1. もおちゃんの「なぜなに?」樹木図鑑📗
  2. 陽の沈む水平線の彼方まで、歩..
2025-02-27 23:58

陽の沈む水平線の彼方まで、歩き散らすことができたなら

ある登山家は言った。「頂上を目指すだけの山登りは、大切なものを見失う」と。 東京滞在2日目 御年83歳の先生に散歩の申し出をさせていただきました 歩き散らすということ <スポンサーコール> 自然の中で育ち、自然の色の卵があることを知ってほしい! 日本1%のたまごを届ける、静岡県の「おやまの農園 ほーんびる」さん⏬ https://stand.fm/channels/65a60821d47b013105986b72 ほーんびるさんの卵はこちらからご購入いただけます🐓🥚⏬ https://taberutokurasuto.com/shop/hornbill/items/?srsltid=AfmBOook-Su10E_PhaTeBfCbrVcS0rP0srtgf7pz4Qn_1ZPvlkVNZVFS 〈ほーんびるさんとのコラボ〉 https://stand.fm/episodes/67ad84264d503e72a38702f6 目的を持たないと生きられなくなったぼくら 「山を下るように生きる」 山を登るよりも、下る方が行きたい場所が多い 偶然によって導かれてきたのではないか 純度の高い散歩 目的を持つようで持たず、持たないようで持つ 頂上のない山のススメ 【初の公式ファンブック『こだまこまち設定資料集vol.0』発売中!】 https://codama-comachi.booth.pm/items/6344688 【Link まとめ】 https://lit.link/codamacomachi 【Web小説】こだまこまち ご覧いただき、ありがとうございます。 最新話は、 「小説家になろう」でチェック✅ https://ncode.syosetu.com/n0393jl/51/ 〈これまでのお話はこちら〉 https://ncode.syosetu.com/n0393jl/ ____________ 〈これまでのおはなし〉 ザックスレストランを営む主人公ユウは、 謎の少女の声を聞き、 森の中へと入っていった。 森には異変が起こっていた。 次々に倒れる樹。 襲ってくるかずら。 森の精霊、 エノキとイロハモミジに出会ったユウは、 自身が伝説の存在「杜人」の末裔であることを知り、森の奥へと歩みを進めた。 迫り来る怪異たちを振り払い、 見事、大精霊アカガシを救ったユウたち一行は、 旅の疲れを癒すため、「昴宿よこぐら」を目指すのであった・・・・・・。 これは、もしかしたらこれから人類が経験してしまうかもしれない 今からちょっと未来の話。 人は、自然から離れ、そして、自然もまた人から離れてしまった。 都市で起こっている異変、自然界で起こっている異変。 世界の秘密とは。 旅立ち。別れ。そして、森の精霊たちとの不思議な出会い。 自然界は人間を、人間は自然を取り戻すことができるのか。 近未来のオーガニックファンタジー冒険活劇。 森をめぐる冒険が今はじまる。 _________________ illustrated by @teraoka.shokai @sibainu_hotate #こだまこまち 【小説】 〈カクヨム〉 https://kakuyomu.jp/works/16818093083046463187 〈小説家になろう〉 https://ncode.syosetu.com/n0393jl/ 〈pixiv〉Web小説『こだまこまちと杜人ユウ』 https://www.pixiv.net/users/108735967 【各種SNS】 〈youtube〉こだまこまちチャンネル https://youtube.com/channel/UCpmaR7d_vZVdDBJvtRTuJbw?si=c1GQqH-qSKVB0IvO 〈Facebookページ〉こだまこまちProject https://www.facebook.com/profile.php?id=61560822043650 〈Instagram〉@codama.comachi https://www.instagram.com/codama.comachi 〈X〉@codama_comachi https://x.com/coda_coma168 〈BlueSky〉@codama-comachi0428 https://bsky.app/profile/codama-comachi0428.bsky.social --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/6507b36381469ca10d6df5c2
00:07
おすおす、おはようございます。 こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。 2月26日の夜に収録をしております。
いかがお過ごしでしょうか。 東京滞在2日目となりました。
もおちゃんは今、 友人の結婚式にお呼ばれして、
まあせっかくだから1週間ほどということで、 イトマをいただき、東京に滞在をさせていただいている
さなかでございます。 そんなもおちゃんは毎日のように様々なところにまたお呼ばれして、
お会いする方々がいらっしゃるんです。 その中で、
今回、僕からお願いをして、 どうか一緒に時間を過ごしていただけませんかと、
そのように申し出をさせていただいた方がおります。 その方とは明日お会いするんですけどね、
すごく楽しみなわけです。 どんな方なのかと言いますと、
御年83歳の男性でございます。
この方は、 僕が3年前までやらせていただいておりました、
小学校の教員の元同僚の先生なんですね。 僕は小学校の教員のキャリアが11年あるんですが、
その序盤の頃にお勤めでありまして、 そして定年退職をされて、
それからもですね、 なんだかんだ僕たちのことを気にかけてくださって、
音楽のコンサート、ライブに連れてってくださったり、 それから僕たちがエントリーをする職場でのですね、
マラソンチームにも入っていただき、もうね、その時は御年74歳ですよね。 その70何歳という年齢にも関わらずと言ったらもう本当に大変失礼やおこがましいことなんですけれども、
毎回毎回僕たちと一緒に肩を並べて、 そのマラソンの道を走ってくださっていた方なんです。
そんな83歳の先生とももう5年以上は会っていないんじゃないかなと思ったんです。 ただFacebook上では毎日毎日先生が投稿されているのを拝見していたんですね。
その先生は毎日自分が歩いた歩数を書いて、 散歩で見つけた、そんな発見をしたためて僕たちに届けてくださっているんです。
03:12
1日1万歩以上は歩くぞと、そんな目標を持って毎日を過ごされているんだそうですね。 すごいですね。83歳でも毎日1万歩以上歩いていて、もう見客そのものじゃないですか。
僕はこの先生がどんな景色を見て、そして毎日毎日1万歩を歩き続けた、 そんな先生から醸し出される空気に触れたくて、
この度ぜひそのお散歩コースをご一緒させてくださいっていうふうにお伝えしました。
しかしですね、散歩というのは歩き散らすと書くのですよね。 歩き散らすっていうことはさ、どこか一つの目的地を持っているわけではないんです。
さらに、歩くという字は少し止まるとも書きますよね。
ですから、立ち止まりながら歩いて、歩いては立ち止まり、そのたんびに何かを感じ、そして行き先をまた自由気ままに変えていく。
これこそが実は本来の散歩なのではないかと思うのです。
しかしながら、今現代人は散歩を何のためにするのかということを考えるようになってしまったのかなと思います。
例えば、健康のため、体力作りのため、
ストレス発散のため、はたまた何かアイデアを練るため、
まあ目的を持って歩くということが悪いことでは決してないのですが、
散歩そのものはただ楽しみのために歩く、それだけなんですね。
今日はそんな散歩についてお話をしてみたいなと思っております。
ということで始めていきましょう。
この番組は、自然の中で育ち、自然の色の卵があることを知ってほしい。
静岡県から、日本全国生産量たった1%の幸せなニワトリの卵を届けたい。
お山の農園、ホーンビルさんを応援しております。
06:02
ホーンビルさん、いつもありがとうございます。
いつから僕たちは目的を持たないと生きられなくなってしまったのでしょうか。
学校に入ったら、まあまず、
信念の目標や、自分の生きている、その将来の夢なんていうものを掲げさせられますよね。
そんなことをしていると、人生はなんだか一つの山のように見えてくるわけです。
その頂上、頂点を目指しながら歩いていく。
今というこの時間は、その頂上へ達するための、そんな一つの過程に過ぎないと、
そんなふうに思われてしまうのではないでしょうか。
だから、いつまで経っても、いつまで経っても、その頂上にたどり着かない限りは、
今日という一日は、大して幸せを感じることもない、なんていうことがもしかしたらあるのかもしれませんね。
また、今日一日を目的なく、なんとなく生きてしまったものならば、
自分のことを怠け者だというふうに責め立てたり、
それから周りからも、今日という一日は、あなたにとってはどうでもいい一日だったかもしれないけれども、
他の人にとっては、どうしても生きたかった一日なのよって、
そのように釘を刺されて、あなたのことを、僕たちのことを責めてくるかもしれません。
だから、僕たちは毎日毎日を目的に近づくような、そんな毎日として生きていかなくては、
そのような義務感というか、何かを背負いながら山を登り続けているのではないかと、僕は思うんですね。
僕の同僚に、すごく素敵な言葉を送ってくださる方がいるんです。
その同僚は、小学校教員の時の同僚ではなく、僕が今、高知県でいただいたお仕事。
このお仕事を全く同じ日に着任をして、そして今度の4月17日で、全く同じタイミングでその任を解かれる、そんな方なんですね。
09:14
僕よりも一回り以上年齢が上の人生の先輩であり、そして良き同僚なんです。
その方と最近交わす話といえば、この仕事が終わったら、僕たちは何をして生きていこうかというお話です。
僕もまた、この仕事が卒業したら、どんな仕事をして生きていくのか、それをずっと今もなお考え続けているんですね。
ありがたいことに、僕もそしてその同僚もまた、様々なところから一緒にお仕事をしませんかとオファーをいただきます。
しかしながら、その仕事たちのどれもがあたかも山を登っていくような仕事に思えてならないんです。
そりゃそうですよね。この世の中にあるお金が発生するお仕事というものは、目的があってそれを達成するためにある。
だから、僕たちに届けられた申し出も一つ一つよくよく吟味をしていくと、何かしらの目的や目標があって、それを目指してそれを達成するために僕たちは雇われる。
なんだか、僕たちにとってそれはある意味窮屈な気がしたんですね。その同僚が僕に言うんです。
モーちゃん、山を下るような仕事をしていきたいよね。そうおっしゃるんですね。山を下るような仕事、僕はこの言葉の意味がよく当時はわからなかったんです。
と申しますのも、山を下るという表現には、何か悲しさや一末の寂しさを感じたからです。なんだか哀愁漂うような、何かを諦めてしまったような、そんな惨めささえ感じたんです。
12:03
しかし、今この山を下るということは、どんな意味が含まれていたのか、織り込まれていたのか、そこにモーちゃんは少しずつ、そこはかとなく気がつくことができてきたんですね。
山を下る、その先には何があるのでしょうか。湖が見えるかもしれない。池にたどり着くかもしれないし、また丘が現れるかもしれないし、町や村があるかもしれないし、ずっとずっと歩いていけば海にだってたどり着くかもしれない。
山を登るというのと比べると、圧倒的に言えることは、目的地になり得る場所が多いということなんです。
つまり、山を登るときには、その頂上の一点を目指していく旅になる。しかし、山を下っていくならば、自分のもとに訪れる景色は、その山の頂上で得られるもの以上に多いんだということです。
湖にたどり着けば、そこで旅が終わるわけではなく、じゃあ次は町の方へ行ってみようかな、遺跡の方へ行ってみようかなと、ぶらぶら自分の赴くままにその方を進めることができるということなんです。
いわば散歩です。その散歩の旅の行く末に、何があるのかといえば、何もないんです。目的がないんです。
あっちに行ってもこっちに行っても自由だし、ここまで行けばおしまいというゴール地点もない。ただ言えるのは、自分自身がここに長くいようと決めることができるということ。
そして往々にして、そのような目的のない散歩は、歩いている時も楽しいのですが、振り返った時に、なんてこんなにもたくさんの道を歩き続けてきたのかと驚くことがあるんですよね。
15:05
一つとして、自分の意思で歩いたようにも見えながら必然ではない、何か偶然によって自分はここの地点に導かれてきたのではないかとあたかも思ってしまうような、そんな一つの筋書きのない物語がここに織り込まれ現れる。
現れてくるような気がしているんですね。
明日、もうちゃんはその先生と歩きたいと思って、お散歩の申し出をさせていただきましたが、なんだかもうちゃんがその先生の醸し出す雰囲気に触れたいと思う、そんな目的すらも実は持つことで純粋になる散歩にはならなくなってしまいました。
やはり、何かしらの目標や目的を持ちながら生きることができてしまいます。
当初は何か、そうですね、その先生にお会いしたいというような目的を持ちながらも、ひとたび散歩が始まれば、そんな目的や目標は忘れてしまって、ただただその時間を楽しみながら語らえながら、そうですね、純度の高いお散歩、
何かを得ようとか、何かをこの先生から聞き出そうとか、そういったことではなく、ただただ一緒に歩くことを通して、発見を図らずもしてしまうようなことに巡り合うのかもしれませんね。
明日は散歩をしている最中に、海にたどり着くのか、川にたどり着くのか、野原にたどり着くのか、はたまた大きな一本の大木にたどり着くのか、名もない、名もなき、そんな石にたどり着くのか、何なのかわからないです。
しかし、このわからないよということで、もういいんじゃないかなと思うんですね。
いかがだったでしょうか。最後まで聞いてくださったあなた、ぜひ、いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
18:05
こうして、散歩というものをね、したいというふうに、僕は申し出をさせていただいて、それを心よくOKしてくださったんですね。
だからこそです。散歩、純度の高い散歩をしたいなと思ったら、もちろん、その動機としては、僕を突き動かすものとしては、その先生の空気感に触れたいというものでもありながら、
その目的を持ちながら、そこに行ってしまうならば、散歩の純度を淀ませてしまうことになりかねないと。
なので、散歩を始まったら、目的を手放すと。そういうことですね。
目的を持つようで持たない、また持たないようで持つ、往々にして明日の散歩、振り返った時に、どんな道のりで歩いてきたのか、どんな会話が繰り広げられていたのか、
ここで初めてその意味が、そこはかとなく分かってくるものなのかもしれません。
そうそう、最後にちょっとだけ余談なのですが、もーちゃんは山のガイドをさせていただいているんですね。
僕は高知県の横倉山という山のガイドをさせていただいております。
この横倉山、僕は大好きな山なんです。何がいいのかというと、実は頂上がない山なんですよね。
え?頂上がない山なんてあるの?と言われるかもしれません。
三角点という、その山の高さを調べるために置かれた場所はあるんですが、それがその山の中で一番高い場所では決してないということです。
また、前辺通して森なんですよ。木で覆われているので、わあ、頂上だ、すごい遠くまで開けて見えるなんていう場所はほとんどないんですね。
一応、眺望所ということで景色を眺められる場所はあるんですけれども、そこが必ずしもこの山のてっぺんだよっていうことが書かれているわけではないんです。
21:09
ただ景色がいい場所なんですね。
とするならば、僕がガイドをさせていただいているこの横倉山って目的がない山になり得るのかもしれません。
頂上と呼べる場所がないものだから、ただただその山の中を歩いていて、植物に出会う、動物に出会う、そしてあまりにも道を外れてしまったら遭難してしまいそうですけれども、
神社に行く、お寺に行く、そんなこともですね、楽しみながらですね、その山の旅を進めていくことができる山なんですよね。
だからそこに来てくださった方の数だけ目的があるようにも思えるし、また目的がなく登ったとしても下山をした後にですね、振り返ってみると、
ああ、なんて面白い山だったんだっていうふうに思っていただけるかもしれません。
頂上に行かなくては意味がないみたいなことでは決してなく、目的なく登ってそこで散歩をするっていうことができるようなお山なんですね。
はい、ということで、もーちゃんが今ガイドをさせていただいている山も、なお頂上という言い換えるならば目的というものを持たずに登ることができるそんな場所であるということなんですね。
もしよかったらですね、もーちゃんのことを探し当ててですね、ガイドさせていただきますので、お申し込みいただけたらと思います。
レターかなんかでオファーをいただけたら嬉しいです。
ということで、お時間が来たので今日はこの辺にしたいと思います。
お会いでは児玉こまちプロジェクトのもーちゃんでございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。
あなたとあなたの大切な人に森の精霊のご加護が訪れますように。
23:58

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