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2025-05-10 21:07

エネルギー効率よく!ラクに生きる方法!コツ!#90

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自己否定をやめる

他人との比較を避ける

エネルギーの回復方法

自分の限界を知る

自己否定と流れに身を任せる


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#体力 #元気 #エネルギー効率 #疲れない #楽 #楽に生きる #Tips #コツ
2/19
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サマリー

このエピソードでは、エネルギー効率よく生きるために、自己否定を避けたり他人と比較しないことの重要性が語られています。また、エネルギーを回復する方法や一人の時間を持つことが、心のバランスを保つ助けになると紹介されています。エネルギー効率よく生きるためには、感情を抑えずに表現し、自分の気持ちを正直に伝えることが大切です。十分な睡眠を確保することがメンタルを強化し、感情的な反応を理解することを促進すると述べられています。エネルギー効率を向上させるために、自己一致を追求し、無駄な努力を避けて流れに身を任せることが重要です。

自己否定をやめる
自分の本音の見つけ方。こんにちは、misaです。今回は、エネルギー効率よく生きる方法についてお話ししていきたいと思います。
このラジオは、自分と仲良くなると人生は楽に楽しくなっていこうコンセプトに自己一致する家庭明け月、その方法をお話ししております。よろしくお付き合いください。
本日は2月の19日水曜日です。
エネルギー効率よく生きるは、なんかね、まさに今日公開されたエピソードって、喋ろうとして喋れてなかったから、ちょっと笑っちゃって。
エネルギー効率悪くて超辛かった時代の話をして終わってたから、ちょっと今は割と上手くなってきたから、ちょっとまとめるかと思って撮ってます。
うわーって言ってくけど、結構普通なんですね。振り返ると。でもできてなかったから、そこらへんどう繋いできたっていう話もできたらいいかなと思ってます。
まずね、なんであんなに私が過去しんどかったかっていうと、なんかうっすら常に自己否定しまくってたからだと思うんですよ。
まず1個目、自己否定しないこと。
自己否定っていうのは、ありとあらゆるものに対してなんですけど、なんでできないんだとか、なんで人と違うんだとか、なんで失敗したんだろうとか、なんでなんでみたいな。
とにかく全部自分に返していく感じ。ここはね、ストイックな性格も相まって、人によっては全部外のせいにする人もいると思うんですよ。
なんでこうしてくんないんだろうとか、なんでこうなんないんだろうみたいな感じの人は、ちょっと当てはまんないかもしれないけど、私の場合はなんかこう、内省する性格だった。
内省って言うとなんかいい感じがするけど、答えをうちにうちに求めていく性質があったから、なんか失敗したり、なんかうまくいかなかったり、なんかトラブルと、
なんで私はできないんだろうみたいな、なんでみんなみたいにできないんだろうみたいなのが結構あったな。
なんでみんなみたいにできないんだろうっていうのはもう中学ぐらいから頭の中でガンガン鳴ってた気がしますね。でもあれ、何の役にも立たない。
自己否定だからやめたほうがいいね。新卒入社した会社とかでもめちゃくちゃ鳴り響いてましたね。なんでみんなみたいにできないんだろうみたいな。
これも解除度が低かったんですけど、要するに私あんまりエネルギー量が多くなくて、体力ないからできない。普通じゃんみたいな。
長距離走れない。速度が一瞬出てもすぐビューンと落ちちゃう。それって何でしょう、私の能力差っていうか、スキルとかじゃなくて、もともと積んでるエンジン量が違うっていうだけだったんだけど、そんなの分かんないから、
なんでみんな平気そうなのに私こんなにヒーヒーヒーヒーやってるんだろうみたいな。私って本当ダメだな、みたいな感じになってたから。
それが最近分かってすっごい楽になりましたね。なんか特徴って、なんかデコとボコみたいな特徴って長所にもなるけど、短所にもなるし、
短所って長所にもなるから、エネルギー量が少ないから私めちゃめちゃ効率追求してきて、そういうのをやらせると得意なんですけど、ってことかって思ったら、
なんか今までみんなと比較して私がへこんでるなっていう部分は、ひっくり返して長所にしちゃえばいいやって思ったんですよね。これなんか、いいや、ケロッとか言ったけど、難しいと思うんですけどね。
なんか、諦めに近いですね。ここ伸びないわ、みたいな。ここへこんでるわ。仕方ない、みたいな。じゃあこれでどうやるっていうところに立ち返れて、かなり消耗しなくなったね。
なぜなら自己否定ってとんでもないエネルギー使うんですよ。なんで私は、なんで私は、つって責められるから、しんどいしね、普通に。元気なくなりますしね。エネルギー少ないのにさらになくなっちゃうから、これは本当に良くないね。
自己否定、マジで何にもなんない。成長もしないし、何にもなんないからやめた方がいいよね。というのがまず一つ目。もう一個、でも似てますね。他人と比較しないこと。
他人との比較を避ける
なんでみんなができるのに、なんで私はできないんだろうとか。比較って言って、その自己否定はネタにするからですけどね。別に比較することが必ずしも悪いとは思わないんだけど、なんて言うんだろう。
自分しかいない世界で、なんか自分のこと認知できないと思うんですよね。他人と自分と差分見るから、自分てこうなのかな、これ得意なのかなとか、この辺は苦手だな、あの人はこういうとこは素晴らしいなとか、こういう考え方があるのかっていう、
鏡になってくれるから、他人を見ることはすごい大事だと思うけど、それ見て、あ、私はなぜとかやるな、やめた方がいいよね。他人と比較しないことだよね。
すごいシンプルで当たり前すぎるんだけど、疲れたら休むっていうことですよね。エネルギーが少ないんだから、疲れたら休まなきゃいけないんだけど。私の場合は、休もうみたいなのはさすがにちょっと分かってたけど、休み方が分からなかったのね。
体力がなくなったとき、例えば1日中泳いでて、海とかで太陽に晒されて泳いで疲れた、じゃあもう動かないで涼しいとこで寝ればいいじゃない。さすがに何時間も寝たら回復しそうじゃないですか。
でも、私の場合エネルギーってどうやら寝ればいいってものでもないんですよね。心のメンタルの状態と体力の間にあるものなんですよ、おそらく。どっちもうまく使わないといけなくて、メンタルの上下って、何だろうな、自己否定しまくると当然下がるし、楽しいことやってたり、褒められたりしたら上がるみたいなのがあるかもね。
エネルギーってそのメンタル上下だけでもなくて、なんかモチベーションみたいな感じなのかな。生きる上のモチベーションみたいな感じなのかな。体疲れてないけど、なんかもうできない、もうやだみたいになったりするんですよ。なんか疲れちゃうのね。
なんか私は心が摩耗するってその時は、中学ぐらいからかな、当時表現してましたけど、なんかすり減っちゃう感じがすごいあるんです。自分の一部が失われていくような感覚がすごいあったんですけど、これの直し方がわかんなかった。
けど、天然でやってたのはとにかく一人の時間を作ることでしたね。人がいると摩耗していくから、とにかく一人の空間、なんか人の気配がないようにすると楽。あとはなんかこう図書館とかみたいに静かで、人いるけどあんま干渉してない、私は誰も見てない状態は割と、回復、ガンガン回復するっていう感じはないけど、摩耗は少なくともしないなって思ってて、なんかそれをうまく取り入れて、何とかやってきてたなって気がしますね。
一人の時間を作る。なるべく。だからなんかべったりの、ずっと人といなきゃいけない修学旅行とかちょっとつらいよね。ちょっとね。この休み方ってところもめちゃくちゃ研究した方がいいと思いますな。私に言わせると。でも全然下手だったから。
なんかその一人になれないとき、体力的にも特に、そうそう、あとそのエネルギーを回復する。エネルギーだけ下がってるだと結構、今みたいに解決できたけど、例えばその体力的にフィジカルがすごい弱ってて、エネルギーも足りないってなったら、なんかうまくできない。どっちも別のアプローチしなきゃいけないのに、一つのアプローチで回復させようとして。
なんかよくわかんないけど、甘いもの食べてみるとかでストレス発散できるかなとか全然効かなかったりとか、この辺うまくこうちゃんと内観して、何が足りてないんだ、何が今減ってるんだろうみたいなのをちゃんと見てなきゃいけなかったなって思いますね。本当にすごい大事だった。これやんないと命削りまくることになるから本当に良くなかったなという気がします。ちゃんと休む、休む方法を考える。
エネルギーの回復方法
で、そうだな。あとなんかその脳がグルグルする。あんまないけど、たまにやってたのは、ありもしない不安を見てる。なんかああなったらどうしよう、こうなったらどうしようみたいな。結構頭が回るタイプで、いろいろこう、ちょっと物事俯瞰してみてるから、なんか良くなく、なんだろう、匂うなーみたいな時あるね。これうまくいかないんじゃないかなーみたいな時。
あれここ匂うなぐらいで使うとすごい上手く使えるんですけど、なんかそこからこういろいろ添加していって、ああなったらどうなる、こうなったらどうなる、まじやばいじゃん、地獄じゃんみたいな感じで、なんか不安見まくると普通に疲れるだけだから、なんかさっきのその自己否定と同じで、なんか内部攻撃する感じになるから、それは意識的にカットしていくことですね。
これも多分中学生、小学生ぐらいの時に、なんかね親が持ってた自己啓発本見て編み出したイメージ枠があるんですけど、なんかわーって脳がぐるぐる回り始めて、この考えに全くこう生産性がない時は、あのね、やってるイメージ枠があって、脳内にでっかい寸胴鍋をイメージするんですよ。
なんかトンソクとかラーメンのスープ作るような感じ、ラーメン屋さんのでっかいやつをイメージするんですよ。その中に、えっと、今ぐるぐる考えているあれこれを入れるイメージの中で、頭の中で入れて、で、蓋をする。で、これシチューを作るんだって、今なんかトンソクを入れるラーメン鍋イメージされたと思うけど、シチューなんだって。
シチュー鍋に入れて、シチューは弱火で長くグズグズ煮込みます。で、蓋を開けると美味しくなくなっちゃうから、もうほっとくと。そのうち美味しくなるからねっていうイメージ枠があって、それをよくやってましたね。小っちゃい時、中学ぐらいの時。
大人になってくると、なんかちょっと、なんだろう、速度が必要になる時があって、なんか、わーって動いてる。人と会話している中で、いろいろ頭が回り始める時とか、ちょっとした時にすぐ切り替えたい時とかは、なんか頭の中で紙を破くイメージを持ってます。
なんかノートとかをバリッと破る感じ。書き込んでたいろんなグルグル考えてる思考が、なんかそのページに書かれてるってイメージをして、それをペリッと破ってグチャグチャポイって捨てるみたいな。で、何回も沸いてくる時が、何回も2、3回だけど沸いてきたら、また破いて捨てる、破いて捨てるってやって真っ白になって、あ、OKOK、もうスッキリみたいな。なんかこのイメージ枠マジでよく使ってます。今もやりますね、これ。
シチュー鍋最近しないけどノート破くのはよくあります。何でもそうでね。なんかありません?寝る前とかね。寝る前とかよくやってたかもしれない。なんか、あー今日なんで、なんかいろいろ言われたなーみたいな。だいたいこう体が弱ってる時に、なるとなんか自分のなんかこう、防御してる何かが弱るんですよ、バリアみたいなものが。そうすると他人の言葉とかがめちゃくちゃ頭に入ってきちゃうんですよね、私は。
そしたらその考えって自分のじゃないんだけど、他人の言葉なんだけど、だから他人の考えなのに内部に入ってきてるから、あーうるさいってなった時とかは、その紙破きまくって外に追い出すというか、今考えなくていいことだし、それは自分の考えじゃないしって感じで追い出しておりましたね。
はい、っていうイメージワーク使ったりとか、あともう一個、もう一個とか全然いっぱいあるけど、よく寝ること?寝ることですね。寝ないとそのメンタル弱るから、さっきのそのバリアが弱まっちゃうから、寝ます。めっちゃ寝ます。私の場合は多分8時間くらい寝たほうがいいね。なんなら9時間くらい寝たいかも。
いや、本当はなんか寝るってなったら、しっかり寝て、眠たくなくなるまで寝たいぐらいなんですよね。本当はね。できればね。割と寝る方ですけど、しっかり寝る。でもこれはなんか他人の相談に乗っててもよく言いますね。寝てる?みたいな。7時間しか寝てませんって人がなんか、本当こう、なんかネガティブになってんなーとか、なんか思考がこうすごいネガティブっぽいなって思った人、だいたいあんま寝てないなってイメージあるから、とにかく寝たほうがいいよって話をよくしますね。
よく寝ましょう。中学校ぐらいの時は私全然寝なかったから、本当よくなかったなっていう気がしますね。で、ここからはなんか普段からできそうなもんですけど、あの感情を抑制しない。これさ、最近取り入れたルールなんですけど、なんで今まで感情を抑制しようとしてたんだろうっていうぐらい超楽になりますね。なんか、今までその感情的なことってよくないことだと思い込んでたんですよ。
私父親がめっちゃ感情的なタイプで、すぐ赤ちゃんみたいになんか嫌なことあったら怒り散らかしてて、母親がそのひけしに回りまくってたから、なんか感情的なのって本当に悪だし、すっごい怖いから迷惑だし、他母親も大変そうだったから、感情的なのってよくないって思って、自分のその感情、特にネガティブな感情を抑圧するようにして生きてたんですけど、なんかそれが別にいいじゃないっていうことになったのね。
何かを考えて変わったんだろうけど、なんかきっかけがあったわけじゃないから、どうやったのか分かんないけど、別にさ、そのめっちゃ怒ってても、なんか怒って…あ、でも回想度上がったからかな?怒りっていう感情は、そもそも、なんか攻撃っぽいけど、防衛なんですよね、なんか。
分かります?何ですか。攻撃したら、そのディフェンスとして反射してるだけなんですよ、実は。父親が怒ってるのも、なんか、俺悪くないし、みたいな感じで怒ってるように見える。そんなのばっかりなのよね。自分の尊厳が傷つけられたとか、実際物理的に痛いとか、その痛みに対する反射として怒ってたりとか。
あとはなんかまあ、パーってくるやつだと、割とその、なんか馬鹿にされたかもみたいな感じ。それもまあ尊厳が傷つけられてる。自分の痛みに対する反応として怒りで表現してるだけじゃんって思ったら、なんかこの怒りっていうのが私はもう泣いてるように見えるになってきたんでしょうね。泣いてるな、みたいな。なんか、お、泣いてるってなったら、なんかその怒りで攻撃で殴られてるみたいに感じてたからすごい怖かったけど、だから自分もしないように気をつけてたけど。
怒ってる、それは泣いている、なんか助けを求めてるだけなんだなってなったら、まあ怖さはないよね。どうしたどうしたみたいな。お、泣いてるってなったら、なんか悲しかったですかっていう感じになるだけというか。ってなると、なんかね、怒ってる人怖くなくなったんでしょうね。すごくない?
特に男性の怒りとかめちゃくちゃ怖かったんだけど、なんか父親のやつで擦り込んでんだってことに気づいて、実際どうなんだろうって見てたら、実際別に怒ってないとかもよくあるし、なんか言い方きついだけ、口調がぶっきらぼうなだけで別に怒ってないとか。
それもなんか怒んないでくださいよって言ったら別に怒ってないよとか、ごめんごめんみたいになるから、怒ってないよって言われるんだけど。いや怖っとか言うとかね。別になんかそこに対してなんか私が動揺する必要はないんだなってことがマジで定着してから、なんかその怒りに対する拒否反応がなくなって、だから自分も普通に腹立ったら怒れるようになってきましたね。
怒るって言ってもそのブチ切れて怒鳴り散らかすとかではなくて、いやおかしいでしょみたいな感じで、なんかめっちゃ猛攻撃したり、その怒るとか泣くとか、なんか動揺するとか、もう別になんか出してもいいんだってことになって、じゃあ実際出すかと言うとそんなに出す場面は実はないんだけど、でもなんかわざわざ抑制しなきゃっていうの、これもまたさすごいエネルギー食うから抑えなきゃ抑えなきゃっていうのって常時走らせてなきゃいけないから、
エネルギー効率悪いけど、人と関わる上で自分の感情を抑圧する必要はない、出したきりは出せばいいってなったら、なんか別にそこに対するエネルギーが節約されてめちゃ楽になりました。
自分の限界を知る
そう、別に怒っていいと思う。泣いてもいいし、なんか悲しいですとか言って泣いていいと思うし、他に何があるんだろう、落ち込むとか、めっちゃへこむわみたいなのとかショックだみたいなのも別に出していいと思う。それでみんな動揺するかもしれないけど、別に関係ないしね。関係ないかも。
泣く私は結構強いんだよな。周りで誰かが泣いてても、そこになんか動揺はあんまないんだよな。
なんかなんで泣いてんだろうっていうだけで、なんかね、その前、話それちゃうけど、就職支援とかをやってて、めちゃくちゃ面談しまくってたら、やっぱその人の人生を起こすことになるから、なんかなんだかわからないけど、わーって泣き出す人とかいたのね。全然いるのね。
あと面接練習してて、すごい詰められて、私が詰めるんじゃないんだけど、別の人がやってるんだけど、それでなんかわーって泣いちゃってみたいな人がいるけど、あんまそこ動揺しないんだよな。泣いてんなーっていう。泣きたいんだなって感じで見てるか。
あ、泣きたい気分なんだ。そっか。なんで泣いてんの?っていう。なんで泣いてっていうか、悲しいの?みたいな。何の気持ちが今溢れてるの?みたいな感じで普通に掘り下げていく。だからそれと同じで、いかにも同様に扱えるようになったんでしょうね、多分。なんで怒ってんだろう?みたいな。でも私は泣いてるように見えるから一緒というか。そうか、一緒なんだね。
って感じで、他人の感情に対して恐怖がなくなったから、自分の感情も怖くなくなって、だから自分も別に出してもいいやって感じになりましたね。
もっとね、これすごい楽になったかも。はい、って感じで、そう、感情は抑制しなくて良い。だからそう、もう一個関連としては、嫌なことは嫌だって言えばいいと思う。
でも、嫌ですって全然言ってみる。なんか、受け入れられないかもしんないけど、私それ嫌だ、それ好きじゃない、みたいなのは言ってみる。で、嫌そうは言ってもってなるかもしんないけど、その時はその時だから考えたらいい。その時にそっかダメか、みたいな。やりたくないって言ったけど、やんなきゃダメか、みたいな時もあるけど。
とりあえずその感情とか自分の嫌だって気持ちは抑制せずに出してみることで、なんか、それでなんかその嫌だとか言うなって言われることはもうないのね。なんか子供だったらありそうだけど、嫌なのかな。嫌だとか言うなって言われてきてたような気がするけど、今大人になってみて、そのなんか嫌ですっていうことに対する否定ってないか。
あーそうなんだ、嫌なんだ、みたいな。でも困るな、みたいな感じになるから、そうですか、みたいな。何やかんや聞き分けよくやるところがあるから。それもなんか出してみたらいいと思う。
で、似たような感じかもしれないけど、そこでちゃんと自分の感情が理解できてるわけじゃないですか、外に出せってことは。嫌なことは嫌だって言えるってことはわかってるから、これ私のスタンス?私に合わないなって思ったものは全部やめちゃう。もう全部捨てます。
こういうのは無理、こういうのは嫌だ、こういうのは好きじゃない、みたいな感じで全部やめちゃう。なるべくね。やらなきゃいけないこともあるかもしれないけど、どうにかやめられないかなっていうのを頑張ります。
自己否定と流れに身を任せる
でも案外なんとかなるもんだと思いますね。あとはね、欠乏を埋めようと無駄な努力はしない。これはね、自己否定と繋がってるか。これバーって書き出しちゃったからあれだけど。
そう、自己否定して自分はこれができないから何とかすれば埋めなくちゃみたいな。私に足りないこれを何とかどっかから持ってこなきゃみたいなのは頑張らない。
で、流れに逆らおうとしない。流れっていうのはなんか、なんだでしょうね。流れがまず見えてなかったけど、今までよく考えたら。なんかでもこれは結構その見える見えないあるかもしれないけど、なんとなくこうなってるなぁ、なんとなくこういうことなんだなぁみたいなのに逆らわない。
エゴはなんかこうああしたい、こうしたい、こうありたいみたいな外側の理想みたいなの持ってくるけど、そういうのは放置。なんか消すとか手放すとかでも放置。こうなりたいなって思ってるけど、でも流れは来てないな、なるほどみたいな感じで生還していく。
あの、洗うとエネルギー効率が悪い。そう、めっちゃ消耗しちゃうから、もうそこに無駄にあがかないというか、そっかーっていう感じで放置します。
前めっちゃいろいろ喋ったけど、まとめると結局自己一致だと思うんですよ、これら。喋ってみて思ったけど、自己一致だね。自分がなんか変な理想とか、変なかっこいい私みたいなのを追いかけずに、ありのままの自分をちゃんと見て、これが私かっていうところを諦める。で、受け入れる。許す。もう仕方ない。こういうとこは苦手だとか、こういうのは嫌いだとか、怒ってる人が怖いとかもそうだし、全部受け入れていって。
そう、それが結局自己一致だと思うんですよ。自己投稿とも言うかもね。で、やっていくと、結局エネルギー効率が良くなってきたわという話ですね。もともと私、別にこのエネルギーの効率を上げようと思ってたわけじゃなくて、自己一致したかったんですよ。
自分がなんかバラバラしてる感じ、内部がすごいこう仲悪い感じがしたから、自分の内側が。これを仲良くさせたかったんですよ。それが何かになるはずだと思って、なんか自己探求の旅が始まってて、ずっとこう心理勉強してたり、なんか自分が何考えてるのか、なんでこうなってんのかが知りたくて、ずっと調べてて。
そしたらちょっとずつ揃ってきたんですね。バラバラになってた自分がちょっとずつ合い始めて、真ん中が揃ってきたときに、これが何か自己投稿、これが自己一致かみたいな、これが何か悪いってことなのかみたいな回数が上がってきて、結果的に振り返ると、あれ、何かエネルギーの効率良くなったなってことに気づいたって感じでした。
超長くなっちゃったけど、横に立つものがあるとめっちゃ嬉しいですが、ちょっとわかんないかも。なんかいろんなタイプがいるかなと思ってて、私が内静しまくるタイプだったから、特に頭の中うるさいタイプだと思うんですけど、そうじゃない人もいるよね、きっと。内静苦手で、内側じゃなくて外側ばっか見てるから自己一致できなくて、効率悪いなみたいな人も多分いると思うんですけど、それについてはぜひレターやコメントで教えていただけると考えます。
こういう人はこうした方がいいかもしれませんねみたいな。どうすかっていう問いにして返したいと思うので、よかったら何かしらお声掛けいただけると嬉しいです。
ちょっと長くなっちゃったけど、最後まで聞いてくださってありがとうございました。また他のエピソードでお会いできると嬉しいです。じゃあまたね。
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