1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. 限界費用ゼロ社会~メタ認知の..
2025-05-13 31:54

限界費用ゼロ社会~メタ認知のキッカケ~存在で伝える

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しょーまさんの考える、多くの人がメタ認知をするために必要な限界費用ゼロ社会

それについてシュウはイマイチ良く分ってないので

しょーまさんにザックリ説明して頂いて…


収録日:4月15日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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サマリー

本エピソードでは、限界費用ゼロ社会という概念について考察が行われ、特にエネルギーやロボット技術の進展が人間の労働に与える影響について議論されます。また、メタ認知の重要性や、それに至るきっかけとしての余剰や環境の変化が取り上げられます。このエピソードでは、公教育にメタ認知を実装する具体的な提案や、子どもたちの教育に関する議論が進められています。さらに、時間の流れやボトムアップのアプローチによる社会の変化の可能性についても考察されます。

限界費用ゼロ社会の考察
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は文字通り、シュウとショウの日が向いた時に、適当に好きなことを話しながら、
未だ知らないことわり、つまり、道のりを探していく道のりを描く番組です。下手をしたら、二人の持ちっぷりを探すだけの気のままな旅、ゆるーくお付き合いいただけたら嬉しいです。
前回からの続き。
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は文字通り、つまり、シュウとショウの日が向いた時に、適当に好きなことを話しながら、
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は文字通り、つまり、
何かしらその原価がいるのは、何かしら物資にしても人が関わっている。人が動くことが、人が生み出した価値が、そこに乗るわけですよね、費用として。
ちゃんとわかってるかな、どうかな。
例えば、何かしらおまんじゅうを作るんだったら、おまんじゅうを実際作る人の労働費で、あんことか餅ごめとか作る、そこの原材料のお値段っていうのは、結局その先をたどっていったら、その人が作ってるみたいな。
機械にしても、絶対人がいるじゃないですか。そこがゼロになるっていうのは、イコール、人が働かなくてもいい、みたいな状態なんですけど、それっていうのが結局、人が動いてみたいなのは、人がエネルギーを使ってるわけですよ。
太陽から降り注いだエネルギーが、植物が受けて、植物が餌を作って、動物が食べて、植物やら動物らを食べて、で、そのエネルギーを持って、人は動いたり、玉使ったり、いろいろしてるわけですよ。
なので、そこは人がエネルギーを投入してるわけですよね、そこに。
でも、太陽から降り注いでるエネルギーを、例えば太陽光発電とかで発電するじゃないですか。
発電して、それをその電気とかそのエネルギーからロボットが自動で働いて、物を生産して、みたいなループで自動的に物ができちゃう。
しかも、ロボットが壊れたりだとかメンテナンスとかも全部自己修復的にやっちゃう。
それを全部エネルギーのソースはあるので、太陽のエネルギーソースから全部そこが人間開在せずに回るようになれば、限界費用はゼロなんですよ。
そうなると、働かなくてもみんな生きていける。食料勝手にできちゃう、みたいな世界線があるとすると、みんな死なねえ、みたいな自信というか。
ただ、それがそういう状態になるのがいつかとか、現実問題の可能化というのはちょっとはっきりは分からないし、環境への弊害、そこのバランスがどうなるかというのも全然分からないですけど、仮にそういう概念はあるんですよね、限界費用ゼロ社会に。
そうなったときに、ベーシックインカムみたいな話じゃないですか。ベーシックインカムとか。そういうふうな状態になって初めてメタに考えられる。
そうなったときに、生きれるっていうところの生活基準ベースでいったらだいぶ余裕があるから、そもそもの不平不満自体も緩和するかもしれないですけど、メタ認知する余裕みたいなのもより生まれてくると、
そこでそういう可能性としては、今の現実社会とその技術、科学技術ベースで語ったときに、そんなに非現実的でもない状態になり得るかもしれないよ、みたいな話でした。
メタ認知の重要性
かなり現実味がなさそうなイメージがあるとすると、そこがテクノロジーの進化で、もしかしたら現実味みたいなものを少し感じれたりするかもしれないなっていうところで。
なるほど。確かにな。それを希望の持てる話として受け取る自分が半分。もう半分は、それでも人の意識が変わらない限り、みたいに思ってるところがあって。
もちろんもちろん。根本はそこですよ。絶対そこだと思うんですよ。人の意識が変わらないとっていうところで、そこの変わるきっかけの環境変化の可能性が一つあるよっていう話と、
現時点の現状世界で考えたら、人の意識だけじゃどうしてもそうじゃない人が出てくるみたいなところのイメージの払拭させる例として、そういうのがあるかなぐらいの感じですね。
根本的にはおっしゃるようにその意識自体、人の意識自体が変わらないことにはまずありえない世界だと思うので。
たしかになんていうか、卵が先かニワトリが先かみたいな風に捉えられなくもない話かなと思うんですけど、なんでしょうね。
希望的に捉えられない部分としては、僕、話の例として好きなのが東海道五十三次かな。好きなのがって言ってる割にちゃんとわかってないんですけど、
日本橋からどこまでみたいな、なんか江戸時代だったら歩いてずっと行ってた、どのぐらいかけて行ってたっていう話だったのかな。
2週間だか2か月だか、例として好きって言った割にマジで全然ちゃんと覚えてないんですけど、それを、今は、要は新幹線だったら2時間みたいな話なんですよね。
でもそれで浮いた時間分、本当に今江戸時代の人より豊かになってるかって言うと、全然そんなことないみたいな話があって、そのゼロエネルギー社会でしたっけ。
限界費用ゼロ。
あ、ごめんなさい。限界費用ゼロ社会になったところで、同じように生き死にであたふたしてる気がするんですよね。っていうのが一つ。
あー、まあそうですね。あー、そうだなー。
それがさっき言った意識が変わらない限り、意識が変わるきっかけになるのは、それこそ余剰っていうのは、今はないわけじゃないっていうのが僕の中には決定的にあるんですよ。
不平を、上を見てるから、ないと思ってるんですよ。
まあそうですね。
僕は思ってて。
それこそ、しゅうさんの立場から言ったときによりそうですよね。
そうなんですよね。
そうかー。
とか言うのが半分。
僕もいいなーって思いますよ。その限界費用ゼロ。
でもそうですね。
もう一点あるのが、なんていうのかなー。
今の社会も便利すぎて、もう何も自分一人じゃできないっていうのを痛感させられるんですよ。僕も今の暮らししながらなんですけど。
何一つ自分では作れないっていう。
うん。
うん。
なんでしょうね。竹細工を作ってたんですけど一時期。
竹細工ってもう竹だけだから、僕でも自然のもの、自然に生えてくる竹だけでできるって言えなくもないんですけど。
竹切り包丁を作れないんですよ。
何一つできないなっていう感じで思っていて。
だからこそ、そこに乗っかっていることを忘れちゃうんですよね。
今、何の上に自分たちが成り立っているのかっていうのを忘れてしまうし、わからない、気づけないって思っていて。
限界費用ゼロになったとしたら、それが当たり前になっちゃって、それも気づけないのかなーみたいに思ったっていうのがもう一つ。
確かに。
そうですね。それ自体、それが当たり前になったら、確かにそこ自体に気づかないでしょうね。
気づかないし。
僕の意識の中では、その本当に自分が生きていけるかどうかの状況ももちろんいるんですけど、
自分の中でそれは、意識の持ちようによって余剰が出る、余裕が出たって思ってから、そこからメタ認知するというか、その歴史に学ぶこと?
歴史上繰り返してきた、あの状態だっていうことを自分に当てはめられない限り、難しいみたいな感覚があるかなーって思っちゃいました。半分は。
いや、そうですね。
いや、前半半分は希望的にも捉えられるんですよ。
そうですね。ただ、でもおっしゃるようにそういう状態になったら、今度はやっぱり上を見て、いかに長く生きるかみたいなところでアダプターしだしますよね。
と思うんですよ。
結局そこの何かしら生活みたいなところのベースができたとして、うんそうだなぁ、絶対そこ基準で考えちゃうから、今なんか僕がその、そうだったらちょっといいきっかけになるっていう感覚があるのは、多分僕が今ある程度メタ認知できてるからだと思うんですよ。
そうするとそこの余裕ができたら、僕的には余裕ができるだけなので、
今、しゅうさんとこう話してる中で、既にそこの認知があるから、多分そういう、今のこの僕の意識前提での話ですね。で、そういうイメージが多分できるっていうだけで。
そうなるとやっぱり、かなり難題ですね。
いやーまあそうなんですけど、今ちょっとね、聞きながら思ったのが、少なくとも僕のメタ認知が加速したきっかけとして、コテンラジオコミュニティに入ったっていうのが一つあって、
その前からまあ割と周りの人よりはメタ認知する方だな、だったなとは思ってるんですけど、結構爆発的に加速したなと思ったんですよ、コテンラジオコミュニティに入ってから。
で、っていうそのコテンラジオコミュニティのすごさっていうのも一つあるんですけど、ごめんなさいね。
その、コテンラジオコミュニティに入ってきたメンバーと、割と深い話ができるようになる相手で、みんな結構そのコテンラジオコミュニティに入ってきてる人って、
それなりになんか大変な思いをして、それの救いの場みたいな感じでコテンラジオにたどり着いたよね、みたいなふうに思ったことがあったし、何回もあったんですよね、それが。
みんな抱えてるよね、なんかみたいな。
特にこのコテンラジオコミュニティに入ってきた人は、表面上は明るくしてても、めちゃくちゃなんか抱えてるよね、みたいな話したことがあって。
だからメタ認知のきっかけって、余裕が出ることとは別に、逆にめっちゃ自分が大変になって、あ、根本的に見直さなきゃ、みたいなのも一つきっかけになり得るのかなとちらっと思いましたっていう話でした。
面白い。
でもそうですよね、そこのきっかけとしてそういう何かしら大きなことがあって、外に目を向けようというか、そこからコテンラジオだったらコテンラジオに出会うべく、多分ワンアクションいると思うんですよね。
それがあるかないかみたいなところもなんかあったりするかなというのは思います。
視野を広げるためのきっかけ
結局、何かしらコテンラジオじゃないにしても、何かしら相対化して世界を広げるために、絶対きっかけがいるんですけど、
そこのきっかけみたいなところって、まず視野を広げないといけない。視野を広げないと多分そこのきっかけが出てこない。
視野を広げられるかどうかっていうところは、本当にそこの置かれている環境と、その人のこれまで生きてきた経験みたいなところに寄っちゃうなというところがあって、
そうだとすると、そういう視野が広げられない状況にいる人たちがいるとしたら、どうしたらそこって変わるんだろうかみたいなのが一番大きいところですね。
そこがやっぱりイメージができないもので、さっきみたいな限界費用という社会だったりっていう風なところに発想がいくわけなんですけど、結果それもやっぱり違う。
となるとそこの環境みたいなものはそれぞれ自発的に発生するわけで、経験とかも運というか運と個人の選択みたいなところがあるので、
コントロールしえない。コントロールするものでもないと思うんですけどね。そうなった時にそこがすげー難しいなっていう印象ですね。
そういうのもあって、そういうのを無理やり変えるみたいな、今トトーを組んでいる国として大きな動きをしようと思ったら、今後未来の社会で生きていく子どもたち、子どもたちに託すしかねえみたいな。
ところでその時に子どもたちが、もう公教育としてメタ認知を実装してるっていうのが、僕なりの前考えた時の一つの。
すいません。行ってしまって。僕が以前、ちょっとその辺どうしたら格差だったり、いい社会に近づくかなっていうところを何か、
現実的?現実的って言っても自分が想像しうる範疇で考えた時にちょっと思ったのが、公教育として子どもたちにメタ認知を実装するみたいなところで、
その一つ具体案として、小学校で仏教哲学必修科みたいな、っていう話なんですよ。のを想像したことがあったっていう話です。
実際めっちゃその方がいい気もしますね。もうその具体的な、今、日本っていうものが今後も続くとしてのその延長の話の中ではそういうのも全然、僕もいいなと思うんですけど、
一つその、さっきのなんていうか、しろもさんのおっしゃられた、もう全くメタ認知する余裕がない人をどう余裕もある状態にっていうのは、なんかある意味最後の最後の課題として、そこにいきなり今の状態で取り組むのは難しいかなって僕も思っていて、
でむしろ、今の社会の流れに反することを僕は全部ずっと言い続けているぐらいの気分なんで、なんかこの間、富士山に言ってもらったんですけど、習さんが存在することがもうその時点で価値だっておっしゃってくださったんですよ。
で、その意味とはちょっと違うことになるかもしれないんですけど、その途中で僕、さっきのバーなりコミュニティなりが、種種関係なく存在しているそういうものが、さらにフラクタル的に大きくなっていった時に周りから見て裏山みたいになる可能性みたいに言ったんですけど、
そのバーが存在すること自体が、もうなんかそれが広がるきっかけとして、そこにあるから、そこにいる人たちはある程度メタ認知できてるっていう想定なんですけど、しやすい人、メタ認知しやすい人たちが楽しそうに生き続ける。
っていうのがもう、もしかしたらそれだけでもいいかもって思って、具体的な手法がどうではなく、感覚として伝わるものかなって思ったんですよね。
僕はその裏山って言った言葉の裏に、あまり孫徳っていう、そう言えなくもないけど、どっちかっていうと虫が光に集まるに近いような感じで、なんか自分より輝いて見えるみたいに捉えてるんですよ、周りの人たちが。
もし競争なりマネーゲームで疲弊するような社会で生きていたとして、そうでなく、なぜかそんなに裕福でもなく、でもめちゃくちゃ楽しそうに循環して生きている人たち、そういうバーなりコミュニティが増えていったら、
そこになんか徐々に徐々に光が集まり続けるような気がしていて、ちょっと臭いセリフみたいな言い方をしてますけど。
そういうものだと思いますし、一個人というか、ボトムアップとしてはそれしかないと思ってますね。そこで広がっていく可能性みたいなの。
実際問題として、さっきの公教育必修化みたいなのは、いわゆる支配的ですし、スキルとして身につけておくのは、その子たちが生きていく上で価値はあるなと思うんですけど、
そこはあくまでそんなこともありえないだろうな、みたいなのも含めつつのあれですけど、実際現実が今おっしゃっているような社会になっていく道としては、もうなんかそれしかないのかなっていうのはありますね。
だから、僕らは僕らでそういうことをやっぱり体現するのみやれることは。
そうですね。そういうのがポツポツといろいろ広がっていったときに、どうなっていくのだろうかみたいな。
そうですね。そう思います。
時間もかかるだろうし、徐々に伝わる。生きていたら伝わる可能性が残るかなと思ってるし、それこそ生きていたら伝わる可能性が残ると思ってるし、それこそ次の世代に、
卑怯いくっていう形じゃなくて、もう感じてもらいながら受け継がれていくかもしれないな、みたいに思ってみたいな。
時間なんですよね。
社会の変化とボトムアップアプローチ
ん?
時間。
そこが、一つさっきのところのドラスティックにコントロールというか、トップダウンでみたいなところの考えとしては、やっぱり時間もあるんですよね。
いや、間に合わんやろみたいな。
なるほど。
間に合うかなみたいなところもあって、
本気で、人類が日系感を感じてるんであれば、そっちの選択肢もあるのかもしれないぐらいですね。
ただ理想は、たぶん、しゅうさんがおっしゃってる、ボトムアップというか、個別にそういうのが徐々にっていうところだし、
実際、全体としてやべえみたいなところのかじきりみたいなのは、なかなか現実味のある想像はやっぱりできないので。
いやー、おもしろい。
時間がないやばいみたいなの?の危機感っていうか、僕の原動力ってもろに危機感なんで、同じ危機感からどっちにも行きうるってことですもんね。
トップダウンだーにも行きうるし、僕はもう極端にボトムアップに振り切っちゃってるので、
僕の場合はその原因がトップダウンだと思ってるんですよね、きっと。
今の危機を招いたそもそもの原因が構図としてはトップダウンにあると思ってるからなんでしょうね、きっとね。
そうですね。
だからその総理大臣の話も、リーダーっているんだっけ?みたいな疑問につながっちゃうし、
トップが何もしなくてもうまくいく可能性ないのかな?みたいに思っちゃうし、みたいな。
可能性としてはですね、全然あり得る話かな、自然界を見てる中でも。
そういう自己組織化的なことは起きると思いますし、人類にあっても。
ちょっとそこに希望を託しますみたいなところをまとめにして、
そろそろ時間がちょっと長引かせちゃったなって思ったところがあったんで。
毎回似たような話をしてるかもしれないですけど、またこんな感じで次回も似たような話をしていけたらなって思います。
赤翔馬さん的に。
言い残したことですか?
言い残したというか気になっていることとかあれば。
大丈夫ですか?
どうなっていくやろうなーみたいなのちょっと。
いいなーとは思いますか?その限界。
何でしたっけ?また忘れちゃった。
限界費用ゼロ。
限界費用ゼロ。いいなーとは思います。
僕も早く来るかなーって思ってます。
でもまあ、これは収録終わってからでいいかな。
なるほど、はい。
じゃあとりあえず今日はそんなところで、今回もありがとうございました。
ありがとうございました。
失礼します。
31:54

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