1. 私と私のひとりごと。
  2. 自己開示したいのに、したくな..
2025-05-07 26:11

自己開示したいのに、したくない理由。願い?恐れ?#89

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自己開示への興味

自己の情報を守る意識

願いと恐れの関係

他人との関係性

他者との距離感


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#願い #自己開示 #人との距離感 #恐れ #恐怖 #コミュニケーション
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サマリー

自己開示への意欲と恐れについて考察が行われ、コミュニケーションにおける不安や心理的障壁が浮き彫りになります。特に、ゲーム内での交流においても自己開示を避ける傾向が見受けられます。このエピソードでは、自己開示の欲求とそれを阻む恐れが探求されます。特に、他人の価値観や背景を理解したいという願いと、誤解されることへの恐れがどのように関連しているかについて語られます。自己開示の難しさをテーマにしたエピソードでは、他者との距離感や自分のスタンスを考察し、自分の気持ちを理解する重要性が語られています。自己開示したいという願いと、その背後にある恐れが交錯する中で、自分らしさを見つける過程が描かれています。

自己開示への興味
自分の本音の見つけ方。こんにちは、misaです。今回は、自己開示したくない理由は、願いなのか、恐れなのか、みたいな話をしていきたいと思います。
このラジオは、自分と仲良くなると人生は楽に楽しくなっていこうコンセプトに、自己一致する方や気づき、その方法をお話ししております。よろしくお付き合いください。
本日は2月の17日月曜日でございます。
でね、自己開示したくない人ってね、なんか一点数いる気がするんですよ。ただ、あんま気づかれてないんじゃないかなって気がする。
私も、私は多分そうだし、なんか様子を見てると、私は特にこう、みんなが何考えてるのか、何を大事にして、何に怒り、何に悲しむのかすっごい興味あるから、よーく見てるけど、
それにしても、そんなめっちゃいるわけじゃないが、
あ、どうだろうな。
いや、めっちゃいるわけではないことはないかも。割といるか。
ただね、なんか聞いたら、そこに光を当てたらすごい喜んで喋ってくれる人もいれば、光を当てても嫌がる人もいるなって思ってて、
どっちかと言うと嫌がるタイプの人の話をしたいかなって思ってます。
なんか見分け方はね、見分け方っていうか、なんか私が、あ、この人はあんまり話したくないんだなって思うのは、
なんか具体的な話をどんどん聞いてたときに、なんかちょっと、うって、うってなる。
全然具体的な話じゃない。
なんだろう、なんだろうな。え、いますよね。これで伝わるのかな。
なんか明らかんと、昨日こんなことして、こんなテレビ見て、とか、なんか自分のなんか住んでる場所とか、年齢とか、なんか関心事とか、なんかパートナーの話とか、
全部あけっぺろげに喋る人。今なんか私、仕事仲間でイメージしてますけど、もいれば、なんか結婚してんだかしてねんだか、いくつなんだか、なんかあんま何者なのかよくわかんない人。
でもその人がなんか人懐っこいときもあれば、別にあんまりその人と関わるの好きじゃないのかなとか、いろいろあると思うけど、
その人懐っこさとは関係なく、自分の中の情報を出さないタイプの人って一定数いると思うんだよな。私は明確に喋んないんですよね。
で、これが、なんかね、変だなーってずっと思ってて、きっかけは、最近さ、私マジで、なんか、本当に、やらなきゃみたいなことを全部手放して、マジでぼーっと日々起きてるから、
なんか人生で初めてぐらい、なんかスマホゲームにハマってるんですよ。ハマってるっていうか、なんかもう、ここになんか、なんていうんだろう、勝手に目標定めちゃってるから、コツコツ積み上げてるんだけど、ゲームの世界でさ。
その中で、私はそのゲーム内のメンバー、なんて言うんだろう、ゲーム生かなんて呼ぶんだろう、プレイヤーと結構コミュニケーションめちゃめちゃ取るんだけど、でもこの人たちに自己開示は全くしたくないなってことに気づいたのね。
で、こう、ゲーム内でめちゃめちゃ会話する人たちが一部いて、全然会話せず、なんかもう本当にプレイに集中している感じの人たちもいる中で、なんかディスコードやろうみたいな、ディスコード伝わりますね、なんかコミュニケーションツールですかね。私はなんかスラックみたいなテンションだなって思ってるんですけど、スラックの方が伝わるか、まあいいか、その辺はどうでもいいか、とにかくコミュニケーションツールね。
ゲーム以外でコミュニケーションを取ろう、そこで繋がろうぜ、みたいなムーブがあったんですよ。そこですげえやだなって思ったのね。そこでなんかこう、ん?って思って引っかかってきたんですよ。昔からそうだけど、なんかね、これ以上距離詰めてほしくないみたいなラインめっちゃ自分の中であるんですよね。
グイグイ来る人ね、すっごいやだな、なんか失礼な人だなって思ってるのね。なんかその自己介入したくないっていう具体的な、なんだろう、私のエピソードは、まずSNSしないんですよ。発信活動してるからアカウントなんかまとめてるけど、本名は出さないし、仕事とか家族構成とか、離婚してます?とか共同領域してます?ってすごい表面的なラベルは、
まあ喋るんだけど、これもなんか初めから喋ってたわけじゃなくて、なんか話の流れでなんでこの話をしてるのかっていうと、私のこういう面があってねっていう、なんか理由が必要で、そこで何回かこう通る道だから、もうじゃあ書いとくか、みたいな感じで結構まあ言ってますけど。
基本的になんかこう言わないのよ、言わないし、でSNSもその実名では昔からやったことない。もうそのリテラシーがめちゃめちゃ低い時代からもうやらない、やったことない。もうステア化で基本やってるみたいな。
それもなんか、でもなんかこう仕事しだして、なんかこう会社のサイトとかインタビュー受けちゃったりとかして、写真と実名が公開されつつあるシーンが何度かあったね。もう私にとってはこれ危機だったんですよ。でも本当に嫌なのそれ。
写真が欲しいんだったら名前は出さないで欲しいって言って、あの名前を出すんだったら写真をNGにさせてくれみたいな。どうしてもダメな時はもう名前が本名の漢字を変えて、なんか読み、そう変えてなかなかヒットしないようにするとか。
結婚した時制御が変わってるから、その旧姓は一切出さずに活動してて、とにかくマッピングされないようにありとあらゆる手段を講じてるんですよ。私はセキュリティ意識が高いなって思ってたんだけど、なんかそうじゃなくて、なんか世界に認識されたくないんですよ。なんかなんだかすごく。
特に一番キモいのが、これね、小学校ぐらいからなんですけど、なんだろう、なんかね、友達、例えば私の友達Aちゃんがいたとして、Bちゃんがいたとするじゃないですか。で、このAちゃんになんか私が話したとするじゃない、なんでもない話でいいんですけど、昨日どこどこ行ったみたいな話でもいいんですけど、で、Aちゃんにだけこの話をしたと。
で、Aちゃんが私のいないところでBちゃんに、ミサはこの間どこどこ行ったんだってって話したりする。これよくあるじゃない、小学校とかも。てか日常的にあるじゃない。親戚のおばさんとかも全部これじゃない。てかそれを、もうそれね、私ダメなんですよ。許せないんですよ。でもってBちゃんがそれを私に言ってきたりするのね。特に小学校時代とかだと。
なんかミサ、あのー、どこどこ行ったらしいじゃん、昨日。こうなったら私はもうAちゃんはBちゃんも嫌いになっちゃうの。本当に。勝手にその私の情報を私の許可のないところで公開されてるっていうのが許せないんですね。これはマジで昔からだからもう私はこういう人と思って諦めてたけど、なんか、なんでここに異常に怒りがあるのか、あんまりね、分かんなかったんだよな。
でもこれ結構あるのよ。なんか、その親戚のおばさんとか言ったけど、親戚付き合いってなんか、こんな感じじゃない。なんか親が、なんだろう、なんだっけな、私のなんか、あーなんか忘れちゃった、なんかめちゃめちゃ怒ってたけど、あ、結婚の話かな、結婚式をするけど、なんか箱の大きさがすげー微妙で、なんか親戚全部呼べるか呼べないか微妙だなーみたいな、なんかふわっとしてたんですよ。
でも親には、なんか当然連携していたんだけど、なんか知んないけど、母親がなんか勢い余って、あの人もなんか考えなしだから、それ全部ペロっちゃって、なんかみんな親族が行くみたいなテンションになっちゃってるっていうのを後から聞いてたけど、そしたら怒りくよったね。なんか、なんでその、あんたの結婚式じゃないのに、権限ないのに、なんでそんなことしてんのみたいな。
これあんま伝わんないのかなー。伝わんないかもしんないけど、なんかその噂話とかもね、むちゃくちゃ嫌いで、なんか元旦那の、もっと続くけど、元旦那の、なんか、私にとっては元シュート目とかとなんかくっついて、なんか親族の挨拶周りとかなんか行ったりとかしたときに、私は会ったことがない人の噂話をそこでしてたりするのがもう許せなくて、
私はだってその人お会いしたことないから、なのに、なんかここで勝手にすごいネガティブな話を噂話を聞いちゃったら、私の中に先入観が入ってくるじゃないですか。全くもって不要な情報じゃない。私とその人、まぁ結局会うことはなかったんだけれども、会って、もしなんかめっちゃ仲良くなれたかもしんないのに、それをすごい邪魔されてるし、なんかもう許せないな、こういうの。
もう全員嫌いになっちゃうの、その場の人が。もう無理って。関わりたくないし、もうこういう人には絶対自分の情報渡したくないなって思うんですよね。とか、なんかとかとかとかいっぱいあんのね、これの。
なんかそのコミュニティに属してたとしても、その会社でも、なんか私人懐っこいんだけど、本当になんか誰とでも挨拶して、無駄に喋ったりするんだけど、なんかそこでこう自分の話をしてるかっていうと、全く実はしてなくて、人の話引き出してるんですよね、基本的に。
みんなも、なんか何とかなんですかって私が聞いちゃったら答えるじゃないですか。で、私がどんどんそこ引き出していくから、すごい喋ってくれて、楽しい場になるんだけど、結局あれ、ミサさんってどういう人だったんだろうって多分なってんじゃないかなって気がすごいするんですね。
で、まぁ、あんまりなんかでも聞いてほしくないのかなーみたいなのがバレてるのか、そんなかずけずけしてくる人いないけど、いやたまにいるけどね、なんか踏み込んでくるなーみたいな人。それも別に、いやどうでしょうねーとか言って、ははははとか言って、なんか適当な返しでなんかごまかしていくんですけど。
その辺が、なんか今回このゲームの、ゲーム内のコミュニティー、なんていうの、ディスコードやろうぜーみたいなムーブから、ちょっとこれ何なんだろうってふと思ったのよ。で、なんかさっきも言ったけど、ちょっと話下手すぎるけど、なんか、あのー、ゲームガチ勢はコミュニケーション取らない。
だから当然ディスコードなんか入ってくるわけがないし、誰も誘わない。だって、なんか違うじゃんと。でも私コミュニケーション取るんですよ。仲良くやってんのよ。雑談もそれなりにするんだけど、でもプライベートの話は絶対参加したくないし、あの聞きたくもない。本当のこと言うと。話してもほしくない。ゲームの話だけしたいんですよね。攻略したいわけだから。
だから、情報交換はしたいけど、ゲームの話自体は楽しいけど、別にその人たちが、なんか何の仕事してるとか年齢がいくつとか性別とかすごいどうでもよくて、なんか、もし言うなら小魅力あるかないか、空気埋めるかどうかぐらいは見てたらわかるし、それぐらいで十分というか。でもこの感じなんだろうって思ってて、なんか中途半端だな私の立ち位置って思ったのね。
自己の情報を守る意識
ディスコードすごい誘う、絶対100誘われるだろうなと思って。絶対に参加しないってことは決めてるんですけど、なんかそのみんなで、なんか何でしょう、ディスコードやろうぜウェイみたいな空気はなんか崩したくないんですよ、絶対に。
それは彼らの楽しみ方でめっちゃ尊重したいんですよね。でも私が別にやりたくないっていうのも絶対100%尊重したいので、この辺が何なんだろうなって思って、やっと話の本題なんですけど、この辺からちょっと潜り始めてみたんですよね。
で、結論は、なんか私のそのコアな願いがありましてですね、これはそうコアな願いだね、はその個人個人、一人一人の背景とか価値観とか感情とか、その人の固有のものにめっちゃ光を当てたいって思ってるんですよ。
その集団だからとか関係なく、集団であっても一対一であっても、なんかあなたはどう思ってんのっていうのが、なんでそう思うのっていうのがすっごい大事なのね。たとえその人がなんかおじさんでも小学生でも関係ないし、本当社長でも他の人がバイトの人、
未定員とかでも全然関係なくて、そんなことどうでもいいっていうか、むしろノイズで、なんかどんな価値観をお持ちで、何に苦しみがあって、どんな願いを持ってるのっていうのが、なんかすっごい大事なんですよ。それを大事にしたいのよ、もう大事にしたいの。
だからそれがなんかこう潰されてると許せないし、私も当然大事にされたいっていうのがすごい強力にあるんですね。私の戦いは基本ここにあるんですよ。なんかなのでね、あ、ここに走ってんのねってちょっと思ってるのよ。なんかその、はいってなってると思うんですけど、なんかSNSとかもそうだし、
なんだろうな、なんか中途半端な自己開示って誤解を生むと思ってるんですよね。それが私にとっては絶望なんですよね。あの、何でしょう、切り取られた、特にさっき冒頭から言ってるけど、基本他人って相手に興味がないから、なんか簡単な情報でまとめたくなると思うんですよ。理解した気になりたくない。めんどくさいじゃないですか。
いちいち、なんだろう、いくつで、どこに住んでて、家族構成はこうで、こんな仕事をしてて、ってなんか見た目のなんか雰囲気があれば、大体こんな人かなって思ってカテゴライズして、なんか納得したくなるじゃない。そんなもんだと思うんですよ。
でも私はこれされるのが絶望なんだよ。だから、もうその勝手に私を捏造されるぐらいであれば、もう私は存在しない方がいいんですよ、その人の中に。って思って、多分なんか自己開示しないんだな、もう徹底して自己開示しない。
するとしたら、本当にパートナーとか、なんだろう、子供たちとか、親にすらもなんか自己開示しないもんね、私。誤解されるっていうか、興味がない、取りに来ない人って、分かり合えないと思ってて、なんかコミュニケーションってそうじゃない、相互性だと思うから、なんだろう、もう一つの会話に一つ取ったとしても、
なんか、あーなるほどね、そういうことかって勝手になんか納得、納得って言うかな、なんかそうなんだね、はいはい、分かった分かったって言うのって簡単だし、割とこういうスタイルの方が多い、なぜならそのコストが低いからですよね、って思うんだけど、でも私それだと困るわけですよ、その全然困るわけ。
なんか、あなたの相手のそのコアも知りたいから、私はグイグイ相手に対してすごい能動的に関わっていくし、めちゃくちゃ情報を取りに行くんだけど、今のこう発言ってこういう意図で合ってるとかいう確認めちゃめちゃ取りに行くし、なんか一つの単語って私の思ってる一単語と相手の話してる一単語ってずれてる可能性が常にあると思ってるから、
なんかいろんなその一つの単語で適当に何だろう、予想せずにいろんな言葉を使ってこの単語ってこういう意味で合ってるってそのブレとか修正したりするんですよ、めちゃくちゃこだわってんの、ここに。
でも相手はそうじゃないんですよ、今日。そんなことやってる奴は私以外見たことないから、そんな興味ないんだろうなって分かってて、でもこれをする気がない人に自己解示することは私にとってはもうマジで絶望だから、本当に辛いことだから、だったら存在しない方がいいやって思って、誤解されても全然辛くない、すごい表面的な情報だけ解示っていうか渡してる風にして、自分と切り離した相手の中のミサさんみたいなのを作って、
それもあんまり存在感がない状態にしておくんですよね。めちゃめちゃキャラ濃いんですけど、なんかうるさい人だな、明るい人だな、ぐらいで終わらせておいて、自分の今の願いの話とかも言わないし、それもいいか悪いかちょっと分かんないけど言わないのね、誤解されたら敵わんので。
願いと恐れの関係
っていう、願い起点でもあり、多分恐れ起点だったんだなっていうことに今回気づいたよって話なんですよ。結構長くなっちゃってるけど、昔は多分すごい恐れてたんですよね。自分がその勝手な私を作られていくこと、勝手にラベリング、
ラベリング、理解されたよう、理解したような気になられることが絶望だったんですよね。そう、すっごい嫌だった。だからそう自己開示しないし、自分の話はしない。だったら相手の話聞いている方がなんか避けられるんですよね。ずっと相手にインタビューしてると、インタビュアーの話ってそんな切り返して聞いてくる人、マジでね100人に1人ぐらいなんだよな。
たまにいるけどちょっと、本当にちょっと似たようなタイプの人とか、切り返して、え、どうなの?とか言って、うまいこと会話の流れをこっちに載せてくる人たまにいるけど、基本的にいないから、もう全然インタビュアーに徹してる感じがありましたね。
最近は、なんかその恐れっていうよりも、なんか断固許さないみたいな、なんかその私の世界の法律になってきてるんだなっていうことに気づいて、まあこれ良いとか悪いとかの話じゃなくて、なんか願いでもあり恐れでもあり、これって同じなんですよね結局スタートは。
なんか願いを起点にすると、私のコアを理解する気がある人にだけ理解してほしいっていう願いになるし、恐れになると私を誤解する人がいるんだったら自己開示したくないみたいな、でも同じこと言ってるんですよ。でも私がどっちに軸足を置いてるかによって、なんだろうな、心の平穏が変わるのかな?
えーとね、私の行動自体は変わらない。SNSは多分障害しないし、ちゃんとまともにしないし、多分障害写真と本名出さないんですけど、っていう行動は全く変わらないけど、なんかなんか嫌だな絶対嫌だっていうちょっとなんか嫌な感じの断り方?
嫌な感じの避け方から、なんかポリシーみたいになって、「あ、それはしません。」ってパサッと言えて、さっぱり言えて、周りも、「あ、そうなんだ、そういう人なんだ。」みたいな感じに多分映るんだと思う。これなんかね、めっちゃめちゃ多い気がする。ここ最近特にこの呪い外しまくっていって、なんか呪いっていうのがこの恐れから、恐れのことなんですけど、
えっとね、ちょっと違うくて、いや違くはないんだけど、もうちょっとコアに掘っていくと、その価値観ってところになって、その価値観ってのはおそらく、おそらくっていうか願いなんですけど、その願いをポジティブに表現っていうか、前向きにこの願いがきっと叶う世界線があるっていう前提で生きているのか、
この願いは叶わない、脅かされているっていう、なんか、欠乏を前提とした世界線で生きていると、このなんか恐れ起点になっていくと思うんだよな、抽象的ですけどね。伝わる?伝わるかな、これ。何が話したいとかではないんですけど。
なんかでもこう、なんかね、ずっとこのなんかこう、自己開示したくないことに対して、私、罪悪感があったのよ、すっごい。あ、そう、この話すればよかったね。罪悪感がね、あったのよ。なんか嘘ついてる感じというか、あったあった。なんか、みんなそんな風に見えなかったから、だって私が聞けばみんな喜んで答えてくれるし、自分はこう思ってるっていう話してくれて、何だろう、家族の話とかよくね、友達から聞いたりするんだよな。
まあ面白いから、特に家族の話ってなんか結構その人のなんかコアに近いところだから、私は結構聞くの面白いから、なんかお母さんがどうな性格だとか、お母さんがなんかあちゃちゃなことしているとか、お父さんがどんな仕事してて、なんかどういう関わり方で、兄弟間のなんか関係とか、兄弟の名前とか、もう分かってるぐらいよくよく聞いてるけど、でも相手は私の家族交差全く知らないとか、妹がいるぐらいは分かるけど、
なんかそのどんなパーソナリティーで、とかはなんかザクッとした理解でしかないというか、でもそこに向こうは別に違和感は持っていない、みたいなことに対して、なんかなんだろうな、情報量が違うから、なんかそう、罪悪感なんだよな、なんか罪の意識みたいなのがあって、でも自己開示はできないのは絶望だから。
興味のない人に、その興味があって聞いてる私と同じぐらいの情報量を渡すことは、なんか絶望だし、別にだって望まれてないわけだしね、誰も望んでないと思うから、聞かれたら答えるけど聞かれない限り答えないってスタンスなんですけど。
なのにね、なんかそこにこう罪悪感があって、なんか気持ち悪いけどこれなんだろうって掘り返したところ、なんかこう願い起きてにはしてるんだけど、それから始めてたから気持ち悪い、なんか罪悪感とかに繋がってたんだなーっていうのに気づいて、だから何が変わるってことは全くないんだけど、なんかその罪悪感が消えましたね。
他人との関係性
バッて線を引くこと。私はここまでは、なんだろう、仲良くやるけど、これは許しませんっていうのをバーって明確に引いていくことに、なんか罪悪感がなくなったね。なんかこれまたさ、ちょっとチョンパなのが、なんかさっきもディスコードしたいっていう皆さんの空気を壊したくないっていうのって、なんか一見するとすごく他人軸だと思うんですよ。
でもずっとなんかここにも違和感あって、なんかみんながその個性をすごく大事、その人その人の考えをマジでめちゃめちゃ尊重したいから、私としては。なんかその彼らが楽しいも尊重したいし、もしかしたら私みたいに参加したくない人もいるかもしれないから、それも全く問題ない空間にしていたいという、なんか非常に難易度高いプレイをしてるんですけど、
そうなった時に、なんかすごい顔色伺う感じになるのね。え、どう思ってる?どう思ってる?どう思ってる?っていう感じで、自分がどうよりも相手はどうにフォーカスするから、これって結構他人軸な感じじゃないですか。
でも、自分軸なのかな?他人軸なのかな?みたいな、その言葉にちょっと縛られてた時に、割となんか苦しんだっていうか、どうなんだろう?なんかそうなのかな?みたいなのがあったんだけど、今振り返ると、
その他人の一人一人の感情を大事にしたい、それを、そういう空間を作っていたい、そこにいたいっていうのは私の願いだから、なんかあなたはどうですかって他人にめっちゃフォーカスするけど、これは他人軸じゃなくて自分軸なんだなって思って、なんか結構これもスッキリした罪悪感というか、なんだろうな苦しみが消えた一つの要因だった気がしますね。
そうなの?なんかそうなの?これはもうマジでずっとやってんのよね。なんか断る可能性が、断られる可能性があるし、それはなんか言いにくくなるじゃない?でも。言いにくくない?
なんかその、ディスコードやろう、やろうやろうって言ってる中で、え、だる?って思っている人がもしいたとしたら、この状態ってちょっとだるいじゃないですか。断りにくいし、なんだろう、空気壊したくないなぁもあるし、なんだろう、なんかごめんみたいな気持ちも私だったらあるのよね。
なんかだってみんなでやりたいわけだから彼らおそらく。そこに私もおそらく含まれてるって思ったら、そのみんなの願いを叶えてあげられないことに、あ、ごめんって思うのよ。めんどくさいなって思っちゃって。
なんた時に私の立ち回りとしては、なんかその、喜んでる人たちはいいけど、あ、発言量減ったなとか変な顔してるなってなったら、まあどっちでもいいと思うけどねとか、このなんか逃げ道作っといたりとか、なんかそういう動き立ち回りをしていくんですよね。
それがなんかこう、やらないともう気が済まないのよ。なんかそう嫌なの。なんか無理しているのも嫌だし、断ることも別になんかスムーズにできるようにしておきたいのよね。
だってそれも、なんか一緒にやりたいもやりたくないも全然尊重されるべきだし、何かしら理由があるわけだし。
なんかこのコミュニティにおける自分のスタンスとかって別に一貫して変わらなくて、ほんと小学校の時とかから変わんない。
みんなと仲良くするの好きだけど、でもめっちゃ一定の距離感を保つタイプというか、結構細かく調整していくタイプだなーっていうのは前からあって、ここはなんか特に罪悪感とかもなく、
疲れるから仕方ないみたいな、エネルギー量が少ないからかなーみたいな、今は思ってますけど。
この辺振り返った時に、なんか全部こういう理由だったんだなーっていうのがバシバシバシっと揃って、
だからなんだ、じゃあ私は私なんだ、これなんだ、このスタンスなんだ、この距離感なんだっていうのが結構スッキリしたという話です。
かといって、なんか行動が変わるからちょっと変わんない、ずっと一緒だと思う。
なんだけど、なんかそこに対する苦味と言いますか、なんかしてあげたいのにできない申し訳ないみたいなのはなくなって、
できるのはこのコマで、こういう理由でこれが嫌だ、こういう理由でこうしていたいみたいなのがなんかスッキリしたから、
ここに対するこう罪の意識、そう苦味はなくなったよっていう話でした。
他者との距離感
これ役に立つ?立たないかもしれないけど、自己解除私もしたくないんだよねって人がもしいて、そこにこう違和感があれば、
なんか私の場合はそう、自己解除はしたいんですよ、したい。でも興味がない人には絶対したくない。
興味がないっていうか、能動的に理解する気がない人というか、だって絶対違うんだから、言葉なんかではその分かり合えないじゃないって思ってて、
でもまた私は自分のことよく分かってないから、こんなこと。
なんか適切に決めつけたりとか勝手にカテゴライズしたり、そこを諦めるんじゃなくて、
なんか本当にこうフラットにありのままをちゃんと見てみたいなぐらいのテンションでいてくる人じゃない限り、
自己解除する気は全くないし、別にそれでいいかっていうところでしたね。もしかしたらあなたもそうかもしれませんね。
どうですか?どう思う?自己解除そもそも、なんだろう、見てくれてる時点でちょっと違和感あるというか、
そんなにあけっぴろげに自分のこと話せないタイプの方が多いかもしれませんね。
ご自身の戦癖はどこなのかとか、ここはやるけどここは絶対嫌とか、
なんでなんかここできないのかなとかもしあったら教えてほしいです。
ぜひコメントなどいただけると大変喜びます。
ちょっと長くなりまくりですけれども、最後まで聞いてくださった方がいらっしゃれば本当にありがとうございます。
よかったら他のエピソードでもお会いできると嬉しいです。
じゃあまたね。
26:11

コメント

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