自己理解の出発点
私と私のひとりごと。こんにちは、misaです。今回は、自己理解とは自分専用のラベルを作る作業 じゃないかなって話をしていきたいと思います。
このラジオは、願いに生きる過程や、自己一致するためのヒントをお届けしております。 本日は5月の4日日曜日でございます。よろしくお付き合いください。
と言いますのも、なんかでもここ最近さ、すごい色々こう 考えたから、考えたってモヤモヤしたってわけじゃなくて、まじでこう
なんて言ったらいいんだろう。 いやもういっか。これちょっと言語化するの大変すぎて、ちょっと断片で出していきたいなって思っているうちの一つのピースって感じなんですけど。
テーマは、そう自己理解ってやつは自分のラベルを作っていくってことなんだなーってめっちゃ風に落ちたってとこなんですけど、
具体的なエピソードってほど具体は出せないんだけど、なんかね性別に関するアイデンティティについてが、なんかねテーマとして上がってきたんですね。
知人におりまして、なんかわかんなかったのよ。その性に対して私が疑問を抱いたことがなかったから、
あーなんかわかんないってことになっているのね。でこれさ、結構むずいなと思ってるんだけど、私はわかんないをわかんないとして置いとけるんですよ。
これは私はいいところだと思ってるんだけど、あ、その領域私にはわからない。でもなんか、
なんだろうな、なんかわかんないから、とりあえずこうってことにしとこうとかじゃなくて、本当にもやっとしたままそのまま置くんですよ。
そこを理解した気にならない。これって結構さ、脳みそとしてすごくスペースを取ると思うんですよ。メモリーが開放できないから。
ずっと置いとかなきゃいけないんだけど、それをそのまま置いておくっていうのは、私はすごいこうリスペクトだし愛だと思っているんですね。
性別とその葛藤
なのでその、ちょいちょいさ、あーなんかね、小学校の時からの幼馴染みたいな、幼馴染みたいってなんだろう、幼馴染的だと私は思ってるんだけど、女友達がいたけど、途中から多分女の子じゃなくなっていったんだよな、おそらくだけど。
それも変化を隣で見つつ、高校大学くらいまで仲良くしてたから、なんか、
その変化は、グラデーションはすごく感じてて、そこにこう葛藤があるんだろうなって思いつつも、私はなんか一貫して、その子を男だとか女だとかそうじゃなくて、その子らしさとして捉えていたんですよ。
それに疑問もいなかったから、なんか、なんかこう自分の中でテーマとして湧き上がってきたのね。で途中で、多分だけど名前を変えて、
で、現在その性別をどういうふうに認識しているか、もう私連絡取ってないからわからないけど、なんか、その人の中でいろいろあったんだろうなっていうふうには捉えているっていうのが、もやっと人生のベースにありまして。
で、えっと、ちょいちょい現れますね、そういう人ね。で、でもずっと、あ、わかんないな、で放置してたんだけど、今回、なんか、わかんない、
え、なんて言ったらいいんだこれ、なんかさ、そこに苦しみがちょっと見えたんですね。あ、そっかと思って、性別に関するそのアイデンティティってところで、
当たり前だけど葛藤や苦しみがあるわけじゃないですか。私は今までそれを外から見てて、なんか、わからないっていうところで定義してたけど、
あ、そうか苦しみがあるんだなってなった時に、あ、わかりたいなって多分思ったんだろうな。なんかその苦しみちゃんと理解したいっていうか、なんかわかんないから無視するっていうのはもう絶対あんのよ。
ちょっと矛盾してるって感じる?矛盾してるって感じくらいかもしれないけど、なんか、あ、そうなんですね、じゃあ触れないでおこうっていうのは、私は全然愛じゃないと思ってて、かといってそうなんですね、
じゃあ、なんか期待する振る舞いをこちらがしますよって分かって気になって返すのも、私は愛じゃないと思ってて、じゃあ私はどうしたらいいんだろうっていうところで、あの考えが始まってたんですよ。
どう関わりたいのか、彼らのその非常に個人的な、私は戦いって呼ぶけど、葛藤に対して、私はどういうスタンスで向き合っていくことが、なんか嫌じゃないのか、傷つけたくない、当然傷つけたくないし、世界を守りたいけど、
分かんないからって、なんか無視する、放置するっていうのも、私は拒絶だと思ってしまうので、自分だったらなんか、なんか、あーめんどくさい、よく分かんないからほっとこ、無視しよう、なかったことにしようってされたなっていうのを感じるから、それもすごい嫌で、でもどうしたらいいかはちょっと分かんないから、
もやもやーと考えていたってところで、別にその情報をそこから探し始めてたわけじゃないけど、なんかその頭の隅っこに展開したままほったらかして、起動はしないけどずっと走っている、なんか問いだったんですよね、そこでインフルエンサーの方が、自分は男でも女でもなくて、自分っていう性がしっくりきますっていうのを話してた時にガーンってなって、
あ、そうなんだーみたいな、それは私すごいわかるわーと思って、私は勝手にね、納得したってところなんですけど、そのさっきも言ったように、幼馴染は、私にとってその女友達でも男友達でもなく、その子、特別ななんかポジションをとってたんですよ、なんかすげー不思議な立ち位置なのよ、なんかすごい不思議、そこになんか性別があんまりない感じが自分の中ではあって、
それはなんか本人がそういうオーラを出してないから、私はただそれを受け取ってそのまんま返してるだけなんだけどね、別に私が意図してその環境をディレクションしているわけではなくて、
なんたんだなって思った時に、多分なんかそれで良かったんだなと、だってそもそも私小学校1年生とかからの友達だから、だから女の子とか男の子とかあんまないじゃない?まだあの時期って、あのプールのさ、お着替えもさ、同じ部屋の時代ですよ。
で、なんた時から友達だって思ってるから、なんかそこにこう性別がどうのこうのってあんま意識する必要が多分なかったんでしょうね、なんか自然とできてたってだけなんだろうけど、
いやわかんない、ごめんちょっとこれ聞いてて、そのわかるわっていうタイプの方が怒るかもしれない、怒ったらごめん、全然傷つけたいと思ってなくて、私は私なりに解釈したいなって考えてて、で、もちろんこれを誰かに押し付けようなんて全く思ってないし、自分の中で落ち着けたかったってとこなんですけど、
なんか、その男でもなくて女でもなくて、自分っていうのがしっくりきたよっていう話で、自分がどう、私がどう受け取ったかっていうと、その性別っていうのがラベルだってふんふんに感じてるんだっていうのがめっちゃ、なんか納得したというか、納得っていうかしっくりきたというか、なんかね、なんだったかな、なんかその性に対して自分のアイデンティティが、なんだって言ってたかな、なんか、
なんかでもいろんなタイプあるからちょっと言葉の選び方難しいんだけど、そこに、私の場合は私は女性だし、生まれてからずっと性別、体の性として女性だし、心も別に女性だと思ってるんだけど、その、そうじゃない方々は、街に出るたびにめちゃくちゃ否定されるって感じたことあるみたいな、読んだことがあって、例えばトイレって、男性用のトイレと女性用のトイレしかないと、そうなった時に自分はどっちともその、じゃないから、自分の行けるトイレないって感じがすると、
そうなると、社会からあなたには居場所がありませんよっていうメッセージを受け取ってしまうんだって聞いた時に、あーなるほどなーと思って、それめちゃくちゃ苦しいだろうなと思って、私にはわかんないけど、その否定された気持ちになるってことは理解できて、なんかそういう苦しみって、
わかる人にしかわかんないし、わかんない人には一生わかんない、私のようなタイプには一生わかんないことだから、なんか当たり前のことが全然当たり前じゃないんですよね、きっと、なんかそういうのってさ、すごい苦しいだろうなと思うんだよな、
ラベリングへの抵抗
就職とかもさ、なんか性別選ぶとことかも、最近はちょっとさ、女性男性不明みたいなのあるけど、不明ってなんだよって感じするしね、なんか不明ってなんだよって感じするんだよ、今思ったけど、そういうさ、配慮がないなみたいなこときっといっぱいあると思うんですよね、
それってすごい苦しいと思うんですよ、でなんか、それってこう、なんでその性別を外界から決められることが嫌かっていうと、その男とか女っていうラベルに自分を当てはめられることへの抵抗だと思ったんですよ、私はね、って解釈して、これは抽象領域で感想を解釈しただけですけど、
それであれば私はすげーわかるわと思って、なんか、あーってなったのね、私もそのラベリングされることものすごく嫌いで、他人のことをラベリングするのも気をつけているつもりなんですよ、なんで、なんかね、ここ語るとマジで難しくなるけど、私の場合はその性別とかじゃなくて、
なんかね、意図を理解せずに表面だけで判断されるのがめちゃくちゃムカつくから、わかんないなら言うなよって思いながら生きてきたし、そこに対するこう、同じことしたくないなっていうのがあったから、
あーなんかこの苦しみをやってるんだねって思ったら、あーめちゃくちゃわかるわってなったというだけなんだけど、その性別がどうっていうのは私にはわからないしないけど、ラベリングされることの苦しみってなるんであれば、超わかるなと。
でさ、これってさ、なんかその人の場合は、なんかすごく自分の性に対するアイデンティティを多分確立しようっていうタイミングなんだろうな、なんか今までは見ないようにしてたように私には見えてて、なんかもやるけどラベリングもムカつくし、
ラベリングされないように避けてるっていうか、そう避けてきたけど、今からそこと向き合っていこうっていうタイミングなんだなっていうふうに捉えたんですけど、
そう思うとさ、これって別にみんなにある戦いだなと思ったんですよ。その性に対して全然悩んでませんっていうタイプの人も、悩んでる人も、なんかその性別ってとこじゃなくてラベリングって考えると、
あ、ラベリングっていうのは何だろうね。なんか決めつける、カテゴリーに入れられちゃうみたいな感じがいいのかな。
なんかなんだろう、成人だからしっかりしてますよねとか、女子高生だからこうですよねとか、関西人だからこうですよねとか、なんかあるじゃないですか、これって薄いけどもっと強力なものもきっとあると思うんですよ。
○○代ってことは頭いいんだろうなみたいなのとか、みんなね絶対あると思うのよ。外界で定義されているラベルが自分に貼り付けられちゃって、でも本質的なところってそこからずれて、当然ずれてるから、
なんかなーって、敏感な人であればすごく苦しんできただろうし、鈍感な人であればあまり関係ないですって感じでもしかしたら生きてこれたかも。
あとは、あのー、違和感を感じつつも、なんかあんまり認識できてない人とかもいるのかなーって気がしますけどね。みんな多かれ少なかれきっとこれって問題として捉えてると思うんだけど、
結局その自分を理解していくって時にさ、このラベルが超邪魔してくると思うんですよ。 私って何なんだろう?私って何がしたいんだろう?みたいな、自己理解って単語つけるから、多分私はヤギジンペイさんの自己理解プログラムとかから引っ掛けてくるのかなと思ってるんだけどさ。
オリジナルラベルの作成
そうなると、仕事とかで多分悩んでると思うんですけど、私って何者なんだろう?何ができるんだろう?ってなった時に、
多分その自分が持ってると思ってる、自分に紐づいてると思っている自分のタグ、ラベルとの自分との差分で苦しんでんじゃねーの?って思ったのよ。
伝わります?ずっと同じ話グルグルしてるだけなんだけど。 そうだと思うんですよ。私ってこうだからこうなはずなのに何か違うかも。
もやもやみたいな。結局、本当の自分を分かっていくって、自分専用のラベルを作っていくことだと思うんですよね。
男でも女でもない〇〇っていうのが私のせいだってしっくりきて、そこを自分で認識する。それを確信持てるようになることが多分やらなきゃいけないことなのよ。
私は自分っていう性別がしっくりくるわっていうのは、頭でちゃんと、なんだろうな、頭で分かってるだけじゃダメなのよ。しっくりこなきゃいけなくて。
私はなんかこれ聞いて、ああそうだよな、私って男でもないし女でもないし、自分っていうのが正しいんだろうなとかじゃダメなのよ。これ頭で理解してるだけだから。
なんかちゃんと腹に落ちてないので、ああこれでいいんだっていうのがグサッと刺さるというか、自分の中でビシッと線が通ると多分外側にもそれを体現していけるようになって、
周りからすると、あああの人男でも女でもないんだなって感じで、分からせることができる。新しいラベルを作るっていうのはこうやるんだと思うんですよ。
これを繰り返していくことだよね結局。なんか我慢せずに自分を生きるみたいなのって、結局この自分の中で何本ほどオリジナルラベルを作って、それをしっかり自分の中に根差して体現していけるかっていうところなんだろうなって気がするな。
そうすると文句言われないと思うんですよ。だから中途半端に外のラベルに寄せていくから、そのラベルとははみ出てるよって感じで周りから指摘されるけど、
ああ私そのラベルじゃないんですってオリジナルラベルこちらなんですっていう顔してたら、ああそうなんだ、なんか知んないけどそれなんだねって感じになるんだよね。ここ抽象的が難しいですよね。でもなんかやってって超思うなぁ。
うーん、私の場合は、いっぱいあるんだけどね、てかこれしかやってない気がするけど、強力に周りとの反応が変わったなって思ったのは、なんかすいませんっていう顔しちゃうのよ、外のラベルを使ってると。
会社員なのに、私の場合はね、いろいろわがままあるんだけどなんだろうな、子供が大きくなってきたのに一生時短を続けているんですよ。それはもう私は長く長時間労働はしませんっていうラベルを張ったのね、自分の中で。めちゃめちゃ指したのね。
その前だったら多分、なんかすいませんみたいな忙しいのに申し訳ありませんとか、みんなちゃんとフルタイムで働いてるのに、私は時短しか働けてなくてなんかずるいことしてるすいませんすいませんってしてたらみんな変なのって思うんだよ。
あの人楽してるのかなって思うけど、私は全くそんな顔してなくて、いやー、時短しか無理っすねーみたいな、もう全く曇りない顔で言うから、そうなんだってなるんだよね。そんな、みんなさ、そんなになんか、もしかしたら、この例えだと、時短して申し訳ない、すごいみんなに批判されて私居場所がないんですって人がもしいたとしたら、
なんだろ、信じらんないと思うんですよ。あ、そうなんだって言われたことないですみたいな。りささんの職場って理解あるんですねみたいになる可能性を私は今考えるんだけど、そこに対して言い返したいのは、違う違う、違うんですよ。その、その人の、いかに、なんか私はこういうものですって自己紹介できてたら、みんなそうなんだってなるのよ。そうじゃない。なんか
自己紹介の時に、なんだろう、山田花子ですって名乗ってたら、あ、そうなんで山田さんなんだってなるけど、ここにめちゃめちゃおどおどして、なんか、いや、あーそうですね、名前ですか、山田花子と申します。てんてんてんみたいにしてたら、なんかあんのかなーって、みんな疑うのよ。なんかこの人の迷いがね、結局伝播するだけなんだと思うのよ。
だから、でもこれはテクニックでやっちゃダメっていうか、やっても意味がないから、マジで腹からそう思えているか、私ってこうなんだってところに確信を持てているかっていうだけの違いで、ラベルってこうやって貼るんだよね、貼るっていうか作るっていうか、自分の中で自分のラベルを作って、これを世界に定義していくってことをしなきゃいけないのよ。ちょっと抽象的ですけれども。
それさえできれば、なんか、私ってこれでいいんだ、私ってこうなんだっていう体感がちゃんと得られると思う。だからちょっとだけ、なんかここ、みんな分かってんじゃないのって気がすんだよな。私ってこうなんだって、自信持たなきゃいけないってことはみんな知ってるけど、それをじゃあ具体的にどうやればいいんですかってきっとなると思うんだよな。
で、それを外界から、それでいいんですよとか言われても、なんか、その時はね、そうなんだ、これでいいんだ、わー落ち着くわ、ほっとしたわってなるけど、家帰ったら結局自分で定義できてないから、なんかぼやぼやしてくるね。あれはなんか、いいって言われたけど、でもなーみたいな。みんなからはさ、その時短でなんで働かないのって顔されてるしなーみたいな感じになって、またはその外のラベルに巻き込まれちゃうから、自分の中でしっかり作んなきゃいけなくて。
あと、あのー旗を立てるというか、私ってこうですって旗を立てて、ここの旗に全く曇りがない、全くなんか違和感がないみたいなレベルに持っていかなきゃいけないんだよね。そのためには、そう、外からなんかね、定義され、定義っていうかな、支援をね、求めちゃダメなのよ。ダメってことはないんだけど、いや使ってもいいんですよ、使ってもいいんだけど、意味がないというか、カウンフル剤にしかならないから、長期的な視野で見ると、その、きっかけにしか過ぎないよって思いますね。
結局自分の中で、ちゃんと私ってこうなんだって思えないと、外から見るとブレブレした人に見える。その、そうなのよ。なんか、その、また性別ハッシュに戻すと、これなんかセンシティブな例えだからずらしたいけど、ずらしたいんだけど、わかりやすいからこれでいくとさー、そう、わかりやすいのかな?わかりにくいのかな?なんかもっといい例えないのかな?
うーん、いやでもさ、例えばそのミサの場合、私の場合、私がいくら男ですって言っても、私がマジで男だと思ってないから、めっちゃ嘘くさい感じになる。それはね、なんか鈍感な人も、無意識レベルでキャッチするから、なんか変だなーって感じになるんだよな。これはね、見ててめっちゃ思うんだよな。
人の気持ちがわかりませんとか、人に興味がなくて、すげー鈍感だなーって、それ別にいいんだよ。全然いいんだけど、あのー、あんまり閉じてる人だなーって感じがしてても、その人も、その人ですら違和感はちゃんと感じ取ってるっていうか、なんか、ん?みたいな。突っ込んじゃダメそうな空気を感じるみたいなね。これ以上言わない方が良さそうな気がするとか、なんか守ってる雰囲気だけ伝わるみたいな。何か隠してるみたいな。
ってなるとみんななんかあんま触れられないんだよね。それはなんかすごい思うんだよな。
なんか一生、抽象の話ぐるぐるするかも。ちょっとまたもうちょっとなんか具体的な話できるようになるとまた撮ろうかなーって気がしておりますが、なんかその言いたかったのは、
そう、その外のラベル使っているんじゃない?っていうところだね。じゃあそのチェックどうすればいいんですか?ってなるかなー。
自己理解の重要性
なるよねー。どうやってやればいいんだろう。結局納得できているかどうかっていう、結局体感レベルで、なんかね、結果はね、あんまり関係ないんだよな。
自分の中で違和感がなければ、別に男と女というラベル使ってもいいのよ。私もそうだし。なんか女ですっていうラベルに私は違和感感じたことないから、別にこれ続投してればよくて。まあうまいこと入ってたんでしょうね。
私もあんまり気にしてないっていうのもありますけどね。昔なんか女の子好きだったことあったけど、そこに対して全く自分が困ってないというか違和感感じてなかったから、そこに対してわざわざなんだろう、私はバイですとか言って打ち立てることもなかったし、その時好きな人を好きでいればいいかぐらいの感じというか。
だったからあんまり関係ない。そもそも私はその外側の何かで色と好きになったりできないから、
そうなんだよね。その人のなんか構造的な、その人のシステムの美しさとかに共鳴できるかどうかでしか判断してないっぽいから、あんまり性別本来関係ないんだよな。
けど別に困ってないから、そこに男とか女とかのラベルをそもそもあんまり使ってないというか、そもそも私が誰かを好きになるってこと他人に関係ないじゃんって思ってるからかな。あんまりその表明する必要がないから困ってないだけかも。
そうかもね。そもそもなんか恋話とかあんまりしないからかな。人に言う必要がない。聞くことはあって面白いけど、
そのなんかパートナーとは話すけど、それ以外の人に話す必要がないと思ってるから困ってないだけなんだろうな。
あ、なんか自分の話になっちゃったけど。なので困ってないなら別にいいんだけど、もしそのラベルに苦しんでるかもってことにうまいこと検知できたら、
そこは多分ずれてるから新しいラベルを作るんだ。自分で覚悟を持って作るんだっていう意識が持てると、すごく道が開けるんじゃないかなって気がします。
誰かに話すのは全然いいんだけど、手法として全然いいんだけど、なんか話してその場で完了っていうスタスクでもないから、
ちゃんと自分の中で内側から練り出して、ああこれだったんだって気づくみたいな感じだと思う。いつもなんか私は自分に戻るって表現するけど、
そうそう、もともとあるのよきっとその自分のオリジナルラベルっていうのは。それを言語化して意識化に上げていくだけだから、
見つけたら、ああこれだったんだ、ああこれだーっていうめっちゃしっくりくる感じが絶対あるから、その体感が出るまでちゃんと掘っていくのがいいと思う。
で、ああーってなったら、これだったーっていう納得感あったらもうブレないと思うし、私はこれなんだってなると、もうなんかね外から見てたら、
あ、なんかそうなんですねーっていうオーラが出せるというか、確信持って堂々としてるとみんな、あ、そうなんですねってなるから、
それはね、マジで何回もやってきてめっちゃ変化感じるから本当にそうだと思う。ちょっと信じてもらって、自分の中を探していくのがいいと思います。
いいと思います。はい。ちょっとめっちゃ抽象的な話になっちゃったけど、頑張って喋ったと思うけどどうだろう。
ちょっとまた分かりにくいとか具体的な話をしてくれとかあれば、レターやコメントをお待ちしております。どうぞよろしくお願いします。
じゃあ最後まで聞いてくださってありがとうございました。また他のエピソードでお会いしましょう。またねー。