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  2. EP10|友達の震動
2025-07-24 26:56

EP10|友達の震動


文庫の位置付け/退職時のLINE交換/自分のことを雑に扱われたことがイヤ/自分も雑に扱ったことがある/細かいものが見えるレンズに変えた/人に対する興味がストンと無くなる事がある/友達のドリームメンバーを描く時がある/ミランダ・ジュライ「一番ここに似合う人」

あなたが感じ取った『震える』事象を、本谷有希子が読み解きます。

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本谷有希子 X | @motoya_yukiko
1979年、石川県生れ。2000年「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。主な戯曲に『遭難、』(第10回鶴屋南北戯曲賞)、『幸せ最高ありがとうマジで!』(第53回岸田國士戯曲賞)などがある。2002年より小説家としても活動。主な小説に『ぬるい毒』(第33回野間文芸新人賞)、『嵐のピクニック』(第7回大江健三郎賞)、『自分を好きになる方法』(第27回三島由紀夫賞)、『異類婚姻譚』(第154回芥川龍之介賞)、『セルフィの死』など。近年、著作が海外でも盛んに翻訳され始め、『異類婚姻譚』、『嵐のピクニック』をはじめ、世界12言語で出版されている。

プロデューサー:佐伯ポインティ @saekipointy

ディレクター:メチクロ @maticlog

製作・配信:密談 @mitsudan_net

サマリー

ポッドキャストの第10回では、本谷有希子さんが過去の作品を文庫化するプロセスや、その際のホラーとしてのマーケティング戦略について語ります。また、職場を辞めた佐藤さんのエピソードを通じて、対人関係や距離感の捉え方について深く掘り下げます。友達という概念に関する深い考察が展開され、人間関係におけるプライベートと仕事の境界の曖昧さが明らかになります。さらに、理想の友達像と現実の友達像の違いについての内面的な葛藤も描かれています。

文庫化への道
こんばんは、本谷有希子です。震動第10回始まりました。
このポッドキャストでは、あなたが感じ取った震える事象を、私、本谷有希子が、本谷なりに読み解きます。
はい、10回、10回言った。
なんだっけ、それでね、えっとね、あ、そうそう、最近の話。
あの、あれです。夏以降に、昔書いた、3年前ぐらいに書いた、あなたにおすすめのっていう単行本が、私の小説であるんだけど、それをそろそろ文庫化しませんか?っていう話を、
まあ、担当の方にいただいて、その担当の子が変わって、今回から、なんかすごい若い、フレッシュな、やる気に満ち溢れた女の子なんだけど、小林さんなんだけど、
まあ、その子と、じゃあどういうふうに、単行本と文庫って違いわかるかな。その単行本は、まあ本当に一般的な書籍で、棚差しして大きいハードカバーの本みたいな感じ。
まあ、ソフトカバーもあるけど。文庫は、まあそう、ちっちゃくてポケットサイズで、ポケットブルーで、みたいな。それをじゃあどうやって出していきましょうかって言って、なんかイメージあります?とかって聞かれて、
想定もそのままでもいいし、基本はそのままが多いのかな。でも変えることもできるし、みたいなことで、私の中で文庫の位置づけって、ちょっと遊んでいい感じなんですよね。これ勝手に私が思ってるだけ。
だから、その単行本では割とその小説の世界、まあ近未来で子供が全部菌質化されていって、で、まあ糖質化していくっていう社会、近未来社会みたいなのを書いたんだけど、それを表現する想定イラストを使ったんだけど、
じゃあ文庫どうしようかなって思った時に、なんかガラッと変えてもいいなぁとか思った時に、なんかあれなんだってね、最近ホラーが流行ってるんだってね、出版業界で。ホラーがめちゃくちゃ売れてるっていう話を聞いて、
で、人からなんか私の小説って、あのすごい読みようによってはホラーだよね、みたいなこと。怖いっていうのは結構言われるんだよ。全然怖い話を書いてるつもりはないんだけれど、
多分、うーん、まあハッピーエンド的なものとかでもないし、まあ純文学だから別にその分かりやすくもないし、っていうことで、なんか割と後味悪い系の話も多くて、なんかじゃあそれをもうホラーというラベリングにして売っちゃってみたらいいんじゃないかなってふと思ったんだ。
あれって言ったもん勝ちなのかな?このジャンルホラーですよってラベルしたら、もうホラーになるのだろうか、みたいなことをその打ち合わせの席で電話で喋ってたんだけど、まあパッと思いついたから、あれホラーにして売ったらどうなるんだろうね、みたいなことを言って、そしたらなんかその担当の小林さんは
うーんって、ちょっと多分あまりに突飛すぎて、あ面白そうですねとは言ってくれたんだけど、なんかそれだとその本来伝えるべき人に届かないことだけは私は心配ですって言ってくれて、ちょっと考えてみますって言って、今小林さんが持ち帰ってるターンなんだけど
どうなんだろうね、これ本当に私、ただただ実験してみたい気持ち。理想が出せるなら普通のバージョンと、そのホラーってラベリングしたバージョンを2つ売ってみたいぐらい。で、何がどう変わるのか、もしくは全く変わらないのか、みたいなことを本当に比べたいぐらいの感じではあって
っていうなんか、そうそう、だから夏に原稿の下段にちょっと読み返して直すなり直さないなりして、でまぁ文庫化に取り掛かるっていう感じのことを今週やってました。ホラーってラベルでやってるから、いやどうなんだろう、怒られんのかな
そういうことをちょっと考えたりしてます。
佐藤さんのエピソード
心動ネーム佐藤さん。最近職場を辞めました。会食の挨拶を同僚一人一人にしていたところ、ある一人、同性、年上がLINE交換しとこうよと言ってきました。
私は仕事上の繋がりをプライベートに持ち込むことにあまり前向きではありません。もちろん社交事例の可能性もありますが、いきなりLINE交換しようよと言われたこと、自分が友人枠にカウントされていたこと、今後も関わる前提で見られていたこと、この距離感のずれに震えました。
あー全く思ってなかったってことか。これまで仲が良かったり、一度でもご飯に行った関係性ならまだわかるのですが、フルリモートなので一度も対面したこともありません。
これすごいよね、フルリモートなんだ。それなのに卒業式だから実はずっと好きでしたとか、人数合わせの合コンにひとまずこいつら、こいつ読んでおくか、みたいなノリで来られたような不意打ち感。
生乾きの自我のまま他人に触れてくる感覚、嫌いすぎて今もずっと震えています。
あー女性かな、女性かな。
ね、きっとLINE交換しようって言われたから。
あーなるほど、嫌いすぎて震えるんだ。めっちゃはっきりしてるね。
あとなんかこの、生乾きの自我という表現がすごい私、面白って思っちゃった。生乾きの自我ってどういうこと?
傘ついてない、乾いてない、まだこう粘土のある状態の自我か。なるほどね。
なんかもうそういう自我とかないのかなっていう印象を受けたけどね。こっちの言ってきた人の方。
いやこれさ、みんなはどっちに感情移入するんだ?
そうだよね、こういうの言われるのすっごい嫌だよね。なんか、私うっすらあの言った側に感情移入してしまったんですけど、あの、
別に私これ言うわけでもないんだけど、なんかあの、
LINE交換しとこうよって、もし自分が言われたらこういう気持ちになるのかなって思った時に、
私割とその仲良くなりたいみたいな、これってそういうプレゼンテーションというか、このまま離れるの嫌だよね。だから私はあなたと仲良くなりたかったですよっていうことをアピールするための
LINE交換しとこうよっていう言葉に変換されただけで、なんか悪い気しないけどなぁっていう興味を持ってもらえたんだったら悪い気しないけどなぁって普通に思った。
なんか最近そうなんだよな。なんかこう、自分に好意を持ってくれた人に対して、割と私誰にでも開くようになってきたっていうか。
あとさ、こういうのって多分、何も考えてないじゃん。何も考えてないから、LINE交換しとこうよって言ってる可能性の方が大きくて。
でもそれは、なんか私悲しいですよっていうことを伝えたいっていう手段の一つなのかもしれないなと思った時に、逆にこの佐藤さんが、
うわぁこいつ、私のこと友達だと思ってたんだ。
今後も関わる前提で見てきたじゃんって思ってることが、なんかそんな風に思われてたら怖って思ってしまった。
えっそんな、そんなもう友達、絶対友達でもなんでもなかったんですか私みたいな。
なんだろう。あ、だから私これ、ちょっと自分の中で、ちょっと妄想して深掘りしてみますけど、私はなんか佐藤さんが本当に嫌だったことは、
今後も関わる前提で見られていたことが嫌だったのではなく、今後関わる気もないくせにLINE交換しとこうよって言われた、
そのなんか扱いの雑さが、自分がすごく雑魚キャラっぽい感じに扱われた気がして嫌だったのかなって。
全然連絡取る気ないじゃんってとこまで含めて、めっちゃ適当なこと言われたっていう、
人間関係の雑さ
なんだったら、うっすら傷ついたくらいの、すごく適当に自分を扱われたことに対しての、うっすら傷ついたことの方が、なんか私文面からあったのでは?って思っちゃった。
なんかすごい適当じゃん。あ、だからそうそうLINE交換しとこうよっていう軽い感じ、そんな簡単に言ってこれる感じなんだ自分っていうのと、
あとその、この佐藤さんが例えてるさ、まるでその卒業式だから実はずっと好きでしたとか、人数合わせの高校にひとまずこいつ呼んどくかみたいなノリで来られたようなんて書いてるじゃん、自分で。
だからとりあえずLINE聞いとくか、みたいな扱い方が多分、嫌なのであったんじゃないかなって思うんだけど。
私も昔そういう出す気もない手紙を出すよって言われたり、連絡する気もないのに連絡先交換したりっていう行為が、そういえばすごい苦痛でした。
なんだろう、あの、どうせ守られることのない約束を雑に交わされることに対する、私は少なくともうっすら傷ついていた。
その、あ、そんなに雑に扱っていいと思われてる人間なんだっていうことに多分傷ついていたし。
でもなんかね、逆もあって、私もでもじゃあしないのかって言ったら、結構普通に適当なこと言ったりしてんだよ、すっごい。
別にそんなに連絡する気もないのに連絡先聞くとかなくないし、なんかあの来た手紙に出してない返事とかがずっとあって、すっごい適当なことしてるんだ。
で、たまにそれを思い出して、うって胸が苦しくなることが、昔あった、そのあの人に、なんかすごい沖縄行った時があってね、一人旅行で。
で、そこでどちどちでなんかお家止めてもらったり、めちゃくちゃ人の親切に触れた1週間でさ、なんかもう心が洗われて、みんなにも住所聞いて、
あの連絡先聞いて、もうお礼も忘れないよ、みたいな感じで、一切帰ったら思い出さないみたいなさ。
あるじゃん、あるじゃん、あれ。あのその時はすごい本当になんか、人間生まれ変わったぐらいの感動するけど、戻ってきたら忘れるみたいなやつあるじゃん。
みたいな、その、人間としてのどうしようもなさ、みたいなのに、昔は苦しかった、そのなんか、あのあんなに感動したのに、みたいな、あんなに連絡する気満々だったのに。
最近それが苦しさは抜けて、赤みたいに溜まっていく感じがあってね、そういうその、人に適当なことしちゃうものって、赤として自分の皮膚の上に溜まっていく感じがするんだけど、
なんかその赤も香ばしいなって思うようになったんだよ。わかる?私?なんか、私はこの関係する気もないくせにLINE交換しとこうよって言ってる人を見た時に、赤溜まってんなーって思うし、
でもその赤もまたそれはそれで香ばしいな、みたいな風に、その人の人間としてのどうしようもなさを、ちょっとこう、楽しむ側に回ってしまったから、昔ほどの、こういう人が適当であることに対する傷つき、みたいなものがなくなってしまったんだけれど、
私が、ちょっとね、人を雑に扱わないようにしようって思ったきっかけがあって、それはね、本当にこれ私の結構心の、今もどうしてそんなことしちゃったんだろうって思ってる闇の部分の一つなんですけど、闇じゃないか。
あの、私、昔、ある作家さんに対してめちゃくちゃ雑な扱いしてたっぽくて、その人はずーっとそれを覚えてて、で、そうしたらもう今、すごい方になったんですよ。
で、当時、だから20年以上前に、私が演劇をしてて、それを編集者に連れられて見に来たとか、そういう流れだったんだけど、で、なんか私とその人が2人でタクシーに乗ったらしくて、で、私これ覚えてないんですよ、本当に。申し訳ないことに、覚えてないんだけど、で、それをその10年後ぐらいに、別の人の口から聞いたんだよ。
で、あの時、元屋さん、まだ売れてなかったあの作家さんに対して、超適当に喋ってたらしいよって。で、その時にその人はもう絶対忘れないって思ったんだって、このことを。私はこんな風な扱いを受けたことを絶対忘れないって言ってたよって人から聞かされて、なんか怖い、怖い。
ごめん、本当ごめんね、ごめんなさいとしか言えないけど、でも実際私はその記憶にないから、どういう風に喋って、その人にすごく適当、すごく雑、私を思わせてしまったかわからないんだけれど、でも少なくともその、もう10年、20年経っても覚えてるようなことを私はしたのかって思った時に。
で、その人が売れてなかったから、そんな感じだったっていう風に、やっぱりその人は受け取ったらしくて、私はわかんない、どういうつもりでそういう雑だったのかが、どういう感じだったのかもわかんない。でもそれを聞いた時に、本当に、なんかこう、その人がどういう人かで態度変える人は最低だと思ってるんだけど、でも自分がそれやってたのかと思って。
やってたのかな?やってたんだろうね。無意識に。わかんない、思い出せないからわからない、どれぐらい。いやでも疲れてた可能性ない?あの、私。ないかな、私、疲れてても本番中ってもう精神削り取ってやってるから、その後にお酒飲んでタクシー乗った時にちょっと疲れてても違うかな?違うのか。
わかんない、無駄、否定できないです。なんか自分が人を雑に、あの、でもその人が誰だったかとかはさすがに関係なかったと思うんだけどな。わかんない、わかんない。でもこういうことがあるから、あのめちゃくちゃ気をつけようって思ってその話を聞いた時に、少なくとも、その当時の私が何を思ってたかわからないから、少なくともでもその人に、
あ、私は今雑に扱われてるんだっていう対応するのはやめよって思って。それもあってか、今割と本当に、なんていうかな、誰がお酒の席の隣に来ても楽しめる自信があるの私。
あの、そういう人が誰とかじゃなくて、なんかその人自身に個人として興味を持つことが全然できるようになって。どうして興味を持てるようになったかは、なんだろうな、えっとね、カメラを変えたみたいな感覚。
カメラを変えたみたいな感覚で、すごい細かいものを見れるレンズに変えたみたいな感じ。大きいものしかわからないレンズをそれまで持ってて、そうするとその人が社会的にどういう人で、何やった人で、みたいなことから入って、やっぱ社会的なとこから入ってなるけど、もっと細かいものが見えるレンズに自分の中で変えて、そうすると、なんかやっぱりその何をしたかとかじゃなくて、
友達の定義と興味
ノンフィクションあるじゃん。あれってまだやってるのかな、ノンフィクションとか。ああいうドキュメンタリー系好きなんだけれど、やっぱどういう人にも密着していくとめちゃくちゃ面白い部分があるじゃん。
っていう感覚で、なんかその人を掘っていくと、必ずその人にしかないものの見方とかが出てくるだろうし、私とその人の立場が違った時に、やっぱりその立場をすっごい掘っていくと、それはそれで全然なんかお酒飲みながら聞き応えのある会話に到達するみたいなことが、自分の興味の掘り方次第だなっていう感じがあって。
すごい表面的な話しかずっと続けていかないと、やっぱ何も出てこないから、そういう時はなんかその面白さ見出すの難しいから、なんか自分のレンズさえ変えてしまえば、割と楽しめるなっていう。自分との一番違う部分を見つけて、その一番違う部分聞いていくと楽しめるなみたいな感じかもしれない。
なんか友達っていう概念をさっきポインティーに教えてもらったんですよね。なんか私、友達って何?ってさっきポインティーに聞いて、ポインティーが教えてくれたのは、プライベートで会うようになったかどうかが一つの線引きだったりするんじゃないですかって言われて、すごい落ちた。
なんか今までその、だいたい私仕事で会う人がほとんどだから、でそっからまあ仲良くなったりする人はいるけど、なんかその友達って呼んでいいのか?みたいなことがあるじゃないですか。だからなんかなんとなく呼べなかったけど、一回でもプライベートでご飯行ったりすれば、友達って言っていいんだと思って。
そういうと友達、私でも友達多くない気がする。人にむちゃくちゃ興味があるような気もするし、徹底的に興味がない気もするんですよね。なんかわかります?わかんない?興味なくもないんだよ。興味持つんだよ、さっきみたいに。
でもなんか根っこのところで、本当に興味持って、ストーンってなくなる時があるの。なんか人に対する興味が。誰とかじゃなくて、その人が何したからとかじゃなくて、電気落ちるみたいに人への興味がストーンってなくなる時があって、それまた復活するんだよ、電気つければ。
通電すればまた復活するから、別にその興味なくした人への興味が二度と戻らないとかじゃない。その人に問題あるわけでもなくて、単純に私の中のスイッチングがあるっていうだけなんだけど。私が言ってる今この興味ってなんだろうな。
なんかその、同じ空間に必要としないとかそんな感じかな。なんか今この空間に他者いなくていいみたいな落ち方をするのかな。だからなんかこう、わりとオンオフが、オンオフでもないか。ないのか?みんなないのかな。なんか今他人いらないみたいな時。
ありますよね。一人になりたいともまた違うんだよな。なんか今他人いらないかも、みたいな感じがある。
あとプライベートと仕事の領域がどう違うか。 あーだから佐藤さんはしっかりこの人は上手な人、この人はプライベートの人って分けてるってことだよね。
私なんかそういう分け方しないなぁ。なんか、それは多分出会う場所がすごく曖昧な場所であるっていう感じなのかな。
私は元屋由紀子として活動していて、元屋由紀子として出会うから、その時点であんまり仕事とプライベートがないっていう、というのですか?
これを何々の業務をやっている何々ですっていうわけではないから、その辺って結構曖昧で。
この人とこの人とこの人とこの人とこの人が友達だったらいいなーっていう、こうドリームメンバーを自分で描く時がある。
つまり、この人たちが友達である自分っていいなーって。
なんかミラインダ・ジュラインのさ、昔小説読んだ時に、なんかめちゃくちゃわかるなーと思った一節があって、あんまり冴えない女の人の独白で書かれてる小説だったんぺんかな、中編だったと思うんだけど、
今いる私の周りの友達が全部、要するに満足してないとか、全部なんでこの人たちと私友達なんだろうみたいな感じで、そこがもう私のイメージからかけ離れている。
この友達は私の友達ではなくて、いつかもっと本当の友達が現れてみたいな、なんかそういうくだりだった。
今この人たちといるけれど、全然それは自分の理想ではない。ここにお人たちに囲まれてる自分は違う、みたいなことを言ってる中年の人のなんか小説だったんだけど、それ読んだ時に結構生々しいなーと思って。
同類で集まるみたいな話があるじゃないですか。
人はその自分と同じレベルの人と、合わせ鏡理論じゃないけど、いるみたいな感じで、そういうことになった時に多分その、この人たちが友達の私だったらすごいいいな、そこまで上がれたらいいなーとかって思い描く時はある。
そういうね、だから今そのあれ、フォルダーに入れてますよ、ここの。本当まだ友達じゃないけど、あの人とあの人とあの人とあの人があそこにはまったら、すごい楽しそう。私の。
でもなんか実際はやっぱりまだ、じゃあプライベートで呼び出したりとかもしないから、あれなんだけど、でもなんか別にそんなに友達多くなくていいやと思う。
友達になりたい人はあくまでもう実現可能な範囲内、今私がここで連絡してご飯食べよっていう全員言える人たちであって、何を見てるんだろう。
なんかでもそれぞれにやっぱりその、ある能力があって、その能力値がすごい高い、それぞれ。
やっぱりその、一流と言われるものの考え方をする人たちっていうイメージ、私の中では。でも別に有名とかじゃなくて全然。
理想の友達像と現実
あのすごく会社に勤めてる人とか普通に、あの有名人とかじゃないんだけど、いいなーって思う人は何人かいる。
で、そういうさ、この人たちが友達だったらいいなーに対して、今現実の友達がいるじゃん。
現実の友達はね、なんかあの、汚いんですよ。汚い友達なんですよ。
えーって。でもなんかもう、これでも現実か!みたいな。私、私ココトツルムレベルか!みたいな人たちと一緒にいて。
それは、なんかね、やっぱりこう自分のめちゃくちゃ汚い、だから彼ら、彼女らから見ても私が汚いはずで、なんかやっぱ自分の汚い部分を全部もう知ってるから、もうお互いゴミ箱って呼んでるんですけど、なんかその、ゴミ捨てられるんですよね、その人に。
え、向こうもゴミ捨ててくるんですよね。っていう関係性で、なんか現実は悲しいかのそういう人が友達で。
でも私が、え、ドリームチームの人たちと友達になったら、多分そのゴミの投げ合いはしないから、なんか両方持っとけばいいのか。
ドリームチームと、あの、こう、あの素敵な、あの、高まる話をして、実際こうゴミ箱にゴミ捨ててみたいな。
いや捨ててくるからね、向こうも。ガンガン捨ててくるから。
まあそういう友達も必要だなって思います。
友達の話になったけど、友達の話難しいなぁ、なんか。
たぶん、すごい家族からバカにされる、友達いないじゃんとかって。
いるつもりだから、あれこれ、私が友達と思ってる人たちって友達じゃないの?って思ってわかんなくなっちゃう。難しい。
えーと、じゃあ、この番組ではあなたが感じ取った震える事象を募集しています。概要欄のリンクから送ってください。
あのー、なんか日々にまつわることでも良いし、まあ私がなんか、あの、例えば創作的な?なんか何かものを作ってる人で、こう創作論的なものとかでも全然いい。
まあ幅広く募集したいので、何でもいいので送ってください。
毎週聞いて欲しいので、この番組のフォローとコメントもお待ちしてます。
はい、じゃあ今日もありがとうございました。またね。
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