2022-05-18 34:10

○ 企画のラフスケッチ

本編は2022年6月1日から順次公開予定!

美術作家 × 2 + おっさん = おもろいアートの話?

番組名も決まっていない状態から、3人の共通点を繋ぎ、思い付きを混ぜ合わせ、企画のラフスケッチを楽しみました✏️

#企画会議
#スケッチ会
#抽象化と偶然性
#天文対話
#作り手伝え手受け手

出演者 : 藤野真司, のぞみるき, 塩田素也
収録日 : 2022年4月20日

📮あなたからのお便りお待ちしています!
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みみもとスケッチ

おなじ美大出身の美術作家ふたりと漠然とアートに興味のある素人がお届けする、聴くアートのワークショップ。古今東西のアーティストの素顔を追いかけるうちに、いつの間にか私たちの輪郭も描き出されているかもしれません。

Produced by かもすハウス


Music provided from Artist.io

サマリー

このエピソードでは、カモノスの塩田本也さん、のぞみるきぃさん、そして藤野真嗣さんがアートについての会話を展開し、特にスケッチ会から得た洞察を共有します。彼らはアートの解釈や表現方法について議論し、その過程で抽象化の重要性にも触れます。アートの表現と受け取り方について深く掘り下げ、各参加者の専門的な知識や経験を元に、アートに対する理解を深め、観客の関与を促す方法を探ります。また、美術史や西洋美術と日本美術の違いについても考察し、藤野さんの専門知識を交えながら、アートの内容や関連する歴史を探索することの重要性を強調します。

初対面の交流
はい、というわけで、番組名もまだ決まっていない状態で喋り始めていますけど、
カモノスの塩田本也と申します。
カモノスののぞみるきぃです。
美術作家の藤野真嗣と言います。
北海道在住で暮らしております。
はい、というわけで話していきたいんですけど、ちょっとね、今日隣の家で何か作業していて、
あと、なんか選挙期間中でたまに選挙カーが来てしまうという、あまり録音の条件としては良くないんですけど。
こちらこそ、今、ちょっと猫が2匹いるんですけど、最近ドアノブを普通に開けるようになって、
覚えちゃうんだね。
そうそう、ぶら下がって。
賢いですよね。
今、私の部屋にいるんですけど、さっき何回か開けられてるんで、ちょっと途中で乱入があるかもしれないです。
はい。
ご承知をお聞きください。
猫の声はね、かわいいから、いいんじゃないですか。
で、まあ、この3人で喋ってみたいなって思って、藤野さんに声をおかけして、
前回、本当に軽く顔合わせというかをさせてもらっただけなのでね、まだ何を喋りたいかっていうところがね、ちゃんと決まってないんですけど、
まあ、今日はそれを決めるところまで喋ったらいいかなと。
まず、なんか単純に自分の純粋な興味として、アートのことを喋って、理解してしたいなというのが元々あって。
喋って、自分で喋って。
会話の中でね、なんかその、読んだりとか、美術館行ってとかっていうのもいいんだけど、
なんかやっぱその、日常的な会話の中で喋る機会って、なかなかないなと思っているので、
なんかそういう中で、自分が理解する機会が増えたらいいなっていうのがあって、
で、それでその藤野さんが、元々そのアートの解説の活動というかされてたりも、そういうのをやってたりもして、
るきさんが大学が同じっていうことがね、そこで接点があったりもしたので、
やっぱりそういう、なんだろうな、誰から聞くかっていうのも大事じゃないですか、同じ、情報としては同じだとしても。
そういう意味で、藤野さんとこの3人で喋るのが、なんか面白そうだなっていう。
ありがとうございます。
あの、私は2人のことを知ってるけれど、もていさんと藤野さんはほぼ初対面というか、
そうですね、まだ、
ゆっくり話すのは初めてですよね。
ちゃんと話して2回目ですよね、前回から。
スケッチ会の経験
で、まあこれのね、前に、あの、るきさんと2人で、あの、ポッドキャストを始めていったので、
なんかその、ポッドキャストの、なんかこうやってやったら続けられそうだなみたいなのが、
ちょっとね、何回かやってみて、分かってきたところもあって、
あの、やっぱ結構その、何もない状態で、こうフリートークみたいなことって、
うん。
やっぱ意外と難しいっていうか、なんだろうな、
多分その、友達と喋っていたりとかするときには、なんかそこでこう、何か喋る理由があるから喋れていることでも、
なんかいざこうやって、番組としてフリートークをしますとなると、やっぱ結構高度な和術がいるなというのも、
なかなかね、成立しづらいですよね。
そうなんですよ。
で、それで、なんか、やっぱりこう、うまくいってる、そういうトークの番組とかって、
なんていうかな、バンドみたいな感じで、そのパートがやっぱある程度決まっていて、
なるほど。
で、そのアドリブはするにしても、やっぱりその、メインのパートが決まっているからこそ、アドリブができるみたいな、
なるほど。
そう、なので、そういうものを今日喋って、大体パート分けみたいなのができたらいいのかなというところですね。
で、今考えてたのは、もともとね、藤野さんとオルキさんがの、一つの接点かなと思ったのが、スケッチ会なんですよね。
そうだそうだ。
確かに。
藤野さんがもともと京都でやっていたカフェで、オルキさんが個展したときにワークショップとしてやったんですよね。
そうですね。
あれは、確かね、オルキさんにカフェの店内の展示をお願いして、
で、その回帰中に何かちょっとイベントという形で、なんかやれたらいいねというところからでしたっけ。
そうですね。そうそう。藤野さんからそのワークショップは提案をしてもらって、あのイベントの奥行きを出すためにもやってみたんですよね。
それが本当に1回目か、初回でした。
そうですね。で、なんか自分がオルキさんと出会ったときにも、それでやったのが良かったから、また続けてみようかなみたいな話をちょうどしてたんだよね。
そう。藤野さんのカフェでスケッチ会をやって、でもそれからその1回きりで、もう何年もやってなかったんだけど、
藤野さんに出会って、初めて会ったときに、何ていうか、相談をしてね、作家活動にまつわる相談をしたときに、
なんか前あったスケッチ会やってみるといいのかもなっていう話になったんですよね。
で、実際藤野さんとそれから一緒にスケッチ会を何回かやるようになってっていう感じですね。
なんか、あれすごい僕覚えてて、めちゃくちゃ良かったなって思ってるんですよ。
すごい嬉しい。
っていうのは、僕たち自身も、いわゆる美大を出てからまだ数年間もないタイミングで、
で、そのデッサンっていうものが、何て言うかな、試験のためだったり課題のためだったり、
で、もうなんかちょっと、僕なんかはちょっと半分作気立ちながらやってた。
でも分かります。
そうそう、合格しないといけない、結構心身を削ってなんか石膏像を描きまくるみたいな、
デッサンっていうとそういう筋トレ的なイメージが、やっぱりまだ体には残っていたんだと思うんですよね。
で、そこからなんかスルッと抜けられた瞬間に立ち会えたというか、
なるほど。
僕自身もなんかああいうカフェの中で、パンを描いたんでしたっけ、パンを最初。
るきさんのね、働いたお店のパンを、みんななんか選んでパンを描くみたいな。
で、なんかそのパンを眺めながら、なんかポカポカしたこう日が入るね、カフェの中で鉛筆の音がこうシャッシャッシャって鳴ってるって、
あの時間がすごくなんかこう瞑想的で、なんかめちゃくちゃ良かったの覚えてるんですよね。
それで、そういうなんかなんとなく縁がつながって、この3人が集まっているっていうのもあるので、
なんかそのスケッチ会的なことを、この音声を通じてするっていうのも、なんかやってみたら面白いかなって思っているんですよ。
抽象化の重要性
そのためには、だから何をモチーフにするかっていうことと、あとその単純に普通のスケッチとは違うので、
そのどうやってこう描き出すそのプロセスをこう作るかっていうところが、今日ちょっと考えられたらいいかなと思っているところです。
なんかここ数日作業しながら、お二人のポッドキャストをずっと聞いてたんですけど。
ありがとうございます。
で、なんかそれちょっと思ったのは、僕は結構お二人のチャンネルに結構フックするそうなんですよね。
良かった。
そう、まずお伝えしておくとそうなんですよ。
で、それ何でだろうなと思うと、何か建設的なゴール地点みたいなものを目指して、なんか最短でその答えにたどり着くみたいなことではなくて、
言ったら10が1からスタートして10がゴール地点だったとしたら、その10めがけて足し算で進んでいくだけなんじゃなくて、
なんかたまに引いたり、割り算してみたりみたいなこういろんな工程を経て、今日は6までいったねみたいな。
でもなんかその途中で拾い物がたくさんあったねみたいな、っていう感じの終わり方をしたりするんだと思うんですよね。
で、何だろうな、そうだ、抽象化、抽象化のなんか力がすごくあるんだなっていうのを思ったんですよね。
で、なんか物事を抽象化して捉える力って、生産性だけをこう求められてる社会の中だと、なかなか身につかない能力で、
確かに。
なんか一つの話をしてるんだけど、あれでもこれってあれも同じじゃないとか、なんかあれと近いねとか、そういうその全く別の話がこう接続するみたいなのって、物事を抽象化する力なんだと思うんですよね。
だからなんか僕もそういう抽象化して考えるの大好きな人なので、
なんかその、何だろう、二人がこう話しながらどんどんどんどん一つの話を分解していく工程みたいなのを一緒に楽しめるんですよね。
で、なんか僕は僕で別の、二人が話してることとまた別のことを頭の中で考えながら聞いていて、僕は僕で勝手に別の拾い物をするみたいな。
なんかそれが割とこう作っていきたい場作りというか、空間なんじゃないかなって思いました。
なんか言語化されてすごいびっくりしました。本当にそうだなと思って。
自分たちでやってると、なかなかこう何をやってるかって意外と説明難しいよね。
なんか僕、作家活動をしながら観光業の会社でも働いてるんですけど、
なんでその二つが楽しくてやってるんだろうなっていうのをよくよくよく考えてるんですけど、
それこそ抽象化して考えると、片方はこの旅を作るというか、旅の場を作るお客さんにとっての仕事で、
で、片方は作品を作るっていうので、両方この作るということに共通はしてるんだけど、
もっと言うと、僕が引かれている部分って、もしかしたら偶然性みたいなものなのかもしれないなと最近思っていまして、
っていうのは、僕自身がどこかに旅に出かけるときっていうのは、
思いがけず美味しいものに出会ったりとか、美しい風景に出会ったりとか、思いがけずすごい面白い人に出会ったりとか、
そういう偶然性が割と旅の醍醐味なような気がしていて、
で、作品とかアート作品に触れることも、僕は割と思いがけず自分が何か、自分の感覚とか思考が違うところに飛んでいくような気持ちよさみたいな、
そういう出会いに溢れた分野なんだと思ってるんですよね。
なので、そういう思いがけず何かに触れるっていうことが2つに共通していることなのかもしれないなと、なんか最近ちょっとぼんやり思ってたんですけど。
なるほど。
そうですね。なんかその、今の話を聞いてて、聞きながら考えてたんですけど、
たぶんそのスケッチ界っていうのが、そういう最初に話していた抽象化していったりとか、何ていうか具体的な対象を分解していって、
自分はこういう風に見えるみたいなものをそれぞれ描いていくっていうプロセスがあって、
アートの表現と受け取り方
で、その上でお互い見せ合ったりとか、モデルを交代したりっていうことで、
やっぱその偶然性というか、自分が思ってもなかった見え方みたいなのを発見して、それぞれ何か持ち帰るみたいな、
それが綺麗にやりやすいフォーマットになってたのが面白かったんだろうなっていうふうに思うんですよね。
なのでなんかその、このポッドキャストで話すことも、たぶんそのスタートはめちゃくちゃ具体的な何か対象を決めて、
それについて話すんだけど、それのやっぱ分解の仕方がそれぞれちょっと違っている、
違ってくるっていうところを共有するっていう、なんかそういう流れでできたら同じようなことができそうな気はするなと思っていて、
で、そういう意味ではその、たぶんアートの具体的な話がしやすいのは藤野さんと瑠希さんの2人だと思うんですよね。
で、まあ自分はなんていうか、その全然知識とか経験っていう意味ではほぼ素人みたいなところもあって、
なのでなんかそこでこう一つ役割分担というか、何か具体的な藤野さんの知識だったり、瑠希さんの経験だったりっていうのを元にまず教えてもらうというか、
そこでまず描写してもらうというプロセスがあって、そこからなんかそれを受けて自分がリアクションするっていう側に回るのがいいのかなっていう。
なんかね、たぶん瑠希さんと僕でもね、アートというくぐりでは同じだけど、やっていることはやっぱり全然違ったりするので、
なんかこう共通の目線を持ちつつちょっと違った展開もできるかもしれないですね。
天文学の対話イベント
そうですね。
前やったサイエンスカフェっていうイベントで、兄弟の研究員の人をベストに呼んでやってたの。
あれがなんか僕がすごい特等席で一番楽しんでたんですけど。
いいですね。教育ならでは。
天文学の天文学編を何回かやって、結構そのお客さんもなんかちょっと全然詳しくないけど、なんかちょっとこう聞いてみたいっていう状態で来ていて。
で、なんかその一回やってすごく面白いなと思ったのは、天文対話っていうタイトルのイベントをやったんですよね。
それが天文対話って、僕その時知らなかったんですけど、ガリレオの著作なんですよね。
で、自動説を提唱する本なんですけど、なんかめちゃくちゃ変わった作りを構成をしていて、なんかその三者が対話する形式で進むんですよ。
その本自体は。
で、なんかめちゃくちゃ頭の固い天動説論者と、新しい考えを持った自動説論者と、なんか関係のないおっさんっていう。
関係のないおっさん。
そう、対話形式で進んでいくみたいな本なんですよ。
それをちょっと模して、天文学というジャンルにおいては全く同じなんだけども、専門がそれぞれ違う3人を呼んできて、
一人はインドの天文学史、歴史とか神話を研究している方を呼んで、もう一人はなんかその最新の技術で超新星の観測とかをやってる人を呼び、
もう一人は、なんか宇宙好きのフルドーグ屋の店長を呼んだんですよ。
おっさん。
で、その一つのテーマで一人が喋ったら、そこからそのそれぞれの専門で話題を広げていき、
で、その3者が本当にその向かい合う形で席が組まれて、それぞれの配置された店内のテーブルで話を盗み聞きするみたいな、そんな感じの作りだったんですよね。
あれはすごく面白かったんですよね。
いいですね。
科学的な根拠に基づいて展開されるその人の話に、でもそれって何世紀まではこういう神話で表現されてましたよ、みたいな話が出てきたりして、めちゃくちゃいいですね。
あれは超面白かったなって。
でもあれですよね、意外と3人目のおっさんが重要ですよね。
確かに。
そこがどうまとめるかみたいなキーポイントになりますね。
そうですね。おっさん以外の2人が専門的なそのこととかディープな方向に走りすぎると、聞いてる間なんかちょっと置いてけぼりになっちゃう。
なんかそうそう、その店主さんもすごいいい感じのボールを投げてくれて、なんか全然台本決めてないのにゆでやかに進行していくみたいな。
それがこの3人で言うとやっぱモトヤさんってことですね、その役割が。
アート研修の重要性
そうだね、アートの話になるとやっぱり自分はただ興味のあるおっさんポジションがいいと思います。
一番おじさんぽい見た目ですね。
とりあえずそれでポジションとしてはね、そんな感じであるとして、
その喋りたい内容っていうのは2人に決めてもらって、もう自分は本当にまずは受け取るだけみたいな状態の方がいいかなと思うんですけど。
なるほど。
なんかこう、僕たちがこうやりたいことって何だろうみたいな視点に立ち返ると、
なんかその、そういう表現をする人だったり、表現をこう受け取る人だったり、なんかこう関与する人、登場人物を増やしていくことなのかなみたいな。
前回ちょっとね、うきさんともとやさんと話した、作り手と伝えてと受け取り手みたいな3者で、どれか1つってことはなくて、
結構場面に応じてほらほら役割を取り替えながら僕たちは生きていて、みたいな。
それぞれ、その3者の1つずつそれぞれを掘り下げてもすごく豊かな世界があるし、
なんかこう、自分には関係ないことって思うんじゃなくて、興味のあるところから関わってもらうっていう、
そういう観客を増やすっていうのが、もしかしたら活動の目的になり得るかもしれないなと思って。
そうですね。なんか聞いた後に、そこで話していた内容の続きをその身近な人としたくなるみたいな、
なんかそのぐらいのこうまとめ方になると。
あとそのテーマ設定とかも、あんまりこう、なんていうんだろうな、個人的すぎることよりは、
なんかこう、ちょっと話のきっかけになるぐらいの、中くらいとか大きめの話からスタートして、
することで、なんか最終的に分解はされていくんだけど、またその人が、聞いた人が次に繋いで考えられるみたいな、
なんかそういうことがいいような気がします。
関わり方って本当に人によって違うので、なんかこう、選択肢みたいなものを提示できるといいなと思いますね。
確かにね。なんか、そういうこう、表現って日常の中にあったものだと思うんですね。
目の前の人に対して何を自分は伝えるのかっていうのは、常にあったことだと思うんですけど、
それは多分その、職業としてやっている人以外は、こう、無自覚にやっていたり、
なんだろうな、まあ、リテラシーがないみたいな感じなのかな。
こう、自分でその自分の勝ちづけができてなかったりとか、すごく豊かな表現をしていても、
私はなんか、洗濯をするとか料理をするとかもすごく素敵な創作で表現だと思うんですけど、
いや、こんなの大したことないよ、みたいな。
そう思ってる人っていっぱいいると思ってて、
それってなんかもったいないですよね。
そういうのを作り手を経験した自分たちだから、意味のあることだよねって言えるのかもしれないなと思いました。
そうそう、作家さんなんですか、みたいな、すごいですね、みたいな話とかもあるじゃないですか。
休みの日、結構手の込んだ料理するんです、みたいな人と全く何にも変わらないんだと僕は思ってるんですけど、
確かに。
なんか、コーヒー焙煎からやってるんです、すごいですね、みたいな話と全く同じ線上にあるんだと思うんですけど、
なかなかね、それこそ受け取られ方は、なんかね、そういう感じにはまだなってないですよね。
これは、じゃあやっぱ、作家の話をするっていうのは一つありですかね。
そうですね、まあなんか、多分その単純にね、そのアートの作品の解説とか解釈みたいな話っていうのは結構いろんなところでされていて、
それは割とよくあると思うので、なんかもうちょっとね、作家そのものの話を知りたいなっていう、
多分自分もそのアートを見る理由が、最終的にはその人間を理解するというか、
それが多分自分自身も含めて、それを見た時の自分も理解できるし、
そのこの人はなんでこんなことやってるんだろうっていうことを理解できるっていうので、なんかそう方法で理解していくっていうことができるのが、
やっぱ一番面白いところだなって思うので、
そういうね、人の話をしたいっていうのはあるかな。
確かにその、作家、私作家です、え、すごいねっていうのは、
どっかでその作家を同じ人間、同じ人生に立っている人間だと思えてないっていう人が多くて、
でも自分たち、私、たぶん藤野さんとかもそうだと思うんですけど、
いやピカスは、みたいな、なんかこう友達みたいに言ってるじゃないですか、歴史上の巨匠とかを。
なんかそういうふうに捉えられるかどうかみたいなことはあるかもしれないですね。
そうですね、そうですね。
なんかだからそこまで持っていけるようなアートの話がしたいなって思うんですよね。
その、なんていうか、たぶんそういうこう表面的なこう、この人はこういうことを表現するためにこういう技法を使ってみたいな、
だとなんか、なんかすげーなーみたいな思われてしまうけど、
その人としてどんな人だったのかっていうのがちょっとわかってくると、
なんか結局悩んでることそんなに自分と変わりないのかみたいなこととか、
なんかそういうのってあるよなとは思いますね。
なんかその一つのアートとかアーティストっていうものを捉えて、
例えば感想を口にしたり、解釈を考えてみたりっていうのが、
なんかどうやらすごくその人、対話しているその人を知ることだったり、
新しいその発想力とかを養うのに、なんかすごくいいらしいっていうことがわかって、
その近年アート研修みたいなのがいろんな企業で取り入れられてるっていうのはあるっぽくて、
僕も相談を受けたこともあるんですけど、
なんか本当にこうカチッとしたなんかすごい会社さんが、
その新入社員と一緒に美術館での研修を考えてて、
どんな感じでやったらいいですかみたいな相談があったりするんですよね。
で、そうやってなんか、なんでアートをやろうと思ったんですかって聞くと、
やっぱりそのグループワークとかやったり、
その組織の起動力というかチームビルディングを高めていくにあたって、
そういうそのアート感想みたいなものが、
アートのディスカッションの重要性
インプットとアウトプット両方できて、かつなんかその共通の目線を持つことができたり、
この人はこういう考えなんだとか、
っていうか喋りながら自分ってこういう考えなんだみたいなことを知るのにすごくいいワークだからみたいな、
結構取り入れられてるんですよみたいな話をして、
へえ、そうなんですねみたいな。
ので、なんかそういうことにも近いかもしれないですね。
あれですね、初回のなんか喋る内容として何がいいのかな。
この次ですか。
そうですね、最初の。
そうですね、ちょっとどのようにも広げられそうな可能性が。
そうですね、そのなんか今喋りながら一個思ったのは、
単純にやっぱり自分がそのアートのことを考えたり喋ったりするときに、
本当にその流れが文脈が全く分かっていない部分があるというか、
すごい継ぎ接ぎになっている。
それなりにこう触れる機会は多い方だったので、
なんとなくこう断片的な知識はあるけど、
それがどこに同位置しているのかみたいなのが分からないというのがあるので、
本当にそれこそ藤野さんがこれまでやってきているような、
そのアート史みたいな部分をまずはもう本当に単純に喋ってもらう。
なるほど。
そこから始めるでもいいような気もしました。
その中から多分またもっとここを掘ってみたいとか、
そういうのも出てくるかもしれないし。
確かに。
なんかあれなんですよね、美術史で説明しやすいのは西洋美術史なんですよね。
結構そのやっていることの内容というか、
あの性質が流れでこの時代からこんな風に変わってみたいなのが喋りやすいっていうのは西洋美術史で、
日本美術の方は僕が勉強してきた内容だと、
やっぱ島国でずっと絶えず外から入り続けてきたものを流れっていうよりは本当に取り入れまくって、
どんどんどんどん本当に何でもかんでも食べちゃうみたいな感じで、
すごい気づいたらすごい変な体型になってるみたいな感じの美術史なので、
なんか結構話が散らかりそうな気がしてるんですよね。
それはそれで面白いんですけど、
西洋美術の方だとなんか壁画を描いてましたよねみたいなところから、
この時代から宗教画になって、
技術的にも一回すごいダビンチが出てきて頂点に到達したんだけど、
そっからまた崩しが入ってみたいな。
カメラが発明されて海岸にしかできないことを模索して印象派が出てきてみたいな。
その後はマチスが出てピカソが出てみたいな。
みたいなことは喋れますね。
日本美術の特異性
もうちょっと面白いもんね。
そうだね。
触りだけでもね、なるほどってなる。
そうですね。
なんか多分一般的に美術の話って言ってイメージされるのも結局西洋美術になると思うので、
そこから始めるのが入りとしてはいいかもしれないですね。
そうですね。
藤野さんも何度かやっていることだし、
全部では型があるので、
そこから自分たちなりの応用を効かしていくっていうのはいいかもしれないですね。
でもあれですよね、私何喋るんですかね。
藤野さんのようにね、知識は喋れない。
藤野さんは、あれじゃないですか。
自分の、例えばそのやってきたこと、
例えばその美大受験の前とかから描くっていうことをやってきたことと、
ちょっとそのなぞらえつつ、
なんかその美術史のここに当てはまるなみたいな話とか、
リンクさせて喋っていただけたりすると。
なるほど、なるほど。
確かにそうですよね。
人間の歴史って一人の人生の中でもなんかリンクすることとかやっぱりありますよね。
了解しました。
ちょっとじゃあ振り返っておきましょう。
じゃあまあ、本当手としては、
藤野さんにおもろい美術の話をするという感じ。
そうですね。
聞かせてもらう。
で、おっさんがリアクションするっていう。
なんかなんなら、僕昨晩もなんか似たようなことしてましたからね。
会社の同僚がお家に来て白ワインを飲みながら、
気づいたら僕がずっと喋ってる。
頼まれなくて。
頼まれなくてちょっと。
じゃあいいですね。
なんかいい感じですね。
じゃあ引き続きよろしくお願いします。
お願いします。
34:10

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