1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. 寄生虫より嘘ーん!な擬態~虫..
2024-11-05 26:08

寄生虫より嘘ーん!な擬態~虫も人も心なるものは無い?

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しょーまさんは擬態よりも寄生虫の方が「ウソ~ン!」って

感じるとのことで、シュウはびっくりしたりしていて

ただもちろん擬態にも色々あって…


収録日:10月4日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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サマリー

寄生虫の擬態や心について考察が展開され、昆虫や人間の生態系における「嘘」の存在とその意味を探る旅が描かれています。特に、毒蝶や葉虫を通して、擬態の進化や人間の認識について深く考察されます。このエピソードでは、心と感情の本質に関する考察が行われ、虫と人間の心の在り方についての議論が展開されています。特に、心が単なる名称に過ぎないのではないかという視点から、体感覚との関連性が探求されています。

未知の理を探す旅
シュウとショウの未知の理への道のり、道のり、この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に適当に嘘ーん!な好きなことを話しながら、未だ知らないことはありません。
つまり、つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。下手をしたら、下手をしたら、二人の無地、無地を探すだけの気のままな旅、ゆるーゆるーくお付き合いいただけたら嬉しいです。
前回からの続き
地下地位存在が物理空間的に近いところに住んでて、いろんな生活範囲とか生態とかも含めて地下地位存在がそういうふうに変異するっていうのはあるのかもなというふうな感じがあったんですけど、その感じが擬態よりもなお嘘っていう感じがあったので、
それをちょっと理由をつけるとするなら、完全にたまたまだよねっていうよりも因果が理由があるみたいなことを一つ据えるとそこの差を僕の中で消化しやすいぐらいの感じですね。
そっか。擬態より嘘音って感じなんですね。
擬態は、擬態にもいろいろあると思うんですよ。
特殊なタイプがおるもんな。
毒蝶がおるんですよ。
毒を持った蝶。
ある毒蝶がいるんですけど、別の全然そいつと違う種類の蝶が見た目がそいつと同じなんですよ。
毒蝶に擬態して食べられないみたいな人間が捉え方してるのがあって、それは擬態にしてもその毒蝶に似てるってかなりパーソナライズされてるじゃないですか。
そういうタイプだと、より擬態の嘘音さが増すので、その蝶のもともとを辿っていったときに、そこの大元のところで繋がってるじゃないかみたいなのがあったりしますね。
それはちょっと系中に近い感覚。
近い感覚。
例えばこの葉虫とかだと、この葉がいっぱいあるようなところで生活してると。
外界からそういう情報は取り入れられる状態ではあるので、それに似た形にたまたま変異するっていうのは普通に想像できて。
で、たまたまそうなったやつが本当にそこにいないような風になって、たまたま生き残ったからそういう進化を遂げてきてて。
で、人間にはそれにわざわざ化けてる風に見えるっていう風な考え方としてすごく考えやすいって感じですね。
僕もその前回、しょうもさんがハリガネ虫のお話しされた後にいろいろ考えてて、
週報のほうにしょうもさんがゲストに来てくれた、たぶん2回目のときに擬態の話したような記憶なんですけど。
あー、自称系ね。
確か。違うかもしれないけど、1回目だったかもしれないけど。
いや、2回目だった気がします。
で、そのときに出した、僕がその直前にググって調べたウソーンっていう擬態のやつを2つ例を出して、
そのうちの1つが、もう名前忘れちゃいましたけど、なんかガの幼虫だったと思うんですけど、
それが木に、幼虫が木につかまってるけど、危機を感じたら前足を外す、前足というか前のほうの足を外して、
後ろ足のほうだけで引っ掛けて、裏返ってベラーンって後ろ向きになって、ヘビのような見た目。
はいはい。
でも一気にヘビの顔に見えて、その皮膚の一部を伸縮させてヘビの目が開くような動きすらできるっていうのが、
もうウソーンっていう感じだったんで、あいつを思い出して、あれはでもヘビと子孫、先祖が一緒なわけないよなとか思ったりして、
なんかそんな、そっちはもう偶然としか、今とも自分の感覚で捉えられない。
その例は確かにかなり擬態の中でウソーンって感じですね。規制中よりもウソーンって感じですね。
生態系の循環
そうなんですよね。
実際それがヘビに見えて効果があるって検証されてるんでしょうね。
いやいやいや、検証、検証されてるんですかね。
いや、そこは検証されてないと、それで食べられづらくなってる、ちゃんとその効果があるみたいな。
え、検証って誰目線のですか?
イモムシ目線。
人間目線です。人間目線です。
人間が科学的に検証したときに、
なるほど。
人間が科学的に検証したときに、確かにこれは効果があるってことであれば、たまたまそういう進化遂げて生き残ってきた理由になるじゃないですか。
ただ、見た目としてたまたま見えるっていうのは、いろんなところに壁に汚れがついてるのとかだって、人間って普通に顔に見えたりとか、
普通にするじゃないですか。
ただ蛇に見えるっていうだけで、っていうのは本当に人間の認識次第でいかんようにもなるから、
それが本当の進化っていう意味での擬態なのか、みたいなのが本当にそもそも検証されてるのかなってちょっと思いました。
まあなんかされてそうな気はしますけど、
僕どっちかっていうとそこはあんま気にならないかもしれないですね、僕は。
要はそいつがもう生き残ってる時点で、
そうですね、確かに確かに。
別に人間以外は気づいてないかもしれないけど、僕は嘘って思うなーっていう。
嘘自体はですね、僕もすごく思うんですけど。
ただそれが全く効果ないって検証が結果だったら、それはそれで嘘って思いますけど。
確かに。
全然違う意味で嘘って思いますけど。
確かに。
生き残ってる時点っていうので、確かに別にそこはあんま気にしなくてもいいと思う。
僕はそこがもうあれですね、もう最初の嘘ポイントで、
でもそれが、何なんだろうな。
なんか、ヘビを脅威に感じる生物が一種類じゃないだろうなって思うんですよ。
そういえばそれで今自分もひも付き気味に思い出しましたけど、
ハリガネムシ知らなかったからYouTubeで検索してここだけ動画見てみたんですよ。
はい。
そしたらその動画で言ってたのが、ちょっと数字忘れちゃったんですけど、
ある川でその川の魚の生態とかをずっと調査した結果のパーセンテージみたいなのが出たらしくて、
そこで、その川で生き延びている魚の6割以上だったかなが、
そのハリガネムシとか、ハリガネムシとカマキリとか、
似たような動きをする虫が他にもいるのかな。
要はその川に身投げをする虫を食べて生き延びた魚の数が6割を超えるとかいう、
面白い。
当てにならないですよ。僕の記憶も当てにならないし、その人もらしいですみたいな言い方してたから、
どこまで根拠ある話か分からないけど、
そうなってくるともうなんか、なんていうか、さっきしょうもさんがその、
さっきというか前回もそうかな、ハッピーセットとしてペアで循環してる。
もちろんそれはそれで1個体の生存としてはそれで、あ、1個体、2個体か。
2個体の生存としては成り立ってるけど、
もうなんかこう、生体系?
生体系としての循環がそこで成り立ってるって思うと、
そのさっきのヘビの顔になってしまうイモ虫とか、
もうその生体系の中で、それはその、食べられないことになってるから、
さっきの6割がどうとかそういう話にならないけど、
なんか大きいバランスみたいなのをどっちもから感じちゃって、
なんかそこまでの話になってくると、
祖先が一つだったとかいう感じとはなんか別のなんかを感じちゃう。
次元がですね。
なんかそう思っちゃって。
今は全部一つだったみたいな。
それはある意味僕それっぽいことを考えてはいるんですけど。
もともと一つからエントロピーがずっと増大してきて、
これだけ多様化してるだけなんで、
それでたまたまもう本当にその拡散が進んで、
局所的にそれぞれ生物という形で形をとどめるような存在ができたにしても、
全体的にそこのある法則の中でシステムが存在して、
今不思議に思えるような状態でいろんな現象があるんだろうなという風な感じではありますね。
たぶん捉えたら。
そうですよね。
取り留めなくなっちゃうんですよね。
いやーでも不思議。不思議すぎるな。
だからこそ面白いですけどね。
生物とか特に。
前回そのカイコの気持ちみたいな話から一応切り口して始まったじゃないですか。
本当に気持ちって呼べるようなものじゃないかもしれないけど、
それのほうがみたいなものを感じられる的なことを僕は言ったんですけど、
玄関出たところに雨どいから水貯めてて、
それを暮らしの中で使ったりしてるんですけど、
水貯めてるとボーフラーが湧いちゃうんですよ。
定期的に入れ替えるからそんなに湧いて湧いてしょうがないってことにはならないんですけど、
ボーフラーが僕が現れた瞬間に逃げるのが、
もうあんなちっちゃいのにって思っちゃうんですよ。
なんていうか、あんなちっちゃいのに心の原型があるというか、
ある意味僕がそのボーフラーは湧いちゃいやだから、
秘釈で水すくうのと同時に、なるべくボーフラーすくって捨てちゃおうとするんですよね。
でももう僕の影がちょっとそこにかかった瞬間からピャーって下に潜っていくんですよね。
だからもうめちゃくちゃコミュニケーション取れてるなみたいな。
コミュニケーション取れてるって言うんだけど。
なんかやりたいなって思って、
心なるもの、違うレベルじゃないにしても心なるものがあるかっていうところも含め、
だから心自体も、僕はなんかあるシステムの中で、
人間が活動していく中での、そのただの副産物みたいな、
ただの副産物っていう言い方したらちょっとあれかもしれないですけど、
なんかの本でそういう表現が副産物って言われてるんですけど、
そういう表現が副産物って言われてるんですよ。
そういう表現が副産物って言われてるんですよ。
副産物っていう言い方したらちょっとあれかもしれないですけど、
なんかの本でそういう表現が副産物っていう表現が、
心と感情の本質
確かにそうだなっていうふうなイメージは持ってるんですけど、
何かしら生命を持続させるっていう意味合いのシステムが働いたときに行動を起こす、
システムが起きたときに、そういう情動が生まれる、
そのときに人間が感じるっていう体感覚も含めたところの副産物、
人間が定義したただの副産物でしかないっていうことを考えると、
心を鳴るものみたいなものがレベル云々を置いとくにして、
結局人間も全部条件反射みたいな、周りの外界のある何かしらの情報のインプットだったりするところから、
何かしら行動に移すときのスイッチが入って、
というふうなシステマチックに考えたときに、
ボウフランも影が来たら危険を察知するような、
一つのシステムの中で生きてるんだろうなというふうな感じを受けるんですけどね。
逆に、すごいちっぽけな存在だからこそ、
人間がそこに心みたいなところは感じないって言ったら、
人間だから感じるんですけど、心みたいなものを。
それは人間がゆえにそう感じてるだけで、
もうちょっと引いてみたときに、そこに何かそういうのはないっていうふうに思ってるし、
逆にないって思ってるからこそ、人間も別に心みたいなものが、
虫がないのに対して心があるみたいなふうにも思ってないというか。
虫と人間の関係
何か伝わります?
分かります。
そんな感じです。
これあれですね、僕分かる気がするけど、聞いてる人。
なんか言語化したいけどできないな。
なんで副産物という表現はそういう。
いや面白いですね。それ面白い。その表現は面白いですね。
結果、人間にしても虫にしろ外界の何らかの情報に反応して、
生命を維持するために何らかのアウトプットをするっていう存在としては変わらず、
変わらないっていうところを置いたときに、
そういう意味ではどちらも心なるものがないと仮に言うとすると、
どっちも同じような感じで、ただすごく人間自体は知性があって人格もあるから、
そういう心っていうものを人間が定義してるからあるとしてるだけで、
実際心って何かって言ったら感情とかそういう、心っていうか感情ですよね。
感情っていうふうなことをしたときに、それって何かって言われたときに、
結局のところ、例えば胸が苦しいとかもやもやするとか絶対体感覚じゃないですか。
体感覚にひも付いてる現象でしかないから、
そういう意味で心みたいなものがあるとか言うんじゃなくて、
感情、心みたいなのは何かしら外界の情報に従って動いた、
動くっていうプログラミングを人間もされてるとしたときに、
そこでたまたま出てくる体感覚を合わせたところのものを、
人間が感情とか心ってただ定義してるだけ、みたいな。
上手いって言うのは何か上手いこと言ったみたいに言っちゃいましたけど、
さすがです、言語化力がさすがです。
いやいや、どうだろうな。
わかる気がするけどどうやって表現したらいいかわかんないと思ってたけど、
さすがですね。
いやいや、そんな。
まさに僕が思ってたことと一致してると思います。
そんな感覚で僕もわかるっていうふうにさっき言いましたね。
僕も以前たぶんここでだかな、修法でかわかんないけど、
心と呼べなくはない、名前つけてるから呼べなくはないけど、
実際には体しかないって思ってるタイプなので、
それみたいな感覚かなと思ってたんですよね。
うん。
前だから話したときに、
前もいろいろ自分とは何かとか、
いろいろ心がどこにあるかとかっていうふうな話もあったと思うんですけど、
やっぱ真理一体という言葉もありますけど、
やっぱ体は切り離せない。
はいはい。
人格とか心とかっていうところから。
うんうんうん。
だからこそその唯一無二の存在、
だからこの何か、
全く同じものがコピーしてあったとして、
それがその人かどうかみたいな話とかですね。
うんうんうん。
なんかちょっとまたつながってくるかもしれないですけど。
うんうんうん。
だから体っていう、
このフィジカルな部分っていうのはやっぱり切り離せない。
むしろ、
いろいろありますよね。
記憶とかっていうのも、
脳以外のところにもあるみたいな話とか。
はいはいはいはい。
そんなんも含めて、
そういうことなのかなーって感じですね。
うんうんうん。
で、
自分の、
自分の、
自分の、
大人やろうなーって感じですね。
そうですね。
科学的なところで話で言ったら、
結構、
大多数は、
心とかその、
どこにあるかって言ったら脳の方をイメージしがちだと思うんですけど。
うんうんうん。
心は、
ないんでしょうね。
ないんですね。
ないと思いますね。
ない、
なんて言うんだろう。
そういう言い方したらちょっと寂しいんですけど。
まあまあまあ、
そうですね。
名前をつけてるっていう表現でしか言えないという、
そうそうそうそう。
感覚かなー。
自分の中では。
うん。
でもまあ。
そんなに多く考えてるとすごく、
不思議になるんでしょうね。
不思議ですねー。
ふと。
ふと不思議になるんですよ本当に。
うんうんうん。
自分ってなんやかーみたいな感じになるんですよね。
うんうんうん。
うん。
いやー。
なんかその、
でも、
僕が感じてるのが、
その心っていうものが、
大事にされてる世の中っていう風にもあんまり思えないと思いつつ、
次回へ続く。
26:08

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