1. 私と私のひとりごと。
  2. 誰にも見てもらえず孤独だった..
2026-01-07 25:21

誰にも見てもらえず孤独だった私の、思い込みが外れてきた話 #159

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📝 目次
挨拶
孤独の認識
自己理解と成長
内面の恐れと向き合う
意識と無意識の葛藤
恐怖と自己表現

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#孤独 #思い込み #マインドブロック #呪い #価値観 #傷 #幼少期 #心の傷 #痛み #弱さ
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サマリー

彼は、孤独だった過去から思い込みが解放されていく過程について語ります。親からの感情的なサポートが欠如していたことが彼の成長に影響を与え、自己理解を深める旅を経て、自分の特性を認識し、社会への貢献を強く望むようになります。このエピソードでは、孤独や誤解から解放されつつある体験について触れています。特に、自分を理解してくれる人との出会いや具体的な評価が増える変化について考察し、内面の恐れと向き合う過程を深く掘り下げています。また、彼は孤独を感じていた過去やそれに伴う恐怖、自己表現の難しさについても話します。

孤独の認識
私と私のひとりごと。こんにちは、misaです。今回は、誰にも見てもらえず孤独だった私の、思い込みが外れてきた話、っていうのをしていきたいと思います。
このラジオでは、願いを生きる過程や自己一致するためのヒントをお届けしております。本日は12月14日日曜日です。よろしくお付き合いください。
はい、そうなんですよ。孤独だったっていうのも、孤独もまあいろいろ種類があると思うんですが、私は結構でかいものを抱えて生きておりまして、
だったんですけど、ラジオでも本当にたくさんこの孤独をテーマにエピソード撮ってるんですが、そうこうしているうちに、この自分は孤独だっていうベース、思い込みですね。
これをまあ認知の歪みって呼んだり、私は呪いって呼んだりしてますが、これが多分外れてきて、外れた結果が見えてきたっていう話をしていきたいなと思います。
その結果っていうのはあんまり体感は伴わないんですよね。その、マインドブロックとか言ったりするのかな?
マインドブロックが外れましたとか言ったりするのかな?なんか見たことあるような気がするんですけど、なんかその外れたタイミングって全然そういう体感は私はないんですけど、
現実で撮っていくんですよね。現実で見ていたら、ああ、なんか変わってきたみたいなのがわかってきて、ってことは思い込み外れたのかな?みたいな感じで見ているのが私の常なので、
この辺の具体的な話がちょうど今週ネタとして出てきたから、じゃあ話し取ってみようかなと思いました。
ちょっと整理は全然できてないから散らかると思うんですけど、常に散らかってるんですけど、お付き合いしてくれると嬉しいです。
孤独だったってところ、ちょっと孤独の話を若干していこうかなと思うんですけど、孤独もね、いろいろ定義があるかなと思うんですが、私の場合は、親が私に全然関心を持ってくれなくてですね、
物理的にわかりやすいものはちゃんと提供してもらえるんですけど、寝床とか、むしろたくさん習い事とかもさせてもらったし、
進学もさせてもらって、お金を出すとか、本当にわかりやすい目に見えるものってところのサポートは全然多分にあったんですけど、
目に見えない部分のサポートがほぼほぼ皆無だったんでしょうね。全然なくて、まず気持ちに寄り添うコミュニケーションみたいなものが今思えばなかったんですね。
なんか私がこう不安だとか悲しいとか嬉しいとか、嬉しいもそうなのよ。嬉しいとかもそうだし、なんかその気持ち的にこう自分で処理できないじゃない?ちっちゃい時って。
自分の感情の処理がまだまだ未熟だから、溢れてなんかワーキャーしているのを見せてしまうとだいたい怒られるんですね。なんか泣いたりとか怒ったりとかするとめちゃくちゃ怒られるし、
過剰に喜んでてもなんか冷水浴びせるようなこと言われたりとかして、なんかまあ良かったね嬉しいねーみたいな、そういう言葉はねかけてもらったことないんだよな。
それもあって、なんかなんかこう、気持ちの扱い方は私はわからないまま大人になりました。
でもその気持ちの扱い方ってでも生きていくと気持ちって生まれてくるじゃない?感情って生まれちゃうから、でも処理の仕方よくわかんないから、もう思考で何とかするっていうロジックで解決させるみたいな感じの謎の生存戦略をとって、
それなりにやってきたんですけど、大人になってあれなんか全然うまくいってないなってことに気づくんですが、それはまた別のお話でとっておりますが、
そんな感じで気持ちの、なんかちゃんと見てもらえない。私の感情に全く関心を払ってもらえてなかったですね。
またなんかそれもあってですね、話をね全然聞いてもらえなくて、話ってなんかさ、今日こんなことあって、あんなことあって、みたいな話を、まあもちろんそうなんだけど、
自分はこう考えているとか、私はこの物事に対してこう解釈しているとか、ここが疑問だみたいなのとかも、なんか全然聞いてもらえなくて、なんかすごい反応的な、反射的な反応が多くて、
なんかさ、例えばさ、友達とトラブルがあって、なんかこんなこと言われてすごい悲しかったんだよね、みたいなことを言ったとするじゃない。そんな話も怖くてしなかったと思うけど、まあ例えばね。
なんか私が親だったら、あ、なんか悲しかったかみたいな、悲しい話かと思って、おーそうかそうかっていう感じで、何があったのって感じで聞くと思うんだけど、
もうまずうちの親は開口一番、あんたが悪いんじゃん、みたいな感じで行くんですよ。もう、なんかその悲しいとかもぶっ壊すし、なんか私が話しているその、なんつーかな、こういう状況だ、みたいなものも、
なんか自分が悪いと思えない状態だったっていうその観測すらもなんかいっぺんにこう塗りつぶしてくるというか、なんかここでからおそらく自分の考えていることとか自分の気持ちとか言うと、
マジ危ないってことを私は恐らく強烈に学習して、大人になるまでそれはね、すごい思い込んでるから、その世界観で生きてるんですよね。
自分の考え、自分の気持ちを他人に話すと危ない目に合うみたいな、すごい怒られて傷ついたり、親が急に怒りだしたりするから、なんかよくわかんないことが起きるかも、みたいな感じでずっと大人になってたんですね。
これはもちろん無意識なので、そんな言語化は当時は全然できてないんですけど、これが多分ね、結構外れてきたんですよ。
きっかけはね、わかりやすいトリガーは、まずその孤独っていう輪郭を持たせられたところはでかかった気がしますね。
孤独についたきっかけは別のエピソードで撮ってるんですけど、さっき言ってた、この親が私に関心がなかったんだなーとか、気持ちに押し寄ってくれてなかったんだなーとか、話聞いてくれなかったとか、自分の考えを全然聞いてなくて、とりあえず頭ごなしに否定されたりとか、
もともとなんかちょっと、ちゃんと論理的に理解したいみたいなタイプだったので、なんで?みたいな、親は矛盾で生きてるから、矛盾だらけでわけわかんないからどういうこと?みたいに確認をしたかったんだけど、それを犯行と捉えられて、めっちゃ怒られたり、ヘリクズばっかりとか文句ばっかりとか言われて、
なんか今思えば文句っていうわけでもなかったんだけど、普通に正当な主張であるという気がするんですが、親的には気に入らんというところで怒られたりとかして、危ないんですね、なんか発言すると。
なんか親の意図に沿わない発言をすると危ないし、親の意図がどうしてもわかんなくて、感覚的な人たちだから、私は割と因果を持って会話していくから、全然わかんなくて、
買わないなーみたいな、なんかわかんないけど私が悪いんだなーみたいな感じで生きてきちゃったもんだけど、これがなんか強烈な孤独の種になっているっていうことに、本当にこの
ここ最近気づいて、まず輪郭を持たせられたことで、なんかここに関する再認識が始まるんだよね、自分の中で、あれってどういう出来事だったんだろうみたいな、当時はなんかわかんないけどめっちゃ怒られるじゃん、怖っみたいな、危なっみたいにぐらいの解像度だけど、
今思えば、そのさっき言ったように親は感覚的だったからとか、私はおそらくこう理屈で知りたいだけで質問したんだろうなーとか、でも親は感覚タイプだから、なんか答えられなくて、
自己理解と成長
口応えするなとか、なんか理屈ばっかりみたいな語彙になったのかなーとか、なんかそのちょっと引きで見て、あれはこういう出来事だったのかなって思えてきたのが多分結構大きかったのかなって気はしますね、再評価することができました。
まあなんか親に対しての整理も済んでいたっていうのもあるかもしれませんね、もともとなんか、これもねエピソードで撮ってたんですけど、親っていうのを深刻化せずに、ただの一人の人間として再評価するっていうとこですね、
なんか親、お母さんとかお父さんっていう役割の人ではなくて、ただの〇〇さん、ただの〇〇さん、何歳の〇〇さんで考えてみた時にさ、明日も明後日もこの人と話したいかなってぐらいで感じで考えたんですよ、
結局そんなに話したい人たちじゃないなってなったので、なぜその感覚タイプだから話合わないから全然、私が美しいと思うものをあんまり美しいと思ってなかったり、
彼らがなんかテンション上がるものが、私は別にテンション上がらなかったり、彼らの笑いがよくわかんないなとかで合わないなってなってきたから、
じゃあ別にいいかみたいな、そんな関わるべき人たちじゃないのかなみたいな、ちょっと整理できてるっていうのもありましたし、
なんかこの親への整理がきっかけで、結構自分が何者かっていうところがわかってきたんですね、おそらく。ずっとよくわかんなかったんですけど、
なんか私はこういう性質で、これができるんだなみたいな、この辺が特技だし、この辺でこう社会に貢献していくのが、なんか人生設計的に美しかろうなみたいな、
なんかせっかくこれが多分才能なんだろうって思うと、その才能を生かして社会に貢献していくことが、なんかすごい大事なんじゃないかな、自分の人生ゲーム的にはみたいに思ったりとか、
なんかそれをやると一方でやらないことも切っていけるんですよね。 今までなんかこう外部から求められているように感じていたあれこれも、
なんかやらなきゃだけどできないなとかって自己否定の種にしてたけど、いやいやこれ私の設計上やれんやつじゃんみたいな、これ違うわってなったらパッてやめて、
なんか変な自己否定もしなくてよくなって、なんか手のひらサイズになると言いますか、変な理想とかも抱かないし、変な目標も持たないし、
これが私ですっていう感じで諦める、諦めがつく。それでまあいっかって思えるみたいな、すごいフラットな状態になってきて、
多分初めの方で、なんか喋ると親がやたらと否定してくるから、自分の考え言うのマジ危ないと思ってたけど、
なんつーかその当時は、親に自分の考え否定されるってなると自分がブレてちゃうじゃないですか、自分の考えって間違ってるんだって思ったもんね、実際。
私の発言、私の考えは基本的に間違えている可能性があるなぁと思って、偉いなんか自分をデバッグするような設計で自分のこと作り始めてたから、
作り始めたっていうか作り切ってるからな。私なんか基本的に自分の発言ほど怪しいものはないと思ってるし、私だって間違えるかもとか、
今の段階ではこれが正しいんじゃないかなって思ってるけど、他の情報出てきたらひっくり返るかもしれないなーっていう前提で基本考えるから、
だからこの辺から来てるんですよね、多分。すごい深い癖になっている。この辺って結構自分の傷の深いところのものだから、いろんなところに影響してるし、
内面の恐れと向き合う
自分の性格形成からあんまり切り離せないぐらい深いところに誘っているやつなんですけど、なんかその、
自分が言ってることが否定されても、危険っていう意味では別に危なくないかーって、多分なんかちょっとずつここが一番でかいブレーキだったんですけど、緩められてきたんですね。
なんか、私が何か喋って親が誤解して激行してきたりするから、マジで危なかったんですけど、それが社会出てもいくつか、いくつかっていうか結構あったんですよ。
あったあった。なぜ?なんかちょっと変な人だから、変な人っていうか、変な人なんだけど、なんかね、細かい話はいいか、なんかそうそう、私の特性ゆえに誤解を生むことがすごい多くて、
でもって、親の反応と多分紐付けて、自分の考えを世間に晒すって、なんかよくわかんない、予想だにしない反応が返ってくるかもっていう学習をしたから、なんか怖かったんですね、その辺が。
自分の考えを言うとか、自分の話をするとか、自分のそうね、内面を見せていくみたいなことはめっちゃ危ねえじゃんって思ってたけど、
その自分が何者なのかわかってきて、視力も良くなってきて、他者との違いとか、なんかその人の意図とかを本当にこうフラットに見れるようになってきたら、そんなになんか危なくないかってなってきたね、多分。
そうそう、まあ今更さ、他人に激行されたとって、うわ、めっちゃ怒るじゃんってなるだけで、なんか私の存在を否定されないよねとか、ちっちゃい時だとね、親がめっちゃ何か言って怒ったら、私なんて悪いことしたんだろうとか、
親に嫌われるってなったら、生存脅かされちゃうわけだから、結構でかいインパクトだったけど、今や大人になるとね、そうでもねえかってなって、ちょっと再設計することができて、
多分これが大きなトリガーになって、誰かに見てもらえないっていうのは、つまり私を理解してもらえないみたいなことなんですけど、その辺のブレーキがおそらく外れてきたと。
で、なんか、もはや粗末な話ではあるんですけど、最近の出来事として具体的なことがいくつかあったのね。なんか簡単に言うと、私への具体的な質問がいっぱい来るようになった。
あとは具体的な評価が来るようになった。この、ちょっと待ってね。そうそう、なんか、今までって、なんせ私は誰にも見てもらえないと思ってるから、私の話って実はあんまりしてこなくて、そんなにこう、会話してても、普段のおしゃべりから仕事でも何でもそうなんですけど、
基本さ、人間って自分にしか興味ないじゃないですかって思ってるから、相手に基本スポットライト当てて、相手の話をずっとするんですよ。私よくしゃべるんですけど、自分の話は実はしてなくて、なんかどっかのエピソードでも話したけど、そうなのよ。
基本的に相手の話を引き出すためのネタとして自分のネタちょっと出すことはあるけど、それはベラベラ自分でしゃべったりすることはまずなくて、必要ないければしゃべんない。聞かれない限り自分の話はしない。で、私に質問してくる、その聞いてくることってほぼなくて、なぜなら多分、その、ちなみにあなたはどうなんですかって話を振るときってさ、なんか会話がちょっと詰まった時とかになるじゃない。ちょっと会話が注意に浮いたりとか。
私それをあんまさせないから、その謎の話術なのか何なのかわかんないけど、あんまりその会話が詰まったりすることないし、別に無言でもいいんですけど、なんかあんまりその私に質問を返しにくい空気を多分作ってたんでしょうね、今思えば。
でもなんかあんま聞かれることがまずないんですよ。あなたはどうなのとか、私はめちゃくちゃ相手に質問してるけど、え、じゃあ逆にどうなのっていう人ってほとんどいない。本当にいない。もう何人かしかいないんじゃないっていうぐらい。逆に聞かれたらびっくりするぐらい。
聞いてきたこの人ってもう名前と顔を覚えるぐらい本当に少なくて、めったにいないので。なんかそんなそんな風に私に具体的な質問してくるっていうイベントは年に1回あるかないかみたいなレベルだったんですよ。もっと少ないかもな、下手したら。
なんですけど、今週に5回ぐらいあって、それがめちゃくちゃびっくりして、ちなみにミサさんはなんかなんでこの業界入ったんですかとかってなんか話の文脈で聞かれたりとか、なんかどう思うってわざわざ聞かれたりとか。
あとはね、なんかすごい具体的な評価をもらったりとか、まあ褒められたことって別にあったんだろうけど、なんか褒められることもあんまり受け取ってなかったから、どっかのエピソードで話してましたけど、なんかリップサービスかなーぐらいでなんか優しいなこの人ぐらいで終わらせてたんだけど、なんか毎回毎回褒めてくださっている方ではあったんだが、今回なんかミサさんはちゃんと人を見て分析するのが上手だし、
なんかその視線も優しいですよねーみたいなこと言われて、なんかめっちゃ具体的だったのよこの話し方が。だから本当にちゃんと見て、本当にちゃんと評価してくれてるの、なんかそのリップサービスじゃないんだなっていうのがやっとわかって、いや何回も褒めてくださっていたのに、なんかありがとうございますって流してたけど、ちゃんと褒めてくれてるんだと思って、
なんかちゃんと見てくれてる人いるかもってなって、今週結構衝撃を受けました。なんか今まではずっと世界は誰も私に関心がないなと思って、それが当たり前と思って生きてきたから、当然世界は私に関心を抱かないわけだけど、
今週はちらちらとちゃんと話聞いてくれる人だったり、なんか質問してくれる人だったり、あなたの意見を聞かせてよっていう場をわざわざ作ってくれる人だったり、そうやって具体的に私が考えていることに対して、私はこういうふうに世界を見ているっていうその観測と言いますか、分析と言いますか、それに対してなんか内容がわかると、わかるしそれは素晴らしいねって褒めてくれる人がいるとか、
すごい変化起きてると思って、これがね、なんか思い込みが外れてきた時ってこれだと思うんだよな、現実がめっちゃ動くんですよね。ただ、100万円当たりましたみたいなのわかりやすさじゃないから、気づかない人は気づかないんだろうなって気がするんですが、私はこの辺感度高めなので、あ、明確な変化が起きている。私の中でつまり思い込みが外れている証拠であるなって感じで今回検知したのでちょっとエピソードにとってみました。
意識と無意識の葛藤
これは良い傾向ですね、めちゃくちゃ。しかも、なんかどこかでさっきも言ったけど、この傷ってすごい深いところに刺さってるやつなんですよ。なんかめっちゃ怖いんですよ、これ。これさ、これさ、特にその誰にも見てもらえないっていう孤独は、誰かに見てもらいたいっていう強烈な渇望になるのですが、一方で誰かに見られるのはめちゃくちゃ怖いっていうブレーキも強烈に強いんですよね。
強烈に強いんですよ。強いの強いの、そうなのよ。なんか別に意味わかんないかもしれないですけど、親に見てもらえなかったから寂しい寂しい、だから誰かに見てもらいたい、ここまではわかると思うんですけど、でも見られるのめっちゃ怖いっていうのにも強烈に入ってるんで、その証拠として、私はその全然人に質問してもらえなかったんですよって言ってたのがめちゃくちゃ証拠なんですけど、
質問されないようにきっと無意識で動いてるんだよねーって、この辺ちょっと難しいのかもしれないけど、私は誰かに自分を晒すことがめちゃくちゃ危ないから、誰にも晒さなくていいように生きていくんですよ。無意識ってめっちゃ怖いんですよね。
なのに、健在意識では、自分の意識では、誰か私のこと質問してくれないかな、私のこと見てくれないかな、私のこと褒めてくれないかなって言いながら生きてるんですけど、無意識では、いやいや危ない危ないってなって、絶対に誰にも目につかないような振る舞いをして、あんまり目立たないような発言をして、アテンションを得られないような振る舞いをまじでしてるんですね。
だから誰にも質問されてこなかったって感じの現実が一丁上がりなんですけど、これがさ、だってさ、でもこれは気づかないんですよ、無意識だから。自分ではわかんないんですけどね。まさかそんな振る舞いをわざわざ自分で演出してるってことには自分で気づかないんだけど、なんかひっくり返すと多分そういう理論なんだよねー。
なぜならそう、誰かに見られるお母さんお父さんに自分の話をしたとき、もう生の感情を晒したときに否定されたり受け取ってもらえなかったりして、むちゃくちゃ傷ついたわけだから、すっごいショックで、もう誰にも何にも言わない方がいいってその当時強固に思い込んでるから、その恐怖をしかも無意識に押し込んじゃうから、ブレーキが強すぎて。
そうそう、もうえげつないもんなんですね。だからこれを解除していくのって結構難しかったよなぁと、なかなか気づかなかったのがその証拠ですね。この傷って意識下にあげたらなんかちょっと触れるんですよ。さっき言ったように再評価できるから、ちょっとこう直すこと、直す、再評価して傷を、傷は残りますけどね。
痛みは全然残るんだけど、かわいそうだったなぁ私とか、あの時つらかったなぁみたいに、ちょっと感情消化することができるから、ちょっと傷をちっちゃくして、怖いなぁみたいな、誰かに何か喋るのって怖いよなぁって意識で思いつつも、でも自分の気持ちはちゃんと人に伝えたいなぁ、ちゃんと繋がりたいなぁみたいな意識も持てば、なんかアクセルとブレーキ同調子みたいなことにはならなくて、ちょっとブレーキを弱めでアクセルをちょっと踏むみたいな感じの調整ができるので、
まずは意識下に置かなきゃいけないんですけど、これがこうスムーズにうまく多分いって、なかなかでかいブレーキだったなぁとは思うんですが、あのちょっとずつ外れてきた感じがあります。
とはいえ、最終的にその全部外れることは多分ないんですよ。私は多分ずっと怖いんだと思うんですね。
なんかこのラジオで喋ってるのも、誰かが聞いてる感じ、聞いてくれてる人いるのはその数字上は知ってるけど、顔も見えないし、その人に具体的に伝えようとしてるわけじゃないから、ほぼ一人ごと言ってますけれども、一人ごとなんですよね。
自分で、未来の自分に喋っているようなところがあるから喋れてるけど、これが目の前に誰かいて、その興味なさそうだなって思ったら100喋れないもんね。絶対喋れないと思うし、
あ、この人ちょっとわからないだろうなーみたいな、伝わんないかーみたいになると多分喋んないので、私はこういう自分はこう思ってるとか、こういうふうに世界を見ているみたいな話をするのはものすごい怖いんですけど、怖いんですね。
恐怖と自己表現
それにも気づいてなかったですけどね。今週、あなたはどう思うのって聞かれて、あ、ここ喋んなきゃいけないターンだなーみたいな時に、とんでもない恐怖が伴ってきてびっくりして、まじでこう紐なしバンジーさせられてんのかっていうくらいの恐怖だったんだけど、
なんか終わってからも、あーめっちゃ怖かったなーみたいな、あー怖かったなー怖かったなーなんか嫌な感じだなーってなったけど、なんだろうなーこれって紐解くと、あーなんかその幼少期の自分の言葉で自分の思っていること言っちゃったら、なんかあらぬ恐ろしいことが起きるみたいな擦り込みをたくさんしてきて、いっぱい失敗してきてるんですね。
社会でもいっぱいやってるんですけど、なんかもう絶対黙った方がええやんみたいな、なんのいいことないって思った、その学習した時の傷をまだ私は癒せてないから、なんせ感情の扱い方よく分かってこなかったタイプなので、感情の消化できてないから、そいつらがわーって思い出されて、とんでもない恐怖じゃんこれと思って、
でもなんか、今ここ引いちゃダメな気がするなーっていう気がするので、なんか自分がこういうふうに世界を見ていますよっていう話を頑張ってしている最中ですね。まだ怖いです。全然怖いですね。
多分しばらく、今年の中ぐらいはずっとあるんじゃないかなーって気がするけど、なんかでも、この恐怖はセーフティーバーでもあると思うので、外そうとは思ってないんですけど、多分外れはしないんじゃないかな。ずっとちょっとビビりながら言う感じになるんじゃないかな。
その分なんか丁寧に届けようとか、誤解を生まない言い方をしようとか、攻撃する意図はおおむねないんですよ。私はその攻撃しようってことはまずでないんだけど、うっかり言い方ミスったりとかして、うっかり向こうの傷に触れたりとかして、めちゃくちゃ激励に触れてしまったみたいな時があって、あーごめんってなって、後でもめちゃくちゃなんか余計な揺さぶりをかけてしまったーってめっちゃ後悔したりするんですけど、
そのリカバリについて学んだり、なんかこう、今までその場に立ったことないから、そのリカバリ方法も知らないし、なんかどうしたらそういうことを防げるかとかも実践したことがないから、多分こういうのを学んでいって、ちょっとずつ実着するのかなって気がしますね。まだまだ初めてのことってあるんだなーって気もするし、こうやってちょっとずつ自分の傷と向き合っていって、
なんかちょっとずつその孤独だったあの頃みたいな私に手が届いていくようになっていけば、孤独は言えないとは思うが、最小限ちっちゃくしていけるかなって思うし、ちょっと話しておきますが、この活動はおそらく子供たちにいい影響があると思ってるんですね。私の孤独が言えていけば、子供たちにこの孤独を渡さなくて済むはずだから、その辺をモチベーションに頑張っていますね。
なんか結構、ちょっと初めの方うまくコンパクトに喋れそうだなって思ったけど、結果めっちゃ長くなりました。ちょっと眠たかったのもあって、バラバラしてしまったいつものことですが。はい、すいません。最後まで聞いてくださって本当にありがとうございます。
概要欄にレターの投稿フォームがありますので、よかったら感想やご質問などいただけると嬉しいです。はい、ではまた別のエピソードでもお会いいたしましょう。じゃあまたね。ありがとう。
25:21

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