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おっすおっす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
2月27日木曜日の夕方に収録をしております。
いかがお過ごしでしょうか。
行ってきました。
今帰ってきたところなんです。
83歳になる、そんな先生と一緒のお散歩。
待ちに待ったお散歩。
前回の放送では、そのお散歩ってこういうものだよねっていう配信をさせていただいたんですが、まさにその通りになった。
ここに木があって、何の木なんだろうと思って近づいて見てみたら、これはコナラの木だなっていうことがわかった。
コナラっていうどんぐりの木があるわけですよ。
そしたらですね、その隣にも木が立っていて、
おや、あの木はこのコナラの木とはちょっと違うぞということで、
歩いていって、そこでその木を見て、あれやっぱコナラと違うねとか言って、
この木はクヌギの木なんだっていうことがわかって、
そしたらそこの景色を見るとですね、
鳥がいるとか言って、その鳥の方向に行って写真を撮りに行ったりとかですね。
そしたら素敵な植物がまた花が咲いてるとか言って、
そこに行ってまた植物の写真を撮ったりということで、
本当に歩き散らしたような散歩になったんですよ。
散歩というものは目的があるようでなくてないようである。
これがですね、散歩なんだということです。
そして往々にしてですよ。
往々にして思うのは散歩っていうのは振り返った時にですね、
その意味、全貌というものがわかるということなんです。
これはちょうど季節にも似ているなって思いました。
冬の木だけしか見たことがない人はですね、
その木を見てなんと寒々しいんだろう。
葉っぱも全部落ちてしまってもうくたびれて、
もう見るに絶えないような状況じゃないかなんていうことを言うんですね。
しかしまた他の人がですね、その木を春に見ると、
つぼみが膨らんでいて、いよいよこれからこの木はまた1年を幕を開けようとしている。
これからの1年間が楽しみだねみたいな感じのですね、
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そんな雰囲気を感じてくるわけです。
そして夏にしか見たことがないそんな人がいたとしたらですね、
その木は青々としていて、葉っぱを広げていって、
今がもうまさに盛りだっていうような感じ。
そして秋にしか見たことがない人はですね、
実をたくさんつけていて、自然の恵みを皆さんに分け与えてくれるような、
そんな芳醇な、そんなですね豊かな木なんだっていうことを思うかもしれません。
秋に見た人、冬に見た人、春に見た人、夏に見た人は全く違うことをお話しするんですね。
つまりですね、1年を通してすべての季節を見てみないと、
その木1本取ってみたって表情はわからないっていうことなんです。
だから散歩というものも往々にしてそうでね。
散歩が終わってみなければ、
今日の時間ってどんな時間だったのかっていうことはわからない、
分かりづらいものなんだということです。
僕はもともとその先生と歩いてみたいという、
そんな目的を持って今日話をさせていただいたんですが、
いろんなところを回っていて、
そして最後にですね、自分の中に残った言葉は、
その先生が残した不思議な不思議な言葉で、
この言葉に出会うためにもしかしたら、
今日の散歩の時間、なんと4時間半ぐらいかけて歩いた。
走歩数は2万歩を超えるような、そんな散歩の時間があったんだっていうことに気がつけたわけです。
そして往々にして今日みたいな思い出というものは、
今振り返って分かっているものと、
また明日になって振り返って分かるもの、
1年後、10年後、20年後に振り返ってみて分かるもの、
本当に分からないものがいっぱいあるわけですよね。
そこまで行ってみないと分かんないものがいっぱいある。
だから一面を切り取って判断をしてしまうということは、
なんだかちょっと危険な気もするし、
浅はかな行為であるようにも思うんですが、
今僕が今日のお散歩の時に先生とお話をしたことの中で、
これが僕にとって今日めぐり合うべきことだったのかもしれないというお話をしてみたいと思います。
僕が今日先生とお話をさせていただいていて、
まさに驚いたそんな言葉があったんです。
なんで先生こんな言葉を僕に残してくださったんですかということがあって、
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今日はその話をしたいんですよ。
なんで話をしたのかというと、
車の音が気持ちいいねっておっしゃったんです。
僕は耳を疑いました。
なぜならば、
今日お散歩させていただいたそのコースというのは、
都会の喧騒から少し離れたところだったんです。
もう川沿いなんですね。
川沿いに点々と工場が並び立つところもあります。
そして畑なんかもいっぱいあって、
みんながそこをボランティアの力を持って、
自然を整備していこうっていうようなところだったんですね。
今整備というふうに言いましたけれども、
やっぱり人の活動によって自然、生態系がどんどんバランスを崩していて、
もうこのままほっといたとしても、
元のようには戻らないよっていうところまで来ていると。
だから神奈川県横浜市の人たちはですね、
もうここにボランティアをどんどん投入してというか、
善意を力を借りてですね、自然を回復させよう、
元の通りに戻していこうっていうような取り組みさえしている、
そんな場所なんです。
先生はですね、そんな場所を毎日のようにお歩きになられるわけでございます。
さらにですね、先生は今お一人で暮らされておりますので、
とにかく話し相手がいないということでした。
正確に言うならば話し相手は家で飼っている鳥だと、
そしてこうして散歩をしている最中で出会っていく、
そんな植物たち、花たちなんだと、木たちなんだと、
そしてその川にめがけて飛んでくる鳥たちであったり、
地域の猫であったり、そういった子たちと共に生活をしている、
話し相手になってもらいながら生活をされているということをおっしゃっていました。
つまりすごく自然派な先生なんですね。
そんな自然派の先生がこうおっしゃったんです。
気持ちがいい車の音だねって、車の音が気持ちいいねとおっしゃったんです。
一体なぜこのような言葉を残してくださったのでしょうか。
ということで今日はこんな話をしたいと思っております。
始めていきましょう。
この番組は自然の中で育ち、自然の色の卵があることを知ってほしい。
静岡県から日本全国たった1%の幸せなニワトリの卵を届けたい
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お山の農園ホームビルさんを応援しております。
ホームビルさんいつもいつもありがとうございます。
ホームビルさんの応援月間は2月いっぱいとなります。
明日までということですね。
最後の日まで全力で応援をさせていただこうと思っております。
本当にこの1ヶ月間の間にホームビルさんの卵買ったよ、食べてみたよ、
美味しかったよというご感想までいただくことが多くてですね、
僕自身もホームビルさんの活動というものが広がっていくこと、
これはすごく嬉しかったんです。
ホームビルさんはですね、とにかくそのニワトリ一羽一羽のですね、
ことを本当に深く考えていらっしゃって、
そして卵をいただいているということですね。
さらにホームビルさんが教えてくれたことの中に、
卵には旬があるんだよということでした。
卵というものは実は冬はですね、産みにくいんです。
生まれにくいものであると。
そして日光がですね、どんどんどんどん浴びる時間が長くなってくるこの春先にかけて、
ようやく卵を産み始めるということで、
卵に旬があるとするならば、それは今この季節なんだということでございました。
とにかくですね、ホームビルさんの卵は美味しいんです。
さらにですね、やはりストーリーが素敵だなと思っております。
ぜひですね、最後の最後まで、そしてこの応援の月間が終わったとしても、
ホームビルさんの卵は売り出し中だと思いますので、
ぜひぜひご興味のある方は番組の概要欄のリンクから覗いてみていただけたらなと思っております。
よろしくお願いいたします。
さて今ホームビルさんと鳥のことをお話をさせていただきました。
ホームビルさんはとにかくやはり一羽一羽のですね、
旬だとか元気、自然、自然であることということを目指しながらですね、
意識されながらお世話をされていらっしゃるのではないかなと想像をしているところでございます。
まさにですね、今日先生からおっしゃっていただきました。
この車の音が気持ちいいねという言葉、ここに隠された真意というのはホームビルさんもまた大切にされていることだったのかなと僕は思いました。
僕はですね、とにかくこの言葉の真意が知りたくて知りたくて先生に直接聞こうかなと思ったことも何度も今日の時点でありました。
でも僕はその先生とを過ごしさせていただいた4時間30分もの間、2万歩以上もの間ですね、
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僕はじっくりと自分の心の中で半数を繰り返していたんですね。
車の音が気持ちいいね、車の音が気持ちいいね、なぜそんな言葉を僕に残してくださったのかと。
僕なんかはですね、車が走ってたりすると、もうやめろよとかって思ってしまうような口でございまして、
しかもですね、先生側も先生もまたですね、自然派でやっていらっしゃる先生だったので、
なんでこんなですね、車の音が気持ちいいねなんていうことになるんだろうかと思っていたんです。
何が気持ちいいんですか、どこがですか、そんなふうに質問をすることは簡単なんですが、
本当に知りたいものというものはど直球ストレートで聞くものではなく、
自分で自分の中に聞いてみるということが大事なのではないかと常々思っているんですね。
なんでなの、どうしてなの、このホワイの質問というのはすごくこう自分の品位というか、
そうですね、そういったものなんかある時は浅はかにしてしまうものではないかと思ったのです。
僕はどうしても知りたかったので、あえて聞かなかった、そして自分自身の中で問い続けてきました。
何が先生にとってこの車は気持ちいいものだったのだろうと。
そこでですね、反数をしていた最中に僕の中に一つの解答めいたものが降りてきたのです。
その言葉っていうのはですね、こんな言葉でした。
自然とは何なのか、そして自然とは何でないのかということでした。
自然とは何なのか、これはなんかいつも考えていられそうだなと思うんですけども、
自然ではないとは何なのか、これなんですよね。
車の走っている音というものは自然なものなのか、それとも自然ではないものなのか、
自然ではないものではないのか。
そんなことをずっと考えていたわけですよ。
そしたらですね、車の音というものは自然なものではないようであって、自然なものも含んでいるということです。
意味がわからないです。
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まずですね、第一としてこの世界にあるすべてのものはどんな人工物であったとしてもなお、
すべてがですね、自然のものからできているはずなんです。
自然のもの由来なはずなんです。
それはプラスチックもそうですし、それから目の前にあるパソコンもそうだし、
車なんかもそうだし、ありとあらゆるものが自然の恵みを持って作り変えられているものなんだということです。
その意味において車というものは自然なものであるはずなんですよね。
でも僕たちはなぜかそれを自然のものではないというふうに思ってしまう。
少なくとも僕にとってはその車というものは自然ではなく不自然なものであり不快なものであり、そこにいてもらっては困るというものではあります。
しかしこの対立関係でいればですね、ずっとですね、思い悩んでしまうであろう、それは自分の中の葛藤です。
車のことが嫌いだとか、車は必要ないだろうとかって言っておきながら、僕自身車にバンバン乗るわけです。
車に乗らないとここまで来られないんです。
高知県から横浜まで来ることができないんですよね。
やはりバスのお世話にもなるしね。
ということを考えてみると、僕はですね、なんと自分たちで作り上げてきた、人が作ってきたですね、その自然との共同政策みたいなものもですね、排除しようとしてきたのかという自分の浅はかさをまた嘆くんですね。
車というものは自然なものでないように思えて、なお自然なものも含んでいるということだし、いやもうこれは自然とか不自然とかそういったものの遥か彼方にある、そんな話なんだということなのかもしれません。
さらにです。こんなふうなことも思いました。
それが物質的に自然というものの中から生まれてきたのかそうじゃないのかということもありますが、自分の中にその車というものを排除するという気持ちを少しでも持っていたとしたら、
どんな車の音を聞いたとしても、それがエンジンの音であっても、アスファルトの上をタイヤが転がる音であったとしても、それは僕にとっては不愉快な不自然な音になり下がってしまうのではないかと思うのです。
でも、もしもこれ車のことを自然なものだというふうに捉えることができたような人であるならば、車の音もまた心地良しというふうに言うことができるのではないかと思ったんです。
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そういった意味では、その83歳の今日一緒に散歩をしてくださった先生は、車もまた自然の一部であるということを知っていらっしゃる方なんだなということに気がつきました。
また後はですね、すごく晴れた日にサクッと走り抜ける車っていうのは、なんだか見ていて心地よいというものはありますよね。
でも渋滞にハマってイライラしてそうな車、ドライバーさんたちがイライラしてそうであれば、車もまたすごくこうイライライライラ熱く熱くなっているようにも感じてしまうものですよね。
だから全ては自分の心から譲るものなのかもしれないなと思いました。
僕自身がですね、車もまたその自然の一部なんだというふうに捉えられるようになった瞬間に、これを瞬時に自然にできるようになった瞬間にですね、
どんな車の音もなお心地よく感じることができるようになるのかもしれないなと思った次第でございます。
とはいえ今の段階ではどうもですね、車の音を好きになることはできないなと思ってはおりますが、僕ねこれは好きなんですよね。
マニュアル車ですね。僕は普段マニュアル車を運転しておりますが、マニュアル車ってね普通のこのオートマチックなね、車と違ってちょっとエンジンの音がけたたましいというところがあります。
でも僕にとってはこのですね、けたたましさの方がオートマの車よりも実は自然なのではないかとなぜか思うんですよね。
手間がかかります。片手で運転なんてとてもじゃないけどできないんですよね。
飲み物を飲みながらですね運転をするなんてことは難しいくらいマニュアル車っていうのは右手も左手も大忙しいです。
でも僕にとってマニュアル車の方がなぜかこう自然な形だなぁなんていうことを思ってしまうのですね。
めちゃくちゃ機械じゃないですか。めちゃくちゃ人工的じゃないですか。全然じゃないですか。
でも僕はなぜかオートマよりも自然に感じるなっていうところがあって、さあ自然とそれから自然でないものっていうものは何なんだろうということがこれからもっともっと自分の中でですね深めていきたいテーマであるなということに気がつきました。
はい、としていくことでですね散歩を振り返ってみて最後にわかったことはですね自然とは何なのかそして自然とは何ではないのかということでした。
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いかがだったでしょうか。最後まで聞いてくださったあなたはぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
いやだからですねもうね散歩をしていてわかったことはちょっと見ただけではですねわからないことって本当によくあって1年を通じて歩き続けてやっと気がつくことがあり、そして生涯を通じて見ないとわからないその人生の意味意義というものもあってということでね。
まあ時間のかかることだなあというふうに思った次第でございます。
とにかく車の音が気持ちがいいっていうことができるようになるっていうことなのかな。
先はまだまだ長そうです。
ということでお時間をいただきありがとうございました。お相手はこだまこまちプロジェクトのモージャンでございました。またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。あなたとあなたの大切な人に森の精錬の子が子が訪れますように。