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おっすおっす、おはようございます。こんにちは、こんばんは。
地球元気食堂、開店でございます。
僕の名前は、もうちゃりと申します。
薬膳師をしたり、森林活動ガイドをしております。
本日もよろしくお願いいたします。
僕はですね、毎日自然を眺めながら生活をしております。
自然を眺めていると、葉っぱに穴が開いていたりする。
その葉っぱは、虫が穴を開けたものである。
僕は常々、こう思ってました。
この葉っぱに開けられた穴は、植物にとってはたまったもんじゃないなと、
そのように思っていたんです。
また、冬になると落ち葉を落とす葉っぱたち。
これは寒さから仕方がないのかな。
かわいそうな姿だな。なんともみすぼらしいな。
葉っぱも絶えず絶えずつけて、追いしぎらせておきたいだろうに。
そのように思っていました。
しかし、毎日毎日自然の中を訪れることで、
僕は植物と対話をするようになっていったのです。
植物と対話をすることで、感じたことがありました。
木のそばに寄っていくと、風が吹いているんですね。
それは木の陰が涼しいからではなかったんです。
木の幹のそばでは、風が下から上に吹き上げるんですね。
地面を張っていた風が幹にぶつかり、
そしてその木の幹を登って、上へ上へと空気の流れが押し上げられていく。
それを感じていると、僕はこのように思うようになりました。
虫が開けた葉っぱの穴は、空気が上に通りやすくなるものなんだなと。
風で木が揺れていると、なんかとても楽しそうに僕には見えることがあるんです。
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台風が来る時だって、これから嵐が来るぞーって、
元気に元気に誰かに伝えている、そんな風に僕には見て取れるようになってきました。
また、台風とか大風、大雨の時にこそ、自分の力の本領を発揮できるという植物もいるんです。
そんな時に、自分が一生懸命一生懸命、文字通り命がけで作っていった種や実を遠くへ遠くへ飛ばすことができる。
また、これまで一生懸命根を張って育っていた、そんな植物たちが一気に流れ出てしまうかもしれない。
でも、その下に埋まっていた、土に埋まっていた種たちが光を浴びて、芽を出させる、そんなチャンスになるのかもしれない。
これを専門用語で言うと、核乱と言います。
核乱があって、大嵐にあって、そして新しい命が芽吹いてくる。
そのように思うようになったんですね。
植物にとって出世とは何でしょうか。
僕たち人間が会社に勤めていたり、組織に勤めていたりすると、昇進と言って、自分たちの役職がぐんぐん上に上がっていく。
これを出世、立心出世と言いますよね。
フリーランスな生き方であっても、フォロワーが増えていったり、お客さんが増えていったり、収入が上がっていったり、
他にも収入だけではなく、人間性が磨かれていったり、それによって信頼がどんどん膨らんでいったり、
これはまた、これでおそらく出世と言ってもいいのではないでしょうか。
植物にとって出世というものがあるのかどうか、僕はあると考えたんですね。
植物にとって何がどうなれば、それは自分の苦労が報われたことになるのか、いかがでしょうか。
僕と一緒に今日はこれを考えてみたいと思います。よろしくお付き合いください。
植物は自分の葉っぱを落とす、そんな瞬間があります。
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僕は木一本そのものが生命体であるようにも見えるし、また森そのものがすべてが生命体のようにも見えます。
また、もっとミクロな世界に行くとすれば、葉っぱ一枚一枚が生命体のように思えてくるんです。
木の幹から枝から切り離された葉っぱは、ひらひらひらひらと落ちていきます。
なぜ葉っぱは落ちるのか、秋や冬になると葉っぱが落とされていくのか、それは科学の世界ではこのように言われています。
葉っぱは日照時間が少なくなると、光合成をすることができなくなっていきます。
効率が悪いので、もう葉っぱを落とそうというふうになるんですね。
植物は何をもって自分の栄養としているのでしょうか。
それは無機物と言われているものです。
よく肥料を買いに行くと、リンとかカリウムとか窒素とかそういったものが配合されている肥料をお買い求めになることが多いと思います。
実は僕たち人間は有機物を食べて生きてきております。
生き物の命、植物の命、そういったものは有機物と言われております。
これを僕たちは自分の体の中に取り入れることによって栄養を得ているんですね。
しかし植物は有機物を自分の体内に取り入れるのではなく、無機物を使って自分たちの化学反応を起こし、
自分に必要な栄養というものを自分の体の中で作っているんです。
葉っぱには窒素と言われているところがたくさん入っています。
窒素とは僕たちのこの空気中にある目には見えない物質ではありますが、
酸素と二酸化炭素と窒素、窒素がものすごく多い割合を占めているということは理科の授業で学んだことかと思います。
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この窒素は実は植物の中にもうんと含まれているんですね。
葉っぱを落とすとき、葉っぱにも行き渡っていた窒素があります。
そのうち50%半分の窒素は枝の方に戻します。
そして残りの50%は葉っぱの中に保ったまま、葉っぱを切り離してひらひらひらひらと落として地面に置いていくんです。
50%の窒素、枝の方に戻った窒素はそれを自分のエネルギーとして冬を越していきます。
一方で葉っぱに込められた50%の窒素は何に使われるのでしょうか。
それは自分の根元に葉っぱを落とすことによって、それは誰かに食べられたり粉砕されたりして発酵していって落ち葉となってカラカラになってやがて土に帰っていく。
その土は紛れもなく自分自身が落とした葉っぱでできている土なんです。
つまり窒素が豊富に含まれたそんな植物にとってはとってもとっても大切な良質な土に生まれ変わっていくんですね。
そしてその土になったところからまた窒素がその植物のところに引き上げられて循環をしていくということなんです。
この葉っぱの気持ちになって考えていくと僕にはこう見える。
今までやっていた光合成、枝にくっついていたその役割から解放され、そして次自分が大地に帰っていく。
大地に帰ってまた吸収されていく。この循環こそがこの植物、葉っぱ一枚にとっての出世なのではないかなと。
今やっていたことから役割を終えて次の役割へ。
そして最後には地面に帰っていく。
でもまた新しい命として新しく芽生えて葉っぱとなってまた枝のところにくっついていく。
こうして葉っぱは人間から見るともしかしたらただ落ちて儚くそして朽ちていくだけの存在、そのように見えているかもしれません。
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僕もかつてはそのように見ていました。
しかしながら葉っぱは一枚一枚はこのようにして姿を変え形を変え役割を変え、そして自分自身が巡っていく旅をしているんじゃないかなと。
これこそが僕たちの出世にあたる植物の出世なのではないかなと。
そのように思うと植物ももちろん自分たちが生きていきたい子孫を残していきたいと思うんです。
でも僕たち人間も植物を食べて野菜を食べていただいて生きておりますよね。
これは植物での何か申し訳なさとかそのようなことを思うんです。
でもなぜビーガンの方がベジタリアンの方が菜食主義という方がいらっしゃるのか。
僕はここを不思議に思ったんですね。
動物たちがかわいそうだから植物を食べる。
でも植物と会話ができる僕からしたら植物もかわいそうじゃないそのように思うんです。
でも実は植物にとっては僕たちがそれを細かくして食べやすい大きさに切り刻んでいただいて
そして僕たちがまた元気に過ごすことができて
動物たちもそうです。それを食べたものがまた排泄されて
そしてそこで新しくまた野菜や植物たちは自分たちの役割が形を変えてできるということなんですよね。
これはたくさんの痛みを伴うものかもしれません。植物にとっては身を切られたりいろんなことがあるかもしれません。
しかし植物だからこそできる役割があってそしてそれが循環されていく植物にとっての出世なのかもしれないなと思いました。
だから僕たちは野菜を食べるときも感謝を忘れてはならないですよね。
こうして植物の巡る旅はどんどん循環をしてつながっていくわけなんですけれども
このように植物にとっての出世というものがあるんです。念願というものがあるんですね。
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植物っていうのはこの世界で動くことができないものです。
だから植物はいろんな世界を見る、これが実は植物にとっての大きな幸せなんじゃないかなって思います。
植物には目が見えないけれど、でも体全体で感じる力というものがあります。
僕たちが馬声を浴びせると花はたちまち枯れてしまうと言われています。
それは僕たちの声を植物がそのまんま聞いているというよりは
僕たちが発しているその言葉に乗っているその波長が植物にも伝わっていって
そしていいように作用するのか、それとも悪いように作用するのかということだと思います。
植物は確実にいくつかの感覚機関を持ち合わせているのです。
それどころか人間よりも鋭いもの、人間には感じ取ることができないそんな感覚も持ち合わせています。
その植物たちはいろんな役割やいろんな世界に行ったり感じたりすることが
それこそが植物にとっての出世なのかもしれません。
ぜひ僕たちはその植物の願いを叶えていくということのためにも
たくさんの野菜、たくさんの植物というものを有効に利用していきたいものですよね。
いかがだったでしょうか?
最後まで聞いてくださったあなた、ぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
さあ今日はですね植物にとっての出世とは何なのか
動けないからこそ動いていくこと、そして役割を変えていくこと、それによって植物もたくさんのものを感じられる
そんなことを思って話してみました。
心にゆとりを持って植物をよく観察をしていると植物の世界観というものが見えてきます。
その世界観というものをですね、ぜひ大切にしていきたいですよね。
僕たちは自然に手を入れることのできる生き物です。
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どんな一手を加えていくのか、自分本位で画を出して加えていくのか
それとも自然の一つ一つに思いを馳せて手を加えていくのか、これは大きな違いです。
一つの料理をとってみてもどこまで使うのか、どこまで使うことがその食材にとっての出世なのか
それを僕たちは応援してあげる。
すると植物たち、自然たちから自然界からの応援を受けて、僕たちはまた生きていけるのではないでしょうか。
お時間が来てしまいましたので、今日はこの辺でお相手は薬膳師であり森林活動ガイドであるもうちゃりがお送りいたしました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。