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2023-12-25 21:02

上徳谷の如し/自然は最上の先生

#プラネタリーヘルス
#自然
#森林インストラクター
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00:09
おすおす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
地球元気食堂、開店でございます。
僕の名前は、もおちゃりと申します。
薬膳師をしたり、森林インストラクターとして活動をしております。
本日もよろしくお願いいたします。
今日は川を見ながら、この収録をしています。
僕が住んでいる町は、高知県にある町です。
高知県という場所は、森林率84%と言われ、
そのほぼすべてが森林でできた県なんですね。
人はその森以外の場所に住んでいます。
つまり、県の中の16%とか17%という、
そういう狭い狭い場所を見つけて住んでいるんですね。
高知県という場所は、非常に広い場所なんですけれども、
人が住める場所というものは、ほんのわずか限られた場所にあります。
森とは一体何なのか。
僕たちは森のことを木が集まっている場所、そのように理解をしていますよね。
実は森とは山であることが多いのです。
盛り付けをする、盛る、盛り上がる。
日本語にも森という言葉がありますよね。
盛りとも書くのでありましょうか。
木の日本の森林のほとんどは、だだっぴろい平地に木が立っているわけではないんです。
日本古来より森は山、山の中にあった。
だからそれが盛り上がっているように見えるので、森と呼んだのではないでしょうか。
03:00
この森たち、山にありますが、実は山が一番暮らしやすいわけでは決してないのです。
山は標高が上がれば上がるほど風が強くなってきます。
気温も低くなってきます。
土も乾燥をしてきます。
土どころか岩場が多くなってきます。
山は過酷です。
ですから木もまた決して住みやすい場所ではないんですね。
木もまた同じように標高が低いところにぎっしり生える。
そして標高の高いところは木が薄くなっていたり、また別のものが生えるようになっていきます。
別のものというのは、例えば松なんかがそうですね。
松の木。
あの僕たちにはおなじみの松ではありますが、
松という木は土が痩せているところ、岩場だとかそういうところに生えることが多く、山の頂上のあたりは松が生えていることが多いんですね。
しかし人や動物は山のてっぺんでは生きていくことがかなり難しいのです。
やはり人は動物も同じように山のふもと、肥沃な土地、豊かな土地でこそ生きることができるものなんですね。
ですから山の頂、山頂は昔から人が住めない場所、そして松が植わっている場所として神様が降り立つ場所として崇められてきました。
よく山のてっぺんに祠があったり神社があったりお寺があったりするのはそういうことなんですね。
松の木というものもあれは神様を待つ木からとられていると、そういった説があります。
松があることは神様が降り立つ場所なんですね。
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さあここまでお話をして、今日は一つの言葉を紹介したく思います。
それは上徳谷の如し。
もしかしたら聞いたことのあるお方もいらっしゃるかもしれません。
上徳谷の如し、上に道徳の徳、すなわち最上の心がけ、心持ち、そういったものは谷のようなものであると。
日本古来、いえ中国古来、老子の時代からこの言葉があります。
上徳谷の如しとはどんなに素晴らしいことを成し遂げたとしても、またどんなに難しいことを成し遂げたとしても、
また自分が無償の気持ちで、ボランティアの思いでやったことであっても、それを見せびらかしたり、
我がものとして、我が実績、我が成果として、見地しない、表さない、示さない、そんなところがこの言葉の意味するところでしょうか。
どんなに偉業を成し遂げたとしても、どんなに素晴らしいことを成し遂げたとしても、谷のような、つまり外からは見えない場所、人にはひけらかすことなく、自分の胸に秘めていく。
それで良いじゃないか。目立たなくても良いじゃないか。
目立たせようとするのは、それは自分のおごりであり、我良しとする、私だけ良ければそれで良いのだとする、そういった心であるのぞと。
谷を見なさい。谷は人が住むのに大切なものをすべて生み出してくれている。水、川、風、そして日の光を浴びる場所や日の光を遮る場所、森から切り出せば木も手に入る。
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作物も作ることができる。人は谷にこそ住むことができる。しかし、谷は外にそれをひけらかすことなく、無償の気持ちで、でも、谷の中で、目立たないところで、じっくりとその場所を作っている。
何か偉業を成し遂げた時、何か素晴らしいことを成し遂げた時、僕たちはすぐにそれを発信しようとする。
そしてあたかも自分がやり遂げたんだぞ、成し遂げたんだぞ、そのように示そうとする。示そうとすることが悪いことではないし、間違いでもない。
ただ、その示し方は、誰のおかげでその偉業を成し遂げたのか、その素晴らしいことを成し遂げたのか、難関をくぐり抜けたのか、これを伝えていくことが大切なのではないでしょうか。
ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます。そんな感謝の思いを伝えながら、世に出していく、広めていく、伝えていく。
それは自分の力で行ったものではないのですよ。皆様の力があってできたことなのですよ。自然から学ぶことはたくさんありますね。
先生、この意味は先に生まれたもの、そんな意味が込められております。僕もかつては先生と呼ばれる職業に就いておりました。
小学校教員を11年間してきたのです。僕自身は先生と呼ばれることに何もこだわりはないと思っていたのですが、教職を離れてみると、
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僕は先生と呼ばれることがめっきりなくなりまして、もうちゃりさん、もうちゃりさん、さんづけで呼ばれることが多くなりました。
そのために僕は初め、違和感を抱いていたことに気がつきました。自分ではこだわってはいなかったつもりだけれども、
どんなにか、どんなにか、自分が先生と呼ばれることにあぐらをかいていたのか、謙虚な気持ちを忘れていたのか、僕はそれを思い直し気づいたのです。
先に生まれたものであるならば、先に生まれたものが先生だとするならば、それは自然そのものが先生だと言えるのではないでしょうか。
目の前に立っている木は何年前からこの大地に根付いているのでしょうか。
足元に転がっている石たちは何年前からそこに居座っているのでしょうか。
僕が住んでいるこの町は日本でも最も古いクラスに分類される地層が見つかっている土地です。
なんと4億3000万年前の地層が見られるとされています。
もちろん地層は言葉を音として発することはできないのですが、
その大地に触れてみると、僕たちは体でその大地が語りかけている言葉に耳を傾けることができます。
ダイレクトに言葉を体に伝えることができるのです。
それはすなわち最近の骨伝導のイヤフォン、ヘッドフォンのような感じとでも申しましょうか。
僕たちはすべて耳で聞こえるものがすべてだと思っているかもしれませんが、
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触れることで感じること、直感に訴えかけるものほど真理はないのかもしれません。
4億3000万年、どんな景色を、人を、町の移り変わりを、日本を、世界を見てきたのか。
そのH、触れて自分に語りかけてくれたら、なんと楽しいことでしょうか。
木もそうです。僕たちの目の前にある木は、有に200年、300年は生きることのできる木です。
ただ、大きくなりすぎると管理が大変なので、せいぜい50年60年で切り倒してしまう、ただそれだけなのです。
本当は、薬師間の杉の木のように何千年も生きている木だってあるんですね。
その木たちを、僕たちはどれだけ情報をいただいているのか、いただけているのか、敬えているのか。
木を切ると年輪が刻まれています。その年輪一本一本には記憶が刻まれているんですね。
その情報を、僕たちはまだ科学では読み解くことはできません。
ただ、そこに手を置くと、木が見てきた景色や感じてきたことが何か伝わる気がしませんか。
先生とはそういうものなのではないでしょうか。
僕たちは先生に囲まれて生きています。
自然が先生です。
神羅万象が先生です。
その上に、僕たちは暮らしを、仕事を築いているんですね。
だから、この世界で起こることは、すべて自然の上で起こること。
神羅万象の世界の中で起こっていることなのです。
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だから、すべてに感謝です。
おかげさま、おかげさまです。
おかげさまというのは、影という文字が入っていますね。
見えないところで、僕たちのために、他の人のために働いてくれているものがある。
そこに思いを馳せるのが、おかげさまという言葉です。
だから、すべてが幸運ですよね。
ラッキーですよね。
嬉しい、嬉しい、楽しい、楽しい、ありがたい、ありがたいですよね。
これからも、このラジオでは、自然から学んだこと、自然が僕に語りかけてきてくれたことを、このように置いていきたいと思います。
今日は、譲徳谷のごとし、そして、自然こそが最上の先生であること、そんなテーマでお話をさせていただきました。
いかがだったでしょうか。
最後まで聞いてくださったあなた、ぜひ、いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
今、僕の目の前を流れている川、川だけ見ていては気がつかないのですが、周りを見渡してみると山に囲まれております。
日本で一番きれいな川と言われているこの水の流れ、それは山と山に挟まれた谷で作られているものなんですね。
この谷の偉大さ、胸に秘めて、今日も生きてまいりたいと思います。
お聞きくださり、ありがとうございました。
お相手は、薬膳師であり、森林インストラクターであるもうちゃりがお送りいたしました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。
欲という漢字は谷を書く、書くと書きます。
谷という気持ちがなくなれば、それはただの欲、我欲、我欲となっていくんですね。
是非、谷であり続けるという言葉を僕は持っていきたいなと思います。
21:02

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