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おはようございます。こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
2月16日日曜日の夕方に収録をしております。
いかがお過ごしでしょうか。
今日はね、僕は街の全体の運動会、これをスタッフとしてやらせていただいてきました。
その場所には100人くらいの子どもたち、そして大人たち、総勢100名。
100名ですよ、すごいね。よく集まったよね。
この街で100名集めるって大したもんだ。
そんな大にぎやかな、そんな言葉あるのかな。
すごくにぎやかな、そんな場所に立ち会うことができました。
いい時間だったなと思います。
今、なんでこんなことをしなくてはならないのか。
僕たちね、これ社会教育っていう文脈でやっているんです。
社会教育っていうのは、学校教育よりももっともっと広い文脈の教育の話なんですね。
それは、社会人の方も含めてみんなで何か楽しい時間を過ごす。
また、そこで体を動かすことによって健康っていうか、保たれたり促進されるとかね。
それからやっぱり人と交流し合うことによっていただくことができる元気、活力。
そんな源を作っていくっていうこともあります。
その他にもね、やっぱり人と人が触れ合うことによって学び合うっていうこともあるでしょう。
こんな感じでね、社会教育っていう文脈は非常に広いんですけれど、
僕自身、もーちゃんは3年間、本当にこの高知県に東京から移住をしてきて3年間、
社会教育という立場で関わらせていただいてきたんですね。
今、この都会だけじゃなくて田舎でも問題になっていることの一つはね、寂しいっていうことなんですよ。
一人一人の心と心が何だか繋がり合わない。そんな気がするんですね。
都会はもうね、人がたくさんいるけど、でもなんだか寂しさを感じるわけでしょ。
田舎はね、心と心の距離は近いような気がするんですよ。何でも。
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でも、物理的に人がいなくなっていって、ご近所付き合いをする心はあっても、する相手がいなくなる。
こんなことがあるんですね。
この前ね、田んぼをしてた時に、こんな話を聞いたんですけど、地域の方が言うんですよ。
僕の師匠なんですけど言うんですよね。
昔はなーって、収穫の時期になれば、自分の田んぼをほったらかしてでも、人の田んぼを手伝いに行ったもんだよ。
収穫っていうのは、一気にやりきることが大事だから、先に実って収穫が今だっていう時のタイミングで、
全員が自分の田んぼではなく、その人の田んぼのところを手伝いに行くんだよって、おっしゃってくださったんです。
すごいよね。
それでね、また手伝ってくれた人の田んぼの収穫時期になれば、そこに行って収穫のお手伝いをするんだって。
そこでね、みんなが顔を合わせて、おもてなしをするんですって。
今日は手伝ってくれてありがとうなって、お弁当とかを出すんですって。
その時に顔と顔を合わせて、お互いの連絡を取り合う。
最近どう?そういえばあの人見ないけど、最近どうしてるかね?とか、そういうことを情報交換し合うんだそうです。
そういえば山のあの川がちょっと溢れそうだなとかね、日上がってるなっていう自然環境の話まで、こうやって情報交換をしていったらしいんですね。
これを漢字一文字で言うと、結ぶと書いてゆいと言うんですね。
昔はこういったゆい、ゆるい、ゆるいんだけどちょっと深みがあるような結ばれ方っていうものがいっぱいあったんですよね。
でも田舎は、ご近所付き合いを大切にしながらも、もうね、物理的に人がいないっていうことで、こうやってイベントをわざわざ新しくくわ立てたりとかしてね、
そこにみんなに参加をしてもらって、ああ元気いいわっていう感じでね、具合を良くなるなっていう感じでね、楽しんでいただくっていう時間をとるわけでございます。
さて、今日はね、そんな自然と人との関わりっていうものの話になっていくのかなと思います。
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もしよろしければ聞いていただけたらなって思います。
この番組は、自然の中で育ち、自然の色の卵があることを知ってほしい。
静岡県から日本の生産量たった1%の卵を届ける。
卵嫌いも大丈夫な卵を届ける。
そんな、お山の農園ホーミルさんを応援しております。
ホーミルさん、いつもありがとうございます。
多分ね、ホーミルさんは、鶏さんや卵一つ一つのことを物として見ていない人なんだと思うんです。
これね、鶏は生き物じゃないですか。
だから、その中には感情があると、僕たちは想像を、思いを馳せることができますよね。
鶏の気持ちになると、なんかちゃんとお散歩させてあげたいなとか、自由に動き回れるようにさせてあげたいなとか、
お腹が空いたら嫌だろうなとか、そうやって動物に思いを馳せることができるじゃないですか。
卵ってどうですか?生き物だと思います?それとも物だと思います?
ここなんですよね、僕たちの別れ目っていうのはさ。
卵一つ、あ、割れちゃった、スーパーで買ってさ、持って帰る途中で割れちゃったとかってあったりするじゃないですか。
その卵をどうします?捨ててしまう人もいると思うんですよね。
むしろ衛生面的には、この卵は破棄した方がいいんじゃないかということになるんだと思うんですよ。
でも、何とかして、その割れてしまった卵を何とかして、お家でもう一回使おうって思う、その気持ちの奥底には何があるんでしょうね。
それは卵一つをきっと物として見てない、ただの物として見てない、それがあるように思いますね。
僕たちはその卵一つとってもこうやって見方が変わっていくものだと思うんです。
僕はね、家の庭先で家庭菜園というものをさせていただいているんですね。
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畑をやるっていうのはさ、どうすればしっかりと野菜が実るだろうか、すごく考えるんですね。
自然の恵みのものであるはずなのに、それを何とかコントロールしようとして、たくさんの収穫できますようにということを祈るものなんですね。
そしてそのための工夫を僕たちは惜しみなくやっていくんですね。
畑っていうものはそういうものですね。
ここでね、先ほどの卵のお話のようにです。
その野菜を作る、畑で野菜を作ること、これをね、別れ目に立たせる、そんな言葉があるんですよ。
その言葉はね、作物っていう言葉です。
作物、作られたものです。
人は畑で作業をする、その時にさ、野菜を植えるんですよ。
これって植物ですよね。
そういうものは人はなんとなく生き物だと思って植える、庭園をしていくと思うんです。
でもなぜ畑になった途端にそれを作物と呼んでしまうんでしょうか。
それを、もう、何か自然のものというよりも作られたもの、作るもの、誰がその守護はきっと人なのではないかと思うんですよね。
自然に作られたものを作物なんてよく言うと、自然のものといえば人が作るものといえば、
自然に作られたものを作物なんて いうふうにはきっと呼ばないんですよ
呼ばないですよね 僕たちは本当は植物を育てている
はずなのに それを作物と言い換えることによって
何かそこに自然の命というもの を見ないようにしてしまっている
のではないか むしろ見えなくなってしまっている
のではないかとふと思ったんですね 猛ちゃんは野菜を育てていて実ったら
すごく嬉しいんですよ けどいつもちょっとためらいがあるんです
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それはその作物を収穫することです その収穫をする作物っていうのは
人生の中で言うならば今が青春の時期 そんな時期なんですよね
青春の時期っていうのは青年期 っていう感じでしょうかね
そういった今を謳歌する一番体力 があるそんな体力がいっぱいある
よっていうその時期に実は野菜 たちの命を収穫していただくん
ですね トマトを一つ収穫するのもジャガイモ
を掘るのも茄子を摂るのもキャベツ を摂るのも白菜もモロヘイヤも
何もかも僕がこれまで育てさせて いただいてきたものは全部育ったん
ですけど収穫をする時に僕はため らっちゃうんです
どうしても作物というふうに見る ことができないんですね
それは生きているものだと思った からです
震えるハサミ テキカマサミという果実を収穫
するためのハサミを右手に持って その葉の部分をね植物のヘタの
部分収穫する部分に当てるんですよ 震えるんです手が本当に今収穫
してよいのかなって だからもうちゃんいつもやって
しまいがちなのは今が食べ頃っていう のを逃しちゃうんですよね手が
震えていやまだまだこのお野菜 に生きてて欲しいって思ってさ
そのまんまにしちゃうんです そしたらさ他の動物に食べられて
しまうこともあるし虫が食べて いってしまうこともあるしはた
また大きくなりすぎちゃって実が 割れてしまうっていうこともあった
りとかしてその割れたところから 種がはじけ飛んでさそれでその
種がまたどっかに着地してまた 芽生えてきたりとかするんですけ
どまあ野菜一個収穫するのもなんだか ためらってしまうそんなもうちゃん
なんです でも僕野菜作り屋さんとしては
ねもしかしたらちょっと効率悪い よとかねそんなんじゃ仕事にならない
よって言われるかもしれません けれど僕はその目の前にあるお野菜
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たちが生きているっていうこと を忘れてはいないよっていうこと
は事実だと思うんですねもちろん お野菜農家をされているねお野菜
作りをされている方々がそういう 気持ちを持ってないっていうわけ
では決してありませんよね ただもうちゃんはお野菜農家さん
としてはちょっとセンスはねちょっと 難しいのかもしれませんでもなんだか
そこにためらいを感じられるっていう のは野菜を生き物だという風に
まだ思えている自分がいるんだろう なって思うんですきっとこの気持ち
がなくなった瞬間にできてしまう ものがいっぱいあると思うんです
それはどんどん人の都合で収穫 をしていくことだけじゃなくて
その畑をどんどん耕してしまう っていうことです実は畑を耕す
っていうことはいいこともあります もちろんいいことなんですが本当に
ミクロな視点で見るとです土の中に 生きている生き物たちの住処を
住処をひっくり返してしまうこと にもなるんですねもうちゃんは
草を刈るとき畑とか道とか草を 刈るとき気をつけていることが
あるんですねそれはゆっくり草を 刈っていくっていうことと刈りすぎ
ないということです草を刈っていく ときに早くやりすぎるとその中に
いる虫さんたちやそういったもの たちが逃げる準備ができないでしょ
だからゆっくりゆっくりゆっくり 仕上げていきますそして草を根っこ
ごとグワッと引っこ抜いてしまう ような草取りをしてしまうとそこ
はそうですね大地にとってちょっと 過酷な環境になっちゃうんですね
日光が直接当たったりそれから 雨が直接当たって地面を叩いて
固い地面を作り上げてしまったり しますだからフワッと草を刈って
いくっていうことも忘れたくない ことなんですねこんな風にもうちゃん
は姿勢と付き合っていますそして できる限りですね僕がデザイン
をしないっていうことを心がけて いるんですね景観風景そういった
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ものはどうやって出来上がって いくものなのでしょうか人が作って
いくものもあるだろうしそれから 自然が織りなす景色もあるだろう
しそういったものが一緒になって 融合されていくっていうことも
あるでしょうただこれは僕の感覚 なんですが山の中に突如として
現れるコンクリートの建造物はなんだか そこにはすごくなんかこう違和感
を感じるっていうことがあるんですよ ねそれは自然を手入れをしていった
人間というものの姿ではなく人が 自然をコントロールしようとして
作ったものだからですそんな景色 を遠くから見るともうちゃんはね
少なくとももうちゃんはそれは なんだか違和感を感じざるを得ない
ものなんですよねそうではない やはり人ができることっていう
のは自然をコントロールすること ではなく自然の力を自分の力が
どこまで及ぶかはわからないけど 力添えをしてそして自然が赴く
ままに成長してもらうっていうこと ですねどうしてもねもうちゃんこう
いった仕事を自然のお医者さんの お仕事させていただきますから
人間の活動の都合で自然に折り合い をつけてもらうどころか手を引
いてもらう木をバサッと切らなきゃ いけないとかそういうことって
あるんですけれどそういうふうに 判断を下されてしまうこともあるん
ですけどでもやっぱり自然っていう ものは僕たちがどうこうできる
ものではないそんな大らかさを 持っていると僕は思っています
昨日ですねもうちゃん野球を見に 行ったんですよその野球を見ている
時に僕は野球の試合よりも気になって しまったものがあったんですね
それはねスタンド席のねこれ外の 球場だったんですけど外の席の
ところに木の枝がボーンと落ちて いたんですよその枝が結構太かった
んですよね何の枝かなと思って その落ちた枝には葉っぱが一枚
もくっついてなかったので分から なかったんですがそのすぐ上を
見てみるとあそこから落ちたんだ なっていうことが分かりました
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その木にはまだ葉っぱがいっぱい ついていてその木のね葉っぱを
ちょっとこういただいてみたんですね 葉っぱを見たら大体の木の名前は
分かっていきますあこの木はクス の木だなっていうことが分かったん
ですねクスの木ってご存知でしょうか 実はクスの木ってご神木になる
ことも多いようなどっしりと構 えた木なんですよねすごく太く
なってねオーグスなんていう風に 言われるのがもしかしたら地域
によってあるかもしれませんそんな クスの木ね香りがですねすごく
独特なんですよなんかね嫌いな 人もいるでしょうね僕は大好き
だったけどねクスの木の香りって ねすごくね独特なものがあって
僕は心が和らぐんですねそんな クスの木って昔はですねこれ飛鳥
時代あたりのことなんですけど クスの木は仏像の材料になった
って言うんですねこのクスの木 をどんどんどんどん削っていって
そして仏像を一体作っていくなんて いう歴史があって人とのね関係
が深いものですまあこんなものは 調べたらいくらでも出てくるんです
けどもーちゃんがね思ったのは このクスの木が生えている場所
ですこれはスタンド席のところに 生えていたんですねいるんですね
このクスの木っていうのはずっと ずっと何千人もきっと何万人も
の人をここで見守ってきたんだろう なとそして野球を見続けてきたん
だろうなっていうことに思いを馳 せてしまったんですねこの木は
ずーっとここにいて野球を見て きたんだなって僕が住んでいる
町にはですねプロのリーグがあって そのプロのリーグの野球選手たち
の本拠地になっているんですね 高知県のねまあそんな場所なんですけど
そのプロのたちのね練習風景を 見たり少年野球の風景も見たり
草野球のねチームたちのね練習 や試合もずっとずっと見続けて
きたそんなクスの木なんだなあ っていうことが分かりました
もーちゃんはそのクスの木のことが 大好きになったのねもう一目見て
さあこんなにも野球を見続けて きたねいろんなドラマを見続けて
きた真っ白なユニフォームをさ泥 たらけになるそんな風景をずっと
見守ってきた木って他にあるだろう かって思いましたなかなかないん
じゃないかなって思いました その太い枝がポキッと折れて自然
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に落ちていたんですがその木をね 僕は家に連れて帰ることにしました
このクスの木にあってなんだか すごく愛着が湧いたんですね本来
であればそのクスの木の根元に そっと置いておいてねそれがその
うち朽ちて土に帰っていくっていう のが本来なんだと思うんですただ
もーちゃんはねちょっとだけこの クスの木からクスの木さんから
クスの木さんの命っていうものの 形を作ってみたいなって思ったん
ですそこで家に帰ってねそのクス の木の枝をパカンと半分に割って
みたんですそしたらね赤い線が入って たんですよストライプの綺麗な
線が入ってたんですねこうやってね 割ってみて初めて分かることって
あるんですよ木ってきっとね僕たち 木製のクスの木を割ってみたんです
木の製品をどっかで買うとかになった 時には木目がビシッと揃っている
ものを買うとかねしっかりと角の 取れたものを買うとかね絶対に
穴ぼくが空いているものは買わない とかねそんなものはないんですよ
ね工業製品って全部が菌質化されて さ慣らされてしまうのでね何とも
その木の個性っていうものが分からなく なってしまうどころかその木が
どこから取れたものなのかも分からない そんなものになるんじゃないですか
おそらくその工場の中には様々な ところから集められた木があって
全く同じ規格に全部切られてしまって そしてそれを組み合わすことによって
何かが作られていくということで 木には変わりないんですけどね
木には違いないんですけれども そこに僕たちはその木の命っていう
ものストーリーっていうものを 見出すことができるでしょうか
この工業製品に命を見出すことが できるだろうかっていうことなん
ですね 僕は木製の家具とかめちゃくちゃ
好きなんですけれども家にもね 僕のパートナーがもう大好きで
食器棚から何から何まで全部木で 作られているようなそんな家に
今住んでいるんです 木じゃないのは冷蔵庫ぐらいなん
じゃないかなっていうぐらいそれ ぐらい全部木になっているんです
けれど ただそうやって工業製品として作ら
れていてですね 木のもうべったりニスが塗られた
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りとかしているような木に木製 の製品に僕はなかなか命を感じる
ことができなくてね でもうちの中にある家具たちは
そうじゃないんですよどうもね 古道具っていってそれを誰かが
使っていたその何か体温がまだ そこに残っているような感じが
するんですよね 木のただのこの何丸太というか
霧株みたいなですね そういう椅子もあるんですけど
なんかねそこもね木の節とかが 残っていたりとかしてこの木が
生きていた証がここに刻まれている なあっていうことが分かるんです
年齢がそのまんま見えるような そんなですね木の椅子とかがあったり
します もうちゃんはね連れて帰ったその
クスノキの枝これを割ってみてやっぱり このクスノキの枝は他のどことも
違う命がここにあるんだなあって いうことを思ったんですね
そしてもうちゃんはナイフを取り出しました そしてそのナイフを使って
少しずつ少しずつサッサッサと そのクスノキの枝を削っていったんです
一削り二削り三削り 削っていくごとにね
その新しく現れる断面からいい香りがするんですよ
クスノキのすっごいいい香りがするんですよ このクスノキの香りっていうのは
いわゆる寒風剤って言うんですけどもね その寒風剤に使われるような成分が取れる
らしくってつまり薬の原料にもなるような ものらしいんですよね
いやもう本当にね いい香りがするんですよ
削ったら削ったらどんどんどんどんいい香りがしていきます その香りっていうのは目には見えないんだけど
でも僕たちは鼻で感じることができるものなんですよね 目には見えない細かな粒子が
空気中に一削り一削りしていくごとに 放たれていきます
この木の中に詰まっていた命が この空気中に解き放たれていくような気がしました
そしてその一部をモウちゃんは鼻から吸い込んでいったんですね すごくいい気持ちになりました
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このクスノキさんが自分の体の中に入ってくるのを感じました 癒されたすごく癒された気持ちいいなって思いました
そしてモウちゃんはさらにこれを削っていきました そして
僕はお箸を作ったんです
クスノキで箸を削り出したんですね 昔の人はこうやって自分の生活で使うものは
自分で作っていったっていうふうに言われます 今あなたの
目の前にある背景に映っている写真がこの僕が作り出したお箸の1本目です まだ1本しか作れてません
もう1本作ろうと今から思っているんですけどね よく見ていただくと
このお箸ね なんか
おかしくないですか 箸ってまっすぐ
スッといっていてなんか箸じゃないですか でも持ち手の部分ちょっと太くなっている部分になんかこう穴ぼこが開いているような
感じがしません これね
そのクスノキさんを割ったら出てきた部分なんですよ これおそらくなんか節があったのかね
枝のところからまたさらに枝が出ている部分だったんだろうなと思うんですけど そこが穴が開いていたんですね
その穴をこの箸に入れ込みました このデザイン好きですかどうですか
もうちゃんはこれぞまさにこの木が生きた証っていうのをここに入れ込んだっていうことなのかなと思ったんです やろうと思えばこの節も全部取り除いてめっちゃくちゃ
いわゆるまっすぐな綺麗な箸も作ることができたと思うんです だけどもうちゃんはこのずっとね
野球を見続けてきたね僕はここに人格を見出したんですけどね この木にねそのさ
元気なみんながスポーツする姿をずっと見てきたこの木の生きた証をどこかに残したい って思った
そうしたらそのストーリーがさ見えて取れるようなそんな どこかデザインデザインではないですよねこれは僕がしたわけじゃなくて
くすの木さんがただそこにたまたま穴を開けてたわけですよ その穴を取り入れて作ることをしようと思ったんですよね
もうちゃんがデザインをしたわけではなくてただそこにあるものを生かさせていただいたっていう ただそれだけです
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こんな風にですね 台風を一振りするごとにもうちゃんはそのくすの木さんとの命を
通わせることができたような気がしました 何が今日言いたいのかっていうとよくわかんないんですけどでももしここのね
そうですね着地点をつけるとするならばですね まあ僕はこう思ったんですね本当にこう自然というものは自分がコントロールする
ことができないものなんだよねっていうことです そしてその自然というものへの命というものがあると植物は生きているんだって
いうことこういうふうに思えているうちは僕の中にちゃんと自然があるということです しかし木は別に生きてないよって思った瞬間に木はただの障害物になり下がる
それを切ってしまったらいいじゃんとかそういうことになってしまいます 駐車場を作るから引っこ抜こうよってなってしまいます
こういうことが起こっていくんですよね きっとその境目っていうのはその植物が生きているって思えるかどうかっていうことなんだと思います
前に僕もこの放送でお話をさせていただいたんですが 駐車場を作るからその周りにある木をどうするかっていう話になったんです
その植物たちその木たちはねすごくもう弱っていたんですね 傷んでいたんですよねもうボロボロに朽ち果てていこうとしているっていうところで自分の
その木としての今回の命を 閉じようとしていたんですねそして
自分が朽ちることによって自分が本当に滅びてしまうその最後の時までですね 周りにとっての風よけになりそして周りにとってその自分の体を使って栄養を分け与えようとしている
その木なんですよね だけど僕たちはそれを切ってしまおうとしていてしまうね
僕たちは考えなきゃいけないのはなんでその木がこんなにもボロボロに弱ってしまっているのかっていうことなんですよね
そうなった時に駐車場をここに作ることをどうしようかっていうことをねやっぱり考えて欲しいなって思いました
必要だから作ろうではなくてどうすればじゃあ環境に負担をかけずに駐車場を作ることができるのかっていうこととかに思いを至らせられるような
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まあそういうことにしていければなってそういう心を持ったね 判断をねしていきたいなって思ったんです
ということでいかがだったでしょうか 最後まで聞いてくださったあなたぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね
なんか最後に話させていただいたことがさ その駐車場を建設に反対をしているなんていうふうに見えるかもしれませんけれども
もうちゃんはねちょっと考えた方がいいんじゃないかなって思う立場ではありました 駐車場は作られてしまうんですけれどもね
でもそんな話をしたかったのではなくて 僕たちの奥底にあるその自然っていうもの
内なる自然とでも言いましょうかね 自分の心の中にある原風景そして木は生きているんだっていうこのですね
なんだかその思いやりでしょうかね 自然への思いやりともでも言うべきようなですね
そんな感覚を持ち合わせているかどうかで僕たちの今日を撮る選択が変わってきたり 見えていく世界観が変わってくるんではないかなと思うわけでございます
この前ですね僕の町の近くの町でですね 風力発電を山に作るかどうかっていうこのですね会議というか勉強会が行われたらしいんですよね
そういった時にやっぱりね 風力発電作るためにはですよ山の上の方に風車を置かねばならないとそうするために
森を切り開かなきゃいけないんですよ なぜならばその風力発電を作るための資材を下から運んでいかなきゃいけないからです
そのために森を切り開いて道を作っていくんですよね そして
山をてっぺんの方を切り開いてですね よく風が通るようにしなきゃいけないとそうなった時にやることは山のてっぺんに
巨大なコンクリートの基礎を敷いてその上に風車をバーンと立てると そうするとですね山の生態系がぐわっと変わってしまうっていうことはもう
火を見るより明らかなんですよね そこの道を作っていくっていうことはその木たちが
果たしていた役割っていうものを失わせてしまうことになるということがありますよね そしてその木を根白にしていた
住処にしていた動物たちがいなくなってしまうんですよね そしてまずそのコンクリートでね山をふっと塞いでしまうと降ってきた雨は山に
染み込むことはもうなくなり土砂崩れの元になってしまうとか まあこういったことをですね今学べば学ぶほど
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この風力発電というものはですね今ここに作るべきではないんじゃないかなっていう そういう考えが浮かんでくるものなんです
しかしですね どうしてもこの再生可能エネルギーが必要だと風力発電のエネルギーが必要だっていう風になって
これを作ろうっていう話になってきてしまいます 今本当に日本各地でですね今大きなダムはもういらないけど小さなダムを
どんどん作っていこうそしてそこで発電をしていけいこうみたいな話がですね 国でも
方針としてあるらしいんですねというかあるんですよね そうなってくるとですね
過労死で残っているその自然というものもどんどんなくなっていってしまいます というもうちゃんもですね今こうね
大規模な発電をしているそんな電気にお世話になりながらお話をしています 本当にこの矛盾を抱えながらなんですけれども
ただもうちゃんが一つ言えることはですね本当に一つ言えることは今あるだけのその 電気業でなんとか生活することができないだろうかっていうことなんですよね
じゃあもうちゃんオフグリッドの生活するのかいってオフグリッドっていうのはそう いった電気とかからですね離れた生活をするのかいって言われてしまうかもしれませんけども
もうちゃんはですね今できる限りそうできるようなことをね 進めています自分の家だけでもですねまあまずはですねほんと小さなところからなんですけれども
自給自足ができるような感じそして極力です本当に極力 できる限り電気を使わないでやっていけるような生活っていうものができないだろうかって
いうことを模索しているんですねまあそういうことで自然というものはですね とか目の前の木一本一本生きているんだなぁということに思いを馳せながらですね
今活動をしているところでございますはいちょっと長くなりましたね今日はね いやーちょっと伝えたい思いがどんどん出てきてしまいました
もうちゃん今ですねそういった木の性質というか その木ですねその木の樹種とかそういうものではなくってその木が生きてきた
ストーリーがそこに見て取れるようなお箸だとかスプーンだとか そういうものをね作って皆様にお届けができないかなっていうこともちょっと考え始めて
いるところでございますそれはもうちゃんがやってやっているこだまこまちプロジェクトに すごくつながる話なんですね
こだまこまちプロジェクトとして何かグッズを作っていきたいっていう話に今なってき ています
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そういった時に木のグッズっていうのを 電気をいっぱい使ったりとかですね
人工的にワッと作ることは簡単なんですよ本当にすぐできてしまいますお金を 倒しすればですねすぐにできてしまうんですけどもでもできる限りそれをしたくない
できることならば手作りで一つ一つの品を作り上げて手渡しをしていきたい これをですねやっぱりもうちゃんはこのプロジェクトの肝に置いておきたいんですよね
軸として置いておきたいと思いますそうすべて もうちゃんたちが手作りをしてやっているんですよっていうことをね
大事にしていきたいんですよねそうすることによって伝わっていく その木一本一本が生きてきた証命っていうものがそこにあると思います
だからもうちゃんたちはよくあるアクリルスタンドっていうのは作らないです あれは工業製品ですからすぐにねグッズ作ろうってなったらそういうものになってしまい
がちなんですけれどももうちゃんたちはできる限り木を使いたいと思っています そしてその木たちもですねできる限り工業製品のような形ではなくですね
一つ一つ手作りで作っていける分ぐらいは作っていきたいなと思っています いやーこれはね手間がかかるよ本当に手間がかかります
でもホームビルさんも言ってた自分の卵はね自分の卵はめちゃくちゃ非効率ですよって 全然合理的じゃないですって言ってました
良いものっていうのはさ良いか悪いかというのは何を基準にするかによるんだけども でも僕が思うのは本当に本当の意味で良いと思えるもの僕にとってはですね
ゆっくりじっくり作られたもの手間暇かけて作られたもの これがもうちゃんにとっては一番こうしっくりくるものなんですね
だから今本当に一つ一つ丁寧にですねグッズ作ることができないかなということを考えています 一振り一振りナイフ一振り一振りですね
丁寧に入れながらですねお箸を削っているところです こういったものもですねグッズの一つにしていきたいなと思っています
お箸って人とそれから神様 自然というねそういう恵みをつなぐ箸なんですよねブリッジなんですよね
だからさこれってすごいことだと思うんですよ 人が自然の恵みを自分の体の中に取り入れるときに必ず必要になるのがこのブリッジです箸です
チョップスティックスですねなんですよね これはねもうちゃんにとってはかなり特別な作品になっていくなーっていうことを思っています
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もしですねもうちゃんが作った箸欲しいよとか買いたいよっていう人がいたら教えてください 作りますから
ということでございましたいかがだったでしょうか 最後まで来てくださったあなたぜひいいねやフォローをよろしくお願い致します
それでは今日はこの辺でお相手は小玉小町プロジェクトのもうちゃんでございました またお会いできることを楽しみにしております今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ
あなたとあなたの大切な人に森の精霊の子が子が訪れますように