メガネと視覚の気づき
あのね、むねさん、聞いてください。
どうしました?
最近ね、気づいたんですけども、
あ、私、メガネかけてたんだなーって思ったんですよ。
メガネかけてるね。
うん。
僕、あった時からかけてますよ。
はい、そうなんです。私、小学生の時からね、メガネかけてるんですけどね。
あー、なるほど。
いや、最近ちょっとそういうのね、思ったんですよ。
話すとちょっと長くなりそうに。とりあえず、始めちゃいましょうか。
はい、よろしくお願いします。
はーい。
人生、道すがら。幸せについて語る。
道すがらじお。
50代の人生後半戦で、ふと立ち止まった経営者、
ヌネオと40歳の壁を前にまどっている小説家、
佐藤。そんな2人が、さまざまな人の生き方に触れ、
考えたことを語りながら、
私たちはどうやったら幸せに生きられるんだろう、
ということをお作していく番組です。
はい、作家の佐藤です。
はい、会社役にやってますヌネオです。
で、冒頭の話っていうのはどういう話ですか。
あ、そうそう、まあ本当にね、文字通りメガネ、
物理的にこの目にかけるメガネなんですけども、
最近のメガネって、なんかUVカットでちょっと色が入ってるんですよね、多分。
多いね、多い。
私のメガネ、そう入ってて、
で、それがあまりにももう何年もずっとそれだったんで、
それが当たり前だったんですけど、
最近ね、赤ちゃんの爪を切るときに、
メガネかけてると切りにくいんで、
最近私、メガネ外して爪切ってるんですね。
なるほど。
で、その時に、はっと気づいて、
メガネしてないと見える色彩が違うって思って。
おー、なるほど、なるほど。
本当に世界が明るく見えるって思ったんですよ。
なるほど。
ってことは、今まで私はメガネをしているせいで、
ちょっとだけ暗い世界を見ていたんだっていうことに、
今気づいて、
全然知らなかった、世界って私が見てるより鮮やかだったんだっていう、
ちょっとショックだったっていう話です。
目の健康と人生の変化
なるほど。
いやー、見える世界ってね、確かに、
気がつかない、気がつくタイミングがあると、
そういうふうに気づきますけど、
普通、慣れちゃってるというか、
今入ってくる情報が、
当たり前のように世界は、
それでできていると思っているんだけど、
全然実は違うんですよね。
それってやっぱり気がつかないんですけど。
僕、ちょっと自分の目の話をしようかな。
うんうん、そうなんですよ。
これもね、そもそも、
むねさんが今日はね、目の話、目が悪くなった話をしたいっていう、
ご提言をいただいた中で、ふと思い出した雑談でしたっていう。
なるほど。
僕、今、右の目がすごく悪くなったんですよ。
ここ2年前からですね。
2年前から、僕もメガネを今かけていて、
もともと小学生だな、小学生の高学年から目が悪かったんですけど、
ずっとコンタクトレンズをつけていて、
で、今はメガネなんですよね。
で、メガネあんまり好きじゃなくて、
コンタクトずっとつけてたんだけど、
特にこの2年前から、実は右の目に、
膜が、目の奥の毛膜のところに、
すごくこうゼリー状の膜みたいなやつが入っちゃって、
視界が歪むみたいな病気になったんですよ。
理由はよくわかんないんですけど、
あんまり治らないんですよ。
で、手術をして少し、
よくは取ったりとかしたんだけど、
あんまりよくならなくて、
で、残念ながら、
視界が右側が歪んでいるみたいなことが普通になっちゃったんですよね。
で、その時初めて気がついた、すごく実感した。
僕もメガネをかけていると、
メガネかけていないっていう状態は、
やっぱり繰り返すから、
それが目が見えないっていうのがわかったんだけど、
その、視界がグニャって右目が歪んでるのに、
気がつくのが結構遅れたんですよ。
遅れても遅れなくても、そんなにしちゃわないんだけど、
すごいことで、人間の脳ってめちゃくちゃ補正してくれるから、
明らかに歪んでても、
右と左閉じて比べてみて初めて気がつくんだけど、
何ヶ月も前から歪んでたんだけど、
気がつかなかったんですよね。
脳の中で補正されてるか、ちゃんと見えてる気がしていたっていう。
みんなそうらしい。
で、力内障っていうのがあって、
その視野もちょっとだけ欠けるんですよ。
4人に1人の日本人の男性の成人がなってるんだけど、
ほとんどみんな気づいてないんですよ。
僕も気づかなかったんですよね。
お医者さんに教えてもらうまで。
そういうもんなんですね。
それぐらい目ってやっぱり補正が効いて、
見えなくなっちゃうっていうのに気がつかないもんなんだけど、
今回のやつで本格的に目が悪くなって、
僕にとっては結構大ダメージで、
本当に結構体としては、的には健康な方なんですよ。
僕、前回も話しましたけど、山を走るランニングをやっていて、
トレードランニングで長距離走ったりとかっていうスポーツやったりするのもあって、
あんまり年を感じてなかったんですよね。
むちゃむちゃお元気ってか、むっちゃ体力もありはるし、
すごいなといつも見て思ってますよ。
24時間とかのレースをよく走ったり、
一応48時間のレースが多いかな、
寝ないで走るってやつを結構やれるために、
トレーニングをちょっと続けてきたので、
それなりに元気な方なんですよ。
なんだけど、その目が悪くなって初めて、
僕、自分が年をとったとか、
っていうことがあるんだなって、
ちょっと実感してるの遅いんだけど、
初めて気づきまして、そこで自分の人生がここから、
今までずっと良くなっていくとか、成長するとか、
力が上がるとか、能力が上がるとかばっかり見てたんだなって気づいたんですよね。
でも気づくと、いつか死ぬから、死ぬ前は体が動かなくなったり、
病気になったり、不自由になったり、
当たり前だけど僕もなるよねっていうのに、
この目が悪くなったことで初めて気づいたんですよね。
人生後半戦の現実
はいはいはい。
理屈上分かってたはずなんだけど、見ないようにしてた?
うん。なんかやっぱ実感としては感じていなかったっていうんですね。
そうね、自分ごとになってなかったって感じかな。
なるほど。
で、目が悪くなって不自由は若干あって、
もちろんコンタクトレンズは十分補正できなくなって、
メガネを今してるんですけど、それも含めて、
今までのように良いこと、口比べて不都合なことが増えてるんで、
全然喜ばしくないんだけど、
そういう意味で初めてここから下り道になるみたいな。
はいはいはい。
いやいや、もっと前から年齢重ねてるから、
全然若い時みたいに行かないよっていうこともあるはずなんだけど、
実はあんまり見ないようにしてきた感じで。
でも目が悪くなるってすごいことで、
朝目開けた瞬間にちゃんと見えてないから、目悪いって思うんですよ。
なるほどね。
道歩くと視界が歪んでるから、目悪いって思うんですよ。
日常のはしはしでそれを。
でもそれって、僕が今まで見ないようにしてきた、
平たく言うと半分の人、この世の、
がなんかそういう感じで見てるんじゃないかなって初めて思ったっていうか。
そこを見ていなかったねっていうふうに思うんですよね。
そっちに目を向けるきっかけをくれたっていう意味では、
すごく意味があったと思うし、
なんか自分の中で目が悪くなって初めて、
ものを考えるようになったっていうのが多いですね。
まさにね、この番組のキャッチフレーズでも言ってる、
人生後半戦の幸せの、人生後半戦で起きる出来事の一つが、
やっぱ多分そういう体の不調とか、衰えとか、
そういうのなのかなって思いますね。
それでも、例えばテレビドラマは大体恋愛ものとか、
アクセスストーリーとか、
ビジネスで成功するための話とか、
登り道ばっかり見てる気がするんですよ。
確かに、その方が多いですよね。
YouTubeとか含めてもね。
いかに稼ぐかとか、どうモテるかとか、
オシャレでかっこよくなるためにとか、
もちろんそっちでみんな関心があるんだけれど、
しかも暗い話しても仕方がないんだけど、
でも人口の半分は下り坂にいるはずじゃん、みたいな。
多分、どのステージにいてもそこのことを、
ちゃんと受け入れられてないというか、
消化できてないっていうのが、
すごいあるんじゃないかなって、
最近ちょっと思うんですよ。
確かに、もちろん商品サービスという意味で言うと、
そういう高齢の方とか向けのものがいっぱいある一方で、
ネガティブな変化への気づき
そういう人たちが真面目にどうやっていう風に、
幸せになっていくか系の発信って、
多くはない気はしますよね。
探せばもちろんね、新聞コラムとかで、
あるような気はするけれども、
多くはないみたいな。
そう、本質的に、
例えば、老化だと衰えとか不自由とか、
なんかあんまり楽しくないから、
真っ向にそこの話をしても、
受けが悪いっていうのもごもっともだし、
みんな見たくない話が多いのは事実だと思うんですよ。
思うんだけど、そこを楽しんだ方が、
そこを楽しんだ方が伸びしろあるよねっていう、
そっちの方をいかに楽しむか、みたいなことの視点は、
結構まだまだ開拓の余地があるなって思ったりしているのが、
今日この頃ですかね。
なるほどですね。
この目の悪くなった話は、
私もちょこちょこ、
むねさんからお話を伺っていて、
仕事という意味でも、
昔ほどのパフォーマンスが出せなくなってきたみたいな、
お悩みもちょっと聞いてはいたんですよね。
そうね。
たぶんそれは、目が悪くなったことと連動していて、
自覚しやすくなったっていうところだと思うんですよ。
例えば、目が悪くなってから、
パソコンでメール書いたりとか、
書類作ったりとかして、
相手に送りますよっていう時に、
送ってから、あれ、これ誤変換じゃんみたいな。
マックが変換、すごい、
とんでもない変換をして、
それをそのまま送りましたみたいなこととかが、
普通に増えているんですよね。
なるほど。
それってシンプルに、
できたことができなくなったっていうことなんで、
残念なんですけど、
それが目につきやすくなった。
はいはいはい。
でもそれは事実で、
そこでいちいちへこんでいても仕方がないんだけれど、
自分がそこでダメージを受けてしまうみたいなことも、
自己肯定感の再評価
結構経験したんですよね。
うんうんうん。
誤変換ぐらいいいじゃんと思うけど、
やっぱそこって一つの、なんていうのかな、
象徴というか、
分かりやすい例で、
そこから見ると、
ひいて言うと、
あ、今までみたいにはできてないよねっていうことで、
自己否定に入りがちな感じになってる。
なるほど。
単純に想像したら、やっぱりへこみますよね。
そういう自分を発見するっていうのは。
そこからさらに、
それがあったから始めて、
もちろん直接的にはダメージを感じて、
そこでネガティブな感覚になるんだけど、
それがあって、
それをいろいろ考えてなんだろうなって思ってるうちに、
気がついたのが一つあって、
自分が条件付きで自分を認めていた、
ということにも最近気づきましたね。
仕事ができる自分でありたいと思ってた。
でも、仕事ができないとダメとか、
地位とか権力とかっていうようなものですね、
社会的な成功に近いようなものが、
いっていないと自分のことが認められない、
っていう考え方が自分の中に、
観念が自分の中に、
持ってるんだっていうのが初めて気がついた。
だから凹む、できないことを見て凹むとか、
自分が今までと比べて劣っているっていう風に感じたときに、
自分のことを認められなくなるっていう風なことが起こってたんだってことに、
最近まさに気づいたんですよね。
それってきっと目が悪くなかったら、
気がつかないままあと何十年かやってたかもしれないんですよね。
悪くなってそこが起こったっていうよりは、
自分で気づいてないだけで、
できてない自分に対する攻撃っていうのは、実はやってたんですよ。
きっと。
今までも。
今までもやってたんですよ。
やってたんだけれど、それを気づかなかった。
どういう構造で自分のことを攻撃していて、
エネルギーを奪っているというか、
ダメージを受けているかっていうことを、
自分で分かってなかったんですよね。
挫折と成長の関係
目が悪くなることによって、
そこに気づくきっかけをもらったんだなって思うことができた感じがします。
なるほど。そうかそうか。
そういう意味では、むねさんの中で目が悪くなったっていう、
結構ネガティブな出来事を受け入れられ始めているみたいな、
そんな感じの感覚ですか?
目はいい方がいいんですけどね。
まあね。
マイナスなことをちゃんと現実として受け入れた上で、
そこからポジティブなことも、
見つけられるよねっていう感じがしている。
というかもう仕方がないんですよ、目は。
で、永遠にそうではないっていうことが動かれるようにもなったし、
どうせ落ち込むんだったら、今は落ち込んどいたほうが良かったなっていうか、
今の分かっておいたほうが、
いつまでもあと何年もと、
自分の頭の仕組みの中で、
無駄にダメージを蓄積しているよりは良かったかもしれないとか、
そんなことを考えたりします。
そういう意味ではこれは考えるきっかけとして、
こういう言い方するとちょっとスピリチュアルですけど、
神様がくれた、それこそ一つの試練つった変だな、
やっぱりきっかけだったのかもしれないですね。
ちょっと考えてみ、みたいな感じでね。
そういう意味があって何か起こっているっていうのって、
考え方ができるようになるっていうのは、
幸せに生きるためのちょっとしたコツみたいなもんだよね。
そういうきっかけを持って、
自分が考え方、視点を変えて、
ポジティブなところも見れる。
自然に見れるようになるっていうのは、
これスキルかもしれないんですよね。
そうですよね。
今のお話を聞きながら思ったのが、
自分に自信を持つとか、
自分を肯定できる自己肯定感みたいなのって、
上り上司の時って比較的持ちやすい気がするんですよね。
特に社会的に成功している人とか、
仕事でうまくいっている人って、
そこを土台にした自信を持っている人って、
実は結構多いんじゃないかと思うんですね。
そうですね。
もちろん仕事がどうしてもうまくいかない人は、
その人なりの別の人生の捉え方とか、
マインドを築いていってると思うけど、
下手にというか無駄にというか、
うまくいっちゃってる人って、
うまくいってる自信があるからこそ、
そういうネガティブな出来事が起こったり、
できない自分になっていった時のショックって大きいし、
そこでどうやってうまいこと自分を切り替えていけるかって、
むちゃくちゃ大事な視点な気がしますね。
いわゆる成功依存症っていう感じなんですよ。
何らかの世の中から認められるとか、
誰かが褒めてくれるような、
見えやすい成功っていうのをすることによって、
そのパターン、そこで認められたから、
次にこう認められなかったらダメみたいなことを繰り返し勝ち。
ある意味依存症だと思うんですよ。
いやーわかります。
正直私も、うまくいったことを糧に自信を持つとか、
勇気を持つって悪いことでは全然ない一方で、
いや本当に依存症っていうのは、
なんとなくちょっとわかるというか、
私もグサッみたいなところがあります。
その方がね、やっぱり見えやすいし、
そうやって育てられてきた子供頃からの経験っていうのも、
うまくそれが組み合わさって依存しちゃうんだと思うんですよね。
挫折して人って成長するっていうのは、
実はそうじゃないパターンを手に入れる人もいるのかもしれないですよね。
そのタイミングで。
僕がね、目が悪くなったのって、やっぱ挫折は挫折だと思うんですよ。
これなんとなく仕方がないんだと思うんだけど、
理由もわかんないし、
お医者さんにも基本的には原因わかりませんっていう話なんです。
結構大きな病院で見てもらって、
いい先生に手術してもらったんですけど、
わかりませんって言って、
しかも、じゃあなんとかこれもうちょっと見え方良くなりませんかねって言ってやってみると、
じゃあ右の目の視力をもっと落としますか。
左目だけになった方が生活楽かもしれませんよってすごいこと言うんだけど。
なんと。
でも世界ってそういうもんで、それを前提にして自分の視野を、世界観をね。
見えてる世界っていうのは、要は眼鏡に色がついてるみたいなもので作ると、
それをベースに自分の人生を作れるみたいな。
わかりました、じゃあ右目は過ごしましょうと言いますけど。
恐ろしい。
でもそれってやっぱりそれも挫折で、
変化に向き合う
そこからまた自分の見えるものが変わってくる。
っていうのは結構あるのかなって思います。
そうですよね。
そういう意味で言うと、その働き方含めて、
とはいえ今までやってきたことを急にやらないで良くなるわけじゃないので、
もしかしたらじゃあちょっとやり方を変えていく時期なのかもしれないみたいなところもありますよね。
そうですね。もちろんその全体的なパフォーマンスが、
同じ基準で言うと下がってますよって言うけど、
その基準を変えるとか、
あと自分がオッケーとしているラインがあるんだけど、
そのラインって同じラインのままでいなきゃいけないのかしら?
要はトータルで完成できる仕事の作業量っていうのは下がったとしましょうよ。
もうそれ事実として下がりました。
でも同じ基準でその書類を自分が作らなきゃいけないのか。
あれ?みたいな。そうじゃなかったかも。
他の人に頼めばいいかも。みたいなことも含めて、
トータルで自分のどういう意味付けをしていくか。
決して同じ給料分働きますみたいなことではないんですよね。
世の中の仕事もそうで、僕の仕事も特にそうで、
それはやっぱりいろんなものを疑ってみるし、
動かせる余地があるから、
そこで自分の受け止め方も変えていくみたいなことはやっぱあるかなと思ってます。
そうですよね。
でも何よりもまずやっぱ自分の衰えを受け入れる。
で、それを多分人にも正直に伝えるみたいな、
そういうところってのは、もしかしたらすごい大事なのかもしれないなとは思いますよね。
そうね。
やっぱ言える、それを言えることで自分が持っていない指定も手に入るし、
自分の置いていたOKラインというか、基準を少し動かすっていうのも自由になると思いますね。
正直者とか人とつながって話をするってことは、大きなきっかけになる方法だと思うし、
それも工夫だよね。それも幸せに生きるためのコツだよね。
そうですよね。そうなんですよ。
なんかこの話ね、すごく社会で聞くニュースとかSNSの話にやると、
よく聞くっていうのは、それで起こる問題みたいなんです。
受け入れることの重要性
例えば聞くのが、目が悪いとか反射が鈍るので、車の運転が危なくなってくるっていうのを、
なかなか受け入れられなくて、免許返納できないとか、
固執して車を運転し続けて、結局事故を起こしてしまう。
おじいさん、おばあさんのニュースってちょいちょいあるじゃないですか。
あります。
これはそれの行き着く先、むねさんの目の悪くなった話の一つのありうる機決ではありますね。
それを受け入れられなかった時のっていう。
そうね。ありますあります。
みんなが経験するんですよ。
実は経験してないように思ってる年齢の人とかね、状況の人も、
実は見てないだけだったりするんですよ。
僕の場合はたまたま朝起きても、夜寝る時も目に見えちゃうんで、
司会だったんで、教えてもらいましたっていうことだと思うんですけど、
どこかで視点が少し変わって、今まで見ないようにしてきた下り道のことも、
見た上で受け入れられるようになると、人は幸せになれるんじゃないかなっていうふうに思いますよと。
いやぁ、まさに私はその下り道に、まだ差し掛かりつつあるのか差し掛かってない年代なので、
まだ実感はないんですけれども、
そういうことをあらかじめ知っておくっていうのは、すごく私にとっては大事な話だなっていうのは、
今日のお話を伺って、すごい思いました。
いつかはね、直面しなければならないことだろうなっていう。
そうね、その時から考えてもいいし、ひょっとして何かを自分が受け入れがたいことに出会った時に、
それを受け入れやすくなる助けになる気がするんですよ。
それはトータルで、全然上り道にあると思っているステージの人たちも含めて、
やっぱり幸せになるコツかなって思ってるのを、もう少し言語化していきたいなと思ってます。
ありがとうございます。
いやでも、これはむちゃくちゃ聞いてね、何か考えるきっかけになる。
もちろん全然ピンとこない人もいるかもしれないけど、
もしかしたらちょっとチクリと身につまされる人もいるかもしれないなっていうところで、
もし今日の話聞いて、リスナーの方もね、何か感想とか意見とかなんかあったら、
もうぜひお便りなど送っていただけたら嬉しいなと思いますね。
そうですね。
どんなふうにこれを聞いて思うのかっていうのを聞いてみたい気がするな。
本当そうですよね。立場とか年齢とか状況によって全然受け止め方は違う気がしますね。
そうね。ぜひ聞いてみたいです。
はい。じゃあ今日はこんな感じですかね。
はい。
はい。じゃあ最後までお聞きくださりありがとうございました。
ありがとうございました。
はい。ではまた次回お会いしましょう。
それでは。
それでは。