1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. 主従関係の場同士フラクタルに..
2025-05-06 31:38

主従関係の場同士フラクタルに~力で押さえつけない社会

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しょーまさんの仰る、主従関係の無い場の様なもの

その場同士の主従関係も無いような状況を作れたら

外から見て羨ましく感じられるんじゃないかと…


収録日:4月15日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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サマリー

このエピソードでは、シュウさんとショウさんがコミュニティの主従関係やリーダーシップについて探求し、自由な関係性の中でどのような社会が形成されるのかを考察しています。また、リーダーがいなくてもバランスが取れた社会が成立する可能性についても議論しています。さらに、力で抑えつけない社会の実現に向けて、メタ認知や欲望の構造について考察しています。特に、リーダーシップの役割やコミュニティ間の主従関係がない環境の重要性が論じられています。

未知の理への道のり
シュウとショウの未知の理への道のり
シュウとショウの未知の理への道のり
この番組は、ご自動にシュウとショウの
気が向いた時に、適当に好きなことを話しながら
未だ知らないことあり、つまり
未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、二人のむちっぷりを探すだけの気のままな旅
ゆるーくお付き合いいただけたら嬉しいです。
前回からの続き
気が合う、合わないみたいなものが
コミュニティ同士、場同士みたいなので
ある程度、合うコミュニティ同士の
主従関係がないような
付き合いというか、関係性みたいなのが
もし成り立つんだとしたら
そこで、ある程度
そこの中の全員が楽しく生きていけるみたいな状況が
それだけで成り立つようなものが、もし生まれたとしたら
場として、コミュニティとして
なんか外から見たときに
え、うらやま?みたいな感じになる気がして
なんかそこに希望があるのかなみたいな
ふうな発想を持ってちょっと聞いてたんですよね
そうですね、なんか
そうですね、そこでやっぱ
そこだから
人間、そのさっきの尊徳感情みたいなところで
うらやまみたいにこう
そうか、そうか、そうか
別にそれが悪いとかじゃないんですけど
だから、そこが、そういう状態が
評価軸として高いものだったり
そういう認識が出てくればですね
そっちに行った方が絶対いいみたいな
そういうムーブメントが起きて
ガーッと広がっていったら認知されて
広がっていく可能性みたいなのは
あるんじゃないですかね
あれ、名前が出てこんけど
有名な動画で
あるどこかな
野原みたいなところで
一人だけこう踊りだして
みんな座ってるのに一人だけ
セカンドペンギンというんですかね
セカンドペンギンが
最初のフォロワーですね
その最初のフォロワーが一番大事で
踊ってた人に対して最初に
踊りだした人がいたから
みんなこのノリにみたいなので
初めてまで
ずっと一人だったら誰も動けないから
2番目が一番勇気がいるというか
そういうのがあるとバーッといきなり
一人振されて増えてきて
もう過半数超えたら逆に踊らない方が
その場にとっては自分として
損じゃないですか
全体的に広がっていくから
社会現象というのは
そういうもんだみたいな
動画があるんですけど
そんな感じで
起きていくような
行ったらいいなというのがありますね
そうですね
その動画に関して言うと
一家制のものでいいというか
なんていうか
踊るみたいな非日常みたいな
どうしても強烈に人が
引きつけられるものとして
分かりやすいものと表現として
みたいに僕は捉えているんですけど
それをアナロジー的に
今の人たちに
その日々の暮らしみたいなのが
ベースとしてそれになるぐらいな
ものの中でもそれと同じような現象が
起こらないかな
みたいなことを思っていて
ベースがそれと同じぐらい
申し訳ないですね
表現が下手すぎるんですけど
さっきの踊る人を真似する人が
みんなを集めてわーって熱狂的になる
わりと特殊な一時的なことだって
思っていて
要はその踊りもいずれは
波のように引いていって
分散していくわけですよね
その具体例を挙げればですね
具体例で言うと
ただそれがそういう
短い時間のスパンの出来事だけじゃなくて
毎日それをベースに
回っていくみたいな
ある意味今みんなが
資本主義をOSとして捉えているのに
変わるOSみたいなものにおいても
そういうことが起こっていかないかな
みたいな
別にその
一つの社会現象が起きる
分かりやすい例として
一つの動画があるだけで
意味合い的には
何かしらの社会が変わっていく
みたいなものは小さな点から始まって
結局一人二人
続く人が出てきて
そこから広がりうるという構造を
説明しているような
ところだと思うので
そういう意味で和みたいなのが
そういう賛同者みたいな人が
増えていく
いろんな流度で見たときに
増えていくことで
だんだん増えていくし
それがマジョリティになったときに
勢いがかなり増すという話
なのか
マジョリティになったときというか
勢いがついているときというのか
何にしてもそこで
大事な部分としては
誰かがいるときに
続く人みたいな
人の重要性と
どんな社会変革も
トップから降りるんじゃなくて
そういう
ボトムアップというか
点から派生していくということなのかな
というふうには
思っていますね
そういう
分かりやすい例みたいな状態
一家制のものとかじゃなくても
全然そういうのは
長い目で見て広がっていくというのは
すみません
待ってほしいなって思っていて
その観点でまた最初の
軸狩りの話に
戻していきたいんですけど
要するに総理大臣が叩かれる
というようなことが
僕あんまりない社会はあり得ないのか
というのが最初の疑問なわけで
ですよ
そっちですね
誰かが上に立って
不平出るかもしれないけど
一律でええやってルールを決めて
強制的にやる
みたいなことがなくても
なんとなく
芝が
だいたい人が住み心地がいいような
ぐらいの
この場合はちょっとアナロジーだから
人ってそのときの芝にとっての
誰みたいなのはちょっと置いといて
芝同士が心地よく
住み合えるみたいな
状況を
芝自らが自分たちの
芝刈りをするぐらいな
こと
あり得るかな
みたいな
そういう切り口で
もっとしたらそういう疑問を持ちたくて
それって
極端な話
国とか政治とか
そういうのが全くなくていいことか
みたいに怒られちゃうと
いやそんな別に
みたいな話になっちゃうんですけど
あくまでイメージの世界で
リーダーがいなくても
バランスを取り合える
みたいなのに
さっきの
上水さんの講演の場みたいなの
複数出てきて
それが
マジョリティ側に回るぐらいな
勢いになったとしたら
それで回るみたいなのが
もし成り立ったとしたら
本当に僕が言うアウトプットが先の社会
っていうのとほぼ
リーダーシップの在り方
一緒って言って
過去んじゃないかなみたいに思ってるんですけど
そうですね
ちょっとふわっとした
言い方なんですけど
いやいや
ちょっといろいろ考えてて
はいはい
やっぱ
人間の
欲望っすよね
そこがやっぱ
キーだと思うんですけど
そもそも
その
今の
現状になるまで
その
元々コミュニティみたいなもの
っていうのがなくて
そういうのができて
でその中で
こうやっぱ
群れていったときに
そういうリーダー
みたいなものが
こう出てくる
のって
多分その
欲望
欲望からだと
思うんですよ
欲望からっていうのは
はい
難しいな
うーんと
何でか分かんないけど
例えばその数が
少なかったときに
みんなで普通にただ生きるだけ
生活してた時代
はい
集まってきたときに
何かして
自分は楽して
生きていきたい
あるいはいっぱい食べたい
そういうような
欲が
あるからこう
序列みたいなものを
生む
生み出す
何でそもそもそういう
小さい人数だったり
だったところが
集まってきて集まったが
故に別に集まって
今まで通り
そのままこう
みんながみんな
今まで通り
ただ生きるだけに協力して
しあえずに
構造が変わって
しまったかっていうと
そういうとこからかなって
思って
リーダーができる
きっかけっすね
はい
これも何も勉強してない中
欲望が
元々
それが何のきっかけでどう
っていうところ
まではちょっと
考えられてないですけど
それがゆえに
リーダーみたいなのが出て
力で
押さえつけたりだとか
どういう風な構造から
そういう
組織立ってくるのか
わかんないですけど
結局
それでまた
同志で争い
あうのも
その欲望の結果
より上の
結果で
全体をまとめようとした
みたいな
ところは
誰かが
まとめて
そういう風な
一斉に
なんていうんですかね
上として
だから
ちゃんとした人が
ちゃんとした人と言ったらあれだな
一つにまとめようと
天下統一とか
そういったところ
だったり
そういう風にまとめようとした人は
結局そう
まとめて一律がってしないと
そう
ところどころで
その欲望の
争いが
起きてたから
みたいなところの
流れはあるのかな
と思ってて
実際どうかはわかんないですけど
日本だったら
日本で全体を
統一というか
標準化しようと
した流れとしては
で、結果
そういう
標準化
したけども
ただこう
普通に生きていけるとは違う
別の文脈での
この
不平
というか
みたいなものが現代社会には
こう
あって
うーん
何が言いたいかわかんなくなってきたな
ごめんなさい僕もちょっとついていけなくなってきた
かもしれない
えっと
うーん
なんか
争いが起きないように
まとめようとしたんだけど
結果
まとめたことで
争いが
また別の軸で起きてて
それを
なくすために
またその
まとめ方を分散して
それぞれやりましょう
みたいな流れに
戻ろうとしているのが
面白いなっていうのが
まず一つ
人間として
自ら
集まって
そういう
リーダーみたいな人を決めて
元やるみたいな
形にしたんだけど
はい
それを元に戻そうというか
そうじゃなくしよう
みたいな流れに今
巻き戻っている流れ
うーん
なのかな
っていう風な
思ったぐらい
ですかね
今現段階では
それ以上
できない気がするな
なるほど
そう
リーダー決めてっていう風な
メタ認知の必要性
システムになって
いろいろと
自分たちで
考えなくていい部分が増えた
みたいなところは
あったりするけど
それをまた
分解していった時に
それぞれ自らが
より
考える負荷は増えていくと思うんですよね
うーん
そういった流れ
なっていくっていうのに
今考えなくて
いいっていう
一種の
利得を得ている
状態から
いくっていうところに
かなり
エネルギーは使いそうな
気はしますけど
うーん
そんな印象ぐらいの感じ
です
そうか
ちょっと
話し始められた段階では
もうちょっと
単純な話かなと思って
勝手に予想しながら
聞いてたところあって
予想とは違ったんですけど
翼の話をされてた時に
最初にリーダーみたいなのが
できてきて
その原因として
根本には欲みたいなものがあったんじゃないか
っていう話
長いこと
ずっと続けて
その構図で
リーダーみたいなものを
常に
人は
用意してとか
それが生まれるような形で
回ってきたけど
その根っこにあるものがもし欲なんだとしたら
その欲を
その
リーダー本人なり
そのリーダーを
頭に
いただく
人たちは
その死ぬ瞬間にというか
死ぬまでにその欲を
満たされて
幸せになれたのかな
って少なくともその構図において
幸せになれたのかなっていうのが
今僕ちょっと
結構疑問だったりして
リーダーシップの役割
途中で例に出した
ミハイル・エンデの
時間泥棒的なもの
に刺激されるのが
まさに欲だと思っていて
その欲を刺激されて
動く
結果は
結局
自分たちが
ひたすらその欲に
飼られ続けるみたいな
もう終わりのない
永久期間みたいな感じに
見えてるところがあって
そこを
最初にリーダーの話の時にも
言ったんですけど
人間はメタ認知ができるから
メタ認知というか
ある意味その歴史に学ぶって
言いますか
そういう構図を
今まさにしょうまさんと僕が
喋ってるみたいに
抽象化したりして
捉えることができるって
思ってるもんで
なんかそういう風に
メタ認知なり構造化して
捉えることができる人は
どんどん増えてるんじゃないかな
っていう感覚を僕持っていて
その情報を
いろんな情報を
一般の人でも
簡単に得ることができる
ようになったことで
メタ認知が加速してるんじゃないかな
って思っていて
そうした時に
その
欲望を元にした動きそのものが
割とちっちゃくなっていくのかな
みたいに
思ったりもしてて
だから
文山に戻っている
っていう
その側面もあるのかな
みたいに思ったりもしてるんですよね
そう
思うと
なんでしょうね
五周章ラジオの
今日ちょっと五周章ラジオで
先に同じネタで喋ってる経緯があるもんで
それをちょっと引き上げに出すことが
多くなっちゃうんですけど
軸刈りの話をした時も
その後に
最近僕がアウトプットが先な社会の
アイディア出しをしたいって言って
みんなにお願いしてやってもらった時も
なんか
必ずそうじゃない人が
出るみたいな
ことがよく
反応として現れるなと思ってるんですよ
アウトプットが先な社会だとしたら
その社会に沿わないような
それをぶち壊すような人が
必ず出てきて
そうなった時に
それを力で抑え込むようなことが
必要になるんじゃないか
みたいなことが
いろんな人からちょいちょい出るな
って思ってるんですよね
でも僕その
序盤からリーダーっているのかな
とか足並み揃える必要があるのかな
みたいな疑問の
根っこにというか
疑問と同列なところに
その
力で抑えつけるみたいなもの
なしでいけないかな
みたいな感覚が
あるので
その
力で抑えつけなくても
いけるものが
あるとしたら
自分たち自身が
それをメタ認知して
いらないっていうことだけだって
思ってるんですよね
それが広がっていくことで
さっきの
コミュニティなりバー
主従関係のないコミュニティとか
バーみたいなの同士が
広がっていって
マジョリティに変わるみたいな
ことも
なんか
巧妙として
というか
希望として捨てなくても
いいんじゃないかな
って思ってる
てるみたいな
ことを
庄間さんの話の序盤を聞いてるときにちょっと思ったんですけど
ちょっと庄間さんのおっしゃりたいことが
そこじゃなかったっぽかったんで
ちょっと
掴み切れてなくて
違う
いやいや
僕は本当になんか別に
なんか
特別
言いたいことがあったっていうよりも
なんか
そんな感じになってるのが
面白いなって思ったぐらいで
その欲望があるから
できそうみたいなのも本当に
なんか
朝早かなんですけど
細かく考えたときに
いやそうじゃないかもなみたいな
ところもありますが
なんかただその辺を
ちょっと発言しただけで
おっしゃってたように僕もそのメタ認知
広がれば
っていうのは全く同意見で
そういうのがあるから
それを
なんか国のシステム的にそういうの
広げようと思ったら
国としてですね
それぞれが
テクノロジーと社会の未来
一番あれなんでしょうけど
何かしらこの
大きな力で
考えると
その
仏教
必修化したほうがいいとか
そんな
仏教を必修化したほうがいいとか
そんなところを
考えたりしたことは
あったんですけど
仏教
哲学あたりを
小学校
どっかで
必修化したほうがいいみたいな
思ったんですけど
それは極端に
そういう想像したというだけの
話なんですけど
なんか
やっぱその
自然にっていうと
結局その
メタ認知をするきっかけ
の情報に
触れるか触れないかみたいな
ところ
かなっていうのがあって
今の
社会の中で
目の前の
生きることに精一杯だったり
すると
その余裕が
なかなか生まれ
得ない環境には
あるかなと
いう
ところはあるんですよね
そういった
ところが今でも
誰でも手に入る
情報がみたいな
社会は確かにそうなので
固定ラジオとか
筆頭にそういうメディア
とかもですね
どんどん有名になって
いって
そういうメタ認知みたいな
人が
考えられる人が増えると
少なくとも良い方向に
行くんだろうなみたいな
感じには
思いますけどね
メタ認知
何を落としたんだっけ
思い出したら
話します
分からなくなっちゃいますよね
そうですね
現状
ベースに考えるといろいろ
無理なんじゃないか
っていう風に
なりがちだなと
現状を
ベースで考えると無理じゃないかな
っていう想像
今おっしゃるようにしがち
だと思うんですけど
僕が一つ
可能性を
感じるところから
すると
これ以上の
テクノロジーの進化
その時に環境的に
どうなのかみたいな
ところを分からないですけど
今って
その
前ほど
死に直面してるっていう状態
じゃないですけど
その
生きるのが大変みたいな
状態はやっぱある
じゃないですか
生きるのが
資本主義社会の中で生きるのが
すごくきついというか
生きていくために
大変さ度合いが
格差みたいなものが
あったり
すると
大変な人ほど
あるいはもう
大変じゃないけど
資本主義の中で
より資本を
集めようと
してしまってる人
だったり
そういう極端な
特に極端な
セグメントの
部分の
人たち
っていうのは
さっき言ったようにメタ認知
みたいなところから
ちょっと距離が離れて
しまいがちになる
と思うんでまずそういった
ところが
なくなる
死ぬ心配がない
みたいな
っていうところからすると
テクノロジー的に
この限界
費用がゼロになるような社会
限界
費用って何でしたっけ
限界費用っていうのが
例えば何か物を作るときの
にざっくりとその
費用ですね減価があるじゃないですか
減価
そこに利益を乗っけて
価値として提供して
お金をもらう
っていうところですけど
そこには何で
働いた人の人件費だったり
材料だったりいろいろ
何か生むために費用がかかるわけですよね
次回へ続く
31:38

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