人間関係の見直し
私と私のひとりごと。こんにちは、misaです。今回は、「好きだけど、疲れる人」という存在、外向的か内向的かというタイトルでお話ししていきたいと思います。
このラジオでは、願いを生きる過程や自己一致するためのヒントをお届けしております。本日は8月の3日、日曜日でございます。よろしくお付き合いください。
最近、人間関係について、自分の中ですごい改造度が上がったと言いますか、明確にこういう人とは関係を作るけど、こういう人とは作らないみたいなのが、すごいこういろんな観点が増えたと言いますかね。
こういう観点で評価する、こういう観点で評価するっていうのが増えてきて、判断がしやすくなった。結果的にめちゃめちゃ人間関係減ってるんですけど、それが良いと思うか悪いと思うかは人によるかもしれませんが、私的にはこう、
究極のゴールは自分が楽しい時間、幸せな時間を1秒1秒紡いでいくってことが人生だと思っているので、そのなんか楽しくねえなっていう時間を減らしちゃう人間、楽しいなっていう時間を減らすような人間関係はまあいらないんじゃないのかなって思うので、
あーなんか周りの人減ってきたなーみたいにちょっと感じつつもまあ仕方ねえかと思っているところなんですけどね。特にここ最近では結構家族関係、自分の親とか妹について関係見直したっていうのがあったんで、これは結構なんか自分の人間関係のコアだと思うんですよ。
皆さんそうなんじゃないかなと思うんですけど、生まれた時の家庭の様子とか親の人間関係の作り方とかをベースに自分たちで学んでいくと思うので、ここを自分なりに紐解いて再定義していく家庭っていうのは、なんていうか本当に基本的なところの見直しをかけたなっていう感覚があったんですけど。
で、今回久々に元同僚と会ったんですよ。で、わーと思ってまさにこの好きだけど疲れる人なんだなこの人っていうのがよく見えて、なんていうかこう自分のそのさっきも言ったように人間関係の定義の仕方、改造度が上がったっていうところで見えたものがいろいろあったので、その辺をさらっとお話ししてみたいなというふうに思いました。
同僚については2年ぶりぐらいに会ったんじゃないかな。なんか元々私結構フルリモートで働いてるからわざわざ人と対面する必要がないんですけど、なんかオンラインでランチしましょうとか雑談するみたいなことはあれど、実際じゃあわざわざ時間待ち合わせて会いましょうってことはあんまり好きじゃないっていうのも、好きじゃないっていうかめんどくさいなっていうのもあってやってなかったけど、久々にこう私は有給証を貸せるし、向こうもお休みってこともあって、
平日にじゃあ会いましょうかってなって、平日だったらね子供のあれこれとか預け先とか考えなくていいから割とフットワーク軽かったのでじゃあ行きましょうってあったんですけど、その同僚のことは私は結構気が合うと思ってて楽しかったし、仕事もかなり近いところで一緒に2年ぐらい前かな、ずっと一緒に約2年間でしょうね、2年ばっかりだけど、ずっと結構べったり一緒に仕事してきて、なんかチームとしてもうまくいってたと思うし、
なんかこうほの暗さみたいなのがない人だったんですよ、明るいし、なんかこう前向きな感じというか、でこうなんですかね、なんかもともとそのめちゃめちゃざっくり分けると、その頑張るタイプと頑張らないタイプみたいのがいると思うんですけど、私は結構頑張るタイプなのでバレてると思うけど、
なんか運動武器室と言えますか、みんなで頑張ろうぜみたいなのが結構根本的なベースに入ってるタイプなんですけど、その人もそうで、この辺が結構気合うなみたいな思ってましたね。他のメンバーには、なんか楽できるなら手抜こうよみたいなスタイルの方もいらっしゃったんですけど、私は売り上げあげたかったから、一緒に頑張ってる感じ、向こうは営業だったので、その売り上げ追ってるし、私は別に営業、売り上げ目標持ってないけど、売り上げあげたかったっていうのもあって、
なんかその仕事の見てる方向性みたいなのが一緒だったのかなっていうのもあって、でも別にその仕事の話ばっかりしてるわけでもなくて、雑談も全然するし、普通に楽しくやられてて、なんか会社で一番仲良いなって思ってたんですけど、で、久々に会って、なんか結構長い時間一緒にいたんですけど、結論はそう、あの疲れたなってなったのね。
なんか途中から、この人も何か相付うつまもないぐらいめっちゃ喋るなってことが気になり始めて、なんかでも、なんか自分的に結構混乱してたのは、話の内容自体は別にそんな超つまんないわけでもないでしょ。
なんか私の妹とかだと、愚痴を言ってたりとか、なんか他人へのマウント取ってたりとかして、なんか独特しい話題が多いなーってなって、これってなんかゆっくり話されても早く話されても、なんか何が嫌じゃないですか。ずっと愚痴聞かされるのって辛いじゃない。その同僚はそんなんじゃないんですよ。全然明るくて面白い話題を出してくれてるんだけど、
なんかこと細かにこんなことがあって、あんなことがあって、なんか主に仕事の話をされてたんですけど、今転職した現在の仕事のあんなことあった、こんなことあったみたいな、確かになんか面白い職場なのよ。ネタの多い職場で、なんかその面白いし、
なんでしょうね、私もまぁなんか想像できるから、へーって感じで聞き及んでしまったんですけど、もう会ってる間じゃずっとその話を、なんかただネタを披露されるというか、なんか記録を読んでるみたいな、ちょっと面白い記録を読んでるみたいな感じだったのかな。
ずーっと話してて、もうなんか好きがない。よく喋るなってなったんだよな。さよならってなって、バイバイ、また遊びましょうってなって、家帰った瞬間疲れたなと思って、なんかあれーみたいな、私この人のこと好きだと思ってたけどめっちゃ疲れるんだけどってなってから、なんかこの話になってきたんですけどね。
内面の気づき
あ、なんか、この人のなんか人間としては、その中身とか世界観みたいなものは好きだけど、疲れるなってことがあるんだなーってことに気づいて、なんか自分的には結構しっくりこなかったから、しっくりこないっていうかなんか、そんなことあるんだみたいな、びっくりしたから、なんかもうちょっと掘り下げてみようかなと思ったんですけどね。
まあ一個は、その話題がずっと楽しい話題であったとしても、別にそこに私とは関係ない世界の話だから、言うてもなんか、みんなそうだと思うけど、自分に関係ない話題ってなんかそんなに興味なくない?別に、別になんかあの人がどうだこうだみたいな噂話って。
いやでもなんか、消費できるタイプの人は面白いのかなー。いやでも、おおむね自分に関係ない話って興味ないと思うんだけど、それが一個ありますよね。私その職場の人別に誰も知らないし、その状況とかもわかんないから、まあわかんないから聞いてんだけど、えーそれってこういうこと?みたいな、なんかヒアリングはしてたけど、あまりに長すぎるとちょっと疲れるのと、かといってなんか一応私の話でも聞いてくれるんだけど、なんかそんなに興味もないんだろうなーみたいな感じが見て取れるから、
じゃあいっかみたいな。わざわざそんなさ、興味ないだろうなーっていう話題をしたいほどの熱意も伝えたい何かがあるわけでもないから、じゃあいっかと思って、なんか私が10分ぐらい喋ったら、あとの2時間は向こうのターンみたいな感じになってたらバランス的に。うーんと思って。
そうね、なんかずっとただただ聞いてるだけで、ちょっとここからパラパラするんだけど、なんかこの疲労感ってふと思った時に、あれ?と思って、私これ過去にこういう友達めちゃめちゃ多かったぞと。
友達じゃなかった、同僚でも結構いたなーと思って、この一方的に私のリアクションとか私の反応無視して、めっちゃ喋り狂ってくる人。でも今話したくないみたいな時も、話したくないですって顔には私は書いてるはずなんだけど、全く気にせず喋るタイプの人。
なんか学生時代から近くにいたわーと思って、あれこれ私のパターンなんだなーって気づいて、これ気づけるのって結構珍しいんじゃないかという気がするが、あれ?この苦しみなんかずっとやってきたなと。
話題の楽しさ、面白くなさは様々だけど、なんかずっとグチグチグチグチ言ってるってなったら、なんか分かりやすく鬱陶しいから、その人の世界観が好きじゃないってことになるから、私はさすがにそれは気づいて距離取るから、あんまりこういう人残んないけど、話に毒がなくて別に楽しいんだけど、
なんか一方的に喋られて、私の反応も別に見てないし、私の話にも別に興味がなくて、ただ喋りたいだけなんだろうなみたいな感じになると、私は結構これはよく話してるけど、私の存在を認識されてないから、なんか自分の自己認識みたいなのが傷つくのよね。
この人にとって私って鏡なんだなみたいになると、私じゃなくてもいいじゃないってなって、なんかすごい存在を軽視されてるように感じて、なんか地味に傷つくんだよね。この辺がなんか私結構分離できてなくて、なんかいい人なのに、好きなのに、なんかしんどい、なんか変だなみたいな。
なんか結構一緒にいちゃって、向こうも話聞いてくれるもんだから、うんうんとか言って、なんかまたそれはこうなんですかとか言って、なんかまた呼び水質問してしまうせいで、なんか楽しくなっちゃって、いっぱい喋られて、なんか疲れたなみたいなことがよくあるパターンだったわと思って。これはおそらくうちの妹を現体験とする、なんか私の人生パターンなんだなと思って。
でもここで気づけたから多分これ終わるんじゃないかなって気がしましたな。これはスッキリしました結構。どういうことかと言うと、私は幼少期から妹が喋り狂うタイプだったんですね。まあまた妹の場合はなんか結構毒のある感じの話題も多いから、多いし、私の話には全く興味がない。もう興味ないってのが顔に書いてあるから、なんか喋っててもすごい気持ち悪いっていうか楽しくないんですよ。
だって自分が話してリアクション良かったら楽しいし、それってこういうことなのかなって新しい観点とかくれたらさ、私はねこれが好きなんですよ。楽しいんですよ。会話ってセッションだと思ってるから一人で一方的に演説するのってそんなに楽しくないというか、なんかスッキリはするけど自分の自己整理のためでしかなくて、なんかノートに字書いてるのと同じだと思ってて、会話とは思ってないんですよね。なんか演説だと思ってるんですけど。
だから演説に別にあんまり意味を感じないから、人でやる必要がないじゃん。ノートでいいじゃんって感じがするから。だってリアクションも返ってこないし反応もないしうんうんしか言ってくれない人って別に人間に言う必要がないから、じゃあノートに書こうかなって感じで私はよくウェブで字書いてとかしてたんですけど。こうやってラジオで発信してるのもそうですね。
なんですけど、妹は演説するんですよずっと。私の時間を奪うわけよね。私がなんか疲れたなーとか、この話何回目だよとか、答えわかってるのに私からするとその悩みってこういうことじゃんみたいなのがわかってるけど、なんか言ってもわからなかったり聞いてなかったりとかして、なんかすごい疲れる、なんかすごい自分の存在をさっきから言うけど傷つく、消耗されてるなーみたいな、すげー消費されてる感みたいなのがずーっとあって、これはもう結構深い怒りなんですけど。
これを、なんか私はこうやって他人に消費されるにふさわしいんだーみたいに擦り込んでるから、しょっちゅうしょっちゅうこういう人が現れて、同じような体験して、なんかおかしいな、なんかおかしいな、でも私ってこんなもんなのかな、こんなもんかなっていうのは無意識なので自分の意識下には上がってこないんですけど、なんか変だなーぐらいでしかわかんなかったんだけど。
完全にこれだなーと思って。結論、こういう人たちとは繋がんないっていうのが多分正しいんですけどね。なぜなら消費されてるわけだからね。
一方的な会話の無駄
僕らはその人の話題が明るくて前向きであれ、なんか私のリアクションも無視して、別に私じゃなくても良いんだろうなーみたいな喋り方をする人たちとは、私の時間としては無駄なわけだから、なんかうんうんうんうん、へーとか言ってるだけだからさ、時間の無駄なので、無駄無駄。
そこまでして何のためにってなると、私にあんまりメリットがないかって気がするから、多分眼下していかないのが自分の、私のね、人生でいくとこっちが正しいんだろうなーという結論になりましたね。
ただ、あとは、えっと、何なんだこの人たちはっていうのがまあ気になり始めて、まあ結構いるわけよ。見た感じいるのよよく。私の場合は女性の方が多いんですけど、なぜならまあ私の場合は男性に結構厳しいから、うざこいつってなったら男性の場合は結構容赦なくバンバン切っていくから、女の子だとちょっと可哀想かなーとか思ってなんか寄り添っちゃうんだよな。
多分これもね、母親に対するなんか可哀想だなみたいな、お母さんしんどそうだなみたいなのがあるんでしょうね。父親に対しては私は割と厳しかったけど、母親には可哀想かなーみたいなのがあったから、そういうのがベースに入ってんか知らんけれども、なんかこう女の人だとうんうんって聞いてあげようかなーみたいな、まあそんなにめっちゃこう自分に、私に対してなんか文句言ってくるとかでもないわけだから、楽しそうに一生喋ってるだけっていうだけだから、そんなにボランティア感覚でやってあげようかなーみたいなのが多分あったんでしょうな。
それもまあ無意識ですけどね。って感じで、まあそういうの女の人に多いような気がするけど、てかいますよね。多分みんな、ああいるよねって感じするんじゃないかな。なんかその話題の毒さ?毒さ?話題のその深い深いはちょっと置いといて、こっちの反応とかこっちの状況を無視して一方的に喋る人っていますよね。多分結構いるんじゃないのっていう気がするけどね。
あ、でもあの、こっちタイプの人?この一方的に喋る側の人だったら気づかないかもね。自分がそうだから。自分が一方的にバーッと喋って他人の状況をお構いなしに、なんか聞いてくれるなこいつと思ったら、わーっと喋ってるタイプだと、そんな一方的に喋る人いるかなーみたいにもしかしたらなるのかもしれないけど。
あーでもそんなことないのかな。なんか私その離婚したギリの母。離婚してるんですけどギリの母。まあまだこの人たちとは関係はつながっているんだけどね。もはや元ギリの母なんだけれども。全然仲良く定期的に会ってるんだけど。
この人はめちゃめちゃ一方的に喋ってて、なんか孫ちゃんに会いたいという割に孫の話はそこそこにご自身のご近所付き合いとか、家の回収とか、病気の話とか、入院の話とか、そういうのずーっと喋られるんだけど。
なんかあの人は、でもなんか私に何も求めてないからな。なんか言ってるだけみたいな感じあるから。なんかそんなに苦しくないんですけど私からすると。まあ人数もいっぱいいるしね。1対1だったらちょっとしんどいかもしれないけど。
孫たちもいるし元旦那もいるから、なんかちょっと分散されて、激白が。なんかそんなに苦しくないけど。あの人もなんか気に入らない人はそれなりにいらっしゃって、でも漢字を聞いてるとあの人は話を聞かないわね、みたいなこと言ってる気がするから。
一方的に喋る側も、もっと一方的に喋る奴にエンカウントすると、「ああ、なんかそういう奴いるよね。」ってなるのかもね。そんなもんなのかも。そう思うと私は元旦那には割と一方的に喋ってるから、彼からすると、どうかな、どうかな。
まあでもそれにしてもなんかリアクション見てるけどね。ああ、興味ないんだなって思ったら私は喋んないから。でもなんか、いけると思ったら喋りくるけど。それもなんか元旦那は男性だからちょっとなんか、まあいっかと思ってる節がある。
あの人が女の人だったら多分これはできないだろうなって気がしません。なんかその男女の遠慮みたいなのが私にはありますけれども。みんなもそれなりにあるかもね。こういう人だったら話聞くけど、こういう人の話はしんどいから聞いてないみたいになると、聞いてない人たちは一方的に話す勢だよねとは認識してないかもね。
ちょっと考えてみてもいいかもしれないです。この一方的に喋る人たちってなんぞいなぁと思って、なんか私からすると結構理解できないんだよな。なんかその、だってしんどそうにしてたりとか、なんかもう酔ってんのかなってぐらい、酔ってないんだけどランチだってるから酔ってない。
酒飲んで酔ってないんだけど、なんか息つく間もないくらいすごい喋るなぁとか。なんかね、昔はね、この人とはまた別の同僚で、ずっと昼休み中自分でやってるゲームの話をずっとされる。なんか昼休み1時間しかないのに、私はおとなしく過ごしたいのに、ずっと自分のプレイしてるゲームの話を一生される時間とかって結構これもすっごい悩んでて、なんかイライラするなぁみたいな。
でも話聞きたくないですって顔して、携帯とかいじっててもずっとそれでね、それでねって喋ってきて、なんか話聞いてほしいんだろうなっていうのはわかるんだけど、なんで私が聞かなきゃいけないんだろうみたいな。
あーってなってる人とかいたけど、なんでなのかなぁみたいな。だって聞いてないなってわかんないのかなぁとか超不思議だったんですけど、なんか思ったのよ。さっきタイトルにもあるように、その外交生と内交生にもしかして依存するのかなぁと思って、私は前までなんか世界に他人がいるかどうか見えてない人と見えてる人がいるなぁっていうのはうっすらなんかちょろちょろ喋ってるんですけど、
世界に他人がいない人たちっていうのは、なんか夢の世界みたいな、夢ってあの寝てる時に見る夢の世界みたいな感じで、夢って自分しか存在してないじゃないですか、実際。だって自分が作ってる世界じゃない?空を飛んでいようが、夢ってどんな夢見るんだみんな。
夢ってどんな夢見てても、主人公は私であって、なんか登場人物全部出てくる人も自分の投影なんですよね、結局。自分の脳みそが作ってるキャラクターでしかないじゃない。男が出ても女が出ても赤ちゃんおじいさんおばあさん出てきても、全部それって自分が作ってる、つまり自己の投影でしかないんですけど。
なんかそんな感じで世の中生きてる人たちが結構いんなーって思ってて。
これちょっともうちょっとまとめて喋りたいんですけどね。まだまとまってないからうまく喋ってないんですけど。
この他人を自分の演出、自分っていう物語、自分っていう人生の物語を作るための演出として、モブとして使っている人たちが結構これなのかなーって仮説があったのね。
我が妹のことなんですけど、我が妹は自分のハッピーストーリーを作るために私を使うのよ。私だけじゃないんだけど、全人類を使ってるんだけど。
再婚するってなって、新しい旦那さんの実家に挨拶行った時に、私すごい気に入られてたみたいなことを言ってたのね。すごい可愛がってもらったって言ってたらしくて、それを母親から聞いたんだけど。
母親もなんか気に入られてるとか言ってたけどね、わかんないけどみたいな言い方してて。私もそれ本当なのかなって思うんだよな、そういうの聞く時に。
妹は私結構可愛がられてるって思ってご機嫌で家に帰ってくるんだけど、実際同行してたらうわーみたいなことをえらかしてて、
実際、まあまあまあ多めに見ましょうみたいな感じで、あなたは明るくて楽しかったわーっていうのだけをちょっと褒めるとするじゃん。
それって社交じれみたいなのを間に受けて、それだけを大事に持って帰ってるみたいな妹なんですよ。
なんかこれって、うわーみたいなリアクションとか、ここでこんなこと言わないでしょみたいなこと言って、うわーって調げてって、妹はそこは全くちゃんと正しく見ずに、
楽しかったわーまた来てねーみたいな社交じれだけを持って帰って、私すごい明るいって褒められたとか、また来てねって言われて気に入られてるんだーみたいな感じでなんか言ってんのよね、
妹大丈夫かって感じがするんだけど、こういう人たちってその他人の発言とか表情とか見てないからできると思うんですよね。
自分の、私はとつぎ先とかいう感じでもないけど、とつぎ先で気に入られて、可愛がられている、新しい嫁として歓迎されているんだーみたいなストーリーを作りたかったんでしょうね。
ってなったら、それに見合った情報だけを持って帰って、それをさらにでかくして自分で認識して、自分の世界で生きている、つまりなんか夢の世界で生きてるじゃない、
っていうような人たちがいるなって思ってて、これなのかなって思ったのよ初めは、一方的に喋り狂っている人たちも。
自分しか世界に存在してないから、一方的に喋って他人が苦しいこいつずっと喋ってるとか、自分の時間が持ちたいのにとか、自分の話もしたいのにって相手が思ってても、
なんかそれを都合のいい、自分がお話ししてあげたみたいな、楽しませてあげたぐらいになんなら思っている可能性があるなーってちょっと思ってたんだけど、
内向性と外向性の違い
いやちょっと違うのかと思います。ちょっとこの仮説もいくつかレイヤーがあって、そこからちょっと今回の同僚、ちょっと当てはまらんなーって思ったときに、
外交性か内交性ってなんかめちゃめちゃよくある話なんだけど、これがしっくりきたかもと思い出して、
シンプルにその同僚は外交的で、喋ったりとか人といることで元気が出る、充電されるタイプで、私は内交的ですね。
で、その内交的っていうのは、そのうちにこもってるって言うよりは、一人の時間が充電器刺さるタイプ、人といないと充電器刺さらないタイプがいるじゃんって、
こう言った方が良かったか、外交的とか内交的って言ってややこしかったのかな、いろいろありますよね、なんか捉え方。
私ね、なんかその久々に会ったもんだから、で、いつもその仕事柄、いろんな人と話すけど自分の話ができるって言うよりは、
うんうんってやることの方がおそらく多い仕事だったので、なんか思いっきり自分の話ができる場で、ここで思いっきりフル充電してやろうと、
してやろうっていうか、しようって思ってわーっと喋ったっていうだけ、なんかそんな感じがするんだよな、なんかこの話、
同僚はペラペラペラペラって喋ったから、なんかえらい整理されてるっていうか、喋り慣れてるなって感じがしたんだよな。
私に初めて喋ったわけではなくて、この話多分いろんな人にしてて、ご実家住まいっていうのもあって、多分人がいっぱいいるから、
そこでも喋ってるし、友達とかにも喋ってるし、同僚にもおそらく喋ってる上で、何回も何回も喋った話を私にわーってまとめてしたんだろうなって、
自分の予測は多分あってると思うんだけど、なんでそんなことするのかなって思ったら、それによって充電されるからっていう、ただそれだけなのかなーと思ってね。
私の場合は、一家族、子供とかですら一緒にいても充電できないんですよ。一人で、この部屋とか家とかに一人でいないと充電器刺さんないタイプだから、
結構摩耗するので、なんかそういうことはしないのね。わざわざ人に喋って回復とかしないから、
かといって、じゃあ聞いてればより疲れるんだけれども、また喋ってる方が発散できるんだけれども、
なんかこの辺の違いがあったのかなーみたいな、疲れてるって感じもないけど、なんかちょっと関係もあるのかなーとか思いましたね。
あ、でもなんか明言できないね、絶対これだっていう感じが未だ出せないってことは多分複合的な要因なんだろうな。
とにかく私はこの他人を全然見てないな、こいつらみたいな。他人の顔とか他人の背景とか。
だって私、向こうの同僚からしたら2年ぶりで久しぶりだけど、私もそうなわけじゃないですか。
2年間、私にもめちゃめちゃ変化あるんだけど、そこはあんまり発想になさそうだったんだよね。
内向的と外向的の違い
私も転職するし、どうなるかわかんないけど、過去の仕事とかも離れてる間いろいろあったし、共通の話題あるんだけど、
そこは全然なんか興味がないから喋らずに、今こったんな自分の話をわーってして、
めっちゃ楽しかったですって言ってくれたけど、なんか、うーんみたいな。
そうねーって、私は楽しかったのかなって言うと、まあ疲れましたーって感じだったので、
多分もう会わないね、残念なんだけど。多分会わないだろうね。
何が違うんだろうなーって思った時に、話して、わースッキリしたーとか、楽しかった。
まあでもね、あーちょっと待って。
でも、なんか自分が自分に喋ってめちゃめちゃ聞いてもらえたら、多分楽しかったってなるんだろうなーって思うから、やっぱちょっと違うのかな。
あ、なんか結論がブレブレなんですけど。
まあでも言いたかったのは、なんかこんな人いたわって話しか言いたかっただけなんですよ。
この人の世界観自体は全然好きなんだけど、めっちゃ疲れた。
それは多分なんか、会話に相互性が全くないことと、
ペースが無効のペースだからばーっと喋られて、なんか酸素不足になるというかはちょっとありました。
なんか飲みに行ったこととかもあるんだけど、私めちゃくちゃお酒が弱くて、あー気持ち悪いってすぐなるんですけど、
気持ち悪い時ってなんか刺激がしんどくないですか。
ちょっと皆さんがお酒強い人だったら関係ないのかもしれないけど、
なんか私の場合は、目の前で店員さんが動いてるのとかもきつくなるんですよ。
究極にやばい時ですけど、あ、でもすぐやばくなるんですけど、私の場合はすぐやばくなるんだけど、
音楽とか、店の音楽とか、喋り声、隣の席の喋り声とか、店員さんの動きが視界に入るだけでも、
あーなんか刺激としてきちいなーってなるんだけど、この同僚と差し飲みに行ってしまった時はもう、
私があー気持ち悪いってなってて、もうむっちゃ喋ってて、もう何を言ってるか全然わかんないんだけど、
ただ一対一だから、なんか無視するわけにもいかず、なんかあーめっちゃ苦しいってなったから、
もうこの子と飲みに行くのやめようって思ったんですけど、それがまた同じように繰り返されて、
まあさすがに2回目、2回目ってかなんかもう行かないでおこうかなって思った。
これが最後だったから、あーダメかと思って、もう残念ですが、もう会うことはないでしょうね。
残念ですが、楽しい人なんですけれども、私は、何でしょうね、なんか楽しいけど楽しくないっていう、なんか複雑じゃない。
ここら辺がなんか今回、今まではなんか変だなって思いつつも、全然クリアにならなかったし、楽しかったなー、楽しかったなーぐらいで多分ごまかしてたから、
あ、なんかこう、今回親子関係、うちの親とか実家とかでそのラベルにごまかされないっていうのと、
人間関係は、私は特にその相互性がすごい大事だから、自分が認識されているかどうかがめっちゃ大事だなってなった時に、
今回の同僚と会って、あーなるほどなーってなったので、そこをちょっと記録しておこうと思います。
長く喋ったわりに全然まとまってなくて、めっちゃ申し訳ないんですけど、これについてどう思ったとか、私はこうだわとかあったらお聞かせいただきたいです。
最後までご視聴くださりありがとうございました。ではまた他のエピソードでお会いしましょう。バイバイ。