仕事復帰と自己評価
あのね、むねさん。
はい。
最近、私、ずっと育休を取ってたんだけど、育休を明けてね、仕事復帰したんですよ。
おめでとうございます。
おめでとうなのかな、これって。
でも、しみじみ思ったのが、みんな朝から夕方までみっちり働いてて、えらいなーって。
今まで当たり前だったのにね、環境が変わって、そっちにステージに慣れちゃうと、また違う視点になりますよね。
そうなんですよ。なんかあの、一つのこと、一つのことって言ったら、業務の中にいろいろあるっちゃあるけど、とりあえずその一つのあるジャンルの一つのことを、ずーっと朝から夕方まで、しかもそれを月曜から金曜までやるって働き方をしてる人って、まあ割と多いと思って、それは当たり前と思ってると思うんだけど、
なんでそんなルールになっちゃったんだろうってめっちゃ思うんですよ。
そう、気づかないよね。普通、それに慣れちゃうと。
考えたら多分、今ってまだ5月だから、例えば新入社員の人で、4月から会社に入った人とか、ものすごいギャップにやっと慣れてきたみたいな人もいるよね、きっとね。
で、だんだんそれに気づかなくなるんでしょうね。
慣れて何年も経ったらね、むしろそれがなくなると、ぽっかり穴が開いた気がしちゃうんでしょうね。
そうね、人間って一回慣れて気づかなくなって、違うところに行って初めて、新しく一瞬で見れるっていうのがあるでしょうね。
ね、ほんとに、こういうのもね、幸せに生きるっていうこととむっちゃ密接に関わってるから、ちょっといつかね、この辺の働き方の話もがっつり扱いたいなみたいなこと思いますね。
面白そう、それもいいですね。
ね、とはいえ、今日はちょっと別のテーマがまたあるので、とりあえず始めていきますか。
人生道すがら、幸せについて語る。
道すがラジオ。
50代の人生後半戦で、ふと立ち止まった経営者宇音、40歳の壁を前に惑っている小説家佐藤。
そんな2人がさまざまな人の生き方に触れ、考えたことを語りながら、私たちはどうやったら幸せに生きられるんだろう、ということを模索していく番組です。
今日は何の話をしよう?
そう、今日は、あ、自己紹介忘れた。
あ、そうだ。
佐藤です。
ムネオです。
はい。
よろしくお願いします。
お願いします。
今日は、まず私からテーマを出すっていうので、最近すごい感じるのが、いくつか結構明確に、幸せを遠ざけてしまうものってあるよなっていうのをね、感じるんですよ。
評価と正しさの影響
なるほど。例えばどういうことだろう?
私が今、自分の中に持っているキーワードが、評価と正しさですね。
うんうん、わかるわかる。
で、正しさが幸せを遠ざけるっていうのは割と言われていることだと思うんですけど、要はその自分がこれが正しいとか正しくないっていう軸で人と関わってると、すごくその正しさのぶつかり合いになってしまって、結局いい関係にならないみたいなこと言うと思うんですけども。
ありますね。
で、ちょっともう一個、私が最近すごい思うのが、評価。それも自分の中にある物差しですね。
正しさとも近いんだけども、こうあるべきとか、こうある自分ならOK、こうじゃない自分はOKじゃないっていうその評価軸みたいな、みんななんか無意識で持ってて、それで自分を判断して、勝手に自分ダメ、自分これはいいってやるもんなから苦しくなって、なんか幸せじゃなくなってる人多くないか?
ってね、思ったんだけど。
絶対多いね。
しかもその正しさと評価って、裏側につながってるような感じがするな、聞いてても。
うんうんうん、確かにそうかも。
正しい正しくないっていうのと、それをなんか定量化していくみたいな、差能寄りな考え方だよね。
うん、そう。
どっちかというと。
なんかというわけで、今日はちょっとこの話をね、掘っていけたらなぁと思うんですけれども。
その話、何だろう、ここについて、あーあるなーって思ったの、最近何かきっかけが、どこからきっかけがあるんですか?
そうですね、一つやっぱ大きいのは、ほら今私とむねさんが一緒にやってる、心理学系のその自己啓発というか、そのセミナーのボランティアをやってる中で、
いろんなそこの参加者の人、受講生の人とね、いろんなお話をする中で、まあずいぶんみんな勝手に自分で、自分はダメだって思って、自分を責めて落ち込んでる人多いなーって。
そう、苦しんでる人が多いんですよね、時にね。
で、まあ自分自身も、その仕事復帰すると、やっぱ自分の中ですごくその、ちゃんと仕事をできてる自分はOK、でもちゃんとできてない自分はダメーみたいな感じの、自分で自分を評価する人に言われてないんですよ。
別に上司も何も言ってない、同僚も何も言ってないけど、自分で勝手に自分をそう評価して、勝手に苦しんでる自分いるなーとかさ、思ってですね。
いや、実はさ、外側見てると、外から見ると、そういうのを考えなさそうな雰囲気に思うんだよね。
あ、マジですか?そうなの?
そう思う。まあそんなわけないとは思うんだけど、多分他人から見ると、あんまりそういうふうなこと気にして生きてなさそうに見えるよ。
そうなんですね。いや、言われます。でもひょうひょうとして、むっちゃこうひょうひょうと仕事をしてるように見えるって言われるんですよ。
そうだよね、多分ね。だけど実際、自分の中ではいろいろカットするんだ。
うん、そうなんですよね。なんでその、そう見えない人も、かなり多くの人が、まあ無意識で、だいたい無意識だと思うけど、自分の中は何かの評価軸を持ってしまっていて、
それは多くはおそらく外から、そのちっちゃい頃から育っていく中で、植え付けられていったその観念だと思うんですけども、
それをじゃあ一体どうやったらうまく扱えるっていうか、なんかその評価ってどうやったら手放せるんだろうみたいなことはね、すごい思うとこですね。
多分でも、僕もいろんな人の話を聞いたり、いろんな、自分自身も見直してみて思って、やっぱりその評価するっていうそのものって、その当時というか、特にちっちゃい頃からそれを持ってきたんだと思うけど、きっとその成長していくための足場みたいな足掛かりというか、
評価の社会的仕組み
こうでなきゃいけないと思っていることで、頑張らなきゃになっている道具として使われてきたんじゃないかなとは思うんですよね。
こうでなきゃいけないから、もっと頑張ろうみたいな。頑張りなさいなんだよな、きっと。
上から言われてきたとか、なんだろうなっていう気がする。
あと、やっぱ評価されると嬉しいっていうのはあるじゃないですか、やっぱり。
そうね。
なんかテストの点数ってむちゃむちゃわかりやすい評価だけど、やっぱりいい点数取れると嬉しい。
点数が悪いこと、嬉しいとはやっぱなかなか思いにくいっていうのはどうしてもあって、そうするとやっぱ点数取れると嬉しい、取れなかった、嬉しくない。
もしそこで怒られるなんてものが付きようものなら、評価されないイコールむちゃくちゃ悪い経験っていう風になってっちゃうのは、これ結構しょうがない部分あるなって思うんですよね。
そうですね。なんか点数つけるってそもそも反応を期待して用意されてる気がするな。
その評価者側が。
それがあることによって、評価されたフィードバックとして、これで嬉しい、がっかりしたっていうことをあるためにわざわざ数字にするとか、定量化するみたいな仕組みがあるような気がしたな。
でもね、その辺の点数をつけるって多分世界中でやられてるけど、あれはもともとなんで始まったんですよね。
なんだろうね。組織の理屈かな。組織を機能させるためかな。
それぞれの人を分かりやすく比較するためとかですか?
あるいはそれで競争させる?支配する?
その複数いるメンバーを並べて、お前今回頑張ったな、お前ダメだったから次頑張れみたいな。
そこでお互いにバチバチやらせて、見てる奴が、見てる側、上から見てる側がいい感じで組織が動いていくっていう期待があるのかな。
あー、でもそれはありそうですね。評価って確かに人を支配する一つのいい方法で、
飴にも鞭にもなるから、単純に脅しつけるよりは結構頑張ってくれやすいっていうのがあるかもしれないですね。
そこに乗っかりやすいし、競争する側の評価される側、乗っかりやすいし便利な道具で、
しかも公平感みたいなのがあって、支配者に目が向かないよね。
うん、確かに確かに。
そこに乗っかっちゃってる結果みたいなのは、もちろん組織がいい方向に向くのに道具として役立ってるんだけれど、
それはひょっとしたら家庭もそうかな。
家の中で子供を正しい方向に導くために評価をするみたいなところから来てるのかもしれないですね。
でもね、最近、私もよく好きでポッドキャスト聞いてて、その中で最近好きで聞いてるのは、
ティーチャーティーチャーっていう子育てポッドキャストあるんですよ。
で、その中でやっぱすごい、それこそ子供にどういう声掛けするとか、こういう時にどういう褒め方をするみたいな、どうするといいとか、
で、こういう風にすると、やっぱ子供はこういう心理になっていくので、こういう風になっていきやすいみたいなお話をされている中で、
その、たぶん背景にはちょっとそのアドラー心理学の考え方とかもあったりするんで、
実は私たちに関わってるセミナーと通じる考え方もあるなーって最近思ってるんですけど、
アドラーって、やっぱ評価とか褒めるっていうのをすごくこう、に関して警告を出してるんですよ。
はいはい。
それやっぱり、むねさんおっしゃった通り上下関係で、要はその上から下に対して下すものだっていう評価っていうの。
で、それをやることによって、対等な関係を築けなくなるし、相手側はその評価に従って、
良い評価を得るためにやるっていう風になりやすいんだとか。
うんうんうん、そうだね、そうだね。
そう、なんかまあ社会がそういう仕組みになってるのはしょうがないとして、
その評価を自分の内側に取り込んで、自分で自分に対してまでその評価の方法っていうのを使い始めるのって、
評価軸の影響
すごく幸せを遠ざけていくなーっていうのはやっぱめっちゃ思うんですよ。
そうですね、それは何だろう、いろんな人を見てても、自分自身の中にもあるっていうことを気づけるといいけど、
気づいていない人が多いよね。
ね、そうなんですよ。無意識すぎるんですよね、多分。
どういう軸で自分を見てしまっているかっていうのがね。
そうね、なんか普通に歩き方みたいな感じになってるから、
右足と左手が同時に出てとか、考えないみたいに、単に歩き方っていうのがそのまま無意識に動くように、
評価がないと動けないみたいなところもあるかもしれないですよね。
もともと基本的な動作として。
でもそれが、里野が言うみたいに、それ自身が自分を縛っていて、めんどくさいことになってる。
それはあるけど気づかない、気づいていないっていうか、一歩引いてみれるタイミングがあるといいけどないんですよね。
そうなんですよね。
なんでその、やっぱりその物差しは、自分でコントロールできたらいいと思うんですよね。
それは自分の頑張りのために、まあそういう評価を使うのが悪いわけじゃないと思うし、
その評価を一切なくせっていうのも、それはそれで多分違うんだろうなと思って。
ただ自分がどういう軸で、その動いちゃってるのかっていうのを、でも意識するのに自分で考えてわからないから、
結局それはその違う軸を持っている人と触れるか、そういうことをあえて突っ込んでくれるような、
それこその自己啓発なのか、何でもいいんだけど、そういうちょっと突っ込みを入れてくれる人とのコミュニケーションっていうのはね、
すごい有効な気がしますよね。
自分でさ、その評価について気づいたっていうタイミングどこかって覚えてますか?
この話考えるタイミングってどういう時に思ったんだろう?それが聞きたいから。
あー、自分で。
自分で、自分自身の評価の軸とかを、こんなもんって気づいた。
そういう人たちの場合、この話気づいた時に何だろう?他の人見てたようなことか。
そう、一つは、他の人を見ていて、やっぱりよっぽどみんな自分で自分のことを責めてるなって思ったのが一個あるし、
もう一個あれですよ、それこそあの、私、むねさんのことを勝手にメンターと思ってたまに相談をしてるんですけどね、
一回やっぱすごい言われて、あーそうかって思ったのが、むねさんがね、上司の言うことなんか聞かなくていいんだよ的なことを言われたことがあったんですよ。
だいたい自分が言ったことを、あの、覚えてない。
覚えてないや。
そういうこと言ったんだよね、たぶんね。
その時の私は、こういう悩みを相談して、私のその上司っていうのはどっちかっていうとこう細かく管理しようとするタイプの方だったんですよね、その時。
なるほど。
で、それが結構つらいみたいなことを言った時に、むねさんが言ってたのが、別に上司だからってその言うことを100全部聞く必要はなくって、
自分で考えてこうやることでちゃんとその仕事上でこういう成果が出るっていうのを決めてそれをやれば、
で、ちゃんとそれやったら、それについて上司は意外と言わないもんだよっていうのはやっぱすごい言われたんですよね。
なるほど。
で、その時に自分の中で、あ、なるほど、そうか、私は会社にいたら、上司の言うことは全部聞いて当たり前そうするべきっていう思い込みでいて、
それをちゃんと実行できてない自分はダメだって思ってたんだなって。
なるほど。
その時気づいたんですよ。で、実際それでそのマインドで、あ、じゃあもう上司の言うこと全部聞かなくていいやみたいなマインドでいたらむっちゃ楽になってですね。
なるほど。
うん。
確かに何か言ったことが思い出したけど。
思い出しました。
全然忘れていた。
そういう風にしてやっぱり誰かと関わって、誰かに違う視点でものを言ってもらった時に、あ、自分の評価ってこれなんだっていうのに気づくってことね。
そうそうそう、そういうことですね。それは自分だとなかなか気づかなかったかも。
変化へのステップ
で、ただそういう経験を繰り返すことでちょっと慣れてくると、自分一人でもしかして自分こういう評価軸持ってるかもって気づけるようになってくる気はしますね。
そうね。きっかけとしてそういう経験があると、自分の中で違和感とか感情的な変化だったりをきっかけにして、その後も同じように発見する習慣はつけられるかもしれないね。
それスキルなんだと思うんだけど、自分の中の評価軸に気づくっていうか、一個じゃないもんね。いろんな軸があるもんね。
そう、たくさんあるんですよね。逆にムネさんはなんかそういう自分の中の無意識の評価軸に気づいた瞬間とかってありましたか?
最近また別で話そうと思ってたことに気づいて話してしまうんですけど、そういうと僕の中で詳しくは後で話したいけど、また別で話したいけど、なんか社会的に成功しなきゃいけないみたいな軸があるってことを、この歳になるまで人生50年近く気づかなかったっていうのにありましたかね。
それまではずっと無意識で多分そう思ってそのための行動をしていたっていう。
それまではずっと成長していきたい成長していかなきゃいけないみたいなことを思って動いていたんだなっていうことに気づいてたんだけど、
さらにそのと別で成功していなきゃいけない成功してない人間はダメだみたいなことが実は自分の中でも思っていたっていう。
それもすっごい隠されていって全然自分ではわからないぐらいな状態で、そんなことないよって言ってるんだけどあれ違う思ってるわっていうのに気づいたっていうのがあったりしますね。
だからそういうのを見つけるきっかけとかが、何回も何回も掘り進む、自分のことを見返す、そのきっかけになるのはきっと感情なんだけど、きっかけになんでそんな風に思ってるんだろうっていう風に考える癖をつけていくっていうのが何か役に立っている気はしますね。
そうすると楽になるというか。
その感情ってのも少し具体的に言うとどういう感じでそれを発見していく感じですか?
違和感だったり、不快感だったり、残念な気持ちだったり、どっちかというとネガティブな感情が多いんだけど、その時になんでそんな気持ちになるんだろうって普通は思わないんですよ。
なんか嫌だとか、もう嫌だなーって、モチベーション上がんねーやーとかって言うんですけど、それなんでモチベーション上がらないんだろうとかっていうことを考える癖みたいなのがちょっとだんだんついてきた。
それを見ているとあれ?考えて、これなんかあるなーみたいな感じで、なんで僕がこういうこれをダメだって思ってるのかっていうと、こうでなきゃいけないって思ってたんだっていう、そういうのを発見できるっていう感じかな。
それがステップとしてなんか鍛えられてくるっていうのがあるかもしれないですね。その評価に関して言うと。
そういう意味で言うと、確かに私もさっき例に出した上司との関係の話で言うと、私も感覚的にすごい、その時むちゃくちゃ疲れてるっていう感覚をずっと持ってたんですよ。なんかしんどい、疲れてる。
でももちろん仕事が大変とは言いつつ、私のやってる仕事ってそんなむちゃくちゃ残業時間長いとかではないんですよね。
その気さえあれば定時に帰ることもできる。なんか労働時間的にすごい大変なわけじゃない。私はなんでこんな疲れてるんだって、やっぱその当時思ってたのも疲れっていうのがやっぱ感情的なその影響もあった。単なるその体の疲れ、脳の疲れじゃないものが影響してたのかもなって、今の話聞いて思いましたね。
ずっとその都度その都度自分の軸に照らして、ダメだダメだを繰り返して疲れるっていうことなんじゃないかな。
多分そうだと思います。自分で自分を責めてるから倍疲れちゃうみたいなね。
そう、それが結構大きいよね。
そうそう、今聞いておられる方の中にも仕事しんどいとか、何かがしんどいって思ってて、しんどいをただしんどいのまま置いちゃってる人ってすごい多いと思うんですけども、
よーく見つめると自分は、実は自分で自分を何かしら評価してダメ出しすることでの疲れを抱えてる人ってむっちゃ多い気がします。
むちゃくちゃ多い、むちゃくちゃ多いです。
それを多分自分だけで見るっていうのは難しいから、最初のきっかけが誰かに助けてもらう人なんだよね。
うんうんうん。
普通の人間関係だとあんまりそこに突っ込めない。
ですね。
突っ込めないし、わざわざ役割として誰かに突っ込んでもらうことで、
あ、こうやって気づけばいいんだみたいなことをわかるようになるには相当数がいると思うけど、
だから役に立ってるなって思うよね。
ボランティアやってて、僕ら。
確かにあの、少し話をまとめると、みんな多分何らかの評価軸で自分を苦しめて、
それはものすごい無意識の奥の方にあったりするから、なかなか気づけない。
でもその時にやっぱまず大事なのは、自分は何か無意識でそういう物差しを持って自分を測っちゃってるかもしれないって思っとくっていうのはたぶんものすごい大事ですよね。
そうですね。
それを見つけたところで、実は簡単に変わらないっていうのも大事なんでね。
あーうんうんうん。
ずっとそれを歩き方としてなんか習慣化してきているから、気づかないぐらい体にフィットしてるんで、それを見つけたところで歩き方は変わらないみたいな。
でも歩き方は変わらないんだけれど、その歩き方してるんだなってわかることで楽になるっていう、っていうのは絶対大きいと思うんですよね。
ですね、確かに。
で、あともう一個はそのそうしてるかもって、もし気づいたら意識して時々でいいからその違いを作るっていうことですね。
ちょっと違う風にやってみようってやってみるっていうね。
そう、あえて今はジャンプしようみたいなことができるんですよね。
無意識の評価軸に気づく
ここだけスキップしようみたいな、そういうことができるみたいなことは選択肢が出るんで、
でもいつもの歩き方は変わらないっていう、そういうもんだよねって思いながら歩くっていうことができるといいんじゃないかな。
それがたぶん幸せな部分には結構大きいと思うんですよね。
確かにその軸を持ってて、それを手放さなきゃって思って、手放せない自分をまた攻めたりしたら、もうなんていうか本末転倒ですからね。
そうそうそう。またやってるっていうことでまた攻めるみたいな。
そう、でもそういう意味で言うと心理学を学ぶっていうのは、そういう自分の中の無意識の軸とか観念に気づくためにはものすごい有用だけど、
最近私モロハの剣だなって思って、今度それを手放さなきゃっていう別のまた観念を作り出して、結局苦しむみたいなね。
はいはいはい、それあるよね。そういう人もいるよね。
いる、いますね、本当に。
とはいえ最初の気づきを得るときには、それこそカウンセラーさんに相談するとか、そういうセミナーに参加してみるとかね、
セミナーって知らない人にとって怪しく感じられて、そもそもええって感じかもしれないけど、
まあ選べば別にその気づきの場として、結構悪くないものも世の中に最近増えているとは思うんですよね。
あると思います。まあ評判とかなんだろう、昔よりもいろんな情報の出方がインターネットのせいであるからね。
うん。
僕こういうそういうセミナーに行ったのってもう20年ぐらい前なんで、その頃もインターネットあったけど、まだホームページがありましたありませんぐらいの世界だったから。
ねえ、じゃあわかんないですよね。
怖かったよ、超怪しくなったよ。
よく飛び込みましたね、それは。
僕は比較的新しいことやってみようってポイって行く方なんで行ってみたけど、
話聞いてウェブサイトで見て申し込みするんしたんですよ、僕は。
だいたい人の紹介で行くみたいなんだけど、したらウェブサイトで申し込みする人は、超危険なやつか、すげえ変わったやつかどっちかだって後から言われました。
むねさんどっちだったんですか?
ちょっと変わったやつだと思います。
ちょっと変わったやつ、超危険じゃないか。
一応運営側に入ってるんで。
確かに。
手伝いしてたりするんで。
ねえ、そういう感じです。このポッドキャストでは幸せに生きていくにはどうしたらいいだろうって考える上で、
今日一個出したっていうのが自分の中の無意識の評価軸に気づくっていうことですね。
あときっと正しさっていうこともあったと思うんだけど、それは次に聞こうか。
セミナーの活用と自己理解
そうですね、正しさはね、私もバリバリ自分の経験があってですね、いろいろと思ったことがあるので。
また今度聞かせてください。
じゃあ今日はそんな感じでいいですか?
はい、面白かったですね、いろいろ。逆に話してると気づくことがね、自分たちでも大きいよね。
なので今日この話を聞かれて、自分の壁打ちみたいな感じで、じゃあ自分自身どうだろうみたいなことをね、振り返るきっかけになったら嬉しいなっていうのは思いますね。
はい、なんか役に立つといいかな。
はい、本当に。じゃあまあそんな感じで、感想とか、もしご質問とかあったらお便り募集してますので、概要欄のお便りフォームのリンクからどうぞ気軽に送ってください。
はい、よろしくお願いします。
はい、それでは最後までお聞きください。ありがとうございました。
ありがとうございました。
はい、また次回お会いしましょう。