1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. AIに仕事を奪われる?仕事の意..

シュウがただしょーまさんと喋りたかった回の3回目

著作権系の話で、シュウはやっぱり #アウトプットが先 をイメージ

しょーまさんの出してくれた限界費用ゼロ社会も思考のヒントになる

AIに対しての仕事を奪われるという漠然とした不安

今ある仕事の形も、何で成り立ってるのか、ちゃんと意識を向けてる人が少ない気がして…

そして「AIも人間も一緒では?」っていう、シュウのぶっ飛びに突入していきます


*1 しょーまさんのnote:「いや」から始まる肯定の裏にあるもの( https://note.com/shihma44/n/n1ec3aa3285bb


収録日:5月8日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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しょーまの個人Podcast:父のたわごと( https://anchor.fm/82933



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シュウとショウの理への道のり
シュウとショウの未知の理への道のり。
この番組は文字通り、シュウとしょーまの気が向いた時に、
適当に好きなことを話しながら、まだ知らないことわり、
つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、二人の無知っぷりを晒すだけの気のままな旅。
ゆるーくお付き合いいただけたら、嬉しいです。
前回からの続き。
想像とかもする前から、ちょっとビビリすぎじゃないかっていう話ですよね。
ビビリ。ビビリはね、ビビリを否定しちゃうと僕なんも残んないんであれですけど。
いや、ちょっと僕も今、ビビリって言葉使うの間違ったなと思って。
いやいや、ごめんなさい。
言葉ってね、難しいっていうか、本当に不完全だからあれなんですけど。
僕も仮にビビリがすべてだって置いてるだけで、本当にその表現で合ってるかわかんないですけどね。
でも、要はビビリとも言えるし、目くじら立てて守ろうとしてるというか、今ある形を。
その意味ではビビって守ってるって言えなくもないし、意固地っていう言い方もできるし、
視野が狭いって言うとちょっと言い過ぎかな。
そこしか見えてない可能性とか、そんな感覚で思っちゃうんですよね。
僕の根っこにあるのは、インプットが先じゃなくてアウトプットが先がいいんじゃないかっていうのは、
この未知のりで生まれて、シュウ放で散々言ってる話ではあるんですけど、
本当にそれが、呼吸みたいに息を吸って吐くの、どっちがいいとかないじゃないですか。
吐く方が息を吸うよりもいいとか、その逆もないんで、
そこが対等である方がバランスが良さそうっていう感覚で思ってるんですよね。
そこのバランスが今、さっきの仕事がなくなるっていうのは、
インプットがなくなるっていうことに意識が集中しすぎてる感じがしてるんですよね。
バランスとインプット依存
それはまさにですね。
他のことにも全部が絡んでいると思ってるから、増幅装置みたいに見えちゃってるお金を一旦手放して実験をしてるという話なんですけど。
やっぱりそこが大きいですよね。そこにみんな少なからず支配されてるというか。
そこの一種の強制力になるからですね。そこがないと前提になっている世界なんで。
そこを手放すっていうことで、そういう意識がないとなかなかそこの恐怖心というか、インプットを前提でどうしても考えてしまいますよね。
インプット自身がなければもうそこでバランスが取れなくなっちゃうので。
そうですよね。それが無限に太陽から入ってくる可能性みたいなのが途中でしょーまさんおっしゃってくれた限界なん…ごめんなさいもう忘れた。
限界費用。
っていうふうに捉えられなくもないですもんね。
それもだから太陽のインプット前提ですけどね。インプットが先でそれが無限にあるっていう前提でしか考えてないから。
結局はインプット依存というか。人類が生きれる範疇っていうのは結局太陽のインプットがある分なんでそこのスケールで考えてていいのかもしれないですけど。
僕も全然知らなかったんでその限界費用。あれまた忘れた。
限界費用ゼロ。
限界費用ゼロ社会か。
ちょっと僕も完全に正しく捉えられてるかわかんないですけど。
でもなんかふんわりそんなイメージでいいとは思います多分。
それの考え方は太陽のインプットっていう話なんでしょうけど。
そうですねそのバランス的には太陽前提じゃないとエネルギー的におかしいからですね。
例えば人間が何もしなくてもただただこう生きていけるというか。今いろいろエネルギー使っていろいろ活動してでこう生きていけるっていう風なところがありますけど。
人間が働かない分を他で賄うのに何もないと賄えるわけないじゃないですか。
その分のバランスという意味では前提としては太陽エネルギーを無限だと禁止してというか。
そこの太陽エネルギーが全部起源で膨大に全部使い切れるようなシステムが組めれば理論上は可能という話かとは思うんですけど。
仕事の失われる意義
その時にテクノロジーで人間が働かなくてもいい状態になると。だから人間が動かなくていいので資本がゼロというかコストゼロでいけると結局ベーシックインカムとかそういう風な話にもつながってくるわけですね。
その場合での働かなくてもっていうのって基本的にはその食料を生み出すための動きを人間じゃなくて機械にっていう話なのかなと思って聞いてるんですけど。
わかりやすさで言うとそこかなと思った。人間がただ生きていくためっていう話からするとその人間が動かずに食料が自動生産されるようなシステムが組めればクリアですけど、これは最低限ここじゃないですか。
ただこれ以外のも結局同じように考えられないんで。
だろうなとは思ってるんですけど。
今ですら本来はそうなのに、仕事が奪われるって言ったときの仕事って今の世の中でなんですけど、今の資本主義社会の中ですら食べ物を作るための仕事以外のことの方が多くなってるっていう。
そこの疑いの視点みたいなのも少なそうという感覚。
そこは極端な言い方すればそれこそみんなで弥生時代に戻ろうぜみたいな話。
全然ごめんなさい。違います。それはそれで僕は素敵だと思うけど。
生きるか死ぬかみたいなその命の危険に対して不安を感じるのは健全な感じがするんですけど、
それ以外のことに関しては全然それをやめて弥生時代に戻ろうとまでは思ってないんですけど、
ただそう意識してない人がすごく多いっていう感じを受けていて、
仕事が失われるっていうのは今の社会においてはお金がないと基本的にはもちろん巡り巡って自分が食べられないっていうところにたどり着くんですけど、
でもそこでどんなふうに自分たちの動きがロスされているかっていうのはあまり意識してない気がしていて、
だとしたらそこをどうしたらいいのかなみたいな観点があってもいいのかなみたいな感覚をちょっとさっき表現したかっただけなんで、
その弥生時代とかまで急にいきたいっていう。
分かってます。そこは僕がだいぶ極端な言い方したんですけど、
結局そういう発想になればこのシュウさんみたいな動きになると思うんですけど、
あ、ごめんなさい。ちょっと音が悪くて。
何みたいな発想になる?
結局そこの観点みたいなのがあれば、シュウさんみたいな動きになっていくと思うんですよ。
はいはい。
まさにシュウさんが動かれているのがそういう観点があるからこそだと思っていて、
それを極端な言い方すると、ただ生きていくだけでいいじゃんっていう話だと、
さっきの弥生時代みたいな話になると思うんですけど、
結局それぞれが自分が最低限生きていける。
仕事と人生
そして自分の人生で最低限必要な大切なものっていうところにフォーカスすれば削れるものって結構あるし、
そういう意味からすると仕事、そういう仕事も別にいらないかもしれないっていう可能性も多分にあって、
で、いうことだと思うんですけど、
結局その辺で今すでにあるものっていうのがやっぱり当たり前みたいになっちゃってて、
いろいろそれが当然のようにあるもんで、
それを手放すっていうことが多分かなりパワーがいることだと思うし、
そもそも手放せるものみたいな気づきもない状態なんだろうなと思いますね。
そうですね。
漠然とでもなんかこう不安を感じられてるんだろうなと思うんですよね。表面上。
そうだと思います。だいたい不安を感じられてる方っていうのは、
わかんないから不安で、予測もなかなかしっかり見えないからこそ不安なんだろうと思うからですね。
そこに関して正直そこまで熟慮されてない可能性はあると思いますよね。
僕も熟慮っていうか直感タイプだからだいぶ直感に直感を重ねてみたいな話ではあるんですけどね。
結局わかるとかっていう話したらまたおかしくなるかな。
なんですかなんですか。
物がわかるとかって結局直感。
ちょっとあれですね。SYNCROOMがだいぶ調子悪くなってきたかな。
調子悪くなってきましたね。
しょうまさんは僕の声は普通に聞こえてますか?
今のところはい。
戻ってきた戻ってきた。だいぶ割れてて。
ちょっとやっぱり割れ気味ではありますね。
割れ気味ではあるか。そっか。遅延の点では結構いいんだけどな。
ごめんなさい。今はだいぶ良くなってきたんでもうちょっとやりましょうか。
ちょっとどうしてもあれだったらDiscordに移動も考えるんですけど。
でも時間の問題もあるな。
最近物がわかるということっていう本も読んでたんですけど。
そもそも完全にわかるみたいなことはないでしょうし。
個性と身体性
わかるみたいなのがあるとするとそれは共鳴というか。
それっても結構感覚の世界が
ちょっとなかなか難しくてまとめつらいんですけど。
ざっくり言うとそんな感じでしたね。
結局個性とかっていうのも身体でしかないというか。
昨日の自分と今日の自分自身も変わってるじゃないですか。
そうなるとそこで個性を論じれるかといったら論じれないし。
だから僕がさっき個性みたいなところの話もしてましたけど。
個性にこだわっているというか。
そういう話をしてましたけど。
これ読んでるとそこらへんもちょっと馬鹿らしいなと思えて来るというか。
乱暴ではありますけどね。
結局個性って自分の身体性だけでももはやそれだけが個性というか。
だから身体そのもの?
でもなんか普通は個性は心だっていうふうに思われてて。
ここに大きな誤解がありますよねみたいなことが書かれてたり。
確かになーみたいな感じでしたね。
この本もシュウさんも好きそうだなと思いながら読んでたんですけど。
これも結構大変なので。
前の何でしたっけ。コバさんが諦められた。
ああいうタイプじゃないんですけど。
そういう意味の大変じゃなくて、僕の老眼問題。
老眼問題もですね。
でも大変というか結構あんまり体系的に書かれてないんですよ。
なんかずっとブツブツおっしゃられてるような感じで。
拡散タイプなんで。でもまあ読み通してみると言いたいことは分かったなぐらいな。
おもしろいですね。ずっとブツブツおっしゃられてる。
そういう書き方をされてたんですよねこの本の中でも。
めちゃめちゃおもろいですね。
ちなみに養老孟司さんの本なんですけど。
えーとバカの壁の方ですかね。あーはいそうですそうです。
先生の本ってブツブツ物をおっしゃいますよねみたいな文脈がこの本の中にも出てきてて。
僕確かに養老孟司さんの本は一冊も読んだことないんですよね。
論理がこうしっかり通っててスーッて感じていうよりも。
軸はあるんですけど。
あっちゃこちゃ言ってるような感覚を受けましたね。
だからなんか自分の中でもこの本の感想みたいなのを今すぐ言えないっていうのもそこが大きいですね。
印象に残った部分はその個性とかそういったところですね。
心じゃなくて身体制でしかないっていうところが一番ですね。
人間とAI
なんとなくはそうだろうなーって思っちゃうんですけど。
なんか僕AIの話の時にもフワーっといろいろ感じてる中の一種類に人間とAIって違うのというか。
僕はもしかしたらもう一緒なんじゃないかって思ってるんですよ。
聞く人が聞いたら。
聞く人が聞いたらわからないですけど。
わかるって言ったらそれこそ今の本の話になっちゃいますけど。
しゅうさんが何かおっしゃりたいようなところは僕は受け取れてる気はしてますけどね。今のお話聞いて。
さすがですね。
いやでもその証明しようはないですけどね。
まあまあまあしようはないですけどね。僕もなんとなくただ伝わってる気がしてるんですけどね。
結局なんて言うんだろうな。
AIも前も似たような話したかもしれないですけど。
人間が発明したとかっていうふうに僕も捉えてなくて。
僕もというかちょっとしゅうさんかどうかわからないですけど。
僕もです。
捉えてなくて。
ただ数学とかも含めですね。
人間がたまたまこの世の中にあるものを発見しただけだろうみたいな感覚があって。
それが人間が発見したからこういうふうに顕在化してきただけで。
でもまたその人間が発見するっていうのもこの人間がこう自然の一部だとすると
それも一つのこの自然の中で起きたことで
AIみたいなものが出てくるのもその自然のうちとすると
そもそもAIの理論的なところの話だと結局人間に類似しているところがありますし
で何かしらその似たような人間らしいと言ったらあれかもしれないですけど
将来的にそういうふうなものになっていく可能性はあるよねというふうに思ったり
ただ一方でその人間みたいなものっていうのが
さっき言ったように個性が身体性なんで
AIはあくまでもその人間の身体性がある中での脳の中のシステム
一つのシステムの形が表現されたようなものだと思うので
人間みたいなと全く同じ生命体みたいな話のものがあるとすると
そういう身体みたいなものがないとないだろうなっていう風には思いますね
AIの言語処理について
僕もそこが同じっていう意味での話では全然なくて
そうですね
さっきの養老さんの本のことで感じてたことの中の一つは
心体心と体っていうのも分けられないんじゃないか
これもちょっとですけど同じもんなんじゃないかっていう
感覚的な表現で言うとそういう感覚になっちゃってるのと
本当に赤ちゃんの様子とかを見てると
いろんな例えで言えるんですけどじーっと大人の様子を観察しているところだとか
離乳食の頃にちょっとだけ口に含んでみて
もぐもぐもぐってやったら逆にべーって吐くみたいなのとか
そういうのを見てると
なんかただただ膨大な積み重ねみたいなのの中で
構築されていって
あるとき物心がそれもめちゃくちゃこう
一瞬間じゃなくてじわーっとある頃から物心がついてるなみたいな
今となっては最初の記憶も
なんとなくこれが最初の記憶かなみたいに思い出せるけど
思い出せない人もいるかなとかそんなものなんで
ただただ膨大な積み重ねみたいに僕考えちゃってるんですよね
そうですね
結局言葉を覚えてそれに対して
次の言葉を発すとかっていう風なのは
一緒ですもんね最近チャットGPTとかありますけど
あれの裏にあるAIっていうのが膨大に
大丈夫ですか?
いや一緒っていうのは一緒っていう意味ですよね
人の一緒っていう一緒じゃなくて
一緒ですもんね
一緒ってごめんなさい
膨大なパターンからその次の返答として
可能性が高いやつっていう風なやつを出すっていうのと
膨大に人間が言葉をインプットしていって
それでそれに対してっていうのも
理屈がわかってるわけじゃなくて
誰かこんにちはっていうのに対してこんにちはって言ったら
こんにちはの後はこんにちはなんだっていうのから
言って出していくだけだから
本当に初期の言葉を覚えて出していくっていうところに対しては
結局そこの繋がりがどういう風な形で繋がって
具体的に論理概念みたいに構築されていくっていうところが
どういう風にモデル化されてるかというか
そこまでどういう風にモデル化されてるかっていうのが
別に人間もわからないんで
AIの方はそこも一部
どうなんだろうなあんまり下手なこと言いませんけど
いろんなパターンから次に来る可能性が高いやつを割り出して作ってるだけなんで
そこも一種論理をモデル化してるので
一緒っちゃ一緒ですもんね
おっしゃりたいことがそういう風な感じのことかなと思ったんですけど
AIへの不確定性について
そうですねそういうのも含まれてるし
AIもなんでこうなるっていうのがわからない世界に突入してるっていう
これもざっくりした言い方ですけど
そういう話もよく聞くんですよね将棋のAIが
次回へ続く
29:48

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