タイでの収録
今あれですよね、むねさん、今度こそタイで収録されてるんですよね。
そうなんです。今週ね、水曜日の夜にこっち来たのかな。
なんで、3日目ですけど、金土日、木金土か。
木金土。
なんですけど、土曜日です。今日はお休み。
そうか、タイも土曜日お休みなんでしたっけ、お仕事は。
はい、土曜日お仕事お休みで、来週後半にちょっとイベントとかがあって、
それのためにあって、今回ちょっとね、用事が1個終わったんだけど、また来週残るんですけど、
残るようになって、月曜日と火曜日ってタイ休みだってことに知りまして。
あ、え、祝日ですか。
祝日、4連休なんですよ。なんで、え、会社開いてないじゃんって思って。
俺、休みに来たのかっていう、日本の仕事あるんですけど。
なんですか、6月1日って、違う、6月月か、6月2、3か、え、何の日ですか。
えっとね、王妃の誕生日かな、なんかのやつみたいな。
あー、なるほど。
とかがあるみたいな。
へー。
と、なんか振替休日、クイーンスタダ、スタダ王妃様のスタダ、王妃様の誕生日と、
その前のやつの振替か何かが繋がって4連休になってるらしいんだよな。
え、どっか遊びに行ったりしないんですか。
意外とね、オンラインのイベント繋がっててね、バンコクにいないといけないんですよ。
なるほど、残念。
なんで、月曜日は日本の仕事があるしね、普通に。
なんで、タイにいるけどなぜかっていう。
あんまりタイを満喫していないっていう。
いやいやでも、タイはやっぱり来るといいですよ。
居心地は僕は嫌いじゃないですよね。ご飯も美味しいし。
ね、いやーいいなー、タイ。
ちょっとタイ話を続けると、ちょっと永遠に喋りそうなんで、そろそろ入りますか本題に。
お便りの紹介
はい、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
人生道すがら、幸せについて語る。
道すがラジオ。
50代の人生後半戦で、ふと立ち止まった経営者、
ムネオと40歳の壁を前に惑っている小説家、サトノ。
そんな2人が様々な人の生き方に触れ、考えたことを語りながら、
私たちはどうやったら幸せに生きられるんだろう、ということをお作していく番組です。
はい、サトノです。
はい、ムネオです。
あのね、ムネさん、今日はもうすごい嬉しいことがあったんで、
ちょっとそのお話をしていきたいなと思ってるんですよ。
嬉しいこと。どんなことですか?
なんとね、番組初のお便りをいただきました。
おー、いただきました。
やったー。
嬉しいな、こんな始まって間もないぺいぺいの番組にお便りをくださるなんて。
そうだよね。ほんとほんと。放送してる回数まだ全然ないもんね。
聞いてくださってる、まだそんなすごい数多くってわけじゃないけど、聞いてくださってる方、
ほんとにもうありがとうございます。
ありがとうございます。
はい、ということですね。今回はちょっとそのお便りの紹介と、
そこでいただいたコメントから、結構大事なテーマがあるなと思ったので、
そのお便りのテーマを軸にちょっとお話ししていきたいなと思っているところですね。
はい、了解。
ちなみに今回のテーマはですね、あるものに目を向けるということです。
ほうほう、あるものに目を向ける。
持っているものって、すでにあるものもすでに持っているものっていうことですね。
なるほど。
はい。
なくなったものとかではなくて、今まだあるものね。
そうそうそう、そういうことですね。
じゃあちょっとお便りをまず、どんなお便りをもらったかを紹介させていただきますね。
はい。
はい、まず一つ目がラジオネーム、ソットさんからのお便りです。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
はい、じゃあちょっとまずお便りを読み上げさせていただきますね。
シャープさんを聞きました。
シャープさんってあれですね、ムネさんが目が悪くなって気づいたことの話ですね。
第3話ね、はい。
はい、それを聞いてくださったそうなんですけども、書かれてたのが、
私も人生折り返しで、昨年いろいろと失って、正月に友達も亡くして、その後も引き続き失ったままの状況です。
ということで、いやーそっか、お友達が亡くなられたとか、本当におつらい状況だろうなと思うんですけども、
ただたくさんのものを失ったことで、人間、生きていると得るフェーズから、失うフェーズに必ず移行する。
永遠に得るフェーズでいることはできない、ということに気づかされました、ということですね。
これまさにこの間のムネさんもお話をしていた、歳をとってくると、いつまでも何というか、どんどんどんどん成長するんじゃなくて、
やっぱ何かを失ってしまったり、できなくなっていくことがあるっていう、多分そういうところを受けてっていうことだと思いますよね。
そうですね、そこに向き合うってことですよね。
お便りの続きなんですけど、なので後半戦は変な意味じゃなくて、失うことに慣れていくことと、
残ったものを大切にしていくことが幸せの秘訣なのでは?と思っています。
ということで、失うことになれるって、あーなるほどなーってちょっと思ったんですけども、
残ったものを大切にしていく。さらにおっしゃってるのが、幸せのための戦術があるのなら、
どんな状況にも当てはまるようなものはなくて、状況に合わせて柔軟に変えていくことが、長く幸せでいることにつながるのかもしれません。
またお二人の幸せの道中の話を聞かせてください、というお便りをいただいてて、本当にありがとうございます。
嬉しいね、いろいろ考えてくれて、感じてくれることがあったんですね。
そう、しかもすごい、そうむっちゃ聞いてくださってて、でもこれね、いくつかちょっと、あーなるほどって思ったのが、
一つがその、失うことに慣れていくことで、残ったものを大切にしていく。
で、あともう一個が、状況に合わせて柔軟に変えていく。
いやー、なんていうの、私たちよりもちゃんとわかりやすく言語化してくださってるなって思ってですね。
確かに確かに。僕たちいい加減に喋ってる感すごいあるからね。
そう、発散してったりね、思いつきで喋ってる。
全然ゴール決まってないからね、話のね。
そうなんですよ。でも聞いてくださった方、こんな風にいい感じにすごく大切な部分を抽出してコメントをしてくださってて、
いやでもね、これを読んで確かに思ったのが、この間のむねさんのお話って、体調とか病気とかそういう話の、自分自身の話だったんですけども、
人生後半戦、確かにあの身近な人の死っていうのも、もう嫌でも直面せざるを得ない出来事ですよね。
そうね、僕あんまり周りで本当に近しい人が亡くなってるってまだそこまで多くないんですよね。
ないんだけど多分これからだね。
そう、私も本当に身近な人という意味ではないので、やっぱりその時の感情とかについてはやっぱりまだまだ当事者で喋れるほどのものは持ってないなと思うんですけど、
とはいえこれはすごくむちゃくちゃ大事なテーマなんだろうなっていうのはね、人生後半戦を考える上ではね、すごい思いますよね。
あとさ、この方が書いてくださっていることも聞いて思うけど、亡くしていくっていうことと同時に、それを通じて自分が学んでいくとか、得ていくとかっていうことも実はあると思っているんですよ。
この間目を上げなくなって気づいたことっていうことで話したことは、やっぱりそこで学びがあったとか、自分が成長している、成熟しているみたいなことも実はあったりしてて、
雑誌域層かどうかっていうと層もめちゃくちゃあるんで、なくなってることには間違いないんだけど、
老化と感謝
自分自身はそこで気づきがあって、精神的に成長しているとかっていうのも、実はあったりするのと表裏だったりするのかなと思っているので、ちょっと救いかもしれないんですよね、そういうのって。
確かに、それは失わなかったら気づかなかったことかもしれないってところですよね。
やっぱり体をとろえたりとか、自分の今まで通りはできなくなっていることは必ずあるけれど、心は結構成長するというか、まだまだいっぱいいろんなことを気づいて深くなっていくとか、人の気持ちがわかるようになるとか、やっぱりすごく大きいかもしれないなと思っているんですよね。
うん、そうですよね。
実はですね、もう一つ、少し似たところのあるコメントを別の方からもいただいてるんで、それもちょっと紹介させていただきたいと思うんですけども、
はい。
こちらはパッションさんという方からいただいたコメントで、この方はMuneさんのお知り合いの方ですね。
深いお付き合いのお友達です。
はい、お友達ね。で、その方からいただいたコメントなんですけども、
ラジオゆるゆると聞いてみました。ありがとうございます。
話の流れからずれるけど、ラジオでMuneさんが老化の話をしてて、へえ、Muneさんでもあるんだと思ったそうですよ、Muneさん。
何者だ。何者と思ってるかって感じですね。
やっぱ外からMuneさんって結構スーパーマンに見えるんで、年取らなさそうに見えるっていうんですかね。
僕の周りにスーパー速い走る人とかいっぱいいるから、全然自分は思わないんですけど、確かにそういうふうに。
特に彼女とよく話しする機会が多かった頃は、もっと今よりも俺おじさんじゃないかなってシャーシャーって言ってたんですけど、高10代なのに。
その方がさらに言うのが、私はもともとの特性に加えて、老化で思わぬことが毎日起きる。
でも今や人生100年時代で残り50年はできてたことができなくなる体験も増えるのかなと思った。
それまではできなかったことができるもので、50歳以降はそれと同時に手放す体験も味わうんだなと。
老化が悪いことではなく、今まで当たり前と思っていたことがありがたかったと実感できるきっかけになるなと思った次第です。
というコメントですね。
なるほど、なるほどですね。ありがたいね。
ありがとうございます。
これで本当にそうだよなって思ったのが、老化をしていくこと、それによって失うこと、手放すこともあるけども、
それが今まで当たり前と思っていたことがありがたかったと実感できるきっかけになるって言ってくださっているんですよね。
これ先ほどソットさんのコメントでも、あるものに目を向けるっていうのと同じようなところかなと思って、
これは確かに本当に幸せに生きるということを考えるときに、すごい大事なマインドなんだろうなって私も思うんですよ。
この当たり前をありがたいと思う。
感謝できるに自分を育てるっていうのは大きいよね。
ありがたいことに他にもね、実はいくつかお便りとコメントをいただいているので、また別の機会に取り上げたいと思うんですけども、
今あるものへの注目
今回はですね、このお二方のソットさんとパッションさんですね、のお便りに共通していたテーマ、今あるものに目を向けるということについて、
もう少し深掘って話してみたいなと思ってるんですよ。
なるほど、なるほどです。
ちなみにこのテーマについて、むねさん、何か思うこととか感じられることってありますか?
今ね、話を聞いていて、お二人の話を見ていて、ちょっと思ってたのね。
そのまま答えてないんだけど、あるものに目を向けるっていう話に、
なんだろうな、そのあるものっていうのって、実は自分が持ってるものっていうことなんですよね。
その人自身に所属しているものというか、付いているものということに、もちろんそれをありがたく思える、価値があるなと思えるっていうことはすごくいいし、
それをもっとアプリシエイトできるってなんだ、より深く心から価値を認めるっていうか、そういうことができるってすごい大きなことだと思うんだけど、
もう一個は、実はそこと違う観点で、自分のものじゃなくても、自分ではのものに執着しないみたいなものもあると思っているんですよ、話全然詰めちゃうことは。
おっと、話をひっくり返してきましたが。
ちょっと宗教的になっちゃうんだけど、ちょっと前に本を読んでいて、そこであったことなんだけれど、
だんだん人って大人になっていって成長していくと、自分自身のものに執着するだけではなくて、それがなくなっていても、世の中全体で価値があればいいやっていうふうに思えるようになっていく。
自分が世の中と繋がっていて、世界と繋がっていて、自分自身の持ち物に執着していると、そこにやっぱりあるなしっていうふうにいくんだけれど、だんだん所詮死ぬんだからとか、
自分が将来に行くと、自分の持っているものって最終的に別にどっかに持っていけるわけじゃないしっていうふうに思っていくと、だんだんそこじゃなくて、世の中全般のことからものを見て、執着しなくなるっていうふうに言ってるんですよね。
それを受けられるようになっていくことが本当の幸せの道みたいなことが書いてある本があるんですよ。
人生後半戦の戦略論みたいなやつなんで、ビジネス本っぽい本なんですけど、後でリンクがあったら貼っときますけど、それはとても見方として違ったなと思っていて、そこがわかるようになってきたらすごいなと思ってるんですよ。
まるで悟りのフェーズみたいな感じですね。
かなり悟りっぽい、すごくそれは。でもそこ本質かもなって思うことがあって、よくビジネス本っぽい掲載で、悟り持ってくるなみたいな、急遽持ち込まれたっていうふうに思ったんですけど、そのほうがとても面白かったですね。
あるものに目を向けるってことがもちろん一つで、同時に自分のものに固執しないみたいなことも、多分同時にできてくるんじゃないかなと思うんですよ。
なるほどね、なんかやっぱそういう段階を経て、何ていうのかな、より自分がこの社会とか世界の一部分に過ぎないみたいな感覚を受け入れていくっていうのを感じなんですかね。
おっしゃる通りだと思います。
自分自身を単位ではなくて、その本で書かれていたのはポプラの木だったかな。根っこで繋がってるんですって、他の木と。自分自身は一本の木だと思って見てたんだけれど、その根っこで繋がっていて全体で一つの生命体だったんだってことに気づくっていうふうに表現してるんですけど、
一つの群れとして、自分が今までは一本の木だと思っていたんだけど、気がつくと、そこに気がつくと全体繋がってるそのたくさんの木の森の中の一部であることを受け入れるようになるっていう。
自分の枝がだんだん枯れてきてるとか、葉っぱが落ちちゃってるとかいうことだけではなくて、森全体で生きてるんだみたいなことが感じられるようになってくるよって書いてあるんですよね。
心理学と行動経済学の観点
なるほどね。
あるなしで言っても、今まで見ていた自分が持ってるあるっていうのと、森全体であるなしに視点を移せられるんじゃないかな。
そうか。でも正直言ってることはわかるけど、私その感覚に到達するまではまだまだかかりそうです。
僕もそう言ってて、その視点はあるなって思い始めているのは最近だと思うんですよね。
本当の意味ではわかっているかっていうと、実践できてるとは言えないと思うんだけど、だんだんそこで自分が一人が得られるものっていうの、持ってるものっていうのも限りがあるっていうことがわかってくるし、
そもそも時間に限りがあると、それを受け入れざるを得なくなっていく。
なるほどね。
取り留めない話ですね。ごめんね。
いえいえいえ。だいぶ深い話だなと思って。
ゴールがないけど、やつは。
でもまあ、とはいえ今の現時点での私自身とかに目を向けると、あるいはおそらく一般的にというか、人ってとはいえ結局はないものに目を向けがちとか、失ってしまったことに注目しがちっていうのはやっぱりありますよね。
そうですね。自然とそこに目が浮く習性があるっていうことですよね。
そうそう。なんかこれって本当に心理学の実験というか、学問的にもいろんな理論とかが提唱されてるらしくて、なんかそれを行動経済学の理論だとプロスペクト理論とか言うらしいんですけども。
聞いたことあります。
やっぱ人間ってこれ、失うことを回避したい特性がもうそもそも人間にはあるんだみたいな、そういうお話らしくて。
いろんな心理学実験みたいなのをやっていくと、例えばいろんなものを何か与えたい、ゲームみたいな感じでね、その人がどんな振る舞いをするかっていうのもそういう実験だと思うんですけど、そこで得られた結果っていうのが、人は得られる喜びよりも失う苦しみの方を強く感じる傾向がある。
あと一度手に入れたものは、より価値があるように感じるので、失いたくないと思っちゃうっていう。
そうですね、そうですね。
で、そうすると、どんなに頭ではあるものに感謝しようとか、あるいはそもそも自分のあるものに固執しないみたいなのがいいって頭でわかってても、感覚的には、というか本能的にっていうのを、何も考えずにパッといると、なくなってしまうことを辛く感じるっていうのはもうしょうがないことなのかなって思うんですよね。
そうですね。
いやでも、なんかそこでね、どういうふうにしたらそのあるものに目を向けて感謝できるとか、それに固執しないようになってけるのかなっていうのはね、私もすごいどうしたらいいんだろうって全然ね、答えを見出せてないんですけど、どう思います?
めちゃくちゃ難しい気がする、それ。
どうだろう?あるものに目を向けるようになる、どうすればなれるんだろう?
例えばね、もうむちゃむちゃ非近なその日常の例で言うと、私最近そういうことがあったんですけども、例えば家庭のね、運営みたいな、共働きだと例えば夫婦でいたときに、家事の分担とかって結構その喧嘩の種とか不満を感じやすいポイントだと思うんですよね。
そういうときって結局、相手がやってくれていることとか与えてくれているものよりも、やってくれてないこととか、あるいは自分の方が負担して、要は損してるみたいなところに注目しちゃってる状態だと、すごいその相手に不満を感じやすいなって言われたんですよ、一回。
やってないことばっか見てて、自分やってることに感謝してくれないじゃんみたいなことを言われて、そうですね、すいませんって思ったんですけど。
ありがちなちょっと夫婦の。
そうそうそうそう。
なんか逆に役割やったけど、断る気がする。
みなさんね、こういうご経験いろんな場面であるのかなと思うんですよ。仕事でも多分あると思うんですよ。私こんなにやってるのにあの人はちょっとサボってるとかやってくれないみたいな。
でもそのときって0、100じゃなくってもちろん相手がやってくれていることとか、自分がやってもらっていることもある。
けどもどうしてもないものの方が目に行っちゃうってやっぱあるあるだなって思うんですよね。
ありますよね。
で、そういうときにどうやったらあるものに目を向けられるだろうっていう。
僕はそこの話で言うとね、どっちかというとやっぱり、あるものないものっていうものに目が向かないで言うと、そこにないものに目が向く習性は変わらないですよって思ってるんですよね。
そういうものに無理に何とかしたらあるものに見れるようになるかっていうと、多分すごい長いスパンで人格的に成長すると変わるかもしれないけど、基本ノウハウない気がする。
全然ない気がして、ないものばっかり見ちゃうよねっていう気がする。
だけど、今の例えば人間関係で夫婦間のコミュニケーションを良くしようっていうところに行ったときに、欲しいものっていうのは良い関係だったりするから、そのためにどういうふうに自分を使うかみたいな観点の方が役に立つと思うんですよね。
結局良い関係、もともとないものばっかり見ちゃうよと。だからそこに対して良いもの言いたくなりますよと。やってよと。なんでいつもあんたダラダラしてるのよみたいな。自分だけご飯食べたら片付けずに行っちゃってみたいな。
作って荒物を出しみたいな話じゃないですか。でもそれで欲しいものってやっぱり一緒に分担して共有してくれるとか、思い合ってくれるとか、どういう状況か話してくれるとかっていう関係を欲しかったりするんだけれど、それで欲しいっていうものに対して特に行く方法が起こってるってことだと思うんだけど、やっぱりそれって結局どういう行動をすれば効果的に良い関係作れるかなっていうことに集中されないよね。
だからそっか、つまりあるないとかそこの目の前の現象とか状態じゃなくて、もうちょっと一段先の本当に欲しいものに目を向けるっていうことですね。
そうですね。だから自分がばっかり働いて全然手伝ってくれなくて腹が立つっていうのは事実ですよと。
良好な関係の構築
それに対して怒りたいのも事実ですよ。だけどそれやって上手くいきますか上手くいきませんか。上手くいかなかったんで前も。今回もやってもダメだよね。じゃあどうしようかっていう風な感じにするしかないんだよね。
やっぱりそこでマイナスのところ見えちゃうっていう自分は仕方がないっていうか、っていうことだと思うんですよね。だからちょっと一回話し合いましょうみたいな話してどういう分担にするっていう会議をしましょうとか、そういう違うやり方してどうやってコミュニケーション、違いを作るっていうか同じことを繰り返さないっていう。
でももともと言いたくなるよねっていうのは事実。絶対に変わらない。なんてことだと思うんですよね。
なるほどね。そっかそっか。だからやっぱり人間そういうもんだからしょうがないっていうのは一点ですね。あともう一個思ったのが、マインドはそれで人間ってそういう特性を持ってるんで、どうしてもないものに目が向くこと自体はしょうがないので、例えばマインド変わってなくてもいいから行動だけ先にちょっと違うことをやってみるみたいなんて重要かもなって思って。
そうですね。
例えば、日常常にマインドをそうするのは難しいけど、時々週に1回でもいい、月に1回でもいいから、例えばノートとかを開いてあるものとないもの、不満があったら別に不満もいいんだけども、逆にでもこれは今自分にあるよねとか持ってるよねとか、あるいはパートナーだったらそれをやってくれてるよなってことを意識して全部書き出してみる。
で、ノートでやって並べてみて、例えばないものとあるもの全部書き出したら、意外といっぱいあるものあるじゃんって目に見えるかもなって思って。
偉い。いい嫁だ。
っていう、その時にマインドとしては別にないに目が向いててもいいんですよ、それをあえてそういう時間を作ってあるを書き出してみるとか、あるいは本当に心から感謝できてなくてもいいから、形だけでもいいからありがとうって言ってみる。
相手に向かって言うのが照れくさかったら、自分のストーリーの時でもいいんですよ、こんだけ読んでくれてるのありがたいなってちょっと嘘くさくってもとりあえず言ってみるとかね。
案外そういうマインドを変えるんじゃなくて、行動を変えてみると、それが習慣になるとちょっとあるものに目が向きやすくなるかもなみたいなね、思ったりしますね。
そうですね。その気持ちとかってやっぱり気持ちがある、こういう気持ちがあるからこういうふうに行動していいでしょって思いがちだけど、意外と行動するとその気になってくるっていうのはあるよね。
うんうん、ありますよね。人間って意外と単純というのかなんていうのか。
だから手を挙げてガッツポーズみたいなやってみるってやってみてくださいって言われたら、どんな気持ちですかって聞かれたことがあって、なんか元気な気がするみたいな。
これ姿勢によって人間の気持ちって変わるんですよね。
あー、はいはいはいはい。
やっぱりそれって影響あるんです。体と心って繋がってるから、それみたいなもんで、やっぱり行動していくことによって気持ちを変えられるとかっていうのも、実はティップスというかちょっとしたコツみたいなことって結構あるよね。
ありそうですね。
どうしてもこういう気持ちがあるから、当然でしょって、自分の方が正しいっていうゲームをしがちだけど、結局その気持ちも自分で変えられるんですよねっていうのがあるんですよね。
とにかく人のないところに注目する、あるところに注目するって習慣は僕は変えられないと思う、そんな簡単には。
うんうんうん。
タイでのビジネス経験
一個だけちょっと違う話していい?
あ、はいどうぞ。
ごめん、それ切りまくって。脱線しまくるな、ごめん。今タイにいるからさ、俺すごい自分、人がやっぱりあるものに集中、いやなくて、自分の持ってるものを失いたくないに執着するっていうのをビジネスで実感したことがあるんですよね。
へー、はいはい。
僕、何の会社をやってる、どういう会社をやってるかっていうと、いくつかやって、いろんな会社に関わってるんで、謎なんだけど、タイでちょっと何やったかっていうと、今はもう役員はやってるんですけど、金融業をやってるんですよ。お金を貸す仕事もあったんですよね。
はいはいはい。
で、大きい仕事としては、オートバイを買うときに分割で販売する仕事なんですよ。
ホンダとかヤマハとかのバイクを36回バラにしますよとか、3年かけて買いましょうとかね。そういうのがメインの仕事なんですけど。
明日として、東南アジアではバイクっていうのが日本よりもずっと重要なものですもんね。
そうですよね。しかも高いんだよね、日本より全然。20万円ぐらいするんですよ、普通の大きさのバイク、小さめのバイクが。
収入に対しての価格が高いですよね、すごく。
その代わりに長い間使えるし、値段も落ちないんで価値があるんですけれど、それをやっぱり金利結構高いんだけど、分割でも買いたいという話があって、その仕事はあるんですよ。
昔だと日本だとJAXさんとかORICOとか、今はあとクレジットカードのビジネスになっちゃったけど、そういう分割、ボーナス一括、分割みたいな、今でもちょっとありますけど、そういう仕事をやっていて、新車を、バイクを買うときに分割をやるっていう仕事をやってるんですよね。
どっちだかというと、たくさんお金を持っている相手の仕事じゃなくて、収入はちょっと不安定なんだけれど、まとめて買うだけのお金がないんだけど、分割して買いたいよっていうやつをやってるんですよ。
比較的収入が少なめの方がお客さんになるから、やっぱり途中で払えなくなる人がいっぱいいるんですよ。
3割ぐらいはちょっと払えないかな。
結構ですね。
結構な率なんですけど、だからどうしても金利も高くならなくて、やってるんですよね。3割とか4割とか下手すると、途中で払わなくて逃げちゃうみたいな。
バイクは返してもらえますよっていうこととかもあるっていうのが厳しいけど、そういう商売なんですよ。
僕が10年近く前に新しい事業として始めたのが、バイク3年経ったらみんな会社終わるんですよね。言っても大半は会社終わるんで、自分のバイクになるんですよ。
でも、そのときにも収入が安定してるかってそうでもない人もいっぱいいるんで、いざというときにお金を借りたいんですよ。
でも、銀行を貸してくれる人たちじゃないんですよ。
その人たちにお金を貸すのが、自分のバイクになったバイクを元でに価値が結構まだまだあるんで、このバイクだったらもともと20万円の新車だったけど、今の年式だったら15万貸せますぐらいまでいけるんですよ。
13万貸せますとか。
土に入れるみたいな雰囲気ですか。
でも、バイクが使ったままタンパンにタンプするだけで。
そのお客さんって自分のバイクを今まで返してきた実績があるから、こっちも安心して貸せるのよね。また返してもらえればいいじゃんって言って返せばいいんですよ。
やって気づいたのが、今まで返してきた信用が高い人もそうだし、そうじゃない自分のバイクを普通に持ち込んだ人、お客さんも両方ともやってるんだけど、新車のバイクを買ってもらって返す、それが払い終わるっていう率と、自分のバイクをタンポンにして返してもらう、そのお金を借りて返してもらうっていう率で言うと、自分のバイクの方がむちゃくちゃみんなちゃんと返すんですよ。
なるほど、失いたくないからっていうこと?
そう、プロスペクト理論なんですよね。結局自分のものがなくなるっていうのにすごい注目するんですよ、みんな。まだ自分のものになってない奴は、もういいや、もう返れないし、返しますってなるんだけど、自分のバイクは失いたくないんですよ。
なるほどね。
だからそれ絶対変わらない、本当圧倒的に変わらない。数パーセントぐらいしか返さない人がいないんですよ。
でもそんな差が出るのはすごいですね。だって方や信者は3、4割がもう払えなくなる。
そう、返ってこないのに数パーセントしか返さない人が出ないっていう、それはすごい話だなと思っちゃって。
そういう意味で言うと本当に、もう人間の特性なんだなって思うしかないですよね。なんか根性でどうなるかなるような話じゃないんですよね、きっとそういう。
失うことと幸福度
ないです。絶対に変わらない、そこって根本的には。
多分それってもう人間の生き物としての生存のためにその方が生き延びやすいっていうのがあったからこそ持ってる特性なんだろうと思うんですよね。
そうですね。
なんかそういう意味で言うと、まあそのどうしてもないものに目が向いちゃうとか、あるものに感謝できないっていうところを過剰にそれで自分がダメだって思うことはない。
ただどっちかっていうとそういう特性がやっぱあるもんだって理解しておくっていう方がもしかしたらまず大事なのかもしれないですよね。
そうですね。僕はそう思います。
それでちょっと思ったのが、一番最初のちょっとソットさんのコメントにも関わるんですけど、そんな風な頭で考えたんじゃどうしようもない特性を持っている人間があるものに目を向けやすくなるっていうのがまさに人生後半戦の人の死とかあるいは病気って強制的に失う体験じゃないですか。
そうですね。
死にたくないと思っても病気になったらその健康が失われたり、たとえばむねさんで言うとその目が悪くなっても前のようなその状態には戻れない強制的に失ってしまった体験があることによって逆にそれであるものを持っているものに目を向けやすくなる気はするんですよね。
そうですね。
だからそういう意味で言うと人生後半戦の方は実は自分の身近にある幸せに気づきやすくなるフェーズなんじゃないのかなっていうのをちょっと思ったりはしますね。
調査でもなんか見たことがありますね。実は人間の幸福度って若くて元気でどんどん楽しいことが起こりそうな20代よりもやっぱり40、50の方が高いんですよ。
20代、30代って平均幸福度が低いよね、全然。
我々の方が高くなっているのが普通なんです。平均にいって。もちろんアンケートとかで取ってる結果なんで認識なんだけどね。
満足してるんですよ、今の自分に。
それってやっぱり諦めたっていうことと結構つながってる。
なるほどね。
どんどん欲しいものがあってそれを手に入れなきゃっていうふうに思ってるものからそこから解放されていくってことで多分考えられるんじゃないかなって僕は思ってるんですけど。
なるほどね、でもそれはすごく今のむちゃむちゃになるほどなって本当に思いました。
調査があると思うんで、後で見ときます。何かあるかな、リンクあるかな。
そういう意味で言うと幸せな人生を生きるっていうことを思った時に何かを失うっていうのは本能的にはそれを恐れてしまうんだけれども、
実は一回失う経験をした方がその後幸せを感じやすくなるみたいな何かそういう面はあるっていう意味で言うと、
失うことをもちろんその体験自体やっぱ辛いし悲しかったりとか決してすごいその体験そのものは喜べないと思うけれども、
その後で自分がより幸せな方に向かっていけるかもみたいなことを思っていると少しだけ気が楽になるんじゃないかなって何かそんな気を今しました。
精神的にやっぱ成長なんだと思うんだよね。
人はやっぱり後半戦になってもメンタルには成長していける。
そこがすごく大きなところなんだと思うんですよ。
なんでやっぱり自分もいろいろ考えてこんなこと言ってますけど、成長していきたいなと思っている。
ただ今までの若い時の成長とは多分ちょっと違う形での成長っていうことですよね。
そうなんですよね。
そんな感じでお便りを1点にちょっと悟りの話になったり、タイのバイクの話になったり、いろんなところに話は行きましたが。
相変わらず。
相変わらず。
脱線しまくってすみません。痛くなったら言います。
大丈夫です。
でもとりあえず全部をまとめると、
一つはやっぱり人間って失いたくないって思っちゃう。
あるいはなくなることに注目してしまう特性を持っている。
マインドの変容と気づき
それはもうしょうがないよねっていうのは1点ですね。
そうですね。
その上で少しでもあるものに目を向けるには、マインドを無理やり変えようとするよりはちょっと行動を変えてみるみたいな。
あるいはもっと自分にとって、あるいは自分の家族とか自分たちにとって本当に大事なものって何かなっていうのをたまに考えてみるとかね。
そっちに目を向ける。あるなしのもっと先にあるものに目を向けるっていうのかな。
はい。
最終的に悟りの境地でそもそもあってもなくてもいいというか。
そこまで行けるといいですね。
大丈夫です。最終的にみんな死ぬんで悟れると思います。
確かに。
いずれはね。もう嫌でもどうせ全部手放さなきゃダメですもんね。
そうですね。
それをなんかいい経験にしながら、自分で置き換えながら生きていけるといいかなって僕は思っていますね。
いろんなこと起こるけど。
そんな感じでいいですかね。
なかなか面白かったです。
はい。私もちょっといろいろ気づかされることのある回でした。
リスナー参加への呼びかけ
そんな感じで、今回みたいに感想とかご質問とかあったら、
番組へのお便りいつでも募集をしています。
お便りをいただけたら、今回みたいに番組内で取り上げさせていただいて、
それをもとに喋らせてもらったり、
お便りのご紹介っていうのも適宜やっていきたいなと思うので、
皆さんこれを聞いて何か思うことがあったら、
全然気軽にね、短い文章でも全然構わないので、
お便りフォームのリンクから概要欄にあるので、
そこから何か送ってくださったらすごい嬉しいです。
ありがとうございます。ぜひよろしくお願いします。
個人的にも聞いたりするんだけど、書いてくれても嬉しいです。
アプリとかに入れてくれても嬉しいです。
本当にね、私たちこんなふうに発散しながら、
割と役に立つんだか立たないんだかって感じの話をしてますけど、
でもこれが何かね、皆さんのちょっとでも考えるきっかけになった。
本当嬉しいなって思って。
お便りをいただくって本当に励みになるので、
よかったら、気が向いたらよろしくお願いしますっていうところですね。
はい、お願いします。
それでは最後までお聞きくださりありがとうございました。
ありがとうございました。また次よろしくお願いします。