はい、みなさんこんにちは。水上アワーです。水上です。
今日も、今日は熊谷さん登場2回目ということなんですけれども、
ちょっと一度、声がわかるようにお名前をお願いできますか。
はい、熊谷博明です。
ダンスを振付したり演出したりしていることを主に今やってますけれども、
ダンス劇作家と自分で呼んで活動しております。
はい、ありがとうございます。
前回も実はお話しさせていただいて、あれはもう2ヶ月くらい前。
そんなに?
かなって気がするんですけど。
でもそうかもね。
うん、今6月だから。
この前のソロパフォーマンスの打ち合わせじゃなくて、そのもう1個前の時だから、
4ヶ月くらい経ってた。
そんな気がします。4月くらいだったので。
なるほど。
その時は身体性が今求められているみたいな話とか、熊谷さんが結構言葉に寄せていっていたんだけど、数年前は。
でもだんだんまた身体の方に戻ってきた表現をしているっていう、結構最近の話をしてたんですけれども、
その中でもお母さんの話がちょろっと出てきたりとか、
なんで熊谷さん、一生よかったの話とかもしてたんですけど、
なんで踊り始めたのかみたいなのが多分あんまりわからないまま終わってたと思うので、
まずそこから聞いていきたいなと思いつつなんですが、
なぜ踊り始めたんですか、熊谷さん。
なんかね、いろいろなところで喋っているきっかけとしては、
小学校3年生の時に初めて見たミュージカルを見て、ミュージカル出たいなって思って。
そしたらまず踊んなきゃいけない。踊んなきゃいけないっていうか踊りも習わなきゃいけないとか、
そんなことを思って、いわゆるダンススタジオっていうのがあるらしい。
そこに通うのがいいのかなって思ったのが多分きっかけだと思うんだけど、
でも実際僕ダンススタジオに通い始めて、ダンスをいわゆる習い始めたのって高校1年生からなんだけど、
でも小学校3年生でそう思ってたから、すごく計画実行まで時間がかかる子だったんだろうね。
確かに。小学校の時は入ろうと思えば入れたんですかね。
たぶんね、だいぶ30年以上前だから今ほど小学生がクラシックバレーじゃなくて、
そういうダンスを習うっていうことの情報がそこまでなかったっていうのもあるとは思うんだけど、
でも僕未だにそうなんだけど、極力自分でやりたいタイプなんだよね。
襲わらずに。
襲わらずに自分でやりたいタイプなんで、
小学校3年生でハッ!って思ってからは一人で学校から帰ってきたら、
踊りを始めて、みようみまねでね。
早く舞台にも立ちたかったから、自分の家のリビングでおじいちゃんとおばあちゃんを披露して、
でもやっぱり孫だから、すごい褒めるじゃない。
そうですよね。
そしたらあれ、俺才能あるのかなって思って、
言い方としては、だからダンスを始めたのは小学校3年生で、
独学に限界を感じたのが、
こいつです。
とか中3の終わりくらいなんじゃない。
面白い。
もうそこまでやってみたの?
やってみた。
高校1年生で通い始めたときに、周りの人が信じられないくらいできた。
できたっていうか、独学だからいろんな間違いはあったけど、
なんか踊ったことある人みたいな感じではいたっていう。
面白い。
きっかけかな、ダンスを始めたのは。
なるほど。
じゃあ高校生の時からは、結構舞台に立ち始めたというか。
そう、いわゆる発表会みたいなのがスタジオであるから、
それに多分、タイミングがよかったのが、
習い始めてすぐ、1年も経たないうちに発表会みたいなのがあって、
何曲か踊ったっていうのが初舞台でしょうね。
どんなダンスをその時やってたんですか?
僕はミュージカルに出たかったから、まずバレエも習ってたし、
でもジャズダンスと呼ばれるものですよね。
なるほど。
いろいろジャズダンスって言っても時代が変わってきちゃうと、
ジャズダンスと呼ぶものがすごい多くなったので、
でも当時僕が思っていたジャズダンスは、
本当にミュージカルで踊られているもの、
クラシカルなジャズダンスっていうか、そういうのをやってましたね。
それを教えてくれる先生が札幌にいらっしゃったんですか?
そう、札幌で、
一番上の先生は広瀬先生っていう、今ずっと僕の中では永遠の師匠ですけど、がいらっしゃって、
その先生のレッスンを受けてた人たちがやがてインストラクターになって、
結構大きなスタジオだったんだけど、そこで始めたので、何人も先生がいて、
いろいろ習ってた感じかな。
なるほど、なるほど。
でも小学校3年生に戻るんですけど、
ミュージカルをしたいってなったのは、何を見てたんですか?
キャッツ。劇団式のキャッツを見てたんだけども、
なるほど。
でも今日もその話をするっていうので朝から考えてたんだけど、
キャッツに出たいっていうのもあったんだけど、
その前に、なんとか戦隊とかあるじゃないですか。
それぞれ世代別にね。
ゴレンジャーみたいな。
僕はね、ゴーグルファイブが多分ど真ん中だと思うんだけど、
そんな時、そういうのって、
僕札幌だけど、近所の遊園地の屋外ステージとかに来るわけですよ、ショーに。
それを見て、生で見るのが嬉しいんだけど、
敵キャラとかも出てくると怖いみたいな、いつもドキドキさせられてたんだけど、
一回ね、僕ホテルみたいなところのステージでやるそういうショーを見た時に、
あまりにも間近で見る敵キャラが怖すぎて泣いたみたいなんだよね。
そしたら、そうせっかく見に行ったのに。
そしたら母親が焦って、外に一緒に出たの。
そしたら外に出た時に、今まで怪獣と戦っていたはずのヒーローが、
いわゆる楽屋じゃないけど舞台じゃないオフな出番待ちの状態を見てしまった。
そしたら敵キャラと割と仲良く喋ってて、
その時に何かそういういろいろなものの裏、パフォーマンスする裏を見た時に、
憧れが急にそこで湧いたんでしょうね。
そこで幻滅するんじゃなくて。
僕はこのヒーローショーで怖がらされるんじゃなくて、そっちの方をやりたいって。
作る側をね。
裏で敵キャラと仲良く喋りながらも、子供たちの前では戦っているみたいなことをやりたいって、
漠然と思ったのはすごい覚えてるんだよ。
何歳ぐらいとかなんですかね。
小学校入る前。
小学校最初はアクションクラブに入りたいみたいなのが夢だった。
まさにヒーローものの、いわゆる着ぐるみを着て何かする方になりたいっていうのがずっとだったんだけども、
キャッツを見た時に、さらにこっちだみたいと思ったからダンスになったんだよね。
確かに確かに。
ヒーローものも、ドラマの中では結構身体的な感じですよね。
アクションしたりとか。
変身したりとか。
その頃は変身する前の人と変身後の中身が違うなんて思わないからね。
すごい人たちがいるなみたいな思わないけど。
確かに。
そうか、なるほどね。
面白いですね。裏を見ることによって、自分もそれができるかなとか思ったのかな。どうなんでしょうね。
多分できるできないっていうより立場としてどっちかなっていうことだと思うんだよね。
見られる側か、見る側かとか。
僕はそうだったんだよな。
あとうち父親がデザイン事務所をやっていたので、
自分で何かを起こして仕事をするっていう大人をずっと近くで見てたから。
だからあんまり自分、どうしたらいいんだろうみたいな不安もなぜかなかったみたいなのがあるかな。
すごい、そこからすでに。
なるほどね。
すごいですね。
キャッツを見たのはどういうきっかけだったんですかね。
これが実は父親で、父親がデザイナーだったので、デザイナーが見る雑誌があるのね。
デザインの現場からみたいな雑誌だと思ったんだけど、
キャッツのメイクと衣装と舞台美術がすごくデザイナーにとって面白いということで特集してた号があって、
父親がそれを見て、たまたまそれを見たときに札幌にキャッツが来るときだったから、
せっかく札幌だから見に行こうかなって言って、一人でも無難だからって家族と一緒に行ってくれたのが最初だったのね。
初めてミュージカルを見たそのときに。
それはびっくりしそう。
そう、びっくりした。
しかもキャッツって絵目が結構あれなんですよね。
舞台だけど特殊な舞台だし、構造的に。
本当に幕が上がって何かがあるっていうか、ずっと舞台上に何か物が置かれてるのをずっと、
お客さんが入場するときから見れていた。
突然始まって、隣に猫がいてみたいなのが、
またあのヒーローショーのときと同じような、また驚かすんだ俺のことと思ったけど、
だからますます、いやいや俺は驚かされるんじゃない。
こっちだよ。
客席の通路に急に出ていく猫になりたいみたいなのを思ったんですよね。
面白い。
不思議な子だよね。
でも確かに自分が受け手側ではなくてやる方なんだって思うのは結構大事かもしれない。
でもそうかも。誰に言われたわけでもなくて。
誰に言われないからね、そんなこと。
そうだよね。そうだよね。
またキャッツに連れてってって言うんだったら分かるけどね。
出るって言うんだもんね。
あ、そっか。またキャッツに連れてってっては言わなかったんだ。
でもそれでも何度か、そんなにチケット安いもんじゃないけども何度かお願いして、
1年以上ああいうのってロングラウンド同じ地でしてるから見に行ったと思う。
でもその時はもう見たいっていうか、出るんだから見なきゃいけないみたいな。
そうね、出役として研究し始めてる。
俺はこの役なら。
やるんだみたいなことで見てるから。
すごい小学校さんですよね。
でも確かにそうやって見ると見えてくるものも違うでしょうね。
そうだと思う。
なるほど、なるほど。
だから踊りを始めたきっかけっていうか、その時からもう踊ってたって感じだよね、夜は家で。
そうですよね。
なるほどな。
私もでもこの話を聞くにあたって、自分の子供の時って何だったんだろうって思い返したんですけど、
私は踊ったり歌ったりも確かにしてたし、
でも加えてそれをしたりとか普段生きていく中で、
これって何だろうみたいなことを常に考え始めていたなって昨日ちょっと思って、
だからある種メタな視点というか、
例えば親戚とかが集まって、宴会みたいなのをして、
子供だからカラオケで歌いなよみたいなので歌うんですけど、
これは本当に彼らが歌ってほしくて歌ってるのか、
なんか自分が歌いたくてやってるのか、
それとも何かしらこれは社会的な機能を持った行為なのかとかを結構考えていたなって思い出したんですよね。
単純にそこで何かパフォーマンスするというよりも、
それが親戚同士のつながりをどう強めてるのかとか、
そこに自分が参加することによってどんな影響を与えているのかみたいなことを、
結構メタに自分はずっと捉えていたなという気がしていて、
それが人類学みたいなものをやることになったんだろうなというのは昨日ちょっと思いました。
カラオケで歌ってたのは何歳ぐらいのとき?
それこそ小学校行く前とかですね。
4歳、5歳とかで赤トンボとか歌ってたと思います。
歌いながらそんなことを思ってた?
思ってましたね。
なるほどね。
でも今はもうそういう感じで生きてるんですか?
そういう感じというか、そこでもう学問の門を叩いてしまったから、
今ますますそういう認知の仕方で社会を見てる?
そうですね。だからそれがずっとたぶん私は中学、高校、大学院までずっとそれをやってきたと思うんですよ。
人間とは何かというか、人間社会ってなんでこんなことになっているのかなとか、
なんでアフリカの人と日本の人でやっていることが違うのかなとかをずっと考えてきたんですけれども、
だからそれはある種、私の場合はうまく日本社会にフィットできないみたいなものも一緒に同時にあって、
フィットできない自分、だからたぶんなんでカラオケで歌わされるんだろうみたいな自分がいて、
それってどういうことなんだろうというのをずっとたぶん考えてきたのが私の20代までの人生だったかなという気がしてるんだけど、
そのメタな自分をもうちょっと自分の身体に寄せていきたいみたいなふうに最近思っているというか、
メタに外から見てるだけじゃわからないこといっぱいあるよねっていうので、踊り始めたりしたのかなという気がしてますね。
なるほど、なるほどね、自分が自分の体から離れすぎていたもんだから。
そうですそうです。
なるほどね。
でもそれを聞くと、僕は今、僕たち知り合ったのは結構前だけども、こんなに密に会って喋るようになったのって最近じゃないですか。
最近ですね。
僕は勝手にすごく喋りやすさを感じてるんですよ、一緒にいて。
何かなと思ったんだけど、たぶん僕踊りやってないとそうだねっていうか、体使ってるから辛うじて自分で入れてますけど、
俺そうかもしれないなって思うとか。
最近多々ありますね。
この前も僕ワークショップもやってて、それは1対1じゃないワークショップもやってるから、
ワークショップの前に会場のラウンジみたいなところでちょっと早めに着いたんで、アイスコーヒー飲もうかなと思ってアイスコーヒー持って入ったら、
ちょうどその後受けてくれる、いつも受けてる人が2人いて、すごく仲良く喋ってた。
僕が何かの表紙にアイスコーヒーこぼしちゃった。
そしたら僕より早くその2人はティッシュペーパー持ってきてくれたりとか、ブワーって片付けてくれて、
なんか僕がほぼ動けなかったぐらいなんだけど、結構そういうとこよくあって、
なんていうか人間としてすぐ動けた方が絶対に正しいじゃない、正しいっていうかその場ではね。
でもそれが結構僕できなかったりとか、
あと自分が誰かがこぼしたまま拭く時とかも、
拭いた方がいいんだよこういう時はっていう指令が出てから体が動くまでに結構時間がかかって、
違うとこにいちゃう時あるんだよね。
あとこういう時こういう一言かけた方がきっといいっていうのが分かってたりとか、
それをパッてできてる人見ると素晴らしいなって思うんだけど、
なんかなか自分からそれが出てこない。
なんか何かの現場の休憩時間も、
選手座って楽しんでケータリング食べたらいいんだよって思うんだけど、
なんか一歩引いている自分がいるとかっていうのがいつもなんかね、
いつも状況の外にいちゃうのよ。
でも体を動かしているっていうのは若干あるから、
途中で自分の体に戻ってくるんだけど。
その瞬間はちょっと特に。
だからちょっとね、周りから見ると不思議な時間差があるんだと思う。
なるほどなるほど。
だからその2人は結構考えるより先にパッてやってくれて、
手が動いていたってことですね。
でもその2人とはすごく交流があるから、
それに対して自分との開きを感じるっていうか、
ただ素直に感謝と尊敬みたいになるけども、
それがそこまでの関係がない人のそれを見たときに、
え、本当にこの人やってるんだろうか?
なんかね、正しい風景ではあるけども、
それと本当に人間が本当にこんなのを揉むのが動いてそうなっているのか、
そういう教育を受けてそうなっているのかとか、いろんなことを考えちゃう。
確かに。
あー、そっか。なるほど。
でもなんかそれって、
それこそ言葉にするとか、作品にするみたいなこととか、
一つの受け取れる形にするっていうのは結構重要だとは思っていて、
自分から一回離れるっていうのが。
自分から一回離れて見てみないと、
どのような状況に自分が置かれているのかとか、
自分が何をしているのかって多分あんまり理解できない。
あんまり自分の中にいると。
だから多分踊っている最中とか、舞台にいる間はそんなこと思わなくていいんですけど、
でも何かを作るとか、何かそこで起きていることを
パッケージにしなきゃいけないってなったときには、
そういうちょっと引いた目線っていうのが必要なのかなと思っていて。
なので熊谷さんがダンサーだけではなくて、
ダンス劇作家をできているゆえんというか、やっているゆえんもそこにある気がしましたね。
なるほどね。
確かに集団の中というか、
ダンサーとして3人以上の中で踊るよりは、
6人ぐらいに何か作っていた方が気楽なところはあるんだよね。
ダンスは好きだけど、
体的にはきっと、それは親に感謝だけど、すごく健康に生んでいただいたから、
体を動かしてダンスをやる仕事に身体は向いていると思うんだけど、
思考が向いていないんだよ、俺。
確かにパッパって動けた方がいいですもんね、ダンサー。
踊るだけであればね。
演出家とか振付家が言ったことに対して、
わーって即座に反応して自分の中で答えを出していくのが良いと思うんだろうけど、
まず言われたことに対して本当にそうなんだろうかと思い始めちゃったら、
すごい時間がかかるんだよね。
今は岡井さん、自由な作品をやっているからいいと思うんですけど、
例えばカンパニーにいた時とか、
それこそダンス教室にいた時とかってどうしてたんですか?
なぜそんなんて思ってたりしたんですか?
ダンス教室はたまたま良かったのは、
さっきも話をしていた広瀬先生っていう、今は結構おじいちゃんですけど、
彼はすごくやっぱり一人一人に作家性を求めていたというか、
全員じゃないんだけど、それが響く子にはますます作家性を育ててくれて、
みんなで一緒に踊ることが上手だから良しとはするんじゃなくて、
何考えてるのかとか、
あと、その先生から指示されたことに対して、
どのように熊ちゃんが変化しているのかみたいなことに、
すごく重きを置いて指導してくださったから、
今思えばすごいそれはもう感謝しかないというか、
みんなのように踊りなさいっていう先生だったら、
僕は結構早々とダンス嫌いになってたかもしれないけど、
どっちかというとその後東京に出てきたりとか、
あとシルク・ド・ソレイにいた時は3年間くらい何人かと踊ったりとかしてたし、
組織の中だったから、そっちの方が苦しかったかな。
それはやっぱりワンテンポ遅くなっちゃうからってことなんですかね。
何が苦しかったんですかね。
この演出でお客さんの前に立って、
お客さんがそれを見て喜んでること全てが信じがたかった。
信じがたい。
本当にいいのかこれみたいな。
ずっと思ってる。
それは何?やっぱり全体が自分の中で見えてなかったから?
それとも見えてるけどなんか違うなっていう感覚?
結局すごく視野が狭かったからだと思うんだけど、
自分の小さいながらも自分の中で広げてしまった、
作家としての世界価値観の中では受け止めきれないほどの
エンターテイメントの世界だったから、
成長痛みたいな感じじゃないですか。
無理やり価値観をこじ開けられてそこで踊れみたいな感じだったのが
辛かったんだと思うんで、今考えるとね。
だからそれは演出でお客さんが喜んでいたことも
今考えるとそりゃそうだよなっていうことだけど、
当時の僕の狭い価値観では受け入れきれないっていうことを
認めたくなかったから、
俺はこれは面白いと思わないけどね、みたいなことになっちゃったんだよね。
でもそんな風に思いながら踊っているとバレるんじゃないですか?
大丈夫なんですか?
でもそこで僕はここでダンスを頑張らないと
多分今までのことが全部ダメになるだろうなと思ったから
踊るのは頑張ってたんだよな。
そこそこ褒めていただいて、
途中からソロとかももらって、
それは助かったというか、いろいろ。
みんももその時の体を鍛えた経験が
ずっと助けてくれてはいるんだけどね。
気持ちは辛かったですね。
じゃあなんでこれが喜ばれるのかわからないし、
でも自分は全力でそこに携わっていて、
評価されるし、
でも契約もあるから、
その契約を延長してずっといようとは思っていなかった。
きっと日本にこれから帰ったら
もう僕は一人でやるしかなくなるんだろう。
またどこかに属してとか、
頑張ってシルクとソレイにいましたっていろんなところに使ってもらうっていう
自分の人生が本当に浮かばなかったから。
本当に踊り頑張って踊りうまくならないと
もう終わるなと思って。
一人立ちできるくらい。
やらなきゃみたいな気合があった。
なるほどね。
それは結構最初の方にわかったんですか?
入団して。
最初の方にわかった。
まずなんで来たのかっていう。
人間って自分にすごくよくできてるから
オーディション受かって行くことが決まったときは
やっぱり俺今まで頑張ってたからやっとこういうチャンスが来たと思って
行ってみたら自分の思ったのと違いすぎたから
今度はなんでここに来たんだろう。
神様は僕に何を貸して今ここに置いてるんだみたいなことを考え始めて
それで来たいよってなったんだね。
それがカナダに着いてすぐぐらい?
カナダに着いてすぐ登った。
すごいな。びっくりですねそれは。
子供の時にカラオケ歌ってこれってなんだろうと思って
でも今の学問に出会うまでは結構時間があるわけでしょ?
ありますね。
小・中・高校はさすがにもうわかるか?
そうです。高校終わる。
でも高校の時も
なんて言うんだろうな。
僕はでも結局熊谷さんみたいに何かを表現するみたいな手段を持たなかったから
ずっと考えてたんですよ。
何なんだろうこの人たちはね。
周りの人たちの行動の意味がわからないし
でもみんなそれが正しいと思って突き進んでいるけど
それもよくわからないなみたいなずっと高校生ぐらいまで来て
高校の時とか一番こじらせてたからほとんど友達いなくて
高校の隣にあった公園のあずま屋で
恋と一緒にご飯食べてたんですけどずっと。
すごいね。
ほんと周りの人がやってることが意味不明すぎたから
自分も一緒にそのノリについていけなかったし
だから私の高校は結構みんな大学に行くような高校だったから
北海道大学とか東京大学とかそういうのに行くのが
みんな目指すべきとこで
そうじゃない人はダメみたいな感じだったんですけど
私もそれもよくわかんなかったし
その時に確か高校の図書室で
ギリシャ古典を読み始めたんです僕は
プラトンとかアリストテレスとか
人間とは何かとか世界とは何かを結構最初の方に言い始めた人たちの文章を読み始めて
こういう人たちみたいに生きていけたら面白いかもなってちょっと思って
でも彼らが言っていたのは自由な中が大事だみたいなことを言っていて
それが今で言うリベラルアーツのことなんですけど
人はその時最後に来るのが修辞学
スピーチするのが人間にとって最も崇高な技なんですけど
それをするまでに人間は数学とか歴史とか文学とかを学んで
その最後パフォーマンスできるようにならなきゃいけないみたいなことを言ってるんです
ギリシャ人は
私もそうしたいと思ってそれができそうな場所ないかなって言って探して
行ったのがリベラルアーツができる大学だったという感じで
その大学で私は人類学に出会って
人類学者が自分と同じようにひねくれているということに気づき
この人たちが書いたことなど意味がわかるし
こういう人たちと一緒のやり方で世界を考えてみたら
もうちょっと世界のことがわかるかもしれないと思って大学のときやり始めたという感じです
でもみんな似たようにひねくれてるけどみんな違うひねくれ方してるから
気は楽だけど仲は良くなれる?
仲はあんま良くないと思う
でも安心感はあるでしょ?
安心感はある
だって別に自分以外の人がつるんでるわけじゃないもんね
しかも仲良くなったなと思うのはもう死んでる人とかだから
本書いてるから
あいつのことはわかるんだな
書き方が自分と似てるなとか思ったりしたんですよね
そのときにちょっと私が人類学面白いなと思って読んだのが
エヴァンス・プリチャードっていう人が書いたヌアー族っていう本なんですけど
そこでざっくり言うとヌアー族では人間より牛の方が価値が高いんですよ
牛がどれほど良いものかによって
人間の方の価値も定められるみたいな社会で
だから私は高校生とかまで
例えば偏差値とかも人間に点数つけてるみたいな感じだなと思ってたし
人間が評価されないと人間社会では生きていけないんだなっていう
漠然とした考えがあったんですけど
その本を読んだときに
別に人間社会と一言で言っても
いろんな尺度があっていろんな価値観があって
別に人間に点数付けしてない社会もあってから
何でもいいんだなみたいなふうにちょっと思って
そういうふうに人間を考えてみたいというふうに思ったことが最初ですね
なんかさっき言ってたスピーチじゃないけど
パフォーマンスとして生み出されたものが
パフォーマンスとして評価されるっていうのが近いのかもしれないね
今はなかなかそんなことなくなったけど
あの人ろくでもないけど音楽はいいんだよなとか
今ね最近なんかろくでもない人だったら音楽まで否定されそうな
確かに風潮が
なっちゃったけど
でも一昔前はねそういうこともあったかな
生み出たものが評価されてるみたいな
でも牛だとまた全然違うんだよね
そうそうそう
牛だと全然
いい牛
牛をどれだけ集められるかってことですね
そうだね
こういう公園とかでも
はい
餌をまいてるわけじゃないのに
鳩に囲まれてるおじさんとかさ
なんかすごいのかもしれないなって思う
いやすごいと思います
そうそうなんか動物が寄ってくるね
そうそうそう
そうしたらなんか僕たちが
僕たちの評価軸じゃないところで
超人気なおじさんっていうことだから
あるだろうね
あると思う
そんな感じでしたね
それでだからなんか自分のこと
自分の価値観とかも更新したいし
もっと世界のことをちゃんと知りたいなっていうので
イチオピアに行ったりしたんですけど
なるほどね
そんな感じですね
それがそっか
なので今度9月にちょっと日程が変わりましたけど
9月に熊谷さんでやる私の講演とかも
そういう感覚でできたら一番いいですね
でも何か変わるというか
身体ってそこにあると絶対に変わるじゃないですか
例えば今日夜お家に帰って
全然知らないおっさんが立ってたら
すげー驚くでしょ
だから身体ってすごく暴力的なんです本当は
もう存在するだけで
暴力的な身体がさらに踊って見てくれみたいなのって
とてつもないことですから
その暴力性をどんどん
暴力性というかそういうことに何かときめきを感じる人もいるし
そういう人たちに向けたパフォーマンスももちろんあると思うけど
暴力性があるということを自分で一個受け入れて
いわゆる手も足も出しません
殴りませんからっていう風に踊るって結構僕の中では大切だなと思って
それが炭火焼きの状態というか
出っ張る踊りじゃなくてへっこんでいくみたいな
それが今度9月のソロでもそんなことが見えると
そうするとやっとお家が見えてくるというか
そうですね
そうですねまさに
今思い出す全然違う話かもだけど
私はエチオピアでずっと道具を作る人の家にいたんですね
斧とか釜とかナイフとか
道具ってすごく不思議なんですけど
もう人間がこう握らざるを得ないという形をしてるんですよ
例えばだから斧とかだったら先っぽの方が重い鉄がついていて
その鉄と垂直に木の棒がついている
ってなると人々はやっぱり木の棒の方を持つんですよね
自然と振り下ろす
それってなんか私ここを持ってくださいって矢印ついてたりとか
ここを持ってこうやって使うんですって言わなくても
みんなできるしやってしまうっていう
それを専門的な用語でアフォーダンスって言ったりもするんですけど
人をアフォードする
人がそのものに動かされるっていうことなんですけど
多分そういう踊りなんだろうなと思って
だから何かを魅力を見せるとか
表現してそれを受け取ってもらうとかではなくて
自身が道具のようになって
握れんじゃんみたいに握ってもらったりとか
なるほどどんなことをやってるんだろうなみたいなので
自然に入ってきてくれる状態を作れるといいんだろうなと思いました
僕の演出助手をやってる男がいて
全部の作品じゃないけどたまに携わってくれてる男が
この前の僕の作品でリハーサルを見て言ってくれたのが
クマちゃんが作るダンスの魅力ってアフォーダンスでしょって
それが作ろうとしすぎる時に乱れてる時に
ちょっと気持ちよさが損なわれるなみたいな話をして
今話を聞いててまさにそうねと思う
難しいですよね
伝えようとして脚色をして
綺麗にしていくっていうことが普通の表現だとすると
誰かに来てもらえるように整えるっていうのは
違ったテクニックが必要で
私はまだそこをよく分かってないなって部分があるんですけど
熊谷さんどうやってそれをアフォードしてますか人々を
もう自分の体の中に違和感がなくなるまでというか
なくなるトレーニングもしくはその人が
あと僕の体がそう動いて
違和感がない稼働域みたいなのを増やすっていうことが
僕の中のトレーニングなんだろうなと思って
やっぱり無理してるものってそんなに
何かを人間がそれを見て受け入れる前に
大変そうだなっていうのがまず一個来ちゃうと
もうそれで全てが持っていかれるので
だから僕まだ実家に住んでいた時
高校生から20代前半ぐらいまでの時って
僕が踊りを踊ってもうちの犬は吠えないんですよ
それを見て母親が真似をすると猛烈に吠える
うっすらとその違いをその時から感じていて
だいぶ僕踊ることが普通になってきたんだなみたいなこととか
そういうことでさっき言った通り見てる人が入り込むというか
そこにあって踊っていることが当たり前だと思ってくれるのか
ちょっと異常を感じるのかみたいなのは
その人がどれだけ踊るという行為に対して
敵意を持っていないかみたいなのが大事で
敵意をむぎ出しにして頑張ることが頑張る努力なんだっていう
風潮というか分かりやすいから
それってやっぱりきついトレーニングをするとか分かりやすいんだけど
僕はいつもそれに疑問を感じるのがそういうとこなんだと思う
踊っている人がダンスに
なんか敵意というか
戦っている感じがするでしょ
戦っている感じ確かに
そういう人もいますね
そうなるとそれが見えづらくなるんじゃないかなと思ったり
するなあ
自然がいいですよね
なるほどね
一方でこれは私がこの間にわぶんこさんで
ちょっとプレ的にやった経験からなんですけど
あまりに
なんていうんだろうな
日常的な動きの延長にしてしまうと
ほとんどそれをしてしまうと
見ている人は踊りだと気づかずに
それこそ何を見たらいいんだろうみたいな感じになっちゃったなあ
っていう感覚があって
ある種ちょっと異化するというか
なんかここはそういうのを見ていい空間なんですよとか
あなたたちは私の家に招かれているんですよ
ということを知ってもらわなきゃいけない
時にどうしたらいいんだろうってなったんですけど
それがそこに
お客さんとか見ている人の思考が
結局こういうことかってたどり着くまでの動性みたいなのを
体を使って多分変形させてあげると
あげることは多分僕やってるんだろうなと思って
だから一見見たらダンスと思えないっていうことと
また微妙に違って
あれダンスかと思ったらそうでもないっていうのが
いいんじゃないかなって僕は思って
そのくさじ加減が難しいし
でもそれってすごくたくさん体のストレッチをするとかっていうよりは
今持っている自分の体の組み立て方で
いくらでもどうにかなるものなんじゃないかと思うんだけど
さっき言った道具の話じゃないけど
例えばこれは見るからに
スマホの三脚ですって思う商品もあれば
なにこれここ開いて引っ張って
うわ三脚じゃんみたいな
そっちの校舎の方が
ダンスとしては魅力的というか
確かに見るものとしての驚きがありますよね
だからあれなんか
ダンスかと思ったら実はこれは朗読だったみたいな
そういうトリックが必要になってくるのかもしれない
どんなことでもダンスに見えるでしょっていうのは
僕は思うことはできるけども
やっぱりパフォーマンスとしてはどうしても
ちょっと強引なというか傲慢な
主張になってしまうから
そこに何かもうちょっと
踊りとかダンスとか身体表現だと思われそうな
気配も入れつつ
でも実際はお茶を飲んでるみたいな
そのことなんだと思うんだけど
その道具が使いにくかったとしても
目的を果たせる道具でありたいですよ
そうですね
振り下ろしてみたら
こんなごらんになってしまう
斧だったらどうしてもないから
確かにそうですね
やっぱり素材としての強靭さっていうのが
大されるっていうことですね
そうだと思います
大変だ
本人がそこに自信を持たないと
身体がなかなかそこに行かないでしょ
そうでしょうね
そうだと思います
それが
いわゆるダンスのトレーニングと言われて
皆さんが思い浮かぶことが
ダンスのトレーニングなんじゃなくて
いろいろな手法で目的を果たせるかどうかっていうこと
これでも私はお茶を飲めるとか
それって自分の自信をどう膨らませるかっていうと
自分の中にある身体を動かすっていう
身体的な思考をどれくらい組み替えれるかみたいな
新しいものを持ってくる必要はないと思うんだけど
今ある自分のボキャブラリーをどう組み替えていくかみたいな
遊び心のセンスを磨くみたいなのが
すごい好き者みたいな話になってきた
佐藤みたいなことになってきた
そうなのかもしれない
そうですね
なるほどな
そうなんですよね