好き嫌いの整理
私と私のひとりごと。こんにちは、misaです。今回は、対人における好き嫌いとは解像度上がったから話すねーっていうタイトルでやっていきたいと思います。
このラジオでは、願いを生きる過程や自己一致するためのヒントをお届けしております。本日は7月の19日土曜日でございます。よろしくお付き合いください。
えっとなんか、前回7日になんか、録音してそのままうかりと上げてしまって、ストックがない。
やばい。あれ、なんか1ヶ月ぐらい放置してる。全然撮ってないと思ったので、ちょっと慌ててネタがね、溜まってきたので撮っていきたいと思ってるんですけれども。
でね、そう、もともとそもそも、なんかね、ちょこっとどっかで話したんですけど、私に関してはなんですけど、
その好きとか嫌いがめちゃめちゃ曖昧だったんですけど、どうですか?自分の好きとか嫌いを明確に把握してるタイプの方ですか?
あんま皆さん、そこに言及する必要がそもそもないんじゃないかなーって、なんか周り見てて思うんですけどね。
自分がなんかいいかもって思って、これが好きです。なんか微妙かもって思って、これが嫌いです。この人嫌いです。この人好きです。に、なんか疑問を抱く隙がないというか、別にそれで人生問題ないから、
解像度って何みたいな、なんでそこに疑問を抱くのかもわからんみたいな状態なのではないかと思うんですけど、なんかこういう自分が意識したことがない、
なんでしょうね。意識したことがね、当たり前でこれってこうだよねって思ってるものに対して、めちゃめちゃ多角的に言語化されることって私は結構面白いというか、
ああそうなのか、そうかもしんねーな、自分はどうかなーって感じで問いに変えて面白い、楽しめるし、
自分の中からは言葉練り出せなくても、誰かが言語化してくれてることによって自分の中もその言葉を借りて、なんか輪郭をはっきりさせられるみたいな効果があるかなと思うから、ちょっとこれ語ってみようかなと思いました。
っていうのも、この人が好き、この人が嫌いがちょっと解像度が上がって、
あ、なるほどなーみたいな、私の好きってこれだなーみたいにちょっとしっくりきたから、それについて話そうと思っております。
人間関係の構造
私は特になんですけど、その好き嫌いが、なんでここに解像度を上げていかなきゃいけなかったかっていうと、
この人を好きっていうのと、この人に恋しているとか、この人に得意味気を感じるとか、この人を愛している、これ全部違うんですよ。
全然違うの。なんかみんな割と一緒くたっていうか、親戚みたいな感じで扱ってるんじゃないかなって思うけど、
私はもうアメリカ人と日本人ぐらい違うなと思ってる。全部の概念が。もう国籍が違うぐらいに、なんか全然レイヤーの違う話をしているなって思ってるけど、
みんな結構一緒くたなのかなーみたいなところもあって、ちょっとこの前提でね、まずまたその愛しているとは何なのか、恋とは何たるかみたいなのはまた別途どこかで語るかもしれないけど、
一旦好きと嫌いについてだけ話そうと思っております。はい、でね、
そもそも私その基本的に人間をなんてか表面的に捉えてなくて、この人どういう構造なのかなーっていうそのシステムとして見ているんですね。
これが伝わる人かどうかわかんないけど、ちょっと初見さんと何を言ってるんだって感じだと思うけど、
構造として見てるんですよ。この人の反応、人間ってそのシステムだと思ってるんですよ。
システムだと思ってるの。なんか何でもいいんですけど、その自販機とかもシステムじゃない?
わかりやすいシステムだけど、ボタンを押したらそこのジュースが出てくるみたいな、ここのコーヒー水が出てくるみたいなのってシステムじゃないですか。人間もこれと同じだと思ってて、
こちらから何かアクション、刺激を与えれば向こうは反応を返してきて、これに明確なパターンが私には見えるんですよ。
明確なパターンがある。これがでも当たり前だけど、なんかおはようって言えばおはようって返す人もいるけど、たまに
なんかあーみたいな、おはようって言っていつもおはようって返すのにあーって言ってきたりするとするじゃない?ここにあれなんかいつもと違うシステムが動いている?
なんかロジックがなんか違うのが走ったんだなって思った時に、こちらの刺激は変えてないわけだから向こうの内部ロジックになんかいつもと違う分岐があったんだなーって思って、
それは何だろうか?みたいな感じで、いつもこんな感じで人間を把握しているので、私はその顔の造形とかがあんまりわかってなかったりする。
この人が美人なのかイケメンなのかわかってなかったりすることがよくあって、なんかそういう人も多分いると思うけどあんまり見たことないんだけど多分いると思ってるんですけど、
その顔面とか見た目はなんかあくまでそのコア色ぐらいの採用度で、なんかその人の本質では全然ないから、どういうシステムでこの人が何かを判断しているのか、
だけを見ているので、あんまりその顔面とかも関係なかったり振る舞いとかも、なんか正式採用しないという感じかな、なんか予備情報、オプションとしてしか採用していないんですよね。
その反応パターンをいろんなもの投げてみて、あと私が投げなくても他の人の刺激とかで反応しているのを見て、
なんかこういうところで怒るんだなーとか、これが嬉しいんだなってことはこういうことかなーみたいな、こういう苦しみを抱えているんだなーとか、ここに喜びがある人なんだなーみたいなのがまあだいたいわかってきて、
それで人間として見てるんですよ。この人の反応パターンでその人っていうのを認識してるから、なんか多分不思議な感じなんだ、その人間、初めましてってあった瞬間、私はなんかレントゲーを見ようとしてるみたいなギャップがもしかしてあんのかなと思って、
最近はこれを視力の違いかなっていうふうに捉えたりしてるんですけど、ちょっと余談ですが、って感じで、その人の好き嫌いとかが私はなんかあんまわかんないんですよ。
なんか構造で見てるから、そのレントゲー見て、ここ骨折してるなーとか、ここに怪我の跡があるなー、で、それで終わりみたいな、で、何?みたいな、そこになんか好きとか嫌いとかでもないというか、その視力の良さでしかないから、
家族との距離
なんかよく見て、んーって終わるみたいな感じなんだよね。なんか前どっかで例えてたのがその、なんか山とか見て、なんか好きとか嫌いとかってあんまないと思うんですよ。
でまぁ、いだこうと思えばこれはこの山よりは好きかなーとか、この山の方が登りやすいから好きかなーとかはあるかもだけど、それってなんかこう、
なんか自分にとって都合がいいかどうかでしかないから、そしたらこれは好き嫌い判定とはまた別だなーって思ってて、なんかそんな感じ。
そんな感じ。なんかこう、こういうものなんだへー、こういうものなんだへーって人間に対して割とそのへーでしかないというか、好きとか嫌いとかあんまり反応がないので、そもそもあんまりこう、
その好き嫌いがよくわかんない人だったんですよ、ずっと。特に困ってないんだけど、むしろ全然困んないんだけど、その嫌いな人いたり、あまりに好きすぎて気が狂うみたいな、なんかその感情の上下のトラブルは私には全然ないから、あんまり困ったことなかったんだけど、
でもなんか好きって何だろう、嫌いって何なんだろうみたいなことを手伝うしてみたかったから、まぁちょっと考えたんですけど。で、そう、ここはなんかこう明確に問いが自分の中であったらね、テーマとして好きって何だろうなーみたいな、あんま困ったことないけど、
なんかみんなとちょっと違うっぽいけど、どうなのかなーみたいなのがぼやーっとあったんですけど、今回まあイベントがあったんですよ、あのよくラジオ聴いてくださっているかわかんないですけど、聴いてくださっていればよく出てくる、私の呪いの真言辞と呼んでますけれども、我が妹のことでね、
私は自分の妹が、今回また久々に接触してきて、この人、妹から連絡が来て、そのただの文字列なんですけど、眺めてた時に、私この人のこと人類で一番嫌いかもしれないなと思ったんですよ。で、嫌いですかと思って、じゃあ嫌いって何かなと思って掘り下げ始めたんですね。
なんで嫌いなのかな、この人のことって思った時に、向こうはそもそも、前提として、なんで妹が私の中で人類で最も嫌いだと思ったかっていうと、強制的な関係だったってのはめちゃめちゃでかい影響。8割9割がそれだと思うんですけどね。
これが妹が、もし友達だったら、うざって思った瞬間、もう関わってないから私は絶対に。多分そこまで、こういう世界で一番嫌いだなって言うほどに、なんか嫌いだなっていう気持ちを、なんか深めることはできなかったと思うんですよ。関わらなければ存在しないのと一緒だから。だったけど家族で同じ家に住んじゃっていて、私は大学卒業と同時に上京したんですけど、22歳まで一緒に暮らしてて、
で、また親もなんか各家族で、全然その親族とかの付き合いが親が下手すぎて、なんか別にいないから、いとことかもいないし、なんかその親のなんかこう家族、理想とする家族像みたいなものに縛られた一族、一族っていうか家庭だったから、なんか妹、ただの妹ちゃん、私っていう人間関係ではなくて、
家族なんだから、みたいなものでラップされていることもあって、強制的な人間関係が発生してたから、距離取りたいなって思ったり、苦しいなこの人、なんかしんどいなこの人って思っても距離が取れなくて、なんかこう、取れなくて嫌いだなっていう気持ちを非常に濃ゆくしていったんだろうなと思っている。
なので、たまたまこの世界で一番嫌いだなって人が親族っていうのは、そういう理由はめっちゃあるなって思って、その人が特別性格の悪いやつが、我が妹ってわけではなくて、多分性格が悪いって便宜上言ってるだけでわかりやすいから言ってるだけで別に妹が性格悪いとは思ってないんですけど、めちゃめちゃ性格悪いやつがいたとしても、その距離感によって変わってくると思ってるんですよね。
それはなんかちょっと前提として置いておいて欲しいし、ご自身でもしね、考えることがあれば、距離感いけてますっていうのは確認した方がいいと思う。話はいいと思うんだよね、要するに。妹はもう物理的に距離めちゃめちゃ離れてるし、もう接触も私からは一切しないし、
関わってないけど、なんかこうフツフツと呪いは、呪いって言うかな、嫌いだなーって、もう恨みみたいなものがいっぱいあって、それはなんかその我慢しなきゃいけなかったこととか、私は妹のこういうところが辛い、こういうところがしんどいし、こういうのやめてほしいっていうのがあるし、明確に言ってても妹にはわかんないからやってくるし、なんか天然なんですね、もう無自覚だから止められないというか、なのよね。
息してるぐらいのレベル感だから、息止めてくださいって言われてるようなもんなんだろう、多分。でも何を言われてるかもわかんないぐらいだったから、妹には通じないし、うちの親もわかんないから、私が何を嫌がってるのか、何が苦しいのか、分かろうともしないし、そもそもその見る目がなさすぎて、視力が弱すぎて見えてないから、なんか伝わんないので、あの過程の中では私の苦しみは無きものというか、なんか言ってんなーぐらいで気丈に軽視されてたから、そこへの恨みがめちゃめちゃでかいと思うんだよな、要するに。
っていうのは一応わかってんだけど、わかってんだけど、今私がこの人嫌いだなって思ってるのはあるので、じゃあその嫌いって何かなってちょっと定義してみっかと思ったんですけど、もう一人嫌いだなってもう一人言って、何か共通点ないかなって探したんですけど、やっぱこう、私はその価値観として非常に自分のコアにあるものが、その視力の良さなんですよ、さっき幸いなことに語りましたけれども、
この人は何なんだろう、この人って何者なのかなーっていう、その人の内部ロジックを見てるんですけど、それが私は非常に、なんていうかな、その人の存在をぎっちり認識することだと思ってるんですよね。だからなんかこう、似てるね、みたいなセリフはあんま言わない、似てるなって思うことないというか、その顔とか表面的なところだと、例えばなんか、何でしょう、女子大生っていうラベルが貼られていたら、
女子大生か、あの子と似てるなみたいに、みんな多分カテゴライズすると思うけど、私そういうとこ見てないから、内部ロジック見てるから、似てるなって思うことなんか滅多にないんですよね。めっちゃ細かくみんなそれぞれのロジックを持っているから、ざっくり分けて乱暴に分ける、明るい人、暗い人ぐらいに分けることはできるけど、
なんか、もっと細かいところ見てるので、非常にそうなのよ。なんかその分類しづらいんですね。そんな、なんか乱暴だなーっていう感じがしているので、なんかそういうカテゴライズっていうのは非常に避けてるし、めちゃくちゃこう、それは私にとっての配慮なんですよ。つまりそれは私はされたら嫌なことなのよね。
嫌悪感の発生
あなたってこうよねって安直に表面的に判断されることってめちゃくちゃ私は失礼だと思っているから、絶対言わないし、そもそもやらないんだけど、つまりそれはやられるとめちゃくちゃ腹が立つということなんですけども。
相手が無自覚だったとしても、その、そうやってこう、なんていうかな、私の存在に対して、私っていう存在に対して不良意なラベリングをしたりして、私の存在をちゃんと認識してないことが多分一番なんか、嫌いに近い感情なんだろうなっていうふうになります。
やっとここで結論言うんだけどさ、しかもずっと抽象的なんだけどさ、なんか、ただ私の存在を正しく認識できていない方としても、別にそれだけで嫌いとかなんないんです。
ほとんどの人がそんなに視力良くないから、全然認識してないなっていう感じなんですよ。ほとんどっていうかほぼほぼじゃない。ほぼほぼ全然正しく認識されてないな、てか見えてないんだろうなーみたいに思ってるけど、別にそこになんかだいぶ慣れてるから、そんなもんって思ってる。
悪気がないし、仕方ない。視力って言ってるのもそうで、目が悪い人にいくらなんで読めないのって怒っても仕方ないから、まあ見えないんだなーぐらいで、なんか近づかないとわかんないかとか、私も別にわざわざ見せてないから、まあそれはそんなもんだよねと思って、全然そこには怒んないけど、なんか見えてないのをいいことに、私に対してダメージを与えてくると、明確に嫌いだなーって嫌悪に移動していくなっていうのが今回わかりましたね。
あーちょっと伝わるかわかんないけどさー、伝わるかわかんないけど、でも同じ、ここまでなんか気にしてる人いないかもしんないけど、同じ状況になって、この説明したらわかるわってなるんじゃないかなって気がするけど、例えばなんかこう、あなたに対して、あなたってこうだよねって乱暴に決めつけてくるというか、決めつけるって言おうかな、決めつけて、その決めつけたものってその人の妄想じゃないですか、事実ではないんですけど、
で、それを前提に関わってくる、積極的に関わってきたら、例えばなんかあなたって赤好きよね、別に赤好きでもなんでもないんだけど、赤好きじゃん、赤似合うじゃんとか言って、赤色のもんめっちゃ送ってくるみたいな、これってさ、存在の否定だと思うんですよ、わかりますか?伝わる?伝わるかな?なんかこういうことがね、よく行われる、あなたってこうだよね、だからなんか向こうは本当に無自覚にその赤色が似合うじゃんとか赤色があなた好きじゃないって言ってるのって、
その人の世界の話であって事実ではないんだけど、ここが見えてない、その視力が悪い人だから、なんか悪気がない全く、本当に赤好きだと思い込んでるんですよ、実際は、なんか本当はなんだろう、もう寒色が好きかもしれないし、暖色ですらないのかもしれないけど、あんまりにも色彩感覚レベルが低すぎてわかってなくて、赤だと思い込んじゃって、赤好きじゃんとか言っちゃってる、
で、ここにズレが生じてるってこともわからないんですよね、この人たちって、目が悪いので、悪いから、自分が勝手にあの人は赤が好き、あの人は青が好き、あの人は緑が好きって言って、自分の世界では完結して正しいと思い込んじゃってると、相手は本当は赤じゃなくて緑好きかもしれないってことも発想に全く出てこないから、
それがズレてることによって、なんか失礼だなとか、間違ってた、ごめん、みたいな発想とか、合ってるっていう確認も取らないというか、もうそういうもんと思い込んでるんですよね、当然、私がこうなんだから、あなたも当然こうでしょうというか、こういう人たちをもう私は怪獣系と呼んで、なんかこう他人を認識できてない人たちとかって、なんかどっかでエピソードあげましたけど、まあこういう人たちはね、自分の世界が自分で完結しちゃってるんですよ、
だから他人の認識とか他人の気持ち背景とかを、があることすら発想にないから、もうわかんないんですね、だから赤色が好きでしょ、押し付けてくるんですよ、結果的に、でも本人はそんなつもり全然ないです、事実だと思ってるから、あの人は赤好きだから、私はあの人に赤いものを送る、で、良いことをしている、そんな私って思ってるだけなんだけど、実際は他人のこと全く配慮できてないから、そもそもその赤いプレゼントを送っていいかも確認してないし、赤いプレゼント私送ろうと思ってるんだけど迷惑じゃないとか、
これってなんか、ものを送っちゃったらなんだろうな、なんか財布とか急に送られたら使うのも使わないのも気まずいから、ちょっと困るだろうなと思って、ちょっと消え物にしておこう、お菓子とかにしておこうとかそういう配慮も多分ないわけよ、だからもう赤い財布とか安い財布とか買っちゃうのよね、もう相手の気持ち全く考えてなくて、自分のなんかプレゼントしたいっていう気持ちの押し付けなんだけど、
これ今物で例えて、プレゼントで例えてみたけど、もっと言葉とかでも同じようなことが全然あって、これって受け取った側からすると、私本当は赤なんか好きじゃないのに、この人には赤好き、なんでそう思ったみたいになるのね多分、赤いもの着てないし持ってないのに、なんで赤好きとか言い出したのかなってなった時に、この人が見てるのは自分じゃないなってきっと思うんですよ。
もしかしたらなんか何々さんと間違えてるのかなとか、なんで赤みたいに、まあわかんないだろうね多分わかんないんだけど、なんでってなった時に少なくとも正しく日々の自分の話してる内容だったり見た目とか持ち物とか見てたら赤色持ってないんだから赤じゃないってこときっとわかるのに、でも赤だと思い込んでる時点で私のことちゃんと日頃見てくれてないんだなーっていうのがはっきりとしたメッセージで伝わるはずなんですよね。
ただそこに鈍感な人とかその視力が悪い人だと、なんかん?ってなって、なんだかなーみたいな感じ、なんか嫌なちょっとザラッとした気持ちぐらいで多分通り過ぎるんだけど、私はここめちゃくちゃ解像度高いから、うわっこいつ私の存在めちゃめちゃ無視してんなーって思って押し付けてきてるなーって思ってこう自分のなんかこうやってあげたい私みたいなのを私に処理させようとしているなーみたいにぐらいまでに見えてるからめちゃくちゃダメージ食らうんですよ。
お前なんかどうでもいいぐらいを爆音で言われてるぐらいのダメージを食らうんですよ私は、あ、すごい乱暴な人だなーみたいな、その人は別に私にだけ攻撃してるわけじゃなくてそういう人ってだけなんだけど、なんかそこに立ってると私は辛いというかね、こういう人がね一番ねこれが嫌悪に近いなーという気がしてきますね。
それは私の存在をなんかこう、軽視していること?存在、なんかお前の存在をなんて言うかな、軽視でいいか、していますっていう明らか明らかなメッセージになっちゃうね。ここでさ、プレゼントなんか渡さなきゃいいのに、なんかこの人たち干渉してきたいんだよね。
干渉っていうかな、正しくは自分がなんかプレゼントをあげた私になりたいだけで、実際的にその赤いプレゼントを渡すことで相手を嬉しい気持ちにさせてあげたいとか、相手はどうかなっていう発想は全く持ってないんだけど、なんか自分が自分がっていうのしか考えてないから、なんかみんな多分ザラッとした気持ちになるんだよね。
なんか迷惑なプレゼントをもらった時ってちょっとザラッとした気持ちになりませんか?なんか、あーなんかプレゼントを買ってくれたことは嬉しいけど、なんでこれにしたのかなーとか、全然嬉しくないなーとか、今から通勤でさ、帰るのにめちゃめちゃでかいプレゼントでめっちゃ邪魔だなーとか、持ち帰りのこと考えてくれなかったんだなーとか、私は思うんだけど、なんか配慮がないなーみたいな。
あげたいだけで、なんかうーんみたいな気持ちの私はよくなるけど、なんかあれよね、やりたいだけみたいな。相手がどう思うかとかはどうでもいいみたいな、こういう人たちが、ちょっとメッセージ、言葉だけとなんかあんま例え思いついてないけど、真ん中こういう人たちがいますよね。これはね、嫌悪ですね。
好きの定義
だってその人といると、私っていうものが存在してないわけじゃない?赤色好きな誰かよくわかんない人しか存在してなくて、実際の私のことは全く見てないし、見る気もないし、見えてないのよね。彼らは鏡の世界に生きてるというか、ずっと自分のことを見てるから。
ってなってくると、この人たちよりと非常に辛いんですよね。苦しい。私の存在に明確にダメージを与えてくるので、ただ自分、鏡の世界で生きてる人たちが、ただ息してるだけだと全く問題ないんだけど、私の世界では全く干渉しないから、あの人全然他人のことは見れてないなーぐらいでは、私は観測して終わりになるけど、この人たちが関わってきて、つまりなんか自分のために私を使おうとしてくると、これは消費活動になるんだよね。
私は消費されてるなーって感じる。これはね、もう私にしているだけじゃなくて、他人にやっててもめちゃくちゃ見てて腹立つんですけど、お前自分のその、なんかこんな私を演じるために誰かを使うんじゃねーと思ってめちゃめちゃ腹立つんですけど、これが明確に嫌いだなと思ったわけなんですね。
ごめん、ちょっと抽象的なんだけどさ、もうちょっと整理できたらもう一回話したいんだけど。これを妹はね、めちゃめちゃしてくんのよ。めっちゃしてくる。これすげー不思議なんだけど、
でも多分みんなそのあんまわかんないからなのかな。なんかこの人となんで一緒にいたいと思うのか。私妹と絶対一緒に暮らしたくないっていうか、同じ空間にもいたくないなーって思うけど、もう同じ空間にいるだけで、なんかこう展開してるから、そこら中にやってるから、これを。
あなたってこうよね、あなたってこうよね、あなたってこうよねって言って、自分の世界のね都合のいい役割を相手に付与して、なんか鏡の世界で生きてる。
でもってこう、すごく不要意にいろんな人に干渉しまくるから、なんか独りよがりなことずっとして、かわいそうな私みたいなことやってんなーって思うと、見てるだけで腹立つなーって思うけど、もしかしたら妹も再婚して、なんで…
よく再婚できたなーって思う。いや別にそんな変な人ではないんだけど、パッと見普通の人で明るい妹なんですけど、私は全然こう呪いの進言辞だし絶対嫌だな、かかりたくないなーって思うけど、まあその人と結婚するってことは、その鏡の世界で生きてる人と結婚するってことは多分鏡の世界に生きてる人なんですね。同じようなタイプなんでしょうね。
じゃないと私みたいなタイプはしんどくてやってらんないと思うから、同じようなタイプなんでしょう。 まあでもこの状態ってさ、本人たちは気づけないから、私は関わらないしか選べないんですけどね。
これ、この感じが明確に嫌いってなってくるなーと思って。あんまり嫌いな人少ないけど、なぜならその関わらないからなんですよね。こいつなんか
ソロプレイ決めてんなーみたいな人。全然他人のこと認識できてないし、認識するっていうコマンドがないというか、それは未熟さなんですけどね。他人を認識できないっていうのは未熟さなんですけど、
だからまあ見守ってあげなきゃいけないと、あげなきゃいけないというか、見守ればいいだけのことで、私が教えてあげる必要もないので、
平気な人が教えてあげればいいと思うから、見守るしかできないんだけど、その人たちが私に干渉してくると、あ、嫌いだなーって明確になると。
嫌いだなーってなったら、私は距離を取ればいいだけなんだけど、反応しなければその人たちってあれ?ってなってどっか行くんだけど、妹っていうので、
なんか微妙に関係が切りづらかったことと、その蓄積されてるのね。この毎日毎日あんた赤色好きでしょって送り物を送ってきて、感謝を求めてきたりするから、
私の家には赤いものがバカみたいに増えていくみたいな、処理もしにくいし、ゴミ捨てるのも大変だし、みたいな感じで、
はぁ、なんなんだこいつってなって、嫌いだなーってなってたら仕方ないなと思いますよね。
ちょっと妹ってところもあって関係の生産に苦労したんですけど、あ、でもこの妹とはきちっと絶縁したので、その話はまた別で撮りたいと思います。
一方で、一方で、好きって何かなって思った時に、好きの方が私の弱いんだよな、その感情として弱いから、
好きって一方で何なのかなって考えたんですけど、一応ひっくり返すと、当たり前だけど、私の存在をちゃんと認識してくれている人たちで、ちゃんと関わろうとしてくれる人、
それを前提に関わろうとしてくれる人は、あ、好きだなって思うなって思いましたね。シンプルでしたね。
なんか、その、この人たちの特徴は、その赤色好きですよね、みたいなことは当然だけど不要意に言ってこなくて、あなたはどうですかっていう、こう、
伺うスタイルというか、入ってもいいですかっていう、どうですかどうですかって、ちゃんと様子を見てくれるというか、仲良くやりましょうっていうスタンスはもちろんなんだけど、
なんか仲良くやりましょうって言って、ウェイウェイウェイウェイって土足で入ってくるタイプの人いると思うけど、あれって、俺はこうですっていう自己アピールでしかないと思うから、
コミュニケーションの重要性
コミュニケーションではないと思うんだよね。ドスドスと入ってくる人たちは、わ、元気ですか?どうですか?なんか何してるんですか?みたいな、わーって、相手のテンションとか伺わず、
自分をぶちまけていくっていうのは一方通行だから、コミュニケーションじゃないと私はみんなしているので、こうではなくて、なんか、あ、初めまして、あの、
どんなテンションですか?って、こう一応探りながら、仲良くやりましょうねって有効的なスタンスを見せつつ、みたいに入ってきてくれると、私は、あ、いい人だな、
なんか丁寧だな、みたいな、配慮あるな、ちゃんと相手の存在を犯さないレベルで、コミュニケーションを取るっていう、その明確な、
なんか入り口で挨拶してるみたいな感じが、あ、めっちゃ好ましいなと思うので、こういう人は、あの、好感を抱いていますね。この人たちと話すと、まあ私もともとそんななんか、
こんな尖ったこと言ってますけど、有効的な人間だと思ってるんですよ、基本は。基本的にその、なんか、攻撃をされたら明確に呪い返ししようと思ってるけど、
基本的にはこう、誰とでも仲良くやっていこうというスタンスでいるので、なんかどうですかって感じで来てくれたら、もう全然、あ、どうぞどうぞだし、なんか困らないようにコミュニケーションをリードしていったりするんだけど、
で、あ、ミサさんこうなんですね、自分はこうなんですけど、ミサさんどうですかっていう、こう、こういうスタイルでちゃんとミサはどうなの、ミサはどういう人間なのかなっていうのをちゃんと、なんか、
丁寧に扱おうみたいな認識のある人たちと一緒にいると、自分の存在をちゃんと認識できるんですよね。あなた赤好きでしょって言われたら、私の存在って消えちゃうじゃない、その人と喋ってる間って、私って存在できないんだけど、
ミサさんはどうですか、何色が好きですかって言ってくれたら、青ですか赤ですかって聞いてくれたら、まあどっちかって言うと、っていうか全然青ですかね、みたいな話をしていくと、あ、青好きなんですねってなったら、ちゃんとそこに会話が生まれているし、私っていうものが存在できるので、
なんか息できる感じというか、私が存在しているこの人の中に、ちゃんと正しく私が存在していくなーっていう可能性を感じるよね。こういう人たちはね、なんか喋っているとそう息できる感じというか、
あ、好きだなー、なんかちゃんと会話できてるなーみたいな手応えを感じて、これを多分交換なんじゃないかな、好きだなーってなるのはこういう人なんですけど、でもまたあの冒頭でも言ってたけど、これは恋愛とはまた全然別なんですよ。
この、あ、この人ちゃんと丁寧にコミュニケーションを取ってくれる人だ、好きって思っても、別になんか恋愛とは全くもって別というか、人間として好きみたいな関わろうっていう意欲があるみたいな感じかな。
人として、この人と関係をつなげていくことに私は前向きですっていうのを好きと呼んでいますね。で、この人と関係は一切持ちたくないっていうのが嫌いと判断しております。
哲学的な考察
全然まとまりそうでまとまらなかった、ちょっとうまく言えなかったけど、特に嫌いのあたりは具体例混ぜたせいかな。ちょっともうちょっと整理できたのかもしれないけど。
あーでもなんかどう思ったか聞いて、ん?聞いてみたい。好きとか嫌いって多分いろんなものを内包してると思ってて、私はその人間関係の継続継続しないの判定に使ってるけど、
なんか恋愛でしか使ってないって人も多分いるだろうし、なんかもっともっと抗議的に、なんか、なんだ、さっき山の例え言ったけど、山の好きとか、この家好きとか、この植物好きみたいなの。
で、どっちかとそっちで使ってますっていう人も多分いっぱいいると思うから、この辺ってなんかこう哲学的な話になっていくのかなって気はしますけど、何かこう考えるきっかけになったら嬉しいなというふうに思います。
結構長くなった。30分ぐらい喋ってますね。ということはまとまってなかったという証拠なんですけれども、ちょっと久々のラジオですご容赦ください。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。また他のエピソードでお会いいたしましょう。またね。