そっからちょっと楽になった感じですよね。
そうか。
制作があることがやっぱりすごい負荷がかかるんで。
それが終わっちゃえば、ただね、回帰中、ものすごい数の方とお会いしてお話したりとか。
そういうのはまた別の面ではハードなんですけど、そこに制作が乗っかってないと、割と息抜きっていうのかな。
そっからは割と気持ちは楽でしたね、会期入っちゃってからは。
そうなんだ、なんかあんまり人と会って話しするとかは、そんなに、制作するのと比べるとそんなに負荷じゃない。
そうですね、全然内容が違うっていうのもあるし、やっぱり制作の集中力っていうんですかね。
それは、前、由美子さんにお話したけど、神代の彫刻作った後に、なんか3日間ぐらい寝込んじゃったみたいな。
やっぱりそれぐらい負荷が結構、体と心にかかってきて、多分あれが2月の終わりぐらいだったと思うんですけど。
それから、ずっと制作毎日やってはいたんですけど、完全にそこから回復できなかったんですよね、制作が続いちゃってたから。
それで、最近ちょっと、今、老眼鏡をやってるんですけど、目も疲れるようになっちゃったし、
そういう目が疲れちゃうと、もう体が全部疲れちゃうみたいな、肉体的な限界と、集中力の限界と、みたいなのが、結構パツンパツンで最後の方、2ヶ月くらいやってたから、
その蓄積が結構大きくて、っていうところの負担がやっぱり一番大きくて、
回帰、人と会うのは、むしろホッとして、いろんなおしゃべりができるみたいなこととか、休校温めて、
あんなことあったね、こんなことあったねって、今どうしてんの?みたいな、ちょっと知り合いとお話したりとか、
そういうのは、もう全然違う回路で、むしろリフレッシュっていうか、ハードではあるんだけど、ちょっとこう、解放される感じがありますよね。
そうなんですね。
今回の展覧会で、個展だし、点数も結構あったので、
会場で、まずは人が入る前、搬入して、人が入る前の会場に立った時の心境っていうのは、どんな感じでした?
あー、そうそう、結構そのタイミングが、一番展覧会の醍醐味というか、大事な時間だと思っていて、
まずお客さんに見てもらえるかどうか以前に、自分がその空間にいて、充実感が得られるかっていうか、満足できた空間になってるかどうかっていうことの幸せ感の大きさがやっぱり一番大事だと思っていて、
まず一人でその空間に立ってみて、あーなんか気持ちいいなーとか、なんかこうワクワクするとか、そういう感覚がまず味わえることが一番大事だと思っていて、それが出発点になるっていうふうに考えてるんで、
やっぱりそこが今回すごく得られたので、その点は本当に大満足というか、
やっぱり肉体的にも精神的にも、心の面とかそういう全部、結構ギリギリのラインでやってきて、やれることは全部やり切ったっていうふうに思えたので、その上で展示を終えて、結構5、6人、6、7人かな、いろいろ手伝いに展示に来てもらって、
あらかじめ会場が広かったんで、ちょっと念のため作品を多めに持って行って、全部最初並べてみたところから展示を始めたんですけど、結構自分じゃなかなかこの作品は出さないという決断が難しくて、
やっぱり友達に足し算引き算で引いてってもらわないと、すっきりした空間できないんで、その点はやっぱり手伝ってもらって、たくさん引いてもらったんで、本当にすっきりした空間になったから、やっぱり最初に初日、まだお客さん来てない時点で、その空間に立った自分の満足感っていうのはものすごく大きかったですね。
搬入の時に、一つ一つの作品が空間に並ぶと、それだけで作品じゃないですか、空間が、一つ一つの作品であるのと、作品が会場に並ぶのって、ちょっと違うじゃないですか。
違いますね。
あの搬入が終わった後の空間ってめっちゃいいんですよね。
そうですね、すごくいいですね。
私あれすごい好きで、それでどうだったんだろうって思ったんですよ。
空っぽですもんね、最初ね、搬入前ってね。
前の展示が終わって、全部搬出されて、ガラーンとしちゃった後に、荷物がどんどん運び込まれていって、開封されて、作品が出てきて、ちょっと並び始めて、ビシッと決まったみたいな。
最後やっぱりあるべき姿っていうか、必然があるっていうかね、そこにある理由がみんなこうそれぞれ見えてくるみたいな状態に収まった時の快感ってやっぱりありますよね。
グループ展と個展の違いがやっぱりあると思ってて、その反入の。
グループ展もやっぱりバシッと決まるってあるけど、ある程度の妥協があるじゃないですか。
そうですね。
やっぱり一人だけの作品じゃないから。
この隣にこの作品があると映えるねとか、でも結構需要できる作品と、お互いを需要しにくい作品っていうのがやっぱりあって、
どの隣にあってもこの作品は大丈夫なんだけどっていう作品と、この作品は必ず需要できる作品の隣じゃないと難しいよねっていうのがあったりすると、
その中でも一番良いところを探りながら展示ってするけど、
展って全部が同じ作家の人の作品だから、あまりに妥協できないっていうか、
すっごい良い形を求めちゃう傾向がある気がしてるんですよ。
その分難しさはあるんじゃないかなと思ってやってて。
そうですね。
難しさが、やっぱりもう一つは、自分の作品だから判断できなくなっちゃうっていうのがあって、
分かんなくなっちゃうんですよね。
だからやっぱり、
ずっと見てるからね。
目がある人が客観的に見てくれて、この並びの方がいいって言ってくれると助かるんですよ。
ある程度やっぱり人の目通さないと、ちょっと自分が迷子になっちゃうんですよね。一番ね。
そっか。
大体の並びは決められるんだけど、細かくこの隣はこれっていう並びですよね。
それが分かんなくなっちゃいますね。
何引いていいか分かんないのと、細かい並びの、これの隣はこれっていう並びがどうしても分かんなくなっちゃいますね。
でもそれって、手伝いに来てくれた何人かの方達っていうのは、割と意見ビシッと決まる感じですか?
ビシッとっていうよりは、手伝ってくれてるはずなのに、その人が座り込んじゃって、ボーッとしてるんですよ。
何人か。
あれ、なんか手が止まっちゃったなみたいな。
ずっとボーッと作業しないから、サボってるみたいに見えちゃうぐらい、何にもしないんですよね。
でも、それって実は並びを見てくれてるんですよ。
考えてるんだね。
分かる。
早く動いてって思っちゃうんだけど、旗から見るとね。
頭の中で変えてるんだよね。これがこっちで、これがこっちで。
一生懸命シミュレーションしてくれてて。
ふとね、だからビシッというよりは、ポロッとこっちの方がいいんじゃないかなみたいなね。
あーそっかそっかってなるんですよ。
だから、下手にね、早く動いてって言えないんです。
確かに。
頭が動いてるからね、頭の中で。
そうそうそう。
それがおかしいとこだよ。
そっか、じゃあバーってこう、ちょっと試行錯誤しながら場所が決まって、ちょっと引いたりとかしながらかけていって、
最終的に決まった形は、みんなが満場一致っていうか、これだよねって感じに。
そうですね、まあほぼほぼ。
もっと引けるっていう人もいるけど、
でもやっぱりギャラリーって販売する場所でもあるから、ある程度数並べる必要性があったりとかそういうこともあるんで、
まあよっぽど広い空間で美術館で展示するとか、販売する必要がないみたいなことであれば、
本当にゆったりとポツンポツンってやれるんですけど、
そのギャラリーの性質とか考えると、これがベストかなっていう点までは行きましたよね。
そこから毎日在廊するじゃないですか、ある程度の時間。
はい。
会期中で会場にいると見え方って変わってきます?
うーん、そうですね。
なんだろう、やっぱり人と話をしてると、その人の視点で作品が見れるような気になってくるかな。
なんか自分の見え方は最初から最後まで変わらなかった気がするんですけど、
その人の視点で見るみたいな視野をもらえるっていうか、
僕の見方とは違うんだけれど、そういう見方で見れるんだみたいな、
他視点って言ったらいいのかな。
そういう変わり方はしてくる気がします。
なんか自分で予想しなかった視点で、フィードバックあったやつとかありますか?
そうですね。
やっぱり子どもたちのクラスを会場でやって、
50人以上の子どもと親御さんたちが来たので、結構ワイワイとやってたんですけど、
やっぱり彫刻を指で迷路みたいにたどってたりとか、
そういう肉体的なリアクションって言ったらいいのかな。
体が動いちゃうみたいなね。
そういうのを見ると、ただ目で見るだけじゃない、
体を使って感じてくれてるみたいなのを見ると、
自分ももっとみずみずしくやりたいって思えたりとか。
それは大人なんですけど、
画面に顔くっつけるぐらい見てくれたりとか、
吸い込まれちゃいそうとか言って、
顔くっつけて見てる人とか、
そういうのを自分はそこまで見てなかったなみたいなこととかですね。
私見に行って、平面の作品は全部側面がすごい気になっちゃって、
ゴールドかシルバーで塗ってあったじゃないですか。
そうですね。
それも意図的に絵画の見え方を理想的な見え方にするために。
それが側面をちょっと削ってあって、ちゃんと回り込むように全部手が加えてあるんですけど、
あれはなんで全部ゴールドかシルバーなんだろうって思ってて、
アーティストトークで話してくださって、
それ聞くまでは、絶対なんかある、絶対なんかあると思って。
なるほど。
そう、すっごい側面が気になって、今作ってるんですよ、個展中の動画を。
ほとんどの作品で側面がね、写真撮ってある。
本当ですか。
これ、動画見る人、なんで側面撮ってあるんだろうって思うかなと思ったんですけど、
マニアックですよ、それ。
ほとんど側面が撮ってある。
一番気になったのが側面だったんです。
絵画の表現って、それぞれ全然違う表現で、
それぞれの作品のテーマなり、キャンバスとの対話なりがあるんだけど、
側面は、一定して同じように作られてるんですよ。
それが面白くて。
なるほど、なるほど。
側面を削って金か銀に着彩するっていう理由は、
正面から見た時に、側面が見えてしまうと、キャンバスの箱っていうんですかね、
箱が見えてしまうんで、キャンバスっていう素材に意識が行ってしまうから、
自分が見せたいのは、素材じゃなくて、
素材を使って自分の世界観を見せたいんですよね。
だから世界観を見るにあたって、側面が見えちゃうと、
興醒めしちゃうっていうか、そんな気が自分はしてるので、
そういう風な処理をしてるんですよね。
そこは本当に作家さんによって全然考え方が違っていて、
僕とは本当に対極的な扱いをしてた人は、
裏に貼り込んであるキャンバスの布を表にベロンって出して、
キャンバスの布に描いてますよっていう表情をわざと見せて、
そこに絵を描いてますみたいにやってる人もいたんですけど、
それはそれでね、どういう仕組みになってるかっていうキャンバスの仕組みを見せながら、
そこに絵が描かれてますっていうことの意味だというふうに解釈してるんですけどね。
僕はなるべく素材が見えないようにして、描かれた世界に没頭してもらいたいっていう意味で、
金か銀に一定してるっていうのは、金と銀は僕の中では絵の方に所属してなくて、
壁に所属しているものなんですね。
というのは、壁に光が立って、その光が金か銀に反射すると、
その壁の明度によって金か銀が反射して、壁寄りの明るさになってくれるので、
例えばライトの影の部分の壁の影をやっぱり金か銀が反射してくれて、
それが壁側に所属するので、どっちかっていうと壁寄りの表情をさせてるつもりなんです。
それが多分、一定しちゃう理由だと思うんですよね。
作品が、彫刻もそうだし、キャンバスの平面の作品も、
割とその色を載せる時にも、自分は道具になってるじゃないですか。前のね、アイテムを打ち当てたように。
自分という意志とか考えっていうのを載せるんじゃなくて、
キャンバスには何が必要か、ここにはどの色を置いたらいいかっていうのを、
キャンバスが求めてるものを出すみたいなふうに対話しながら制作するものが立ち現れてるのに、
側面だけはすごい朝比奈さんの意思を感じるんですよ。