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おすおす、おはようございます。もおちゃんです。いかがお過ごしでしょうか?
今日もライブ配信やっていきたいと思います。
まあ、今日から月曜日ということで、月曜の朝9時1分を回ったところなんですけれども、
ライブ配信聞いてくださる方、いらっしゃるかな?
いらっしゃってくださったら嬉しいな、なんて思ったりしております。
さあ、今日はですね、僕今、高知県に住んでおりまして、天気は曇りですかね。
先ほどまで雨がぱらついておりまして、今は晴れ間。
そして昼からまた雨が降るというところなんですけれども、
もしこれを聞いてくださっている方いらっしゃいましたらですね、
そちらのお天気はいかがでしょうか?そしてご体調はいかがでしょうか?
そんなところから始めていければなと思っております。
昨日、僕は日曜日、ゆすはら町という林業が盛んな町に出かけて、
そこで森林フェスティバルというものに参加をさせていただくことができました。
この森林フェスティバルで子どもたちの自由な遊びの空間というものを作ってほしいと、
そんな依頼をいただいたそうです。
そして僕のところにスタッフとしてお声をかけていただいたということで、
僕が主として進めていたわけではないんですけれども、
僕が一つスタッフとしてかませていただいたよというところで、
すごく楽しい一日を過ごさせていただきました。
もしご興味のある方は、昨日のライブ配信や、
その後に撮った編集後期録音版をぜひご覧いただけたらなと思っておりますけれども、
よろしくお願いいたします。
昨日、あったことから少し話をすると、子どもたちと一緒に遊びを作っていきました。
僕が自分の町でやっている遊び場、
そして昨日呼ばれていったところでの遊び場というのは、
大きく違うところがあったなと思うんですね。
それは大人とか周りの手のかけ方、目のかけ方というところでした。
子どもたち一人一人は遊びを自分たちで作り出す力があるんですよね。
大人が期待を込めながら、
こんな遊びをしてくれたらうれしいなとかって言って、
遊びをそこに置いていくんですけれども、
本当にそれで遊んでくれるかどうかということは、
子どもたちに委ねられるんですよ。
だから大人がこんな面白い遊びがあるよみたいなことは、
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あまり積極的には投げかけをしないんですね。
僕は自分で自分の町で遊び場を作ったときに、
こんな遊び方どう?って言って、
遊び方を紹介するみたいな感じになっていたので、
昨日の遊び広場では、
僕が普段やっている提案型の遊びとはまた一つ違う、
子どもたちが考案をしていく、
そんな遊びになってたなーなんていうことを思いました。
子どもたちが遊びを考案していくそんなスタイルの中で、
目的とか目標について昨日僕は感じたんですね。
子どもたちの遊び方やそういったものを見てみると、
とにかく興味の赴くままに手をつけてみるということをしていたんですね。
そしてその中で自分自身が、
あ、もっとこんなことできるかなっていうことを考えていって、
そこで初めて目標とか目的というものが生まれる。
最初からこうすればうまくいくとか、
そんなことを考えてやっている子は非常に少なかったように思います。
具体的な例を挙げるならば、
あ、ノコギリがある。
木材をとにかく切ってみたいっていうところから始めるんですよね。
何かを作りたいからノコギリをやるのではなく、
ただただそこにあるノコギリを使ってみたいというところから始まっていくんです。
釘を打ってみたい、そこから始まっていくんですね。
そこから釘がガンガンガンって打つんだけど、
釘の長さとかが足りなくて、下の木材に貫通しなくて、
結局止まってないよっていうことがあったりするんですよ。
これまた面白いなと思いましたけど、
それをまた一つ、そういった失敗というか失敗じゃないかもしれませんけども、
経験を通して学んでいくことになりますかね。
僕今ね、歩きながら、散歩しながらお話をしているので、
車の音とか鳥の声とか色々聞こえてくるかもしれませんけれども、
ご容赦いただけたらと思います。
こんな感じで昨日は遊び場を作っていったんですね。
そこからまた今日話を始めていって、
どこに着地をするかというところなんですけれども、
僕はここまで話をしていて、
昨日だったかな、一昨日だったかな、
フェイスブックにあげられていた、
他の方があげてくださっていたポストがちょっと気になり始めました。
そのポストはですね、ドストエフスキーという方の一説が引用されていたんですね。
これはどんなものかというと、
ドストエフスキーの死の家の記憶だったかな、
そういった本があるんですよ。
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そのドストエフスキーの本の中で、
自分自身が刑務所、死刑宣告をされてしまって、
刑務所に入れられてしまったという時の、
そんな4年間を描いたらしいんですね、その中で。
刑ですか、刑務所にいた時の刑なのかな、
そこでこんな毎日を過ごしていたんだそうです。
自分で半日かけて地面に穴を掘るんだそうです。
そしてまた半日かけてその穴を埋めるんだそうです。
これはすごい毎日ですよね。
穴を掘るっていうのはそんなに簡単な仕事じゃないです。
それを肉体を使って穴を掘っていって、
その穴が何かに使われるならまだしも、
その穴を使いもせず、
ただ最初にもっとあった通りに戻すという、
ただそれだけの毎日を過ごしたんだそうです。
人は自分が半日時間をかけて掘った穴を、
また戻すということを毎日繰り返していくと、
どんなことになっていくのでしょうか。
人、あれ何の意味があったんだろう今の時間とか、
この作業にどんな目的があったのかなとか、
そういうことを思い始めますよね。
そう思ってしまって当然だと思うんですよね。
で、僕なんかはちょっと思うんですけども、
すごいよね。
でも穴を掘ってまた埋めるだけの毎日、
せっかく自分が掘った穴は何にも活用されずに、
ただまた元通りになっていくって、
そんな毎日に何の意味があるのか、
そこでドストエフスキーは分かったんだそうです。
それは人っていうのは目的がないと生きていけないんだっていうことです。
非常に大きな苦しみを感じたんだそうですね。
僕たちは生きてるだけでいいかもしれませんけども、
やはり何かやりたいこととか目標とか目的とか、
そういったものがないといまいち人生に張り合いがなくて、
人生の意味がわからなくなってしまうということがあるんですね。
僕もそれはすごく経験したことがあるんですね。
ついこの前まで経験をしていたし、
今もまさに経験をしているところかもしれません。
一つ例を挙げて言わせていただくとすると、
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例えば仕事に就いたときに、
そこに就いても何もやることがないと嫌なんですよね。
お金がもらえているはずなんだけども、
そんなお金よりも自分が何に役に立っているかとか、
自分が今ここに何しに来ているのかっていう、
その意義の方を大切にしていくんですよね。
僕は地域おこし協力隊という国の制度を使って、
今、高知県に移住をさせていただいております。
地域おこし協力隊というのは何なのかというと、
文字通り地域をおこす、つまり盛り上げにいくということなんですけども、
簡単に言うならばですね、人口が多い、
例えば東京とか大阪とかそういった場所から、
人口が少ない地方、田舎の方に移住をさせていただいて、
そこであなたがやりたいことだったりできること、
また地域の役に立つこと、これを使うことによって、
一人一人が地域を盛り上げていくという、そんな役割があります。
僕はそれを使って高知県に移住をしてきたんですね。
確かに僕には様々な仕事の経験とかがあったと思っていたんですけど、
新しい土地にポーンと行ったときにですね、
上から何かをしてくださいというふうに言われるわけでもない、
あなたがやりたいことをやりなさいというふうに言われるんですね。
やりたいことをやりなさいなんだけども、
この町で自分自身が何で役に立てるのかということが
全然わからないところからスタートしたんですよね。
そうなってくると、自分の人生が何だか急に無意味なものに思えてくるんです。
あれ、今まで東京で様々な経験をしてきたはずなのに、
何で僕は役に立ててないんだろう、今までの人生何だったんだろうと、
そういう自分自身の自己否定というところが始まっていくんですよね。
さらに、お金はもらえているわけですよ。
国の事業なので、安定しているかと言われたら安定はしています。
多いか少ないかと言われたら決して多くはないけど、でも安定はしている。
そんな形でですね、生きてはいけるんですね。
生きてはいけるけど、人生の目的がわからなくなっちゃう。
それってすごく苦しい期間でした。
協力隊というのは永遠にやっていられるのではなく、3年間という任期がありますので、
結構焦ったりもするんですよね。
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今日も1日終わってしまった。
自分は何の役に立てたんだろうか。
自分はなぜここにいたんだろうかと、そのように思ってしまうんですよね。
そんな毎日を過ごしている中で、僕は思った。
人はやっぱり目的とか目標を持って生きていく生き物なんだって、それを思いました。
そして、この生きる目的とか、生きる目標を自分たちが作っていくんですが、
それをね、子供たちの遊びから作り方というものを学んだなって思ったんですね。
今自分が目の前にあって面白いなって、ちょっとでも心動くものをまず触りに行ってみようよ。
まずやってみようよというところから始まっていって、
そしてそこでだんだん目的や目標というものが作られていくんだなっていうことを思ったんですね。
だから腕を組んでさ、じーっとさ、部屋でなんだろうなんだろうって考えていても、
なかなか動いていくことはないんだなっていうことを感じたんですね。
人はやっぱり生きていくために目的とか目標が必要だし、
ご飯を食べるのと同じように目的や目標を食べて生きているんだろうなと。
ひとつまた達成されたら新しい目標が生まれるかもしれないしね。
そんなことを身につまされて感じたんですね。
ということで、今日は子供たちの遊びを昨日やりましたよというところからですね、
ストレフスキーの話にもなって、人が生きる意味の目的、目標とかそういう話になっていって、
それはどのようにして作られていくのかとか、
もしかしたら今まさにわからない、自分がやりたいことがわからないというところで
右往左往している人に向けて発信をできたのかなーなんていうことを思ってですね、
とにかくライブ配信ボタンを僕もポチッと押させていただきましたけども、
それによってこれを受け取ってくださった方が何かしらのメッセージを解釈、
受け取ってというか、自分自身で解釈をして何か進む糧になればなと思いました。
それが今日僕がなんとなくやってみて、その中で作られていった目的であったり目標であるということなんですね。
いかがだったでしょうかね。最後まで聞いてくださったあなた、ぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
今僕は町に移住をして、おじいちゃんやおばあちゃんに会う機会が非常に多いんですね。
おじいちゃんやおばあちゃんたちに会うとすごくどっしりと構えて、
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何でも楽しいよって、こうやってあんたとお話しする時間も楽しいんだよって言ってくださる方もいれば、
生き方に悩みをどこか抱えながら毎日を送っていらっしゃる方もいるということです。
そんな中で自分自身の生き方というものも、その人を見て自分もまた感じていくわけなんですけれども、
右往左往しなくてもいいんじゃないかなと思いました。
この後編集後期ということでライブ配信ではなく、
自分が今話したことに関してもう一度メタ的な考察というかしてみたいなと思うので、
もしよかったら来てみていただけたら嬉しいです。
ということでお時間が来てしまいましたので、
今日はこの辺でお相手は薬膳師であり心理インストラクターであるもうちゃんがお送りいたしました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。