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「急に具合が悪くなる」の感想を話す会
2026-07-08 56:13

「急に具合が悪くなる」の感想を話す会

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私たちは作品では無く、フィクションの世界のことを語りたい。

感想

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00:00
これ歌ってもいいんだよ。いいよ、いいよ。 こういうことからスタートするんだ。
水上アワーの時間です。はい、こんにちは、水上です。よろしくお願いします。 今日はゲストの2人をお呼びして、「急に具合が悪くなる」の感想会をしようかなというふうに思ってまーす。
緊張しないで。 いや、喋れるかなと思った。 大丈夫、大丈夫。ただ普通におしゃれすればいいだけだから。そうだね、あんま気張らないでね。
お2人の声がわかるように、自己紹介というか、お名前、言いたいことがあったら、もしお願いします。
ユーポンの友達の炭沢です。よろしくお願いします。
同じくユーポンの友達のアクネです。よろしくお願いします。
アクネなのね。
あっ、私もアクネ佐藤子と言います。
炭沢ひろゆみです。
アクネって呼んだことあんまないからさ。
なんて呼んでる? 佐藤子か。
なんじゃ佐藤子で? 佐藤子じゃない。
よろしくお願いします。
じゃあ佐藤子でいきましょう。
今日は何してるんですか?ここで。
今日は収録の日は七夕ということで、
佐藤子の家に2人を呼び立てして、
めっちゃ素敵な家。
日本じゃないみたい。
ど真ん中です。日本東京ど真ん中ですけど、
炭ちゃんが笹の葉を買ってきてくれて、みんなで炭沢をかき、
さっき屋上でみんなで花火して、
佐藤子が作ったすごい美味しい料理を食べて、
めっちゃ美味しかった。
今は京都のお土産のようかもいただきました。
すごいよ。こんなことないよ。
こんな七夕最高じゃないって。
ありがとうみんな。出会ってくれて。
こちらこそです。こちらこそ。
全然これ撮る気にならなかったけど、
撮る気になったからよかった普通に。
最後の最後で。
最後の最後でいけるかもしれない。
そういうつもりで行き集まったからね。
大丈夫。みんな思い出してる。
私は確か風切りの日に見たから、6月29日とかに見てて、
今、7月7日?
まだギリギリ残ってる。
割と最近なんだね。
公開された映画なんだけど、
すぐ見たね。
そうだね。
すごい。それはそれで。
6月29日に見た炭ちゃんは?
俺も1週間以内では見てる気がする。
1週間前とかな気がするな。
私も7月1日のファーストデイに見に行きました。
すごい。
今日はポンスが、ポンスって。
私はポンスって言われてます。
水上さんがこれの収録をしたいって言ったんですけど、
03:00
なんでこれをしたいと思ったんですか?
私は結構ちょっと内部的な側なんですね。この映画に関しては。
というと?
原作者の磯野さんは私知ってるし、何回も会ってるし、
DMとかもするんですけど、
だからあれが書かれた経緯とかもなんとなくは知ってたりとか、
原作の内容も知ってるし、
あとこの映画の中にすごいいろんな人類学者の本が引用されてて、
例えば映画の中には劇があったと思うんだけど、
劇集劇。
そうそう、あれはプシコナウティカっていう松島健さんっていう人が、
プシコナウティカ。
近くで見たら誰もまともじゃないみたいなやつ。
バザーリアの。
象徴的なシリーズですね。
その話は人類学者の人がイタリアに行って書いた本から持ってきてる話だし、
自変症の子がいたじゃない。
トモキ。
そう、彼の話も多分だけど、
イノセイさんっていう人類学者が書いた野生の失踪っていう、
お兄さんが自変症でお兄さんが失踪しちゃうっていう話の本からも多分引用されていたりとかして、
かなり人類学っぽい内容が入ってて、
私はそことかをけっこうかっつり共感しながら見てしまうという背景があるんだが、
世の中のインテリの人たちがツイートしてるのはどうもちょっと要素が違うし、
でもそして2人はまた違う見方をしていて、
私はけっこう2人の見方に共感するところがあったので、
ぜひこれを語りたいと思って、
今日設定したっていう。
よっ!
怖いよ、だって他にも急に具合が悪くなるについて語るポッドキャストいっぱいもう今時点で出てくる。
すごいさすが、研究してる。
絶対そうだよね。
さっきこのね、今3人でご飯会してるからスポティファイでプレイリストを探してて急に具合がって言ったら、
プレイリストよりもポッドキャストの方が出てくるでしょ。
そうなんだ。
すごい早々たるポッドキャスト番組で語られてるので、
もうそんなことは語れまへんと思うね。
けどみんなが語りたくなる内容だったよね。
そうだね。
そういう力があったと思う。
でもやっぱりその人たちに語ってない切り口だと思うんです、私。
ポンスは誰と見に行ったの?
私は大学の先輩で、彼も人類学やってた人。
なるほど。
だから絶対行こうねっていう話をして。
それは人類学フレンズ間では公開される前から何となく情報が入ってきてて、みたいな感じ?
06:00
入ってきてた。
さっきのプシコナウティカの話に入ってるらしいっていうのは、
私は6月の頭の人類学会で噂として聞いて、
スペシャルセンクスに入ってるらしいみたいな。
そのゴシップおしゃれさ。
ねえ、おしゃれ。届いてないぞ。
全然届かなくなった。
届いてないぞ。
そういうゴシップあんだ。
全然、田中美波結婚した人はゴシップ入ってこないんですけど。
別れたはずなのに。
そういうゴシップ入ってきたんだよ、実は。
おしゃれゴシップや。
いいね。
そうなんだ。
ありつつ、私が早く言いたいのは、
田中がこれはロマンティック映画なんじゃないかって言ったのが、
さすがと思ったんですよ。
ロマンティックだったね。
ロマンティックだよ。
思わなかったけど、思ったでしょ?
思った思った。
完全に恋愛映画だなって思った。
そうだよね。
ダブルマリの。
俺なんかやっぱ、そもそも本当にさ、
結構恋愛映画が大好きで、
ラブコメとか好きなんだけど、
一番好きなのは、
ビフォーサンライズ、ビフォーサンセット、
ビフォーミッドナイトっていう。
だったらもう今回は、
本当にね、
多分みんな言ってる人もいると思うけど、
すごいやっぱり、
光が2人が、
馬の2人があって、
一夜を共にするっていう、
ミラクルな夜みたいなのを描いたっていう意味では、
すごく似てる映画だったなと思ってて、
すごいと思って、
すごい素敵だった。
暑いよね。
めっちゃ急に汗だもん。
すごいね、ロマンティックな映画だなって思って、
終始なんか、
俺は結構ロマンティックな方向に、
目を向けてしまって、
2人が別にさ、
異性愛者か同性愛者かとかも、
語られてはいないし、
セクシャリティーとかも語られてないし、
その中で2人が人間として、
すごく興味がある感じ?
っていうのがすごくロマンティックだなと思って、
それにすごく一喜一憂したりとかしながら見てたっていうのを、
2人にLINEで伝えた気がする。
受け取りました。
受け取ったね。
受け取りました。
だからさ、
痛みにもがきながら、
楽しいね。
メッセージ送るサインシーンね。
そうだよね。
ニコっていう絵文字だったけど、
全然ニコっていう状況じゃなかった時ね。
そうそうそう。
なんかすごいそうだよね。
あれはロマンティックだったなと思うし、
どんなふうに話したらいいんだろう。
今ちょっと酔っ払ってるからなんですけど。
そうだね。
けど2人は逆にどう見ましたか?
さとちゃんは?
私は哲学仲間と見たんですよ。
09:02
で、哲学仲間とは言うんですけど、
私以外の皆さんが哲学をお仕事にされてる方だったっていう状況で、
私個人は全然ただのサラリーマンの一面もあるので、
なんか普通にいい映画だったな、
ほわほわみたいなところを、
終わったのか、
23時ぐらい新宿の回で終わったから、
じゃあみんなで乾燥居に飲みに行こうか、
みたいな感じで飲みに行って、
でも哲学者の皆さん的には、
ホワイトボードのシーンが死ぬほど胸クソ悪かったらしいんですよ。
なるほどね。
ちょっと特殊な時間の流れからしてたね、あそこはね。
まりさんのほうが、
私にとっては別に、
そこそんなに結構すっ飛ばしてたところでもあったんだけど、
どういう話だっけ?
資本主義がいろんなものを外部化していて、
環境問題を外部化するみたいな感じで、
人間の人権みたいなものとか、
そういったものをどんどん外部化していって、
真ん中に残ったちょっとのところで、
みんな生きてるよね、みたいな話がした。
要するにレクチャーだったんだよね。
講義が始まって、その時に。
ホワイトボードっていう舞台自体もすごい、
一方向的に誰かが誰かに対して教えるっていう設定だったし、
あれだけ一夜で盛り上がったダブルマリたちが、
そこは教える側、教わる側になるんだ、みたいな違和感もありつつも、
私が一緒に見に行った哲学仲間的には、
そこを語るのにそこは語らないんだ、みたいなことが、
彼らの視点からするとあったみたいで、
そこがすごい引っかかってそのまま、
しかもそこがその後、
回収されないまま終わりに行ってしまったような気がする。
ところが引っかかりポイントとしてあったみたいで、
結構私が見た後は、
一緒に見てた仲間がそういう人たちだったのもあって、
そこに結構終始しちゃったんだよね。
なるほど、と思って。
私は結構そこすっ飛ばして見てたから、
そこが気になるのね、みたいな感じだったし、
逆になんか、
たんちゃんみたいにロマンス映画として見るんだって人も新鮮だったし、
みんな本当に見る人が何者であるかによって、
結構見るものが違う映画なのかなっていう気がしていた。
そのとこはどういうとこを見てたの?
私単純に施設入りて超ハッピーじゃん、
みたいな感じで見てた。
連絡くれたときそれだったよね。
ファクトリエーターになりたすぎて。
これ分かんないんだけど、
なんかレクリエーションを考える職種みたいな。
12:00
あの施設に行ったはずで、
どうやって履歴書送ればいいんだろう?
うちらの的職はあれだったよね。
私もともとやりたいこと、
人生で成し遂げたいことの一つに、
ローズ・インフォームを遊び場にするみたいなことが一個あったから、
まさにいいじゃん。
結構そこがやれんじゃん、みたいな。
そこで結構一人盛り上がってたんだけど、
私はそこの感情が高ぶっちゃったんだよね。
あと個人的な出来事として、
今自分の祖母が90半ばぐらいなんだけど、
うちの母がお世話しに、
うちの母からしたら里帰りなんだけど、
月に一回帰っていって、
おばあちゃんのところに。
うちの直近の家族に対してさ、
いろいろ愚痴も言うわけさ、
おばあちゃんそんなことを覚えてなかった、
こんなことがしんどかった、みたいなのが、
結構すごい言うねん。
私の記憶の中のおばあちゃんはすごく凛としてて、
作るご飯も丁寧で、
姿勢もピッとしてたおばあちゃんだったから、
母の口から聞く今のおばあちゃんのあり方が、
信じられないみたいな感じで、
それを言う母のこともちょっとはてなって思っちゃうし、
みたいな環境がある中で、
やっぱり介護って、
私は今実際に携わってはないけど、
一人母という人を介して介護を見てるだけでも、
結構美徳として語りきれない部分があるから、
今ワクワククリエイターなりて、
あんなとこで働いてみてとか、
結構簡単に言っちゃったけど、
それだけでは語りきれないリアルな部分もあるなと思って、
そこを自分がワクワクする気持ちと、
少し近くに身近にあるリアルなところを天秤にかけて、
複雑な気持ちながらに、
でも、もし自分の近しい人が行くんだったら、
ああいう施設で会ってほしいな、
みたいなことを思いながら見てたかな。
人とって扱う、目を見て、
ユマニチュード?
そうそう。
体を触って、
深夜にナースコールされても、
あなたに会えて嬉しい。
呼んでくれてありがとう。
人によっては嘘くさい演出なのかもしれないけど、
私にとってはすごい、
こんなこと身近な人が言われたらすごい嬉しいな。
結構感情乗っかって見ちゃったんだよね。
単純な見方なのかもしれない。
グッと来てしまう。
俺は一緒に見た人が、
ずっと拡張性とかフェミニズムとかの研究をしたりとか、
15:02
それについての活動をしている人で、
やっぱりその人もホワイトボードで引っかかってた。
やっぱり資本主義を語るっていうところで、
拡張性が出てこないっていうことが、
いかに欺瞞か。
欺瞞って言葉ちょっと強く使っちゃったけど、
それは語りきれてないんじゃないか、
みたいな気持ちがあったみたいで、
やっぱりあそこってすごく、
俺はもう全然別に専門知識とかはないし、
そういう学問のバックグラウンドもないんだけど、
何かあそこで引き合いに出したのであれば、
これは出さなければいけないだろうっていう責任感みたいなものを、
やっぱり感じてる人はたくさんいたんだろうなと思ってて、
そう、けどなんか俺は、
すごく、まあわかんない、
これ脳天気で発見かもしれないけど、
ちょっとリュウポンも同じようなこと言ってたと思うけど、
なんかああいうことって言うよねって思った。
なんかすごくこう、
最初に会って、
この人だったら何か自分のことを
わかってくれるかもしれないって思ったときに、
なんか自分が思っている、
なんかその概念の話をしたりとか、
なんかこれってこういうことだよねって言って、
なんか実際そのフランスのマリの方、
ごめんなさい、あの名前忘れちゃった。
マリールー。
マリールーの方がさ、
言ったらその、
患者さんを人として扱うことをしたいけれども、
まあけどそれにはお金と時間がかかるっていう、
たばさみになってる中間紙職なわけじゃん。
けどなんかその中に、
あなたの課題って、
こういう概念で解きほぐせるかもしれないって、
思ってレクチャーしたのかなって完全に思ってて、
なんかあなたの責任だけじゃないし、
あなたの困りごとってもしかしたら、
なんかこういうことからひも解けるのかもしれないって、
自分がもしなんかそういう概念を知ってるのであれば、
なんかあそこでホワイトボードで、
なんかコーヒーを入れている間に、
なんかずししたい気持ちはわかるなって思ったっていう感じかもしれない。
そうそうそう。
私もそうだと思ったから、
なんか多分その、
これ以上に語るべきことがあるだろうとか、
あのシーンが違和感があるっていう人は、
多分結構監督のメッセージとしてしか、
映画を見てるんだと思うんだよね。
そうだね。
ある種、作品として見ている。
だからその作品の中に入っているわけではなくて、
その作品を世に出すということはどういうことなのかとか、
その発言力がある、
もうすでにだからいろんな賞を取ってる浜口さんが取った作品であるということで見てると、
それがなんか責任を果たせてないんじゃないかみたいなふうに、
捉えるのかなと思ったんだけど、
私たち3人は多分中の話をしていて、作品の。
あの時にすっかり中に入っちゃってたんだよね。
そうだね。
だからそこがちょっと多分違うんだろうな、見てね。
そういうコメントが出てくる人とっていうふうに思ったし、
私もたんちゃんと同じように思っていて、
18:03
なんかだからマリルを救いたいみたいな、
救いたいとは思ってないかもしれないけど、
なんか手助けをしたいみたいな気持ちで、
ああいうことを言うっていうのは実際あるし、
その中ではやっぱ、
あの結構エッセンス、
一番ギュッと見つめた時に話さなきゃいけないことは、
資本主義の外部化だったから、
結構それは、
あって叱るべきシーンだろうなっていうのは、
私はすごく思っていた。
そうね。
なんかすごく思ったよ。
あれはすごくいいシーンだったなって。
俺はなんか逆に好きなシーンの1つかも。
あのホワイトボードで出して。
なんかさ、結構さ全体3時間強ぐらいあったじゃん。
友達と一緒に映画見る時に、
3時間ってみんなこれやばいね、腰持つかな?
みたいな話してて、
誰かがチャットGPTに聞いたらしくて、
3時間見ますと今から急に具合が悪くなる。
席立つのはどこのシーンですか?
推薦されたのがホワイトボードのシーン。
なんで?
なんで?みたいな。
みんなはそうなんだけど。
確かにあそこがなくても成り立つ。
成り立つといえば、まあそうか。
そうね。
確かにね。
けどなんかわかんないけど、
周りのすごく学術、学問的な、
そういうのある人だったりとか研究のしてる人ほどたぶん、
引っかかりがね。
引っかかりがあるなっていうのもすごくわかるんだけど、
けどなんかそういう人ってそういう話するじゃんと思う。
自分たちしてるじゃんって。
なんかそれはすごく不思議だったというか、
俺も別に自分はそうじゃないけど周りにそういうバックグラウンドある人いるし、
なんかああいう話聞くの好きだから、
素直にすごくいいなと思ったシーンの一つではあったっていう。
確かにそうかそうか。
私たちはそれを受け取る側にあることが多いんだろうね。
多分そうね。
発する側にある人はまたちょっと違う感じがあるのかな。
そうかもそうかも。
面白いね。
そうね。
確かに。
教えられ能力が高いって言ってたもんね。
レクチャーされがち人間ってこと?
レクチャーしがいがあるってこと?
そうそう。
教わるの好きなんですよ。
そうだね。自分もね。
知的好奇心が旺盛だからね。
佐藤さんはね。
そうなの。
いやでもすごいなと思っちゃってさ、
映画見に行った後に、みんなで飲みながら感想会だったんだけど、
すごい感想が出てくるわけさ。
私なんか、この映画に限らずなんだけど、
映画を見た後すぐに言語化する能力がすごく弱くて、
映画に限らず文化芸術全般。
自分の中で一旦保留しときたくって、このホワホワの気持ちを。
21:01
仮に今回みたいに友達と何人かで見に行ったみたいな時に、
じゃあ佐藤子どう思った?って言われた時に出てくる感想が、
思ってるホワホワの1000分の1ぐらいの軽はずみな言葉しか口から出てこないことがすごく嫌で、
めっちゃ黙っちゃったもん、その感想会の時も。
そうだね、ふーんみたいな。
それを教わるのが好きとはまた別の自分の弱さなんだけど、
なんかダメだと思って。
でも言語化できることが価値だったんだっけとか、
ほにゃほにゃ自分でもまだ答えは出てないんだけど、
久しぶりに友達と映画を見に行ったから、
その後の立ち振る舞いについてどうあるのが正解だったんだっけってすごい悩んだと思って。
ぽんすはそういうの100戦連勝っぽいけど。
教えてほしい。
ルシはでも全然さっきのやり方は正しいというかあっていいと思っていて、
そんなすぐ言葉にできることなんて大したことないって私は思っているのね。
すぐに言葉にできることっていうのはすぐに忘れてしまうことと私は結構同義だと思っていて、
なんかやっぱりすごく、
あとたぶんその人たちはたぶんその節外をなりわいにされているから、
そういう筋力があるというかあれも筋トレの世界だから言葉にするっていうのは、
何かを見て言葉にするってことにすごく慣れてるし、
言いながら考えてるって言ってた。
そうでしょ。
それは本当にそういう筋肉が発達しているっていうことだから、
それがないことが別に何も思う必要はないと思っているし、
私はどっちかっていうとそのすぐに何か出てきた言葉よりもじっくり熟成されて、
味噌みたいな感じで1年後に蓋を開けたときに、
発酵してるんですよね。
おれ味噌だわって。
美味しい言葉っていうのはあると思っていて、
どっちかっていうとそっちのほうが大事なんじゃないかって私は思ってるから、
何も喋らなかったので良かったんじゃないかなって私は思っちゃう。
たぶんそれがあった翌日にこの3人にLINEしてて、
たんちゃんはこのロマンス映画として見てたみたいなことを言ってくれて、
それもありだよねみたいな、
いろんな人のいろんな意見を聞きながら自分の言葉がやっと形になっていく感覚があって、
そっかそっかこれでいいのかと思いながら。
結構いろんな批評とかこういう時代だからSNSでボンボン見ちゃうけど、
周りの親しい人のいろんな意見をちょこちょこ聞きながら、
後から完成時から熟成されていく感覚も別に、
これはこれでいいかなと自分は甘やかしながら見てましたけど。
なんか実はこの原作も出た時に2018年くらいの時に読んでて、
24:03
見てた?
本当に大好き。何回も何回も読んだし、
幸福書家のようにね。
実は原作めちゃくちゃ好きで読んでたんだけど、
濱口監督が映画化した時にロマンス映画かもと思ったんだけど、
それはすごく自分が原作を読んだ時もすごくロマンティックだなと思ったっていうのが、
多分俺の一番の感想だったから、
濱口監督の映画を見て、
これって全然話も違うし、
その二人が出会うっていうところだけは同じなんだけど、
全く別に話も違う。具合が悪くなって。
フランスでもないんだよね。
フランスでもない。
本当に日本の自分たちの医学者の方と哲学者の方が、
余命がもう宣告されているかということだけが決まってて、
幸福書家をするっていうことだけなんだよね。
だからあんなに別に劇とかも関係ないし、
フランスも関係ないしって話の中で、
二人は会話をしていく中で、
自分たちがいかに自分たちにとってはかけがえない存在かっていうことを
気づいていくっていうことだけがあれで、
だから独語感が一緒だったっていうのが一番すごいことだなと思ってて、
俺が一番好きだったことが、
見た後に一番体験されてたっていうのが、
濱口監督のすごさなのだろうなと思って、
だから意外と俺がすごくロマンス映画だったなって胸を張って言えたっていうのは、
俺は普通に原曲書を読んでもそう思ったからっていうのがあって、
その独語感だけが一緒だったっていうのがすごく、
だから濱口監督も資本主義の話とかすごく大事な話だったと思うし、
ケアの話だったりとか、
いろんな話があったと思うんだけど、
それよりももしかしたら、
二人が誰かと誰かが出会って、
もう出会った後は出会う前には戻れないということが、
一番の再現したいテーマだったんじゃないかなって思ったっていうのは、
原作を読んだ時の感じと似てたから、
もしかしたら濱口監督もそうだったのかなと思って、
じゃあこれは、いろいろ語るべきポイントはあるし、
いろいろ含みがある映画だと思うけど、
ロマンス映画ということでいいんじゃないでしょうかって、
自分の中でちょっと片付けたみたいなところがあるかも。
すごい。
なんちゃん的に一番グッときたシーンとかあった?
知りたい。
一番グッときたシーンは、
これ原作と全く違うんだけど、
これがロマンティックだなと思ったシーンがあって、
映画の中の二人は、
一人はマリー、日本人の方、
けどフランスで働いてるから、
フランス語も喋れる。
日本語が母語、フランス語が第二外国語としてできる。
で、マリー・ルーはフランスの母語で、
日本に出身となったことでできるということで、
お互いの母語がお互いの第二外国語で喋れるっていう、
27:04
不思議な設定だったよね。
けどやっぱり難しいことを話していくと、
やっぱり母語じゃないから話せなくなっていって、
どんどん二人って、
自分は母語を喋るけど、相手はお互い母語を喋る。
けど別に聞くことはできるから、
っていう状態になっていって、
それがめっちゃロマンティックだなと思って、
あの関係において、
自分たちの言葉を自分たちよりも理解している人がいないっていう状況だなと思って、
それはなんか初めて二人が仲が良くなるシーン。
二人で一晩を過ごす前の日に劇を見に行って、
日本人のマリーの人が、
私実は嫁宣告されてるんですっていうことを、
日本語でね。
マリルだけがわかるっていうシーンで、
あなたに話してますよ。
ダイヤからはね。
フランス語で喋れ!みたいなね。
そうなるんだけど、
けど別に略しはしないことをするんだけど、
あそこ良かった。
あそこ良かったよね。
大事な話っていうのは今の感じでわかったでしょ。
そうそう。
あの人がね。
せやねん。
けどなんかあの場において、
お互いのことを一番わかるのは私たちだなっていう、
合意が取れたシーンだと思ってて。
そっからロマンス感じてたんだ。
そうだよ。そっからだよ。
そうだよ。
そっからやっぱロマンスが始まるじゃん。
思ったより早かった。
パリの川辺でぐらいからロマンスかと思ってた。
ちゃうちゃうちゃうちゃう。
ロマンスは早かったんだね。
それはそうだと思う私は。
そこでやっぱりお互いが、
今やっぱ自分たちのことを一番わからないのは自分たちなんだってことを、
合意が取れたシーンだなと思ってて、
そっからやっぱ二人は自分の言いたいことを思うがままに言う。
席が切ったみたいにみたいな感じで、
あなただったらわかってくれるでしょっていう信頼のもとに好き勝手言いまくるっていう、
一晩を過ごすわけじゃないですか。
なんてロマンティックなんでしょうと思って。
あれはよかったよねって思って。
全部よかったです。
そう。
私はたぶんその後の、
たぶんそのパリの川辺のシーンだったか忘れちゃったけど、
どこだったっけな。
そういうふうに二人がグッと仲良くなってた時に、
こういうふうになるための準備を私はしてたのかもしれないみたいな。
あそこは結構グッときたし、
私もその時点で映画に入り込んじゃってるから、
私もそうありてえと思いながら見てた。
何か思いもよらない幸運が訪れた時に、
それを受け取る準備をできてる人でありたいなと思ったから。
あれはグッときたね。
冷静に考えるとあれって一晩しか経ってないしさ、
映画全体で見るともっと時間は経ってるんだけど、
あの一晩を通して、
30:01
自分のその嫁のところだったりとか、
具合が悪くなって、
じゃあフランスに行きましょうみたいな話をして、
結構急な話だと思うんだよね。
けど何て言うんだろう、
あの時にこの人だったらわかってくれるかもとか、
っていう期待だったりとか、
この人しかいないかもって思う感覚みたいなのがあって、
ロマティックだなと思ったの。不思議だけど。
そういうことってあった?
これまでの人生で。
あったよね、いっぱい。
あったんですか?
ちょっと私は…
急に始まるんですか?
知らずらしい、知らずらしい。
なぜでしょう、みんな。
あったからこそ共感して震えてると思います。
震えてるの?震えるよな、震えるよな。
あっていいじゃない、あっていいじゃない、
ああいうことが人生。
どっちかっていうと自分は楽天家だし、
楽観的だし、
自分の思いたい方に思う人間だから、
割とこれってすごく危険なことかもしれないけど、
初めて会った人に、
この人ってわかってくれるかもしれない、
みたいな感覚がめちゃくちゃわかる。
それで痛い目を見たこともいっぱいあるよね。
痛い目のほうが多いんだよね。
わかるわかるわかるわかる。
そうなんだよね。
でもさ、100あって99痛い目見てても、
1めっちゃいい出会いあったりするよね。
あるよね。
その1を見た感じがあった。
そうなんだよ。
それがやっぱりいいんだよね。
なんかその、
ビフォアサンライズ、ビフォアミッドナイト、ビフォアサンセフっていうのも、
知らない人に言っとくと、
わかんない、
浜口さんが別にこれ参照したのかはちょっとわかんないけど、
すごく似てるなと思ったのは、
90年代の映画なんだけど、
アメリカ人の男の子が、
フランスに旅行に来て、
遠距離の彼女に会いに行くんだけど、
別れちゃうんでね、振られちゃうみたいなところで、
フランスからの列車の中で、
すごくかわいい女の子に会って、
ちょっと僕と一緒に、
僕明日の列車まで時間があるんだけど、
フランスの街を歩きませんかって言って、
本当に一晩中フランスを歩くっていう、
会話劇なんだよね。
その中で、すごく、
その2人もすごく若い2人なんだけど、
本当は大学生とかで、
フランスの女の子とかは、
環境問題のNGOとかにいたりとかして、
結構、ステレオタリックかもしれないけど、
イカれる女の子。
すごくいろんなものに情熱があって、
世の中を良くしたいと思って、
イカってる女の子と、
アメリカの現代的な男の子みたいなところで、
その2人はどっちかっていうと、
こんなにすごく馬が合うっていうよりは、
全然正反対の2人で、
めっちゃディベートをしながら、
なんか深めていくわけよ。
その中で2人の違いとかを、
33:02
見てかわいいって思ったりとかしながら、
深まっていくっていう映画なんだけど、
なんかすごいロマンティックだなって思ったのが、
これが歩きながらとか、
舞台を変えながら、
自分の職場に行ったりとかしながら、
コーヒーを入れながらみたいな、
動作とともに、
この2人の会話があったっていうことが、
すごくいいなと思って、
なんていうんだろう、
なんかやっぱり、
手持ちぶさたいになるし、
そういうのって。
なんかその2人が、
なんていうんだろうな、
自分の会話を続けるために、
歩いたり場面を変えたりとか、
ホワイトボードを使ったりとか、
しながらするのが、
すごくこう、
本当にまだ関係値のない人たちだなっていう感じ。
というか、
なんか場をつなぎながら、
どうにか、
私がどんな人かを証明したいって思ってる。
だからちょっとそれが多分すごく、
トゥーマッチに思う人もいるんだと思う。
なんかそれってすごくエゴがある行為だから、
だからなんかすごく、
だからなんかちょっと見苦しかったりとか、
なんか例えばなんか、
自分がかっこつけたいって思って、
ホワイトボードして、
なんか攻撃しだしてんじゃないかって、
まあ多分それもあると思うんだけど、
なんかそういうところが、
なんかトータルで結構俺は、
なんか人間くさくて好きかもって思ったのかもしれない。
そうだよね。
ちょいちょい不器用なところに出てくるもんね、
互いにね。
あれって全部、
6月に起きた出来事っていう風に書かれてたよね。
すごい凝縮してるよね。
でやってから、
相手の国に行って、
また帰ってきて。
相当ウカレポンチだったね。
相当ウカレポンチですね。
ひと夏の恋じゃん。
相当ウカレポンチだったね。
なんかね、
私インテリですよみたいな顔してるけど、
相当ウカレポンチだったね。
急に口悪くなる。
急に口が悪くなるっていう。
相当ウカレポンチだったと思う。
相当ウカレポンチでした。
それ可愛いじゃん。
ポンチ界隈はどうですか?
私界隈の話は分からないけど、
でもまあ、
私の界隈にもいろいろなコメントしてる人いるけど、
私はでもやっぱりすごいマリーに共感するところがあって、
どっちマリーですか?
日本マリーの方ね。
普通だったらね、
人類学者だったらマリールーっていう人が多いけど、
でも私もまあ、
なんていうんだろうな、
マリーは結局フランスで哲学をしていたけど、
フランス語が母語の人とやり合うのがやっぱり難しくて、
で、哲学ではなくて演劇に行ったっていう話をしてて、
で、自分にとって演劇っていうのは、
哲学の実践なんだっていう話をする部分があったんだけど、
そこが私がやっぱり今やってることとすごく、
36:00
自分は重なって見ていて、
私はやっぱり人類学をやっているけど、
人類学の本流ではやっていけなかったみたいな感覚があって、
でもやっぱりこのエッセンスっていうのは何かすごく大事なことだから、
人々に伝えたいと思っているし、
人々と何か一緒にやりたいと思っていて、
で、なんか自分も実践しているんだっていうふうに思っていたから、
なんかすごくそこは共感したし、
そういう人はホワイトボードに書いちゃうだろうなと思うというか、
ホワイトボードの気がしない。
ホワイトボードに書いちゃうだろうなっていうのは、
すみません、ちなみに今私が急に優を沸かしているからこんな音がします。
全然いいよ。
すみません。
優を沸かそう。
そうね。
そういうのは思ったかな。
あと最後マリが中庭でのやつをやったときに、
何だろうな、
なんかもっとこの世界で生きていたいみたいなことがあったよね。
この世界最高。まだまだ生きてたい。
好きなだけ生きてたらいいよっていうやつね。
そこがやっぱりそう私も言いたいし、
言えるように毎日生きていたいし、
言えるかな。
マリルーみたいに受け止めてくれる人いたらめっちゃいいなって思った。
そこはグッときたね。
原作を読んだときに、
自分が多分28歳くらいだったのかな。
本筋とは別に、
このメッセージがちょっと別なところだったんだけど、
すごく勇気づけられたなって思ったことを今思い出して、
その時って、
この話ってさ、
映画だとどこまでちょっとあれかわからないけど、
このミヤノさん、
哲学者の人って偶然の研究をしてるの。
偶然のために、
俺全然ちょっと頭悪いからわかんないけど、
偶然を研究した哲学者の人がいるんだよね。
久喜周像。
駅の講堂の人だ。
それの人の研究をしてる人で、
でもなんかやっぱ偶然の研究をしてるから、
それに対するすごく予測不動な答えの、
自分の心構えだったりとか、
予測不動なのになんで人って準備するんだろうとか、
そういうことに対する問いがすごくある人で、
そういう筆迹学をしてる人だったんだね。
39:00
で、その人が自分の急に具合が悪くなるかもしれない。
あなたはこの半年で死ぬ確率が10%あるかもしれませんってなった時の、
パーセンテージってどれぐらい自分の人生に関わってくるんだろう。
だって10%って90%の人は死なないってことなのに、
10%死ぬ確率があるって、
自分の人生にとってどういう意味があるんだろうって、
考え出すところから多分始まってたと思うの。
で、なんかこれを、なんか俺は、
そういうふうに自分で受け取るのはすごく傲慢だなって思ったんだけど、
なんか自分も28歳っていう時に、
なんかいい年齢じゃないですか、
なんか自分も会社員をやってたりとか、
なんかなんとなく何でもなれるような気がしてたけど、
なんか可能性がどんどんどんどん狭まってるんじゃないかと思ってた時だったんだよね。
なんかその時に、じゃあ実際に自分がすごく、
全然業種に転職できるかって言ったらそうでもないし、
自分はなんか23歳からやってきたことがあって、
自分の適性とかがあってみたいな感じで、
だからなんか俺って結構オープンに開かれていきたいっていう欲求が強くて、
何でもなれますみたいな顔してたけど、
実際もうそうでもないよなみたいな思ってた時がその時で、
なんかその時に、なんかこう、
なんだろう、何かになるとか可能性とかみたいなことみたいな、
すごく自分が考えてた時だったんだよね。
で、なんかその時に、
なんかどんどんどんどん可能性がなくなっていってるっていう、
なんか自分が今から何かすごく、
一から新しいことができるわけでもないし、
どんどんどんどん狭まってるんだって思ってた時なんだけど、
なんかこの中に書いてあった言葉があったような気がしてて、
今ちょっと思い出してるんだけど、
なんかベストな回答じゃないかもしれないけど、
なんだっけな、なんかすげえいい言葉があったんだよね。
用意しとけよ。
なんだよ、教えてくれよ。
そう、けどなんかやっぱり私たちは、
やっぱりその可能性っていうものを、
これが出てきたからじゃあこれ選ぼうっていうことはできない。
で、なんか結局私たちが選べることっていうのは、
なんかその選ぶっていうことはまだ決まっていないっていうことだから、
選ぶっていう段階では確定事項はないと。
だから実際にじゃあ私たち何を選んでるんだろうかみたいな話をしだすの、確か。
この原作の中で。
で、なんかその選ぶことができることっていうのは、
私たちはじゃあなんかこんな自分になりたいとか、
ごめんなさい違うかもしれないけど、
なんかこんな自分になれるかもしれないとかっていう、
ことだけをこう選べるみたいなと。
なんかそのアウトプットを選べるわけではなくて、
どんな自分だったら、どんな自分の変化が許容できるか、
どんな自分だったら許容できるのか、
その自分のなんか余白を選んでるかに過ぎないみたいなことを言っていて、
で結局その選ぶ中で、
捨てるっていう過程が自分を何かにしていくっていう過程なんだって。
だからなんか選ぶっていうのは、
無限の中からベストを選ぶわけじゃなくて、
実は捨てるっていうことが自分が選ぶっていうことであって、
その捨てたものを許容して自分が何になるかっていうことが、
42:01
選択みたいなことなんか言ってたような気がしていて、
本当にそれじゃんって思った。
選ばないことも選択だよっていう。
そうだし、ここで確かみやのさんが言ってたのは、
私たちは自我というか自分みたいなものが先にあって、
それをなんか個性ある選択をする。
その主体が選択をするっていうふうに思うんだけど、
実はそうではなくて、
選ぶ方が先にあって、
選んだ結果自分ができているっていう話をここではしていたと思います。
だからなんか選ぶことことが自分を作っていって、
自分がどんな人か何者かを知る唯一の手段なんじゃないか、
みたいなことを結論付けるのがあって、
怖っ。
お隣さんがね、陽気な。
それはそうだなって思ってて、
どんどん怖くて選べなかったんだよね、その時。
選んだら可能性がなくなっていくと思ってて。
それはそうなんだけど、
なんかね、それはすごく勇気つけられたなと思って、
この本がすごく好きだったというのも一つですね。
なんかすごいさっき、
それって言ってたけど、それはどういう。
それ?
眠くなってるでしょ、急に。
すっごい眠くなってる。
急に眠くなっている?
急に眠くなってる。
そんなことないよ。
毎日時間でもあるけど、急に眠くなってるしね。
いや、そうだなって思ってて。
これ何も出てこないよ、私から今。
すごい良かったな。
そうね、すごい選択についてもすごくマターになってたというか、
問題になっていたとやっぱり私は思った。
コミュカっていうのがさ、
マリルーがさ、
なんか、そのもう余命戦国マリがされてて、
なんかもう残り短いのはわかってる。
だけど、それでも私を信じて、
トランプに来てほしい。
私を選んでって。
私を選んで。
これはもうさすがにロマンスでしたよね。
ロマンスだよね。
選ぶからね。
選ぶからね。
でも私はああいう時に、
あの選択をできる側の人間でありたいなって思った。
もちろん安倍としての生まれ育ったところで、
静かに予想できる範囲で死んでいくこともまた一つ正解だけど、
マリがフランスで最後まで自尊心を保ちながら、
自分の仕事をしながら死んでいくところがすごく刺さった。
私もそういう生き方であったらすごく美しいなって思った。
だってそれは誰でもできることじゃないから。
45:04
そうだね。
そうなんだよね。
だからなんかやっぱこれはなんかすごいなって思うのは、
なんかやっぱり原作もそうなんだけど、
ミヤノさんとマホさんに、
別にそんなに2人が関係値があったわけでもないのに、
自分が死ぬ前に往復所感をしようっていう相手を、
なぜ私に決めたんでしょうかっていうところとかも解いてたよね。
あなたは結局なんかそれを、
全然書いてなかったらごめん。
俺ちょっと読んだのが昔だからあれだけど、
結局なんか何かを信じてやったわけだよね。
こういう形になったりとかして、
やっぱり結構それが思ったのが、
やっぱそれが誰かの胸を動かして、
濱口監督が映画化して、
こんなに遠くまで運んできたんだよなって思うと、
やっぱり誰かが誰かに出会って何かが生まれるっていうことは、
こんなに遠くまで行くんだっていうのは、
純粋にめっちゃすごいなって思うというか、
それこそなんか偶然だし、
自分ももう亡くなられてるからあれだけど、
どう思うのかなって思って、
ちょっとなんか見てたりとかもしたわ。
しんみりだよ。
偶然について語る?
あんた眠いよね、絶対。
でもいい感じだと思うよ、だいたい。
いい感じ、いい感じ、かなりいい感じ。
閉めないといけない。
ぽんすさんはどうやって閉めてるの?いつも。
どうしてるの?
ということで、みたいな。
やってないやってない。
次回は。
やってないやってない。
急に具合が良くなる。
急に具合が良くなるについて、
健康なんとかアドバイザーの方も聞いてない。
急に表記の終わり。
違うんですね。
いやいやいやいやいや。
特に終わり方はないけど、
ゆうぽん、しこたまそんなにブックマークしてんの?
これ?
今目の前に本が。
これはもう一つ、原作と違う本があるんだけど、
ケアのロジックの話ちょっとすると、
私この原作も読んで映画を見て、
たまたまケアのロジックでアネマリーモルっていう人が書いた。
でもそれは全然宮野さんと磯本さんの対談より後に出てる本だと思うんだけど、
どうだったかな?
英語でいつ出たか忘れたけど、
少なくとも日本語版は後に出てて、
そこのやっぱりこれ繋がる話だなと思ってて、
ここでアネマリーモルは選択とロジックとケアのロジックがあるっていう話をするのね。
48:06
選択のロジックっていうのは、
今の資本主義社会とか医療の現場、
アネマリーモルは糖尿病の患者さんの現場に入っていく人類学者なんだけど、
そこで医者が患者にとにかく選択をさせると。
あなたはこの治療を選びますか?
こっちの治療を選ぶと何パーセントどうなる?
こっちの治療を選ぶと何パーセントどうなる?
じゃあどちらをあなたが選びますか?
まさにイェンドさんとかマリーとかが直面したことと一緒なんだけど、
とにかく患者に選択をさせて、
しかもその選択においてすごくロジックが決まっていて、
そこからはどんどん人間性を剥奪されていくようなコミュニケーションが行われるみたいな話をしていて、
一方、ケアのロジックにおいてはすごく臨機応変に行われているし、
実は医療者もそういうロジックで動いている面っていっぱいあって、
例えばそこで出てきたのは、
糖尿病に関する治療を全くしない患者さんがいるんだけど、
でも検査にだけは毎回ちゃんと来てくれて、
検査にだけは毎回ちゃんと来てくれるから、
その検査をちゃんと医療者としてやって、
こういう結果が出ていて、こういう状態だからこうした方がいいですよ、
みたいなのを毎回ちゃんと言うみたいなケアをしている。
でもそれ以上はこの人は変えられないから、
変えないと言ってるからタッチはしないんだけど、
でもそういうケアをずっと続けているみたいな事例とかが出てきて、
結局その時その人がどうありたいのかとか、
何を必要としているのかとか、
どうして生きたいのかみたいなものを、
看護師とか医療者とか他の周りにいる家族とかも含めて、
みんなで考えていくのはケアのロジックであって、
あなたがこれを選んだからあなたの責任ですよね、
みたいな風にネグレクトしないっていうのが大事だよね、
みたいな話を姉妹にもするんだけど、
そことも繋がっていたというか、
最初の方は作品として見ていないって話をしたけど、
あえて作品として見るとすれば、
すごく理想を語った映画だと思っていて、
さっき佐々木さんが言っていた、
イマニチュー的な理想があるわけじゃない、
あなたに会えてよかったみたいに言ってほしいよね、
でもそれは人手不足とかお金がないとかで、
どんどんなくなってきてはいるんだけど、
でもやっぱり理想はこっちだよねっていうのを語っていたなと思っていて、
それを語り続けたりするのってすごく大事だなって思った、
51:01
現実をシニカルに見続けるだけではなくて、
希望を語る、
しかもそれはフィクションじゃないとできないことでもある。
フィクションの役割だね。
本当に思って、
例えば今日って香水確率が90%になってないけど現実的には、
90%の時に傘を持ってこなかった人に対して、
この人傘忘れたんだなっていうのは思うんだけど、
この人って別に傘持ってこなかったんだなっていうのは思わないじゃん。
それほど90%って言ってるんだから持ってこいよって思うというか、
知ってるんだったら持ってくるよねっていう世界に私たちって生きていて、
その中で、
けど90%って10%は降らないんだよっていうのをどう思うかっていうのとか、
それってすごく医療現場の中の話だと、
多分原作とかでも語られてることだけど、
がんの治療方法ってロジックに基づいた、
ちゃんとした研究結果がなされているものばかりではないじゃん。
俗に言う、例えばこの水を飲んだらがんがなくなりますよとかっていうのも、
民間療法だったりとかしてあるわけじゃない。
やっぱりそれに飛びつく人たちっていうのが、
何かしらすごくロジックを無視した、
なんて言うだろう、ちょっと変な人って思われるみたいなのって結構あるあるだと思うけど、
散々そのロジックがあって、
この注射をしたら、この放射線治療をしたら、
何パーセントで良くなるかもしれないっていうのを受け続けて、
苦しんだ後に何も良くならなかった人が、
それにすがりたい気持ちって、
いや分かるよねっていう気持ちもある。
そういうのはすごくあって、
自分の体のこととかを確率とかに置き換えてみた時に、
何かそれって何かどこまで信じ切れるんだろうなっていうのは、
めっちゃ思うなっていうのが、
ケヤンマンチャーとか。
それでしかも周りが、
何かもうそうやって変だよねって言って、
何か距離を置いちゃうとか、
アネマリモンの表現をしてネグレクトするって言うんだけど、
放っておくみたいな風にしちゃうっていうのはよくあると思うんだけど、
でもやっぱりそうではなくて、
何か関わり続けたりとか、
その人って何が必要なんだろうっていう風に、
何か受け取り続けるみたいなことって、
何か全ての場合にできることじゃない?
それこそね、お金がなかったら難しいとか、
自分に余裕がなかったらそんなことできないとかあるけど、
できる限りにおいてはしていきたいなっていうのは思う。
だからマリも自分が病名になってどんどん弱っていく中で、
何を求めてたんだろうなと思って、
日本に帰って安静に、
54:01
すごく自分が安全な中で良くなるっていう可能性も見たけど、
何かそれよりも俺は最後の、
もっと生きていたいって思わせて欲しかったんじゃないかなと思う。
何かそっちの方が、
何か自分が死ぬとかとかっていうよりも、
何かこの世界って本当にもっと生きる価値があるんだって思って、
死ぬことの方が何かすごくもしかしたら価値があったのかもしれないなって思ったりとかするよりは、
何かラストで思ったりとかしてた。
うん。
でした。
ありがとう。
いや、だからそう。
いや、本当そうだと思う。だから。
確かに。本当に何かフィクションがやるべきことをやってくれた感じはあるかもしれない。
見せたい世界を見せてくれたかも。
確かにね。
それを現実と違うじゃないかと叩くことはもう簡単だけど、
見れて良かったなって思う。
そう。だからやっぱりさ、濱口監督ってノンフィクションをフィクションにしたんだもん。
だってこの作品でって。
まあ、何か一番大きい話だなって思ってて。
だってこれ、本当の話を嘘にしたわけじゃん。
うん。
何かそこがすごく一番良かったなって思った。
確かに。
そうだね。
もう一回見たいかも。
確かに。
もう一回。
もう一回3時間座りたい。
もう一回DVDでは見れない。
そうね。
すごい好きなんだけど、ごめんなさい。
分かる分かる分かる。
やっぱあれは、やっぱり。
映画館で。
映画館だから耐えたわけじゃないんだけど、
ちゃんと見れた。
いいよ。3時間。
絶対その方をいじっちゃう。
絶対いじっちゃう。
まじで。
止めちゃう。
止めちゃうから、やっぱり見た方がいいと思う。
まじで。
まじで映画館で見るべき映画だと思う。
そうだね。
見れてよかったわ。
ぜひ見にいってください。
うん。
聞いてるからね。
見てね。
うん。見てね。
バイバイ。
バイバイ。
おやすみ。
おやすみ。
おやすみ。
よいしょ。
筋肉の動き。
56:13

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