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2025-05-29 43:08

失われた自然体-日本人に伝わっていた呼吸の妙技-

じねん体。身体の感覚を、80年前に置いてきたぼくら。
⏰タイムスタンプ⏰
 自然体とは、技術なんです
 頭や胸に心があるわけじゃないよね
 1945年くらいから失われていった腰とか腹
気をつけ!は海外から入ってきた
 呼吸と大地はひとつなんだ
 忙しい。心をなくすと、呼吸は浅く。
 『鬼滅の刃』大正時代は技としての呼吸がまだあった

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〈これまでのおはなし〉
ザックスレストランを営む主人公ユウは、
謎の少女の声を聞き、
森の中へと入っていった。

森には異変が起こっていた。
次々に倒れる樹。
襲ってくるかずら。

森の精霊、
エノキとイロハモミジに出会ったユウは、
自身が伝説の存在「杜人」の末裔であることを知り、森の奥へと歩みを進めた。

迫り来る怪異たちを振り払い、
見事、大精霊アカガシを救ったユウたち一行は、
旅の疲れを癒すため、「昴宿よこぐら」を目指すのであった・・・・・・。

これは、もしかしたらこれから人類が経験してしまうかもしれない
今からちょっと未来の話。

人は、自然から離れ、そして、自然もまた人から離れてしまった。
都市で起こっている異変、自然界で起こっている異変。
世界の秘密とは。

旅立ち。別れ。そして、森の精霊たちとの不思議な出会い。

自然界は人間を、人間は自然を取り戻すことができるのか。

近未来のオーガニックファンタジー冒険活劇。
森をめぐる冒険が今はじまる。

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サマリー

このエピソードでは、日本古来の自然体や呼吸の技について深く掘り下げています。特に、体の重心に焦点を当て、姿勢や意識の重要性を探求しています。日本人の呼吸の技術とその文化的背景についても考察しており、特に腰腹文化が1945年以降どのように消失していったのか、教育の変化がその影響を与えたことを詳しく説明しています。また、失われた自然体としての呼吸法についても言及されており、伝統的なコシハラ文化が1944年から1945年の敗戦を経て急速に失われ、その影響が現代社会にどう及んでいるのかが探求されています。さらに、鬼滅の刃に引用される日本の伝統的な呼吸法や、こだまくまちプロジェクトについても考察されています。

ナオミさんとのコラボ
おはようございます。こんにちは、こんばんは、こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
今日は1日雨が降っておりまして、室内での仕事をしていたんですけれどね、ずっと座り仕事だったわけですよ。
姿勢をしっかりしなきゃなーなんて思いながらですね、ついつい猫背になってしまうもおちゃんでございますけれども、
本日はですね、昨日の内容を受けての放送になります。
昨日、ナオミさんとコラボライブさせていただきました。
ナオミさんはですね、今、歯科衛生師さんをやらせていて、さらにですね、この健康に関わるお仕事をされているということで、ご興味があるということで、
薬膳をね、たしなまれていたりとか、それからさらに口の中の環境とか、口育っていうんですかね、口の中の教育ということでね、そういった活動もされていると。
さらに最後の方にね、すごく興味深いお話に話題になっていったんですけれども、これはすごいなと思いましたね。
口の中というところから、やっぱり姿勢が大切だよねとか、あと呼吸の話にもなってきたんですよね。
はー、このね、呼吸の話まで話題がいくんだな、及ぶんだなっていうことをね、やはりこう、ナオミさんとお話をさせていただきまして、すごく僕自身、なんていうかですね、感銘を受けたというか思ってたんですね。
呼吸っていうことについて、実はもーちゃん、このですね、大学時代くらいからですね、結構研究を積み重ねてきたことがあったのと、それから今ですね、やはりこの民族学とか人類学とか、またまたいろんな伝承の話をさせていただいておりまして、
このね、呼吸というものや姿勢というものが人に与えてきた文化ですね。この影響とかさ、効果とかさ、なんかこう瞑想するときに呼吸が大事だよねとか、さまざまに言われますけども、そういうことではない角度から、今日お話ししてみたいと思うんですけども、いいですか、話して。
今日のタイトルは失われた自然体、日本人に伝わっていた呼吸の妙技っていうタイトルをつけさせていただきました。実はこの自然体、自然体というこの体の状態っていうのは、実は技なんですね。
この自然、放送が鳴ってる。町内放送がちょっと遠くで鳴ってますけれども、気にせずにお願いします。はい、いやあのですね、田舎に住んでいるとこうやって外からですね、町内放送入ってくるんですよね。今だったらさ、東京とかだったらもう全部が一律でスマホでポンと入ってきて通知入ってきておしまいな気がするんですけど、スマホを持っていないっていう人たちもね、結構いらっしゃるので、田舎はですね、こうやって町内放送。
もう学校かよっていう感じでですね、一斉に育て周知するんですよね。これが田舎クオリティです。なんですけど、この田舎にはですね、もうやっぱり都会では失われてしまったけども、まだ田舎の中では残っているんじゃないかと思われるような、そういった呼吸の妙技だとか、そういった自然体にまつわるそういう技がですね、残っているようにもうちゃんは思うんですね。
ということでね、今日はそんな話をしてみたいと思います。そうそう、自然体っていうのは技なんだっていうことなんですよ。寝てればリラックスしてて自然体なんだとかって言う人もいらっしゃるかもしれませんし、リラックスなんてお茶を飲むとか、そういうことだよとか、なんかね、漫画を読むとか、仕事をせずにいるとか、あとお風呂に入っているとかね、温泉に浸かるとか、そういうことで自然体でいられるんだよとか、人間関係をね、やっぱりこうね、さらに、
さまざまなしがらみがあって、そういうのを取り払ってさあって、そうやって自分がふわっとした状態でいるんだよ。これが自然体なんだよって思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
古来、日本で伝わってきたこの自然体というのは、実はそういうことではないんですね。技なんですね。そしてその技さえ身につければ、いつでもどんな場面でもその自然体、まあ昔の言葉を借りて言うならば自然体とでも言うんでしょうかね。自然というのは自分の外側にあるものではなく、自分の内側にあるものなんだ。
それを自然というふうに言ってきたんだっていうこの話につながっていきます。ちょっと復習をしますと、自然というのはですね、明治時代の後期に向こうの方からね、西洋の方から入ってきた言葉なんですよね。ネイチャーとかナチュレとか、そういう言葉を翻訳するにあたって、じゃあどんな言葉を当てていこうかって言ったときに自然というふうになっていきました。
で、それが高度経済成長期、今からちょうど60年くらい前にですね、こう様々なところで自然という言葉がですね、こうどんどんどんどん入ってきた。自然というのは自分の外側にあるものであって、それは開発する対象であり、コントロールする対象であり、はたまた自分がその中に入っていって癒しをもらっていくような場所なんだっていう、まあこういう話になってきますね。
それからさらにですね、時代を経ていくと環境問題とかね、そういった問題になってきます。そうすると自然保護とかね、自然環境を守ろうとか、自然保全とか環境保全とか、そういう言葉になっていくんですよね。そうなってくると何が起こるかというと、ますます人と自然は切り離されたものであって、人は自然に対して何か働きかけをして、それを守っていかなきゃいけないんだという。
人だって自然の一部なのに、自分は自然の外側にあって、そして自然というものを客観的に見て、これを何とかしてやっていかなきゃいけないね、なんていう話になっていくんですね。
こうしていくうちに自然というものからどんどん離れていって、自然体とか自然体と言われているようなものも自分たちの中からなくなってしまった。この1964年よりももっともっと前、もっともっと昔には実は日本にはこの自然体、自然体というのが実はあったんだよっていう話なんですね。
重心と身体の意識
じゃあこの自然体、今日は自然体と言わず自然体というふうに話をしてみたいと思いますけど、今僕たちが思っている自然体とは全く違ったものが日本には古来からありました。人間の重心はどこにあるのかっていう話から始めていきたいと思います。
人間の重心、何ですか重心って。自分が一番重さの中心って言うんでしょうかね。この重心、人間の重心ってどこにあるんでしょうかね。もちろんこれ寝そべって見たりとかすれば、ここが一番重さがかかっているところなんだなとかってことがわかるかもしれないんですけど、人が常に意識しているところってどこなのかなっていうと、
例えばある人は頭だったりしますね。意識がどんどん明確になっていって、頭でいろんなものを考えていく時っていうのは、人間の重心は頭にあるんですよね。それから胸にある人もいますね。心で考えようなんて言った時に、人は胸に手を当てて考えたりしますよね。
そうすると、自分の心は胸の中にあるんだみたいな感じがあって、胸でものを考えようとしたりしていきます。しかし、古来日本ではですね、もっともっと下の方に重心があったんだということなんですね。
それはおへそよりももっともっと下、この丹田と言われているような場所ですかね。お腹の部分一体に重心があったんだっていうことを言われております。このお腹を常に意識をする。意識をすることがずっとずっとやられてきたことなんですね。
じゃあそれってもうちゃん、そんな証拠あるの?と。人がこうやって歴史じゃないじゃないですか。感覚的な話じゃないですか。そんな証拠どこにあるのって。昔の人がお腹に意識をしていたなんて証拠ってあるの?なんて言われてしまいそうですけれども、ちょっとこの部分保管させていただきますね。
昔から僕たちの言葉の中にはこんなものがありますよね。腹を決めるとか腰を据えるとかですね。こうやって腰とか腹とかこういった下の方に意識をしていくんだっていう言葉はあった。そして切腹なんていうものもありますよね。
これっていうのはお腹を切る腹切りっていうことですけど、なんでお腹だったんでしょうかね。別の場所でもいいじゃないですか。だって心臓で結局なくなるのであれば心臓に腐ってもよかったのかなと思うんですけど、そうじゃなくてやっぱりお腹だったわけですね。
日本人はやはりこのお腹というものに何かが蓄えられていたんだと、何かこうね、気ですかね。エネルギーめいたものがやはりここにあったんだっていうことをやっぱり言われているんですよね。さらにですね、これ結構面白い話だなと思って、もーちゃんはですね、ふむふむと思っていたんですけれども、帯ですね。帯、この腰に巻く帯ってあるじゃないですか。
これはさ、子供の頃って結構胸のあたりに巻いておくんですよね。この胸のあたりに巻いておくということは、やはりフットワークが軽くなっていってですね、様々なところに移動がどんどんできるという感じで、胸のあたりに巻いている帯って何をイメージすればいいかというと、天才バカボンっていう漫画あるじゃないですか。
あのバカボンのパパじゃなくて、バカボンです。あの子供の方がですね、され、紛らわしいよね。あのバカボン、これでいいのだって言っているのがバカボンのパパですよ。で、バカボンはもう胸にね、帯を巻いてるんですよね。で、まあ、そういうまあ歳派のいかない子供はそんな感じなんですけど、だんだんこの帯の位置が下がってくるんですよ。
そして、この腰とかお腹のあたりでグッと帯を締めていくなんていう感じがあって、帯をね、ギュッと締めるとさ、これ柔道技とか剣道技とかもそうだけども、この道技の帯をグッと締めると、なんかこうお腹にフッと力が入るような気がするじゃないですか。で、こういうものがやっぱりあったわけですね。
しかしですね、こういったものがですね、どんどん時代とともに失われていってしまったんだっていうことがあります。で、こうやって地に足つけているというか、腰やお腹のあたりに重心があると何がいいことがあるのかというとですね、どっしりとした構えになるんですね。
昔、日本人って写真で見るとですね、うわ、下半身がしっかりしているなっていうのをですね、気がついていただけるんじゃないかと思います。日本人が世界各国の兵隊さんたちの中でポツンといるようなそんな写真があったりするんですけども、日本人はね、ベラボーに背が低いんですよ。背が低いんだけども、なんかすべての人の名よりもこう、お試合、へ試合したら勝ってしまいそうなぐらい、
足腰がグッとしたしっかりしたような感じ、佇まいになっているんですね。そしてですね、この重心が下に下に下に下にっていうふうに、地に足ついているとですね、これね、すごいんですよね。上がリラックスするんですよね。
つまり、足腰がしっかりグッと地面に根を張っていると、その上がスッとスッと上にポンと置いてあるだけであってですね。こう、よくさ、剣の試合とかで、剣の持っていない師範みたいな人がさ、素手で相手が来るのをじーっと構える。
で、剣を構えている弟子の側がさ、いやーって進むんだけど、でもどこにも打ち込む隙がないみたいなことってよくあるじゃないですか。漫画とかアニメとかそういう世界で。いや、こういうことなんですよね。
お、みのりーたさんこんばんは。今日も興味惹かれるお話です。ありがとうございます。ゆっくりしていってください。みのりーたさんあれですね。カタカナにされたんですね。ありがとうございます。読みやすく読みやすいです。すぐ気が付くことができました。空にゃんこんばんは。ゆっくりしていってください。いつもありがとうございます。
はい、まあそんな感じなんですよね。で、自然体ってのはつまり何なのかっていうと、足腰ちゃんとしっかり地に足つけておいて、ここはね、決してリラックスってわけでもないんです。でも上側、上半身がそこにふっと力の抜けた状態で乗っているっていう状態。これが自然体だったんですね。
腰腹文化の概念
でもこの自然体というのは、今やもう武道の世界とか、そういうところでは手に入りますよね、とか身につけられますよね。それからあと歌舞伎だとかさ、狂言だとか能だとかさ、きっとそういう伝統芸能の世界ではまだ残っているものなんですけど、これっていうのは現代人は手に入れることができないとか、もう触れることができないような感じになっています。
これは一体なぜなのかっていうことなんですよ。いつからそうなっちゃったのっていうことなんですよ。ここなんですよね。これは実際にもう論文も出ていますし、もうちゃんそういう論文もしっかり読んだ上で紹介させていただきますので、なんかこう陰謀論があったんじゃないかとか、そんな風にして聞こえるしまう方もいらっしゃるかもしれませんけれども、まあ聞いてくださいよ。
もうちゃんは実はですね、これの周辺のことを大学時代に卒業論文で書いたっていうことも実はありまして、すごく興味深い文野なんですよね。
いつなくなってしまったのか、そういう文化。これね、腰とか、それからお腹っていうところに意識をするっていう文化。これ文化なんですよ。これね、腰腹文化って言うんですね。腰腹文化です。腰やお腹のことをしっかりと意識して地に足つけてやっていくっていう。
そうすると歩き方も変わっていくし、呼吸の仕方も姿勢も変わっていくし、心構えも変わっていくよねっていうことなんですけど、これを腰腹文化って言うんですね。この腰腹文化がなくなってしまったのはいつなのか。いつだと思いますか。
実はですね、これね、1945年を境になくなってしまった。またどんどん薄れてしまっていったんだっていうことがわかっているんですね。1945年何があったかというと終戦です。
第二次世界大戦で日本が敗戦をするという、こういった局面に日本が立つんですね。それまで腰腹文化というのは、一緒にですね、学校とかではなく、もっとこう家族とかおじいちゃんとかおばあちゃんとかと一緒に過ごす中で、また一緒に農業をする中で、一緒に大工仕事をする中で、さまざまなところで
見て学んでいく、感じ取って学んでいくものだったんですよね。
そうですね、みのりーたさん、素晴らしいです。造りから靴などに変化していったのかな。これもね、実はあります。今からお話しさせていただきますね。さすがですね、みのりーたさん、その見解素晴らしいです。
この1945年を皮切りにですね、何が起こったのかというと、教育がまず変わっていったんですね。これまでおじいちゃんおばあちゃんや、それから家族と一緒に過ごすという時間がまあ結構長かった。そしてその中で一緒に仕事をしていたという時間があったはずなんです。
しかしその時間がどんどん少なくなっていき、学校で大事なことは学ぶっていうようになっていきました。そしてその学校で学ぶということの中にこういうカリキュラムが入ってくるんですね。それが日本のカリキュラムではなく、西洋のカリキュラムが入ってくるんです。
この西洋のカリキュラムというのは体操っていうものもあるんですね。これまでですね、体育の授業というのはありましたよ。そして戦時中なんていうのは、こうね、富国強兵ですね。強い兵隊さんになるためのその体育の授業というものがあったんですけれども、まあこれがですね、この時はまだまだかろうじて腰腹文化というのはあったんでしょう。
しかしですね、外からやってきた体育の中にはいろんなこの海外のですね、体操が入ってくるんですね。例えばスウェーデン体操なんていうものがあったりします。今はラジオ体操が結構さ、主流になっていますけども、当時スウェーデンから入ってきた体操、スウェーデン体操なんていうのがあったりするんですね。それからですね、スポーツの教育がいっぱい入ってきます。
このスポーツというのは日本でずっと培われてきたものではなく、この競技というのは世界から向こうから入ってくるものなんですね。そういうものが入ってくると子どもたちのですね、先生たちの教育スタイルっていうのもどんどん欧米化していきます。それがまずですね、立ち方ですよ。この立ち方です。
気をつけって言われたらどんな風に立ちます?これがね、すごいですよ。膝の裏をピンと伸ばせって言われません?気をつけって言われたらピンと膝の裏をクッと伸ばすっていう感じ。これ三日神って言うんでしたっけね。三日神を伸ばせみたいなことを言われたらしいんですけど、昔は。
これが実は腰腹文化をなくす一番最初のこの教育だったんだっていう風に言われるんですね。古来日本人はこの膝をすごく緩めていたわけですね。地に足つけるっていうのは膝にグッと力を入れるわけじゃない。膝の裏をピンと伸ばすわけではなく、膝をクッと力を抜いていたんですね。
だから古武術とかの走り方を見ているとですね、これはねすごいですよ。もう本当にダランとしてるんですよ。ダランとしていって、体を倒すことによって自然と足が前に出ていく。だからね、これで体重移動でやるので早いんですよね。切り返しとかが早くて。
しかも、砂の上を走っていくと砂が後ろにポンポンポンポン蹴られるのではなく、こうやって走っていくと砂が前に前に前に前に飛んでいくんですよ。これ面白いんですよね。この歩き方走り方って砂が前に飛んでいくんです。これは古来の日本人の歩き方走り方だったんですよね。
教育と西洋の影響
コメント紹介させていただきます。
ミノリータさんありがとうございます。
踏み込む力がなくなってきたのか。
そらにゃん、膝が緩い方がすぐ動けるのにね。
その通りですよ。そうなんですよ。
何でもそうですけど、ピンと伸ばしていくと、ポンと押された時にグラッと行きますよね。
でも、お相撲さんって、構えてる時とかって膝をグッと曲げてるじゃないですか。
あの状態こそが、いろんな風とかさ、誰が押されたいとか衝撃とかさ、そういうものもグッと踏みとどまるような力になっていくんですよね。
ミノリータさん面白いですよね。
こういうのが、実はずっとずっと昔から培われてきた日本の名技としてあったんだっていうことですね。
さらにですね、造理というものがなくなってくるんですね。
今、僕ね、フェイスブックとかを見ていると、昔のですね、暮らしのことが面白いからなのか、そういった写真がいっぱい出てきます。
白黒の写真で、もうね、明治の時代とか大正の時代とか、もう本当に昔のね、なんか写真とか絵が出てくるんですけれども、そういった人たちは造理を履いていたり、裸足だったりするんですよね。
これが、ミノリータさんが先ほどおっしゃってくださったようにですね、靴になっていきますね。
靴になっていくと、靴の底がしっかりとしたものになっていきます。
するとですね、重心はどんどん後ろに倒れていくんですね。
かかとの方が、やっぱりソウル、靴の裏って厚いですよね。
すると歩き方も変わってくるっていうのは、もうこれ月並みな話かもしれませんけども、僕たちはいつもかかと着地をしますよね。
でも裸足で歩くときってかかと着地するとめっちゃ痛いんですよね。
そういうことが起こってくるんですよね。
ジャンプをすると、その場で裸足でジャンプをすると、たぶん着地はつま先からじゃないですか。
これは靴を履いててもそうだと思いますけども。
じゃあなんで走るときだけいつもかかとから着地をするようになっちゃうんでしょうね。
っていうのが実はあるわけですね。
なんですけど、日本人は昔からかかと着地ではなかったっていうこと。
足の裏全体で地面を捉える、むしろこの母子宮とかそういったところでしっかりと親指の付け根とかで捉えていくなんていうことがあって。
地面から砂が前に飛んでいくような感じで歩いていた、走っていたなんていうことが実はあります。
お、そらにゃん、にゃんこは常につま先歩き。
おー、動物に学ぶことありますね。
猫ちゃんたちはそう、猫さんたちそうなんですよね。
常にチーターとかヒョウとかもかかとがものすっごく足が発達しててね、すごく上の方にあるんですよね。
ずっとつま先だよねっていうことをわかります。
あ、みのりーたさんありがとうございます。
だから苗木よりもアシックスなどが日本人の足に合う。
鬼塚タイガーはそこが薄いのはそちらか。
日本人の足に合うように作っていただいているんじゃないかなと思いますね。
確かに今あるシューズブランドとかもそうですよね。
猫ちゃんね、なかなかお金というものを作ることが難しいような仕事になっちゃってるんですけども、
もしお金が今ですね、ガンと入ってきて何が欲しいって言われたら、靴底が薄い靴が欲しいって思ってます。
狙ってるのがもう2万円くらい。
2万円くらいのやつなんですけど、なぜか靴底が薄い靴の方が今高い。
おーなるほど、本当にそらにゃんねん、みのりーたさんの言ってることね、おっしゃってること、なるほどと頷けますよね。
そんな感じがあります。
だからやっぱりこう、人が本来歩き方をやるって時には裸足に近いというか、
靴底が薄い方が実はいいんじゃないのっていうのは、ベアフットランニングっていうのが流行った時からも言われてますよね。
ベアフット、裸足っていう意味ですけども、裸足のランニング。
でも裸足っていうのはやっぱり靴履いてないと危ないから、すごく薄くて裸足のような感覚で走れる靴っていうのがやはりこのスポーツ界の中にはあるんですよね。
そして猫ちゃんは今はですね、別の理由で薄い靴が欲しいんですけど、やっぱり地面の踏むとですね、
その地面の健康状態などが分かってくるんですね。
なんかここの土はいいなとか、硬くてちょっとこの土苦しそうだなみたいなことも分かってくるので、そういう意味でも靴底の薄い靴が欲しいなって思ってます。
現代の姿勢と呼吸
余談でした。
こんな感じですね。
実は日本人の姿勢っていうのはどんどんどんどん欧米化していっているっていうことなんですね。
そして教育はさらに加速をしていきます。
欧米化がどんどん進んでいくとですね、もう誰もお腹とか腰にですね、こう注意を向けるなんていうことはなくなってきます。
何が起こってくるのかっていうと、頭なんですね。
いかに効率よくとか、いかにこう知識を多く蓄えていくかとか、いかに早く問題を効率よく解くかとか、そういうことに教育の方もどんどん展開を進めていきます。
するとですね、あの時腰とか腹とか、しかもそれをねじっくりと時間をかけて、お父さんやお母さんとか、あとおじいちゃんやおばあちゃんから学んできた、地域の人たちから学んできた、そういう文化というものはどんどん失われていき、
今、頭でものを考えるっていうことがすごく大事だとか、あとすぐに即断即決してやっていくんだっていうことが大事だとか、まあ様々に言われますけど、結構こう決定するとかっていうことをお腹で考える感じ取るのではなく、もう胸から上でやっちゃっているようなところがあるように思いますよね。
企業様とコラボ作れそうですね、本当にそうですね、地面大地を感じることができる靴とかね、そういうのもね、開発ができたらいいなと思って、もうちゃんが一番履きたい。
でもいいかもしれませんね、小玉小町プロジェクトがもうちょっと大きくなっていったら、森人というですね、森の中に入っていく人たちの話になっていくわけですけれども、こういった人たちが履いているシューズっていうものを企業と開発する、これは面白いかもしれません。
ダイチックス、なるほど、みのりーたさんうまいね、ダイチックスいいっすね、これはありですね、こうやってずっと使っていけるものっていうのをさ、やっぱり作っていきたいなって思う次第です。
面白いありがとうございます、いいアイディアをいただきました、ダイチックスいいですね。
呼吸と大地のつながり
このハラっていうのはさ、漢字で書くとさ、月辺に肉付き、肉付きに服ね、複数の服の右側を書いたりするんですけど、昔は月辺に土って書いてハラって呼んでたんですよね。
月辺に土って書いてハラって呼んでた。このハラっていうのはさ、やっぱり地面に足をつけるというかさ、地面とそれから繋がっている、お腹は繋がっているっていうことを意味していたんじゃないかなって僕は思うんですよね。
ここまでどうでしたか、結構お話をさせていただきましたけれども、ここから呼吸の話に少しずつなっていくんですけどもね。
もうちゃんはですね、学校の教員をしていたことがありました。で、その時にとにかく落ち着きがないお子さんっていうのがおりました。
もうね、人の話を聞くというこの、なんていうか忍耐力っていうものもまあなくですね、忍耐っていう言葉をあえて使ってますけども、本当にそうなんですよね。
自分のやりたいことだけやれればいいやとか、そういうことにポンとなってしまったりとか、授業中に座っていることができなかったりとか、すぐにカーッとなって人に手を挙げてしまうとか、ずっと走り回っているとか、そういうお子さんがおりました。
で、こういったお子さんをですね、僕は落ち着かせたいと思った時に、どうするのかっていうと、実はハグをするんですね。でもハグをするっていうのも対面でハグをするのではなく、僕のですね、膝の上にその子を乗せて、それでちょっとこう抱きしめるというか、こういう形を取るんですね。
そうするとですね、その子と同じ目線で、同じ方向、同じ景色を向いてお話ができるっていうようなことがあるのが一つ。それからもう一つはですね、人って包み込まれているものの影響を絶えず受けていると思いますね。
例えばですね、今日僕は雨が降っている中でお話をしていますけど、雨が降るとすごく具合が悪くなるんだとか、具合が良くなるんだという人も逆にいるかもしれませんけど、そうやって人は天気の影響を受けますよねとかとか、やっぱり森の中に入っているとすごく心地よくなるんですよねとかとかね。
ライブ会場に行くとすごくこう、なんかエキサイティングな気持ちになっていくんだよねとかとか、本当に本当にそういうことがあって、ありがとうございます。
まるで大木のようですね。素敵、嬉しいです。大木のように行きたいなって思っておりますのでね。
そらにゃんも前そんなことをおっしゃってましたよね。木のように行きたいっていうことをおっしゃってたような気がしました。
シンクロですね。そう、そうして包み込むときに自分自身が深い呼吸ができていたりとか、落ち着いた雰囲気でいられると、その子も落ち着いていけるんですよね。
教育現場の問題
つまり子供は同調する力があると。子供だけじゃないですよね。人っていうのはそうやって、同調っていうんでしょうかね。同調圧力みたいな言葉があるからちょっと嫌なんですけども。
同じようにつながり合うことができるっていう、そういうことがあって、そのときに子供を乗せたときにわかるのは、その子のまず心拍数です。
心拍数がものすごく早いんですね。トントントントントントンってものすごい早くって。子供っていうのは大人よりも心拍数は早いものなんですけど、それにしたって早いでしょと。
今走り回ってたから早いとかそういうレベルじゃないくらいの感じで早い。そしてその子の呼吸も早いんですね。ものすごく早くって。
ああ、これはなんかこんだけ動いてる子なのに三欠じゃん。もう苦しい苦しいって言ってるようなもんじゃんと。そしたらもっともっと動きたいよねとか、そんな感じで思っていくんですね。
だから呼吸を自分自身、僕自身の方が整えることによって、その子の呼吸が少しずつ落ち着いていくんですね。するとその子がしっかりと落ち着いて話が聞ける状態にまでなっていくっていうようなことがありました。
懐かしい話ですね。なんていうことがあってですね。毛ちゃんは結構この信憑性のある話かなと思っているんですけども、呼吸が落ち着くと逆にこの心拍数っていうものも落ち着いてくるんだよっていうことなんです。呼吸を胸よりも上でしている人って結構いると思うんですね。
今、毛ちゃんも話をしていて呼吸をお腹まで、腹式呼吸ってよく言いますよね。グーッと掘り下げてですね、全身に空気を入れていくなんていうことってなかなか喋りながらできないんですけど、毛ちゃんは。でもね、これは子供たちの中では落ち着かない子供ってのは本当に胸から腕上で呼吸をずっとずっとし続けているようなものなんですよ。
で、そういった時に限ってですよ、学校でどんな授業が行われているかとか教育が行われているかって言うと、問題をとにかく時計とか勉強しっかりして、何かこう言うことを聞かせるとか頭で聞かせるみたいな気持ちに訴えかけるみたいじゃなくて、もうね、学校という現場、教育現場がもう余裕がなくなってゆとりがなくなっていたりとかして、子供たちを取り巻く環境がもう本当に忙しかったりとかしているんですよね。
で、そういった感じで子供たちはですね、もう習い事とかの嵐ですから、スケジュールパンパンになって、それで学校に来てる。そしたらもう腰腹文化とか言ってる場合じゃないですよね。
もうどうやって効率よくこのスケジュールをこなそうかとか、どうやって先生に気に入られようかとか、そういうふうに頭でものを考えていくようになっていきますね。
そりゃ、そこまで見てくれる先生には出会えなかったなと泣きまく。
いやいや、もうちゃんもですね、本当にね、難しい時いっぱいあります。本当に。
だって子供たちがこうやってザワザワしちゃっているっていうことは、僕にも責任がめちゃくちゃあるんですよね。
僕よく言われたのが、もうちゃん先生さ、しっとりした時間を作りなさいよっていうのを結構上司から言われておりました。
もうちゃん結構イケイケどんどんな教員でもあったので、もっと地に足ついたようなものをやりたいなと思いつつもですね。
授業時間40分、たった40分一コマで何か価値のあることを子供たちに持って帰ってもらわなきゃいけないなということを思うとですね。
もうね、忙しくて忙しくて自分自身が深い呼吸ができてなかった時がいっぱいあったんだなということを思いますよ。
本当に反省の嵐で今話ができているんですけども。
だけど、そういった子供一人一人と話をするときはできる限りね、もうちゃんも流行る気持ちを抑えながら話をしっとりとしていったなということを思っております。
はいはい、そうなんですそうなんです。
プッシュではなく、プルっていうことですよね。
このしっとりとした時間、話聞きたくなっちゃう、思わず引き込まれちゃうみたいなことだったりとかって、
初めはその人に合わせていくっていうところから入っていくと僕は思っているんですね。
それから自分自身の呼吸をどんどん落ち着かせていって、その先生のなんか素敵な雰囲気、その相手の素敵な雰囲気に引き込まれていくみたいなところがあると思うんですよね。
嬉しいです。ありがとうございます。
そう思うとこのスタンドFMとかっていうのもそうですよね。
話している内容云々もそうだけれども、その人の呼吸遣い、息遣い、言葉遣い、雰囲気醸し出されている人間性というものにグッと引き込まれていくっていうことがあるようにも思いますね。
そこで呼吸という話になっていくんですけど、この呼吸っていうものをですね、ずっと下の方でやっていくっていうことが大事だと。
下の方っていうのは肺で止めるのではなく、お腹の方にまで空気を入れていく気持ち。
お腹の方で止まるんじゃなくて、できればこの足の先までっていうイメージ、空気を足の先まで入れていくんだっていうイメージを持って呼吸をしていくんだっていうことが実はすごく大切なんですね。
日本の職人さんってすげえなっていうのがあって、例えば大工さんが鉋を使ってシュッと、シュッと鉋で板を削っていくっていう、そういう作業があるじゃないですか。
あの時に職人さんの本当に素晴らしい素敵な方は呼吸を止めるんだそうなんですけども、この呼吸を止めるっていうのは、うって止める、うって止めるのではなくですね、お腹の方に呼吸を入れて、そこでうっていう感じではなく、この呼吸を吸って吐く、吸って吐く時にちょっと空白ができますよね。
この空白の時間で、スッと鉋を削るんだそうです。わかるかな。吸ってじゃないか、吐いてかな。吸ってでも吐いてでもいいんですけども、吸っても吐いても同じように空白ができるじゃないですか。
その時にクッと止めるんじゃなくて、そこの時にお腹の中に空気を溜めた感じで気を溜めたってことですね。これがエネルギーを溜めた状態でスッと鉋を引く。そうするとスッとまっすぐ引くことができるよと。これは他にも線を引く作業だったりとか。
何でもそうなんですね。織物をするとか、そういう時にも呼吸っていうのが大切になってきます。空にゃんは絵を描いている時、どんな息遣い、呼吸遣いで描かれていますかっていうこともちょっと聞いてみたくなります。
そうなんですよね。だからもう頭で考えて描くとかそういうことをしていると、やっぱり胸のあたりで呼吸が止まってしまうっていうことがあって、こんなの酸欠になっちゃうよねみたいなところがあるんですけど、本当に職人さんたちは第一に目を張るが如く足のつま先まで空気を入れていくっていうようなことをやっています。
お、空にゃんありがとうございます。猫ちゃんのおひげを描くときは息止めてます。いいっすね。多分その猫ちゃんのおひげは空にゃんにとってすごく猫の部位の中でも特別なものなんでしょうかね。
もしくはその猫ちゃんにとってやっぱりひげって大事なものなんですかね。なんかそんな感じがしますよね。ありがとうございます。教えていただいて。そんな感じです。胸で止めるのではなくお腹で止めて、それで線を引いていたんだよっていうことが言われています。線を引いたり鉋を削っていたんだよっていうことを言われていますね。
はい、ということがあって、今日本人がとにかくAIも普及してさって言ったらもうすごく月並みな話になっちゃうんですけども、生産量がどんどん上がっていくような時代になっていって、もっともっとできる、もっとやれるっていうような感じになっているような気がするんですけど、実は日本には失われたこのコシハラ文化というものがずっとずっとあって、それは1944年に、
日本人の自然体
1945年の敗戦を機にどんどん急激に失われてしまったそんな文化で、それによって日本は高度経済成長を迎えるようになりっていうようなこともあるんですけども、大地と離れ、呼吸と離れ、腰と離れ、そして今は胸とか頭で考えていくっていうようなことにどんどんなっているというようなことを今日はお話をさせていただきました。いかがだったでしょうか。
最後まで聞いてくださったら、ぜひ、いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。どうでしたか。
今日は、失われた自然体という話をさせていただきましたけども、昔は自然体とでも言ったのかなと思います。やはりこう思うと、日本人は古来から自然というものは知らなくて、あったのは自分の中にある自然というものだったんでしょうね。
この自然というものを大事にしながら生きていたからこそ、自然体、自然体でいることができて力を抜いて、力強そうに見えるんだけど、力を抜いてリラックスして生きていけた。そしてあらゆるものの対処がすごく早かったし、手先もすごく器用にいることができたのではないかなと思いました。
ありがとうございました。
ミノリタさんありがとうございます。
今日もこのテーマからここまで話がつながるのかと楽しい時間になりました。
嬉しいです。
本当に嬉しいです。
この呼吸っていうのを、もうちゃん結構大事にして物語を作っているんですけども、こだまくまちプロジェクトの物語、世界観を作っているんですけども、先にやられたと思ったのが鬼滅の刃ですね。
鬼滅の刃では呼吸の話ですよね。
あの時代って大正時代の話かな?
多分大正ロマンの話ですよね。
だからその時代っていうのはまだまだその呼吸、火の呼吸、水の呼吸とかね、あれはあったでしょうね。
なんてことを思っております。
メールマガジンの案内
明日ですね、金曜日ですね。
明日にはこだまこまちプロジェクトのメールマガジンの第2話ですね。
2話って言って別に繋がっちゃいないんですけども、2回目の配信をしてみたいなと思いますので、もしよろしければこだまこまちプロジェクトのメールマガジンのご登録をいただけたら嬉しいなと思っております。
どなた様もご登録いただけます。
完全無料でいつでも配信停止できますからね。
はい、ということでお時間をいただきありがとうございました。
お相手はこだまこまちプロジェクトのもうちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。
今日聞いてくださったのはそらにゃんとみにょりーたさん。
コメントありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
ワクワクな時間をありがとうございました。
こちらこそです。
またよろしくお願いいたします。
あなたとあなたの大切な人に森の精霊のご加護が訪れますように。
43:08

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