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こんにちは、みおです。今日は 〇〇してあげるっていう言葉について話してみたいと思います。
子育てしているとよく〇〇してあげるねっていう風に使うと思うんですけど
これが結構私が口癖になっていることだなって思っています。 例えば、ご飯を作ってあげるとか
準備をしてあげるとか、朝起こしてあげるとか、 子供に対してやる行動について全部してあげるっていう風に
語尾をつけてしまうんですよね。 確かに子供ができないうちって
親のサポートが必要になると思うんですけど、 そういうあげるっていうことについてどうなのかなって
思うことが増えました。 それをずっと言ってて当たり前になってくると、私は子供に対して
〇〇してあげてるのにっていう風に 見返りを求めてしまうようになるんですよね。
本当に私も実感していることで、 ついあげるって言ってしまうし、それに慣れてしまって
なんかいつの間にか子供に対して その行動を強制してしまったりとか
なんか感謝しなさいよみたいな
気持ちになったりとか、 そういうことがあるなっていうふうに思っています。
確かに親である以上は子供に何かをしてあげたいとか させてあげたいって思うのは当然なことだと思うんですけど
それが行き過ぎてしまうと 子供にとって
私が受けて辛かったような過干渉とか 過保護とかっていうふうに
子供にとって違和感が残ってしまうのかなと思います。 それに関しては親と子供のずれのようなものであるような気がします。
子供って特に先のことなんて何も考えてなくて、 いい意味でね
未来の不安もないし、 本当に今だけを見て毎日過ごしているから
親がやっていることって意外と求めていなかったりするんですよね。 あんまりそれを重要視していないっていうこともあるし
親は本当に未来のことが不安で、 あれもこれもって考えて行動してしまうから
子供にとっては多分そういう意味が なかなかつかめないだろうし
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なんでなんだろうって 子供ながらに思っていることもたくさんあるんだろうなっていうふうに思います。
なので 確かに生きるためで異色獣とか必要なことはもちろん
親としてはやるんだけれども それをこうやらないわけにはいかないから
まず行動するにしてもその言い方から 変えていったらいいんじゃないかなって思いました。
例えば 一人でやるんじゃなくて
一緒に何々しようっていうふうに言ってみたりとか 自分が見かけ状やってあげたことだったとしても
子供に対しては 何々したよーとか
ご飯だったら何々作ったからねーとか そういうあげるっていう言葉自体を取り除いてあげる
それだけでも 自分が持つ心構えというか
感じる気持ちって違ってくるような気がします。
あげるっていうところにどうしてもおこがましいけど あなたのためにとかそういう気持ちがあったのが少しは薄れるような気がするし
なんとなくだけど 言い方を変えると
行動が自分主体になってくるので 例えばイライラとかが起こってもその方向先が
子供に向きにくいし 自分の心が
楽になる方法の一つなんじゃないかなって思います 特に子供が小さいと
まだできないことも多いから どうしてもあげるって言いがちになってしまうと思います
実際はしてあげてることではあるんですけどね 私も実は一度
長男を子育てしている時に
なんかあげるって言ってしまっているなってことに気づいて 修正したことがあったんです
少し意識してみた時期があったんですけど でも次男が生まれてまたそれが出てくるようになってしまったんですね
特にお兄ちゃんと弟っていう
なんかこう差をつけてお話をすることもあって
次男には何々してあげるんだよとかそういうふうに長男に対して 教えてあげていることもあったなぁと思って
またそういう口癖が戻ってきてしまいましたね それを言うことは悪いことではないんですけど
だけどそれに慣れきれてしまって なんかこう
強制的になってしまったりとか トゲのある言い方を含むようになってしまったなっていう時は
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毎日1回でもいいので見直してみると違うんじゃないかなっていう気がします
私も次男に関してはできることが少しずつ増えてきたので だんだんこう
何々してあげるっていう言い方を少しずつまた変えていきたいなって 思っているしそれが自分の心の変音にも繋がるといいなって思っています
では今日はこれでおしまいにします いつもありがとうございます
失礼します