1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. 損の意識は健全か~講金に見る..
2025-04-29 31:28

損の意識は健全か~講金に見る関係性~リーダーは必須か

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「見せられて初めて損した気分になる」ことの例としてシュウの頭に浮かんだのが

ミヒャエル・エンデのモモっていう本で、しょーまさんもザックリご存じとのこと

シュウはそれを例にして話し始めて…


収録日:4月15日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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サマリー

このエピソードでは、時間や損失の意識が考察され、シュウさんとショウさんが対話を通じてリーダーシップや人間関係の重要性に触れています。また、抗銀の仕組みや評価軸としての比較についても論じられています。リーダーシップの必要性とコミュニティの役割についても考察されており、個者間の関係性や信頼と信用の違いにも言及されています。

時間と損失の概念
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、適当に好きなことを話しながら、未だ知らないことは言い詰まり、
未知の理を探していく道のりを描く番組です。下手をしたら、二人の持ちっぷりを探すだけの気のままな旅、ゆるーくお付き合い頂けたら嬉しいです。
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、適当に好きなことを話しながら、未だ知らないことは言い詰まり、ゆるーくお付き合い頂けたら嬉しいです。下手をしたら、二人の持ちっぷりを探していく道のりです。下手をしたら、未だ知らないことは言い詰まり、ゆるーくお付き合い頂けたら嬉しいです。
ザークリなんですけど、モモっていう主人公だったり、モモと一緒の街に暮らしてる気のいい仲間たちみたいな人たちがいるんですけど、その街に灰色の男たちみたいなキャラクターが出てきて、あなたたちは時間を損してますよみたいなことを言って、
あれ?違ったかな?時間王だったと思うんですけど。
うん。なんか時泥棒とかいう、そういう人がいるんですよね。
時間泥棒みたいな。
時間泥棒。
そう、こういう風に時間を貯めていけば、どんどんどんどん時間を使えるようになって、みたいな。時間がお金の隠蔽だったりするのかなみたいにも僕は思ったりしてるけど、とにかくそんな風になるほどって思った人たちが、モモ以外はどんどんどんどんその灰色の男たちの言ってることに確かに損してたかも、みたいな感覚になって、
損しないようにと思って一生懸命時間を取り返そうとして動いたら、逆にどんどんどんどん、もう自分の自由な時間が全くないぐらい、ひたすら時間を追い求めないといけないっていう、それだけに思考を使うようになってしまった、みたいな話なんですよね。
だからそういう風な、何か損してるかもって思うこと自体が僕、あんまり、なんていうか、健全じゃない心の働きみたいに思っていて。
いや、まさにですね、最近それを感じてます。
ただ、何て言うんでしょうね、大輝くんともその話をしてたときに、大輝くんが、いやー僕は全然比較しちゃってますね、みたいな話をしていて、でも僕それ聞きながら、確かにでも僕も比較はしてるんだよなーと思って、比較しないと何も把握できないというか。
ただ、あなたこんなに損してますよって言われたときに、僕、ぶっ飛んでるから、アウトプットが先な社会をイメージしてるからではあるんですけど、そういう風に言われたら損してるっていう風にもちろん言えなくはないかもしれないですけどね、みたいな気分なんですよ。
そういう反応が出るなーって思ったのが、僕が比較してるのが、目の前に見えてないけど、さっきの会社内だったら同じ部署にいたりして目の前にいるけど、僕は目の前に見えてないけど、歴史上、あとはこの世界中のどこか他の場所も全部含めた地球上で、一番損な役回りの人と自分を比べてるんですよ、いつも。
だから、比較するのにも、不平っていう言葉は必ず上と比べてるから出る言葉だなって思ったんですよね。
そうですね。
だからそれを下と比較するみたいなことを常に意識しておいたら、損してるかもしれないみたいなついつい思ってしまいがちな不平みたいなのが出にくくなるのかなーみたいなことを思いましたーみたいなだけの話なんですけど。
抗銀の仕組み
まさに樽を知るみたいなところもだし、逆に、評価軸で言うから上下という表現はあくまでここで僕はしてますけど、本来的に上と下みたいな話はないにしても、ある評価軸とするとその方向性はあるので、
そういったところからすると、ある今評価しようとしている、比較しようとしている評価軸に対して下の方向性の側と比較した時には不満はやっぱり出ないだろうし、
そこで、逆に優越感みたいなものとかが生まれてきたりとかも人間はあったりするのかもしれないですけど、少なくとも不満みたいなのは出ない、出づらいですよね。
あとその孫徳で言ったら最近僕もちょうどそのノートにちょっと書いてて、最近なんかめっちゃモヤモヤして焦ってて、っていう流れでノート書いたんですけど、それが何なのかというので、
言ったらAIがこれだけかなり進化してきてるんで、なんか何かしなきゃみたいな漠然とした気持ちがある。それを突き詰めていった結果、まやかしだなというか、
これはこの原因は何かっていうのを考えていった時に、なんか自分の漠然と損したくないっていう感情だなみたいな、思って、結局そこから考えていった時に、損とか得とか、そもそも一律じゃねえなみたいな、
何を損に感じるか、何を得に感じるかみたいなのがそもそも一律じゃないから、だからそこの自分にとって得か損かみたいな、やっぱり自分軸を忘れちゃダメだなってざっくり言うとそんなことを思ったんですけど、
さっきの時間泥棒とかそこの桃の話からすると、結局他人軸を見せられてそっちに引っ張られちゃう、みたいなことさえなければいいのかなっていうふうな感じはちょっと思いましたね。
今の世界で言ったら結構お金みたいなものがすごく力を持っているので、漠然とその評価軸みたいなものに引っ張られるのは、まあ人間だなというところだと思うんですけど、そこを意識的にどれだけコントロールしていくか、
どれだけコントロールできるかなというところですかね。そこの中で言うと不平不満が出るかみたいなところは、そういう何かしらお金だけじゃないにしても、何かしらの評価軸で上の人と比べたときにどうしても出てしまう。
みたいなところで言うと、
やっぱりそこを
あの、
だと思うんですよね。
はい。
あの、ちょっと例を挙げると、さっきの僕の父が仲間うちでやってるようなのからいくと、あれって結局だいたいこうっていろんなシステムが。
それ収録では言ってないかも。言ってましたっけ?
こうすか?
こうの話ですか?
はい。
あれ、こうの話は。
収録開始前じゃないですか。
えーっと、え、そうですっけ?
はい。収録前の、その文脈から出て、あ、やべ、これあれですけど。
あ、こうの話はしてないか。
してないです。
ちょっとここで言っちゃってるかな。
え?
じゃあちょっと一回、後で見ましょうか。
え、なんですか。
こうの話してもいいですか?
あ、もちろんもちろん。はい。したほうがいいと思って。
ちょっとこの収録前に少しお話をしてて。
で、それをこう話したかのようなちょっと意識できちゃったので、一回そのこうの話をしますね。
こうの話をお願いします。はい。
で、えっと、この前ちょっと父が久々うちに来て、ちょっと話したときに、あの、抗銀っていう言葉を出したんですよ。飲んでるときに。
何それっていう話を聞いたら、ちょっと仲のいい仲間うちで何か集まって、毎月決まった金額出し合って飲み会をするらしいんですよ。
で、その飲み会でみんな楽しんで、で、余ったお金っていうのをポチェとかなんか入れて積み立てていく。
じゃあ次の人がお金を管理して、また毎月飲んで、それであの、余りのお金が積み上がっていくんですけど。
で、その積み上がって回っていったときにその飲み会のタイミングで、例えばちょっと来月厳しいけん良か?みたいな感じで。
良かっていうのはいいですか?っていう意味ですね。
良かっていうのは幕府元の方で。
で、その生活とかいろんな事情があって厳しい人に積み上がったお金が還元されると。
で、そしてまたそれが使われたらまた最初からみたいな感じなんですけど。
これだけなんですよ。で、実はその凍ってる仕組みはいろいろあって、例えばこういろいろ毎月みんなで積み立てて。
で、今回はあなた、次はあなたみたいな。
もうなんか一人一人がいきなりこう大金を手にできる順番が回ってくるみたいなタイプのものもあれば。
東北の方のかやぶき屋根を直すゆいみたいな。
あれもこの一種ですよね。
結局この五条制度みたいなところがあって。
で、これってすっげえ絶妙なバランスで成り立ってるなっていうところがあって。
あくまでその親父たちのシステムでいくと、結局今月俺やばいっけみたいな感じになった時にっていうのだけなので。
別にみんな絶対平等公平に、平等あるいは公平になり得ないんですよ。
でしょうね。
もう例えば生活がより厳しい人は余計もらう可能性もあるしっていうのもあるけど、そのシステムで成り立ってる。
これはそもそもやっぱ一つこうっていうのがみんな集まって楽しい飲み会っていうところに一つ目的がずれてるっていうところもあって。
それに付随する、付随してたまってるお金がその仲間うちで困ってるやつが助かればいいみたいな。
そんな感じなんですよね。
それっていうのはだから極端に偏る?偏る場合も全然あるでしょうし。
で、仮にみんな何人か欲しいっていう人が出たらじゃんけんらしいんですよ。
面白い。
だからなんかすっげーいいシステムだなと思って回ってるのは。
でもこれが回ってるゆえにっていうのは楽しみにちょっと意味がずれてるのもあるけど、やっぱ根本的にこの信頼関係とお互いやっぱ好きだみたいなところだと思うんですよね。
っていう間柄にはやっぱりこの誰が多くもらってるとか、その名の関係なくなっちゃう。
僕のところからするとやっぱそういう関係性だったらいいんですけど、つまりこういう関係性じゃないって言ったらどういうことかっていうと、やっぱその内と外に分断されてるというか、そもそも人々が他族とそれ以外だったり、
いろいろもうすでに分断してて、それは当然なんですけどね、密接な関係じゃないほど不満が絶対出やすくなるし、
そういう意味ではその密接な関係が全体に行き渡るっていうのがいわゆる分断がなくなっていくみたいなイメージかと思ってて、
最終的にそういう分断がないような状態がしゅうさんが言うところのアウトプットが先みたいなところに馴染む状況。
リーダーシップの重要性
だとするとやっぱ不平不満みたいなものが、その時に初めて何かしらの評価軸があっても、上下みたいなの関係なくなくなったりするのかもなみたいな感じはちょっと感じましたね。
そうですね、おっしゃる通り、そういう世界をイメージしてアウトプットが先って言い続けてるんですけど、その観点でいった時にさっきの柴刈で総理大臣が叩かれるみたいな構図から出てくる疑問またちょっと違う、違うかわかんないけど、
切り口で、疑問だけまず、本当は解像度荒いんですけど、出させてもらうと、さっきも序盤でも言ったのかな、そういう、あ、言ってないな、言ってないと思うんですけど、足並み揃える必要があるのかな、みたいなのの疑問の先に、足並みを揃えるっていう風になった時に、リーダーみたいな人が要は総理大臣っていう感じで出てくるわけじゃないですか。
そのリーダーっていうのは、人間社会に必ずいるものなのかなっていう疑問がちょっと湧いていって、もう動物社会にもあるから傾向は絶対あると思ってるんですよ。
そうですね。
猿の社会でもボス猿みたいなのがいるみたいに、そういうリーダーみたいな人が出て、その人が全体の方針決めるみたいなのは、社会的動物には生まれがちなんだろうなっていうのはわかる。
まずそこは理解できる。ただその人間はある程度メタ認知っていうのができるよなと思っていて、猿には多分できないように見える。少なくともそう見えるっていう意味では、人間にはそれをそういう傾向があるなって把握した上で、もしない方がいいなと思ったらない状態で回していけるのかなっていう疑問が今湧いていて、
ちょっとそれもその次の回のご出張ラジオでちょうど2、3日前に喋ったばっかなんですけど、一旦その、本当はもうちょっと解像度を上げていかないとあれなんですけど、その時点でしょうまさんどう思われます?みたいなのを投げてみたいんですけど、どうですかね。
いや僕もその世界線がいいなみたいなのはあって、ちょっと詳しく勉強してたり聞いてたりするわけじゃないんですけど、上水さん、上水裕樹さんが今公演って活動されてるんですけど、
あれっていうのが結局、聞く話によると、ちょっとずれてたらごめんなさいね、ちゃんと言わんとされてることを僕が受け取れてるかわかんないんですけど、僕の中でちょっとちらっと話を聞いてこんな感じなんじゃないかなって、あくまで想像として思ってるところで言うと、
主従関係がない集まりみたいな、コミュニティみたいなものを作りたいというふうな、なんでも僕はそこでコミュニティではないのだなと、だからバッと表現されてるんだなっていうふうに思ったりもしてるんですけど、
結局僕的には人が都当を組むと、どうしてもその中に相対関係が生まれると思うんですよ。
仮に主従関係という表現をしますけど、どっちが偉いとか、実際どっちが主でどっちが従だとかっていう話は、原来的にないんですけど、リーダーとかそういう話に乗った上で、そういった構造ができる傾向にあると。
そういう言い方をすると、何かしら集まって、何かの全体の目的があるときには組織的にやっぱりなるので、それをリードしたりだとか、何かしらその目的を達成するために力学が働くように。
そこに何かしら階層構造だったり、そういうものができてしまうだろうなと。僕の仮説ですね。ここが別に個人個人の目的で、集まりとしての目的は特にないと。
個人個人がそれぞれ目的が何かしらあって、その集まった場で、それぞれ相互関係がある中で自由にやる。そういう意味での集まりみたいなコミュニティ。
リーダーとかもいない。ただそれぞれの価値観とそれぞれの価値観の交換を行いながら、それぞれが好き勝手やるっていうような、そういうところが僕は過ごしやすいなと思ってて。
いわゆるそうなってくると、コミュニティと言わずそういう場なのかなみたいな。そういったものをイメージされてるんじゃなかろうかっていうのは、まじで僕の想像です勝手な。
僕だってことですか?イメージされてるんじゃなかろうかっていうのは。
イメージされてるんじゃなかろうかっていうのは一応上水さんの講演という活動。活動はそうじゃなかろうかって。僕もそういうのはいいなと思う。
なんか昔レンとかっていう、日本ではレンっていう、なんかそういういろんな人たちが集まって関わり合ってみたいな、そういうコミュニティのようなものがあったらしいんですけど。
つらなるって書くんですかね。
はい、つらなるって書いたり。なんかちょっとそういう自己有機的って言ったらなんか違うのかな。
ちょっとそれはちょっと余談でしたけどレンは。
全然全然。
まあそんな感じのイメージなのかな。で、そういったのがあると確かになって思った。そしたらそもそもコミュニティとかじゃなくて、結局なんかこういろんなコミュニティとかに依存してる方が、
コミュニティに依存というか、自立するっていうことは、いろんなところに依存してることだみたいな言葉があるんですけど、いろんな依存先がいっぱいあるっていうのが自立してること。
で、それから言うといろんなコミュニティに参加している、依存してるっていうところが一つ自立かなとも捉えられるんですけど、その依存先みたいなのがやっぱ今の話からいくと、やっぱ人、相手は。
だから結局そのコミュニティというよりもその中の人、人対人のベースで依存先、いい意味ですよ。その中依存って今使ってるんですけど、そういう信頼できる1対1の関係性の人がコミュニティとしての括りじゃなくて、人同士でこのコミュニティにそういう人が何人かいて、
だからコミュニティっていう括りはもう取っ払っていいと思うんですけど、その人と人、1対1の人と人とのこの繋がり自体が別に目的があるわけでもないから、コミュニティともはや言わないけども、繋がりのある一つの集合体みたいな。
そういうイメージでいくと、なんかそのディーダーみたいなものはなくても回るっていう風な印象は持ってて。
ただ、ただここ自体は多分価値観が合う人としか繋がれないと思うので、だからここの規模的にはそんなに大きくなるっていうのはちょっと険しい道。これ国が1枚岩でみんな繋がるみたいなのは想像にかなり苦しいので、
これがだんだんだんだんそういうのが自己組織化的に広がっていく。いろんなところで。みたいなので、なんかこういい関係性、いいまとまりみたいなものは可能性としては全然あるんじゃないかな。
人間が、そしてそういうメタ認知ができるっていう前提の上で、そういう一つ理解、理解はできるみたいなとこからいくと、すごく強い繋がりじゃなくても、
寛容に、寛容にこう、少しこう触れ合うことはできるんじゃなかろうかみたいな。なんかそんな感じのイメージはしてるところですね。
今の聞きながら思ったのが、条件的に気が合うことが条件だみたいな。文章おかしいですけど。
今のからいくと、今僕の中で価値観が合うみたいなところは、信頼に繋がるんですよね。あくまで今の僕の精神性からいったときに、価値観が合わないと多分信頼できない。
絶対合わないとというわけじゃないと思いますよ。合う比率も、ここは合わないみたいな方向性としては絶対あるし、その大枠のコアな部分の価値観みたいなところが合わないと信頼はできない。
ただ何かしらそういう部分じゃなくて、なんでそこで一つのメタ認知みたいなところがあるので、価値観自体は合わんけども、この人はこういう価値観だ、自分とはこう違うっていうところでしっかりその人を理解できてれば、
信用はできる。あえて信頼と信用を分けましたけど。
あ、マジですか。ごめんなさい。ちゃんと気づいてないかも。すみません。もう一回いいですか。信頼と信用の違いを。
信頼と信用の違いみたいなところを言うと、なんか難しいな、自分でしっかり言語化できない。
いやいや、これ一緒だね。すみません。
信頼は信じて頼れる、字のごとく。
なるほど。
で、信用は信じて持ち入れるって感じ。
なるほど。
なんか、何かしらの目的がある上で、そこが、それの達成がお互いの目的、合目的的であれば、信じれる。
信じて頼れるってところは少し違う意味合いがあるかなと。
だからそこの信用まで含めていくと、全く自分と価値観があって気のしれた仲間とかじゃなくても、ある程度そこの範囲っていうのは拡張できるかなというところはあるなっていう感じですかね。
なるほどな。ちょっと、正確には理解できてないかもしれないですけど、ふわーっと僕がいいなと思えるコミュニティとは呼ばなくて、バーですかね、バーの話だなって思ったんですけど、
そういうような小さいバーなりコミュニティがいっぱいできていったときに、仮にいっぱいできていったときに、そのスケールを?スケールを?ちょっと表現があれだな。
いいじゃないですか。スケールを大きくしていく。
大きくというか、そのバー同士を1個人同士っていうふうに見立てて、それを発想として広げられないかなっていうふわーっとしたことを思いながら聞いてたんですよ。
フラクタル的にですね。
信頼と信用の違い
そうです、フラクタル的に。そういうふうに広がっていくと、なんか、気が合う合わないみたいなものが、コミュニティ同士、バー同士みたいなので、ある程度合うコミュニティ同士の、
主従関係がないような引き合いというか。
次回へ続く。
31:28

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