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オスオス、おはようございます。いかがお過ごしでしょうか?もおちゃんでございます。
始めていきたいと思いますけれども、今日は土曜日ということでですね、いかがお過ごしでしょうか?
土曜日からが1週間の始まりという考え方があるんですよね。
これはですね、金曜日までは一生懸命お仕事をするということがですね、まあ普通だと。普通ってどういうことなのかわからないですけども、まあそんなふうに思われております。
だから土曜日のこの瞬間からですね、本当にこう自分のね、お仕事以外のね、生活っていうものが、暮らしっていうものが始まるんだよということで、土曜日が週の始まりなんていうね、考え方があるんだそうです。
ね、これはこれで面白い話だなと思うんですけれども。さてさて、まあ週の始まり土曜日ということでですね、今日は始めていきたいと思います。
今ですね、Facebookライブもちょっとさせていただいてですね、その後にこのね配信を撮らせていただいております。
あとね、今ね散歩をしながら撮っておりますので、鳥の声なども入っているかもしれません。
昨日ですね、友人と2時間半ぐらい電話をしてたんですけれども、外でねハンモックに揺られながら、家族にね迷惑かからない場所でやってたんですけれども、
そしたらですね、虫の声が聞こえるとかって言ってね、なんかすごくそれも電波のスマホの向こう側で感じていただけて嬉しかったなぁというところでございますね。
なんか今日のタイトルね、なんか僕にしてはですね、ちょっと珍しいタイトルだなと思うんですけども、そんなとこから始めていきたい、第60回目AIを使う?使わん?みたいなね、そんなタイトルからね始めていきたいなと思うんですけども、
昨日僕ですね、はぁ面白いなと思った記事がありまして、それについてねまずご紹介したいと思うんですね。
それは、新世紀エヴァンゲリオン、あのね大ヒットした漫画アニメありますよね、あの新世紀エヴァンゲリオンの主題歌を歌っている高橋陽子さんというね、女性の方がいらっしゃいます。
その方が参加をする、出演をする予定だったアニメソングのイベントがあるんですね。
おそらくですね、このイベントにはたくさんのアーティストの方々がいらっしゃって、そのうちのお一人またはゲストとして高橋陽子さんが出演するということだったんだと思います。
しかしですね、高橋陽子さん、このアニソンイベント出場を辞退するということがあったんですね。
で、「え?なんでなんでなんでなんで?」って思いましたね。なんででしょうかね。これね、すごくね興味津々でした。
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だって仕事すごいやり遂げる人なんだもん。でね、高橋陽子さんのインタビュー、どういったところが切り取られているのかわからないんですけども、それを見るとですね、アーティストとしてこのイベントに向き合うことができなくなったみたいなことが書いてあるんですね。
アーティストとしてこのイベントに向き合うことができなかった、できなくなった、表現者としてちょっと厳しいよという話があったんですね。
で、「何があったんだろう?」って言ってその記事を読み進めていくと、簡単に言うとこうでした。
ポスターが気に入らなかった。気に入らないという言葉が表現が適切かどうかわからないんですけれどもね、いかにも感情で動いているような感じがしちゃうんですけれども、
ポスターがですね、AIが作成したポスターだったんですね。
アニソンの話なのでアニメ、アニメチックなイラストがですね、散りばめられているポスターだったんですよ。
そのポスターの手とか指ですね、指とかをよく見るとですね、違和感があるんですね。
それはですね、親指がない、なんか小指がないみたいなですね、そういうねポスターになっておりました。
今ね、生成型AIはイラストをいろいろ作ってくれるんですけども、ちょっとね細部がですね、うまくいかないことがあるんですね。
例えば手のつき方だとかですね、僕なんかですね、その生成型AIを使うと、すいませんこれは何か体があるわけではないんですけども、手が2本生えたりとかですね、手が3本生えてしまうっていうね、そういうですね画像が出てくることがあるんですね。
本当にこれあります、本当にこれあるんです。明らかにおかしいなぁみたいな感じのことがあるんですよ。
この表現も難しいですね、適切なのかどうかちょっとわからないんですけども、明らかにこれはAIが作っただろうなって言えるような、そういう違和感ですね、があるんですね。
やっぱり細部のところまではですね、なかなか難しい。だからそこは人がチェックをして修正を加えるしかないと思うんですけれども、今のところね。
でもまあ簡単に生成型AIで作ってしまうとなると、そのような画像が生まれてしまうということです。
それを見たですね、高橋陽子さんは、これは嫌だって思ったんですね。つまり今までですね、高橋陽子さんはアニメクリエイターの人たちに寄り添ってお仕事をしてきました。
そしてアニメクリエイターの方々は、そのAIのことを今どう思っているのかと言いますとですね、
いやもう、AIは全面的に禁止すべきだ。もしくはAIを一部分禁止すべきだっていう、AI否定派の方々が結構いらっしゃるみたいなんですね。
その人たちの声に寄り添った形に、高橋陽子さん今回なったんだよということです。
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じゃあなんでアニメクリエイターの人たちは、そのAIを拒絶しているのかっていうようなこともね、ちょっと考察してみたいと思います。
ここからは記事の内容ではありません。僕とのその話をですね、着地点のない話をこれから楽しんでいただけたらと思っているんですけれどもね。
はい、今皆様の画面に映っているこのキャラクターは、いろはもみじというキャラクターなんですね。
これはですね、今僕が手掛けている、こだまこまちというですね、キャラクターたち、樹木の精霊、樹木の化身ですね。
そういった子たちがですね、活躍する物語、お話、そういったものを作っていこうということでね、世界観の一つとしていろはもみじの化身、こういったものがですね、今いらっしゃるわけでございます。
これはですね、完全に手書きですね。デジタルですよ。デジタルツールを使っております。デジタルツールを使っています。プロクリエイトを使っているんだけども、キャラクタークリエイターさんがですね、すべて自分の手を動かして書いておりました。
そのキャラクタークリエイターさんはですね、なるほどと思ったのはですね、そのiPadで書くわけですけれども、iPadを保護するシートってありますよね。
画面に貼り付けるやつ。あれもですね、普通のその紙と同じような手触り感になるような、そういう紙を使っているんです。つまり、わざと摩擦を生むようなシートですね。
だから書くとですね、すごくいい音がするんですよ。シャッシャッシャッシャッって線を引くたびにですね、その紙と鉛筆が擦れるような音がですね、シャッシャッシャッってするんですよね。
そういうですね、ものを使って手書き感を大事にしながらですね、作っていただいております。これはですね、まだラフの段階だということで、今ですね、細部にこだわって一つ一つ丁寧に仕上げているということなんですけれども。
僕はですね、このこだまこまちというプロジェクトも、プロデュースするという側でありまして、思いつき発端、そしてやってみようということでね、やらせていただいているんですけれどもね。
このこだまこまちのですね、そのことをやってた時に、初めに思ったんですよ。今AIっていう技術がさ、本当にあるからさ、どんどんそれでキャラクター作ればいいんじゃないかとか思ったんですけど。
でも、やめたんですね。やめたんです。最初の原案こそですね、AIとかを使って、こういったイメージなんだよっていうことをクリエイターさんたちにお伝えするのに使わせていただいたんです。
いただいたんですけども、あえてやっぱりこれは手書きっていうものを強調してやっています。手作りなんだよっていうことをね、やっています。
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これがアニメーションとかになってね、アニメを作る技術が僕たちにないとかってなった時に、AIに助けてもらうこともあるかもしれませんけれども、今僕たちは手仕事として、自分自身にはないけども仲間を頼れば、こういったものを作ることができる。
外注をするわけじゃないんですよ。でも仲間の中で書きたいという気持ちを持っている人がいるということであるならば、その人にお願いをしようっていうことになりました。
今ですね、二人体制でキャラクターをどんどんどんどん作ってくださっていただいているという段階なんですけれども、このですね、こだまこまちプロジェクトをね、かなり進んできておりまして、
今、SNSもワッと広がっていってですね、発信が続いているところです。明日なんかもですね、皆さんに向けてですね、ライブ配信をFacebookの方でね、させていただこうと思っている次第でございます。
はい。ということでですね、やっているんですけれども、AIを使う、使わないの、線引きって何なのかなということですね。
でね、今までやっぱり議論されてきたことの中で、AIが書いたものと人が書いたものってもう見分けがつかないぐらいになりますよね、そういうふうに言われるんですよね。
で、だからAIが書いても問題ないじゃないかとか、そういったものはもうAIに任せちゃった方がいいんじゃないかとかですね、そういったことになっていくんですけれども、まあ手書きの方が思いがこもっているとか、そういう気持ちもあるんですけれどもね、そこだけじゃないんですよね。
僕はですね、この創作活動っていうものって、まあ人が生きていく上で必ずしも必要がないものだと思います。アニメとか漫画とかって、まあ心の栄養にはなりますし、楽しく生きていくためには大事な、エンターテイメントっていうのはめちゃくちゃその意味で大事なものなんですが、
食物を作るとかさ、衣服を作るとかさ、それから建物、家を作るとかっていうこととまたちょっと違うと思うんですよね。絶対に生きていく上でなくてはならないという人間の生命活動に必要なものではないじゃないですか。
語弊を恐れずに言えばですよ。っていうようなものを、今度これをAIに任せてしまった途端にですね、創作活動っていうものが任せた人にとってはですね、ちょっと意味合いが変わってくるように思うんですね。それはもうなんか自分の楽しみでやるものではなくて、誰かに任せちゃうっていうことですね。
やっぱり一人一人が自分でこれを描いていくってなると何がいいのかっていうと、作り上げていく喜び、描き上げていく喜び、そしてできたっていう達成感。そしてですね、やっぱりこれ僕も絵を、デッサンをね、習いに行くんですけれども、無心になってその線を一本一本引いていくのって、心がね、休まるんですよね。
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なんか落ち着くんですよね。その落ち着くとか、生き甲斐とか、そういうのがこの創作活動っていうもののもう一つの側面の価値としてあるなと思ったんです。
で、これをしてお金ももちろん回ることができて、好きな絵を描くことができるということだったら、すごくいいじゃないですか。人にも見ていただくなんていうね。
いやいや、だったらさ、絵は絵で描けばいいんだよ。お金をもらわないで描けばいいんだよ。お金をもらう絵はAIに生み出してもらえばいいんだよ、みたいな議論もありそうなんですけども、それはどう思いますかね。
自分が描いた絵を多くの人にお金を出して見ていただくっていうね、この感動っていうものもなんかあるような気がしますし、今のところお金に代わるものっていうのはないのかななんていうことも思うんですよね。
もちろん無償で見ていただくっていうこともありだと思うんですけどもね。なんかわかんないね、お金の話なんかしてるけどわかんないんですよね。でもそのAIを使う使わないっていうことはですね、もうちょっと考えられていくような気がしています。
そして一人一人の価値観ですよ。一人一人の価値観で製作物には別に価値を置かないんだとか、誰が作ったっていいんだ、自分たちで手がけなくても全然いいんだっていう考え方、そして人に害虫するぐらいだったらAIに任せちゃおうみたいなぐらいの認識で思っていたとしたら、それはアートではないですよね。
AIアートとは言われるかもしれませんけども、表現活動なのか、表現活動でもありますよね。AIも表現の一つだとしたらね。なんですけども、そのアウトプットされたものっていうのは人が書いたものでは決してないので、なんかちょっと意味合いが変わってくるような気もします。
だからやっぱりレオナルド・ダ・ビンチみたいなモナリザ一つの筆の入れ方、そういったものにやっぱり興味を持つ人たちっていうのはいなくはならないと思うし、え、このAIの時代に手で書いたの?すごいみたいな。よく書くね、みたいな。多分そういったところに注目が集まっていくことになると思うし、今度やっぱり思うのは、AIの時代になって、
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書き手のことがクローズアップされていくような気がするんですね。すいませんね、これはですね、僕の勝手な憶測なんですけども、クリエイターの方々ってやっぱり作品で語りたい。だから顔出しはしないとか、作品がすべてなので、私は多くは語りません。その解釈はあなたにお任せします。という方がね、大勢いらっしゃると思うんです。もうこれは素敵ですよね。めちゃくちゃかっこいいなと思います。
ね、思うんですが、おそらくAIがうわーっとあって表上はね、表面上はコンピューターがデザインをした作品だらけになった後、なった後ですよ、なった後ね、あのこれはどんな思いで書いたんだろうかっていうことに目がいかないはずがないんですよね。頭がいかないはずがないんですよね。
どんな気持ちでこれAIに書かせたんだろうっていうことになると思うんですよ。そうした時に多分世界はクリエイター、作者、一人一人の作者に目を向けていくっていうことになっていくと思います。
そんな中ですね、手で書き続けるっていうこと、AIを使わずに書き続けるということを選んだ人たちの生き方っていうものもクローズアップされていくように思うんですね。そんなの余計なお世話だよっていうクリエイターさんもいらっしゃるかもしれませんけども、僕は世界はそうなっていくと思います。
そんな時にやっぱり手で書くことの手仕事の意味っていうものを伝えられる、手触り感というものを伝えられる人がいるっていうことはとても大事なことだと思います。
今僕が危惧しているのは何なのかと言いますとですね、今散歩をしながら歩いておりますけれども石垣が見えるわけですね。そして古びた民家が、古民家が見えたりするんですね。お寺、神社かな神社が見えたりするんですね。
そういったものが壊れた時に同じように修復する技術はもうないんですね。じゃあこんなの技術なんか失われてしまってもいいんじゃないかと。新しいものに作り変えればいいじゃないか。石垣が崩れたらコンクリートで埋めればいいじゃないか。
古民家が崩れたらさ、なんかさ、新しい新築の家建てりゃいいじゃないかとかね。神社別になくてもよくないとかね、そういうことを言われてしまうんですけれども、そうじゃないよねっていうことを児玉小町では伝えたいんですね。
児玉小町というのは、木の基準化プロジェクトですね。キャラクター化していく中でですね、やっぱね、伝えたいことがあるんですよ。それはですね、やっぱりこの人が自然の中で生きていく上での作法っていうのが、昔の人たちは知ってたように僕は今を見ると思うんですね。
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石垣って積み上げていくとさ、その一つ一つのところにちょっとした穴があるんですね。その穴の中の一つ一つには、実はいろんな植物や動物たち、生物たち、生き物たちが住んでいて、ちっちゃいちっちゃいのビオトープがこうギュッと集まっている状態になっています。
これをコンクリートで固めてしまうと、そこには生物が住まないっていうことになっちゃうんですね。またそこからは、石垣からは水とか空気が絶えず入れ替わって循環をしています。でもね、それを植えてしまうと、もうその循環を止めてしまうことになりかねないんですね。
同じようにですね、昔の古民家、木造でやっている家っていうのはですね、すごい長持ちするんですよね。僕が今住んでいる家は一応ですね、地区150年と言われております。
この間ですね、床を剥がして見せていただいたんですけれどもね、もうすごい昔の石が出てきたんですよ。すごいですよ、あの石は。その石の上にですね、柱が立っているんだけども、この柱も150年前から立っているのかっていうのはね、もう驚きなわけですよね。
今、150年経ってるコンクリートのビルなんていうのは、まあないんですよ。ないですよね。コンクリートが使われて数十年というような形だと思うんですけども、数十年の中で何回このコンクリートの建物が壊され建てられ、壊され建てられを繰り返してきたかということです。
いいものを長く長くじっくり使っていくっていうことがとっても大事なように思うんですけれども、これがですね、どんどんどんどん崩されて崩されていくっていう、なんかまだ使えるじゃんって思ったりもするんですけども、コンクリートそうでもないみたいなんですね。
50年くらい使うとですね、老朽化とか言って、新しく建て替えます、リフォームします、みたいなことがですね、されるらしいんですよね。
なんかこのコンクリートの話を聞くだけでもなんかちょっと違うなと、僕なんかは直感的に思うんですけども、どうでしょうか。
おはようございます、スグルさん。
靴、老朽化したんですね。靴、靴、靴、靴。
はい、今ですね、老朽化した話はですね、何かっていうとですね、AIを使うか使わないかっていうタイトルでお話をしていたんですけども、創作活動とかいろんなものを機械化したり便利にしてしまうっていうこの世の中においてですね、
今、里地、里山、スグルさんは確か新潟ですよね。新潟で見られるこの風景の中にやっぱり人が自然と一緒に生きていくための作法みたいなものがあったんじゃないかなっていうお話をしております。
今、古民家の話をしてたんですけどもね、僕が今住んでいる古民家は地区150年というふうに言われておりまして、やっぱり木で作っていくと150年もつんですよね。
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だって木って樹齢すごいんですよ。1000年とかっていうのは結構ザラで、2000年とかっていう木だって日本にあるんですよね。
それぐらい木は本来生きるんですよね。木ったとしても木材として家として使われているときにね、やっぱり木は呼吸してるんですよね。
だから湿度を吸ってくれたりとか湿気を吸ってくれたりとかそういう働きもあるんですよ。
コンクリートにはそれが少ないですね。全くないとは言わないし、今、炭をコンクリートの中に混ぜて作るっていうこともやっているし、コンクリートの方が丈夫だから地震には安心だよねみたいな話もやっぱりあるから、
コンクリート化してしまうっていうのは何かわからなくはないんですけれどもね、立場としては。
ただ木造の古民家、これを直す技術とかっていうものがやっぱり失われてしまうっていうのはですね、すごく僕的には残念だなと。
地球の中で生きていくっていうことの作法っていうものが一つ失われてしまうような気持ちがするんですね。
この前ですね、里山の方に行ってですね研修を受けてきたんですね。
その時に出た言葉があってですね、これねめちゃくちゃ難しいんですよ。
昔の小物っていうものは頑丈に作られてるんですね。
例えばですね、キリスト教とかっていうその県内のところにすごく受けた作品があったんだそうですね。
それはご神体を守るための屋根だそうです。
これはですね、高知県の高知工科大学という大学での研究というか作品だったんですけれどもね。
神社とかっていうのは本当にもう雨とかで崩れてしまうと。
そのご神体がそこに安置されてるわけですけども、ご神体を守るためにね、その屋代っていうものでまた建て直すのかどうかっていう話があって。
でもその建てるための技術がもう今ないんだと、建てられる人がいないんだと、少ないんだと。
そういった状態になっているんだそうです。
その時にですね、簡易的な、でもちょっとねなんか雰囲気良さげなですね、
もので雨除けをしてですね、ご神体を守るっていうことをね、しているんですよ。
それすごい見事なんですけども、デザインも簡単でね、本当誰でも作れそうな感じなんですけども、
それがですね、なんとなんかコンテストで賞をもらったっていうんですね。
賞をもらった、どうして賞をもらえたのかっていうことだったんですけども、
やっぱりキリスト教圏内のところとかではですね、石造りの教会とかが結構あると。
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そこで安置されているですね、十字架だったりとか像だったりとか、
それを守るためにどうすれば良いのかっていうのは、海外ほどやっぱりですね、大切に思われているし、
それから問題だったんですね、宗教というものが海外ではやっぱり、
みんな普通にね、生活の中にあるということもあるんですけども、
この石造りっていうのが頑丈すぎてですね、もうね、崩れないんですよ。
崩れないから、その崩れない技術をですね、また学ぼうとする人がいなくって、
もう技術がそこで途絶えてしまっているっていうことです。
そういったことがやっぱり日本でも起こっているわけです。
技術がどんどん失われているわけです。
ここでなんですよ、このAIの話に戻ってきますけれども、
AIが絵をどんどん描けばいいじゃないかっていうような考えになると、
僕、AIを全部反対しているわけでは決してないんですよ。
AIを使うこともあるし、仕事とかでもね、あるんですけども、
そうなった時に、絵を描く技術っていうものが失われてしまうんじゃないかということです。
僕ですね、この絵をですね、いろはもみじ先生の絵をですね、描いているところを一緒に見ているんですよ。
そこにですね、織り込まれている技術っていうのはですね、本当にすごいものがありますね。
これをですね、こういった技術はもう失われていってしまうんじゃないかなっていうことも思ったりもするんです。
ただ人は楽しみのために絵を描くし、生きがいのために絵を描くし、
ここはね、大事にしたいとこだなと思うんですね。
だからAIで全て描けばいいじゃないか。
人が描いた絵と絵の装飾がないんだから、AIに任せればいいじゃないかなんていうことではなくて、
おそらくやっぱり手仕事っていうものは残っていくだろうし、
手仕事を持っている人たち、技術を持っている人たちっていうことは大事にしていかないといけないと思うし、
だってそれは生きがいにつながっていく可能性があるんだもんね。
うん、ということも思うわけでございます。
はい、そしてまとめですけれども、
最後ですね、先ほど申し上げたようにですね、
作品の裏にいるその先生、作ったクリエイターの方にやっぱり注目をされていく、
どんな哲学でその線を一本引いたんですかっていうことが、
さらにですね、皆さんの興味に関心になっていく時代になっているんじゃないかなということを思う次第でございます。
はい、いかがだったでしょうか。
最後まで聞いてくださったあなたはぜひ、いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
はい、杉野さんありがとうございましたね。
今日も聞いてくださって。
そういったことでですね、お話をしてきましたけれども、
AIを使う、使わんということで、今のところですね、
こだまこまちではAIを使わずにやっていこうと思っています。
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ただ、多くのキャラクターを生み出していくために、
AIを使うということを選ぶこともあります。
それはですね、ちょうど漫画家さんがですね、絵は描くよと、
でも墨塗り、黒く塗るとか、そういうところは誰かアシスタントさんに任せるよとか、
そういったことがあると思うんですよね。
だから人がそれを作り上げていくっていうこの世界観とか、
あとはここは自分の手でやりたいんだっていうその手仕事感というものは残していきたいと思っております。
やっぱり人件費がかかることですよ。
プロデュースをして実際にプロジェクトを動かしていくとですね、
絵を描いてくださっている方々にお金を支払うっていうことはあるんですよね。
その人たちに支払うお金か、もしくはゼロ円でAIにやってしまうかっていう、
こういう極端な話ではなくてですね、
やっぱり僕たちはこのAIっていうのはそもそもそうだったと思うんですよね。
自分たちの生き甲斐とか、
自分たちの本当にやりたいこととか大切なこと、大事に思っていることを広げていく、
そのためにAIを使うんだっていう話だったと思います。
そのクリエイターさんたちが楽しく創作活動に打ち込んでいただけるような具合で、
そのためにAIが必要であれば使っていくし、
そうじゃない、人間というものをもっと中心に置いて、
AIに全部頼るのではなくて、
僕たちがどうしてこのAIを使うのかとか、
どうして手書きでやっていくのかっていうことの哲学を深めていく必要があるよねということを思いました。
ということで、今日はこの辺にしたいと思います。
お会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。