私から急に連絡が来て、話をもらって。
確かに。
なんかそこでユウさんが違和感に思った、こういう劇団の演じる方向性じゃない気がするなっていうのと、
私のやってることとどう違うんだろうなっていうのはまず思ったかな。
で、私も結構いろんなことをやってきていて、
ワークショップで一般の人と作るっていうこともあれば、
まさに昔の劇局を選んできて、それを演じてもらおうとして、俳優さんを集めてやるっていうこともあるから、
ある意味そこは商業的にチケットを売って収入を得るためにやってきたところもあるから、
どの形態が何が違うんだろうなっていうのは5つ。
ただ、演じることっていうのは結構な幅があって、
ものすごくキャラクターを変える系のお芝居もあれば、自分自身を使うような作品もあるし、
いったい自分はどこを重要視してるんだろうなっていうのが確かめられるかもしれないなって思って、
ちょっとやってみたいなって思ったっていう感じでした。
面白い。
なんかあれかも、
自己紹介的なことをしないと、たぶん聞いてる人が、
あじさんどんな人かなってなるから、
じゃあ確かめたいなって思うに至るには、
たぶん今ちょっとおっしゃってたけど、いろんなことをしてきたわけじゃないですか。
その辺が自己紹介的に教えてもらって。
そうですね。
やってきたことで言うと、
高校演劇から始まってて、その時は自分で台本を書いたり、演じたりをやってた時期もあったり、
その後、今はもう大学の名前変わっちゃってるんですけど、
京都造形芸術大学、その時呼ばれてた大学での舞台芸術コースっていうのに入って、
最初は演劇やるつもりだったんだけど、なんとなく演劇が合わなくて、ダンスの方をやってました。
それはもう3年間ダンスを続けてて、
即興からムーブメントを作り出すとか、シーンを作ったりっていう授業もあったし、
バレエの基礎みたいなのも習ったし、
そこから、動きの中からセリフを喋るっていうこともあって、
よく見るものとして、古典の音楽、オーケストラとかで演奏されるような曲を、
現代版に振り付けて上演するみたいなものに結構ハマって、よく見たりとかっていう経緯があって、
卒業制作の時に、これは演劇に戻ってきたいなと思って、
劇曲を使って、でもそれは海外の劇曲だったんですけど、
なんとか日本の上演、日本の私たちの上演として、
演出的にいろんな仕掛けを作ったり、演じ方を変えたりみたいなことを模索する卒業制作があって、また演劇に戻ってきて、
それ以降は同じような制作の仕方で演劇を続けてきています。
12年ぐらい前に東京に出てきて、俳優さんとか作家さん、それまで昔に描かれた、
作家さんもだいたいなくなっている作品をやってたんだけど、
作家さんの生の話を聞きたいなと思って上京してきて、
いろんな方と一緒に作品を作ったり、その流れの中で、そもそも、
演技局を作るって大変だよね。言葉を書くことって、すごいいろんな幅があるけど、
書かなくてもいいよね、とか、ワークショップで立ち上げてもありだよね、とかっていうことを模索した時期もあり、
それはいつごろ?
それはまさに、優さんとご一緒した鳥公園のこと。
あー、だから、3年前ぐらい?
そうですね。あれはワークショップに参加した人の帰り道について言って、
その人の帰り道を歩きながら思い出した話とか、好きなものとか嫌いなものの話とか、
全部集約しつつ、違う人が演じてみるっていうのを八王子の街でやったっていうのがあったり、
大枠の演技の構造さえ生まれれば、演劇っていうのは演じ得るんじゃなかろうかっていう試みでその時はやってた。
そうそう、その時にそうですよね、私も一緒に鳥公園の八王子の。
あれはアーティストインレジデンスだったのかな?
で、アンチスさんがね、八王子のすごい山深いところに。
不思議な学校に泊まって。
寮みたいなとこにね、泊まって制作してたものの、
ドラマツーグとして一応たぶん私はクレジットされたと思うんですけど、関わって。
で、そのアンチスさんが八王子の彼方の帰り道をどういう風にインタビューしたらいいのかとか、
あれは私は山陽観察だったと思うんですけど、山陽観察の時にどんなこと気をつけたらいいかみたいな話を、
その時一緒に考えた記憶がありますね。
どういう時の言葉が、他の人が演じて聞かせた時に、
お客さんに何らかの像を結ぶのか、みたいなことが演劇のやってることかなっていう想像があって。
で、八王子からの依頼で、その時は滞在したので、八王子の街っていうのをどうやって立ち上げたらいいだろうなっていうので、
その時は帰り道を説明してもらったりとか、そこで思いついた話とかっていうのを参考にさせていただくっていうのがあった。
それでそれを別の人が演じるっていうようなことでしたね、あの時は。
別の人が演じて、かつ別の人が見るっていう。
喋ってくれた人も見に来てくれたりとかしたんですけど。
なんかまた不思議な光景で、帰り道じゃないところ、
実際話を伺った帰り道じゃない場所で、違う帰り道の話を聞いて、イメージをオーバーラップさせるみたいな。
いやすごかったですね、あれを思い出すと。
意外といけましたね。
意外とね。
あとはやっぱり昼間から始まって、夜になるまで上演があったので。
そうでしたね、ちょうど夕方の時間にね。
八王子の街も変わっていくというか、
やっぱり山深いところもあるので、闇がすごい深くなる時もあったし。
そうだそうだ、なんか動きながら演じて、ツアー的にやっていましたね、思い出した。
街の中歩きながら。
あれで私も八王子の街になれたっていう。
そっか、じゃあその時は、確かにまさに作家が何か劇曲を書いて、それを演じるっていうような、
従来のフォーマットではない演劇のあり方っていうのを模索してた。
街を扱った劇曲を作りたいねと、鳥公園の主催である西尾さんとお話していたっていうのもあって、
ちょうどその街の話から演劇を立ち上げるっていうのを心を見てた時期でした。
その後だから、2,3年ぐらいあったわけですけど、どんなことをしてたんですか?
前にやった作品の再演をしたりがあったんですけど、
基本的には私の健康があまり良くなくて、お休みし、
かつ、一体何を作ったらいいんだろうなって、結構悩んでた時期が3年ぐらいあったようになりましたね。
今はもうそのうちの1年だと思うんですけど、
今はもうちょっと緩やかに水上さんとやることで見つかるものもあったりっていう日々です。
何を作ったらいいのかなっていうのは、逆に言うと3年前までぐらいはずっと明確にあったんですか?
いや、どんどんわからなくなっていったんです。
東京来て10年を越えて、ほぼ毎年のように作品を発表してたんですけど、
やりたい作品、技曲もなくなって、とにかく企画を回さないとっていう感じで何かこなしていったりとか。
ちょうどコロナが来て、コロナの時期は相当その稽古場の運営もシビアな時代で、
マスクを必ずして稽古しないとねとか、消毒液を必ず手につけてから稽古場に入ってきてとか。
対応がかなりシビアで、劇場でいわゆるパンデミックを起こしてはいけないっていうところと、
感染者を生んではいけないっていう責任もものすごく強くて。
そっか、その時は劇場に行ったんですか?
そうそう。自分の劇団での活動も公演中止になったりもあったりしつつ、苦しい時期を過ごしてたっていう感じでした。
だんだん、毎年毎年作ってはいたけど、この先どうしようかなみたいなのがずっと高まってきたっていう。
見込まれていったというか、どうしよう?どうしていったらいいんだろう?
もう何かを作りたくて作ってるというよりは、やらなくちゃいけなくてやってるっていう。
作りたくて作ってるではなかったんだ。
それが2019とか2020とか?
そうですね。だから逆にコロナで強制的に中止になるとかっていうのが逆にありがたいっていう時もあって、これで一旦休める。
し、他の人も休んでるから、別に何に気を置くこともなく休んでいいんだっていう状況になった。
結構、他の人との競争みたいなのがある感覚があったってことなんですか?
競争。そうですね。みんなもう年に2回は新作を打っていかなきゃっていう流れがあって、業界に。
そんなのあるんだ。
そうしないと、いろんな事情があるんですけど、例えばお客さんから見て活動できてないなっていうふうに思われるっていうところもあったし、
例えば助成金に出したいと思った時に活動が明記できないと、1年間休んでるとかっていうようなことがあると、ここはどうして休んでるんですかっていうことになるとか、
ある種の経営者として経営してない時期が1年あったら、これは何してるんですかって言われるのと同様のことが起こってて、もうそこは何かやらなきゃいけないっていう状況にあったと思います。
大変だな、それは。
それはね、名前が出ていくので有名になるっていうところがあったから、そこで得たものもあったんですけど、どんどん作りたいものがわかんなくなってて、
もう休まないとフラフラの状態みたいな感じだった。
結構私は多分演劇初心者だからわかってない部分もあるんだけど、演出家だと思うんですね、もくしさんは、何かを作るのにあたって決める立場に置かれることが多いってことなんですね。
企画者兼演出家だったんで、大体のプロジェクトの元案を作って、稽古までに何をしてっていう、スケジューリングもそうだし、
ほぼ自分で運営しているようなもんなので、座込みの人たちとのやりとり、すべて自分が間に挟まって動かしてっていうのもやってたから、大変だった。
それは大変。
劇局はでも既にあるやつとかを使ってたから、そこは書かなくてもいいけど。
書かなくてもいいけど、でも海外の劇局だったりすると、翻訳が自分に合ってなかったりする場合もあって、これ書いてある意味がよくわからないなってなった時に相談できる人を雇ったり、
あるいは上演権を取らなきゃいけないので、海外のエージェントと交渉して、どれくらいの上演料を使わせてください、みたいなことをしたり。
でも大体そのやりとりをする時期には、大体上演の1年前とかだから、やりたい演出も決まってなくて、とりあえずこれで上演しようって決めて、
交渉から始まって、結局上演が近くなって、やりたいことが決まってきて、もうちょっと変化させたいって思っても遅いみたいなこともあったし、ものすごくそこは難しかった。
そうか、それは遅いっていうのは、何が遅いんですか?
例えば台本のすべてを上演します。きちんと上演します。一言一句変えずに上演しますっていうことだったら、普通の上演権の交渉でいいんですけど、
このシーンを抜粋して、こういうふうに変えて上演したいですっていうことがあったり、あるいは翻訳をこう変えたいですっていうふうになると、翻訳者にまた許可を取らなきゃいけないし、後々にそういうことが生まれれば生まれるほど、交渉は難しくなる。
ギリギリに海外のエージェントに連絡しても繋がらないっていうことがあるし、実質無理なんですよね、そういう変更は。だから表現の自由も狭かった上で、何とかやんなきゃいけないみたいなこともあって。
そっかそっか。これを一人でやるっていうのが大変ですよね。なんかもっと分業してるのかと思った。なんかプロデューサーとかがいるのかなとか、制作の人がいるのかなとか。
出会えればいいんですけど、そうじゃないこともまあまあある。
でなんか疲弊して、それがコロナ禍があって、でも八王子のやつはコロナ禍の後ですよね。
騙し騙し。
やってた時期なんだ。
徐々に徐々にやってたし、作家さんが西尾さんっていう現代の方なので、あまりに遠く離れた時代の人ではないから、どうしてこう描きたかったのかとか、まあいろんな話はできる環境だったので。
確かに作家がそこにいるからね。
そう。でまた上演権とかっていうこともないし、その辺はかなりやりやすくしていただいたからできたかなっていう感じだった。
逆にあんまりそういうことはしてなかったってことですか、今それまでは。
たまに。2作、3作に1編くらい現代の方と一緒にやるっていう感じで、それまではやっぱり大学の頃にクラシックとかから現代のダンスを生み出したりしてるのを見て憧れがあったから、やりたいっていう、そういう方向性のものをやりたいっていう気持ちだった。
なんかでも、だんだん何が作りたいのかわからなくなっていき、一旦お休みするみたいなことを経て、今じゃあ何かを模索しようとしてるってことなんですかね。
どういう状態なんですかね。
どういう状態なんでしょうね。
なんかこう、今まで思ってきた思考の主要みたいな、塊みたいな、こうしなきゃいけないんじゃないかとか、普通企画運営ってこうするものだろうとかっていうものを外してる時期だし、
純粋にやりたいことは何かなっていうことが落ち着いて考えられてる。
そうか、じゃあ結構それまではこうあるべきみたいな姿が自分の中に強くあったんですかね。
っていうかまあ、いろんな方が関わる企画だから、ちゃんとしなきゃねっていう、ちゃんと対応しなきゃねとか、それに要請されるようにやってたっていう感じ。
なるほどなるほど。責任感があったってことだね、結構。
責任感でこらえてたみたいな感じかも。
別にどっかに就職して、技術があってっていうわけでもないから、そこはトライアンドエラーで何とかするっていう。
なるほど。
なんかさ、ゆうさんの話に戻るけど。
はい、どうぞ。
その、どんな違いなんでしょうね。私のとやってみたいなって思ったと、こういう界隈の演劇とは違うかもしれないなっていう。
なんかその、カンパニーが大きいかどうかとか、スパンが長いかどうかっていうのもあると思うんですけど。
もしなんかやってることでなんか違いがあるとすれば、なんなんでしょう。
それはでも私もその両方を経験したわけじゃないから、明確にこうとは言えないんですけど。
そもそも私がなんで演じてみようかって思ったかっていうと、なんかもっと身体性について考えたいって思ったんですね。
なんかその、結構人類学をやってきて、人類学でフィールドワークをして、
フィールドワークをしてるときってすごく身体的なんですよ。その場で起きることにすぐ対応しなきゃいけないとか。
私の場合はエチオピアに行ってたから、エチオピアの人って全然違う身体性を持ってるから私たちと、
なんかそれに対応していったり応じていったり適応していくのでもいっぱいいっぱい。
でもいっぱいいっぱいって逆に言うと、すごく身体にフォーカスできるんですよ。
なんか別のこと考えてる暇がないというか。
だからそういう現場でいろんなことを得たりとか感じたりするっていう感覚がフィールドワークにはすごくあって、
それを元に日本に帰ってきて論文にするみたいなことをやってたわけですね。
で、なんかだから私が、でも就職その後したから、就職した後の東京での会社員生活って、
最初の仕事が例えば電話営業で、やっぱりなんか身体がすごく切り離された感覚があって、
なんか言葉の世界にすごくずっといる感じがあった。
で、メッシュワークっていう会社を作った後に人類学を使ったコンサルティングをするというので、
実際その前の会社にいた時よりもフィールドワークに行ったりとか、
クライアントの人と一緒に街を歩いたりするっていうことがあったから、
もうちょっと身体的にはなったんだけれども、
それもやっぱりでもすごく3ヶ月のプロジェクトの中でできることをやらなきゃいけないとか、
もうアウトプットが見えている中での身体制みたいな、
こういう結果を得るためのこういう活動をしようみたいな、
ちょっとワークショップっぽい感じのことばかり、
それにやっぱり寄っていっちゃうのがもどかしくて、
もっと自分はエチオピアでフィールドワークをしていた時みたいな、
身体を研ぎ澄ました状態とか、そこから新しい、
そういう現場にいると、
自分が本を読んだりとか書いたりしている時には、
生じてこない言葉が生まれたりとか、
生じてこない物の見方ができるようになる感覚があったんだけど、
そういったものを取り戻していきたい、
そういった時間をもっと作りたいと思って、
それがやっぱりインプットの部分ですね。
どっちかというと身体を使って何かを知覚するみたいな能力を
もっと自分の中で育てていったり、
使う時間を増やしたいというのが一方であり、
それをでもそれまでやっていたみたいに論文にするとか、
何かを書き物にするっていうのだと、
結局同じ構造になっちゃう。
何かを書くために身体のインプットを得るみたいな話になっちゃうから、
そうではなくて、身体で得たものをそのまま身体で表現するとか、
身体を通して他の人に伝えるみたいなことをやっていきたいなって思ったんですね。
そこで、それをやっている人たちはやっぱりダンサーだったりとか、
演技をする人、演劇をしている人なんじゃないかなっていうのがあって、
そこで演じたいっていうのがあったから、
別に演じることがゴールじゃないんですよ。
そう考えると私にとっては。
だから、既存の演劇講座とかは、
演じることがゴールっぽく見えるし、
演劇として成立させるための技術を得るみたいなところが
旬なのかなっていうふうに理解したから、ちょっとずれてる。
それは必要なことだし、それを経て、
私が言っているような身体感覚を得るっていうことは多分できるんですけど、
33歳からスタートするにはちょっと遠いかなって感覚があって、
もうちょっとだから、さっき私が言った意味の身体を使う時間を増やすとか、
身体を経て新しい言葉とか概念に出会うみたいなことにフォーカスして、
やりたいなって思ったときに、
ハチさんがやっているクリエイションとかを八王子とかで見ていたので、
ハチさんだったらできそうかもって。
思ったっていう感じです。
それは本当にやってみたいですね。できることなら。
やっぱりキャリアが重なれば重なるほど、自分のやっていることの言語化が非常に豊かになっていく俳優さんが多いから、
そこでああ、そういう作業をしているんだ、比較対象になるのもありかなって。
見上がりだというか、しなきゃいけないとは思いますね。
どうですか、私とハチスさんが多分、
ハチスさんの家でミーティングした時から数えると、多分3回くらい一緒に何かをしてますけど、
ここ最近は、メグロックの公民館を借りて、
サンテグジュペリ、ヒベタ、人間の大地でしたっけ、
朗読をしてみるっていうのを前回と今回やってきたんですけど、
なんかドームなものを得始めてます、というか、何を感じているかというか。
ようやくでも今日、演劇的なことをし始めたなという感じで、
まだ1回目はミーティングで、2回目はもうサンテグジュペリの善用を掴むっていう時間があって、
今日は実際にシーンを、エッセイなんですけど、
そのエッセイの一部分を表に立ってみて、朗読してみるっていうのをやったと。
面白かったですね。
何が面白かったですか、ハチさん。
何が面白かったんだろうね、あれは。
ただ朗読する声に出すだけじゃなくて、
その書いてあるものにどういう風に同化できるかとか、
演じてる人がどういう体で望めば、作家の言葉に寄り添えるのか、
みたいなことにも触れられたし、
それを客観的に見て、ものすごい発見もあったなと思って、
朗読していっては全くわからなかった必要性のあること。
どういう重心で、どういう方向性に対して手を伸ばしながら発話すれば、
サンテグジュペリのエッセイの言葉一つ一つに、
手を抜かずに付き合えるのか、みたいなことが、
そこまでできるとは思ってなかったんだけど。
そこまで発見できたっていう、今日はこういう時間だった。
そうでしたね。面白かったですね。
前回はただ読んだじゃないですか。
臨読するみたいな感じで、確か一文ずつ交代で読んだんですけど、
その時はやっぱり言葉をただ音にしているだけだったから、
何をこの作者は見て言葉にしているのかとか、
どこに向かいたくてこのことを書いているのかっていうのは、
あんまり多分意識していなかったんですけど、
今回は部屋のあっち側とこっち側に座って、
見る方と見られる方みたいな構造ができて、
見られる方に立って自分が読み上げる、
演じるっていうことをやってみると、
全然違う風景が見えてきて、
さっきはずさんがおっしゃったことと近いけど、
このことを伝えたいから、ここでは空の話をしなきゃいけないんだとか、
今日読んだところはだいたい飛行機の上に乗っているシーンが多かったんですけど、
飛行機の上から下の世界を見て、
木が生えているとか人の家があるとかを描写する必然性があるんだなっていうことが、
まとめて読んでみたり、演じようと思って読んでみると、
見えてくるっていう経験が私もできて、面白かったですね。
なんか不思議と、サンテグ・ジュペリンになろうとしてやったわけじゃなかったですか。
ひたすら自分の立つポジションを一緒にするぐらいの感覚で、
一体どうしたら立てるんだろうねとか言って探っていった先が、結局演じるになっていたから、
演じるってすごくキャラクターを変容させることって思われがちだけど、
もうちょっと静かなところから始まっている感じがして、
改めて面白いなって思います。
そういう意味では、前半にやった発声練習でそういう大事さがあるんだなって私は思ったんだけど、
発声練習をするときに、頭で響かせるとか胸で響かせるみたいなことをアジスさんは言ってくれたじゃないですか。
だから、そういうポイントが文章の中にもあって、
この文章は頭で響かせる文章なのか、胸で響かせる文章なのかを調整していくというのが、
演じるってことなんだなっていうのは、発声練習から思ったことでしたね。
なんかすごいヨガっぽいっていうか、
今の状況下で呼吸を落ち着けて、自分の中心軸を探すみたいな感じのトレーニングに近いなって思うんだよね。
これやって、あれやってっていう、難しいな。ちょっと待ってね。
自分はどこに行っても、この足はついてるみたいな、
その上で大きく伸びもできるし、縮まることもできるし、緩むこともできるみたいな、
そういう、発声練習の時はその姿勢をニュートラルって呼んでるんだけど、
ニュートラルを探す時間でもあるっていうか、朗読をしながらも。
なんかこう、自分を変容させつつも、そこにいつの間にか確信ができてるみたいな、
そういう作業でもあるような気がして。
だから結構意図的に、今回朗読をやるから発声練習をやろうっていうのは思ってた。
自分の体を脱力して、脱力した状態でもスッと立てる地点を見つけつつ、
体を震わせて大きな声も出せるよっていう地点を、
段階的に発声練習は踏んでいくから、あれは序盤にいいんじゃないかなと思ってた。
そうですね。段階的に体を震わせるっていう経験がやっぱり日常だとないので、
そういうふうに動かせないというか、普通はね、何もしないでやっちゃうと。
そうだね。もしかしたら扱う作品が変わったら全く違うワークをやるかもしれない。
まあそうでしょうね、きっと。
それこそあれですよね、だって八王子の時の稽古とかはコンタクトワークみたいなのをしましたよね。
コンタクトとインプロビゼーション。
相手の動きをキャッチしてほしいってその時は多分思ってたんだと思うんだけど、
インプロやったってことは、その場にある相手の体の押し引きみたいなのを、
自分の動きを発掘するっていうワークだったから、
どっちかというと、自分で演じよう演じよう発しようとかっていうんじゃなくて、
その場にある環境をいかにキャッチする、耳を持てるかみたいな。
体も動かすから、その分柔軟もできて、表現の幅として広がるよねっていうところを使ったんだろうね。
ちょっともう私は覚えてないけどね、あの時のこと。
その辺のやり方がやっぱり八木さんは丁寧だなっていつも思うんですよね。
ゴール地点は八木さんの中で多分見えていて、
そこにたどり着くためにどんな準備が必要かとか、
どんな体になっていなきゃいけないかみたいなのが、
多分逆算している八木さんの中では考えていて、
それを適切に準備しておくというのがかなり上手なんだと思う、八木さんは。
だからそうではない人はどうするかというと、多分言葉で説明するんだと思うんですよ。
こういうゴールがあるから、あなたたちはこうなっておいください。
そのためにはこうしたこうやって、このステップを組めばこのゴールに行けますよって説明する人が多分多くはそうで、
それを聞いてできる人もいるし、できるんだけど、
でもなんか身体的ではないですよね、先に言葉があるから。
でも多分八木さんのやり方は身体から作っていく。
身体が、さっきおっしゃっていたみたいに、相手の気配を感じるみたいな身体をまず作る。
身体を作った後にセリフとか状況とか演技とかが入っていくから、自然とそれができる。
状態を整えるっていうことを多分やってらっしゃるんだと思う。
多分それあれだね、自分で書いてないからそうなんだろうね。
だって常に違う人の文章をどうしたら立ち上げられるかって考えてきたから、
そこでは目読している自分の身体制なんだけど、
そこからもしこんなイメージの、例えばすごい動きのある作品にしたいってなったら、
その動きがあるとこまでどうやってみんなと一緒に行くか。
今回だったら朗読だから、とにかく丁寧に言葉に向き合えるために、
まずは自分の身体の響きだとか、ある種のノイズみたいなものに気が付けるようになれるかっていうところを、
自分もまだやってないけど、そういうののトレーニングがあったら近づけるかなーみたいなのがあったんだと思う。
実際私も今日やってみて、大変だこれ、とか言ってあったけど、
まあ確かに良かったかもね、初練習。
うん、と思いましたね。