怒られた体験
人生ついでにゆるっと覚醒してみちゃう?こんにちは、こんばんは。 霊性開花の専門家、リアルスピリチュアリスト橋本ゆみです。
この番組はビジネスや人生を変えていきたい方に向けて、エンタメでもファンタジーでもない リアルなスピリチュアルで人生を切り開いた
ゆるっと覚醒マインドをお届けします。 今回のテーマは
怒られてしまいました!橋本!ということで、 期待に答えるべきか否かのお話でございます。
夜、聞いてくださっている方は明日のメッセージ。 朝、聞いている方は今日のメッセージを最後、カードリーディングでお伝えします。
というわけでですね、 怒られちゃったんです。
怒られて笑うなって言われそうだけど。 何を怒られたかというと、
LINEが来たんですよね。 知り合いからLINEが来まして、どんな知り合いかというと
習い事のお知り合いでして、習い事は毎月あって、
もう何年もやってたんですけど、私は辞めたんですね、今年ね。
で、そのお知り合いの方は
すごい昔、何年前だろうなぁ、本当にね、 4年前とかかなぁ。
3、4年前ぐらいに初めましてでお会いしたんですよ。 で、その毎月、あのうちの講座とちょっと内容が似てるんじゃない。
構成として毎月受ける講座と、あと単発でね。
私であったら、瞑想会だったり、制限会、フォーアクショップだったり、 そういう単発開催のものと、あるような習い事で
その単発の時にお会いしたんですね。
そこでお話しして、仲良くなったというか、いろいろお話をして、 いろんな人がいるので、その中でもフィーリングがあったってことですね。
でも本当にね、何年か越しに、 4、5年前なのかなぁ。それで3、4年越しぐらいとかに、去年か。
また久々にお会いして、 あの時の、みたいな。それが2回目だったんですね。
その2回目の時、1回目の時もそうか、旅をするというか、 日常の場所でお会いしてて。
毎月私は習っているから、それについて聞かれたり、 いろいろお話盛り上がってたわけですね。
で、何かふとね、今度のこれこれ出ますか、みたいな感じで、 たまに連絡をいただいて、それが来たわけです。
もう辞めたんだよーって話をして、 単発のは出るつもりだけど、
何て書いたかなぁ。これは日程とかを聞かれたから、 さすがにもうね、言ってないので、日程わかりませんって話を送ったんですね。
そこから何で辞めたの?みたいな、 お問い合わせというかね、LINEでのやりとりなんですけどね。
辞めた理由っていうのが、伝えるのが複雑というかね、 一言でいろいろもういいかなぁと思ってみたいな、
正直な気持ちも、そんな感じなんですよ。 別にこれ、決定的なこれが嫌だとかなくて、
いろいろと思うところがあって、 辞めようかなってなったわけです。
でもこういう話はね、 その人にもお伝えはしたわけだけど、
やっぱりずっと何年もやってきているので、
情報としての知識がまず共通ではないのでね、 例えば私の講座に当てはめるのであれば、
チャネリングでこういう、こういう、これこれ、 こういうのはどうなんだろうって聞かれても、
基本的な学びの部分がない人に、何を伝えたらいいのかっていうのが、 期待されていることを答えるっていうのは先生でもないしね、
同じ学びや、先輩みたいな感じで答えることはできるわけですけど、
質問が非常に微妙だったと、
LINEとかだとやっぱり抽象度が高くなるので、 こちらとしてもね、抽象度がどうしても高い返事しかできないわけですね。
そうすると不満に思われたわけです、相手の方が。
もっと、何だろう、全体じゃなくて個人的な意見を聞きたかったとか、 そんな感じだったので、
個人的な意見が最初に書いたいろいろと、 もういいかなって思ったっていうのが個人的な感想なのでね、
それなんだよって話を送ったりして、 途中でね、なんか結構イライラしてる文章になってたので、
なんというかな、その、東映とね、 何か劣等感とか引け目とかあるんだろうなぁと思いながら、
そこを私にLINEで言われてもどうしようもできないところだよなぁと思って、 誠実に答えていこうと思ってね。
私なりの誠実っていうのは伝わらなかったっていう話ですね。 私の中でこれが誠実な対応と思っても、
受け取り側が自分が求めている回答の種類が来ないから、 結局やっぱり嫌なわけですよ。平行線なんでね。
それでね、最後すごく私なんかに言う筋がないのかなみたいな、 忘れちゃったけど、変化球というか、うがった感じというか、
あまり伝わってない。多分伝わらないから伝えようとするのも、 LINEなしなぁと思って。
どうやって誠実に答えたらいいだろうと思いながら、うーんと思って。
それでね、最後それがあなたの意見が聞きたかったみたいな感じだったから、 最後こう先に書いたこれが意見なんだよねみたいな。
やっぱりやってない人に言えないとかもちょっと角が立つかなと思って、 メタファーとかでお伝えしたんだけど、
そしたら決めつけてんじゃねぇって来たから、 あっ怒られてしまったと思って、怒らせてしまったと思って。
そういうことがあったわけです。
反応と自分軸
こういうことは皆さんも起きることがあるんじゃないかななんて思います。
途中からプスプス怒っているの、最後答えるかどうかって悩んだんですよね。
これでちょうど終わりにしてもいいタイミングだったのですが、
どうしようかなーって思って、自分の中で誠実さとは、みたいに考えちゃってね。
最後返信したのがドッカーンっていう最後のスイッチみたいになったわけですね。
どっちがいい悪いはないです。正解もないんです。
こういうある種理不尽なことで怒られたり、理不尽な期待を押し付けられるっていう体験は多くの方が誰しもあると思います。
こういう時って結局自分軸が試されていくテーマになります。
ここでなんで私が何それみたいな感じでもやもやしたり、波風立たないようにって我慢しちゃったり、こういう場合が試されているテーマということです。
やりとりの中で自分がぶれずに、今回のエピソードでいうと私はずっとぶれていないんですね。
自分を守る話とかじゃなくて、本当にその人の性質とか、お客さんじゃないしなとかね。
友達というか知り合いという形での対応とかを考えたりしていたわけですね。
投影が本当に起きているし、期待と投影が入り混じっているっていうのは最初のメールで感じているからこそですね。
この人の軸と私の軸が合わないなというのは最初に分かっていて、それでどう答えていこうかなというやりとりの話をしたわけです。
なのでね、もやもやしたりはしていないんですね。
ただこのエピソードというのは先ほども申し上げた通り誰でも体験することだなというのでね。
今回自分に起きたことだし、分かりやすいかなというので、今日テーマにしています。
やっぱり何か理不尽さというのを感じたとき、いくつかありますけど、期待が課せられたときというのは相手の投影なんですね。
理不尽な要求、理不尽な怒りというのを相手から何か投げかけられたときというのは相手の中の不安、欠乏感というのが投影されています。
自分の中の未解決の課題、わだかまり、葛藤、ブロック、そういう自分の中にあるものを相手に押し付けてコントロールしようとする、そういう姿と一つ、一側面言えます。
何で言ってくんないの?とか、今回の話であればね。何か含みがあって、もやもやする、確かそんなテキストが書いてあった気がするな。
含みも何もなく、説明できないからなんだけどね。それは結局、自分がちゃんとできていないこと、自分が結局わからないことがたくさんあるという不安感、欠乏感が隠れていたりするわけです。
それを埋めたくて、相手に質問をしたり何か投げかけているわけだけど、相手がそれに答えてくれないと。答えてくれないということは、質問の質が悪いとも言えるわけなんだけど、理不尽な人というのはそういうふうには考えないわけです。
なので、怒るわけだね。なんでちゃんと私の質問に答えないの?という感じで怒るわけです。
そういうある種の理不尽に怒られた時、何が問題か、ここが見抜けるかどうかというのはポイントになりますね。何が問題か。もちろんそれを引き寄せている自分の問題もあるんじゃないか。こういう考え方、側面もあります。
これが結局最初に理不尽な怒りや期待を相手から受け取った時に自分の反応がどうかなんです。自分に課題がある場合はイライラしたり、もやもやしたり、悲しくなったり、感情的な反応が出ます。
成熟した態度
本当に自分に問題がなく相手の問題でしかない時っていうのはかなり冷静です。こういうこと起きてるんだな、じゃあどうしようかなっていうね。どこまでは答えられるけどそれ以上は過度な期待だなっていうのを判断して対応する。
これが成熟した対応ということになります。つまり自分軸があったら成熟した対応になるし、自分に問題がある場合は心が揺れる、怒りが湧いてくる、あるいは戸惑うなどいろいろ起きます。ここが見極めポイントですね。相手の問題かお互いの問題かの見極めポイント。
何か理不尽なことをされると一方で反射的に攻撃したいとかただしたいっていうのが人間の仕組みと言ってもいいと思います。これは出てきます。出てきてもすぐにこれはただの反射反応だなっていうので抑えられれば問題ないわけです。
だけど自分が課題があると反応しちゃうんです。攻撃したいただしたい。大切なのは反応しないというのも一つの選択です。
相手のその感情を引き受けてしまうか、引き受けて一緒に怒るか、要するにそのドラマに参加をするか、ドラマには参加しませんという態度で流していくか、それで未来が変わってきますよね。
もし自分がイライラしたりわだかまったりもやもやしたりの感情的反応が出た場合は、その相手っていうのは自分の鏡と思ってください。自分の中にもそういうところがある。こういうお知らせでございます。
理不尽な期待っていう部分に関しては反応しないっていうこともそうなんだけど、答えないっていうことも大切ですね。要するにゲームに乗らない、ドラマに参加しないっていう態度ですね。
これも一つの究極言ってしまえば愛の形とも言える。究極ね。ちょっと究極すぎるけど。
やっぱり理不尽な期待っていうのは依存とか支配、コントロールっていうのが混ざっている場合が多いわけです。やっぱりこれは本人も寄せられた方がちょっと苦しいわけですよ。本人が一番苦しいわけですね。
なので相手の期待に合わせていきちゃうと本当の自分っていうのがブレてくるし、ずっと合わせなきゃいけないっていうループに入ります。だからその期待には答えないっていう、はっきりNOを言うこともいいし、答えられないっていうふうに返事するのもいいわけです。
それは相手を拒絶するっていうふうに捉えるかもしれないけど、そうではないんです。それはあなたの問題であるからあなたが解決できるよね。
相手を信頼し、そして自分自身はそのゲームに巻き込まれない、要するに自分を大切にする、こういう本当に成熟した態度と一言で言えるんじゃないかと。
やっぱり理不尽なことに遭うと、今ここに生きてても相手に気持ちが取られるわけなので、何か私たちっていうのは一瞬、今ここから離れる感覚になります。
だけどそこでね、一回立ち止まって、そのゲームは見るけど、ドラマは見るけど、その中に入らない位置に一回立ち止まって、自分はどう終わりたいかを自分に問う。
自分はどうなのかな、それが魂の成長とか、人間的な成熟度とか、そういうところになっていくわけですよね。
なんか怒りをぶつけられたりなんか文句を言われると、それに説明をしたくなる。これは正しさを伝えたくなる。私はこう考えているんだ。
ただ自分の思いを伝えているだけであっても、それは一つの自分の中の正しさの主張であって、それが長引くと言い訳になっちゃうわけですね。
一言目伝えるのは別に大事だと思いますよ。伝えた時の相手の反応で、やっぱりこの人伝わらないなと思ったら、やっぱり入り込まないという選択が大切なんだなと思います。
最後の迷ったんだよね、ここでね。
言わないで終わるっていうのも一つの成熟した態度だし、一つ一応文章的に答えるっていうのも一つありかなと、どっちにしようかなと思ったわけです。
感情の扱いと自己理解
答える場合は自分はこうだっていうのを変に言い訳せずに、言い訳というか正しさの仕付けもせずに伝えるにはどうしたらいいかっていうのを結構考えるわけですね。
それぐらい相手のこと、そして自分のことっていうのを考えて選択したっていうことなので、私本人はあの時答えなきゃよかったなと一生思ったわけだけど、
でも今話したように相手に心を配り、そして考えて、それで最後パカーンって怒られても、逆に言えば最初からだいぶプスプス怒ってたから、
しっかり怒らせてあげたっていう部分でもひと役買ったのかなと思って、後悔っていう後悔はないし失敗もやっぱりないなっていうふうに個人的には感じました。
なので冒頭でお話したように、何か理不尽な態度を取られて、自分がね、同じようになんかイライラする、それがすぐに収まるんじゃなくてなんかずっとイライラして、
いや私はこういうなんとかだ、かんとかだ、みたいな反応が出たら、それは自分の課題です。
自分軸を試す試験、リトマスシーケンシットみたいなのでもいいんだけど、やっぱり自分がどこにいるか、どこでいたいか、どうありたいかっていうのを教えてくれてるんだよね、鏡として。
なので自分軸と他人軸っていうのが明確になっていくと反応しなくなります。
反射反応はあったとしても人間としてあったとしても、冷静に対応するっていうことができるので、たとえ怒られたとしても相手の問題だなっていうので、以上ってなるわけです。
そうすると心の平穏が保たれるので、このように判断されるといいんじゃないかなという、今日そんな話でございました。
心がどうしても感情的にもやもや反応しちゃうって場合は、何度も言うけど自分の課題ですので、これはもう自分がなんとかするしかないよね。
環境とか色々な社会的なこと、環境中心化で講演されている若い男の子、名前ちょっと忘れちゃったんだけど、その男の子の動画っていうかリールかショート動画がちょこちょこ上がってくるんですけど、
たまたま見た動画でね、質問をみんなその人にするわけですよ。
結構学校とかで講演されていて、お子さんを持つお母さんとかが質問したときに、
何だったっけな、やりたいことが、違う違う違う、海外ではいじめがあったときに、
ドイツでは自分の主張をすることが正しいという文化があって、子どもたちの喧嘩、いじめの話でね、
いじめられた側が自分はこうだっていう主張をしていない状態だと、いじめた側ではなくいじめられた側にも問題があるよねという、
そういう話があるそうです。
それに関して、自分の主張をするということができません、どうしたらいいですかという質問だったわけです。
そしたらその男の子は、主張をするしかないよね、主張してください、以上だったわけです。
質問者はその時に、でも主張するのが怖いんです、というわけです。
そうするとその男の子は別にカウンセラーでも何でもないわけですね。
僕は方法、どうしたらいいかという質問が来たので、どうしたらいいかに対しては回答ができるけど、
勇気がないとか怖いとか不安とかいうのは自分の問題なので、それは自分で何とかしてくださいって言ってたんです。
まあその通りなんですよね。
もうこれが、なんかね、話がね、象徴的だなと思って、今エピソードで出したんですけど、
本当にね、心のこと、不安とか恐れっていうのは本人の問題なわけです。
だから怒りをぶつけられた時に怒るっていうのは本人の問題だし、
何か自分の中で何かを言われて、それが自分の期待とはずれたことに対して怒りが湧くっていうのもその人の問題なんですね。
まあなのでね、自分の問題か相手の問題かっていうのははっきり区別する、分ける。
この見極めの力っていうのは自分の、なんだろう、視点とか成熟度、あと体ですよね。
やっぱりね、疲れてたら怒りやすくなるからね。寝てなかったら誰でも怒りっぽくなる。
お腹空いてたら怒りっぽくなる。これと一緒ですよ。だからやっぱり体が土台。
あとは育った環境とか考え方、普段のその人の性質っていうのがやっぱりテーマになってくるわけですね、人といると。
ここでね、やっぱり人とのコミュニケーションはめんどくさいから一人がいいわなんて言う人がいますけど、
それも一つの選択ですよね。
だけどね、ここからの時代っていうのが本当にね、人ありきなので、本当に人とつながるっていうことが大事な時代なのでね、
そこに関しては逆行してしまっているんじゃないかなと個人的には思います。
ある程度自分を守ることはもちろん大事。
でも人に結局そこである種ね、人間関係嫌だなって投げてしまうっていうのは、結局自分の軸がぶれちゃうからなんですよね。
だから集団の中にいると怖いってなるんですよね。自分がぶらされるからです。
そうするとやっぱり自分にテーマ、課題がある。
こういうのをね、結局扱っているのがうちの講座になってきて、
さっきの質問のドイツのいじめの質問をしたお母さんの不安とか勇気はどうしたらいいですかっていう部分はこれ無意識領域の話であって、
その活動家の講演家の人はそこのアドバイスはもちろんできないわけです。
でもその人はそこをアドバイスする人じゃないっていう、自分の軸が本当にしっかりしてるからはっきりそれは僕派で何もできませんってはっきり言えるわけです。
この姿勢っていうのが非常に成熟した態度であるし、自分の軸がしっかりあるっていうふうに見えるわけですね。
この話でだいぶ時間経っちゃった。
簡単にメッセージを伝えて終わりにしよう。
何か過去とかやってきたこと、あるいはちょっと私の冒頭のエピソードに近いんですけど、
昔の誰かから連絡が来たりするかもしれない日です。
過去の情報が上がってきたり、過去の知り合いから連絡が来たり、
過去の何かが今にやってくる。
例えば日記を見るかもしれない。
過去の自分の話をもう一回目の当たりにするかもしれません。
6割、7割ぐらいの人は懐かしい誰かから連絡が来るんじゃないかな。
あるいは避けてた何かを見なきゃいけなくなる、こういうことがあるのかもしれません。
でもそれは次に進む、自分の軸をとって、
でもそれは次に進む、自分の軸を整えるためのサインですので、
ぜひ今日はそんなサインを見逃さずにお過ごしになってください。
というわけで、今日の話があなたの人生の扉を開くヒントになりましたら嬉しいです。
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というわけで、皆さんまたお会いいたしましょう。それでは。