかがお過ごしでしょうか。
今日は僕は、大都会大阪で夜を過ごしております。
夜なんですよ。大阪なんですよ。何をしているのかというと、出張をしに来たんですね。
お仕事で、今回ですね、大阪に来させていただく機会がありました。
本当にね、大阪、今ね、3日後に大阪万博を控えているんですよね。
そらさん、こんばんは。ありがとうございます。
そらさん、5月2日大阪にてグループ展ということで、僕今大阪にいるんですよ。
奇遇ですね。もしよかったら、ゆっくりしていってください。
大阪のホテルで一人部屋でね、過ごさせていただいておりますので、
ライブ配信でお話をしてみたくなりましたので、やってみます。やってみています。
そらさん、あらま、お近くまでということでありがとうございます。
そらさんは、普段は伊勢にいるんですよね。
そうですよね。で、確かに近いか。伊勢からだと近いのか。
それは高知県よりは近いかな。そうですよね。
あ、三重か。三重ですね。
じゃあ、あれですか。お隣?三重ってお隣なのか。違うな。
でも、近畿地方ということで近くにいるんですね。
今日はですね、大都会の夜に寄せてということで雨も降っていて、本当だったらちょっと散歩でもしてね。
都会の夜の風に身を晒してみようかなと思ったんですけれども、
ちょっと無理かなと思いましてね。
ライブ配信でちょっとお話をしてみたいと思います。
面白い話ができるわけじゃないと思うんですけれど。
なんていうことを最初に言っちゃうと、じゃあいいやってなっちゃいますよね。
もしよろしければゆっくり聞いていただけたらと思います。
まずですね、もーちゃんの近況報告なんですが、
今日が4月の10日、4月17日、来週ですね。
あと1週間後にですね、今僕がやっているお仕事を卒業することが決まっております。
地域おこし協力隊というお仕事を3年間やらせていただいてきて、
その任期が終わるということで、任期満了が4月17日になるんですね。
03:01
ということでね、僕はもうそろそろ次の人生のステージというものの幕開けというところに来ているんですよ。
だから何なのっていうことはないんですけれどもね。
ただ、出張をするとかさ、そういう機会ってもう滅多にないのかなって思ったりもするところがありました。
出張ってね、なんかちょっと楽しかったりワクワクしたりするんですよね。
未だ見ぬ場所での仕事だったりとかですね。
いつもいつもいる場所ではないところでの出会いっていうのはすごく楽しいよなって思ったりもしているんですけど、
この仕事が終わることによって出張が激減すると、ゼロではない激減するというところで、
じゃあ出張はあんまり毎日のようにしたいわけじゃないんですけれど、
自分自身でその機会を作っていくとか、何かしらのご縁をいただいていくっていうことなんだろうなと思います。
だからソラさんのようにですね、大阪のグループ店で三重県から出張するっていうのはすごく羨ましいなぁと僕は思っています。
ソラさんのようにですね、繋がりを作り、ご縁を巡らせて、そしてね、様々な場所で個展を開くように、
僕自身も人との繋がり、その出張をして講演をさせていただいたり、
なんかお仕事を依頼していただくなんていうことがあるといいなぁってちょっと思っているんですよね。
そんなことを考えていた矢先、おとといだったかな、
僕がですね、昔勤めていました小学校からですね、今年の9月に研修できてくれないかということを言われました。
研修っていうのは僕自身がやる研修ではなくですね、
研修をこしらえてほしいということなんですね。
学校の先生たちに対して何かこう教えてほしいんだと話をしてほしいんだということを言われました。
もうね、3年間離れておりますのでね、
何もこう僕は学校の先生にお伝えできるようなことってまあないなと思っているんですよ。
だっていつだってですよ。
いつだって最前線でやっていらっしゃる方が最先端です。
だからそんなね、先生たちにお話できることって僕は持ち合わせてないよってそんなふうに思っているんですけれど。
でもね、今回機会をいただいて何を話してほしいのって聞いたらですね、
06:05
生きるとは何か、暮らすとは何か、そして教育とは何なのか。
すごく哲学的だね。
そんな話をしてほしいって言われたんですよね。
まあね、その先生たちの持っている価値観というものをですね、
まあ1回解体してもらえるようなそんな時間を作ってほしいということなんでしょうか。
さらにですね、その時に初めて言われたんですけど、子供に対しても授業を一本打ってほしいということだったんですね。
いやいやいやいやいや、全然もうそんなさ、
なんか子供たちに話せることってあんのかなって思いつつ、
あ、そらさん、いやいや、外側からの声って大事だと思いますよ。
中にだけいると中の状態は見えなくなるものですから、
そらさんにそう言っていただけると本当に嬉しいですね。
まあそういうことであるならば、僕自身もそうかもしれませんよね。
一旦さ、その職場から外に出てきましたけれど、
そんな僕自身もまた一つの世界に属しているといえば属していて、
都会との交流をすることによって価値観の交流、両方の世界が広がっていくような、
そんな見たり聞いたりしてきたこの経験とか知恵っていうもののシェアっていうのは、
まあ必要な時間なのかな、大事な時間なのかなって思ったりもしてます。
あまり準備をしすぎることなくですね、やっていけたらいいかなって思っていたりします。
まあ子どもたちについてもっていうことだったので、
子どもたちには自然の話ができるし、生き方の話もできるし、
ちょっとまたすり合わせが必要かなと思いつつですね、
じゃあ僕が今、都会に今いてですね、
いてっていうのは都会の夜を過ごしていて、
それで自然の環境に普段は身を置く中でね、
こう感じたことで、きっと都会にいる先生たちが、
え、もーちゃんはそんな価値観になっちゃったの?っていうね、
ちょっとそんなところをね、お話が今日はできたらいいかなって思ったりもしておりますので、
ちょっと始めていけたらと思います。
ということでこの番組は、
タカオさんという自然の中でCNPトレガ交流会をして楽しみたい、
そしてそれを無料開催するためにクラウドファンディングを立ち上げる、
機能名刺サポートコミュニティのヒカさんを応援しております。
09:03
ヒカさん、いつもいつもありがとうございます。
今回この度ですね、
講演とそれから授業というものをね、
してほしいという依頼をいただいたんですよ。
まあなかなかの無茶振りをしてくるなぁなんていうことを思ったんですけれど、
きっと神様はね、
僕に乗り越えられない壁は与えないんでしょうということで、
まあ受けようかと思います。
出張費も全部出してくれるって言うから。
でね、
まあやっぱりこう大阪に来て、
で見える、
目に飛び込んでくる色っていうものが、
普段の高知県の色と全く違うわけです。
高知県は83%が森林、山なんていう風に言われておりまして、
っていうことは何を意味するのかというと、
普段パッと見た、パッと見たその景色の中で、
自然が身に見える、そんな範囲が8割以上を占めてるってことだんだと僕は思っています。
例えば色に置き換えるとですよ、
緑とか、緑でもほんといろんな色がありますよ。
濃い緑もあれば薄い緑もあるし、
それから空、青、
それが木の幹とか地面の土の茶色とか、
あと川の青色、
そういうのが僕の目の中に飛び込んでくるんですよ。
これが僕の見ている世界の8割を占める色なんですよ。
そういうことでしょ。
つまり、
その高知県の面積の83%が森林や山だっていうことは、
つまりはそういうことなんですよ。
そして大阪に来てやっぱり思ったのはですね、
目に飛び込んでくる色は灰色がほとんどなんですよ。
8割以上が灰色だなという感じです。
それは道路だったりとか、
コンクリートの建物だったりとか、
そういうことですよ。
僕が今日泊まっているホテルも完全に灰色です。
そんな場所に身を置いてみて、
やっぱり色から受ける印象とか、
僕たちが受ける心の動きとかってやっぱり違うじゃないですか。
普段吸っている空気だとか、
いただいている食べ物だとか、
そういうものでもやっぱり価値観とか考え方って形成されていくと思うんですよ。
もーちゃんはやっぱり今ね、
毎日自然の中で過ごしてきていて、
12:01
とれたての、誰が育てたのか分かるようなお野菜を基本的にいただき、
お豆腐も僕の家の隣で作っているお豆腐工場のものをいただいたりとかしています。
そんな生活をしてくると確実に思うのは、
やはり3年前、移住をしてくる前のもーちゃんとは、
明らかに自分の中の気持ちとか、
自分という人間の出来方っていうのが違うんだろうなっていうのを感じていくものでございます。
そういうのって感覚、味わったことありますでしょうか?いかがですか?
もーちゃんは結構それ感じるんですよね。
自分の中に入ってくるもの、それは水だったり空気だったり食べ物だったり、
それから僕の身の回りを包むもの、
それは空気だったりとか環境だったり景色だったり、
そういうもので人は作られていくんだろうなと思った時に、
やっぱり価値観、世界観というものがガラッと変わってしまったんだということです。
その時に一番、僕がもし今の段階でですね、
もし今の段階で学校の先生たち、元同僚たちにあえて投げかける言葉があるとするならば、
きっとこのことを話すかなと思います。
それはですね、今僕たちがやっていることは大して意味がないのかもしれないということです。
なんかめちゃくちゃ虚しいような考え方かもしれませんけれども、
ここから僕の論は展開していくんですね。
今、自然の中で僕は生きていて畑をしたり田んぼをしたりしております。
特に畑をしている時に思うことは、
多くの人が肥料は必要だよとか農薬は必要だよっていうことを言います。
モーちゃんは無肥料で無農薬で、それから自分で水をあげることすらもしてない。
そんな育て方をしているんですが、
作物は立派に育ちます。
そう思った時に、僕たちが肥料をあげることは本当に大事なことだったのだろうか。
それから農薬をまくことはどうだったのだろうか。
はたはた作物には水をまくということを僕たちは何かどこかで習ってきたような感じがして、
15:05
植木鉢に毎日水をあげるとかやってきたじゃないですか。
そういったことすらも本当に必要なことだったのだろうかということに立ち返ったんです。
もちろん植木鉢の中にいる植物っていうのは自分で水を吸いに行くことができない。
そこまで根っこを伸ばすことは到底できません。
植木鉢の中の世界の話なのでね。
なので水をあげないといけないんだろうと思いますけれども、
それが畑とか大地につながった時にですね、
その手をかけることが本当に正しいのだろうか。
本当にそれは必要なことだったのだろうか。
もしもやってもいいし、やらなくてもいいということがあったとしたら、
僕たちは肥料をあげるだろうか。
農薬をまくだろうか。
水をわざわざあげるだろうか。
なんていうことを思ったんですね。
そんなことが僕の中の今一番のこの自然感というか人生感の中にぐーっと入ってきてしまったんです。
はい、いかがでしょうかここまで。
あそらさんありがとうございます。
そういえばうちの前にある畑、水やってるの見たことないですね。
そらさんそのうちの前っていうのはそらさんの畑ですか。
そうではなくご近所さんの畑かな。
なんでしょうかね。
そうなんですよ。
実はその水をやらないっていうことも、
ご近所さんが昔からやってる畑です。
なるほどそうですか。
その水をやることによって、
その作物は水を与えられるのを待ってしまうような作物になるかもしれない。
水をあげないことによって、
自分でどこまでも根っこを這わせることによってですね、
それによって自分で水の場所を掘り当てるっていうね、
そういうこともあるじゃないですか。
そしたらどっちの野菜の方がたくましいんでしょうか。
なんていうことを思った時に、
もしかしたらですよ、
余計なことはしないほうが良かったのかと、
水はあげないほうが良かったのかと、
そんなようなことすらも思ったりするんですよね。
はたまたですね、
こんなこともあります。
草刈りってあるじゃないですか。
草刈りね。
あれね、僕もしてますよ草刈りって。
畑やってると草がピョンピョンピョンピョン伸びてくるんですよ。
18:02
それを1ヶ月ぐらいこれからの季節をほっとくとですね、
もう畑に入ることができないくらい伸びちゃうんで、
それを草を刈るとか抜くっていう作業、
雑草の除去っていうのをやるわけです。
その時にです、
僕はずっとこう思ってたんですよ。
雑草は根っこから抜くんだみたいな話を思ってたんですけど、
それをね、やってると、
逆に草が生えてくるっていうことに気がついたんですよね。
っていうのは、
大地っていうのは呼吸を絶えずしています。
どうやって呼吸をしているのかというと、
植物の根っこを通して呼吸をしよう。
そして水の通り道を作ろうとするんですよね。
もしもその雑草を抜いてしまったら、
大地はなんて考えるのか。
これは植物が考えるんじゃないですよ。
大地が考えることなんですけど、
大地はですね、
もっと強い草を刈わせないと、
ここではやっていけないんだっていうことになるんですよね。
だからこれまですごく細かった草を、
ずっとずっと全部抜いていくと、
今度は力をめちゃくちゃ込めないと、
もう大きな株のうんとこしょ、どっこいしょの世界です。
もうそれぐらいしないと、
引っこ抜くことができないような草が生えてしまうんですよね。
こういうことが起こってくるんです。
そうするならば、草を抜くとか、
そういう作業って必要だったのかなってことになるわけです。
そうすると、必要ないんじゃないかってなりますね。
さらにです。
草を刈ればいいじゃないかということで、
草刈り機とか、そういったもので草をどんどん刈っていくわけですけれども、
するとですね、
中に住んでいた虫たちの住処がなくなっていっちゃうんですよね。
さらにこれは結構驚いたことだったんですけど、
草を刈っても刈らなくても、
冬になれば全部なくなるんですよね。
これは1年間見ていて気がついたことなんですけど、
1年経つとですね、草はリセットされることがほとんどなんだなっていうことを思って、
じゃあ草刈りってどこまで必要だったんだろうかっていうことを思うようになりました。
さらに草を刈るっていうことよりも、
実は草を倒す程度でもいいんじゃないかなっていうことも思いました。
なぜならばですね、草はその根っこを地面に中で生やさせていることによって、
21:04
地面の中を耕してくれてるんですよね。
人間が耕すのことは難しい以上にくらいですね、
たくさんの根っこのヒゲをうわーっと剥がせることによって、
実はその土の中を耕してくれているんだっていうことになりました。
そうした時に目の前の草との付き合い方っていうのがガラッと変わっちゃったんですね、僕の中で。
そうすると人がこれまでやってきたこととかやっていることって、
どれだけこの世の中のために意味があることなんだろうかということに行き着きました。
もしかしたら意味なんてないのかもしれないなということも思いました。
これはですね、ある方から借りてきた言葉なんですが、
放り投げた石が登っていくのがいいことなのか、
それとも落ちていくことが悪いことなのか、
石にとってはそんなことは関係がないと、そんな話を聞きました。
なるほどなと思いましたね。
だからね、いいのか悪いのかなんていうことはわかんないんですよね。
それから頑張ってやっているって思っているけども、
その頑張りっていうのがどんなに目に見えるような成果として現れたとしてもです。
それが本当に意味のあることなのかどうかってことはわからないっていうことなんです。
僕はですね、今お庭に種をまいたりとかするんですけど、
これ耕した方がいいぞってよく言われるんですね。
でも僕はね、知っているんですよね。
どうしてもこれをやりたいんですよね。
それは耕すと長期的に見たときに、長期的にグーッと見たときにですね、
実は逆効果っていうことがある。
僕たちは実はその畑で何か野菜を育てたりとか作物を作るときに、
実は土の中からも何かを消費して生きているんだっていうことです。
僕が初めて畑をやって、そして作物を作ったとき、
ナスだったんですよね。
おナスを作ったとき、ナスさんを採った。
そのときに僕が直感的に感じたことは、
土の中から何かが失われたってことだったんです。
僕は結構ね、その農法は無農薬で無肥料でやってたんですけど、
結構ですね、頑張ってその田んぼ畑を作ったんですよ。
でもその畑作った畑がさ、なんかこう寂しかったんですよね。
野菜はいっぱいできてる。
で、周りの人からさ、そんなんじゃ野菜できるかよ。
ちゃんと肥料あげなさいよってめちゃくちゃ言われた。
24:02
めちゃくちゃ言われて、でも僕はそれを分かりましたって言わなかった。
自分のやり方を貫いて作った。
だけど、できた野菜を見たときに、
僕は何か虚しさが僕を包んだんです。
それは、土の中から何かが失われてしまったなというこの感覚でした。
だからこそ野菜1個1個にね、
おなすさんにはすごく感謝をしましょうっていうことだったんですけれども。
まあとにかくですよ。
さあさあ、いいところに来てくださいました。
今ちょうどですね、畑のお話をしていたところだったんです。
ありがとうございます。
さあさん、スタイフの復活おめでとうございました。
さあさんはこの前からスタイフをまた復活させて始められて、
僕はさあさんに聞いていただくばっかりだったので、
さあさんがどんな放送されるのかなっていうことを心待ちにしておりました。
無理なくまたさあさんの配信楽しみにしておりますので、
聞かせていただけたら嬉しいなと思います。
はい、そうそうそうそう。
まあだからね、土の中から何かが失われてしまったような気がして、
本当にこの農法っていうのは正しかったのだろうかっていうことを思うようになりました。
正しくないわけじゃないんですよ。
正解じゃないわけでもないんですよ。
でも何かこう虚しさが僕を包んだ時に、
本当にこれをやり続けるのかなっていうことがわからなくなっちゃったんですね。
もうあんまりこんな畑みたいな感じで作る必要がないんじゃないのかなっていうことすらも思ってきたんですね。
今、もーちゃんが本当に目指しているのは、
森の中で作物が育っているような感じのものを作るということです。
森の中っていうのは様々な植物がぐわっと群生しているというかね、
そこに群落っていうんでしょうかね。
いろんな植物が一箇所にあるわけですよね。
そういうようなものだったり、木と木の間から人参が取れるとかですね、
大根が生えているとかですね、
そういうのを目指したいなと思いました。
僕この前河原を歩いていたら、
見たことがある葉っぱがですね、
河原の石と石の間から覗かせていたんですよね。
27:01
そうそう、強制農法みたいなってさあさんおっしゃいますね。
そうですね、言葉にすると強制農法っていうことになるんでしょうかね。
そうそう、河原の中にですね、あったんですよ。
河原って砂利道ですから、
あんまり植物とかが生えてないところだったはずだったんですけど、
なんか見たことのある葉っぱが生えてたんですね。
何だろうと思って見てみたら、大根の葉っぱだったんですよ。
で、うわ、河原に大根生えてるよって思ってですね、
すごい嬉しくなったんです。
で、要はですね、大根とかって、
その河原とかでよく育つ作物らしいんですよね、どうもね。
砂利とかそういうところでもよく育つものらしいんですよ、どうも。
で、昔はそのようにしてたっていうことをね、
この近くではそういうふうにしてたっていうですね。
で、僕の多分畑で撒いていた大根の種が、
何かの表紙に風で乗っかっていったのか、
それでね、河原に落ちたんでしょうね。
で、その河原のですね、中から大根がですね、生えてたんですよ。
で、僕その時に大根っていうのはね、
ふかふかの土でウネをちゃんと作って、
そこに巻くことによって、
ふかふかのベッドの中で大根が育つんだっていうことを思ってたんですけれど、
なんてことはないんですよ。
河原の石と石の間から、
その多分ね、一粒ぐらいしか行ってないですよ。
もう何十粒も行ってません。
大根って結構種をババババって巻くものなんですよね。
で、その中でいっぱいできるんですよ。
そのいっぱいできた中からこう間引いたりとかして、
一粒ずつ残していくんだけど、
たった一粒のその種が河原に落っこちて、
そこでね、生きてるんですよね。
しかも日本一綺麗な水の川の水を吸ってですよ。
生きてるんですよね。
めちゃくちゃいいところで座ってんじゃんと思って、
めっちゃそれが嬉しかったんですよね。
そう思った時にです。
僕はその光景を見ちゃったんですよね。
だった時に、あれって、
僕は今畑でウネを作って、
土を耕してね、
ウネを作って、
ふかふかのベッド作ってのって何なのかなっていうことをね、
あのね、思ったんですよね。
そう、そらさんありがとうございます。
植物ってアスファルトも押しのけて出てくるくらいだから、
力強いですよね。
そうなんですよ。
そらさん。
アスファルトのね、
その隙間に根っこを入れ込んで、
その根っこをグッグッグッグッと太くすることによって、
アスファルトを割るんですよね。
これめっちゃすごいよね。
僕はその、
確かにですね、
30:00
ちっちゃい時の植物って、
なんか守ってあげたいなって思ってしまうような、
かわいいものだなって思うんですよ。
かわいいなって思うし、
それから守ってあげなきゃなって思うし、
なんかちょっとこう育つまで配慮したいなって思ったりもするけれども、
まあそういったことはするにせよです。
するにせよですね。
なんか今までの当たり前だと思っていたことは、
まあまさに必要があんまりないんだなっていうことも思いました。
ともしてですね、
この今自然の話をしていますけれども、
全部自然につながっていると思うのでね、
話すんですけど、
ふと自分たちのこの生活とか暮らしというものを見つめ直した時にですよ、
僕たちは実は今やっていることとか、
信じてやっていることっていうもの、
頑張ってやっていることっていうのは、
実はやってもやらなくても同じ、
むしろやらない方がいいっていうことがあるんじゃないかっていうことに思ってきたんですね。
行き着いたんですよね。
そんな話をね、
学校でしようかなって思うんですけど、
どうですかね。
多分これね、かなり批判を食らうと思いますね。
っていうのは本当にね、
今あなたやってることは無駄ですよ、
なんていうことを僕は言うつもりはさらさらないんですけれども、
もしかしたらっていうことを伝えるんですよね。
そう思うとです、
僕たちが今こうやって、
もっと豊かになろうとか、
もっと便利にしようとかって思ってやっていることっていうのが、
ちょっと実はそろそろ方向転換というか、
見つめ直してみる時期なのかもしれないよなっていうことを、
なんかちょっと思ってるんですよね。
もっと稼ごうとか、
もっと多くのものを持とうとか、
もっと広げていこうとか、
そういうことをいっぱい小裸に叫ばれる中、
競争に勝とうとかっていうする中、
本当にその競争に勝つことって意味があることなのか、
本当にその競争に勝つことって意味があることなのか、
本当にその競争に勝つことって意味があることなのか、
今、沢さんから連絡がありました。
質問ですね。
明日学校で講演するのですか?
いや、明日じゃないんですよ、沢さん。
なんですけど、
9月に学校での講演と研修、
この子どもたちと、
それから先生たちに研修と授業をしてほしいっていうことを言われたんですよね。
じゃあ何をしようかなって思っているんですけど、
その時にお題としていただいたのが、
生きること、
生きるとは何なのか、
暮らすとは何なのか、
人生とは何なのか、
33:00
そして教育とは何なのかっていうことを、
考えられるような時間を作ってほしいっていうことを言われました。
僕はそんなことで、
じゃあ今の僕だったら何を話すかなっていうことを考えています。
昨日早い話ですね。
まだ半年も先の話ですけれどもね。
ただですね、
何かやっていることが無駄だとか意味がないとか、
そういうことになるとですね、
生きることへの張り合いがなかったりとか、
夢を追うことっていうものへの絶望感とか、
そういうものを感じ始めてしまいますよね。
でもその中でですね、
もしかしたら自分がやっていることっていうことは、
そんなに意味がないのかもしれないなって思った時に、
自分の心持ちが変わるような気もしまして、
それでもやるのであれば、
全く問題なくてやったらいいと思いますが、
このね、人生その僕たちの世代、
その一台で結果が出ると思いきや、
そんなことでもないっていうことが、
何かわかってきたなと思いました。
例えば農業っていう話はすごく気の長い話でですね、
今日植えた種が明日芽が出るなんてことはありえなくてですね、
これがね、半年後だったりするってことはザダにあるんですよね。
この前椎茸の菌を木に打ち付けてですね、
やってたんですけども、
椎茸がニョキニョキって伸びるかどうかっていうのが、
1年後の話だったりするんですよね。
そして今日は農協組合のね、
その農協の方々と一緒に研修で出張でやらせていただいてたんですけど、
その農協の方々もおっしゃってたのはですね、
農業というのはこの一台の話じゃないんですよと、
ここで僕たちがやっていたこの仕事っていうのは、
次の世代またその次の世代につながっていくものなんですと、
だからこそ職に関わることっていうのは、
人がみんな関わっていくことだから、
本当にね今自分たちがやりがいを持ってできることをやっていくことが大事なんですって、
それが次の世代でまたはもっと次の世代、
もっと先の世代がなんかこう、
あの時やってくれてありがとうっていうようなものが見えてくるかもしれないから、
みたいな話をしてくれたんですよね。
なるほどなと思いました。
そこまで自分がやっていることっていうことの、
何だろうね、意味とか意義っていうことが、
結果が出るっていうのは先の話?
すぐにはわからないことなんだろうなっていうことを、
遠い目をして僕は見つめているわけでございます。
36:00
まあねそうですね、
忘れもしないんですけど、
僕がね教員だった時に、
道徳の授業をさせていただいてた時、
僕のお世話になっていた同僚の、
僕の先輩ですね、
先輩は道徳がすごく大事な授業だっていうことをおっしゃっていました。
その先生はですね、
僕にこう答えるんですね、
こう教えるってくれたんですね。
道徳の授業、
これっていうのは心の中にしっとりと染み込んでいて、
その染み込むのが、
染み渡るのが、
いつなのかはわからないんだと、
そこに何かこう雫を垂らすようなものなんだけど、
それが染み込むのが、
今日なのか、
明日なのか、
それとも1年先なのか、
10年先なのかは、
わからないんだっていうことをおっしゃっておりました。
だから、
今ね、
すぐには結果が出ないものなんだっていうことをね、
教えてくれたんですよ。
だから今、
結果はわからないんだけど、
でもいつかこの子の中で役に立つことがあるかもしれない、
人生を支えることが起こるかもしれないっていうことを信じて、
道徳の授業というのは作っていくものなんだっていうことを、
僕はね、
きました。
ただ、
ちょっとね、
それからね、
学習指導要領というんですけども、
ちょっとね、
道徳の内容というものが変わっていっちゃったんですよね。
で、
道徳が今まで教科ではなかったのが、
特別な教科かって言ってですね、
ちょっと難しい話ですけども、
評価をしなくてはならなくなったんですよ。
ある時から。
これまで道徳の授業はやらなきゃいけないけど、
でも道徳をもって評価するってことはありませんっていう話があったわけです。
それはね、なぜかっていうと、
人の心を評価するなんていうことは、
言語道断、おこがましいからなんですね。
でも、
道徳が教科になった、
特別な教科っていう風になるんですけど、
なった時に、
通知書に道徳っていう欄が出来上がって、
そこにですね、
子供たちがどんな学びをしたのかっていうことを書かなきゃいけなくなったんですね。
まあそれをね、AとかBとかCでつけるんじゃなくて、
言葉でつない、紡いでいくっていうことを、
僕たちの学校が選んだので、
まだそれは良かったんですけれどもね。
その時ですよ、
ここに何かを書かなきゃいけない、
評価をしなきゃいけない、
つまり子供たちのことを見取らなきゃいけない。
見取るっていうのは、
見て取る、
その自分が見て、
その子がどんなところが成長したかなっていうこと、
どんなことを掴んだかなっていうことを、
それを見て取らないといけない、
39:01
観察しなきゃいけないとなった時にですよ、
僕たちはね、
道徳というものを通して、
すぐに結果が出るようなことを求めるように、
ちょっとなっちゃったところがあるんですよね。
少なくともうちの学校ではそうでした。
速攻性のある道徳の授業っていうのが、
求められるようになったんですよね。
さあさあ子供たちにつなぐの大事ですね。
これは農業の話ですね。
そして難しいことですね。
これは道徳のお話ですね。
そう、速攻性のあるもの。
これ何かっていうと、
例えば子供たちがすごくこう、
ざわざわ授業中してて、
なんかうるさくて集中しないとか言った時に、
授業を静かに聞くということはどういうことなのかっていうことを、
延々と語ったりとか考えたりするわけですよ。
そしたらさ、
それ考えたんだから、
君たちすぐに授業での佇まいっていうものを直しなさいよ、
みたいな話になるわけですね。
それを求めていくようになるんですね。
これがいわゆる速攻性のある道徳の授業です。
これはね、いじめがあったりとかしたら、
いじめはダメだよねって言ってすぐやめるとか、
自分を変えに見るとか、
そういうことは大事なことなのかなと思うんですけれども、
ただですね、
かなりあまりにも速攻性を求められるようになっていって、
僕がその当初、
道徳を大事にしていた先生から教えていただいたことっていうのがですね、
すぐにこう、
実践がしづらくなってきました。
なんか聞いてるだけでザワザワします。
そらさん、ありがとうございます。
これはね、学校それぞれの解釈だとか、
実情というものがあるような気がするんですけれどもね、
そんな話がありましたよ。
そんなことで、
一台で一瞬で効果が出るかどうかなんていうことは、
全くもってわからないよねっていうことなわけです。
なので、
僕なんか、
だからこそ今思うわけですよね。
今自分がやっていることが、
いいことなのか悪いことなのかってことはわからないと。
でも僕たちが生きるということは、
それでしかないわけですよね。
いいことなのか悪いことなのかがわからないし、
意味のあることなのか、
無意味なことなのかもわからないけれど、
でもそれに何かしらの何か意味があるんじゃないか、
意味があるんじゃないだろうかと信じて、
今日一日を生きていく。
もしかしたらこの揺らぐことがいっぱいありますよね。
本当に意味があるのかなと。
でもこの揺らいっていうことも含めて、
42:02
僕たちはそれを甘んじて受け入れ、
そして耐え抜き、
自分の中の何かそっとしまってね、
ふるふる震えるようなハートと一緒に付き合っていくっていうことが、
生きるっていうことなのかなと。
あまりにも苦しそうな話ですけれども、
ただでもそれをね、
何だろう、苦しそうに感じるっていう人もいえば、
何だとっていう、
そんな今やっていることっていうことを、
もしかしたらやらなくてもいいかもしれないって思った時に、
楽になる人も出てくると思ったりもします。
はい、ということでね、
もしも僕が学校の外に飛び出て、
学校の中にね、また入っていき、
何か今あるその学校の先生たちの世界観や価値観を、
一度解体をしてほしいというような要請があったとするならば、
僕は今日みたいな話をするんじゃないかなということを、
ちょっとほんのりと思っておいるわけでございます。
ほんのりとですから。
で、僕自身ちょっとね、また考えて、
これはあくまで今日の時点なのでね。
素晴らしいということでありがとうございます、
沢さん。沢さんにそう言っていただけると、
すごくありがたいです。
本当に今日の僕が今いる、
僕自身の現在の考え方なのですので、
あまりまたね、変わってくるかもしれませんけれども、
でもきっと僕は元職場のところで、
何かこういった突っ込んだことを伝える役割というものが、
あるのではないかと思います。
これは僕がね、やっぱり自然の中で学ばせていただいたことなので、
それはある種の正しさでもなく、間違いでもなく、
でもただただ僕自身の解釈というものが、
そこにはらんでいるということかなと思っております。
45分も話しました。
僕が勤めていた学校は45分授業だったので、
ちょうどっていう感じですかね。
子供が話す時間一切ないっていうね。
これは良くない。
でもまあ、そんな話かな。
ということで、いかがだったでしょうか。
最後まで聞いてくださった方は是非、
アーカイブの方も、
いいねやフォローで足跡を残していっていただけたらと思います。
はい。
いい話でしたよ。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
沢さんは自然農法をされていらっしゃるんですよね。
すごいですよね。
っていうか、沢さんこそやはりこう、
45:02
やっぱり自然の中で、
お野菜、作物を作ることによって感じられること、
いっぱいあるんじゃないかなと思います。
また沢さんのお話を聞きに行きたいな。
手抜き農法。
いや、これですよ沢さん。
沢さん、手を抜いても抜かなくてもあんま変わらなくて、
むしろ抜いた方がいいこととかっていっぱいあるよねっていう話ですよ。
なので、なんかこう、
もしかしたらですよ、
肥料を上げた方が、
ぶわんと太るような大きな野菜を、
簡単に作れてしまうかもしれない。
だけどそれはきっと長続きしないような気もしているんですよ。
もしかしたら最初のうちって、
そんなに大きくならないのかもしれない。
肥料をバーンと与えたような感じにはならないのかもしれないんですよ。
でも小さくても、
栄養がぎっしり詰まっていたりするかもしれないとかね。
すごく長い目で見たときに、
土の中に自力っていうんですよね。
自力で頑張るっていうのは、
自分の力って書きますけど、
地面の力の方ね。
地面の力っていうのがそこにどんどん蓄えられていって、
肥料がなくてもやっていけるような、
そんな大地にこれから成長するのだとしたらですね、
ここ2,3年、4,5年、10年、
肥料を上げてガンガン取るっていうことよりも、
もっと優先すべきことがあるような気がしているんです。
ということで、
さあさんの配信、
僕はすごくまた楽しみにしておりますよということで、
ありがとうございました。
今日聞いてくださったのは、
そらさんとさあさん、
そしてもう一方、
最後まで聞いてくださった方がいらっしゃいますね。
そして最大で5名の方が聞いてくださいました。
本当に本当にありがとうございました。
明日はですね、
僕は京都に今度場所を移します。
京都の市場に行ってですね、
またご挨拶をして、
農協の方々とご挨拶をして、
市場を見せていただくなんていう機会をいただきます。
これまた楽しみですね。
京都ではどんなことが行われているのかっていうことですね。
きっとまた見える風景も変わってくるのかなと思います。
ということで、
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
お相手は、
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
そらさん、ありがとうございました。
こちらこそです。
ありがとうございました。
あなたとあなたの大切な人に、
森の精霊のご褒美は訪れますように。
48:00
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。
おやすみなさい。
48:07

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