お金の本質について考える(その1)です。


【今回の内容】

お金って何よ?/無限にお金があったら?/旅行の限界効用/お金に縛られるとは?/マーケティング戦略への抵抗/将来への不安とお金/お金に対する自己効力感/人に価値を提供する/インターネットは価値のタネの宝石箱や~/代替変数を本質と勘違いする/お金の色眼鏡を外して見る/僕達はラジオで何を交換しているのか?/Time is Money?/時間をお金に変換するYouTube


【パーソナリティ】

とよだ:富士通で働くビジネス哲学芸人。

ショーン:シリコンバレーのテック企業で働くデータの魔術師。


【番組へのお便りはコチラへどうぞ!】

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※このラジオは、個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではございません。


#白米FM #哲学 #お金 #価値 #時間

お金の本質とは何か
じゃあ、始めましょうか。はい、じゃあ、白米FM、3回目ということで始めたいんですけれども。あれ4回目だっけ?何回目かわからない。何回目かちょっとわかんないけど、多分3回目でしょ。前回あの番外編ということでちょっとやったけど、
正式な番号で言うと多分3回目の収録なのではないかと思われます。はい、もうだいぶ慣れてきたんじゃないですか。
うん、まあなんかちょっと生活の一部になってきた感じがあるね。そうだね。はい、じゃあ今日もリラックスしてできればいいと思います。人生をよくするために雑談。
そう、雑談ということで。はい、やらせていただきます。で、今日はですね、僕がテーマを持ってきたんですけど、前回までですね、まあ、ウェルビーイングとか幸福とか、あと学びと教育とか、なんかそういうちょっと高尚なテーマがついてきたので、
今回もっと我々の身近なものを扱いたいなと思ってこのテーマを持ってきてます。今日のテーマはですね、お金の本質とは何かということでやりたいと思ってます。はい、お金の本質。
はい、しおくんはお金持ってますか。お金は持ってます。持ってないとね、ちょっと生きるのはつらい、世の中でも。そうだよね、そうだよね。まあ、多少なりとも皆さん持ってるでしょうね、たぶん。
何も持ってないっていう人はたぶん相当稀なんじゃないかなと思ってるんですけど、まあ結構割と身近な、まあ毎日使うよね、基本。なのでちょっとこの身近なテーマについて、でも身近なんだけどお金って何なんだろうなっていうのが結構みんな思ってるんじゃないかなと思ってて、まあ僕も思ってるんだけど、ちょっとそこを二人で今日話せたら面白いんじゃないかなと思ってます。
お金ってその可能性を広げてくれるっていう一方で、結構それにお金に縛られて振り回されるっていうこともあり得ると思うんだよね。だからこれほどこう人の人生というか行動をいろいろ左右している代物っていうのはなかなかないんじゃないかなと思ってて。
なのでお金っていうのは一体何なのかとか、まあこれからの時代お金とどう向き合っていけばいいのかなとか、あと我々子供がいるので、まあ子供に対してお金についてどう教えていけばいいのかなみたいな話が話せたらいいかなと。
はい、思います。
さっそくなんだけど、今そのお金が可能性を広げてくれたってあったじゃん。
なんか豊田くんの中で、お金があったおかげで人生が豊かになったとか、この時はなんか選択肢が増えたなっていう経験はある?
えーどうだろうね、なんか明確にこれっていうのはないんだけど、今ってあんまりそのお金を考えて、なんか自分のやりたいことを諦めるとか、なんか行動を制限するみたいなのが基本的にありがたいことにあんまりないから、そこにあんまり意識はしてないんだけど、
なんかいろいろ本買う時とか、お金がないとこの本買おうかな、買うのやめとこうかなみたいなのを考えるのはちょっと嫌というか、かなと思うね。でもそういうのが今ないので、なんか気になったらすぐに買えたりとかするし、そこはまあありがたいかなと思ってるけど。
なるほど。なんかさ、まあこれも意地悪な質問かもしれないけど、たくさんお金があったらさ、してる行動が変わってるってことはない。それを考えると無意識にお金によって制限がまだあるっていう可能性はあるかなと思うね。例えば、もう無限にお金があったら、例えば世界中を旅行してるとかさ
ああ、そうだねそうだね、確かに確かに っていうのはあるけど実際はしてなくて、まあ二人とも旅行が好きだと思うんだけど、いろんな国を見てみたいとか、それをしてないっていうのはまあちょっと有限だからっていうのがどっかに頭にはあるのかなと思ったのね。一方、確かに俺もその本を買うことに関してはほぼ考えずにとりあえず買うと気になったみたいなことやってるから、そういう意味ではほぼ制限がなくなってる分野もあるかなと思って
うんうんうんうんうん、確かに旅行は
そうだね、お金がもう無限にあったら、行ってるかもしれないね、今の生活をかなぐり捨てて、どっか行ってるかもしれないなーっていうのがあるなぁ
そうね、一方で何だろうな、常に旅行してるみたいな状態だと、たぶんその旅行に飽き飽きするというか、旅行に行ってるのが日常になっちゃうと、たぶんあんまり面白くないんじゃないかなっていう感覚はあるから、そうだねそこに制限があるからこそ楽しめるみたいなところもちょっとあるのかなっていう気はしてるかな
あとはその、リターンと見合ってる感じがしないってことかな、今お金を費やしてそのリターンが無意識に計算されてて、今の状態で十分お金がないから機会を損失してるってことがそもそもない
言いたいことがまとまってないけど、たまにあるその旅行がむしろその使うお金に対してリターンを上げてくれてるってことかなと思ったんだけど、そういうこと?
そうだと思うよ、たまに行くからそこから得られるものが大きいって感じなのかな
もう一方で、お金が人生の幅を広げてくれるって言って、もう一回なんだっけ、後半になってたっけ
お金が与える可能性と制限
お金、可能性を広げてくれるっていう面もあると思うし、逆にそのお金に縛られて、振り回されたりする人もいるんじゃないかなと思っていて、両面あると思うんだよね
逆にその縛られてるって思う瞬間とか、まあ自分じゃないとしたらどういう時に他の人が縛られてるなと思ったかっていうのはわかる?
それだとやっぱその働くってことなんじゃないかなと思っていて、自分がやりたくもない仕事を生活のお金を稼ぐためだけにやるみたいな
こととかが一番最初に思い浮かぶかな、縛られる、お金に縛られる、お金のためにやりたくないことを我慢してやるみたいな
そういう感じかな、あと振り回されるっていうのは、そうだなお金を手に入れるために犯罪を犯すとか
ああ とかかな
まあそうね、これいろんなシチュエーションの人がいるから結構難しい気がするけど、やっぱり実際お金がね十分あるかどうか
自分が必要としている額が多分あって、日々生活する上で、なんかそこに期待値があるじゃん、ある程度
1日に2ドルで済む人、10ドルで済む人、ドルで言っちゃったけど、1日に500円で済む人、1000円で済む人
1万円かかる人っているような気がして、でそれを十分もう稼げてる、もしくは稼ごう方法がもう確立できてるかによって
どのくらいそれに縛られるか関係するんだよね
なんだろうな、僕の感じているのは、生きていくのにそんなにたくさんのお金はいらないんじゃないのかなっていうふうな
お金を持つことによる社会的プレッシャーとマーケティング効果
感覚があるんだけど、結構みんなその資本主義のマーケティング的なのに乗せられて
なんかお金を稼いで、そのお金を使わないと幸せになれないみたいな
なんかそういうのに借り立てられているのかなーって思ったり
なんかちょっとさ、最初に言ったものと違う、借り立てられてるっていう中に何か別のものがあるような気がして
その仕事に追われてるっていうもの以外にも、なんだろうね、そういった社会的なプレッシャーとかマーケティング効果によって思い込んでる人っていうのが別にいるのかなって思ったけど
例えば、ものをね、買わないといけない、新しいものを買わないといけないとか、ファッションを磨いて新しいブランド、あの流行りについていかなきゃいけない
髪型はこうじゃないといけないって言って、よりお金を費やしている人たちのことをお金に縛られてるって言ってるのかな
そうかもしれないね
自分もそういうふうにプレッシャーを感じたくないって思っていて、なんかこうお金を費やさなきゃとかって思ってるとしたら
もう一人の自分が、それは周りからのプレッシャーだったり広告のせいだと思って、あえて
なんかねじ伏せるみたいな自分がいて、その資本主義のそういう戦略に乗らないようにしようっていう、なんか反骨心みたいなのがあるんだけど
そうなの? あああるよ、なんかこれはうまい、マーケティング戦略だなみたいな、一個買ったら次が欲しくなるとかさ
お金を使いたいという願望と制限される感覚
なんかそういうのはあえて次は買わないようにしよう、なんだっけ、なんかいい例がパッと思いつかないけど、妻ともよく
これはうまいマーケティング戦略だねとか言いながら、あえて、まあそんなに必要なかったらやっぱりあえて次は買わないようにするとか
えー、それはなんで買わないようにするの?
もうなんか際限がなくなったりとか、次次次ってなっちゃう、そういうあり地獄みたいなのにハマっていきそうな気がするから、もう最初に
なんかあったらいいよねーぐらいだったら買わなくていいかなーみたいな、そういう判断をしている気がする、僕はね
でも一方で、そういうのに乗りたいっていう願望があったりする
特に妻と、喧嘩とまではないけど意見が分かれるのは、そういうのにやっぱりみんなが欲しいと思っているものが欲しい
みたいなのがたまにあるのかなやっぱり、そういうのを僕の中でもう一人の自分がねじ伏せたりすると
自分の外の人をそれでねじ伏せるっていうのは結構大変で、なかなか叶わないなと思う時も
あーそのこれが欲しいと思っている人を、なんかいやそんなのいらないだろうみたいな感じでネジ伏せるのが難しいってこと?
そう、自分だったらコントロールはできるけど他人までは結構難しいなっていうのは思う
それはでも、それを買ってお金を払うことによって自分がなんか幸せというか
になれそうな感じがあるわけではないのか まあその本人はそう思ってるかあんまりそこに意識がないって本当に直感に沿って行動しているだけで
幸せかどうかをいちいち確認してない気がする ような気がするし、僕自身は僕のその
考えのバイアスがあるからさ、そんなのはマーケティング戦略できっと作られたまやかしだみたいなのを言ってる自分がもう一人いるからさ
そういう点に立つと、まあそんなに増えないでしょうとか増えても一瞬で終わるでしょうみたいな感じの見方をしちゃってる気はするね
なんか今俺が感じている感情とちょっと逆だったのが面白いなと思ってて
どっちかっていうと俺お金使いたいんだよね
これを使ったら自分を幸せにしてくれるだろうっていうものを 探しているどちらかというと
だからなんか自分をうまくそれに乗せてくれるというか 術中にはまらせてくれるものがもし出てきたら
逆に嬉しいような気がしたんでね そこまでしてお金払いたくなるような気持ちにさせてくれる何か
それはすでに幸せなんじゃないかってこと? それはすでに幸せなんじゃないかとか
幸せってことじゃない お金を使いたいと思わせる
だからお金を使うことによって今よりより良くなるっていう感覚を抱かせてくれる何かを提示されたら
なんか僕は喜んでそこにお金を出してしまうような気がしているな
面白いねなんか僕ある意味お金に縛られてるのかもね
あげなきゃいけないじゃないけど そういう意味で縛られてるかもって今喋ってて思ったかも
そうそうだから縛られてるってまだいろんな意味があるような気がして さっき最初に言った仕事に追われているとか
社会の要請によって何か使わなきゃと思わされてるってのも一つかもしれないけど 僕の場合は
まだ先が長いじゃん人生僕らの時代って90歳以上まで生きるかもしれない で生きること自体リスクみたいな仕事がないかもしれないのにお金だけは
使うないと生活できなくて 一応シミュレーション上さ何年生きるとしたらどのくらいの効果がないといけないじゃないけど
安全圏みたいなところに達するにはさ まだまだだなーっていうのがあってでそこに達してないとまだ
安心できないんじゃないかなとか思ってるから そこまでは
僕は縛られてるというか 制限されてる感じあるかもね
苦しい ちょっと感じがらめというか使わないようにしようとか 使わないように自分を縛ってくれる考え解釈
お金を手に入れることによる将来への不安の緩和
を採用する傾向にある気がする なるほど
そうだから結構なんかみんなその不安 将来に対する不安とかのために
今必要じゃないお金までを 際限なくというか
求めてしまう傾向があるのかなっていうのもちょっと感じていて
お金が欲しいっていう気持ちは 多くの人あると思うんだけど
別にお金自体が欲しいわけではなくてそのお金を手に入れることによって その何だろう将来に対する不安を多少緩和できるとか
なんかそういうところが本質というか 根本にあったりするのかなっていうのは
ちょっと感じてるかなぁ
その不安とか脅迫観念みたいなもの それが結構ヒントなのかな今やお金に縛られるって言ったときの
あーそうだね
なんでそこ不安を感じてしまうのかで逆にお金があるとなんでじゃあそこの不安が緩和されるのかっていうのは
なんでなんだろうね そうね不安を僕が持っている人ということで
その代弁するなら60年後今の定年 60歳65歳後半になった時に
自分が稼ぐ手段があるのかみたいな ここが一つ
自己効力感と価値提供の重要性
まあ不安の要素なんじゃないかなとか 世の中がすごい変わってるから今日お金が稼げている方法が今後も同じように稼ぐ方法と
言って有効かどうかがわからない そこそれが多分一つの不安の原因
お金を稼ぐことが安定的にできることに対して ここに自信を持っているかどうかだよ
なんか前豊田くんも言ったよねなんかちょっと自分でいろいろやってみたからまあなんとか する方法は見つかるだろうみたいな
算段があるから自由になったみたいな
確かにそれはあってそうだな自分でビジネスをやってみて あのお金を稼ぐっていうのはこういうことなのねっていうなんか肌感覚として
あのまあわかったんだよね過去に だからあんまりそこに対して不安がないっていうのは確かにそうだと思ってて
例えばさ肉体労働とかをしていて その自分の体をなんか動かして例えば何でもいいやなんか荷物を運ぶ仕事とかだとして
それは確かに年をとって60とか70になって その仕事をやり続けるのは無理だと思うんだよね
でも例えば僕とかしおくんって全然そういう仕事じゃないじゃない どちらかというと頭を使うというか
いう仕事をしていて そこは多分なんだろう60とか70になっても
そんなにハンディキャップにはならないのではって思ってるんだけど
その肉体的な労働をするっていうのに比べればだけど
そうだねああそうそうだから何らかの形で人に提供価値 人に提供が価値できる
ちょっと待って何らかの形で価値を相手に提供することができればお金は稼げるっていうふうに思ってるんだよね
その価値が何なのかっていうのはまだわかんないしそこは探していかなきゃいけないんだけど
何らかできるだろうっていう感覚があるんだよね僕には
じゃあ自己効力感があるかどうかと自分がそれができそうだと信じれる力
その自分ができそうだなぁと思えるから不安が少ない 不安が少ないとお金に今縛られてない状態ってこと
そうなのかなでも そうかな
でも多くの人ができると思うんだけどなーっていう
僕がどうだからっていうかいう話ではなくて 普通にその誰かに価値を提供したいと思ってれば
どうとでもできるんじゃないかなって思ってるんだけど
でもそれはもしかしたら能力があるのかもしれない なんか人が
自分が無意識にやってとか何らかそんなに大変だと思わなくてもできちゃうことを能力があるっていうふうに定義してる人がいて
その要は学があるとかさ英語が喋れるとかそういう意味の能力じゃなくて
他の人はそれ自体やるのが大変なんだけど自分にとってはそれは苦に感じないみたいなのが
能力の定義だとするとそこにもしかしたら 豊田くんの能力があるのかもしれんと思って
話がよくわかんないところにいってるけど そうだねあんまりお金っていう感じじゃなくなってきてるんだけど
例えば隣の家の人がなんか困ってて その困りごとを解決なんだろうな
してあげるから じゃあちょっとお金くれよみたいな
なんかそういうのって誰でもできそうな気がするんだけど
でもそれをブレイクダウンするとさ隣の人がまず困ってることを認識できないといけないじゃん
でこの困りごとを 自分が解決できないといけないじゃん
価値提供とインターネットの関係性
で結構その2つとも別の能力というか 簡単にみんながみんなできるのかなぁと思ったけど
できないまあそれやっぱりその経験があって そこにまあなんとかできるでしょうっていう算段がついているのが一つ
自由になるというか その
不安から逃れるヒントが隠れているのかなぁと思って ああそうだね
であとは価値って何みたいな話にも関係すると思うんだけど その隣の人が困ってることがわざわざそれを解決できて喜んでくれる
から価値があるってことだと思うんだけど 結構ね難しいと思うんだよなそれを
やるっていうのは だなの
なんか今までの時代だったらそれがわかりやすかったと思うんだよねこれを提供したら 喜んでくれるっていうのが
社会でもう決められてたりとかして なんかこれを提供すれば3種の神器を持ってれば幸せってみんなが持ってるから
逆に3種の神器を持ってない 家はまあそれで困ってる
状態になっててじゃあ作ろうって言って解決策が まあ浮かんで提供できてってなったけど
まあ世の中それぞれ何が足りてないかとかって細分化されてって 右隣の人はこれで困ってるかもしれないけど左隣の人は
全く違うことを考えているかって まずその人たちが何に困ってるかを理解したりその人がどういう人なのかを
理解しているかも
そうだね今聞いて思ったのが確かに自分の隣の 家に住んでる人のことは
わかんないような気がしたんだよね 僕も自分の隣に住んでる人のことを隣の人が何考えてて
何を求めてるかなんか全然わかんないんだよ でもそのインターネットができてきて
多くの人がどういうふうに考えているかとか どういうことを求めているかみたいなのって結構言語化されて
きているなぁと思ってて そこから何かを見出すっていうのは比較的しやすいんじゃないかなと
隣じゃなくて そうそう隣じゃなくて
そうそうそう例えば自分と属性が近い 誰かが何かこういうのに困ってるんだみたいな
のをSNSとかで発信してたとしたら その自分も似たような境遇にあるわけなのでその人の気持ちがある程度
想像つくわけじゃない あでそういうことに困ってるんだったらじゃあこういう解決策が
できるんじゃないかみたいなことは想像できるのかなぁ
自分と似ている人自分がわかる人を探しやすくなったってことかな
そうだね わかりやすい人
なんかあんまりお金っぽい話じゃなくなったね ちょっと戻すかお金っぽい
お金と価値の関係性
不安っていうところが確かにお金とつながってるのではないかっていうのは確かにそれは一つ
あるよねーっていうのがあったね
さっきの誰かに価値を提供するというところにちょっと戻っちゃうんだけど思ってるところがあって
本来そのお金っていうのは価値を測るための
代替変数であったのではないかと思っていて
そのお金自体は価値ではないと思っていて その何らか価値っていうものがあってそれを
定量化したりとか数値化するのが難しかったので お金っていうものをその間に挟んでそれで数値化して
数えられるようにしたのではないかと思っていますと
で 代替変数であったはずのものがいつの間にかそのお金っていうものを当たり前のに使いすぎてしまっているので我々が
そっちが本質だと勘違いし始めてるのではないかと思ってるんだよね
で そのお金っていうものを数値化しないとその価値っていうものが見えにくくなってるんじゃないかなっていうのは感じていて
どうやったらそういうその眼鏡を外して本当の価値が見れるようになるのかなっていうのは
結構ずっと考えていて
それがさっきのところにつながってくるのかもしれないなと思った
超相対性理論の数字の奴隷とかの回で言われてたことにもつながったり
数値化されてるとそれを増やすか減らないように努力するっていう
なんかドライバーがかかっちゃうみたいなのあんのかな
ある気がするね
だから人間が感じる価値ってそんなになんか数値化簡単に数値化できるようなもんじゃないと思うんだよね本来は
それをなんか便利にするために数値化したことによって何か逆に見えなくなってるものがあるような気がする
本来は他にも測りたいものっていうのがあるんだけどそれは他の人と簡単にシェアできないという数値化できなくて
お金だけでそれをやり取りしてしまって
さっきなんだっけ今まではあのみんな何を求めているのかが分かりやすかったその3種の神器みたいのがあって
わりと分かりやすかったみたいな話があったと思うんだけど
これから多分やっぱそんなに単純な話ではないから
その本当お金っていう色眼鏡を外して本当の価値が見えるというか
それを見つけられるっていうことが結構重要な能力になってくるような気がするので
お金以外の価値
そういうのをやっぱり身につけていけたらいいかなと思うね
それが見えるようになりたいなとも思ってるし
ウェルビーイングの回とちょっと無理やりかもしれないけどつなげると
自己実現のレベルに達するとさ
もはや数値化するのが難しいみたいな話があったような気がするんだよね
人と比べられないとか
そのレイヤーに入ってきてる人に対して価値を提供するっていった時に
お金では測れないものっていうのがいっぱいより出てくるのかなと思って
多少なんかないと釣り合いが合わないっていうことになるかもしれないから
お金も便宜的には渡したりとかさ
ちょっと親切に価値を提供してくれたものに対してのお礼として出すかもしれないけど
まあなんかアイコンというかお金はあくまでただの仕草であって
本来は別のものをやり取りしてるみたいなことが起こるってこと
なんかすごい抽象的な話だけど
まさにこのラジオがそうなんじゃないかと思ってて
そのこれ別にお金のやり取り何も発生してないじゃない
発生してないけどなんかやってるのは
そこに価値を感じているからだと思うんだよね
だからそういう
でもそうだな
そこに価値は間違いなくあると思ってるんだけど
もう一個の価値というかお金以外にやり取りできるものって時間があると思ってて
ある意味このラジオをするっていうことを例に挙げるとするならば
交換はしてないけど時間を一緒に使うことで
時間とお金の関係
支払いじゃないけどなんかこう交換をしてるってことにもなるのかなと思った
お金はやり取りはしてないんだけど
結局お金もさ時間なんじゃないかなっていう
時間を代替してるってこと
時間を何だろう別の形にしたものがお金
なんかでもさこれ結構危ないような気もして
やっぱりした途端にさ落としてる部分があるじゃん
でそうするとあなたの時間っていうのが時給がついてきて
それで全部判断し始めると
じゃああなたの生きてる時間かける時給であなたの価値いくらみたいな
お金で測れるようになっちゃう人の値段を
でもそれっていっぱい見落としてるよねっていう
だから今の資本主義ってさそういう感じじゃない
あなたの時間を時給いくらで買いますから働いてくださいみたいな
そういうのが今までだったんだけど
そうじゃない価値っていうのを見出していくところに
これからの何かがあるのではないかっていうことかな
逆にこれをさ今やってるラジオをお金払ってたらさおかしいよね
例えば俺がラジオをやりたいからつって
一緒にやる相方を探していて
ちょうど小学校の同級生のしおくんっていうのがいて
じゃあこいつをリクルートしてこようと思って
じゃあ時給いくらでやってくれって言われたら
それはなんか変だよね
ヤだよねそれ
ヤだねトランザクショナルな感じ
手続き的な感じ化するんだよね
何が違うんだろうね
やっぱお金で測れないものをやり取りしてるんだろうね
だから他の人にもできたらいいってことかな
インターネットの向こう側にいる僕らが理解できる人たちに対して
何か時間を提供してお金じゃない何かをするとか
一緒にするってことができたら
同じような価値を提供して
僕らから見えないリスナーの
だからそうだな
このもしラジオを聞いてくれるっていうのも
時間を費やしてくれてるわけだから
それはお金をもらってるみたいな感じになるのかな
お金はもらってないんだけど
時間を費やしてもらってるからね
時間を費やしてもらってるわけで
YouTubeとかって
ユーザーが動画を見てる時間をお金に変換してるじゃない
アテンションエコノミーとか言うから
いかに人のアテンションとか時間を奪うかみたいな
そういう戦いをしてるもん
だからより本質に近づいてる
お金を払うんじゃなくて時間を払うっていうの
ユーザーが動画を見ることによって
お金じゃなくて
自分の時間という資産を支払っていると
そこをうまくお金に
広告ビジネスっていうのを使って
そこをうまくお金に変換している
ところがYouTubeとかそういうビジネスの
すごいところなのかな
お金と価値についての探求
ちょっと今思った
それだと資本主義のシステムに巻き取られてる感じするよね
なんかちょっと迷走してるな難しいな
ちょっともう一回戻るか
お金ってなんだとかお金とは
価値とはって話になったね
時間なのではないかみたいな話も出たし
34:47

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