1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. シュウはただ喋りたかった~意..

シュウがただしょーまさんと喋りたかった回の4回目

将棋のAIの話で、もうある時期から、作成者も何故こういう動きをするか分からない世界に突入したと聞いた

孫泰蔵さんは「AIも自然みたいなものになってきていて、AIの暴走みたいなものは今後必ず起こる」と仰れててもいたり

しょーまさんは全く同じ意識が2つ有り得るとイメージできることから、残るのは身体性との感覚を話されて

シュウは意識自体も含めて全てがそもそもただの身体なんじゃないかというブッ飛びに…


*1 しょーまさんのnote:「いや」から始まる肯定の裏にあるもの( https://note.com/shihma44/n/n1ec3aa3285bb


収録日:5月8日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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シュウとショウの未知の理への道のり
シュウとショウの未知の理への道のり。
この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、
適当に好きなことを話しながら、まだ知らないことはないことわり、
つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、2人の持ちっぷりを探すだけの気のままな旅。
ゆるーくお付き合いいただけたら、うれしいです。
前回からの続き。
おっしゃりたいことが何かそういうふうな感じのことかなとは思ったんですけど。
そうですね。そういうのも含まれてるし、
AIも、何でこうなるっていうのがわからない世界に突入してるっていう、
これもざっくりした言い方ですけど、そういう話もよく聞くんですよね。
将棋のAIが人間を超えるあたりで、膨大なデータ?データだったっけな。
なんて言うんだっけ、それ。ちょっと忘れました。
秋風ですか?
秋風のなんて言うんですかね。なんとかデータっていう言い方だったかちょっと忘れましたけど、
それをAIに突っ込んでっていう、その数がめちゃくちゃ膨大になっていったあたりで、
もう開発者も何でこういう結果になるかもわからないけど、
とにかくこういうふうに突っ込んだら、それを突っ込んだらこういうふうに帰ってくるみたいになってきて、
もう中身がわかんなくなってきたみたいな、ちょっと表現だいぶ間違ってるかもしれないけど、
もうAIってそういう世界になってるんだろうなってざっくり思っていて、
これはちっぺさんに教えていただいた、
AIの未知の領域
孫正義さんの弟さんの孫大蔵さんが、冒険の書っていう本を書かれていて、
僕もまだ読んではいないんですけど、それについてのYouTubeでお話をされていて、
その孫大蔵さんは、もうAIってすごくそういう自然みたいなものになってきてる。
人間が作った機械でこうしたらこう動きますっていう、
人間の理解をもう遥かに超えた動きをするようになってきてるから、
自然みたいに、AIの暴走みたいなものは今後必ず起こるみたいな言い方されていて、
その暴走っていうのは、なんか機械が意思を持って人間に氾濫するみたいな感覚ではなくて、
山火事が起こるみたいな、そんな感覚で絶対今後起こってくるだろうみたいなことをおっしゃってて、
なんかその話しすぎてしっくりくるんですよね、僕も。
だからそういう意味での、もうあんまり変わんないっていう、
人間とすら、人間に絞る意味じゃなくて、自然?
自然の中の一つみたいに捉えるっていう。
個性と身体性と意識
そうですね、そっちの方の方がなんかしっくりきますね、イメージ。
だからちょっとずれたように聞こえたかもしれないんですけど、
その養老さんの本の話、正馬さんから聞いた印象の話ですけど、
個性っていうところは僕ははっきりわかんないけど、
身体性っていうのも、もともと赤ちゃんの頃に、
だから赤ちゃんの前からの本当は話なんですけど、
細胞とかが積み重なって、偶然その形になった、それを個性と呼ぶっていうだけの話だから、
そういう意味では個性は身体だっていう表現も全然、
ある意味そうだよなって思うし、
それが心も同時に形作ってるっていう風にざっくりですけど、
感覚的には本当に、うん、そう、そうだろうね、みたいに思うなっていう感じで聞いてたっていう話ですね。
例えば意識、心みたいなものが、
その個性という風にするならですね、
個人的には、個人的にもそう言う意味ではないですね。
個人的にもそう言う意味ではないと、
そうだな。
例えば意識、心みたいなものが個性という風にするならですね、
その身体と一緒で、
その身体と一緒みたいなところも言いたい意味合いも分かるんですけど、
心の動きというか、こういう風に思った、みたいな動きっていうのは、
結局、僕の心がこういう風に動いたっていう風な感じと、
俊夫さんの心が動いたっていうところが、
なんだろうな、
お互い、
その感じが分かるというか、共鳴し得るっていうのは、
もはや同じ動きをするから、その個性みたいな感じじゃないじゃないですか。
そうですね、個別のものじゃないというところからした時に、
全く同じ意識みたいなものって、結局常に変わりうるじゃないですか。
だから今時点の俊夫さんの意識を何か別に移植したとしたら、
多分次の日になったらもう多分違う意識にはなっちゃうと思うんですけど、
だから今そこにいる俊夫さんは、
俊夫さんしかいない自我はそこだけだと思うんですけど、
何が言いたかったんだっけな。
全く同じ意識の
意識がこう別に存在するとしたら、
それってどう思います?
それはお互いにそれは多分、
自分をシューだと思ってて、
で別にこうお互いの存在は知らない。
なんていうか、何言ってんだって話になったと思うんですけど。
ちょっとまあまず想定しづらいっていうところ。
そうですよね。
なんというか、意識、意識。
意識みたいなものっていうのは、現象っていう言い方もあるじゃないですか。
意識・自我・個性の捉え方
現象として今あるだけで、で今俊夫さんがこう自我を持ってて、今意識があるというふうに自分で認識はしてるんですけど、
全く同じ現象をトレースしたものが、仮にこう他にあったとした時に、
そっちもだから自然ですよね。
そういうある自然の中でそういうものがあったとした時に、
その それっていうのは
えー、いやなんかこれ話がおかしくなるな。
難しいですね。それをでも何か終わったとした時っていうふうに、しょうまさんが
あ、はいはい。
全く自分と同じ意識が他にあったとしても自分で知覚しようがないじゃないですか。
そうですね。で、その向こう側からこっちも知覚しようがないけど、それってあり得るなと思ってて。
あり得る。 だから全く今
僕と同じ気持ちの僕が他にもいて、みたいなものが、全く同じ意識
のものが別に同時に存在していたとして、 そっちの意識は
そっちの意識を意識として僕は僕だと思っているでしょうけど、
僕はそれは認識してないし僕は僕だと思ってるわけですよ。
意識として全く同じ意識が存在したとして、
存在したとしてもおかしくないというか、 だからそこの意識を個性みたいに呼べないんじゃないかなって思って。
ああそういう意味ですね。
そうですねそう思います。 絶対的にだから個性みたいに
言えるとなると、
やっぱり身体性みたいなところ
しかないのかなあっていうふうなのをちょっと 思ったという感じです。
その意味で言うと今の話に関しても、まあその本当に仮に仮定としたらっていうところでは
魂的な存在と身体性
はいみたいにはいえるんですけど、僕はその 意識っていうものをそんなに特別視してないのかもしれないですね。
なんか魂だけの存在みたいなのが 本当にいるかどうかも
分かってないから絶対ないとは言い切れないけど、 ただの体だって思ってる節があるんですよね僕。
すべてを。 その
道のりでジョバンの方から言ってる物質の最小体に 愛があるんじゃないかみたいな表現で言うと、その愛っていう表現はその
身体と心で言うと心的な表現なんですけど
でもそういうそれが 意識の大元なんじゃないかとも思っている
節があるんですよね。 ただまあその物質の最小体の中にこの最近
いくこさんとかがから 聞いたことで知った
えっと なんだっけなあやべ単語を忘れちゃった。その素粒子の中の
素粒子の中の? はいはい素粒子の中にゼロポイントフィールドってやつか
っていうのがあってっていうそのアカシックレコードとかがその中にあるみたいな話 へえ面白いですよねだからそれがあるってなるとまあそれはだいぶこの魂的な
もんなんだろうなっていう 感覚にはちょっとなりますけど
それが絶対ないとはもちろん言えないんですけど
まあだからそれ むしろそれの積み重ねなんだろうなって思ってるんで
感情・情動・身体感覚の捉え方
それが 同時に別のところに存在するかどうかでその体と心を
分けて論じる感覚が まだはっきりこう
体と心がはっきり僕の中で分かれてないっていう感じかな
それからするとあれですね
体と意識と
意識と心と魂みたいなところもあれですね だから別に意識と心と魂って同義じゃないですよね
うーん 今同義みたいな感じででも使われてますか
まあなんかからそこに体もいい 同義というか
全部それの積み重ねでしかないって思っちゃってるっていう感覚かな
どんだけそれが大量で複雑になってるかでしかないって 感じちゃってる
なるほど
だからそのAIも そうって思っちゃうんですよね
ていうことは
なんか過去にも道のりで虫?虫が
プーンって逃げるときにやべーって言ってるような感じを勝手にこっちが想像しちゃうとか
それは本当にこっちの勝手な想像の話なんですけど 僕の中でやっぱ程度の差としか思ってなくって
その虫に感情の元になるものがあるって思ってるんですよ 感情?人間の感情のほど複雑ではないんですけど
それに元になるような似たようなものがすげー低レベルで虫にもあるみたいな 感覚が
その感情とか感覚の 話だけじゃなくてそれは肉体っていうのとあんまり違わないものとして
僕の中で捉えちゃってるっていう
虫もそうですねそういう特性だったり ところから
その身体的に情動があると思うので
それは身体感覚として出るじゃないですか 人間は感情が
虫も当然そういう身体感覚みたいな形で 程度は
小さくてもあると思うんで
そこにも同じように感情みたいなのを
定義するとすると そんなのも
ありそうですよね人間がそういうふうに見えるっていうふうに もうさっきおっしゃってたように見えるかもしれないけど
実質問題定度問題としてそういうのはありそうだっていう話は
虫たちの世界として感情みたいに定義されてないだけで そうですね
どう呼ぶかだけの話って思っちゃってるっていうか
だからすごいそういう意味で雑なんですけど 意識と魂と
意識と身体の関係
もう一個忘れましたけどその同じ 心?
心でしたかはいはい として
僕の今の話で言うと そこを分ける話を分けて
論じる話に今はなっ 僕の意識としてはなってないっていう感じですかね
そういうなんか本当にソリューシーの中のその 最小単位が
集まって
例えばシュウさんがこう 作り上げられてて
その組み合わせだからシュウさんみたいなイメージですか そうですねはい
構成要素はみんな 同じって思ってる
っていう そこで構成要素が
ちょっと変わったらシュウさんが変わるってことですね ただその大きくはその意識の連続性はあるけど
連続性があるって言っていいのかな わかんないけどその
今自分のこれはシュウのまんまだっていう意識があれど その
意識的には変化しているわけですね だから今日の自分と明日の自分が違うように
ごめんなさいね
この足は この体の細胞っていうのは入れ替わるじゃないですか
なのでその 一部がこう常に入れ替わって
いってるけども だから常にこの
意識は変わり 変わっていってるし
何て言ったらいいのかな だけど
自我は保ってるというか
なんか今の組み合わせだからシュウさんみたいな形だとすると その一個が変わった時に
その シュウさんじゃなくなるみたいな話ではないんですよね
あーではないですね
膨大な量が積み重なっちゃってる ことで
そういう意識の連続性 みたいな
ものが構築できるほど複雑な状態になってる
って捉えてるのかな でもそれを作ってるのはあくまで体だって思ってるみたいな
魂と心について
うん
まあ読んでないけどもしかしたらヨロウさんもそんな感覚で書かれてるんだとしたら わかるなぁみたいに勝手に解釈してたっていう
そういう感じかな
難しいな
いやーそうっすよね全然表現できてないっすもんね僕はね
いやいや全然 そういう話じゃないんですけど
どういう風なイメージなのかっていうのを捉えるのが
言葉にするのも難しいですよね
なんかなぁ 何て言ったらいいんだろうなぁ
本当になんか 思い込んでるけど
本当に赤ちゃんみたいなただただ 最初は生まれた瞬間は目も見えなかったようなその中で
体の使い方を なーんとなくなんとなく積み重ねの中で覚えていって
動いて っていう中で
意識みたいなものができてきてる 気がしてるけど
気がしてるけどってのはおかしいなぁ 本当に大元になっているものは本当にシンプルなものがただただ組み合わさっているだけで
それが心みたいなものまで作っちゃってる って僕は思っちゃってるもんで
なんか そうでなければ
じゃあ心はどこからやってきてる っていう風に
捉えるかっていう話がその スピリチュアルとそうじゃないっていう風に分かれているのかなって思ってるんですよね
なんか魂みたいなものがあって魂が肉体に宿って 肉体が死んでも魂は
肉体から抜け出るだけで戻っていくと で
それがまあゼロポイントフィールドの話になってくると まあわかんないからあり得るのかなっていう
空想の世界になっていくんですけど それを除いたとしたら
僕はあんまりこの その
どっかからやってきた
魂っていう風に 捉えてない節があるんですよね
積み重なっはい あーなんかこう物質が積み重なって
魂的たまま魂 っていうものが入ってきたっていう表現をした時の魂的な心の動き的なものが
できてるっていう風に捉えちゃってるから
なんか心と体を分ける発想
まあ そういう外からなんか魂みたいなその期待みたいなものが肉体に宿るっていう考え方を
心と身体感覚
しない限りは なんかじゃあどっからやってきたん
ですかねってこう聞かないといけなくなる気がするっていうか
その魂を信じない人ででも心と体は違うっていう風な表現をされる方がもしいたとしたら
じゃあその心の正体って何ですかって 言うのを聞きたくなる感覚っていうか
うわーこれも全然言えてないなぁ
なんとなしになんか
おっしゃりたいことは
ある気はするような気もするんですけど
僕的には
心みたいなのは
ないじゃないですけど
おーはいはい面白い
感情
感情みたいなのを感じるのって 全部この身体感覚じゃないですか
胸が苦しいとかそういうのからやっぱり心っていうのは胸にあるもんだみたいないう風な認識があったりとか
言いますけどあれは全部 身体感覚なだけで
それはどういうふうに
反応するかっていうのを感じ取ってるだけだと思うんですよね そこがそういう身体感覚が出てくるっていうのの元になっているのは意識だと思ってて
意識 今僕が僕であるって思ってる
この意識
ごめんなさい急にわかんなくなっちゃった 感情を
もう一回ですか
えーと身体感覚
はいはいごめんなさい
えーと 心って
意識・魂・心・身体の捉え方
えー
なんだろうな
感情を感じるもの みたいなものとして仮に定義すると
感情みたいなものが身体感覚を伴うもので
でそういうふうに
胸が苦しかったりドキドキしたりとかそういうようなのがあるからそれを感じてる 場所だっていうふうなもの概念としてあるだけで
そういう意味ではないんじゃないかっていう感じですかね
でも意識はあるんですね 意識っていうのが今
しゅうさんが自分をしゅうさんだと思ってたり 僕が僕だと思ってるこの意識の話をしてますけど
でこれは意識はあって 実際その感情の動きだとか
でそれに伴う身体感覚 みたいなのを
を発生されているのは意識だと思ってるんでしょ 意識
意識がいろんな認識をして意識を持ってて そこの意識に対して入力があるわけじゃないですか
いろいろ外界から その意識っていうふうに名前をつけているものは
心とは違うってことなんですね なんでその
しゅうさんがそこをどういうふうにこう 分けられてたり一緒だとされてるんであれば
その心っておっしゃってるのが意識と言っていいと思いますし
まずその意識っていう
のを今の話の流れの文脈で言うと まあ体
とかまぁもうちょっと 部位で言うと脳みそみたいに思っている
次回へ続く
31:23

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