幸せな人生の探求
むねさんがね、タイにいるっていう話を聞いてたんで、タイ収録だったら、そのネタで喋れるって思ったら、
帰ってきちゃった?
そう、帰ってきちゃったんですね。
早めて、約1日早めて帰ってきちゃいました。
今は東京、昨日までタイにいたってことですね。
そうですね、僕は結構タイで、バンコクが中心で仕事に出張に行くこと多くて、
東南アジアのいくつかの、里のたったのはラウスだったんですけど、
ラウスも含めて、東南アジアのいくつかの国に会社がある関係上、行ったり来たり結構多いんですよ。
なんで、今一番暑い時期でしたけど、バンコク行ってきて帰ってきましたっていうのが、今ここですね。
じゃあ、始めていきますか。
はい、よろしくお願いします。
人生、道すがら、幸せについて語る。
道すがラジオ。
50代の人生後半戦で、ふと立ち止まった経営者、宇音、40歳の壁を前に惑っている小説家、里野。
そんな2人が、様々な人の生き方に触れ、考えたことを語りながら、
私たちはどうやったら幸せに生きられるんだろう、ということを模索していく番組です。
じゃあ、改めまして、作家の里野です。
はい、会社役員やってます、宗和です。
はい、さて、今日は2回目の配信なんですけど、何の話ししましょうね。
まだね、このテーマ、このチャンネルのテーマもあんまりまとまってないところだと思うんで、
幸せに生きるというか、そういうことそのものを話したほうがいいんじゃないかな。
そうですね、もうこの大きな大きな結論の出なさそうなテーマですけれども、
人生後半戦に差し掛かって思う幸せな人生とですね、真面目にじゃあちょっと話してみましょうか。
はい、そうしましょう。
はい、ちょっと軽く前回番組紹介をさせてもらったおさらいをしますと、
この道すがラジオっていうのは、人生、道すが、いろんなことを語るラジオみたいなイメージでこのタイトルなんですけれども、
その中でいろんな角度からね、どうやったら私たちって幸せに生きられるのかなっていうのを
リスナーの皆さんと一緒に考えるというか、そういう壁打ち相手みたいな番組になれたらみたいなね、お話をしていたところなんですよね。
はい。
なので今日はそのテーマについて、まず最初はちょっと真正面から語りましょうっていうので、
もうむちゃむちゃストレートに聞くんですけど、じゃあムネさん、幸せな人生何?って聞かれたらどう答え張りますか?
あれ?なんか僕今考えてきたつもりだったんだけど、なんか思い浮かばないぞ。
日常と人生の幸せ
そうですね、幸せな人生って実はかなり人によって差がある。表面上は結構人によってかなり差があるんじゃないかなと思っていて、
それって実はその人のタイプとか好き嫌いとかっていうことにやっぱりかなりよって差があるんじゃないかなと思ってるんですよね。
僕の場合は結構やっぱりその時期によって変わってきていて、
今思っているのはやっぱり自分自身の何かありようとか、自分らしさみたいなやつが結構表現されている状態、示せている状態みたいなことがやっぱり結構僕にとっては幸せな人生なんじゃないかなって思うことが結構増えてきてるんです。
なるほどですね。でもまたその自分らしさっていうのがとっても難しい部分ではありますよね。
僕しかできないことができていると思ってたりとか、自分こういうの好きなんだなって理解できたとか、そういうことがわかってきたとかっていうのが僕結構幸せだなと思ったりしてることが多くなってきてるんですよね。
昔は何となく何かを達成したとか、こういうものがゲットできたみたいなことが幸せだっていう風なイメージで頑張ってきてきたんだけど、今になって思うとあんまりそういうことで実際に幸せとか興奮したとかはなんかイエーイってなったっていうのはあっても、幸せを感じたっていうのとあんまりそういうのと繋がってないんですよね。
実感としてもっていうことですか。
経験とか記憶とかっていうところでも違っていていて、もっとやっぱり状態として落ち着いた状態、この状態がほっこりするみたいな、そういうところに結局幸せってあるんだなって今になってわかってきてる感じがしてます。
なるほどですね。私もこのテーマを考えたときに、まず幸せだと感じるっていうのがまず一つあるじゃないですか。
それって多分瞬間的な感覚なのか感情、それを感情と呼ぶのかすら私はちょっともうよくわからないんですけど、多分瞬間的な感覚として、今なんか幸せだなっていうのがあるじゃないですか。
でも、それが日常にあることと人生を幸せだと思うことって、また若干乖離があるなっていうのはね、思ったりはしたんですよ。
面白いね、面白いね。
多分積み重ねっていうか、無関係ではないと思うんですね。
幸せだという日常の点での感覚の積み重ねがその人生として幸せだと思えるみたいな、だとは思いつつ、なんかね、むちゃむちゃしんどいときにも幸せだと感じる瞬間っていうのはあったりするじゃないですか。
ありますね、ありますね。
逆に一見すごいうまくいってて、大きな不満もないし、大きな問題もないけど、なんか幸せと感じられないみたいなこともあるじゃないですか。
そしたらなんか、そこってその幸せと感じることと人生を幸せだと思うことの、どうつながってくるんだろうっていうのはね、疑問は浮かんだけど、私それに対して答えは全く浮かんでないです。
多分さ、ちょっと今抽象的な話になったけど、例えば具体的に佐藤がさ、そういうふうに思った記憶が、記憶とか経験とかしたら、もう少し聞くとわかりやすくなるのかな。
そうですね、最近で言うと、むちゃむちゃわかりやすいベタなんですけども、私今の子供が、ゼロ歳児の赤ちゃんがいて、育児をしてるんですけれども、なんかふとした瞬間にその子供とゴロゴロしてて、子供がむちゃニコニコ楽しそうにしてるのを見ると、やっぱなんか幸せだなって思うっていうのがまずあるし、
あと最近ね、しみじみ思ったのが、ずっと育児をしてて、要は24時間というか、子供のことを気にかけながら生活するっていうのを何ヶ月も続けてきてて、最近子供保育園に入ったんですね。それですごい完全な一人の時間ができて、
で、私小説書いたりとか、今ポッドキャストをしているこの目の前の作業に、数時間という単位で何にも邪魔されずに集中できてた瞬間に、すごい幸せだなって思ったんですよ。
おもしろー。逆に一見すると逆方向なんだよね。子供とさ、どっぷり時間を使っている瞬間にも幸せを感じられるし、逆に離れて一人の時間っていうのも幸せに感じるってことじゃないですか。
そうですね。
だから矛盾するかのように、でもどっちも理解できるよね。理解できるけど、どっちもなんか矛盾するように見えてしまうっていうのも面白いなって思いましたね。
僕もそういう意味では、例えば仕事でもうむちゃくちゃに働いていて、必死に徹夜の連続だった若い頃とかですけど、プロジェクトでやっててなんとかなるみたいなタイミングを、うおーってなっているのが幸せだと思った時もあれば、
それこそラオスに行った時に、ラオスで馬乗って、毎日なんの予定もなくて、コロナの途中だったりロックダウンしたりしたのもあるんですけど、実は一番幸せな時って思ったら、その時が思い出されたりとか、っていうふうなところがあるんですよね。
なんか共通するのって、僕今話聞いてても思うけど、なんとなくこの自分自身が発揮されてるみたいなところ、なんか手触りを持って自分自身のなんか性格とかあり方みたいなのが、なんか感じられた時みたいな人が幸せって感じるのかなーなんて思ったりしましたね。
選択権と責任
なんかそういう面は間違いなくあるなーと思う。一方で、幸せって意外と相対的なところもある気がするっていうのはね、若干思うんですよ。
なるほど、例えばどんな感じ?
集中できていない状態で集中できる時間を得たから、それを幸せだと感じたけども、それが続くとおそらくそれを幸せだって感じにくくなってくだろうなっていう感覚はあるんですよね。
人間って不思議なもんですよね。変化を逆に言うと求めるところもあれば、変化したくないみたいなところもあるし。
でも、一方で確かにいろんななんか考えとかから解放されて、さっきのムネさんの馬の話ですけども、例えば馬に乗ってメコン川沿いの何にもない広いその川辺の砂地、砂浜というか草っぱらかをバーって走っている瞬間のこの広い空と広いメコン川の水とを見て風を感じている瞬間って確かにむちゃむちゃ幸せだったんですよね。
あるね、思い出しますね。
僕は趣味でトレイルラーニングをやるんですけど、やっぱ山走ってて虫に走ってるみたいな瞬間やってくるんですよ。
あの時とかすごいこう解放されてる感とか、結構それがあって走ってるのもありますね。
あれか、今パッと浮かびました。幸せを感じれる時って、今ここを感じれてる時っていうのはあるのかも。
そうかもしれない。思考で考えに巡らしてるだけじゃなくて、そこからリリースされてる状態。
うんうんうん。
それもあるかもしれないですね。
そういう意味で言うと、その幸せを感じる瞬間っていうのは本当に人それぞれで山ほどあって、そこはもう定義できるものではないかもしれないなって。
共通点はね、そういういくつかあると思うけれども、やっぱ定義できないことなんじゃないかなっていうことはね、すごい思うんですよね。
じゃあ僕らがどうやって幸せな生き方をしていくかみたいな話になった時に、さっき里野が言ったみたいに、確かに一個一個の状態は存在していて、
それのどういうところが好きか嫌いかとか、自分の感じやすいかとかっていうのもきっとあるんだろうけど、
じゃあそこに向かいやすいライフスタイルみたいなやつかな。
うんうんうん。
そこに向かいやすい自分の姿勢とかポジションの取り方みたいなことをみんな求めてるのかもしれないですね。
そうですね。確かにそういう幸せな瞬間を捉えられるような自分であることとか、そういう環境であるっていうのが維持できている時に、なんか人生幸せって思うのかもなっていう気はなんとなくしますね。
そうね。あとはもうそれを自分自身がどういう状態が幸せなのかっていうのを受け入れているというか、理解できているっていうのもあるよね。
だから、その選択がある時に自分の人生を選択していって、ちょっとでもそっちに近づけられる、近づけやすい自分の在り方を見つけるみたいなことがあるんじゃないかな。
うんうんうん。確かに。
そうした中で結構共通して、そういう自分らしい在り方なり、今を感じれる生き方の要素の一つとして、私この幸せな人生って思ったとき、一番最初に浮かんだのが、自分に選択権があって、自分で選んでいるという感覚があって、なおかつその結果を引き受けられるだけの余裕があるっていうのが一番最初に浮かんだんですよね。
なるほど。さすが言語家ですね。さすが作家。
確かにそうね。自分で自分の人生をコントロールしているっていうことがまず一つで、かつ責任を取ってるってことだよね。結果に対して。
うんうんうん。
そういうことだよね。
そうし、そこでいい結果になっても悪い結果になってもしょうがないと思えるというか、それはそれでいいと思えるっていう感じというか、そのなんか。
そうね。結局、どっかで環境のせいとか人のせいとかになってるっていうのって、なかなか不自由な人生になっちゃうもんね。
そうなんですよ。これね、またむちゃむちゃ直近の自分の事例に戻るとね、生活をしていて、例えば家族といろんな折り合いがついてなくて、例えばパートナーに不満がある状態ってものすごい幸せを感じにくいなってね。
感じにくい感じにくい。
幸せな人生の定義
実感として思ったんですよ。やっぱそういう時って何か自分のその今のしんどさとかを何かのせいにしてしまってるんですよ。でもそれって相手のせいだったら、それって自分でコントロールできないから、すごいそれって不自由だし、なんか幸せじゃないっていう感覚だったんですよ、最近私ね。
夫婦生活基本みたいなとこですね、それね。
でもデフォルトでずっとそれやる人いっぱいいるからね。人のことは偉そうに言えませんけど。
もちろんそうなっちゃうこと自体はしょうがないっていうか、みんななるけども、それを続けて相手のせいってばっか思ってると、それはやっぱり幸せな人生と思いにくくなるので、じゃあその時に違う選択肢をちゃんと見出して、じゃあ自分どうするって持ってけると、少しその幸せの方に立ち返れるのかもしれないっていう。
最近自分ね、まだね完全にうまくいってるってわけじゃなくて、いろいろ試行錯誤中なんですけど。
思ったものだと思います。問題は実践なんだと思うんだけど、僕も同じように気づいたなって思うことはあるんだけど、気づいてみたら、逆に今まで俺そういうふうにしていただいてたんでしょうかみたいな、ここまであったんでしょうかみたいなことが思ったりすることがありますね。
分かったから一発で変わるわけじゃなくて、ずっと何回も繰り返すもんだろうなと思うんですけどね。
ほんとそうですね。
結構難しいから、それなりに自分をコントロールする、責任を取るっていうふうなポジションに自分を持っていくこと自体がそれなりに難しいから、普通にみんな離婚しちゃうんだよなーなんて思ったりするんです。
そう思いますね。
私ね、結構アドラー心理学が好きで、嫌われる勇気とか、あと幸せになる勇気って結構有名なベストセラーがあるんですけども、
あの中ではすごくもうはっきりと、どんな人とでもその幸せなパートナーシップは気づいていける、そうしようと決めるかどうかの問題だみたいな話はすごく言っておられるんですね。
そこは多分、私もきっとそうなんだなと思いつつ、その決め続けることの難しさよっていうことですね。
どうしても自分が求めてしまうんですよね。
帰ってこない時に、やっぱり何かがリターンがない時に、やっぱり不満になるっていうのは感情としては常に起こるし、
それ自体がその構造的に変わるわけじゃないから、ずっとやり続けちゃうよねっていうのは思いますね。
そうですね。なんかそういう意味で言うと、最初の方にちらっと環境って話が出てきたけれども、
そういう幸せな方に向かっていこうと決め続けられる、決めやすい環境を作るっていうのもやっぱり大事な要素であって、
そういう意味では、アドラーは誰とでも幸せになれるって言うけども、
とはいえ、比較的この人とだったら一緒にやっていきやすい人と結婚するみたいな考え方も、
それはそれでやっぱり大事なのかなと思いますね。
当然そうだね。
全くこの話が噛み合わない人もいるはずなんだよね。
うん。
あと僕たちって結局出会う人たちって、すでに結構細分化された世界を選んでるよね。
そうですね。
なんだかんだ言って出会う人、知り合う人っていうのは、本当に世界中何億人の人の中でランダムに出会うわけじゃなくて、
やっぱり地理的なものだけじゃなくて、社会的なものだったり、自分の今選んでいる環境によって、
近しい人と出会ってるっていう気がすごいする。
いやー、それ間違いないですね、本当に。
選択肢を増やす重要性
例えば、こういう区分をするとね、あんまり良くないけど、
例えば、話を分かりやすくするために言うと、
私一応その学歴として大卒で働いているのが大学関係の職なんですね。
そうすると圧倒的に私の身の回りって、
まず学歴的に大卒以上の人しか本当にいないんですよ、職場という意味でですね。
いや、幸高そう。
例えば、高卒で工場勤務をしていますっていう人って、やっぱ私の身の回りいないんですね。
でも本当の意味で社会を見渡すと、今多分大学卒業している人って半分ぐらいだと思うんですよ。
そうすると本当は社会に半分は、そういう大学卒業してなくて、
高校なり、出た後働いておられる人も全然マジョリティなはずなのに、
私の周りではマジョリティじゃないっていうなんかありますか?
そうだよね、そうなるよね。
僕も会社勤めをしておって、ビジネスやってますよなんていう風になると、
本当に世界中会社員ばっかりかなと思うんですよ。
あとフリーランスの人とかも仕事一緒にするけど、
基本的に仕事してる、みんなしてるみたいなイメージで、
会社でビジネスして商売やってるみたいなイメージがあるんだけど、
いやいやいや、公務員の人めちゃめちゃいますやんと。
そうですね。
ビジネスのその理屈だけで生きてない人ってすごいたくさんいるし、
ビジネスで付き合う人の中で、商売のルールで生きてない人、
例えば弁護士さんとか、公認会計士さんとかっていう人とかは、
経営者がやってると付き合うんですけど、
あえて言えばその人たちが一番ビジネスっぽくないって思ったりするぐらいで、
相当ビジネス、企業の法律顧問やってる弁護士さんなんて、
全然ビジネスの人なんで、すごい狭いよね。
そういうのすごいありますね。
でもそういう意味で言うと、
今のこの世界が世界の全てのように思えてしまうけども、
世界って意外と広いので、
環境って変えようと思えば相当本当は変えられるっていうのはね、きっとあるんですよね。
おっしゃる通りですね。
こういうラジオの収録をしている、
あるいはその一緒に付き合っているコミュニティに参加するとかっていう風な、
違う場所を変えるだけでやっぱり違った人と出会えるし、
っていうことは可能。
それでももうすでに選んでるんで、
全く関係がないっていうか、全く違う世界じゃないんだけど、
そういうのは絶対あるよね。
そういう意味で言うと、選択っていう話で言うと、選択肢があることを知る。
つまり、いろんな環境があることを知るっていうのも、
人生をより幸せにしていく意味では、大事なポイントかもしれないみたいな。
ていうか、この話してたらいつまでも、どうやら結末点が見えなさそうな気がしてきたんですけど。
たくさんしてきました。
でも、なんだろうな、
違った世界を見るっていうところとか、違った人と出会うとかっていう世界で、
最終的に自分たちの、自分が選択できるものを増やしていくっていう話なんだろうと思うんだよね。
その結果、自分にとって幸せを感じやすい環境を選んでいくとか、
その捉え方、自分がしてなかった捉え方を増やすとか、
していくことで、幸せに近づくんじゃないかなっていう仮説はあります。
そうですね。でも、確かに今ちょっといろんな話をしちゃったけど、全体としてはそうですね。
自分らしくあるっていうのは、自分らしいと思える道を選択できるっていうことが一つあると思うし、
でも、そのためにやっぱり選択肢を増やせる、それを選べる自分であるっていう意味で言うと、
いろんな人と会ってみる、普段やらないことをやってみる、
普段行かない場所に行ってみることで、世界を知るみたいなのが、一つやれることとしてはありますね。
そうだね、あるね。さすが、なんかまとまって、まとまりが見えてきた気がする。
まとまりが見えてるとか、見えてないとか。
これ結構難しいよね、今の話。
ちょっと今、真面目にこのテーマについて語ってみたら、なんと難しいことって私も今思いますけど。
難しい話だな。よくこんなことやろうと話そうとしてるな。
これをね、わかりやすくこうだって言って結論を言えた方がかっこいいし、
なんか聞いてる人も、ああそうだって思いやすいと思うけど、
でも、本当に結論なんて出るもんじゃないっていうのはね、思いますね。
僕、今日話す前に少し自分の考えを整理しようと思ったんですけど、
今の話、全くたぶん自分の中で出てこなかった。
2人で話してると出てくるっていう、そういうラジオの面白いとこですね。
いや、ほんとそうですね。私も自分で考えたときって、
最初に言った選択肢があるっていうとこまでしか浮かんでなくて、
その先って何にも浮かんでいなかったので、
それがそう、これがやっぱ人とそう喋ることで生まれる、
1たす1が2じゃなくて、1たす1から全然違うものになっちゃうみたいな、
そういう面白さでありますね。
あとその何だろう、探索をし続けていられるみたいなことも、
意外と幸せな条件だったりするかもしれないんだよね。
変化しているとか、学びがあるとか、
結果ここに到達するっていうんじゃなくて、
新しい生き方とか、学びのある生き方を探している状態、
探していられる余裕があるとか、
そういうことも意外と幸せな条件かもしれないなって思う。
そうですね。
なんか、みんなゴールがあると思っちゃうんだよね。
ここに到達したら幸せとかって思ってるんだけど、
そこに向かっている状態の方が幸せみたいなのはあるんじゃないかな。
そうかもしれないですね。
だってゴール設定をして、その仮のゴールにたどり着いた瞬間に何もなくなってしまうっていう。
そうなんですよ。
それがそれこそ社会的地位とかお金の話って、
ゴールを立てやすいけども、達成した瞬間に何が残るのかみたいなね。
あとね、達成って、それなりにちょっといろいろ目標を立てて、
やったことがあることがある。
外の本を出した時に思ったかもしれないですけど、
そこに到達した時に、本当の達成かって確かに達成だなって思うんだけど、
そこゴールじゃなかったって既に気づいているから、
そういう本当の瞬間って訪れないんですよね。
これで終わりみたいな瞬間はないっていう。
一緒にやってるコミュニティのセミナーみたいなやつで、
あれやってるのが、ちゃんとまだ皆さんにご説明してないですけど、
自分の人生こう作っていくっていうプレゼンを作ってやるっていうのが、
僕らやってるやつなんだけど、
そこの10年後にこうなりますよとか、3年後にこうなりますよみたいなことを、
自分で決めるっていうようなことをやってみるっていう活動があるんだけど、
僕自分がやった時に、10年後にこうなってますっていうのがプレゼンをして、
1年経ってみたら、その10年後達成してたんですよ。
1年で。
1年で。
会社経営者になりますって決めて、ここまでいきますって言ったのが、
確か10年後のやつがもうすでに実現しちゃって恐ろしいことになって、
人生が激変したんですけど、
でもその時気づいたらそうなっただけで、
全然人生その先のこと考えてなかったですよね。
だから書き直したんだけど、結局そこに到達してみて、
人って到達してみた時にその幸せになる状態して、
大体みんな未来の目標とかを立てるんだけど、
到達して後のことをみんな考えていってないんですよ。
そこまで想像が及ばないというか、
当然ぼんやりしてるし、
人生の目的
だから行ってみて初めて分かるんだけど、やっぱり結局そこにゴールはないんですよね。
そうなんですよね。
ゲームとも小説とも違って、
おしまいっていうエンディングって、たぶん死ぬ瞬間だけなんですよね。
そう、そうなんですよ。
おそらく。いや、分かんないですよ。
死んだ後も続いてるかもしれないんで、ほんと分かんないですけど。
そうそうのフリーレンを思い出しましたけど。
アニメですけど、最近の漫画でアニメだけど。
いや、フリーレン面白いですよね。
あれはみんな知ってる人多いと思いますけど、
魔王を倒す魔法使いのお話ですけど、
倒した後から始まるもんね。
だからちょっと面白い設定がね、すごい面白かったって言うんですけど。
ゲームとかでは勇者号1号が魔王を倒して世界が平和になっておしまいだけど、
そのおしまいになった後も世界は続いているっていう。
そういうことですね。
そこがすごい面白いのは最初から設定からすごいなっていうふうに言われてるんですけど、
そんなもんだよね。
結局僕らの人生もそうなるんだと思います。
そうなんです。
そうなんです。
この道すがラジオの道すがら語るっていうのも、
人生って何かを達成したとしても人生その先いつまでも続いていて、
どの瞬間も結局私たちはこの道すがらでしかないっていう、
道のおしまいではないんだみたいな。
そんな感じの。
なるほど。
あんまり深く聞いたことがなかった。
設定してもらったのは佐藤のですけど、
僕はあんまり聞いてなくてそこについていいんかなと思ってたんですけど、
そういうことなんですね。
そういうことだったと今気づきました。
タイトル決めときはそこに深く考えてなくて、
今喋りながらこのタイトルってそういう意味だったんだなって思いました。
そうね。確かにそうだね。
いきなりテーマの話からなんか最初の設定までバレましたね。
幸せを感じる要素
なるほど。
なんかちょっと全然収束しないね。
今日はとりあえずこのぐらいな感じで、
仮説的にやっぱり選択肢があることとか、探索し続けられること、
今の自分を受け入れられるとか、今ここを感じられるとか、
いくつかそういう幸せに人生にとって大事な要素がありそうだなみたいな、
そんな感じだと私は思いました。
多分エッセンスはなんとなくわかっていて、
そのなんとなくの形を一つ一つ拾い上げて話していくと、
この後の話がまた一個一個味があるんじゃないかなってちょっと思いますね。
ですね。
ここで苦情が出なくてもいいかなって。
そうそうそう、ですね。本当そうだと思います。
この後のエピソードで多分もうちょっといろんな具体的な何かにフォーカスした話をしていくと思うんですけども、
そういうのを通じてだんだんこういうことかもとか、
こういう面もあるよねみたいなのが見えてくるといいなっていう希望的観測を持っております。
そうですね。30回ぐらい話しすると、この今考えたことが全く僕ら変わるかもしれないので。
ありえますね、はい。
やっていければなと思います。
はい、そんな感じですね、今日は。
はい、ありがとうございます。
はい、さあ、むねさん今気もどうですか?
なんかね、楽しいですね、やっぱり。
このどこに行くともないけど話してると、なんかまとまる感じがする。
うんうんうんうん。
なんかまとまってないんだけど、まとまった感じになるっていうのが大事かなと思いました。
ですね。
楽しかったです。
さともどうですか?
私は今なんかちょっとふわふわしている感じです。
なんかいろんな考えが私の周りにはふわふわふわふわって浮いてて、それをこう、でも悪い感じじゃない?
こんな感じかなーみたいな、そのいろんなものが周りに飛んでいて、ちょっとふわわーんとしてる感じです。
今日は拡散する回ということで。
はい、拡散しちゃいましたが、皆さんもこれを聞いて、自分にとって幸せな瞬間ってこれだなとか、
あるいは人生こうだったら幸せだなーみたいなのがもしね、なんか自分はこう思うよーみたいなのがあったら、
ぜひぜひお便りとかで感想とかね、こう思うよーみたいなのを言っていただけたらなと思います。
あとご質問とかあったら、ぜひ概要欄にお便りフォグのリンクを貼ってますので、そちらから気軽に送ってください。
はい、じゃあ今日は最後までお聞きくださりありがとうございました。
ありがとうございました。
また次回お会いしましょう。