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2024-05-22 14:33

#11 石積み文化が絶滅するその前に

森林インストラクターの守備範囲はものすごく広いなと感じています。
森林の中だけにとどまらず、
里山だったり、人が生活していく場所の中での自然景観の整備だったり。

今日は、高知工科大学の里山工学「石積み」について、学ばせていただきました。

今、石積み文化は絶滅の危機です。
コンクリートの擁壁やブロックによる均一で安全性の担保されたものが一般になってきているからです。

石積みは、
ひとつひとつの石の大きさや形や重さが違うので、
「安定計算」ができないのだそうです。
全て人が感覚でやってきたことなんですね。

だから、数字を大切にすることの多い安全性の話題では、まず石積みが俎上にのぼることはありません。

コンクリートでいかにして固めていくかを考えます。

では、石積みはなくなってもいい文化なのでしょうか。

石積みは、人が自然に最大限配慮した工法だとも言えます。
コンクリートを使わないことで、二酸化炭素の排出量はかなり押さえることができます。
さらに、空石積み(からいしづみ)という積み方は、
石と石の間に、無数の穴をつくることができます。

その穴は、空気や水の通り道。
ひとつひとつが極小のビオトープなのです。

また、地域にある資源を活かすこともできるので、地域循環が起こりやすいのです。

よって、石積み文化の継承は、
大変有意義だと思います。
また、何より景観がいいです。

現在は、文化財以外において石積みが積極的に使われることはありません。
ちなみに、景観に配慮しようと、
「練り積み」という工法が使われることがあるとのことでした。
これは、
コンクリートを裏に流し込み、表はあたかも石積みしているように見せることができるのです。
しかし、自然的な機能は失われてしまいます。


本来、石積みには、河原の石を使うことが多いのだそうです。
河原の石は、丸く削られていることと、空石積みに適した大きさ(25〜35cmくらいのもの)を選びやすいのです。
しかし、河原の石は今、法律により勝手に使うことはできず、
外から石を持ってくることもあるのだそうです。
外から持ってきた石は、
大きすぎてしまったり、色が違ったりと、
景観の中で違和感を感じるものになってしまうのだそうです。

さあ、石積みを、どう残していくのか、
これも森林インストラクターの守備範囲かな!と思いました。

「石積みの学校」という取り組みが紹介されていましたので、ここにも掲載しておきます。

https://ishizumischool.localinfo.jp/
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https://stand.fm/channels/6507b36381469ca10d6df5c2
00:08
オスオス、おはようございます。こんにちは、こんばんは。
ブリコラのサラダ仕立ての時間がやってまいりました。
僕の名前は、もおちゃんと申します。薬禅師をしたり、心理インストラクターをしております。
本日もよろしくお願いいたします。
この番組は、すぐには役立たないけれど、でも、なんだか無駄ではなさそう。
だから、聞き流すだけでちょうどいい、それぐらいの感じでね、聞いていただけたらと思っているんですね。
で、なんですぐに役立たないのかと言いますと、
それが、今まさに自分とかけ離れてしまっている世界のお話をすることがあるからです。
自然についてのね、自然にまつわるエッセイ、聞くエッセイをお届けしているんですけれど、
この自然というものは、人間も自然の一部ですよね。
人は自然そのものであるはずなんです。
でも、その自然の話をすると、どうもちょっと自分よりも遠い場所で起こっているような感じがしてですね、
なかなかすぐに役立てるとか、すぐに使える話だとか、そういうことにはならないんですね。
でも、毎日毎日少しずつ聞いていただくと、
自然の中の話って、自分の中にね、自分も自然のそのものですから、
自分の中にしっかりとしっとりと蓄積されていくんですよね。
その蓄積が、やっぱりこう溜まってくると豊かになってくるし、
これは土作りと同じだと思うんですよ。
土っていうのも、外から薬品だとか、そういったものを一気に持ってきて、急激に改良するっていう方法もあるんですけど、
本来の土作りっていうのは、微生物を育てて、土の中の生態系っていうものを育てて、
そして少しずつ少しずつ土壌を改良していくというものなので、やっぱりね、時間がかかるものなんですよね。
ぜひこの自然派エッセイの話は、自分の中の心の肥やしにしていただけたらなと思っています。
今僕は竹の林とか木の林の中をちょっと歩いて、山道を歩いているんですね。山道を歩きながらお話をしています。
今日は石積みっていうことについてお話をしてみたいなと思っています。
03:06
石積みっていうのは、石で積んだ土止めというかですね、土台とかそういったものですね。
石垣なんていうのはね、石垣島とかってあるようによく見てことがあると思うんですけども、
山の斜面に石を積んで、そこを土砂が崩れないように止めたりとかするっていうことがあるんですよ。
この石積みの文化っていうのは、今まさに絶滅が危惧されている文化なんです。
それはなぜかというと、すべてがコンクリートを使った洋壁だったり、それからブロックに置き換わってきているからです。
コンクリートを使うのがなぜいいのかというとですね、それは人が人工的に作り上げたものなので、人がすべて計算できるっていうことにあるんだそうです。
安定計算というものがあって、そのブロックをどれぐらいの割合でコンクリートを硬いものにすればいいかとか、
それからどんな積み上げ方をすればいいかとか、そういうことがすべて人が計算できるじゃないですか。
重さとかも。でも石を積み上げるってなると、そこに落ちている石を使うんですね。
だから大きさがまちまちで、重さもまちまちで、形も全部バラバラ。
でもそれをうまく組み合わせることで、職人技ですよね。石垣を作っていってたわけです。
でも今、それだと安全性どうなの?安全はちゃんと保証されているのかい?
なんていう話になってしまうので、じゃあコンクリートにしましょうということで。
もう今となっては、石積みでやっていくなんていうことは話題にも昇らず、コンクリートをどう使うかっていう話になっていくんです。
ただ、このコンクリートを使ってしまうと、どんな弊害が起こっていくのか、また本当に石積みは必要がないのかどうか、そんなことをお話ししていければなと思っております。
まず本当にこれで良いのかどうかということなんですけど、僕個人の考えでは、やはり石積みの文化というものは大切にしていきたいものだよねって思います。
なぜならば、石積みというのは、あそこに無数の穴が作られるんですね。
06:04
石と石を組み合わせたところに、人が作ったものではない、そこにあった自然のものをただ単にくっつけているだけなので、どうしても隙間ができる。
しかしその隙間から、山に降った雨が流れ出ていったりするわけです。
つまり、大地が呼吸ができる穴がいっぱい空いているんですね。
でもコンクリートでベタっとやってしまうと、穴が塞がれてしまって呼吸ができないということになるんです。
穴があると何が良いかというと、水が抜ける、空気が抜ける、すると土砂崩れが防ぐことができるんですね。
土砂崩れて何で起こるのかというと、もちろんそれは大雨が降って、地面の土を持っていってしまうということもあるんですよ。
あるんですけど、もう一方の理由は面白いところにあるんですよ。
それは大地が呼吸をしようと思って爆発する、それが土砂崩れなんだという考え方があります。
いろんなところをコンクリートでペタペタ張っていくと、どこも呼吸ができなくなります。
空気や水を通すことができなくなります。
するとそれが爆発してどこかコンクリートのないところが土砂が崩れるんですね。
すると僕たちはコンクリートで固めてないから土砂崩れが起こったんだとか言ってですね、またさらにそれをコンクリートで固めようとしていくんですね。
するとますます地球が呼吸ができなくなって、他の場所で土砂災害などが起こっていきます。
こういうことがずっとずっと起こり続けていくので、何とか何とか防いでいきたいし、やっぱり石積みの景観ってすごく心を癒されるんですよね。
自然に寄り添うっていう言い方はすごくエゴが働いている言い方だと思うんですけど、
人が最大限自然の中で生きていくんだっていうそういう覚悟を持った手の入れ方、大地の手の入れ方のように思うんですね。
だから石積みっていうのを見かけても、それを自然破壊だっていうふうには僕は思わないんですね、思えないんですね。
むしろ何か心落ち着く牧歌的な感じがして、すごく心が和らぐ、安らぐということがあります。
09:07
今この石積みをやろうと思った時にね、もう法律でそれダメだよってなっちゃうんだそうですね。
つまり土木工事とかそういったところの世界では石を使うということはなくて、コンクリートで一律にわっと固めてしまうっていうのが通常なんだそうです。
もし石積みを使うとしたら文化財に対してなんだそうです。
例えばお城の石垣とかってありますよね。
あのお城の石垣って、もし壊れたとしたらコンクリートで作りますか?
いやまた石を組み上げますよね。
そうやって今まだ残っている文化財で修復していこうっていう話になった時には石を使うんですって。
でもそれ以外のところでは石を使うっていうことは法律的にはなかなかOKが出ないということで、
どんどんどんどん自然の風景とかそういったものが消えていってしまうんですね。
でまた文化財だとかっていうことで石積みをしようと思ったとしてもですね、
そのじゃあ石はどこから取ってくるのかっていう問題にぶち当たります。
その石は本来であればその土地にある河原の石を使うのが一番いいんだそうです。
なぜならば河原の石は水によって磨かれていて角が尖っていない。
だから積みやすいんだそうですね。
そして大きさもそれなりにいい感じの大きさだと。
25センチから35センチくらいの大きさのものを見つけやすいということで河原の石を使うことが通常なんだそうです。
しかし今河原の石っていうのは勝手に持ち出しちゃいけないんですね。
日本全国どんな川も僕の今住んでいる高知県の地区のですね通っている川のね石も勝手に持って行ってはいけない。
ちゃんとそれは買うとか管理されているんですよ全部。
それを持ち出してはいけないから石積みに使うこともできないと。
そうすると外の採掘所とかそういったところから取ってこなきゃいけないんですね。
例としてね言っていたのがですね僕が学んだのが石灰ですね石灰岩を切り出したものっていうものを使うんだけど
でも明らかに大きいしそれからその石灰岩も周りの風景とはちょっと異質なものになってしまうんだそうです。
やっぱりその場所にある自然の石を積むから景観としてマッチするわけであって
12:05
外から持ってきた別の性質を持っている石を組み上げてしまうとそこだけがどうしても異質な空間になってしまうよねということを言われておりました。
海外ではこの石積みの文化っていうのは資格制度を取ってですね継承をしていくっていうことがあるんだそうですが
日本ではもうこの石積みの能力スキルを持った方っていうのはご高齢になっていて
でもそれを使う機械っていうものがないしもう体も動かないから誰かに伝承をするっていうタイミングがないんだそうですね
そしてどんどんこの石積みの文化とか技法は廃れていってしまいます
あの石積みの穴の一つ一つにはたくさんの生物も住むんですね
まさに一つ一つが小さな小さな極小のビオトープとも言えるわけです
そのビオトープがいっぱい集まったのがあの石垣であり
そして人が見てああ美しいなっていう空間景観になっているんですね
だからこそこの石積みというものも僕たちは今忘れかけておりますけどね
忘れずに知っておきたいよねって思う次第でございます
ということでいかがだったでしょうか
最後まで来てくださったあなたぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね
今日はですね高知工科大学というところに僕が行って里山工学というですね
公開講座を受けてきました
その公開講座で学んだことをお話ししてみたんです
いかがだったでしょうか
これからの自然のことを考えていくにあたって
やっぱり昔の人たちが積み上げてきたものっていうものも
継承していくっていうことはかなり倫理からっているのでね
大事なんじゃないかなって思う次第でございます
ご清聴いただきありがとうございました
ここまでのお会いでは薬膳師であり森林インストラクターであるもうちゃんがお送りいたしました
またお会いできることを楽しみにしております
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ
14:33

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