フォロワーへの感謝
私と私のひとりごと。こんにちは、misaです。今回は、フォロワーの皆様への感謝・ラジオの振り返り、というところでやっていきたいと思います。
このラジオでは、願いを生きる過程や自己一致するためのヒントをお届けしております。
本日は12月6日土曜日です。よろしくお付き合いください。
ラジオは去年の9月ぐらいに確か始めてたんですけど、スタイフでなんか淡々と別に誰も聴いてないだろうなーって、なんか自分のための録音みたいなもはや感じで始めていたんですが、
なんかいつだったか忘れちゃったけど、ちょっといろんなプラットフォームに配信してみようかなーっていうところで、今年ですね、それはね。
始めていったんですね。あ、1月でした。今年2025年1月13日にYouTubeのチャンネル開設しているから、そこからちょっといろんなプラットフォームにも流すようにしたんでしょうな。おそらく覚えてないけど。
SpotifyとYouTubeと、あとはApple PodcastとAmazon Musicかな?多分この4つを同時にフィードで投稿してるので、メインはこのスタイフで撮ってるんですね。
スタイフで撮ったら自動的に投稿されるっていう感じになっています。なので私は何もせず全く同じものがいろんなプラットフォームで勝手に配信されているわけです。
なんですが、YouTubeは特にそのちょっと前、もはや5年ぐらい前になってきたのか、どれぐらい前になってきたかちょっとわからないぐらい前ですが、
タロットを読みまくるチャンネルをやっていて、なんかYouTube発行できんかなーって、なんかいろいろやってたから、ラジオはきついだろうと思っていて、
ただ、なんか自分が割とYouTubeをなんか流し聞きしていることが多かったから、自分がYouTubeで聞きたいかもって思ったからちょっと投稿してみたんですけど、
意外と聞いて、意外とっていうか私的にはゼロでもおかしくないと思ってたけど、聞いてくださる方がいてありがたいなと思うと思うとともに結構驚いていますね。
そんなこともあるんだなぁみたいな感じでしょうか。なんか結構このラジオ配信は自分の、なんでしょうね、本当にログを撮ってる感じだし、
特にぶつけ本番で喋ってるから、なんか遂行とかもできないというかめんどくさくて、なんかトピックもこれ喋ろうってタイトル1回決めたら、
タイトルも別にそんなにちゃんと考えてないんですけど、これにしようぐらいで決めたらドドドドドって喋って、喋りすぎかぐらい喋って終わりって感じのものをさずっとやってるんですけど、
ラジオ配信の振り返り
なんかこう自分的にはでも、未来の自分のために撮ってるのもあるけど、せっかくなんかタイあたりで見つけてきたものたちだから、誰か役に立つんじゃないかなーって思って流してるんですね。
ただ、あなたがその目の前にいたら、あなたに必要な話ができると思うし、何が困ってるんだろうっていうのから入るから、
あんま一方的に喋ることってないんですけど、ないんですけど、ラジオだから相手がいないから、ただ自分の頭を、頭っていうか思考をなぞるような喋り方になっちゃうから、話長って自分で思っているのと、
なんかわかりにくいよな私の話なんだろうみたいな、ずっとこう疑問があって、なんか定期的にチャットGBTに、この文字起こしした自分のラジオの文字起こしを食わせて、喋り方の癖とか、あとなんでわかりにくいんだろうみたいなのを相談、相談っていうか分析させてみて、
いろいろね、そうだよねみたいなのがわかって、ここ最近またやったんですけど、前もなんかどっかでやってましたけどね、チャットGBT自体がもうちょっとパワーが上がってきたから、より詳細に出せるのと、大量のコンテキストに耐えられるようになってきて、使えるじゃんってなって、ここ最近やったのがまたちょっとおもろかったりしました。
で、なんかそれを見れば見るほど、この私のラジオについてくるのしんどいだろうなっていうのがよくわかって、この話ずっと聞かされるのって、そりゃ辛いよなって、なんかなんて言うんでしょう、なんて言うんでしょうね、なんか情報量が多分多いんですよね、ワンセンテンスに、なんかチャットGBTに言われて本当そうだなって思ったんですけど、
抽象と具体の話題をバカバカバカって入れるから、なんかすごい脳みそに負荷が高いことをやらせる感じになるから、なんか流し劇して、なんかなんでしょう、キラーワードだけ拾おうぐらいだったり、なんか作業用でなんとなく流してますよみたいな感じだったら全く問題ないけど、何を言いたいんだこの人はみたいな人がもしいたとしたら、めちゃめちゃ負荷高いだろうなぁと思っていて、
でも聞いてくれる人は、どれぐらいどういう感じで聞いてくれているのか本当にわからないんですけど、もしなんか、いやあなたの言っていること全然よくわかるよって人がいたら絶対に声かけてほしいと思う、そんなこのレベルで会話できる人いるんだっていう感動がめちゃくちゃあるから絶対声かけてほしいんですけど、
なんか流し劇で、なんか何言ってるかわかんないけど、なんか大事なこと言ってるっぽいなぁみたいなのが多分よくある反応な感じがする。私その仕事で講師をしている時間がだいぶ長くなってきて、
教えてること、そのティーチング的な意味でなんか教えてる、喋ってる時間もあるけど、どっちかっていうとなんかマインドセットの話していることが実は多いんですね。ちょっと絡めて、そもそもその学習の、何でしょうね、学習の細かい内容なんかじゃなくて、何で学習今きつくなるかっていうと、
なんかこういう精神があるからだよとか、こういう仕組みがあるからだよみたいな話をなんかすることも割と多いんですね。なんかさ、その物事、知識を教えるっていうのは別にもう私がやらなくていいやってめっちゃ思ってて、AIとかいるんだから、もう一人一台先生がついてるわけだから、もういらないじゃんと。
なんか、え、待って待ってわかんないわかんないって言語化能力がある人であればあるほど、いらないとか人間じゃない方がいいまであるから、そうじゃなくて、なんかいろんな人見てきて、その人の体質というか思考の癖だったりを見て、多分ここで詰まると思うよみたいな、その詰まる理由はここが多分ブラフになると思うよみたいな、そういう感じの話をしていることが多いので、
この話もさ、今あなたに伝わったかわからないんですけど、なんかちょっと抽象的なんですよね、ずっと。なんか具体的な話も、なんかできるけど、できるんだが、あんまり大事じゃないことが多いので、なんかAかBかどうしたらいいですか?みたいな具体的じゃないですか。
その質問とかだったとしても、じゃあなんで迷ってんの?みたいな抽象に持っていくことが多いんだよな。なんで、なんか別にどっちでもいい、結論どっちでもいいと思うけど、またあなたのことだからどっちでもいいんだけど、AかBか迷うってことは、なんかそのメリディメ感じてるんでしょう?みたいな、なんで迷ってんの?みたいな、そういう話し方をするんだよな。
で、なんか思考力あって内省能力の高い人であれば、この話はわかるし、むしろありがとうって多分なると思うけど、抽象的な会話難しい人だったり、内省する力弱いとは?みたいな、AかBかどっちって聞いたのに、なんで質問で返されたんだろう?パニックみたいな感じになって、何言ってるかわかんない人だなぁみたいに多分なるんでしょうね。
Aだとこういうメリットデメリットあるし、Bだと私はこういうメリットデメリットあると思うけど、あなたはどっちを取りますか?ぐらいまで落として、ちょっと返したりはするんですが、これって会話で相手がいるから反応を見てやることだから、ラジオだとちょっと難しいんですね。今もこう話バンバン飛んでますけど、なんかこのペースでこうやってこう会話をあちゃこちゃ飛ばされると、聞いてる方はしんどいよねと思って、
言うのは超軸があるんですが、さっきから言ってる通り、目の前に人がいればこれはやらないんだけど、相手がいないからこそ自分の言いたいことを補足したいタイミングで補足して、言いたいことを言いたいタイミングで言うと、ちょっとこうなるよねと。
ちょっとGPTにもお前の話は分かりづらいねって言われて、そうだよなーって思いつつ、なんか結論から喋れたらいいんですけど、結論があれば結論から喋るんですが、あんまなんかラジオとか特になんか考えたいなーみたいな感じで喋り始めることが多いので、なんか喋りながら結論自分で探っていくような感じになり、最後の方でなんか残り7割ぐらいでなんかめっちゃいい結論出てることが多いです。
でもそこまでみんなYouTubeなんか特にね、待ってもらえないので、動画とかはやっぱ相性悪いなーと思って、ラジオの方がもうちょっとこうタラタラ喋ることが許されるプラットフォームなのかなーと思っていて、ちょっとラジオに直しを置いている感じになりますね。
情報の受け取り方
聞いてくださる方が本当にいらっしゃるっぽいんですよ。本当なのかなーと。本当なんでしょうけどね。なんかさ、Spotifyがクリエイター向けのまとめみたいなのを、なんか2025年のまとめみたいなのを出してくれてて、
私の配信、まあ番組に対してどれぐらいの人がどれぐらいの割合で見て、それがなんかトップランカーみたいなのを出してくれてて、なんか数字上で聞いてる人いるなーみたいな、そのカウントは見えてたけど、なんか他の…
これどういう比較なのかな?なんかその比較がめっちゃ出るんですよ。あなたの、私の投稿を1日に2話以上エピソード聞いてる人が何割いますよみたいな。
あとなんかおもろいなと思ったのが、私の番組がそのリスナーのトップ10に入っているファンが何人いますよとか、そんな人いるんだと思ってびっくりしたね。私の番組がそのリスナーさんのトップ5の番組に入っているファンこれぐらいいますよとか。
あとは私の番組が1位になってますよっていう方々も意外といて、「えー!?そうなの!?」みたいな。私Spotifyにいないから、なんかその習慣化の感じとかテンションちょっとわからないけど、ありがたいなぁと思いましたね。
そして毎回思うけど、会話できないから、一方的に私の中のなんかブームみたいなものを垂れ流しているから役に立ってますっていうのはすごい気になるよね。やっぱ相手ありきの会話じゃん、対話じゃんって思うから。
なんか皆さんは、なんかどういうところを見て日々生きていらっしゃるのか、なんかヒントになりそうなものはありますかとか、ちょっと気になりますけど、気になりますが、なんかそのYouTubeとかちょっと今の気になるなぁに、自分で回答していくんだけど、YouTubeやってて思ったのは、なんかその情報だけじゃないんだよね、どうやらリスナーがとって。
私はその情報欲しくて、なんか人の解決策とか新しい観点とか欲しくて、情報漁ることが多いから発想にないけど、なんかYouTuberの人がご飯を食べているのを見ながら自分もご飯を食べて、一緒に食べている感出したいみたいなニーズもあるじゃない?あれあんまわからないんだけど、
なんかそういう、なんかこう、私が提供できていると思っているものではない部分に、なんかこう価値を感じてくださっていたりとかもするよねって思うと、もはやわかんないから、もうこんなさ、共感性低いから全然私がわかってない状態でアジャストさせようとしても絶対無理だから、結局こう喋りたいことを喋るしかないのかなぁと思っていますね。
そんなんでいいんかなぁとちょっと思いつつも、なんか難しいとこですね。誰かの、どうせならなんか役に立つものを渡したいなぁって思うけど、そうね、そうそう、私は特にこう、なんか求められてないことをやるのがめちゃくちゃ苦痛だから、なんか自分のやりたいことを誰かに押し付けるみたいなのをすっごい嫌いなので、会話とかも、なんかそうそうそう、ラジオだからずっと喋ってるけど、
会話でこのペースで喋ることまずないから、まずないから、基本的にどっちかと聞いてるし、なんかどういう人ですかってところから入るタイプなので、本来そのガーって自分語りとかを全くしない人生でございまして、でもちょっと喋りたいなぁみたいな自分もあったから、多分自己表現の一環でやってるんですよね、この辺も。
自分の考えていることイコール自分みたいなところがあるので、なんか言語化したものイコール自分みたいに思っていて、それをなんかどっかに置いておきたいなぁみたいなのが多分あって、日常でね、この会話聞いてくれる人いればいいんですけどいないし、なんかいないし、なんかその耳に入れてくれる人はいるんでしょうけど、分かんないよなぁって思うと、じゃあ一方的に喋る気はねえかってなるけど、
誰も分かんないだろうなってことをラジオで喋ると、それは誰も分からない番組ができてしまうから、みたいなところでちょっと悩んでるのかもしれない。
でも、もしわかる人いたら嬉しいなぁってちょっと思いながら、なんかこの辺はずっと迷いがありますね。迷いがある。その、なんか分かんないだろうなぁ感は、なんか感覚が特殊っていうよりも、感受性っていうところじゃなくて、見てる場所が変なんだろうなぁみたいなのがめちゃくちゃあって、
さっきのその、具体の話苦手かぁって思った、中傷の話がこの人は苦手なんだなって思ったら、じゃあ具体に切り替えようっていうのって結構引きで見てないとできないことだと思うんですね。
そもそもこの人の脳みその仕組みと、なんか表現のチャンネルがどこにあるかなとかをちょっと探って、そこにアジャストさせていくんですけど、それをやるのは、つまりその自分のスタイルを知っていることと相手のスタイルを分析できる状態であるからして、なんかすごくこう、メタ認知が得意なんですよね。
そうすると、メタ認知できない人からすると何を言ってるか本当に分かんなくなっちゃうから、何を言ってるんですかってなるんですね。だからこの人たちはもうなんかターゲットではないので、まあ多分そのラジオもわざわざ聞くとか、もう2、3分でしんどくなると思うから多分聞いてないと思うけど、
YouTubeに関してはちょっとタロット媒体にしちゃったのもあって、こういう層がものすごいリーチしてしまって、なんか難しかったですね。なんかそんなことじゃないんだよねってなる層が多分多くて、なんかこの辺もちょっと、なんか伝わらない喋り方しちゃってんだなぁみたいなのを自分の中で問いに持ってしまった原因だったと思うんですけど、
まあ悪いことじゃないんだけど、まあちょっとしんどいなっていうだけで、そうそうそう、思いましたね。なるべくリーチしたいのは、なんか自分に近しい層というか、ちょっと引きで見ることができる、メタ認知が強くて思考有為で、なんか共感とか感情とかじゃなくて、ちゃんと理解したいとか、ちゃんと言語化したいとか、これが何なのか分かっていたいみたいな、知的好奇心というんでしょうかね。
強いタイプからすると、おお、そういう切り方あるか、みたいになって、おもろいんじゃね?私だったらおもろいな、みたいなところがちょっとあって発信していますが、なんか期待するターゲットにどれぐらいリーチしているかは極めて不明なので、なんか気にはしつつ、とはいえ気にしてもしゃあないな、さっきからずっとグルグルしてますけど、と思ってまた来年もやっていこうかなと思っています。
過去の影響と家庭環境
今年はなんか、なんせ、急に振り返っていきますけど、そんなになんか全く期待していなくて、内容も、なんか基本的に自分が自分のことをメタ認知していく過程を喋っていこうぐらいだったんですが、
テーマも結構ウロウロするというか、なんかブームによってめっちゃ変わっていくなーって自分で思っていて、なんか当時のブームが好きだった人からするとなんか全然違う話してるな、最近はってなると思うんですけど。
そうね、でもこれはこれでなんか自分的にはすごいログって感じがあっていいかなとちょっと放置しているところですね。逆に言うと同じ時期に同じ話ばっかしてるっていうのはありますけど、この辺はなんか自分の進化の過程かなと思ってログを残してます。
本当は過去のエピソード聞いて、今だったらどう思うかみたいなところをそのうち喋れるといいねって思うんですけど、なんか過去の話なんか聞いてらんないんですよね。なんか解像度低すぎてなんかあーってなるから、ちょっと聞けません。
半年前とかもちょっとしんどくなってくるんだよな。変化が激しいのと、気になった領域をわーっと掘り下げて自分の中で答えを見つけていってしまうから、なんか迷ってる時に撮ってたりするのは、なんかもうとてもとても聞いてられなくて、なんかその振り返りができませんし、過去のエピソードに流したりするべきなんだろうけどそれも流せない。
なんか恥ずかしいなぁ情けないなぁ未熟だなぁみたいな感じになっちゃってちょっと全然できないんですけど、なんかこう一緒に聞いてくださって、なんかこの考えをまとめていく過程みたいなのを一緒にやってくださる方がいたらありがたいなぁ嬉しいなぁと思いますね。本当にすごいことだなぁと思って感謝しています。
感謝っていうか、優しいなぁ優しい世界だなぁみたいな感じでしょうか。
なんか最近気づいたことでまた話変わっていくんですけど、長く自分語りをする居場所を自分で作っているっていうところで、なんか最近振り返ったんですけど、そもそも私がこの人を目の前にすると一方的に喋んないって話をしてたんですけど、もともと多分家庭環境の影響がすごいでかくて、
親がなんか私のことを全く認識してないというか、認識してないっていうか、まあまあまあ他の人もこういう人もいるんでしょうけどなんて言うんでしょうね。
いや声はかけてくれるし挨拶もするしお金は出してくれるんだけど、あなたはどう思ってるのとか、なんかその気持ちへの関心とか配慮とか尊重みたいなものが全くなくて、なんか私がこれが辛いとかこれが悲しかったって言った時とかに、
普通っていうか私だったら辛かったかって何が辛かったみたいな感じで、その感情にフォーカスするのが正しいアプローチと思うけど、うちの親はなんかそんなこと悲しくないでしょうとか、なんか考えすぎとか、あんたが悪いんじゃないのみたいな、そういう感じのアプローチだったので、
なんか自分の考えとか気持ちとかは重要じゃないみたいに学んでいったんですね。どうやら強く強化していって、さらにその話を聞いてもらえないわけだから、話ってその転休の話とか、今日学校でこんなことあってみたいな、これもあんまり聞いてもらった記憶ないけど、なんかまあまあそれぐらいの表面的な会話はあるけど、
なんか本当は辛くてとか、私は本当に悩んでいてみたいなの、全然安全じゃないじゃないですか。私これ悩んでますって言ったらそんなの大したことないじゃんって言われたら超辛いから、とても家庭ではそんなものは出せないので、この辺でなんか自分の話はしない方がいいみたいなのを多分強力に強化させていって、でも聞いて欲しいわけじゃないですか。
自分の話は聞いてほしいし、自分の気持ちにもっと関心向けてほしいし、なんかちゃんと見てもらいたいみたいな欲求はずっとずっとあって、なんかこの辺からなんかそのラジオで配信して、まあまあそのひねくれるんですけどある程度、ある程度はひねくれていくんだけど、その誰かに見てほしいみたいな、その承認欲求モンスターみたいなわかりやすいひねくれ角はしなかったんですけど、やっぱなんか一方的に自分の話ずっとしてる人とか見ると憎らしくてたまんなかったもんね。
ラジオ配信の必要性
しばらく結構ね、結構大人になるまで一方的にこいつずっと喋ってんじゃんもんね話をみたいな、誰の役にも立たない話めっちゃすんじゃんみたいなやつめちゃくちゃ嫌いだったから、なんかそこはしっかりとこじらせてきたんですけど、なんかラジオしていくときはもうなんかそういう、なんか呪いみたいになるからそういうのって、なんかこの辺の呪いは一旦解除してからラジオを開始してるんですが、なんか逆に言うとその自分の話をタラタラ喋るってことへの罪悪感が半端ないのよね。
だってそれでろくのみにあってこなかったわけだから、また幼少期に学んでるから、なんか生存戦略みたいなところに入っちゃっているので、長く自分の話をする自分の気持ち、生の気持ちを誰かに喋るってことがものすごく恐ろしく、それがまたこうなんも悪くないんだけど、なんか罪悪感が激しくて、
なんかYouTubeやってた時の定期的にアンチコメントみたいなのが来るんですけど、なんか異常にぐっさり刺さるなーって思ってたのは、なんかそういうところ、その痛みを多分再燃させてたんだろうなーってなんかちょっと最近振り返ったりしました。
あのそうそう、自分が喋ることって別に悪いことじゃないはずですもんね。自分はこう思っている、私にはこういうふうに見えているっていう話をしてるだけなので何にも悪くないんだけど、なんかそれに対して、なんかそれはそうは思わんなーとか、いやそうは思わんなーっていうのは全く傷つかないけど、そうなんだねーで終わりなんですけど、
なんかそれにどうのこうのっていう、なんだろうな、いいねってやつもどうかなーっていうやつも別にその人の感想であって、なんか私の発信とは何ら関係ないものなんですけど、なんかそこに対する反応がすごい怖かったのは、その否定されまくってきているとんでもないトラウマあるわけだから、なんかそこらへんが怖かったし、けど、
でもその発信していくこと、喋ってみること、自分の話を、したい話をね、することが、なんか自分のためには多分必要だったのかなー、多分行動としてね、多分必要で、必要と、ちょっと待って、うまく言ってないけど、そのダラダラ自分の話をすること自体に意味があるというよりは、喋っていって、ちょっとずつそれになれるというか、そういうもん、
それって別に普通ですっていう世界観に自分の認知を移行させていくことが多分必要で、なんかこの時、この間なんかGPTに自分の喋り方バーって食べさせていったときに、ほんとそれ気づいたんですけど、なんか自分の話することへの罪悪感っていうのは、その過程のすごいちっちゃい時からすり込んできた、
あー価値観だったのねってところと、別にそんなことないのか、みたいなね、この辺で意識できないから当たり前すぎて、でも22とかまでいた過程だったので、そこで私は話は聞いてもらえないもんなんだなーってなると、世界ってそういうもんなんだーって思って社会出ちゃうから、
でまた新卒でもなんかものすごい怒られてきたので、本当にもうお前は何言ってるかわかんないってなって、特にIT業界でなんかロジカルな皆さんに、またなんかもうメガベンチャーだったもんだから、バリバリ系のバリバリな人たちしかいないから、バリバリと叩き殺されてきて、
あーなんかこんなんじゃダメなんだーみたいな、めっちゃ自己否定を強化して、あーなんかこんな喋り方じゃダメだし、自分の言いたいこと言ってダメなんだーみたいな、相手の欲しいものを端的に喋ってこそ、この社会にいるためにはそうすればならないんだなーみたいな、って思い込んだのね。
まあ実際できるかちょっと置いといてほしいです。全然できてないんですけど、なんかそれであれと思ったら、人に自分の話するのものすごく怖くなるじゃない。怖いってことも認識できないぐらい当たり前に、それはするべきじゃないみたいな、なんか法律違反みたいなレベルで入っていくから、できなくて、まあそうそう、やんなくて、でなんかそこでこうYouTubeとかやってみて、ラジオもやってみて、なんかダラダラ喋ってみることへの恐怖と、なんかやっていいのは頭ではわかるけど、
なんかもっと根底に、そんなことしたら怖い目に合うよっていう学習が無意識に入っちゃってるから、それがそうそう怖いのよね。で、なんかアクセルとブレーキなんかちょっと変だなって思ってたけど、ここら辺だったのねっていうのがわかって、今こうやって喋れてる時点で多分、結構なんか解放傾向というか、回復傾向というか、なんかいい状態なのかなーと思ってるんですけど。
本来そうだよね。自分の話いっぱいすることって何にも悪くないのに、なんかここになぜかすごい罪悪感と罪の意識を、あ、一緒か、罪の意識と罪悪感一緒ですが、貼り付けてきたのって、いやー可哀想になーってめっちゃ思うね。今振り返ると、なんか子供、私子供育ててますが、子供たちだって自分の話いっぱいしたいって言うもんね。いや、そりゃそうでしょって思うもんね。
なんか、二人とも競ったように喋ってくるんですけど、なんか私の、私も話したいとか、なんか今俺が話してるとか言って、あーそうかそうかってなって、全然可愛いし嬉しいし、なんかいっぱいね、喋ってくれる、喋ってくれないとわかんないからね、学校で何あったかとか、今何考えてるとか、今何が好きで、何が嫌で、どんな苦しみがあり喜びがあったのかなんて、話してくれないとわからないし、それがなんかどうでもいいって一体どういうことなんだいって感じするもんね。
するもんね。なんか、近所の人ですら私はなんかこういうことが最近嬉しいんだって話はいい話だなって思って多分聞くと思うけど、自分の子供のその、なんか何考えてるとか、こういうふう、自分はこういうふうに見てるみたいな話が、なんかあんまり興味がない親だったのかって思うとなんか残念な家庭だし、ちょっとかわいそうになーってめちゃくちゃ思いますなー。
なんでまあ子供たちにはいっぱい話聞いてあげたいし、なんかその話はおもろいねって、あなたの話は面白いって。面白いっていうのはその爆笑、爆笑の時もあるけど、めちゃくちゃ爆笑の時もあるけど、なんか興味深いみたいな意味で、なんかいっぱい話してくれてありがとうねって感じでおりますがね、これをやっていくことがまた自分の中の一種のセラピーにはなっているかなという気はします。
子供とのコミュニケーション
そうやって子供の話をいっぱい聞いてあげて、自分が欲しかったリアクションを返していくことが、子供たちがなんか満足そうに、なんかいっぱい話聞いてもらえたーとかだったり、あー受け止めてもらえたー、安心するみたいなリアクションしてるのを見ると、なんかあの時の寂しかった私がちょっとずつ癒されるのかなーと思いながら、なんかこのラジオも多分そういうセラピーの一環なのかなっていう気もする。
でもこういうのって、こういうのってちょっと思考を上げていきますが、あれなんだよな、やってることずっと変わんないんですよね。なんか今まるで当初はこう罪悪感まみれで、最近はちょっと罪悪感も外れて、なんか気持ちよく自己語りしてますみたいな風に喋ってましたけど、多分内容は別にずっと気持ちよく自分語りしてるんですよ。
別に変わってないと思う。喋り方も全然変わってないと思うし、なんかテーマとかも何も変わってないけど、だから私のマインドが勝手に変わっているだけで、これによって私の認知が変わるだけで行動は何も変わんないんだよね、きっと。だから周りから見ると、なんかあんまり分かんない話って感じになるよねっていう気がします。
この辺を踏まえてるから、なんか誰かが自分の中の心境の変化がすごいありましたってなった時に、もし行動が変わってなくても、なんかどういうふうに見え方が変わったかって感じで質問するようにちょっと意識してますね。それがその人の答えだから、なんか行動で評価するとちょっとここブレるよねーって自分的にはすごく思ってますね。
はい、ちょっとなんかまた引きで見た話をして混乱を招きそうですが、なんかそんな風にちょっと今回の発信とか喋り方とかラジオってなんだみたいなところを振り返ってみました。長くなりました。ありがとうございます。ちょっとこれがリリースされるのが一体いつかわかんないけど、多分年内に出したいなと思ってますが。
あれですね。次はあれを撮りたいな。年内に2025年の振り返り一緒にやろうぜみたいなワークみたいなエピソードも撮りたいなと思っています。よかったらチャンネルの登録フォローと、概要欄にレターの投稿法もご用意しておりますので、ご感想やご質問いただけるとめちゃくちゃ嬉しいです。
最後までご視聴くださり本当にありがとうございました。よかったら他のエピソードでもお会いいたしましょう。じゃあまたねー。