1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. シュウはただ喋りたかった~老..

シュウがただしょーまさんと喋りたかった回の2回目

老眼きっかけでシュウはテキストを読むのが苦痛になってて

そこから著作権や権利の話になだれ込んでいきますw

AIがどんどん使われる社会で著作権は足枷にならないのか?…


*1 しょーまさんのnote:「いや」から始まる肯定の裏にあるもの( https://note.com/shihma44/n/n1ec3aa3285bb


収録日:5月8日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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シュウとショウの未知の理への道のり
シュウとショウの未知の理への道のり
この番組は文字通り、シュウとしょーまの気が向いた時に
適当に好きなことを話しながら
まだ知らないことはないことわり
つまり、つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、下手をしたら、二人の無知っぷりを晒すだけの気のままな旅
ゆるーゆるーくお付き合いいただけたら、うれしいです。
前回からの続き
わかります、わかります。
でもなんかはやっぱ似たようなことを感じてる感じがするな、僕も。
やっぱなんかテキストを書くのもそうですけど、僕、読むのがもうだいぶ今苦手になってて。
老眼きっかけなんですけど。
それに関連して、セラビがあの、シュウさんが興味ありそうなやつをお勧めしてたんですけど、
なんかこう、ちょっと一方的というか、だったので、お気になさらずっていうことを言っておいてくださいっていうことだったんで。
あー、なんか本。
本を紹介したみたいですけど、ちょっと読むのが結構つらそうというか。
そんな感じだったんで、全然気にお気になさらずってことを伝えてくださいって。
思い出しました、僕がその返事で。一応それお勧めされたし、興味も、実際興味もあるんですよ、読みたいなと思うんですよ。
思うから、図書館で予約できたから予約したんですよ。
したけど、読み切る自信がないんですよ。
だからした、ありがたかったし、ありがとうございますって言いたかったし、だから予約しましたってことまで伝えたんだけど、でも読める自信がないっていうところまでお伝えしちゃったんですよね。
だから多分そういう感じで気にされたんだと思うんですけど、ただそれに続けて僕が書いたのが、そういう本もポッドキャストで自由に配信されるようになるといいのになーみたいなのをカッコ笑みたいにして書いたんですよね。
著作権について
だからこれはさっきしょーまさんがおっしゃってたようなもの、アプリみたいな話じゃなくて、もろに著作権に対して何とかならんかなみたいな感覚なんですけど。
著作権ですね。根本的に著作権みたいなのは本当はないと思うんですけどね。
もういいですか?その系の話に入っていっちゃって。
僕でもずっと本当は喋りたいんですけど、やっぱり何かしら怖いというか、過剰に反応する人たちが怖くて、だからすごい探り探り喋るにはなるけど、
これを聞きに来られる方は大丈夫じゃないですか。あくまで著作権というもので何かしら作り上げた人たちの権利自身を決してないがしろにしたいとかそういうふうに思ってるわけじゃないということを前提にさせてもらうというところで、
そうですね。
自由にその著作権についてちょっとあの適当に話してみようっていうスタンスでいいんじゃないですかね。
そういう前置きをご理解いただける方だけ聞き続けていただきたいなっていう感じですけど、
今しょーまさんが途中でおっしゃったみたいに、本来はないっていう意味で言うと、僕全ての権利も別に本当はないと思ってる。
そうですね。
人が作ったし、守りたいねってみんなで今合意が取れているっていう状況がないって言いたいわけじゃなくて、本来的に宇宙に最初からあるもんではないっていう意味。
ありがとうございます。僕のだとかなり語弊を招きそうですもんね。
いやいやいやいやいや。そこはそういう感覚なんじゃないかなと思ったから、僕も常々そういうことばっかり考えながら生きてる人間なんで。
そうですね。この枠組みで、そもそも著作権みたいなところに関して言うと、やっぱり利得利益みたいなものが今人間が決めた中での資本主義っていう人間がこう作ったシステム。
人間が作ったって言ったらちょっとまた違うかもしれないですけど、人間社会の中のこの資本主義っていう中の前提であるものじゃないですか。
だから本来的にはそれがなければ別に存在しなくてもいいし、っていう意味もあるし。
だからまあシュウさんがさっきおっしゃってたようなことですけど、本質的には。
あとはその著作みたいな話から言うと、人間が生み出し得るものっていうのは人間が入力した中をこねくり回して出したものなので、
何か生み出した作品っていうのはどこまでオリジナルというのっていう話って結構難しいと思うんですよ。
そうですね。
だからそういう意味では、完全オリジナルかというと何か参考にしたって言うんだったら、
参考にした人の権利はみたいな話は延々続いていくし、今後AIが人間が作ったものを学習して生み出したものと、それを使ってまた人間が作ったものの権利がどこにあるのかとか、
そういう話になっていくと、というかもう資本主義に絡むような制作物みたいなものっていうのは結構かなりAIが入ってくると思うんで、
もう何かその辺も守られるものみたいな感じじゃなくなっていきそうな気もするなと思って、ぼんやりですね。
守られるものじゃなくなっていきそう。
守られるものじゃなくなっていきそうというか、
何て言ったらいいのかな。
何かしら作ったものを私が作りましたっていうものが今までその人の資本的利益を守るためにあるとすると、
AIがだいぶ介入してくるとそこはかなり資本的に低コストになっていくので、
AIと著作権の影響
それがどこまで入ってきてどこまでの配分がその人の権利になるかみたいな話になっていった時に、
というかその新しいものをどんどん生み出していこうっていう風にした時にAIとコラボレーションしないっていうのは多分ないと思うんですよね、今後。
そうなってきたらその著作権とかいちいち話を持ち出してたら、
多分そのAIと人間の競争で生まれてくるものみたいな今後のこの世界の発展みたいなところがかなり抑制されちゃうんじゃないかなっていう風に思ってますね。
確かに。
だからそこを活発にやっていこうぜっていうんだったらもうみんな著作権とかいいじゃんみたいな、乱暴に言うとそんな感じになったり、あるいはその産業的なところの話、
お金に代わる製作物みたいなところで言ったら、もうほとんどAIで賄えちゃうみたいな感じになっていってしまいそうだなっていうのも思ってて。
うん。なんだろうな。あとはその人間が作る製作物が、そうだな。なんかちょっと話まとまってないですけど。
全然全然。拡散でいきましょう。拡散というか自由な方向にいきましょう。
いろいろどこを起点に話したらいいんだろう。
いやーわかる。そういう話の起点がわかんなくなりますよね。
何の製作物にしてもこのAIが入ってきた時に生産性みたいなのが爆上がりして低コスト化していくと、
そもそも今そこで資本を稼ぐっていうところの余裕が多分なくなっていくんで。
低コスト化していくと余裕がある。
例えば今本も編集して出されている。本の話がさっきあったんで、本の話でいうとそれを編纂して書いて出して、今1000円から2000円みたいなのがある中、
ここの本みたいなのの中身の内容とかっていうのは自分の中でいろいろ創出したり、創出って言うか、
内省して練っていったりするんでしょうけど、仮にそこにAIと壁打ちしてだったり、
そういうのであくまで一例ですね。一例としてそういうふうな形でだいたい同等のレベルのものが何倍も早く短時間で負荷をかけずにできるとなったら、
結局その本のコスト自身が、そういう作品のコスト自身が落ちていくのかなと。
みんながみんなそういうふうに使っていったら、結局このコスト競争になっていくというか。
そういうふうになっていったら、
本の著作権というのがあって、本から得る収益をメインとして生計を立てるみたいな話にはならないかなと、
まあ今でもそうかもしれないんですけど、自分が生きていくために得ないといけない収入の割合として、
制作物の何かを生産する、制作して得るというところの収入の割合自身がかなり低くなっていくとするなら、そこに対する権利を主張する意義がそんなになくなってくるじゃないですか。
ああそういう意味ですね。
なんかそういうふうなニュアンスのことが言いたかった。
なるほどなるほど。確かにそんな感じしますね。
大きくというか、あまりそれをそんな雑な言い方でってなるかもしれないけど、要するにAIに仕事を奪われるのちっちゃい版というか。
制作物の人依存性
そうですね。
ベクトルの話でもあるのかなと思ったんですけど。
全部がそういうふうにはならないだろうなというのはあるんですけど、今は本の著作権の話になってたので、あくまで本を題材にしましたけど、現実問題は本は多分そういうふうにはならないかなとは思ってて。
例えば村上春樹さんが書いた小説を読みたいっていう人は、それは村上春樹さんを選んでいて、いくら村上春樹さんがAIを使ってようが使ってまいが、
それはもうなんというか、別にそこの価値っていうのはそこに依存しないじゃないですか。なんか生産性に依存するものでもないし。
だから、人として選んでもらう。制作物というか、クリエイトしたものを選んでもらうっていうのが、そこが人依存になっているようなものはまず関係ないと思うし、
本に関しては薄っぺらい内容なものとか、いろんな本の中の内容をまとめましたみたいなものとかは違うにせよ。
どのジャンルの制作物もその人が書いたものとその人が作ったものだから欲しいんだみたいなものは絶対存在していて、そこは相場崩れないと思うんですよね。
だからそういうのは至る所にあるし、どちらかというとそのAIをうまく使ってどんどん面白いものを作っていこうよっていう風なスタンスに立たないと、立たないとって言ったらおかしいのかな。
たぶん立った方が面白いし、立たないとそういう立場を取る国には置いていかれちゃうと思うんですよね。
国というかそういう立場を取る人たちにはAIと一緒にコラボレーションしてっていう風な立場に立てない。これ言い換えると著作権みたいなところをかなり主張しすぎるとそこってうまく回らないと思うんですよ。
結局もういいじゃんみたいな。どんどんAIも成長するようにどんどんいろんなデータ食わせてもいいし、そのAIが出したやつもどんどん使ってまたそれから人間がインスピレーションを受けてどんどんいろいろ作っちゃえよみたいな。
そういう著作権フリーみたいな極端に言うと、そういう世界の方がそこのまた科学反応みたいなものはより進むと思うんですよね。
だからそういうのを抑止してしまいそうだなっていう方が大きいですね。その著作権みたいなのにこだわりすぎると。
AIと仕事の未来に対する不安感
僕の今聞いて感じる感覚で言うと、AIが絡んではいるからそれを雑にまたまとめすぎっていう感じになるかもしれないけど、
要は今の流れのインプットが先な流れでは、結局スピードを制限するっていう方が目立ってくるよっていう話に感じちゃうんですよね。
僕自身がスピードっていう単語を使っちゃうと、スピードが速くないといけないみたいなのにも危機感を感じるタイプだから一概に言えないんですけど、
さっきも途中で話の流れでちょっと出させてもらったAIに仕事を奪われるっていう文脈も、僕めちゃくちゃピンとこなくて。
っていうのはその仕事、この資本主義社会のインプットが先の流れの中での仕事っていうのが、どういうふうになんでないといけないかっていうのをちゃんと考えた上で感じてる人がいるのかわからない感じが僕あって。
何のために仕事がないといけないっていうふうに思っているのかっていう話が置き去りになった状態でその不安感が先に前面に出されてる感じがしていて。
そもそも仕事がないならそれでいいじゃんっていうふうな話ですもんね。
奪われるみたいな話からすると今稼いでいるものがなくなるっていうふうなのに短絡的に考えているようなところだと思うんですけど、
結局何かしらこの資本主義の中でやっていくという中でそのAIができる仕事はAIに任せればいいだけで、人間しかできない仕事って常に存在するからですね。
そっちの仕事をまたやるようになるだけだからなくなるっていうふうな話はまずないと僕も思うし、今の資本主義の中でのこのスケールの話をすればですね。
人間じゃないとできない仕事みたいなのがはっきり具体的にわからないし、そこで提示される仕事が自分ができるか自信がないというか予想が全然つかないじゃないですか。
そこで提示されるような仕事が苦手だとか今まで訓練してきてないっていう感じだったらやっぱりそこ不安になるんだろうなというふうには思うんですけど。
今の表現ですら、やっぱり仕事は絶対いるっていう文脈での今の話もまだそうですよね。
限界費用ゼロ社会の可能性
もう一つ言うと、AIとかが進んでいってもほとんどできるようになってきて、結局その限界費用ゼロ社会っていうような。
限界費用?
限界費用っていうのが、結局何か生み出すのにコストがかからない世界っていうようなイメージですね。ざっくり言うと。
農産物を作りましょうっていうのを全部ロボットがやるわけですよ。生産計画とかも全部AIが決めて、水とかで生産して、輸送とか販売とかも全部やって。
っていう風なのに、もう全部やってくれれば人間食べるだけでいいじゃないですか。だから仕事はいらないわけですよ。
そうなったらそれこそ仕事をやる意義って人間が仕事をやらないといけないのかって、なくても、ただでご飯食べれるんでしょっていう話になったら、もう全然その仕事の意味みたいなのはないですよね。絶対仕事がないといけないかという。
生きるっていうことができる。それがどうやって成り立つかっていうと、コストがかからないってあるかっていう風なところで行った時に、それが結局全部自然エネルギー。
太陽光エネルギーとかで発電したエネルギーをもとに全部やってて、それで例えばドローンとかいろいろロボットとか地震が壊れたところは、
自分で修復とかも全部そこでサイクルが完結しているというか。それはだから言ってしまえば太陽エネルギーが無限にあるっていう前提の話ですけど、
だからインプットが無限だから結局そこをうまく使って全部循環させることができれば、結局人間の労力っていうのはいらないわけで。
だから究極的には限界費用がゼロの社会みたいなのはテクノロジー的には可能性としてはあるわけですよね。だからそういったところまで話を広げて考えると、さっき言ったシュウさんがおっしゃってた仕事みたいなのを本当にやる必要があるのかみたいな話のところにつながるかなと思ったんですけど、
シュウさんは多分ちょっと違った視点を持たれてると思うんですけどね。
権利と仕事のこだわりに対する疑い
まあまあ違うというかそれも含みつつ、それがあろうとなかろうとぐらいな感覚というか。
だからその今の話の方向で言うとその未来にそういうのが来るかもしれないからっていうふうにも言えるし、最初の出だしのところで言うと、もともと権利っていうものがあったもんじゃなくて最初はないところから始まってるよっていうぐらいのちょっとざっくり言い過ぎてるけど。
いやもうそれぐらいざっくりの方が、まあここの間ではだいたい伝わってると思うんで。
そういう感覚の話かもしれないですね。
だから本当はなかったものだし、今後もずっと守り続けないといけないかわからないその権利にしてもその仕事っていうものがなくなるっていうことに対するこだわりにしても、
もともとそんなにそれってそこまでいるもんなんだっけって疑う視点みたいなのがあんまり世間にはあるように見えなくて、疑ってみちゃってるっていう感じ。
見えないですからね、今の状況でしか見えないので、パッと今の仕事がなくなったらっていうイメージしかできないじゃないですか。そうなると今の生活レベルでそこの収入がなくなったらみたいなところに多分なっちゃうと思うんですけど、
実際その仕事がなくなるっていう風な話になったら、具体的にどうなるかっていうところは近い未来のところで言ったらやる仕事っていうのは多分出てくるだろうし、
そこじゃない方向性で考えた時にそこの仕事がなくなったから、じゃあ別にここの分はAIがやってくれるから、
そのままもともとここで得られてた利益というかここにかかってた経費はそのまま経費として生活している人たちに別に仕事が楽になっただけでどうぞお支払いしますみたいな話だったら別に困らないというか、
そういう風なのはなかなかないと思うんですけど、考え方の一つとしては本当にその仕事が必要なのかっていうのと、その辺から考えるとそういったところの想像とかもする前からちょっとビビりすぎじゃないかっていう話ですよね。
ビビりはね、ビビりを否定しちゃうと僕何も残らないんであれなんすけど。
ちょっと僕今ビビりって言葉使ったの間違ったなと思って。
いやいやごめんなさい、言葉ってね難しいというか。
次回予告
次回へ続く。
29:10

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