1. ミシマ社ラジオ
  2. #26 ミシマ、ジャックされまし..
2025-07-15 1:10:36

#26 ミシマ、ジャックされました。

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今回はノザキによるジャック回です! #24のウィー東城店に続き、近頃ジャックが続いているミシマ社ラジオです。

7/10(木)発売のミシマ社代表・三島邦弘の著書『出版という仕事』(ちくまプリマー新書)について、どこよりも早くインタビューしていますのでぜひお聴きください!


<イベント>
MSカレッジ 第0回 学問と出版の新たな挑戦 ※終了しました

  • 日時:2025年8月22日(金)・23日(土)・24日(日)
  • 場所:恵文社一乗寺店 コテージ
    京都市左京区一乗寺払殿町10

 

<関連書籍>

『出版という仕事』(ちくまプリマー新書) 三島邦弘(著)

『計画と無計画のあいだ「自由が丘のほがらかな出版社」の話(河出書房新社)三島邦弘(著)
『パルプ・ノンフィクション 出版社つぶれるかもしれない日記(河出書房新社) 三島邦弘(著)

『近代日本の民間学』(岩波新書) 鹿野政直(著)

『ボクは坊さん。』 白川密成(著)

『過去の学生』  前田エマ(著)

『新・仕事のお守り』 ミシマ社(編)

 

※AIによる文字起こしのため、一部文字表記に誤りが生じる場合があります

 

ミシマ社ラジオの始まり
ノザキ
みなさん、こんにちは。ミシマ社ラジオです。
出版社ミシマ社がお届けする本のこれからとミシマ社の今、本日はミシマ社の野﨑敬乃と藤本里佳がゆるゆるとお伝えしていきます。
はい、ということで、こんにちは。
あの、ちょっと様子がおかしいということにお気づきの方は多くいらっしゃるかと思うんですけれども、
私はミシマ社京都オフィスのノザキです。ちょっと今日はですね、あの、かねがねやりたいと思っていたミシマ社ラジオジャック!ということで、厚かましくここから登場させていただいております。
フジモト
お願いします。
ノザキ
えっとですね、あの、というのもちょっとどうしてもお知らせしたいことがありまして、
あまりこうもったいぶるのもあれかなと思うのと、あの、ちょっと本人から切り出すの言いにくいのかなと思ったので、今回は7月の10日に発売となります。
ちくまプリマー新書から『出版という仕事』を発表されました著者でありミシマ社の代表三島邦弘さんをゲストにお招きして行っていきたいと思います。
はい、ゲストのミシマさんよろしくお願いいたします。
ミシマ
こんにちは。
ノザキ
ようこそ。
ミシマ
今日はお招きいただいてありがとうございます。
ノザキ
はい、ありがとうございます。お越しいただいてありがとうございます。
えっと、いやいや。
ミシマ
不思議な感じです。
ノザキ
いや、すみません。あの、ちょっと、はい、あの、今ちょっと簡単に説明はしたんですけれども、本を出されるということで、まずはおめでとうございます。
ミシマ
ありがとうございます。皆さんのおかげで書き上げることができました。本当に感謝してます。
ノザキ
今までミシマさんは4冊くらい本を出されてますけれども、今回はどのような気持ちで。
ミシマ
いやもう、全くこれまでと違うんですね。
一応三島邦弘と書いてあるんですが、全然自分の著作だという実感が全くないですね。
あの、やっぱ『出版という仕事』なので、めっちゃデカいじゃないですか。
僕が『出版という仕事』を語るなんて、もうおこがましいという思いしかないわけなんです。
なのに書いたわけですけれども。
だからそれは、編集企画してくださったマスダさんという筑摩書房の編集の方から大きなパスを受け、もうミシマさんしかいないからって言ってくださって。
いやー、苦が重いと思いながら、でもまあ、そんだけ言ってくださるんだったら頑張ってみますって感じでやって、書いていったんですけれども。
これでですね、なかなかこう、やっぱ自分の手には全く負えない大きな玉だったっていうのが、最初の結論なんです。
で、一旦書き上げたんですけれども、全然発刊のレベルには正直いってなかったと思ってまして。
でも編集の方ってすごいなと思ったのは、そういう段階でも超励ましてくれるんですよね。
それによって、もう一回頭からリライトしようかなって気になってやった時に、だんだんと自分の、それこそ手を離れていったというか、
『出版という仕事』の魅力
ミシマ
さっき自分の手に余る大きなテーマだって申しましたけれども、だからそれって結局自分の手の範囲内でやろうとしてたってことなんですよね、きっとね。
で、もともとそれが無理なテーマに対しては、結構自分を離れるというか、自分ならざる者たちにいっぱい憑依しながら書いたというかですね。
だから、実際途中からはほぼ自分が書いたというか、自分の体がひたすらタイピングしてるっていう状態で。
でも何か考えたりとか、アイディアは違う存在が入ってやってくれてるみたいな。
そんな感じなので、ほぼ僕の著作じゃないんじゃないかな、みたいな思いがしてます。
ノザキ
タイトルは『出版という仕事』ということで、今自分というよりは憑依してということだったんですけど、新書の形で本を出せられるのは初めてかと思うんですが、
簡単に言うと、出版の何の話を書かれてるんですか?
ミシマ
出版って何っていう話なんですよ。
特に出版社で働くことって何ってことですね。
今出版っていうのは本を出すっていう行為だと思うんですが、それって自費出版から今だったらリトルプレスとかZINEとか小冊子とかいろんな形でどんどんやりやすくなってきてると思うんですが、
これは職業としての出版で、出版社で働くっていうことどういうことかっていうことについて、もうそこだけを書こうと思いました。
それは一つは編集という仕事でありますし、一つは営業という仕事でありますし、
もう一つ出版の大きな醍醐味っていうのは、出版社という一つの会社をどう維持し、そして発展させていくかっていう、一つ商売っていう視点。
だからこの編集、営業、そして商売っていうこの大きな3つについて、基本というか前提となる仕事しだしたいろはみたいなところからできるだけ噛み砕きながら書こうということは意識しましたね。
ノザキ
なんか今目次が手元にあるんですけれども、編集の仕事、編集者の仕事だったり営業の仕事だったりの中に本好きと出版の仕事を分けるものっていう章が一章丸々さいてありまして、
確かに本が好きな方とか本屋巡りが好きな方とか結構いらっしゃると思うんですけれども、そういう方々の本っていうものと、私含め普段出版の仕事っていうのに携わりながら関わる本っていうのがどういうふうに同じでどう違うかみたいなのは、
私も入社して仕事で本を作ることに関わるまでは、本ってこんなふうにできるの?みたいなのは知らなかったところなので、そういうところも含めてすごく丁寧に書かれてるなというのは読ませていただきまして。
ミシマ
そうですか。ありがとうございます。
ノザキ
感じました。
ミシマ
ありがとうございます。
ノザキ
今回ミシマ社ラジオジャックということでミシマさんに話を聞きたいって言い出したのは私ではあるんですけれども、どこよりも早くインタビューしてやろうという意気込みでやっておりますが、
いろんな方からお声がけいただいて、今後、著者インタビューとかトークイベントとかあると思いますので、あまりここでベラベラ喋るのもなぁとは思ってるんですけど、私が聞きたかったのは、ミシマさんはミシマ社を作る前に2社出版社で働かれていて、
1社目の一番初めの編集者としてのキャリアは、新書編集部から始まっている。
ミシマ
そうなんですよ。
はい、本当に。
ノザキ
いつでしたっけ?
ミシマ
1999年の7月から新書編集部に配属になって、2003年の5月末までいましたかね。
3年?4年か。
4年か。はい、そうです。
ノザキ
それ以来、もちろんミシマ社では新書という形態はないので、新書を作るということはその時の4年間だと思うんですけれども、今回初新書で何か違う?
ミシマ
不思議な感じでしたね。なんか故郷に戻ってきた感じというのはあったというか、編集者として『出版という仕事』を新書という入り口からスタートさせてもらって、
今回書き手として、新書というところ、しかも『出版という仕事』というテーマで、新書という枠組みで書かせてもらうというのは、すごい不思議な、四半世紀を経てこんなことになったんだという感じで、
一層、新書編集者としてのキャリアのことというのが、やっぱり結構色濃くこの本にも出てるんじゃないかなと思いますし、その意味では最初に指導してもらった副編集長とか、編集長や同僚の方々の顔というのは何度も思い浮かべながら書いた一冊ですね。
ノザキ
ミシマさんはこれまでの単行本とか、ウェブの連載とかいくつか持たれてますけど、やっぱり新書で、しかもじゃあ今回プリマー新書、ちくまプリマー新書ということで、そうなるとやっぱり書き味も全然違うものになっているなとは思っていて、
新書編集者としての経験
ノザキ
そういうところも読んでもらえると面白いのかなというふうには思います。
ミシマ
本当にそうですね。プリマー新書は僕、創刊時から大好きな新書で、僕が1999年にPHP新書というところで最初のキャリア始まったんですけども、
あの頃から新書戦争という言葉が起きまして、その後文春新書が立ち上がり、僕が入った時点で文春新書が立ち上がっていたかもしれないですけど、PHP新書が始まった後、
PHPだってできるんだったらっていう理由で、大手出版社の人たちも続々新書市場に参入してきたみたいで、文春が始まり、集英社が始まり、光文社が始まり、新潮社が始まりということで、
今結構皆さんが読んでたりしている新書っていうのは、実はそれ以降、1990年代の後半以降、2000年代に創刊されていって、
僕が新書の編集者してほんと間もない頃に、だから集英社だとか新潮社だとかバーって出てきて、えらいこっちゃなみたいな。
講談社はアルファ新書を出したりとか、1社2新書ってあの頃言われていたんですね。NHKが生活新書を出したし、
PHPも生活新書を出したんですけど、教養新書と生活新書を出すみたいなのが、追って中堅出版社の常識みたいなことになって、
もう乱立状態っていう中で、じゃあどうしたらいい本を作れるかっていうのは、あの当時すごい悩んでいて、
例えばですけど文春新書なんかは、やっぱり週刊誌とか持ってたりしている、そこでキャリアを積んだ編集者たちが、
もうすごい敏腕の人たちが続々流れ込んでいたので、すごい時事的な話題が起きたときにパッと3ヶ月後とかに新書出してたりするんですよ。
いやもう叶わんなって感じなわけですよ。
だからもう自分でまとめたりするのも全然平気みたいな、月刊誌週刊誌で鍛えられまくってるか20代にみたいな編集者の方々が、
4,50代で新書編集部にいっぱいいらっしゃって、それが20代前半で著者との関係性も薄い僕なんかが到底かなわないわけですよね。
だからその中で、もともと教養新書っていうのを副編集長当時掲げて、創刊されて、やっぱり素晴らしいなって僕は思っていて、
そこの方針をぶらさずに、この乱立状態の中でどうやって生き残っていくかっていうことをやっぱりすごい考えてらっしゃったし、
それは知識がない中でも僕もすごい感じていたし、じゃあ自分が経験がない中でできることなんかっていうのはすごいあの当時思っていた中で、
すげえ戦ってたなっていう、そういう場所ですね。すげえホットな場所ですね、新書っていうフィールドは。
ノザキ
じゃあもう溢れる思いが止まらないみたいな。
ミシマ
それで2006年にミシマ社を作って以降、逆に言ったら新書っていうものから僕は完全に遠ざかり封印し、もう自分の中でもないことにしていたっていうか、
僕は新書の編集者ですとかって言って、あの名乗ってることでほぼないと思うんです。あんまり知られてないような気が。
ですよね、なんかよっぽどそこついてかれた、別に隠してるわけでもないんで、あれなんですけども、自分から積極的にこうやって人前で、
聞いてもらったから言ってますけども、こんなに多分話したこと実はなくて、今回『出版という仕事』っていう本を出したっていうこともあるんで、
ちょっと封印してた蓋が少し開いたかなみたいな状態ですね。
ノザキ
そうなんですね。
ミシマ
思い出してきました。
ノザキ
このタイトル、本当『出版という仕事』とかもザ、何て言うんですか、王道というか、こんなにも王道なタイトルを、私が言うのも変ですけどミシマ社というこの。
ミシマ
変わったね。
変な出版社のね、代表がね。
ノザキ
書くということで、しかも。
ミシマ
いいのかっていうね、思いが僕もありました。
ノザキ
そうですね、でもなんかまたそれも面白いなと思って、どういうふうに読まれるのかは、私も楽しみで。
ミシマ
本当に楽しみですね。
ノザキ
フジモトさんはいかがでしょうか。
フジモト
ミシマさんの赤字をコピーするっていう仕事を時々やっていて、すごい。
ノザキ
フジモトさんが今回のこのミシマさんの赤字をコピーしてたんですか。
フジモト
赤字をスキャンというか。
ミシマ
ちくまの編集の方から初校を再校ゲラもらって、それにすさまじい赤字を入れたんですよ。
ノザキ
知ってます。
なぜなら。
出版の舞台裏
私はですね、『ここだけのごあいさつ』という、唯一ミシマさんがミシマ社から出している著書の編集をやらせていただきましたので、もちろんそれは存じ上げておりますが、今回どういうふうに、なんかその感じがこう、例えば編集チームの面々の動きを見ていても、私ももちろんやってなくて、そのミシマさんの猛烈な赤字を何かしらこうやる。
ノザキ
みたいなことを、何もなんか気配感じなかったので。
どうしたんだろうと思ってたら、こちらへ。
フジモト
ただスキャンだけだったんですけども、なんかすごい赤くて紙が。
ノザキ
いやいやいや。
ミシマ
紙が赤くて。
文字通り赤かったですよね。
ノザキ
紙が赤かったということです。
ミシマ
今だから笑えるというか、僕が笑っていいのかっていうね。
ノザキ
いやあ、そうですか。
ミシマ
担当のね、あの、ホウベンさんという方が、制作をやってくださったんですけども。
もう何もね、もう何一つ文句も言わず、あのすいません、ちょっと赤字が多くなりました。
かしこまりました。
大丈夫ですと。
ノザキ
すごい。
ミシマ
一言だけ、もう淡々と。
ノザキ
本当ですか。
ミシマ
はい。
バトったんじゃないかということですか。
ノザキ
いやいや違いますよ。
いやさすがにみたいな。
もうこれでもう、みたいなのはなかったんですか。
ミシマ
うん。
あの、申し訳ございません、申し訳ございませんって毎度。
ここは直した方がいいと思うんで、みたいなのを。
もうこのリミッター、今日の、例えば正午に送らないといけないみたいなのを、
フジモトさんが出したんですよ。
ちょっと出来立てホワホワのこの赤字を、とにかくすぐスキャンしてもらっていいですかみたいな。
ありがとうございますみたいな。
ノザキ
え、じゃあ『出版という仕事』の中にはそういうことも、そういう紙が赤かったみたいな話は入ってないんですか。
ミシマ
大きくね、やり直しを著者に依頼しましたっていう話は入っていまして、
これだから結構実例をね、今回入っているんですけども、
一つ具体的に言うと、白川密成さんの『僕は坊さん。』っていう、密成和尚のデビュー作の時に、
一回すごく大幅な書き直しを僕お願いしているんですけども、
その時のエピソードで、実際にこの本では、
そして最初にもらった原稿と書き直してもらった原稿の前書きを、
ビフォーアフターでそのまま掲載させてもらってまして、
ノザキ
すごいことですよね。
ミシマ
密成さんにもちろん許可を得て、こんな感じで掲載していいですか、とてもうれしいですと密成さんから返事、
励ましていただいて、むしろすごい嬉しいですって言ってくださったんで、
本当に、なかなかある種、掲載していないビフォーの本で、
世に出ないはずの原稿だったところを、密成さんはこういう形で、
編集とのやりとりでこんな風に変わったっていう一つの実例をお受け出してくださってるんで、
あの時、ここにも書いてるんですけど、とにかく書き直しをお願いしたときに、
すごいなって思ってるのは、今も思ってるのはやっぱり密成さんの方のこの度量なんですよね。
なかなかその一冊丸ごと書いたときに、もう一回頭から書き直してほしいみたいなことって、
ある種、僕の気持ちとしてはそうじゃないけれども、受け取る方としては全否定されたっていう風に、
受け取っても仕方がないところを、本当に何としてももっともっといい本になると思ってるからっていう、
こっちの真意を汲み取ってくださって、それをちゃんと受け止め、そしてもう一度書き直すっていう、
その行為をされたのは密成さんで、本当にそれはすごい。しかもデビュー作って、
当然評価も固まってない、一番不安なときにそれを受け止めてくださったっていうのはやっぱり、
密成さんっていう方のすごさで、だからもう一回一貫して本当に尊敬して止まない書き手の一人なんですけども、
そうなんですよね。そこをちょっとそういう生の話を掲載させてもらったのは、ちょっと僕としても嬉しいことだなと思ってます。
新企画の発表
ノザキ
なんか今の話を伺って、今回のこのミシマさんの本は、
これまでの出されてきた本以上に、今までだと、例えば一番初めの『計画と無計画のあいだ』とか、今でも結構読んでいただいて、
ミシマ社の初期の本当に、わちゃわちゃってした感じですね。
そうですね。あれが文章で残ってるのもすごいなと思うんですけど、
ミシマさんの語りとか、書きぶりで会社の様子とかを伝えていくみたいなことが多かったかなと思うんですけれども、
それでオフィスが例えば京都に移るとか、コロナがやってくるとか、いろいろな変化とともに会社のあり方とかミシマさんの考え方とかを著書の形で出されてきた中で、
今回のは、今の密成さんの原稿、生の原稿の草案のところから改稿版とか、
ポップとか、例えばミシマ社で言うと仕掛け屋のハセガワさんが作ってるような書店ポップとか、
いろんな営業の、例えば営業トークの話とか、ミシマさんが一冊を書いてはいるんですけど、
いろんな出版の仕事の断片というかが集められて、それこそ今の話もあれば、歴史的な話もあれば、
そういうものが一冊の中に編まれていくみたいな形はすごくひらかれていて、
ミシマさんがこういうやり方が正解ですみたいなことじゃ全然ないじゃないですか。
だからすごい面白い一冊としての完成形が面白いなと思って読みました。
ミシマ
嬉しいです。
ノザキ
それはすごい面白かったところで、ぜひたくさんの方に読んでいただけたらとは思っています。
ミシマ
本当にぜひ読んでいただけると嬉しいです。
ノザキ
もうなんかしめっぽいところで私がいきなり意味わからないことを言うんですけど、
私ミシマ社に入社したのは、この会社なら新書作れると思ったからです。
ミシマ
言ってた。言ってました。
ノザキ
言ってました。
ミシマ
面接で自由が丘オフィスの2階で面接したとき言ってましたね。
ノザキ
はい、私言ってました。
ミシマ
それで、だから多分僕の中に新書封印してたんですよ。
ノザキ
全く触れられないなって思う。
ミシマ
思い出した。そうだった。僕はあの時うんぐらいでしたよね。
ノザキ
うんぐらいでした。
ミシマ
封印してたんだ。
ノザキ
もしその当時のミシマさんが今みたいに例えば新書を書いてるとかだったら、
ミシマ
全然違ったね。
ノザキ
そうなんですけど、私あの当時この会社新書作れると思ったんで入りますみたいな。
なんかすごい謎の自信に満ちた感じで言っていて、
しかもその、何と言いますか。
そうですね。
ミシマ
それはどういう新書をあの時イメージしてたんですか。
僕多分ね、だから自分の中に封印してたからそんなに深く聞かなかったじゃないですか。
ノザキ
全く聞かれませんでした。
ミシマ
例えばみたいなこととか普通の面接だってあるはずのことなかったと思うんで。
ノザキ
全く聞かれなかった。
ミシマ
8年ぐらい前に戻って、例えばどういう新書をノザキさんお考えなんでしょうか。
ノザキ
すごいですね。私の入社面接。
いやもうちょっと今日持ってきたんですよ。新書の話になると。
ミシマ
新書今手元ありますね。
ノザキ
で、岩波新書の黄色。
ミシマ
黄色がね。
ノザキ
今多分絶版なんですけど、鹿野政直さんの『近代日本の民間学』という新書がございます。
私はこれ作れるわ、ミシマ社って思ったんですよ。
おそらくお聞きの方はちょっと想像がしにくいと思いますし、
本も手に入りにくいので、別にこれについて語りたいわけじゃないんですけど、
はいどうぞ。
ミシマ
ちょっとお借りしました今。
ノザキ
なんかですね、すごい私の線が引いてあったりとか、いろいろなちょっと痕跡が残ってるんですけど、
なんでそう思ったかというと、結構こう、大学にいたり大学院にいたりするときに、
私は学問と、もうちょっと一般の学問よりは生活者の言葉とか、
全然本とか読まない人たちとかの間みたいなことをずっと考えていて、
それが研究のテーマでもあったんですよ。
専門家とそうじゃない人の間みたいなことを実はやっていて、
その時に新書ってすごい面白いなと思ってて、
だから学術書でもないんですけど、大学の先生たちがめっちゃひらいてる。
しかも言葉は柔らかいのに、でもその、例えば初歩的なことだけ書いてるのではなくて、
深いところまで到達できるものっていう。
これはすごいと思っていて、
それが作りたくてミシマ社の門を叩きました。
ミシマ
そうでしたか。
そうか。
ノザキ
正直ミシマさんの反応も薄かったですし、
私も封印してたんですけど、
今回、ミシマさんが新書を出されたり、
ちょっと追々お話ししたい新しい企画みたいな、
ミシマ社が挑戦していきたいと思っているビッグな企画がありました。
そういうのにもすごくつながるなと思ったので、思い出した時代です。
ミシマ
今の話聞いて、でもミシマ社と一緒やなと思った。
大学の時、学生の時考えていた、
研究してたこと、その間。
間じゃないですか、ミシマ社って。
『計画と無計画のあいだ』だし、
本好きと本を読まない人の間を、
ひたすら埋めたりとか往復したりとかするのが結構ミシマ社の活動。
ピッタリだったわけですね。
ノザキ
その辺は、何らかクリアな分析によってたどり着いた。
ミシマ
そうなんだ。初めて聞きました。
ノザキ
全くそんなんじゃなかったと思いますが、
もっとふにゃふにゃと足を踏み入れたんですけど。
ミシマ
でも、そっか。実はそうやって、
入社前から思っていたものが、
ノザキさんの中でフツフツとマグマとなって、
いつバーンと爆発するかみたいな状態の中で、
出てきた企画がこの夏あるわけですね。
MSカレッジの意義
ノザキ
ありますよ。
ミシマ
ちょっと発表してもらっていいですか。
ノザキ
初めて言います。
ミシマ
そうですね。
ノザキ
もうだいぶ長いこと、これについては何度も何度も、
社内では練りに練ってきて、
外にお話しするのは初なんですけれども、
では、どう言えばいいんだろう。
ミシマ
フジモトさんから言っていただきます?
ノザキ
ぜひよろしくお願いします。
フジモト
「ミシマ社 MSカレッジ 第0回 学問と出版の新たな挑戦」
ミシマ
フジモトさんの声で言っていただくと、すごい良かったですね。
ノザキ
輝いて聞こえました。
ミシマ
輝いて聞こえた。
ノザキ
輝いて聞こえました。
ミシマ
MSカレッジ。
ノザキ
MSカレッジです。
ミシマ
どうですか、フジモトさん、このネーミング。
フジモト
ネーミング、MSカレッジ。
ミシマ社カレッジの方がいいんじゃないかっていう声も私は聞いたんですけれども、
MSカレッジ。
ミシマ
そうですね。
MSカレッジ。
これですね、
水面下で実際にこのMSカレッジ出演いただく方々に依頼を始めておりまして、
先週結構僕がいろんな方面で動いたんですけれども、
ほぼ全出演者から「ミシマ社カレッジ」じゃないんですかと、
なんでMSカレッジなんですかと言われておりまして、
この辺りノザキさん。
ノザキ
いや、寝耳に水ですよ。
そこか。
ミシマ
そうか。
ノザキ
全く。
ミシマ
発案者としてどうですか。
ノザキ
いや、覚えてます。
MSカレッジだって叫んだ日のことを覚えてますけれども。
ミシマ
ノザキさん、これしかないですよって僕に言いましたよ。
ノザキ
文脈がある。
一応。
ミシマ
そっか。
ノザキ
そうは言いましたけど、
MSカレッジの始まり
ノザキ
MSカレッジって言ったんですね。
言った。
でも誰も何もミシマ社カレッジだろうとかも言わず、
それだってなって突っ走ってきたんですけど、
まさかお引き受けいただけるかなドキドキみたいなのがまずあるじゃないですか。
こちらとしては。
それをすごくミシマさんが依頼してくださって、
その返事をすごく心配はしてなかったですけど、
ドキドキしながら待ってお待ちしていたところ、
お引き受けはご快諾いただいたりとかそういうお返事よりも、
ミシマ
ぜひとはすぐ言ってくださって。
ノザキ
それよりもまずミシマ社カレッジではないのかという声が寄せられて、
そこから初めて考えてきたんですけど、
もともとはMSライブというのをミシマ社はコロナの期間ですね。
オンラインでの配信をやってきていて、
最近もまだたびたびあるんですけれども、
それを引き継いでいる。
ミシマ
そうです。MSLive!って僕が発表した日覚えてますか。
コロナでオンラインイベントをやりますと、
実際に人をリアル会場で集めるのが難しいからというので、
始まったイベントなんですけれども、
これを今後も積極的にやっていこうといった時に、
なんか総称がいるんじゃないかということで、
MSカレッジって僕がホワイトボードに。
ノザキ
Liveですね。
ミシマ
MSLive!と書いた日があったんですよ。
ノザキ
あったと思います。
で、なんかその時は、
ホワイトボードにMSライブって書いてあるのをすごい覚えていて、
ミシマ社ライブ、MSか、
ミシマ社のどこかわからないですけど、
どこかしらを取るとMSLiveって書いてあるんですけど、
MSなのでミシマ社。
どこ取ってるのか確かによくわかんないよね。
で、なんかゴニャゴニャってなってたような気もするんですけど、
まあそのまま来ていると。
ミシマ
そうなんですよ。
そのことです。
ノザキ
全然答えもないですし、この話。
全く説明する、なんて言うんですかね。
ノザキ
ありますか何か。
ミシマ
ないですないです。
それで僕はフジモトさんにぜひ伺いたくて、
フジモトさんは別にMSLive!立ち上げとか5年前ミシマ社と全然関わりもなかったわけで、
この1年半、一緒にこうやってラジオとかさせてもらっている中、
突然のMSカレッジ。
僕やノザキさんやハセガワさんは何の違和感もなくMSカレッジなわけですが、
フジモトさんの率直なご感想を教えてください。
フジモト
入ったときにMSLive!っていうのがあってっていうのを聞いたときに、
何の略って思ったんですけど、
特にこの1年半経ってもうMSLive!が馴染んできているので、
これが皆さんに馴染んでいくといいなと。
ミシマ
本当に素晴らしい感想でした。
ただ馴染んでいるだけだっていうことです。
ノザキ
なぜか馴染みがあるんですよね、私たちには。
ミシマ
理由じゃなくて、何の略でも特にないんですよ。
ノザキ
なんで馴染みがあるんですかね。
でも面白いなと思ったんですよ。
ミシマ社ライブとかミシマ社カレッジみたいなのに、
馴染みが出るかと言われると、
なんかあんまりこう、今のところそれは時間の問題かもしれないんですけど、
ミシマ
ここだけで、世間はそっちの方が馴染みあるっていう意見かもしれないですけども、
それをMSカレッジで勝負していこうというのが、
この主催者側としては思っているわけですよね。
そうですね。
何と言いますか。
ノザキ
全然具体的に理由とかこだわりとかはないんですけど、
わからないなーって感じがずっとあるっていうのがすごく気に入っていて、
その態度は、社外の人からするとか、
例えば今後参加していただく方とか、関わっていただく方からすると、
例えばミシマ社の活動って、どういうふうに見えているのかわからないんですけど、
ミシマさんがこれだって、例えばMSLive!だとか言って、
言うこともあれば、
社外の人からするとか、
今後参加していただく方とか関わっていただく方からすると、
どういうふうに見えるかわからないんですけども、
例えばMSLive!だとか言って、
言うこともあれば、
社員が勝手に盛り上がって何か立ち上がっていることもあって、
それって外から見るとわかりにくいじゃないですか。
その発案が誰かとか、
イベントの詳細
ノザキ
ミシマさんがまた言っているのかなみたいに思われていることも多いと思うんですけど、
こっちの発信者自体が、
よくわからないけど馴染んでいるみたいな、
その感じは気に入っているんですよ。
ミシマ
あのね、MSLive!って言い出した理由、思い出した。
ノザキ
ここで?
ミシマ
あのね、
『パルプ・ノンフィクション』っていう本にもちょっと書いたかもしれないですけども、
なんか突然チーム名とかいろいろ僕やって、
例えばSTTとか、
ノザキ
SSTですね。
ミシマ
何の略かもはや僕も全然覚えていないのをいっぱい5個ぐらい言い出した時期があって、
で、それは、
なんていうか、
よく企業がいっぱい、
カタカナの長い部署をやるじゃないですか、
グローバルコミュニケーション、
ソーシャルコーポレート、
ソーシャルコミュニケーション、
グローバルコミュニケーション、
ソーシャルコーポレート、
チームとかですよ。
もっとかっこいい単語いっぱい並べて、
やるのを、
なんかちょっとパロディ化したいなっていう思いがあって、
で、
僕ら絶対そういうのを略にしないわけです。
仕掛けチームとか、
営業チームとか出版チームとかなわけですけども、
それを、
SSTって言ってみるみたいな、
なんかちょっとパロディにしたかったんですよね。
なんかそうすることで、
なんかこう、
あの、
部署名とかって、
形式になってしまって、
で、
すげー長い、
肩書きっていうか、
チーム名の部署名書かれた名刺とかもらった時に、
みんな頭に入ってないんだけれども、
なんか、あ、そうですかって見たら顔するゲームみたいなことに、
名刺交換になってるわけですけども、
そういう時に、
SSTみたいな、
ちょっとプってなったりとか、
みたいな感じで、
MSLive!、
と思ってました。
ノザキ
あー、
そうそう、そうですね。
だから、ほんとそうですわ。
ミシマ
で、だけど、やるコンテンツ思いっきり本気で、
真剣で深くてみたいな、
そこが、
そのギャップ、
MSLive!って何?みたいな、
ちょっとどういうことなの?みたいなところから、
あの、なんかふざけてんの?ぐらいに捉えてもらっていいんだけども、
こう、
主催者側も、
出演してくださる方も、
話がすごいし、面白いし、深いし、みたいな、
なんか、それが、
なんかこう、
まさに間っていうか、
いろんな、こう、
本好きからそうじゃない人まで、
みんな入ってこれれば、みたいな、
まあ、なんかそういう思いは、
ありました。
ノザキ
いや、ほんとそうですね。
だから、そのあたりのことを、
『パルプ・ノンフィクション』の方にも、
すごく丁寧に、
なんか図とか、図とか、
ミシマ
なんか書いてたね。
なんか書いたな。
ノザキ
さすがに図はないかもしれないですけど、
まあ、そういう会社のチームとか、
まあ、そういうチーム名の話とかって、
確かにコロナの時、
MSLive!が始まった時に、
ちょうど、
ミシマ社内ではホットだったっていう、
ような感じで、
まあ、そうですね。
それも、
もう何年も経ちますけども、
MSLive!の後は、
MSカレッジということで、
まあ、あの、
ミシマ社カレッジじゃないかなと、
思っています。
ミシマ
はい。MSカレッジだと。
ノザキ
ということで、
ミシマ
フジモトさんも、
ゴーサインいただけますか。
フジモト
はい。
ミシマ
はいが出ました。
ありがとうございます。
このMSカレッジ、
でも日程とかも決まってんですよね。
ノザキ
はい。決まってます。
ミシマ
ちょっとじゃあ、具体的に。
ノザキ
もう、はい。
説明させていただきますね。
日程というよりも、
そもそも何なのかということなんですけど、
そこですね。
今話してきた通り、
ミシマ社は、
出版、本を作るという、
出版の活動と、
同じ考え方で、
面白い言葉とか、
人のお話とかを、
できるだけ温かいまま、
その人の、
生の声を、
読者の方に届けたいな、
ということで、
MSLive!も、
始まっていて、
それは一つの出版の形として、
やっているんですけど、
そういうイベント、
わかりやすく言うと、
イベントっていう風な、
そういうことをやってきた中で、
今回、MSカレッジっていうのは、
まずポイントは、
2泊3日。
3日間の、
連続講座の開催を考えています。
で、
拠点を、
我らが、
京都オフィスがありますので、
拠点を、
拠点を、
拠点を、
我らが、
京都オフィスがありますが、
京都で、
開催しようとしています。
で、もう場所も日程も決まっているので、
お伝えをしますと、
日程が、
8月の22日、
金曜日から、
23、土曜日、
24、日曜日の、
3日間で、
会場は、
恵文社一乗寺店の、
コテージをお借りして行います。
でですね、
始まる時間とか、
金曜日は、
少し夕方からだったり、
土日は、
午前から夕方までとか、
細かく設けてはいるんですけれども、
そういう、
まとまった講座を、
開催したいと思っております。
ミシマ
おー、
楽しみですね。
いやー、
一体何が、
起こるんですかね、
ノザキ
でも、早々に、
近日、
もしかしたら、
この放送が、
流れている頃に、
告知が始まっているかもしれない。
企画の進行
ミシマ
確かに。
ノザキ
一番初めの、
ミシマさんの新書の話とか、
私の、
入社したきっかけみたいな、
何かこう、
専門と、
一般の人たちの間、
みたいなのとか、
出版の今の状況とか、
そういうことに関して、
そうですね、
どちらかというと、
私自身というか、
私含め、
一緒に働いている、
この企画は、
主にミシマさんと、
私と、
仕掛け屋のハセガワさんが、
まず初めに、
案を練りながら、
進めてきたんですけれども、
みんなそのメンバーが、
出版業界の未来
ノザキ
今、働きながら考えていること、
みたいなのから、
結構立ち上がっていったような、
企画で、
なので、
自分たちが今、
知りたいこととか、
考えたい出版というものとか、
そういうものに根付いた、
講座になるかなとは、
思っているところです。
ミシマ
そうですね。
本当にここから、
新しい出版の形みたいなのが、
生まれるんじゃないかな、
みたいな予感が、
ひしひしとしておりまして、
というのも、
このミシマ社長は常に、
面白いというのを掲げてきた、
わけなんですね。
面白いというのは、
時代とともにあると思うんです。
時代というのは、
今、
おもしろいというのは
時代とともにあると思うんです。
時代というのは、
刻々と、
この瞬間も変わっていっているわけですけれども、
そういう変化していく時代の中で、
でも、
本にするというときには、
すごい普遍性を持って、
本にしていくんです。
だから、
この瞬間の変わっていく、
みたいな瞬間の熱と、
それをずっと、
時代を越えて、
残っていく言葉にしています。
残っていくという、
この瞬間と、
時を越えるという、
この相反する行為というのが、
出版という、
仕事のひとつの醍醐味かなと思うんですが、
その瞬間で言ったら、
やっぱりこういう、
MSカレッジで今回やるのは、
まさにそのライブの場で、
研究者であったりとか、
作家であったりとか、
いろんな方々が、
この瞬間を発する言葉、
それは出版社という場、
そして、
それを受け取る読者の人たちが、
実際にその場にいる場という中で、
発する言葉や、
思いついたことや、
新しい視点、
そこから切り拓かれていくものというのが、
確実にあるだろうということを、
やっぱり常々、
本作りの中で思っていまして、
その幸い、
やっぱり、
この、
読売新聞社のこういうイベントやライブ、
来てくださる方々、
本当に良き受けてというか、
その、
こういう参加してくれている方々がいるからこそ、
言葉を発して、
本が生まれたなというのを、
何度も、
僕自身経験していまして、
例えばですけれども、
今回も出演してもらう、
松村圭一郎さん。
松村圭一郎さんの、
『うしろめたさの人類学』というのは、
毎日
出版文化賞もいただきましたけれども、
彼にとって、
あれは初の一般賞だったわけなんですね。
でも、
あの本は、
すごい、
なかなか誕生するまで、
時間がかかったんです。
それこそ、
2回ぐらい、
僕、書き直してもらっていまして、
1冊丸々書いてもらってから、
止まっていて、
止まった時に、
忘れもしないんですけれども、
ある本屋さんに呼んでいただいて、
そこの書店さんが、
僕にトークイベントやってほしいって言ってくださって、
その時に、
僕は、
まだ当時無名だった松村さん、
あの時岡山にも全然住んでない時代でしたけれども、
住んでたんかな
松村さん来てもらって、
対談をしたんです。
光嶋さんといたから、
光嶋裕介さんもいたんで、
3人で鼎談をしたんですね。
で、
すっごい、
だだっ広い
昔の、
小学校跡地の、
体育館。
だから、
僕はここでプロレス興業でもあるのかな、
っていうぐらい大きな、
ところに、
すごい、
いいオーディエンスの方々が、
そんなに多くない。
だから体育館のサイズに似合わない数だったけれども、
そういう方々が、
来てくださって、
僕と松村さんと光嶋さん、
パッと喋って、
喋って、
1時間半だったと思うんだけれども、
3時間ぐらい喋って、
今だったら、
僕絶対しないと思うんですけど、
あの当時、
延長をどれだけしてもいいっていう考えを持ってたんです。
なんでそんな考えを持ってたか不思議なんですけれども、
で、松村さんも興にのったのか、
すごい面白い話いっぱいして、
で、
終わった瞬間、
僕の肩を叩いて、
「書ける」って言ったんだ。
この人たちに向けて、
書きたいんだって、
今日掴めたって言ったんですよ。
そうしてできたのが、
『うしろめたさの人類学』なんですよ。
で、
そういう意味で僕は、
今回松村圭一郎さん絶対出てほしいと思っている、
一つの理由っていうのは、
この、
10月からミシマ社は
20年目に入って、
松村さんの著作、
20周年記念企画として、
本にするっていうことも決まっているんですけども、
その、
一つの記念本みたいなものの企画っていうものを、
こういうオーディエンス、
良き受け手がいらしてくれている場で、
発表して、
ある種、
僕と松村さんがどういう本を作っていくかっていうのを、
公開で打ち合わせて、
で、
その、
公開で打ち合わせて、
それを聞いてもらうと。
まあ、その通りもしかしてならない可能性だって、
いっぱいあるんですけども、
だけど、その本気の打ち合わせを、
そういう、
『うしろめたさ』が誕生した時のように、
あの、
聞き手がいてくださる場で、
スタートするっていう。
まあ、なんかそこは、
この間、
ミシマ社がやってきた、
面白いっていうものの、
そして次の時代にも、
書いていって、
また新しい時代の読み物として、
松村さん自身も、
書いてもらうというのの、
こう、
スタートとして、
まあ、こういう場っていうのは、
本当に貴重だなというふうに思っていて、
ぜひそういう時間にもしたいなっていうふうにも思っています。
本作りの重要性
ミシマ
はい。
ノザキ
そうですね。
いや、なんか、
今の話を伺いながら、
その、ミシマさんが、
どんだけでも時間オーバーしてもいいと
そう思ってたとか、
松村さんがその時間を経て、
掴んだみたいなことを
言いましたけど、
なんか本を作るときって、
その、
なんか私がこう、
あの、おこがましく、
なんか言うことでもない、
なんかこう、
言葉じゃ説明できない、
なんか体感として、
そういうこと掴むとか、
なんかこう見えるみたいな、
見えたとか言ってますけど、
で、なんか私全然見えてないとか、
なんかそのミシマさんだけ見えてる時とか、
見えてないですとか言ってますけど、
でも自分にもこうあるんですよ、
その、例えば、
ミシマ
あの、私がよく分かったって言ってるよ。
ノザキ
そう、私分かったって、
そう、なんか一人でこう言ってるときもあって、
あとはその、それが、
イベントとかすると、
参加してる方々の表情を見てたりとか、
アンケートでいただく言葉を読んだりとか、
なんかその、
形式的に、
あの、
例えば決まった時間、
60分とか90分とか、
話を聞いて参加して、
まあ、あの、
その日が終わるっていうことだけじゃなくて、
なんかそこからすごくこう、
何かを掴む瞬間みたいなのが訪れることってあるじゃないですか、
で、それって、
なんか本作りにおいてすっごいそこが、
なんか大事だし、
それがないとできないし、
で、それってこう、
時間とか場所とか、
あらゆる状況が、
もう幸運にもうなんかうまくいって、
で、やっと生まれるみたいなことだと思うんですけど、
で、そういう場所みたいなのを、
まあ、あの、
そんなに設計して作れるものではないとは分かっているんですけど、
なんか少しでもミシマ社の、
まあその仕事の一部を、
あの、ひらきながら、
著者の方も、
えっと、まあ我々ミシマ社のメンバーも、
あの、参加くださる方々も、
まああとは場所としてお貸ししてくださる、
まあ今回で言うと書店の恵文社さんとか、
まあそういうこう、
本とか出版に関わる人たちが、
何かをこう、掴むような、
時間と、
場所と、
物理的に、
立ち上げるみたいな、
ことを、
まあちょっとやっていきたいなっていうのが、
あの、
まあ現段階の思いでは、
あります。
ミシマ
はい。
ノザキ
なので、
結構こう、
ワクワクでもあり、
いやもうどうなるんやろみたいな、もうなんかあの、
ミシマ
本当にね、未知数なね。
でもあるんですけど、
ノザキ
なんかやっぱ、
最近思ったんですけど、
ミシマ社ってこう、分からないけど面白そうだよみたいなことを、
そのまま、
そのノリで押し切るみたいなことあるじゃないですか。
ミシマ
はい。
ノザキ
で、それはそれでいいんですけど、
当日の楽しみとか、
そういう、
なんかそのぐらいの解像度でも来てくださる人って本当にありがたいし、
なんか本当にその人たちを後悔させないって思いはもちろんあるんですけど、
なんかもうちょっとこう、
今回はできるだけ、
もう拙いながらも言葉を尽くして、
いろいろと、
あの、宣伝していきたいなと思うので、
本当に。
このラジオもそうですし、
いろいろとご注目いただけたらと、
ミシマ
本当に。
ノザキ
思います。
新しいアイデアの発明
ミシマ
こうね、参加してよかったってね、
もう絶対に行っていただける、
まあ自信があります。
はい。
ちょっと今のおかしかったなあ。
なんか変なテンションになってしまいましたけども。
フジモトさんなんか、
ちょっと言ってください。
フジモト
ちょっと、
MSカレッジっていうものが、
ある、
なんか始まるっていうのは、
なんとなく、
なんか聞いてたというか、
目にして、
ノザキ
漏れ聞こえている
フジモト
今日3日間あることを知って、
知らなかった。
いやちょっと盛りだくさんで、
すごい、
3日間、
どんなスケジュールでとか、
いろいろこれから気になりました。
ミシマ
どんな方がね、
出てくださるんだろうとかね、
それは僕たちも楽しみなんです、
実を言うと。
本当に本当に。
あの、
新しい本作りの挑戦
ミシマ
ノザキさんが今言ったように、
すごいこう、
未知数な部分がありつつ、
しっかりいいものにしていくっていう、
ことは抑えながら、
やっぱり、
未知数な部分もすごくあって、
僕らもきっと、
当日っていうか、
この3日を通して、
こういう風に、
本作りできるんだとか、
これから出版社、
こっから10年、
こんな風にして、
運営していけるんだみたいな、
発見が、
もう必ずあると思うんですね。
そこだけは確かな気がしていて、
だからこう、
なんていうか、
予定調和じゃない部分がすごくあって、
なんか、
きっとそうして、
僕自身、
なんか、
初日、2日目、3日目、
そして終わった1週間後とか、
みたいなこと言ってると思うんです。
で、その、
あっていうのは、
そうした方々、
皆さん多分それぞれの持ち場で、
同じことが起こるんじゃないかな、
という風にも思いますし、
あくまで新しい本作りっていうことに、
挑戦していく、
一つの場なんですけれども、
それはきっと、
本を作りたいと思ってたり、
それを仕事にしている人たちは、
多分直接役立つと思うんですが、
そうじゃない、
全然違う職業の方々や、
別に学生の方々なんかも、
もう視点のひらかれ方が、
なんか新しくなっていくんじゃないかな、
という風に思いますし、
それは本当に、
なんか多分、
一生の財産になっていくような、
そんなことにもなり得るんじゃないかな、
っていう、
なんか本当に、
直感ですけども、
はしていて、
それぐらい結構僕にとっても大きな、
試みとして、
このMSカレッジを、
試みとして、
このMSカレッジを捉えています。
前田エマさんのエッセイ
ノザキ
そうです。
ミシマ
そうです。
と思うと、
なんか楽しみしかないですね。
ノザキ
そうですね。
楽しみですよね。
ミシマ
僕は多分、
楽しみなんですけども、
ノザキさんは結構運営をね、
結構しっかりやってくださるんで、
今回は、
滞りなく
運営を考えた時に。
ノザキ
事務方として
頑張りたいと思う、
頑張りたいと思うやつとか言ってるやつ。
どうなんだろう。
ミシマ
よろしくお願いします。
ノザキ
はい。
ミシマ
前回、
このラジオでもご紹介した、
前田エマさんの本を担当された、
ノザキさんから。
ノザキ
そうなんですよ。
前田エマさんのエッセイ集、
6月に刊行した、
『過去の学生』なんですけれども、
本当に良くて。
ミシマ
本当に良いですよ。
ノザキ
本当に良い本なんですよ。
いやー、
ちょっとすいません。
それについて語ると、
止まらなくなっちゃうので、
あくまで。
ミシマ
ちょっと語っていただきましょうかね。
ノザキ
いやいや、前田さんの初めてのエッセイ集なんですけれども、
前田エマさんは、
モデル、
ラジオパーソナリティとか、
ご自身で作品を作られたり、
まあ何と言いますか、
執筆のお仕事も、
結構エッセイとか小説とか、
いろいろ書かれているんですけれども、
私が、
入社1年目の時に、
この著者と何か仕事がしたいです、
みたいな、
もう本当に拙い企画を出した。
本当に初めてぐらいの、
何か企画っていうのが、
前田エマさんの企画で、
そこから、
まあいろいろと、
話すと長くなるんですけど、
ある方の対談で、
まずは初めて、
お仕事させていただいて、
で、その後に、
その機会がすごく良かったので、
エッセイの何か企画一緒にやりませんかって、
お声掛けをしたら、
いやエッセイより小説がやりたいですと
でも、当時私はもう本当に経験もなかったので、
真っ青になって、
帰ってきて京都に。
で、
ミシマ
わなわなして帰ってきましたね。
ノザキ
そう、わなわなして、
もうだめだ、
もうこれは終わったみたいな感じで帰ってきて、
で、その時ミシマさんは、
やったやんみたいな、
すごい私とは全く真逆の反応で、
そういうこともあり、
小説集『動物になる日』が、
2022年に刊行して、
それが前田エマさんの初めての著書だったんですけど、
で、そこからまた3年が経ち、
ついにエッセイが出せたっていう、
もう何か本当にもう涙涙、
もう最高っていう感じの、
自分自身としても、
それだけ前田さんの文章にすごく惹かれて、
生き様っていうか、
あり方、
言葉も、もちろん言葉に滲み出るところの、
前田さんの、
人としての姿みたいなのが、
本当に魅力的で、
で、それがやっぱり、
よく出たエッセイだなと思うので、
かなり反響もいただいてるんですけれども、
ミシマ
本当に、
『過去の学生』って、
学びであったり、
学校の話であったりとか、
テーマ多岐に渡ってますけれども、
何かちょっとこう、
そういうものに興味持ったりとか、
あと周りで、
ちょっと学校に馴染めない人がいたりとか、
知ってたりとか、
相談を受けてたりとか、
悩んでたりする方なんかも、
ちょっと全然違う視点が開かれるんじゃないかな、
って思いますね。
前田さんの素敵なところって、
学校生活の視点の変化
ミシマ
この文章、
何かすごい自信があるんですよね。
何か、
何と言うか、
本にも書いてる通り、
全然勉強できなかった。
九九も言えなかったっていうことですけども、
何かそこに、
何か一切ひけ目を感じてない。
変に自分を卑下したいとか、
否定したいとかがなく、
こんな風に、
気持ちよく生きていったらいいんだって、
素直に思えてしまうんですよね。
エマさんと接していると。
あれは、やっぱりこういう
存在がいるっていうことを、
本当に皆さんに知ってもらいたいですし、
その空気に何か触れてほしいなって、
本当に僕は思ってまして、
すごい色々周りに進めています、
僕も。
ノザキ
そうですね。
だから、何かその学校の中とかだと、
やっぱり、
すごい分かりやすいんですけど、
同じクラスで、
勉強も、
運動も、
人と比べたりとか、
他の子より自分ができなかったりとか、
こういうのは目立つ人がやる、
係りだとか、
そういう、
なんとなくの、
集団の中の自分の立ち位置みたいなのを、
勝手に自分の中で作ってしまって、
それが、
苦しくなってしまう、
みたいなことって、
結構経験が、
自分にもあるし、
そういうので悩んでいる方もいるのかなと思うんですけど、
そういう時代を、
前田さん自身も経ながら、
でも、
それをどうやって、
すり抜けるっていうよりは、
自分の心をどうやって、
そういう環境で大事にできるか、
みたいなのの、
スキルって言ったら変なんですけど、
本当に前田さんの技みたいなのが、
見事で、
ミシマ
ドッジボールが暴力だっていうのは、
ちょっと、
ハッとしましたね。
ノザキ
いや、本当にドッジボールをどう思っていたか、
みたいな話、結構盛り上がりますよね。
ミシマ
盛り上がる。
ノザキ
そうなんですよ。
そういうことも、中のエッセイには出てくるので、
よかったら、
よろしくお願いします。
ミシマ
はい。
ドッジボールは好きでしたか?
フジモト
はい。
ボールを避けることに集中していました。
ミシマ
取らず。
投げもせず。
フジモト
投げもせず、ただ避けるということを。
ミシマ
いいですね。
避けるのは結構得意でしたか?
フジモト
避けるのは得意。
ノザキ
最後まで残るタイプですね。
ミシマ
ノザキさんは?
ノザキ
もう、開始1秒ぐらいで当たるやつです。
ミシマ
でも、ずっと外野にいたまま。
ノザキ
はい。
ボール投げるとか、
なんていうんですか、
飛距離がないので、
早々に外に行き、
そのまま内野に戻れないタイプです。
ミシマ
あれ、当てたら戻れるとか、
いろんなルールがありますけどね。
ノザキ
早々に足とかに当てられる人っているじゃないですか。
ミシマ
いるいる。
ノザキ
何て言うんですか、分かりますか?
体の距離感がつかめていないやつみたいな、
私です。
ミシマ
なるほど。
僕は好きでしたね。
いちびりというか、
関西弁なのかな、これは。
調子に乗って、
片手でキャッチとかもね。
両手でも取らない。
もう片手で全部取るからみたいな。
ノザキ
その必要ないじゃないですか、まったく。
ミシマ
ついやってしまうタイプ。
ノザキ
嫌だ。
ミシマ
しかも利き手じゃない、左手で次行くしみたいな。
ノザキ
嫌だ。
ミシマ
僕ね、今回の
エマさんのエッセイ、死にましたね。
それで調子に乗ってたほうの、
あれだったから。
ノザキ
そっち側の方もいらっしゃるということか。
ミシマ
そうそう、なんかだから、
すごいこんなに恐怖を感じている人たちがいたって、
僕想像もしてなかったんで、
いわれるとあれを読んで、
確かに嫌がっている子もいたなと思い出したんですけども、
あの当時は自分がどうやってできるかに夢中だったから。
ノザキ
そりゃあ、
片手でやってるぐらいだからそうですよね。
ミシマ
ここをこうして取るみたいな。
ノザキ
いやいや、その取り方をこう。
ミシマ
8の字にして。
ノザキ
手をクロスしてわざわざ取りにくくして。
ミシマ
どんだけ調子乗ってんだよみたいなね。
ノザキ
嫌だ。
同じクラスじゃなくてよかったなと心から思いました。
でも本当に小学校を卒業してから、
あのサイズのボールを投げる機会ってないじゃないですか。
ミシマ
ないないない。
ノザキ
いやだからもうやっぱあれはちょっと、あの時の。
ミシマ
本当にね、あの時だけの遊びっていうかね。
ノザキ
いやあ、ちょっと盛り上がってしまいましたね。
ドッジボールバトル。
ミシマ
みんな盛り上がる。
新書と出版についての議論
ミシマ
そこの章もぜひ呼んでいただきたいなと思います。
ノザキ
ぜひ。
ミシマ
ミシマ社ラジオ、今日はロングバージョンで。
いかがでしたか。
フジモト
いろいろお話、熱い思いとかを聞けて、
大変楽しく。
ありがとうございます。
ミシマ
こちらこそです。
ノザキ
ありがとうございました。
ミシマ
なんかどんだけでも話せるなっていうのが分かりました。
ノザキ
恐ろしい感想ですね。
ミシマ
今日はだから封印してた新書の話をノザキさんがこじ開けたから。
はっきり言ってね、今僕新書の話いくらでもしゃべれるなと思ってます。
ノザキ
そういう機会ってないんですか。
ミシマ
ないんですね。
ないですね。
ノザキ
いやなんか結構こう、
いやもう終わりかけになんですけど、
ノザキ
なんかすごくこう面白い話だなと思ってて、
先ほどミシマさんがおっしゃってたみたいに、
やっぱ新書のこう歴史とブームみたいなのもあるわけじゃないですか。
で、今やっぱすごくこう読まれてる新書もあるし、
手に取りやすいっていうこともあって、
なんか一冊単行本を作るっていうのとまた違う、
決まったフォーマットの中でやる面白さみたいなのもある気がして、
ミシマ
本当に。
だから、まあなんか自分たちは新書を作ってないからなんとも言えないんですけど、
新書話みたいなのは、
ミシマ
どっかでじゃあまた、
ノザキ
誰か、誰かの名乗り出てくれる方がいたらその語りたい欲が、
ミシマ
はい。
ノザキ
満たされるといいなと、
ミシマ
いやいやいや。
ノザキ
思います。
ミシマ
そんな。
ノザキ
中途半端に扉を開けて。
ミシマ
いやいやいや、もうあの語ることないです。
はい。
では、『出版という仕事』、
そして『新・仕事のお守り』、
そうですよね。
が見しましたから、この7月で出るんで、
これあの、
2冊が僕はこの姉妹本、兄弟本だと思っているので、
あの、ちょっとよく似たテーマを違う角度から、
ミシマ
違うエピソードを使って書いてたりしている、
特に商売っていう章は、
両方ともこの2つの本にあるんですけども、
それはちょっと違う、
引用したりとか違うエピソードとか、
あの、書いてたりしているんで、
ミシマ
なんかその辺りも楽しんでいただけるとなと思います。
はい。
では、
またノザキさん、
このラジオに来てください。
ノザキ
おお。
いつの間にか司会を。
はい。
ミシマ
いつの間にか司会を奪い取ってますけれども。
もう一度取り戻す。
ノザキ
いや、自ら唇を切るの大変かなと思ったんで、
ちょっと厚かましかったですけど。
ミシマ
いやいや、ありがとうございました。
ノザキ
ありがとうございました。
ミシマ
では、また皆さんお会いしましょう。
ありがとうございました。
ノザキ
ありがとうございました。
フジモト
ありがとうございました。
01:10:36

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