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  2. ○ 5.1 石拾いの話(もの派編)
2023-08-07 15:43

○ 5.1 石拾いの話(もの派編)

石拾いから始まる、散歩のような雑談。

もの派、ピダハン、科学と信仰、アイヌ文化。3人が当て所なく喋った先で辿り着いたのは……?

出演者 : 藤野真司, のぞみるき, 塩田素也
収録日 : 2023年6月21日

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Narration by VOICEVOX:冥鳴ひまり
Produced by かもすハウス

サマリー

このエピソードでは、石拾いというユニークな趣味について議論されています。特に、北海道の自然の中での拾い物や、その過程での発見の喜びが強調されています。海での石拾いを通じて、質感や美しさの発見、アートとの関連について語られています。特にモノ派の作品を通して、物に対する集中力や感じ方の変化について考察されています。

近況報告と北海道の生活
ということで、久々ですね。
久々ですね。お元気でしたか?
藤野さんが一番多忙で、大丈夫かなと思って、心配してたんですけど。
そうですね、私は観光業の方の仕事ではちょっとバタバタと忙しくなってきて、個人の制作も並行して相変わらずやってるんですけども、
それもありがたいことに、展示の機会だったり、作品の購入の希望だったりというのをいただけていて、合間に作ってみたいな感じですね。
北海道に越してきて1年半ぐらい経っているんですけど、1年通じてめちゃくちゃ過ごしやすいということもわかってきたんで、しばらくこっちで根を張って制作していこうかなと思っているところです。
気候はどうですか?1年半過ごしてみて寒さとか耐えれそうです?
寒さはね、結構白尾行って、僕がいるところは北海道のかなり下の方、青森寄りというか、下の方の戸間小米とかの近くなんですけど、全然雪が少ないエリアなんですよね、北海道の中では。
だから全然この生活にも困らないし、綺麗だなーなんて言って、雪を見ながら過ごしてるんで、すごくちょうどいいですね。
札幌とか、あっちの方大変ですけどね、雪の量で言うと。
そうなんですね。都市部の方が降るんですね、北海道。
都市部の方が雪が降って、インフラがいろいろ止まりやすいというか、
そうですよね。降っちゃうとね。
街、都会に住むのは大変だなと。
周りすごいのどかな場所ですけど、たまにこうやってもてさんとりきさんと喋って、制作してみたいな、なんかいい感じの生活ですよね。
そうですね。田舎は人との接点があれば、そんな寂しくはないというか、自然の中で伸び伸び過ごせるから。
そうですね。
福岡での展示
お二人は近況はどうですか?
そうですね、一番あれだね、最近行ったのは福岡の方で。
あ、そうですね。
展示を。
展示しましたね。
るきさんがね、展示しましたね。
あれ見に行きたかったです、ほんとに。
そう、なんかね、藤野さんの出身の九州の方だから、時折藤野さんって思いながら。
福岡って、前も行かれたことありました?
あ、そうだね。
一回行ったんですよね。
去年の9月ぐらいだったかな、に行って、その時はまだ展示をするつもりではなくて、半分旅行というか、
そうですね。
でもその、今回の展示した会場、いいかネパレットっていう田川市にある施設なんですけど、そこ行ってみたら、結構雰囲気が良かったんで。
良かった。
それでね、帰ってきてから、また通い合わせたり。
そういう流れだったんですね。
すごいいい感じの空間だったから。
そんな感じかね。
なかなかほんとそっちに遊びに行きたいと言いつつ行けてないんでね、ちょっと今年こそはって思ってますけど。
でも我々も次は北海道行きたいなって思ってます。
ぜひぜひ。
次は北を攻めてもらって。
北行きたいですね。
石拾いの楽しさ
最近、僕も結構さっき言ったみたいに、いろいろとバタバタしてる中でも、ちょっと息抜きの方法みたいなのを新たに見つけてまして、ぜひちょっと話をさせてもらいたいんですけど、
僕最近拾い物をよくするんですよ。
拾い物。
拾い物っていうのが、石なんですけど、石とか木とか貝とかそういう落ちてるものを拾うんですけど、石拾いめちゃくちゃよくって、忙しい人にこそぜひやってもらいたいなってあちこちで僕言ってるんですけど、
なかなか職場の同僚を、ちょっと今度僕と石拾いに行けませんって言っても、ちょっとみんなそんなに食いついてくれない。石ですか?なんですか?みたいな。すごく警戒されちゃって。
最近僕やってるのは、この近くだと車台っていうエリアがあって、この白尾町って横長で山もあるし海もあるしみたいな感じの、そういう街なんですけど、海の近くに行くと広い浜とかがあったり、あとは川もすごく多いんですよね、山のエリアには。
そこを歩いてると、すごい良い石がたくさん落ちてて、それをひたすらただただ拾うだけなんですけど、これ何がいいかって、やってるうちにどんどん良い石が見つかってくるんですよね。
良い石っていうのが、自分の中で広がっていくというか、良い石の定義。最初はキラキラした変わった色の綺麗な石探そうと思って、目がその石を探してるじゃないですか。
そしたら探してるその石の隣にあるまた変な変わった色の石を見つけて、その石をよく見ると、一本だけその色の違う筋がピーって入っている縦に丸いこの石の中に直線がピーって走ってるみたいな、これ面白いと思って、それを拾うと今度はその直線が入った石がどんどん見えてくるんですよね。
なるほど、なるほど。
で、「あ、ここにもあった。うわ、ていうかさっきのよりもこっちの方がいいじゃん。」とかっていうのが出てきて、どんどんどんどん拾ってるうちに、なんか最初はその全然見えてなかった良い石がゴロゴロ見つかるようになり、袋いっぱいに石を拾って大満足して帰っていくっていう、そういう息抜きなんですよね。
で、そのコレクションを大事に並べて、今僕のアトリエにも大量に作品より多いんじゃないかっていうぐらい石が並んでるんですけど、なんかその、ただただ楽しくてこれやってて、で先日その友人というか職場の同僚を連れて、2人ぐらい捕まえて一緒に石拾ったんですけど、彼らもめちゃくちゃハマって。
そうそう、この石拾い。で、何が楽しいのか最初聞いててなんか分かんなかったけど、実際やってみるとこれすごいですねみたいな感じになるんですよね。
なるほど。
そう、作るのがちょっと大変で体力いるなっていう時は石を拾ってます。
なるほどね。
長野の方とかちょっと拾いに行きたいなぁ。
ね、あれですよね、結構地層が違うとまた石の種類も違ったりとか言いますよね。
そうなんですよ。
割と調べるとそういうのが、何て言うんですか、どっかの研究ベースみたいなやつが出てきたりして、このエリアではこの石取れるみたいなまとめてる資料とか出てきたりしますよね。
面白いですね。
海道来たら一緒に石拾いに行きましょうよ。
行きたいですね。
すごい行きたくなりました。
スポット案内してもらって。
だって3、4時間こんなに幸せな気持ちになってゼロ円っていう。
もうなんか最高すぎるなみたいな。
お金一切かけてないっていう。
子供の頃とかはやってたんですか?
子供の頃もやってましたね、よく考えたら。
結構よく拾い物をする子でした。
なんか収集壁に近いんですかね。
なるほどね。
そういうタイプの人もいるよね。
同じ形の石をめっちゃ集めてる人とか。
聞いたことあるけど。
逆に2人はそういうのないですか?収集壁みたいな。
収集壁ね。
でも確かにあのガラス、何て言うんだっけ?
シーガラスってやつか。
シーガラスは集めてましたね。
今も持ってますね。
あれもね、止まんないですよね。
止まらないんですよね。
可愛くて。
あと、シーガーに生まれてるから、
桃片とかも結構落ちてるんですよね。
いいっすね。
そういうのとシーガラスセットでちょっと集めたりはしてますね。
めちゃくちゃいいな。
桃片もね、いいですよね。
かけらだけでもちょっと絵付けがあったりするようなものとか。
海での石拾いの発見
これはね、ちょっとずるってなってていいんですよね。
削れてね。
ね、手触りがね。
なんかあの、海で拾う場合だと、
僕はあの、そういうその拾うものの質感が
どんどんどんどんなんていうか、
似てくるというか、質感が入れ替わるみたいなものとか発見するんですよ。
そう、木だと思って拾ったら軽石だったりとか。
石だと思って拾ったら木だったりとか。
なんかその、あの海のこうザザザザっていうこの寄せては返す、
なんていうかバイオリズムによって、
なんかその質感が入れ替わるみたいなものとか発見するんですよね。
そういうのもね、
そういうのもね、
なんかその海のこうザザザザっていうこの寄せては返す、
なんていうかバイオリズムによって、
なんかその、なんていうんですかね、
それってすごく抽象的ですけど、
なんか死を感じるというか、
精神の死ですね。
っていうのもあるし、
でも生まれてるものはなんかすごく、
なんかぼーっと見つめ続けられるような美しいものが多いし、
なんかその海に行くとちょっとその恐ろしさと美しさを、
結構感覚的に感じられたりしますよね。
なんかすごい不思議な気持ちになって、
結果的に拾った後も、
これ最終的にこれ何なんだろうって分かんないやつとかもあるんですよ。
木なのか骨なのか石なのか貝なのかみたいな。
それもすごく面白い。
だから僕この石を拾うっていうところから、
なんかこう広げて考えると、
その目の前の出来事に対する、
そういう集中力みたいなことって、
ひょっとしたら僕がすごい好きなミニマルアートみたいなものとか、
モノ派とかってあるじゃないですか。
ガラスの上に巨大な石をダーンと置いただけみたいな方々がいらっしゃったんですね。
具体美術の後の流れぐらいで。
僕あれは結構コンセプチャルで理屈っぽい作品なのかなってずっと思ってたんですけど、
そう考えてみるとちょっと見え方が変わるというか、
ひょっとするとあのシンプルな行為で、
彼らは僕が石をこうやって見てる時みたいな、
ああいう目の前のものに対するただのある集中力みたいなものを、
ああいう作品で提示してたのかなみたいな風にも思ってきて、
そういう感覚尖らしていくと、
多分何にでも感動できる状態みたいな、
ちょっとそういう精神状態ってあり得る気がするんですけど、
その領域を扱ったアートだったのかもとかって最近思いました。
石を拾いながら。
モノ派と集中力
いや、わかりますね。
結構私モノ派好きなんですけど、
特にリウファンとかね、石を扱っている人、
石の面白さって体積に対しての重さがすごいあるじゃないですか。
そうすると、物にも重力ってあるんですよね。
重いってことは、それだけ重力が働いてるっていうことで、
それが美術館にポンって置いてあるとちょっと感じられるし、
あと時間もすごい経過しているものですよね。
石って長い時間が含まれていて、
そういう時間とか重力とかが空間に働きかけてて、
そこで感じる歪みというのかな、
その部屋の異様さみたいなのがじわーって伝わってきて、
いや、面白いなーって、すごいかっこいいなーって思います。
不思議ですよね。イリュージョン的というか。
そうですね。
それがたぶん藤野さんが海で感じるような姿勢感の、
ちょっと欠片を感じられるみたいな感じなんじゃないかなって思ってます。
質量のあるものって、それだけで何かを感じさせたりとか、
逆に何にもないところに何かを感じたり、何かがあるものに何か感じたりみたいな、
それも意識の置き方次第で何か感じ方って変わる部分あるんだろうなと思って、
そういう美術館とかやたっぴろい空間に身を置かれると、
強制的にその空間に対する壁とかっていう部分で、
物理的にその情報を遮断されてるんで、
そういう集中力に入りやすいのかなっていうのはあったりしますけどね。
まだまだお話は終わらないようです。
次回もお楽しみに。
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