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本当の私はアムラジオ。こんにちは、misaです。
今回は、以前どこかの放送でお話しした書籍の紹介をしていきたいと思います。
本の名前は、「あなたが生きづらいのは自己嫌悪のせいである。著者は安冨歩見先生。歩むでも良いそうです。」
東大の教授をされているということなんですけれども、この本結構古いのかな?あんまり新しそうな印象はないけど、
2016年に初版が発行されているそうです。全部こういう本ですよっていうダラダラというかね、
あの紹介というよりは、ちょっといくつかキーワード引っ張って、私的にはこういうふうに解釈したよって感じで紹介させてください。
一番大きなキーワードをどういうふうに話していくかというと、
まず、自己嫌悪って何じゃい?っていう話ですね。その流れで、自愛と自己愛っていう話が定義されている…話?単語が定義されていて、これが結構
はわわわーってなったから、それもちょっと披露はせてください。最後に、私たちの生きづらさ、自己嫌悪、どうしていけばいいの?っていうところが
振れられてるんですけど、ちょっと持論も交えてお話できたらいいかなって思います。まず、自己嫌悪とはってところなんですけど、
いろいろ説明されてるんですけど、いきなり私の会社から言うけど、なんかとにかくダメな自分のことでいいんじゃないかなって思う。
自己嫌悪って自分のこと嫌悪しているってことじゃないですか。劣等感だったり、こんな私はダメとか、こんな私はダメっていうのは要するに多分外部にもやってると思います。
こういう人間はダメだ、みたいな、あなたの中にあるジャッジしまくっている事、それって自分にもやってることだから、
でも自分では知りたくないんですよね。自己嫌悪していることに気づかずに、外側の他人に対して多分ジャッジしてるんですけど、これ感覚的に
ああ、だよねってなる人もいれば、ん?ってなるかもしれませんね。なんだろう、超簡単に言うと、私はね、あれだなぁ、
人の話を聞かない人、なんか被せちゃったりとか、スピーカーがこの人ってわかりきってるのに、なんかその話聞かずに自分の話被せたりとかする人見ると、
すごい嫌だなぁ、みたいな、あれは良くない行為だなぁって思うんですよ。そんな、んーっていうよりも、いらんみたいな感じになるんですけど、これってこの人がお話上手に聞けてないことを判断しているわけですけど、ジャッジしてるわけですけど、
この話聞いたら、いやそりゃそうでしょってなるかもなんですけど、これって私のルールなんですよね、ただの。そう、ただの私のルール。これを全然気にしない人もいると思うんですよ。
聞いてた中には、いやそういう人もいるんじゃない?みたいな。なんなら私がそうだなぁっていう人もいるかもしれませんね。なんですけど、私は自分に対してこれはダメだって強力なルールを課してるんですよ。
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で、そのお話ちゃんと自分が聞けてない自分を強力に嫌っている、自己嫌悪してるんですよね。で、劣等感を持っている。どうせなら、私は多分上手にお話聞けないからです。
圧倒的にずっと一方的にこんだけ喋れるんだから、人の話聞くのなんかすっごい頑張らないとできないんですよね。だけど、それはなんか幼少期の体験か知りませんけど、このままじゃダメだってことが分かって、ちゃんと人の話聞けるようにならなきゃって言って、
自分のその欠乏感、できてない弱さ、劣等感をなんとか隠してるんですよね。他人からも自分からも隠して。でもそれを他人に見た時にイラッとするわけですね。
これね、全然簡単なんだよな。一番この他人見てイラッとすると自分の欠乏に気づける。この安冨先生の言葉で言うと自己嫌悪ですね。に気づける良いフックだと思います。
これについては言及されてなかったかもしんないけど、私はもうなんかこれだけでいいんじゃないって思ってて、ラジオでも話してる気がします。
安冨先生曰く、3歳ぐらいまでの発達段階で受けた心の傷がこの自己嫌悪の原因になると。
3歳ぐらいまでに受ける心の傷は大体親が作ってくると。ここら辺も私もそうだと思っていますね。
同等に語るのはちょっとおこがましいんですけど、分かる分かるってなったそのテンションってことね。
親が感情と心が一致しないコミュニケーションを子どもに対して取ると、この心の傷を受けるみたいです。
安冨先生の場合は、愛してないのに愛しているふりをして子育てをされてきたというふうに書かれてました。
それによって自己嫌悪をしていく。自分のことが嫌いになっていっちゃう。
親が感情の否定をしてくるっていうのも一つ大きな原因だそうです。
これもめっちゃ分かるんですけど、安冨先生がおかけになってたのは、子どもがおやつ買ってって言ったら、親は我慢しなさいって。
そのおやつ買ってほしい気持ちを押し込めなさいっていう指示をする。
で、その子が我慢できたら偉いねって褒める。
感情を抑圧することに対して良いフィードバックをしていくと、その子は感情を抑圧されていくわけですね。そのまま。
で、成長していくってなると、自分の感情とか自分の感覚に対して嫌悪感を抱いていくようになるみたいですね。
これも結構同じような体験があったから、めっちゃわかるなと思って。
この自己嫌悪っていう言葉が生きづらさの超根本ですよっていうのは、
私は自己嫌悪っていう単語じゃなくて、自分の欠乏とか弱さみたいな単語で呼んでただけで、
めっちゃ同じこと言ってるなって思って、ああ、わかります。そうですか。そうですよねってなって。
で、安住先生の何でしょうね、いいなって思ったところは、本当にご自身の体験を書いてくださってて、
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そこは別に共感はできないけど、先生大変だったんだなぁみたいな、なんかわかんないけど私は結構癒しになりました。
自分と同じじゃないけど、こんな東大の教授になるようなすごい立派な方でものすごい努力されてきたそうなんですけど、
その素晴らしい方も同じような心の傷を抱えているんだって、なんかちょっと癒されるというか、
自分も癒されるところがありましたね。文章も非常にわかりやすいのでとってもおすすめです。
一気に読めますね。本当に一瞬で読めます。
あとね、そう、ここ大丈夫ですかね。
欠乏、あ、あと私はなんか、そう、あ、ちょっと語るの忘れて始めてしまったけど、ジェダイマスターを目指してるんですけどね。
ジェダイマスターっていうのは、自分の中の陰陽のバランスが整っていること。
その整ったエネルギーで社会に、なんていうかな、ちゃんと居場所を作れている人たちと定義してるんですけど、
この自己嫌悪っていうのは、自分の陰と陽でいうところの陰の自分だと思うんですよ。
隠したい自分、隠している自分のことだと思いますね。
こんな私はダメだ、みたいなやつですね。
っていうところからも、この陰陽バランスが整うと超いいんじゃねって思っているところからも、
この本のタイトル、あなたが生きづらいのは自己嫌悪のせいであるっていうのも、
その陰の自分をうまく扱えてないとめっちゃ生きづらいよねってところで、あ、しっくりくるわーっていうところでした。
あと、ちょっと話が戻っちゃう。この本的には話戻っちゃうんですけど、
初めの方に憧れっていうのは欠乏を相手に求める代償行為ですよっていうふうに書かれてて、
これはもう、これはね、知ってた。知ってた。
なんか理想の人、どんな人と付き合いたいですかって相手に聞いたときに語られる、
で、なんかね、でも私なんかはそんなこと聞かれても基本的に自分の話にあんまり価値がないと思ってたので、
なんかさらっと、誠実な人ですかね、みたいなツッコミにくい対応してたんですけど、感じ悪いんですけど、
なんかここしっかり答えてくれる人を聞いてると、それはその人の欠乏なんですよね、たぶん。
具体的に言いますと、なんかイケメンで収入があって、その社会的な地位があって、
っていう外側ばっかり求めてる人はそこに自信がない。その人はきっと自信がないし、
なんだろうなぁ、尊敬できる人とか、これもそうですね、自信がないんでしょうね、簡単に言っちゃうと。
とか、何を語るかによって、それはその人が理想の自分が持っていてほしいと思っているものなので、今持ってないもの。
説明めっちゃ下手ですね、伝わりますか。
ちょっとまた今の外側、駄目だな。なんか私だと、なんて言ってたかなぁ、
客観的な人?とか言ってたかもしれないね。あんまり、自分がもともと多分感情にめっちゃめちゃ振り回されてきて、
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もう客観視してなんとか人生やりくりするしかなくて、感情に没頭せずにちょっと状況を引き出みて、
何が起きてるんだろうっていうのが私の生存戦略だったんですけど、それプラスすごく自立しなきゃっていう思いに駆られていることもあって、
超主観的に超人生に没頭してありのままで生きているっていうのは私の中で幼いと思ってたので、
引き出みて自立的である人がいいと思ってたんですよ。それは周りから見るとすごい自立してそうな雰囲気で客観的そうな雰囲気だったかもしれないけど、
自分ではすっごいそこにコンプレックスを持ってるわけですよね。欠乏感を抱いていた。
というところから、その人の妙に具体的に、妙にっていうかまぁ大体の憧れでいいと思うけど、
その人が持っている憧れっていうのは自分の欠乏を埋めようとしている。相手に求めているっていう行為ですよっていうのが、
これ結構なんか初めの1ページぐらい、あ、違う。そうですね。いろいろ書いてあったか。
だったけど、あーなんか、前から思ってたから、あー知ってるなーって思って、面白いと思ってさーって流したところでした。
もしかしたらびっくりする人もいるかもしれませんのでご紹介しておきます。
あーでも時間がなくなってきた。あとね、その次に自愛と自己愛について話されてたんですけどね。
自愛と自己愛ってなんか言葉がそっくりだから、だからその自己の子があるかないかだけだから、
ん?ってなんだなんだってなったんですけど、これもこの靖海先生が定義されている言葉なんですけど、
自己愛っていうのは、自己嫌悪の裏返しから来ていて、自己嫌悪に苦しむ人がこう、
自分のいいところを懸命に見つけて、急に自信満々になることなんだって、要するにナルシティズムですね。
でなんか私の言葉で言わせると、その欠乏感をラップして、外側をどんどん鍛えていって、だからエゴをどんどんどんどん鍛えていって、
社会的地位だったり、なんだろう、できることをどんどん増やして、そのできること、その社会的地位、その客観的なステータス、自分のステータスなんかを、
に自信を持っちゃう状況のことかなって思いました。でもってこれやん私ってなってうながれました。
これだみたいな。一方で自愛っていうのは、本当にありのまま、その自分の欠乏も自己嫌悪をせずに、
ありのままで生きていられる状態です。なんか陰陽のバランスがいいっていうのはこっちのことだったんだと思いますね。
これになんか、かなり詳しくそしてわかりやすく書かれてるんで、やば私これじゃんってなってめちゃめちゃ頭打ったんですよ。
ショックみたいな。私自分のこと結構好きだと思ってたけど、自己愛だったの?みたいな。自愛じゃなかったんだ。でも読めば読むほど自愛じゃないわって思ったから。
あ、そうだったんだ。自分の欠乏を見たくなくて、その隠してきた、作ってきた鎧を、私は結構頑張ってる。私は結構生きてるって思ってたんだ。
めっちゃダサいと思って、あー恥ずかしいってなりましたね。もしかしたらはーってなる人もいるかもしれません。
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で、後半なんか、じゃあわかったと。自己愛で超生きてきちゃったってことはわかったし、自己嫌悪しまくってるってこともよくわかった私は、
自愛で生きるってどうやんの?とか、で結局どうしたらいいの?ってことが知りたかったんですけど、実はそこなんかね、ふわっとしてるんですよね。
なんかいろいろ書いてくださってるんですけど、でも結構基本的にヤストミ先生のその体験から来てるっていうところもあって、あんまりそのそんなに過酷な状況で生きてきたわけじゃないから私の先生に比べて。
だからそんなになんか参考にならないかもなーっていうのと、ちょっと足りないかもって思ったので、なんか私的な解釈ですけど、まあよく言ってる。
要するに、その自愛で生きられてないっていうのは、なんか自分の根本的なところの欲求、さっきの感情の抑圧とかもありますけど、から自愛で生きられなくなってっちゃうから、やっぱその自分の感情を大事にして生きていくことなんじゃないかなと思うんですよね。
で、そのためには、今やってるやりたくないことをやめていくこと。で、やりたいことをしていくこと。そこにフルコミットしていくことがもうシンプルな解決策なんじゃないかなって思いました。
で、陰陽のバランスを整えるっていうのも、要するにそういうことなんですけど。
えー、何でしょうね。
えっとね。
何言うとしたんだっけ。
弱い自分も別に押し込めずに、できないことは、そうできないままでいいんですよね。私の欠乏は欠乏のままなんですね。
えーっと、客観的で冷静で大人になりたいって私は思ってるけど、なれない。なれないのよ。なれない。
もうそんな感情的で、エモーショナルで、全然主観的で、客観視して、人生引きで見ないとやってられないぐらい、しっちゃかめっちゃかしてる人生も、もうそのままなんですよね、別に。
もうそういうもんかって諦めることなんですよね、きっと。
そこを、そんなことないしみたいな、私は客観的だし、めっちゃ大人だし、自立してるしとかやってると、その陰陽のバランスが要によっちゃって、うまくない。
でも周りから見るとめっちゃ痛々しい人というか、自己愛の人だから痛々しいんですよね。
私自信ありますとか言ってるけど、ほんまかいなみたいな感じになると、周りにはバレちゃうんだよな、こういうの。
陰陽のバランスが取れてる人っていうのは、自分のなんか弱みを晒すことに全然躊躇しないから、なんか突っ込みやすいし話しやすいんですよね。
なんか自己愛の人たちっていうのは、なんかコンプレックスを隠してるけどチラチラそれ見えてるから、だからどこにジラあるかわかんなくて、なんか結構怖いんですよね、話しかけるの。
なんかどこに反応してくるかわかんないから、結構探り探り喋って、なんかこれが好きなのかなみたいな言葉を探り探りぶち込んでいくというか、
レスポンスしていかなきゃいけない、非常に疲れる人材だなって思ったけど、私もどうやらそれだったようでした。
で、どうしたらいいのってところなんですけど、結論に書かれてたのは衝撃だったんですけど、
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その自己嫌悪からは脱出しないと、でも自己嫌悪に依存しない行動をとって、能力を伸ばして他人との関係を増やしましょうっていう、結構フワーっとしてません?なんですけど、
要するにその自分の弱さっていうのをなくそうとはしない、その自分が自分のことをこういうとこ超嫌い、超弱い、自分には全然できてないっていう、
その感覚すらもそのまんま持って、たぶん連れていくって感じなんだと思いました。
で、その自分の足りなさを誰かから供給しよう、もらおうみたいな、奪おうみたいなのをやめていきましょう、それが自愛で生きるってことでしたよっていう感じの結論だと私は認識いたしました。
ちょっとあの、私の感想文です。
なので、合ってるか分かりませんし、私なりにはこう解釈したよっていう勝手に結構持論展開して、半分くらい私の話をしましたけど、
よかったら読んでみてほしい。なんかこれがちょっとえ?ってなった人たちは絶対刺さると思うから絶対読んでほしい。
私は結構この陰陽のバランスが取れる人になりたい、そうジェダイマスターになりたいなぁとか言ってて、なんか変なんか変ってなってこの欠乏、
一番の私のでかい穴は自分に価値がないっていうことを自分に隠してたことだったんですけど、これを掘り当てためちゃくちゃでかいトリガーになってましたね、この本。
なんで手に持ってたのかわかんないけど、もう返そうかなと思って図書館持って行った時に、なんとなーくパラパラッとめくり出したら、ちょっと待って今必要な言葉これじゃんみたいな感じになって、
本当に一瞬で読んで、ちょっと延長させてくださいって持って帰って、今さっと読んでまとめました。
なんかはーってなる人とか興味持って読んでくださる方がいらっしゃれば嬉しいです。概要欄にリンクを貼っておきます。
ぜひ読んでください。
感想とかどんな風に思ったか、ぜひ聞いてみたいのでコメントでも書いてくれるとめっちゃ喜びます。エターもお待ちしております。
じゃあ最後までお聞きくださってありがとうございました。バイバーイ。