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シュウとショウの未知の理への道のり
この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に
適当に好きなことを話しながら、まだ知らないことはないことわり
つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、下手をしたら、二人の文字通りの道のりを探すだけの気のままな旅
ゆるーくお付き合いいただけたら、嬉しいです。
こんばんは。
聞こえます?
あ、聞こえまーす。
あ、よかったです。
いやー、嬉しいです。
嬉しいですね。
久しぶりですね。
この前は急にされてましたね。緊急配信。
ギリギリ間に合わなかったです。
あー、いやいや、全然全然。
なんかね、もうどう転んでも考えが今、まとまらないフェーズに来てて、
それこそ今回、回すために収録しましょうってショウさんがおっしゃってくれたみたいに、
もう、なんでしょうね、卵が先か鶏が先かみたいな感じ。
ぐるんぐるん回って。
なんか、そんな感じに行き着いちゃうところはありますよね。
今日もちょっと来客というか、それも森の彦映っていうグループを作った人で、
僕が自然な暮らしをするきっかけの大きな転機の一つになった人でもあるんですけど、
その人とも割と深い話をしたんですけど、
その人もなんか視野が広い人だから、
もう全部に意味なんてないよねっていうところまで行き着いちゃってて、
視点もどっち側から見るかだけだし、正解もないし、みたいなところまで話しても、
でもなんか自分のやりたいところをやるみたいなところに行き着いてはいるんですけど。
うん。
いや、分かります。
結局結構それを言ってしまうと、結局そこで止まってしまうというか、
ぐるぐるのままになるので、
なんかやっぱりそこからまだ詰めていかないといけない、
詰め続けないといけないなっていう風なのは思うんですけど。
なるほど。
ぐるぐるの同じところ回るんじゃなくて、中心に向かうようにぐるぐるしていくというか。
03:03
おー面白い。
ぐるぐるにしても円が収束していくというか、
それイメージですけど。
面白い。
結局新型オトナウイルスとかでも、
全部そうみたいな話になると、
もうこれ考えてもしょうがないなみたいなところになっちゃいますもんね、全部。
本当に。
本当にそれこそもう意味なんて何もないみたいに思えば、それまでですし。
やっぱり使いどころ、そういう意味ではその中小度の。
ちょっとこれあれですね、もう結構面白い話にすでに入りつつあるから。
録音しましょうか。
録音しましょうか。すみません面白いです。
ちょっとじゃあ最初のあたりから話していきます。
もうなんかどんな風な始まり方でもいいかなみたいな気分ではいるんですけど。
そうですね。
先の話戻すと、
しゅうさんが最近おっしゃるように、
ずっとすべてのことが2面性があって、
結局このにわとり卵の話でぐるぐるぐるぐられちゃうっていうのは、
往々にしてそうだなっていう風に思ってて、
ただそこで、じゃあもう考えてもしょうがねえみたいになったら、
終わりなので。
終わり。
思考が止まっちゃうと終わりだと思うんですよ。
そこまで。
思考が止まっちゃうと僕は終わりだと思って、
やっぱり考え続ける、
キーピングが大事だと思うんですよ。
バランスにしても取り続けることと、
考え続けることと、
僕の中でなんかあるのが、
全然いろいろみんなみたいによく考えられるとか、
集中して考えられる人だとか思ってないし、
自分がいい人間だっても思ってないし、
それはいい人間ですよ。
いい人間ですよ。
自分がいい人間であるとかっていう風に思ってないですし、
バランスが取れてる人間だとも思ってはないんですけど、
言い換えると、
バランス、いろんなバランスを取り続けたいとは思ってるし、
いい人間、いいというか、
清潔でいたいとも思ってますし、
考え続けていたいと思ってるので、
そこの、
し続ける、
し続けたいっていうところが、
一つ大事なんじゃないかなっていう風には思ってるんですよね。
そして、かなり抽象的に考えると、
全部そう、みたいな話とか、
ニワトリ卵の話だったりになると思うんですけど、
仮に何か抽象度のすごく高い、
06:01
抽象度が高い、
あんまり高いっていう言い方は好きじゃないんですけど、
抽象度が高いっていうのが。
だから、抽象度って言ったらどうしても高いっていう表現の方が、
伝わりやすいんですけど、
できるだけ引いてみる。
できるだけ引きで引きで見るっていう風なことをやると、
どうしても全部つながってきて、
もう全部一緒じゃんみたいな風な感じになってきてしまう。
なので、具体的な行動を起こそうとすると、
なかなかそこに結びつかなくなると。
だから、そういう意味でも、
考えるときにはできるだけ引いて、
行動するときにはできるだけ近づくっていう風に、
ここもバランスかなと。
近づくか引くかの。
やっぱりそこに近づいていって、
具体的にしないと、
例えばいつも言うバランスを取り続けていることが大事っていうところが頭にあっても、
それを個別具体の何か事象に落とし込んで、
近づいて見ていって、
この場合はどうした方がいいっていうところまで落とし込まないと、
実践として何もできないし、
人間の存在自身というか、
いろんなことに意味がないみたいなことを言ってしまうと確かにそうなんですけど、
そんな状態で止まってしまったらもうなんか虚無感しかなくなっちゃうから、
だから自分の近くにある自分の周りの目の前のこと自身はやっぱりできるだけ近づいて、
解像度高い状態でやっぱり観察して、
具体的にどう動くべきかとかっていうのはやっぱり考えるべきだし、
そこの往復をずっとし続けることかなあとは何か一点思ったり、
その中でその往復をし続けることで、
抽象度というか引きで見たときの世界の見え方っていうのも多分変化していくと思うんですね。
それがだんだんと収束していったらいいなと、
なかなかそれが収束しないのかもしれないですけど、
ずっとぐるぐる回っているのがだんだんとその円が小さくなるようなイメージで、
考えても元に戻るよねと思いつつも、
行ったり来たりすることでそこの円っていうのがだんだん小さくなっていって、
何かしら自分の考えていることを望んでいる未来っていうのに近づいていけるんじゃないかなと。
みたいなふうにはざくっと思っているようなところはありますね。
ですね、感覚全く同じ。円を小さくするっていうのは新しくて面白いから、
09:03
すごい良いヒントをもらえたなと思ったんですけど、
今ね、本当に僕もさっき翔馬さんがおっしゃってくれた虚無感、
虚無感まではいかないんですけど、
今日も来客として来てくれた織野彦映ってグループの代表の人に喋ってたときに、
ちょっと迷子になり気味なんですよねっていうふうに話したんですよ、僕の感覚として。
で、迷子みたいになることあります?みたいなこと聞いたりしてたんですけど、
僕の場合、仕事をいわゆる普通の雇われを辞めたことで、
日々の実践っていうところ、抽象的な考えを巡らしていたときから具体的な行動っていうときに戻ってきたときに、
なんとなくあんまり戻ってくる場所がカチッとしてなさすぎて、
なんかフワフワしてる感覚にずっと今なりつつあるなと思ってたんですよね。
それをちょっと迷子まではいかないんですけど、なんかそんな感覚があって。
だから抽象のところにまた行くときにも、何を目安に抽象的に考えたらいいんだっけになるぐらいになっちゃってたんですよ。
だからなんか、もともとが仮に雇われている状態であったり、
本当に仮に決めているものだっていうふうに具体的には考えていなかったんですけど、
本当は全部仮のものっていうふうに言えなくもなかったなと思ったときに、
仮になんか自分で勝手に目標みたいなものを設定して動いたほうがいいかなみたいに思っているっていうところまで今来たんですよ。
で、今ちょうど社会にいろんな結構大きな課題がどんどん出てきてるじゃないですか。
ウクライナにしてもコロナにしても、地震がまたこの間大きいのがあったりとか、全部そうなんですけど、
そういうのに対して仮に自分はこういうふうな感覚でいようかな、
その卵が先、ニワトリが先みたいにどっちでも結果的にグルグルなるだけって思っているんだけど、
一個勝手に僕の目標的に置こうかなと思ったのが、
地球上にいるなるべく全ての人が生き延びつつ幸せでいるみたいなところを
勝手に仮に自分で置いてみようかなって思ったんですね。
それは理想論でもあるし、本当に実現可能かどうかは全然別として、
僕が勝手に超個人的に心地いいと感じるかどうかって考えたときに、
程度の問題ではあるけど、人が傷ついたり死んだりするっていうのが極力少ないほうがいいかなみたいなのを
勝手に自分で置いてみようかなって思ったんですね。
そういうのをもとに思考を進めようかなぐらいに、
12:00
ちょうど今日の夕方に来たぐらいのタイミングだったんですね。
すごく科学的というか、
本当ですか?
結局、科学もあっているかどうかわからないですけど、
自分に何かしら理論があって、その理論でその理論の中から
こういうことになるはずだという仮説を立てて、それを実際に検証して、
っていうのの繰り返しなわけじゃないですか。
そういう意味では、自分が今真理だと思っているものを
一応、自分の中ではそれを置いておく上で、仮に何かを決めて
っていう風にやらないと、次に取る行動っていうのが具体化できないし、
やっぱりその方向性でいいんじゃないかなと思うんですけどね。
もう一つ思ったのが、ちょっとビジネス寄りというかの話をすると、
結構そこの仮の目標みたいなのが、ビジョンミッションみたいな形で
段階的に作ると、またやりやすくなるのかなと。
なるほど。
これいろいろ定義があって、それぞれ人でどういう風に言われるかわからないんですけど、
ビジョンの方が多分、僕の中の捉えている感じとしては、
ビジョンは結構抽象度の高い、聞いてみたような状態での
ふわっとした言い回し、もう本当に一行ぐらいのビジョンのような感じ。
そういう意味では、ビジョンの方が多分、僕の中の捉えている感じとしては、
ビジョンは結構抽象度の高い、聞いてみたような状態での
ふわっとした言い回し、もう本当に一行ぐらいのどういう世界にするとか、
企業が掲げるやつで、ミッションがそこを目指すための
ある程度具体的な使命というか、やるべきことみたいな。
またそれから、それぞれ具体的にどの部署がどういうことで
それを実現するんだというので、全部具体化していく。
というか、システム的な考え方ではありますけど、
そこの段階的にそういうのを、だから人生理念ですよね。
秀さん、人生理念がそれに当たるのかなと思うんですけど、ビジョンみたいなのに。
それで、その時々でそのミッションというか、具体的に
どういうことをやっていくかというのは多分変わってもいいし、
多分ビジョンはあまりブレるものじゃないと思うんですけど、
具体的に何か仮置きするようにすると、
またこの発想が広がりやすかったりするかもなというのは
ちょっと少し思いました。
なるほど。あまりにもビジネスが苦手すぎて、
ビジョン、ミッション、バリューという単語にすら
抵抗感を覚える人間なんですけど。
おっしゃってること、はいわかりました。
15:01
そこも抽象的に捉えてもらって、
いわゆるしゅうさんの軸みたいなものを
しゅうさんなりに言語化した一番高いところに仮置きして、
もっとしゅうさんの直近の行動として
もうちょっと具体化したものをその下に割り付けるというか、
そのポッドキャストとかも多分そうですし、
そうやって個人個人のOSが自然と書き換わるように発信をして、
自己組織化的なことをやろうとしているわけじゃないですか。
その辺は多分という風な認識でいるんですけど。
ちょっと途中からわからなかったかも。
発信をして自己組織化的なことをやるっていうのが
自分を拡張する的なイメージでおっしゃってますかね。
拡張という意味合いとはちょっと違うと思うんですけど、
そうとも言えなくもないかもですが、
いやいや、しゅうまさんの意図がわかった方が。
僕この世界がちょっと前に言葉に出したような
自己適応型複雑系システムだったと思うんですよね。
それまだ全然わかってなくてごめんなさい。
いやいや、その自己適応型複雑系システムというのは、
この世界は全体的にシステムとしてあるんだけども、
その世界、環境がその中に入っている個別の
それぞれが自由勝手気ままに動く個別のものに影響を受けると。
だから言い換えれば人間ですね。
それぞれの人間が自由勝手に動いて、
その結果その環境に影響があると。
個々人のアウトプットが環境に影響を与える。
その環境はそれで変わるし、
さらにその環境から各個々人もまた影響を受けるという風に
そこが全部繋がっていて、
全体としてシステムになっていると思っていて。
その時に自己適応型というのが、
各個々人がそれぞれのOSに従って、
今目の前のことを適応的に、
今いる環境の条件下で自分の軸に沿って適応的に動くと。
こうした方がいいという。
それはそれぞれ自由勝手に。
そういうわけで。
それが自己適応的に進んでいくというのが、
人間のざっくりした振る舞いかなと。
そこが複雑すぎて、
結局読めないような状況だと思うんですけど。
しゅうさんがやろうとされているのは、
アウトプットが先ということで、
個人がOS。
そのOSが結構バグってると思うんですよね。
今の環境からのインプットを受けて、
個人のOSがバグりつつあるというか、
バグが入っているような状態。
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バイアスがかかっているというんですかね。
そんな状態になっていて、
そこのバイアスがかかってしまっていることで、
環境に歪みができてしまっているのかなと。
そこの個人のOSが至極、
必要十分な状態でクリーンナップされているというか、
そういうOSで個人が動けば、
そこから環境自身が変わっていく、
世界が変わっていくということがあり得るというのが、
しゅうさんとか深井さんがおっしゃられているようなことなんだろうな
というふうに思っていて、
個々人というのは、
今言ったシステムでは何か中央集権的なところが
制御しているわけではないんですよね。
個々人がそれぞれのあるOS、
何かの判断基準に従って自由に動いた結果、
環境が変わって環境からもフィードバックを受けて、
みたいな形で進むので、
しゅうさん自身がOSを磨いて、
そのOS自身を、こういうOSがあるぜっていうのを、
しゅうさんの周りの人にフォトキャストとか発信することで、
働きかけることで、
そのOSを感染させるじゃないですけど、
伝播させることで、
いろいろ社会全体に影響が戻っていく。
そこのまた社会から影響が来て、
またそれが広がったりだとか、
そういうふうに全部つながっていると思うので、
個人の行動が大事なんだっていうところと、
そこが個人個人は制御されているわけではなく、
自由に動いてシステム全体が変わるっていうところが、
自己組織化なんですよね。
決まっていない。
そういう風になるように制御されているんじゃなくて、
個人個人がある条件に従って自由に動いたはずなのに、
結果全体的に何か秩序だった動きが出来上がる。
で世界が変わるみたいなのが、
自己組織化みたいに言えるかなと思って、
これまでいろいろ話してきたことを総括じゃないですけど、
考えるとまさにそういうのを、
しゅうじさんがそのOSを身近なところから書き換えたらどうか、
みたいなのを伝えていってるっていう風に思ってるんですね。
なるほど。
なんでさっき言った具体的な、
しゅうじさんが目指すビジョン、
ビジョンっていう言い方をやめるとすると、
しゅうじさんの軸…
ごめんなさい。ありがとうございます。
言葉は大事なんだよ。
しゅうじさんの人生理念だったり、
軸だったりいうものに紐付いていく、
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具体的な活動として、
ポッドキャストだったり、
どういう風にやっていくとかっていうのを、
具体的に紐付けた形で仮に、
そこでまた目標があってもいいと思うんですけど、
そんな感じに考えると、
活動としてふわふわというか、
具体性が増しやすいのかなみたいなのを思ったという感じですね。
さすがですね。
すごく分かっていただいて、
すごく分かっていただけていることが嬉しいんですけど。
ただ、何でしょうね。
今聞きながら感じたことっていうので言うと、
もしかしたら僕はバグっていう風にあんまり思ってないかもしれないなと思ったんですね。
聞きながら。
そこに僕が思っていたことが、
今、しょうまさんの口から聞いたから湧き出てきたのかもしれないんですけど、
今まではバグってなかったけど、
バグが入ってきておかしくなってきたっていうよりは、
ただ人の数が増えるスピードが、
スピードって大きくなったって言わないですよね。
スピードが上がりすぎたか。
速くなりすぎた。
速くなりすぎたり、数自体も大きくなりすぎたっていうような可能性を思っていて、
今までにはそれがなくても勝手に病気で死にやすかったりとか、
そもそも上で死ぬ人も多かったりとか、
言うので、健在化しなかっただけで、
人間だけが快適に生きられる状況っていうのが、
今の地球の課題を作り出してるっていう意味で、
その視点での話なんですけど、
バグというよりは初めて現れてきた問題みたいに思っているかもしれないですね。
僕も表現がバグっていうのがちょっとあれだったんですけど、
バグって言ったのが、
今、人間としても世界としても好ましくない未来が見えつつあるような状態で、
そこを何とかするっていうところが一つの目的だとすると、
プログラム的に言ったらそこを達成することが主要なわけなんで、
そういう意味では今の方向性っていうのが一種のバグみたいなことになるので、
ちょっとバグっていう表現をしたんですけど、
ただ、今そういう引きの、もうちょっと引いた感じで、
しゅうさんがおっしゃられてた感じで言うなら、
僕も人間の動き自身はそれこそ自己適応型に進んできた結果であって、
別に何かしら予期せぬものが入ったっていうふうには思ってないんですよね。
それぞれそれはなるべくしてなったくらいには思ってて、
だからこそ人間がこの先、もし今こういう色々活動して、
自己適応的にしゅうさんは今しゅうさんの動きをしてるし、
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他の人たちも環境に対して動きをしてるんですけど、
それで環境と人間が共生していくような世界が来るのか、
果たして滅亡するのか、みたいなのは分からないんですけど、
いずれにしてもそれは来るべきして来るものなのかなっていうところもちょっと思ってて、
その先にもしかしたら人間みたいな生物が生まれて滅亡していくっていうのも、
そういうふうに僕的にはシステム的にも決まってしまってたみたいな感じのところまで、
もしかしたらそういうこともあり得るかもしれないなっていうところもちょっと思ってたりは。
あれ、ごめんなさい。ちょっと今分かってないかもしれない。
新種の生物みたいな話でした?今。ごめんなさい。
そうですね。新種の生物っていう話というか、
人間が知能レベル的に今ここの地球からいくと高いんですけど、
人間が生まれてきて、いろいろ技術発展させて、またどんどん進展させて、
それの結果環境が壊れてっていうのにもどうにか対応しようとして、
いろいろ適応的に人類が進むとしたときに、
結果それで環境と共生できるような未来になるのか、
またまた全滅してしまうような未来になるのかみたいなところは分からないですけど、
もしかするとそこの未来っていうのは先に結構システム的に考えたら決まってしまっているようなことすらちょっと思ってて、
どっちか分からないですけど、
それが環境を共生して人間がちゃんとうまくやっていけるっていう風な結末になるべくして人類は生まれてきたんだと思いたいですけど、
そうじゃない未来自身ももしかしたらあるのかもしれないっていうのはちょっと誤解を招く言い方かもしれないですけど思ったりしてて、
その時に結局人間がいなくなって、
毎回話したようなAIじゃないですけど、
AIにしてもいいんですけどまだ人間レベルで意識を持ったような生命じみたプログラムみたいなものはないですけど、
そういったものはそもそも数学とかも元々あったものを人間が発見しただけみたいな話もしたと思うんですけど、
だから今人間が作り出すものも人間が発見してそれが実際に生まれてくる、
人間がいたがゆえにそれが出てくるっていうことで、
実際この生命体的なものじゃなくて人間が生み出してそいつが人間がいない中でも何かしら営みを続けるっていうことももしかしたらあり得るかもしれないなと思ったりとか、
ちょっと話が発散しすぎちゃいましたけど、
どっからここまで来たんだっけな、
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バグっていう話ですね、だから何にしてもバグっていう風には捉えてなくて、
それがもしかしたら人間、人類が人類だからこそそういう風な結果になって、
その結果どうなるかっていうのは結構システム的に捉えた時に、
人類が自己適用的に動くからその先は決まってはいないんだけれども、
自己適用的だからこそここにランダム性があると思うんで、
ただそのそういう未来に行き着いてしまう可能性が何パターンかありそうだなという方が何か正しいというか言いたいことに近い気はしますけど、
そういう未来にたどり着いてしまうパターンが何パターンかある、そういう未来っていうのが、
人間が絶滅してその先に他の人間以外のものあるいは人間が生み出したものだけで世界が続いていったりする未来だったり、
もう世界自身が全部崩壊していく未来だったり、人間ができるだけ持続的に強制する未来だったりっていうところがあるにしても、
そこ自身がどうなるかっていうのは、さっきちょっと決まってるかもしれないみたいな言い方したんですけど、
そこは決まってるっていう感じじゃなくて、いかようにもなり得るけど、ストーリーみたいなものが何パターンかあったとして、
そこのどこの道に行くかっていうランダム性っていうのがやっぱり人それぞれの動き、人類全体の動きで多分変化していくんで、
そのどの方向になってもそれは人類の自然な生きた動き証というかだと思うので、
今までのこういう状況になっているのがバグみたいな風には思わないですっていうことが言いたかったんですけど、
発散しちゃいました。すみません。
いえいえ、全然全然。
今までも人類が人類べっくして動いてきた結果で、そうじゃない世界もあったでしょうけど、それじゃなくて今これが選ばれて、
結果的に都合が悪い状況だけども、それはバグというかその時々のランダム性とそれぞれ人の自己適応的に動いた、
それが集積した結果で自然にそうなったと。だからこそその自己適応的に動く母体っていうのがどんどん増えることで、
その世界は変わり得るっていうことだと思うんですよね。伝わりました?
30:03
うんうん、ちょっとストーリー、システムのっていう表現っていうところとストーリーのところだけちょっとまだわかってないかもしれないんですけど、
僕あんまり何をもってシステムって呼ぶのかっていうのがはっきりわかっていなかったりしますね。システム。
システムっていうのはどう説明したらいいかな、僕もシステムって言われてどう説明していいかっていうのがあるんですけど、
捉えているものとしては何かしらのインプットとアウトプットを持っているものがあって、
好きな単語が出てきました。ごめんなさい。
そういうインプットとアウトプットの要素を持っているものがつながりあった塊のことみたいに捉えてもらうといいのかなと、
割かしそういうふうに捉えてるんですけど、その塊全体でどういう振る舞いをするかっていうのはその中の個別要素のインプットアウトプットのつながりによると。
人間が生きていていろいろ作っているシステムとか、いろんな意味でのシステムもですけど、
仕組みとかっていう意味合いでも、制度とかっていう意味合いでも、ちょっとそれは難しくなりますけど、
できる限りカチッとした論理だけのシステムだとすると、機械とかですね、機械がどういうふうに動くとか、
そういう意味合いのシステムで、そういったのは再現性があるじゃないですか。
だからそこは個別要素全体的につないでいて、その一塊のシステムっていうのは中の個別要素のつながり方から、
システムとしては全体として見たそのシステムにこう入力インプットしたらこうアウトプット出てくるっていうのがわかるわけですよ。
システム的に見たときに結果がわかるわけですよね。
ただその最近今まで話題にしてきた自己適応型システム、複雑系システムっていうのは、
その中の要素が自己適応的に動くし、それぞれ絡み合ってて、インプットアウトプットももうカオスなんで複雑で、
そのシステム自身がどういう振る舞いをするかっていうのは読めないと。
なるほど。あれにもシステムっていう言葉が入ってたんですね。自己適応型複雑系システム。
自己適応型複雑系システム。
複雑系システム。
システムか。
だから世界を、僕ちょっとシステムとして捉えるのが結構好きで、これはちょっと多分自分のバイアスだと思うんですけど、
シンプルになるじゃないですか。システムとして捉えると。
そうなんですか。
例えば、例えばって言ってもいい例え話出てこないですけど、
1個1個が繋がりがあって、1個1個のインプットアウトプットの要素があった繋がりがあって、
部分部分見てるとなんやこっちゃわからないけど、これ全体丸めて塊として見たときに、
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その塊に対してこういう入力、インプットを入れたらこういうアウトプットが出てくるっていうのを論理的にまとめてしまえば、
すごく楽なんですよね。
熱力の話でも出てくるシステムっていうのが、システムとそれ以外が世界。システムと世界ってことで結局分けるんですよね。
注目する対象をシステムとしてしまって、それの中と外で議論する。
それをどういうレイヤーで切り取るかで色々見方を変えられるので、考えやすいというか。
何か境界を引くっていうのは、それとそれじゃないものってところのインプットアウトプットとか、
そういう形でシンプルに考えられるじゃないですか。
なるほど。それに対してのインプットだ、それに対してのアウトプットだって見えやすいってことですね。
そのシステムの中にも個別に小さいのがあって、その中で括ってシステムとして見てもいいわけですよね。
人間、個人個人もシステムで、全部システムがフラクタルになっているわけですよ。
そういうことか。
という風に捉えると、抽象化しやすいからかもしれないですね、好きなのが。
そうすると色々物事が捉えやすいので、僕はこの世界っていうのも結構システム的に捉えがちで。
なるほど。
だからそういう風な全体の一番大きいスケールのシステムとして考えた時に、
どう入力したらどうなるかっていうのはそれはもう分からないというか、
それ自体、さっき言った自己適用型複雑系システムみたいな形でいくと、
外からの入力とかっていうのもあり得ると思うんですけど、
注目すべきは中で、人間それぞれの個別の動きとそれぞれの入力、出力、インプットアウトプット、
それが人間の群として出来上がっている社会的な環境に対して影響を与えて、
その社会からまた人間それぞれもフィードバックを受けるっていうような、
そこでのシステムが何かしら振る舞いをどういう風に振る舞うっていうのがシステム的に決まってて、
ただ機械とかを制御するみたいに単純な話じゃなく、個々人がそれぞれの、そこにまたOSがあるので、
それが好き勝手に動いた結果、ということでランダム性がかなりあるし、
それが集積した結果、環境が変わり得る、社会が変わり得るから、
それがどういう社会に変わろうと、どういう結末を迎えようと、
それはシステム的に捉えた時に、人間が人間として生きる人間全体の流れなんだなっていうところで、
それはどの方向に行っても自然なことなんだなっていう風に言えるとは思うんですけど、
36:00
それが環境と共生できる未来に行ったらいいなっていう個々人のOSがあるので、
そのOSが広がるっていう行動してる方々がいらっしゃるから、
そういうのが広がっていって、そっちの人間的な方向性、自然な方向性、
一つの自然な方向性に行くと嬉しいですよねっていう風な感じで思っている。
いやー、すごい、すごいですね。分かりやすかったです。
本当ですか?解像度が高いですからね、しょうもさんも。
僕から見たらですけど。
ここらへんの考え方にある程度慣れてるのは、本当に僕の中では忘れもしない、
しゅうさんがアウトプットが先ってこの道のりでおっしゃられた瞬間ですよ。
僕もあの時は電気が走りましたもんね。
本当ですか?いやー、ただの偶然のような、ただ思いついたことをポンって言っちゃったみたいな記憶しかないんですけど。
アウトプットが先で中央集権的なバイアスを入れずに、
自己組織化的に広がっていくみたいな、あの辺の話を聞いたところで、
僕はあれを聞いてたから、自己適用型複雑系システムみたいな話を、文字を聞いたときに、
絶対こういうことだって今みたいな話を思いついたんですよ。
本当ですか?
だから、その自己適用型複雑系システムっていうものが実際どういうものかっていうのは違ってる可能性ありますよ。
本当に僕が、それのしゅうさんの話を聞いて、たまたまその単語を聞いて、
これだ!っていうふうに閃いたのが、今話してきたことで。
でも、ちょっと調べた形だとその自己適用型複雑系システムも、そんな変な捉え方してないなって感じなんで、
たぶん話はずれてないと思うんですけど、
本当に自己組織化とアウトプットが先と、自己適用型複雑系システムみたいなところの要素から、
結構自分の中でまとまったなっていうのはあって。
嬉しいな。
でも、万が一ものすごく白色な方が聞いていらっしゃったら、こういうことっていうのがあって、
そこ違うよとかあったら、万が一あったら教えてくださいって言っておきますね。
そうですね。
本当に適当なことしかやってないの。
全部思いつきなんだよ。
それで言ったら僕の方が相当そうなんで。
で、もう一個気になったのが、ストーリーっていう表現が出てきたところ。
まだ誤解してるかもしれないんですけど、
僕の感覚の話ちょっと先にしちゃったらいいんですけど、
僕はストーリーっていうのって、確か最初に聞いたのは室さんだったのかな。
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人間の脳みそっていうのは、ストーリー理解をしやすくできていると。
で、あ、そうだなっていうふうに僕も思っていて、
ついついストーリーで考えちゃうよねって思ってるんですけど、
実際にはストーリーなんてないんじゃないかっていうのが僕の感覚としてあって。
で、その話の中にストーリーが何パターンかあるとしたらっていう例えを、今しょうもさんがされてたから、
あんまり僕の感覚として最初からストーリーがあるっていうのが、
僕も持ってないししっくりもきてないから、どういう意味合いで言われてたかなと思って。
そういう意味合いからすると、ストーリーっていう言い方があんまり良くなかったかもしれないですが、
最終的な行き着く結果が無数にあると思ってるんですよ。
その一個一個がそのストーリーパターンっていうふうに言ってるだけですね。
だからストーリーっていうと物語性とか、そもそも起きた事象に対して人間が論理を後付けしたものだし、
後付けしないと人間は意味をつけたがる生き物なので、後付けしちゃうんですよね。
後付けしないとやってられないというか、精神が安定しない。
それもこの世は何か因果があるみたいなところを信じたいんですよ。
因果があることで何かやったらこうなるみたいなところがあって、
そういう論理が成り立てば結局未来が予測できるじゃないですか。
でも未来が予測できるっていうのはまやかしだと思うんですけど、論理が成り立てばある程度予測できる。
だからこそ科学的な範疇で言うと再現性のあるものを生み出してこれてて、
だからこそ人間がいろんなことをコントロールできるっていう誤解をしてるんだと思うんですけど、
そういうふうに人間は多分不安だから未来を予測したいし、再現性を取りたいんだと。
そこには絶対論理が必要だからどうしても論理を求めてしまう。
論理がないと納得できない生き物だなと思ってて。
さっきのはパターンがいっぱいあって、どれに行くか、それこそ個人がどう動くかで最終的にどうなったかっていう、
いろんなランダムなことの重なりだったりもするかもしれないですし、
衆産という存在が生まれてきたのも結局ランダムの一つじゃないですか。
そういった結果どうなるかっていうのはわかってないし、
ただ一つのパターン、最終的に行き着くパターンとして、
そういう未来自身ももしかしたらあるかもしれないなっていう意味合いで言ってたんですね。
今ちょっと話してましたけど、やっぱり人間って再現性とかっていうふうにコントロールをしたがるので、
そのコントロールをするっていうことはエントロピーの話につなげると、
42:04
結局エントロピーを減少させることなんですよね。
コントロールすることっていうのがそれと同義になるので、
人間は生きてるだけでエントロピーを減少させてしまう。
となるとエントロピーが全体で増大をするっていう考え方があって、
これもシステム的な考え方ですけど、
どこかでエントロピーの減少があったらどこかでそれ以上に増えないといけない。
だから人間がエントロピーを減少させれば減少させるほど、
何かをコントロールしようとすればするほど、
他でそれ以上にエントロピーが増大しないといけなくて、
そのエントロピーが増大するっていう歪みがいわゆる不確実性の増大っていうことになるので、
何かが崩壊したりだとかどうなるかわかんないとか、
そういったところがバタフライエフェクト的にどこかで起きてきても、
そりゃそうだよねみたいな感じの考え方ができるのかなっていうのがこの前の話で。
そのエントロピーの話があれなんですよね。
自分の中でもまだなかなか整理がつきづらい迷子になりそうになるきっかけでもあって、
生きているだけで人間っていうのはエントロピーを減少させるものなんだ。
それでバランスを取るっていうところがどんな風なのかっていうのがなかなかイメージしづらいっていうのが、
今の迷子のポイントなのかもしれないなと思ってるんですよね。
その緩やかにするだけであって、今は加速度的にエントロピーの減少っていうのを極端にやりすぎているから、
ちょっとマシにするっていう意味では最初からエントロピー増大し続けるっていう法則に抗う要素としてしか存在できないから、
総和としてエントロピーが増加する中で細々と生き続けさせてもらうぐらいしかできないのかなみたいな、
そういう風にしかちょっとイメージできなくて、
エントロピーを減少させて生きていくみたいなイメージの中でいうと、
人が摂取して食べていく野菜だったりとか生き物であったりとか、
そういうところと人間の数みたいなバランスでいったときに、
人間の数の方が多すぎるからそこを一番いいところに戻そうっていう話と、
下付けたがってる自分がいるなと思ったんですけど、
考えてみたら生命って全部エントロピー減少させてるんですよね。
だからそこが僕たぶん迷子なんですよ。
なんか生き物を食べて人間が生きていくみたいなときに、
程々にしようみたいなのを何を程々にしようっていうところが、
僕今あんまりイメージできないなみたいなのをちょっと聞きながら思っていて、
45:00
そうですね、程々の話は本当に難しいと思いますし、
人間以外の生物もエントロピーを減少させるっていう方向性と言いつつ、
ただその生きてるだけでいくと結局そこでバランス感情をとれてるので、
人間が本当だったらエントロピー増大していくけど、
エントロピーを減少させる、ずっと増大していくのを巻き戻して
ずっと生き続けてるっていうふうな形なので、
人間とか生物が生きてるそこ単体単体ではエントロピーはその部分で増大してて、
単体単体でも増大してる?
人間自身は、例えばこのエントロピーが人間がずっと増大し続けたら腐敗して死んじゃうと、
その動きは止められないんですけど、止められないというか止まらないんですけど、
なんで言い換えたんだ、食べ物を摂取するなりエネルギーを摂取して、
人間の中でのシステムとして増大したエントロピーを減少させるわけですよ、大差で。
だからそこは人間的にはそういうふうに生きてるだけで、
熱を排熱してるので、熱を排熱してるというか、
ざっくり言うと人間がただ生きてるだけで減少させてるっていうのは、
人間はその場でエントロピーの増大っていうのをやってるので、単体で。
だから人間が生きてるだけで減少してるってことには多分ならないと思うんですよね。
他の生物も含め。
人間が生きてるだけで減少してるっていうのは、
なんでもほっとくとエントロピーが増大しちゃうんですね。
自発的な変化がエントロピーが増大方向なんで、
だから生物は増大して崩壊に進むんだけども、
エネルギーを取り続けることによって巻き戻してるわけですよ。
ここがエントロピーを減少させてるんですね。
そういうことか。
だからずっとぐるぐる回してる熱気管なんですね。
だからそこの減少させた分っていうのは増えて、そこで増えてるので、
ただそれがずっとぐるぐる回ってるから今の状態保持できてて、
だからそこはもうバランスしてるんですよ、生きてるだけなら。
確かにな。
ただ生きてるだけなら生物も人間もバランスしてて、
ただ今この環境的なところとかに歪みが出てるのは、
ただ生きてるだけじゃなくて、
人間がその他の知能レベルが高くて、いろんな欲求があって、
その上でいろんなことを自分以外に、ただ生きてるだけじゃなくて、
コントロールしたいっていう他の余分なところをやりすぎてるがゆえに、
そこは人間が作り出してるところなので、
そこの影響が環境の方に来てるんですよね、そこの減少分が。
だと思うんですよね。
なるほど。
だから、生きてるだけで減少する存在って言ったのは、
人間が生物とかと生きてるだけではそういうふうじゃなくて、
48:00
人間が知的生命体としていろいろコントロールしようとして、
機術を発展させたりだとかして、
環境側に歪みがいっている部分ができてるから、
それは人間が増殖しすぎてるっていうのも、
それはいろんな欲望ゆえの話なので、
ちょっとそこのバランスは難しい話ですけど、
増えすぎたのかっていうのは、
生物としてそれは正しいのかどうかとか、
よく分からないですけど、
そういうふうに捉えていいんじゃないかなっていうふうに思いますね。
なるほどなるほど。
だいぶすっきりしました。ありがとうございます。
あんまり知りもしないくせに直感だけで生きてるもんで、
まとはずれな悩みにいつも陥るんですけど。
いやいや。
それにすごくめちゃくちゃ、
しょうもさんの知識に助けられてるっていう感じですね。
ありがとうございます。
僕もどこまで本来の学問として正しいか分かんないですけどね。
もちろんもちろん。
でも本が読めないからね、
しょうもさんみたいに優しく話してくれる人が、
どんだけありがたいかっていう話で。
ためになってるんであれば幸いです。
ほんとためになってますね。
そうですね。
だとしたらそういったところも含めて、
僕とか深井さんがっていうふうに同列に話してくださったのはめちゃくちゃありがたいんですけど、
そういう思想というか意識か、
こういうふうな意識を持って、
それでも一応幸せに生きれるっぽいですよみたいなところが安心できるのが、
一番僕の全員の中が迷ってなくなったとしても、
それだけ残りそうだなっていうところではあるんですけどね。
そうですね。
なんかOSというか、
その辺も使い方次第なんですよね。
使い方次第というか、
仏教とかもOSじゃないですか、言ってしまえば。
結局どういう捉え方、どういうふうに切り取るかで、
だから全てのこと意味なんてないみたいに思ってしまえば、
本当に楽になる時だってあるじゃないですか。
追い詰められてて、
こんな全てのこと意味なんてないんだって思えることで楽になる時だってあるし、
ただそういうふうに苦しい時、
いろんなことがあって苦しい時じゃなくて、
普通に生活している中で全てに意味がないみたいなところに全部考えてしまうと、
えーじゃあもうどうだっていいじゃんみたいな極感だったりっていうのは、
多分違うからポイントはポイントで、
そこの考え方みたいなのをどううまく自分が生きていくのにバランスよく適応させるか、
っていうところだとは思うんですよね。
使い方というか、それもバランスですけど難しいところですよね。
なんかいずれにしても何か一つのものにこれが絶対真理だみたいなものはやっぱり、
51:04
もうちょっとおかしなことになっちゃいそうだなっていうのは。
ただ自分が今一番信じれる軸みたいなのはありつつも、
どっかで疑いながら、
あとはいろんな可能性を踏まえた上で、
この見方っていうのをいろいろ変えて、
自分の生きる上で楽に生きれるだったり幸せに生きれるだったりっていうところを、
メンテナンスするというか、
自分なりにそういうのが大事になってくるのかなと思ったり。
そうですね。だから僕も最初にちょっと出させてもらったみたいに仮に置く課題として、
人が生き延びられるみたいな表現をしたっけな、
自分で言っといてちょっと忘れたんですけど、
でもそこに最近やっぱり人口問題っていう言い方でもそういう表現もありますよね、確かね。
ちゃんと調べ直してないから自信のなさげに言っちゃうんですけど。
僕もあんまり。
で、それをですね、要は環境問題?温暖化であったり、
そういったところの原因として人口問題がどれだけ絡んでるかみたいなところは知識のなさも手伝って、
分からないは分からないんですけど、
シンプルにやっぱり人間だけがもし増え続けたとしたら、
それは地球上の資源なり、
バランスなり。
地球の大きさも固定されてる以上は、
それでは持たなくなるっていうのは目に見えているから、
そこはいずれ何らかの形でぶつかるよねっていうふうに僕が思っているので、
ビビリだからあらかじめそれに対する自分なりの答えみたいなのを多分持ちたいと思ってるんだろうなって思い始めたんですよ。
持ちたいと思ってるけどなかなか持てなくって、
普通に個別の問題として命を自殺すればいいっていう話には当然ならないし、
自殺ほど極端な例じゃなかったとしても、
じゃあ延命治療をしない方がいいっていうふうに固定するっていうのもなんか違う気がするし、
どういうふうにそこでバランスをとっていいのかっていうのが、
今自分個人としてもなかなか答えが出づらいみたいに、
すっげー難しいなこの問題みたいに思っちゃっていて、
いや難しいがゆえにやっぱ、
あ、やばい忘れちゃった。
あらきさんがよくおっしゃられるネガティブケイパビリティってやつですよね。
が大事。流砲する力っていうふうによく訳されてるかなと思うんですけど、
流砲の意味もあるんでしたっけ?
54:01
流砲というかネガティブケイパビリティっていうのは結局結論を出さずにそこに行って、
耐えるみたいな意味合いで僕は捉えてますけど、
あ、そっか。ごめんなさい。耐えるの方だけ印象に残っちゃってて、流砲を忘れてました。
そこは答えが見つけられないって気持ち悪いじゃないですか。答えが。
それに耐えるっていう意味合いだと思うんですね。
なるほど。それは確かにちょっと一つありますね。
だからそれっていうのを決めつけないっていうのは多分大事だし、
さっきのぐるぐる回るにして、でもずっと考えることで円が小さくなっていくにしても、
結局気化学的に考えたときに、それっていうのはどこが中心なのみたいな話にいったときに、
どこまでも細かく見たら中心にたどり着くのなんて無限大というか極小なわけで、
結局答えみたいなものにたどり着けるものでもそもそもないような話だと思いますしね。
だからこそこのキーピングというか続けることが大事なんだろうなと。
なんかここでこうっていうのを決めるとか、こうやるとか、
2とかBとかそういう話じゃなくて、INGというか、
言い続けるとかし続けるとか、そういう風なやっぱり続けること。
常にそれをやり続ける、何かを捉えし続けるってことが、
一つ僕の中では、し続けるっていうのが何か一つ自分の中の答えのところはありますね。
最終的な何か分かんなくても生きてる間は考え続けるというか、行動し続ける。
そうですね。それぐらいしか。
それぐらいしかって言うとちょっと表現よくないかもしれないですけど。
ほんとそれしかできないですね。
答えを出すことを諦めるというわけじゃなくてですね。
もちろんもちろん。
すいません。聞いてもらって。
聞いてしまって。なんかちょっと喋ろうとされてた。
いやいやいや別にそんな大して具体的なのがこれだってあったわけじゃなくて、
すげえ迷いながら言おうとしてたから何言おうとしてたか今出てこないぐらいなんですけど。
そのOSとして僕がただアウトプットが先っていうことで一応出すアウトプットとして僕自身が今すでに出してるつもりですって言っているのが
意識を伝播させるじゃないですけど、アイディアとして出すだったり意識を人に伝えるみたいなところを言ってしまっているもので
それに対しては全く答えがないなみたいなところが居心地が悪いんでしょうね。それこそね。
でもそれに耐え続けていくっていうのがネガティブケイパビリティですね。
57:03
言いづらい。ネガティブケイパビリティ。
何話そうとしてたかな。
あーごめんなさいね。
いえいえ。何か思いつきで。
人間みんな怖いんですよね。
中山が今ビビリっていうことで動かれてますけど、人間本来みんなビビリなんですよ。
ビビリだから未来を予測したい。だからコントロールしたい。再現性があるようなものを求める。
で、何で未来が怖いかって言ったら、未来どうなるか分からない。自分が生きていけるか分からない世界だからだと思うんですよね。
で、何でそんな世界かって言うと、自分以外の人たちに全幅の信頼を受けてないからなんですね。同族だけど。
だと思うんですよ。
だから極端な話。もさんとも好きについての話をちょっとしてたんですけど、好きっていう感情について。
で、そこに絡めて言うと、結局今自分が一番信頼を置いてる、全幅の信頼を置いてる人、この人だけが自分を裏切らないっていうのも言い方おかしいかもしれないですけど、
全幅の信頼を置いてる人、僕だったら妻とかだったとして、今いる他の人たちが全員がそのレベルで信頼をできる世界だとすると、
多分コントロールしようなんて気持ちにならないと思うんですよね。世界を。
とか、そもそも好きとかっていう感情も出てこないような、そういう風な妄想をもさんとしてたんですけど。
ほー、なるほど。
まあそれは仮説ですね。
ほー、えー、難しい。え、でもそういう妄想もあったんですね?2人とも?
えー、今の妄想は僕からもさんの方に話してる。
ほー、えー。
そもそも好きって何かな?みたいな感じに問いが立ったんで、そこからなんで好きっていう感情があるかっていう僕の見解からすると、
貴族、誰か自分とトトを組んでくれる人っていうのとか、生命というか繁殖の意味合いもあるかもしれないですけど、
自分の絶対的な仲間を見つけたいって、それってすごく安心できることじゃないですか。
安心できない世界があるとすると。
だからそういう人を見つけるべく好きっていう感情があるかなと。
その差別化、他の人との差別化をする意味としては、そういうのがあるんじゃないかなと思ってて。
1:00:05
それを拡大解釈するとですよ。
好きっていうこと自身が、好きっていう感情がですね。
結構好き自身が広いんで、なんかちょっと小柄があってきちゃいますけど、
そもそも好意を寄せるっていうこと自身が、貴族意識、群れることを促すための副産物だとすると、
そうなると、みんながみんな心から信頼しあえてる世界だとすると、
別に未来がどうなってもみんな誰かが助けてくれる。
だったら怖くないはずなんですよ、生きることが。
だとすると、究極好きみたいな感情自身がもしかしたらなくなってしまう世界なのかもしれないし、
そういう状態こそが、そもそも資本主義だとか、エントロヴィニュースだとか、
そもそも資本主義だとか、エントロヴィニュースを減少させるような行動を人間がしていくっていうこと自身が、
なくなる世界なのかなって思ってて。
それはかなり究極の世界で、そういうことにはなり得ないと思ってるし、
なってほしいとも思わないんですけどね。
好きっていう感情がなくなればいいみたいにも思わないし、
それがあるがゆえ、それが人間だし、人間の愛すべきところだと思うので。
なんでちょっと話が少しそれましたが、
その意味合いからすると、何かあったときに助けてくれるっていう仲間みたいなのが増えると、
すごく安心できる世界。
そうなると何かを奪ったりだとか、ため込んだりだとか、
そういうふうな動きっていうのは、多分なくなる方向性になると思うし、
何か未来をコントロールしたいみたいな思いもなくて、
ただ生きて、自分それぞれの興味の赴くままに、
その日その日を楽しんで生きるみたいなことが自然とできるんじゃないかなと思って。
で、しゅうさんがやられていることで、そういう仲間みたいなのが増えていくと、
少なくともそのコミュニティの中では、そういった信頼関係があって、
考え方的にもエントロピーが減少が加速する方向じゃなくなっていくだろうし、
どれだけ自分以外の人を信用できるかっていうのが、
電波していくことが一つ大きなポイントなのかなっていうふうにちょっと少し思ってるっていう話でした。
面白い。僕今の聞きながら思い出してたことがあって、
擬態の話をしたじゃないですか。あれ未だに僕の中では結論はなくて、
1:03:06
まだやっぱりそのダーウィン進化論が正しいとしてっていう発想で常に毎回見ちゃうんですよね。
その過程、仮にそう考えたとしてっていうところの結論がまだ出てないもんで、ずっとその前提で見てるときに、
なんかその好きっていう感情がなぜあるのかっていう文脈で今しょうもさん話されたんですけど、
なぜっていう理由がはっきりしてしまうと、
そうですね。
それだから好きっていう感情が生まれたっていう、
誰かが設計したみたいになっちゃうから、
じゃあそれ誰っていう疑問がわかんなくなっちゃうんですよね。
だから最初から好きっていう感情があって、
その感情を持った人っていう種が生き延び続けているっていう偶然がそこにあるだけで、
その好きっていう感情を持っていることでこういう結果があるねっていうのがさっき言われてた好きがある理由みたいに、
逆側から見ちゃうんですよね、僕の場合。
僕はそこがあるのが、僕的にはそこをシステムとして捉えるんですよね。
人間があるこういうシステムとして存在していると、
人間の振る舞いを説明できるようなシステムが、
そのシステム自身が人間が生み出した概念ですし、
ただそういうふうな振る舞いをするっていうことが言えるようなあるシステム自身があると思ってるんですよ、まず。
発見するようなものとして、
そうです、発見するようなものとして、
作ったものじゃなくて、
そういう振る舞いは人間が発見するようなものとして存在して、
その存在するシステムっていうのが何でそうなったかっていうのがたまたまだと思ってるんですよ。
おー面白い、なるほど。
そういうシステムがたまたまあって、
そのシステムとしてそのたまたまできあがっているものが、
人間が論理を後付けすると、
より生存しやすいように作られているというか、
たまたまそういうふうに収束していくっていうことが、
より生命体として生きるように設計って言ったらちょっとあれですね、
そういうふうに形作られていく、
自己適用的にそれこそ形作られていくとするならば、
より群れてできる限り生きれるようにっていうふうになるように、
システム的に作られていくと。
そうなった時に、
そういうふうに促す時に、
1:06:02
情動、心の心拍数の胸の高鳴りだとか、
そういう情動が体の体感覚として現れて、
そこで副産物として好きっていうふうな、
感情なるものの感覚を人間が感じると。
その感覚に人間がただ好きっていうふうな名前を付けただけみたいな、
なんかそんなふうな感じで捉えてて、
そもそもそのシステム自身は、
体の感覚として、
捉えてて、
そもそもそのシステム自身は、
たまたまできあがった。
たまたまできあがったって言っても、
例えばエントロピーが増大していくっていう一つの理論があるとすると、
それに似たような感じで、
ヘルムホルツエネルギーとか、
この前ちょっと話しましたけど、
なんか言われてましたね。
エントロピーが増大する方向で言い換えると、
ヘルムホルツエネルギーは、
減少する方向性がその方向性なんですよね。
自発的な方向性。
ヘルムホルツエネルギー、
ヘルムホルツエネルギーって言わない方がいいかな。
自由エネルギーって言うんですけど、
その自由エネルギーが減少する方向というのが、
だから自発的な方向性になるんですよ。
熱力学的に。
自由エネルギーが減少する方向に、
脳の推論が進むという文脈を、
どこかでチラッと聞いたことがあるのとか、
脳のシステムが何かを推論するときに、
自由エネルギーができるだけ小さくなるように、
シナプスとかが改変されていくようなイメージですかね。
難しい。
ざっくりイメージを言うと、
自由エネルギーが減少する方向にいくことが、
この世界が自発的に動く方向性だとするなら、
人間がある程度、
生き続けるという方向性は、
人間が考えたりして、
生き続けたりする方向性というのが、
自由エネルギーが減少する方向性だと思うので、
それが自発的な動き、自然な流れだとすると、
システム的に、
そういうふうに人間が長く生きるようなシステムになっていっても、
おかしくないなというふうに捉えていて、
ちょっと途中からついていけなかったな。
自由エネルギーが減少する方向性で進んでいる中で、
人間が生存するのは自由エネルギーが減少する方向性で、
仮に僕がたまたまそこら辺は直感で、
1:09:01
人間が生き続けるということは、
自由エネルギーを減少するようにシステムが、
人間が出来上がっていることがそもそも自然の流れなので、
自発的に起きたことじゃないですか。
自発現象として捉えるなら、
それはエントロピーがそういう目線でいくと増大していて、
言い換えると自発現象として捉えるなら、
自由エネルギーが減少しているという形になるんですけど、
自由エネルギーは置いておいて、
人間自身が生き続ける生命体として生まれてきたというのは、
エントロピーがその現象を切り取って言うと、
そこではエントロピーが増大していることだと捉えると、
人間がこれまで人間のあるシステム、
人間を形作る、振る舞いを説明するようなシステムがあるとして、
たまたまあるとして、
それが形作られていくというのは、
エントロピーが増大する方向。
自然に勝手に形作られていくからこそ、
そこで出来上がっているものはたまたま出来上がっていると言うんですけど、
今人間が生き続けて、
これまで長い間生き続けている以上、
そこにより適合するように、
自然とシステムが変わっていっていると。
難しいな。
うまく説明できないですね。
何にせよシステム、
人間の振る舞いを説明するシステムがあるとしたら、
それはたまたま存在したもの。
それというのはエントロピーが増大する方向性だから、
自然にそうなったと言えると思うし、
それはたまたま存在すると。
たまたま存在して、
そういう風になってきたというところが、
どうも今の人間目線で、
いろんな発見だったり、
理論を持ち出して言うと、
人間がより生き続けるように、
そこが形作られているという風な、
論理の後付けと重なるよね、みたいな。
論理の後付けと重なる。
何にせよ、
人間の好きという感情が生まれているのだとか、
人間の振る舞い自身を説明するシステムがあったとして、
それがたまたま自然に作られてきた。
作られてきて今があるんだけれども、
そこに人間の論理で後付けすると、
ただ説明ができる。
だから、しゅうさんがおっしゃりたいことと、
ほとんど同意だと思うんですよね。
たまたまそれがあって、
ただ人間が後付けした論理が、
合っているように思えて納得感あるよね、みたいな、
1:12:02
感じだと思うんですよね。
なるほど、なんとなくそんな感じがしてきました。
ただその論理が後付けといえど、
そこのそういう考え方自身は、
結構心理の説明に近いところまで行ってるんじゃないかな、
というふうには思ってはいるんですけど、
たまたまなったっていう、
たまたまなったんですけど、
たまたまそういうふうになるような世の中だ、みたいな、
そういうふうになるような世界があるとして、
それこそエントロピーが増大しつつ、
それこそエントロピーが増大し続ける、
というのと同じくらいのレベルで、
たまたま人間の振る舞いが、
そういうふうになるようになってきたんだけど、
それはこういうことだ、
っていう論理の後付けをしてるけども、
その論理が別にあながち、
そういうふうな考えをしても、
間違いじゃないんじゃないの、
くらいの感じというか、
なんか難しいですね。
ごめんなさい、ちょっと難しかったですね。
でもなんとなくは、
一緒のことを言おうとしてるような気がしてはいて、
ちょっとだから、
それの確認の意味というわけじゃないですけど、
僕の表現でもう一回言っちゃってもいいですかね。
はいはい、もちろんもちろん。
正馬さんとの対談の中で、
僕が多分最初に話したときに、
ビリヤードの台の中で球が動くみたいなものっていう表現を、
何かの手術で使ったと思うんですけど、
そのときに何の比喩で使ったかは忘れちゃったんですけど、
全てに対して僕はそれが、
球に思い浮かぶんですよね。
それが分子の周りを電子が回ってるみたいなところのイメージから、
僕はそのビリヤードの球みたいだっていうふうに思っているところがあって、
なんか感情の話とかになると、
そこらへんとの折り合いがなかなか難しいんですけど、
僕も全てが球球だっていうふうに思ってるのは、
そういう分子の周りを電子が回ってるっていうものを、
それぞれの形は違うかもしれないけど、
そういうものがただぶつかったり結合したり、
何だかんだいろんなことをしつつ、
そういうビリヤードの球がカチカチぶつかって、
あちこちに飛び散るみたいな、
そういう偶然の連続の中で、
人間っていうのもできてきてて、
その中で人間の感情っていうものも生まれてきてるっていうふうな感覚でいったときに、
全てを後付けみたいにして考える、
ダーウィンの進化論みたいなところは、
その意味においてしっくりくるんですよね。
で、その翔馬さんの言われるシステムっていうものも、
最初はそういう分子の周りを電子が回ってるような、
小さいつぶつぶが集まった逆に、
偶然その形になったっていうものの一つをシステム、
っていうふうに表現されてるのかなと思っていて、
1:15:01
その意味で言うと、
そのシステムは今この状態だから発見できたっていう、
偶然現れたシステムで、
その話に当てはめることができるよねっていう、
意味での好きっていうものがあるのはこういうふうなものだからっていう表現も、
そのシステムの中ではできるよねっていう、
そんな感じですね。
言われてるってことですね。
じゃあ一致してるような気がします。
ありがとうございます。
システム自身が人間の概念なので、
ですよね。
だからそこ自身をシステム的に見たときに、
そういう説明ができる。
で、そういう説明ができることが、
こういうふうになってるっていう、
人間としての跡づけですけど、
そういうふうにたまたま、
この世界がそういうふうにたまたまなってるっていうふうなところが、
穴がきずれてもないんだろうなって思ってるっていう、
それこそエントロピーが増大、全体で増大し続けるっていうことも、
なんでそうなってるかわかんないんですけど、
たまたまそういうものがあって、
そういうふうになってるっていうふうに、
人間が跡づけをしてるんですけど、
それも穴がき間違いじゃないなと思ってて、
だからそういう意味で、
人間がシステム的に今みたいな状況になってるっていうのは、
たまたまそういうふうになってる。
けど、人間の思考の範疇の中で、
人間が考え出してきた概念とかで言ったら、
その範疇内で説明ができる。
人間が捉える話なので、
そういうふうに捉えててもいいんじゃねっていう感じですかね。
そういうふうにしか捉えられないよねっていう感じのほうが近いかもしれないですね。
そうですね。
でも、根本的にそこはこうだからこう、
理論ありきじゃなくて、
人間が考えた理論があって、
こうだからこうなんだっていうふうに、
人間が考えた理論があって、
人間が考えた理論があって、
こうだからこうなんだっていうふうな話ではなくて、
たまたまそういうものがこの世界にあって、
人間がそれを理論として発見できたみたいなイメージがやっぱり一番近いですよね。
ですね。
この道のりの中で出した、
最小単位にすでに愛があるんじゃないっていうのも、
同じような感覚で出てきたことですね。
本の中でその中性使用詞みたいなところにみたいなのが、
波動の法則って本でっていうのを聞いたってこともあるんですけど、
それ、ちゃんと僕読めてないし、
それを脇に置いたとしても、
自分でその文章の周りを電子が回るっていうさっきの話の中で、
今、もうすでにこういう形で現れてきてる現象、感情、
愛が感情なのかはわからないんですけど、
1:18:01
があるんだとしたら、
それを構成する最小単位に、
それがあるっていう言い方ができてしまうよねっていう、
意味で僕は言ってたような感じが、
今の言語家だとそういう感じになりますね。
いや、難しいっす。
あー、難しい。ちょっとごめんなさい。
あ、いいえ。
そのしょうもさんが言われてるシステムっていうものみたいに、
後から発見されるものとしての愛っていうのの大元は、
最初から分子というか、
分子の周りを電子が回っているような、
そういう疎流しなり、最小単位みたいなのが、
ぶつかり合ってできてきたものの中で現れている。
だから、もともとあったものっていうふうに言っちゃうよね、
みたいな見え方もしてるのかな。
あー、なるほど。概念的にそこで、
自分の文章の周りを電子が回っているような、
あー、なるほど。概念的にそこで、
もともとあったっていうふうな。
あの時には多分ね、直感的に感覚的に言っているっていう部分が、
の方が大きかったと思うんですけど、
時間がたってやっぱりそう言えちゃうんじゃないかな、
みたいなのを、今の話を聞いてても、
どっかで感じる部分があって、
今の表現で言うとしょうもさんが、
発見されるシステムみたいな言い方のものと同じような感覚で、
そこに今人が感じる愛とかそういうものも、
発見されるものとして、
今偶然できたものみたいに思っているところがありますね。
そうですね。
それとも僕が、この愛っていうものが、
僕の中では、
かなり抽象的な概念で、
人間の感情に紐づくようなレイヤーでしか捉えていなかったので、
しゅうさんがイメージしている、
愛なるものみたいなところのソリューションのところに、
その愛っていう言葉を用いるところが、
ちょっとピンとこない部分はあるんですけど、
ただそこの概念として、
概念としてしゅうさんが愛と呼ぶみたいなものが、
そこにもともとあるみたいなことは、
別に誰も否定もできないし、
肯定もできないというか、
それ全部の話ですけど、
あってもおかしくはなんともないというか。
何を愛と呼ぶかっていう話になっちゃうのかもしれないですね。
僕なんかエントロピー増大の法則ぐらいなものが、
愛っていうふうに思っちゃってるかもしれないですね。
多分そこの愛の抽象度が結構すごいことに、
たぶんしゅうさんなってるっていうのは前から思ってたので、
そこは全然まだ掴みきれないところであるんですよ。
1:21:04
すいません。
いやいや謝るとこじゃないですよ。
逆に言ったらなんでそれを愛と呼ぶのか、
そのソリューションみたいなところに感じてるものを、
エントロピーの増大とか自然な流れに、
愛という言葉をなぜ使われるのか、
そこが気になりますね。
ただ人間として生活してる中で、
いわゆる愛といったらみんながイメージするようなレベルでの、
レベルというかみんなが使うようなスケールとか範疇での、
愛っていう表現にもそこのアナロジーがあるというか、
似てる部分があって、
説明するのにその言葉が一番しゅうさん的に適切だなと思われたからってことなんだとは思うんですけど。
そうですね。その表現でも多分全然間違ってはいない気がしていて、
なんか愛っていう表現の中に僕は全てに分け隔てないみたいなイメージを持っているかもしれないですね。
なんかエコヒーキみたいなものを愛っていうふうに呼べないなみたいな感覚が僕はあって、
全てにそういう発想を拡張していった時に、
みんな同じ分子からできてるよねみたいな、
みんな仲間みたいなイメージの拡張をしていった時に、
全てが同じようなものからできてきているっていうところと、
愛っていう表現が僕の中では結びつきやすかったなと思いますね。
なるほど。
ちょっと分け隔てなくそこにあるものみたいなので、
結構なんとなく伝わるものがありました。
そういうことなんですね。
だから極端にというか、
今の社会では人類じゃない、人生の伴侶を見つけてみたいなところに愛っていう表現を使うので、
一点集中みたいなイメージがあるかもしれないんですけど、
それはそういう形での発露っていうふうに僕は思っていて、
愛がそういう分かりやすい形で一箇所に集中して発露したっていうふうに思っていて、
だからその人だけに対して向けて他の人に向けないよみたいなのも愛だよっていうふうになると、
急にあれ?なんか違くない?って思っちゃうっていうのが、
本当はあらゆる場所にあらゆる方向性に向けて愛っていうものが、
あるんだけれども、それが分かりやすい形でものすごく噛み合うようなパートナーっていう、
そういう現れ方をその瞬間はしたよねっていう感覚で僕は捉えているんですよね。
ほんとは常に常時どこにでもあるし、
そこが見えないんだとしたら愛っていうものを忘れてるみたいな表現になるのかなみたいな。
感覚で捉えていてそういうふうに言ってるかもしれないですね。
1:24:02
人類の伴侶っていうのをその瞬間はっていうのを僕が表現、
今言ったのは僕の今の状況と重ねて言ってるんですけど。
なるほど、面白いなあ。
もうだいぶあれっすね、
いやもう、この個体に依存しない考え方ですよね。
だいぶ引いてみてますよね。
だいぶ引いてますね。
だいぶ引いてもほんとになんというか、
シュウさんからはほんとにこう全部粒に見えてるような感じなんだなって。
いや、それ、そういう感じなのかもしれないって。
いや、そんな感じだと思いますよ、今のなんか話からすると。
そうなんですよね。
いろんなもの、すべてのこの疎粒子というかそういうものが。
だからね、下手したらもうめちゃくちゃ全部に対して
人を何だと思ってるんだってこう言われてもしょうがないというか
そういうふうに感じられるかもしれないみたいに
全部、なんか、そういう感じで。
はいはいはいはい、そういうことなんですね。
なるほどなぁ。
思っちゃってるんですけど、それをなんか
逆に僕は冷たいとかいうふうに思っていないんですよね。
うんうん、そこをニュートラルに見られてるからでしょ。
そう。
うんうんうん。
うんうんうん。
うんうんうん。
うんうんうん。
うんうんうん。
そう。
うん。
それを、なんか、絵としてそういうものに対して
ロボットみたい、みたいな感じで捉えられそうだなっていう
懸念をちょっと持ったりするんですけど
むしろそうじゃなくって、もともと宇宙に存在しているもの?
うん。
みたいなものが、規則的に動いていることだったりとか
そういうものの中にもともと
愛みたいな形になってしまうような法則の最初の
原動力があったっていうふうに僕は捉えているもので
うーん。
なんか、人間が違和感を感じるのは
人間が無理やり作り出したロボットみたいなもの?
うん。
人間が無理やり作り出した規則的なものみたいなものになってくると
冷たい感じがするっていう。
はいはいはい。
それこそ、規則的にものを並べるなんていうのも
エントロピーの存在からすると
対極の位置に
そうですね。
だから、僕の中では
そういう全員部が電子の粒みたいに言っちゃうと
冷たいって捉えられそうだなって思いながら
逆に僕は一番自然なことを言っているつもりで
喋ってはいるんですけど。
なるほどなー。
いやいやいや、分かりますよ。
本当にそこが
自我の核性とかっていうのと
重なりますよね。
あと、あれですよ。
それこそその仏教用語でいう
1:27:00
色即是空とか空即是色とかっていう言葉を
知ってますよ。
はー。空海さんのやつで
違うか。
空海さんが言ったのかな。
玄奘さん、空海さんどっちか忘れましたけど。
あれが言ったんかなー。
その四文字軸が2つありますけど
はいはいはい。
そこの意味合いとかが
まさにしゅうさんの感覚のような気がしますね。
あ、そういう感じ。
かなりしゅうさんは悟りに近づいているような
気がしますね。
いやいやいや。
全然違う気がする。
今ちょっと調べて
色即是空の意味が
この世の万物は形を持つが
その形は仮のもので
本質は空であり
不変のものではないという意味。
なるほど。
これが色即是空ですね。
はい。
空即是色っていうのもあるんですよ。
うん。
空即是色は
物の本性は空だけれども
空っていうことですね。
それがそのまま
この世の一切のものである
ということ
みたいな
意味で書かれているんですけど
その辺に
今のお話
聞いて
少しリンクしましたね。
マジですか。
僕の中ではやっぱり
それちょっと難しいですね。
僕のはあくまでも
なんていうんですかね
高校ぐらいまでに学んだ
理科の延長を
教えましただけ
みたいな感じで
言ってるんですけどね。
僕は色んなものが
繋がっていると思っているので
僕はあまり学問みたいな
分けて考える
風でもないので
色んな所で色んな繋がりが
あると思っていて
いわゆる
修さんがおっしゃった
愛っていうのは
僕的な言い方をすると
エネルギー
って僕だったら
多分言うと思うんですよね。
エネルギーがあって
そのエネルギーの
出方
修さんの言葉借りるなら
発露の仕方で
どういう出方するかで
愛にもなろうし
負のエネルギーにも
なろうし
その出方で色んな形には
なろうし
この世にあるものは
何もない
そういう意味で
エネルギーを常に
交換しあっているし
っていう風な感じ
イメージは持っているので
だから
修さんがおっしゃる
最小単位の愛みたいなのは
エネルギー
色んなスケールで
それこそ切り取り方で
見れますけど
最小単位があるとするなら
そこにある
エネルギー
1:30:01
そうですね
そういう言い方で
しっくりきますね
それからすると
物理とかそっちの
領域の話であるけども
そこら辺の
考え方っていうのは
さっきの仏教用語あたりにも
若干関連する部分で
あると思うんですよね
そうですか
これも思いつきですよ
これまで
来ている
色んなものが
勝手につながって
適当なことを言っているだけ
なので
ただそこら辺も結局
かなり
仏教ロジカルなので
そういう一つ科学的な知見からの
一つの考え方に
いっている
もしかしたら影響を与えているかもしれないし
それは分からないですけど
有意識みたいなのは
なんとなく
仏教とは別で
そういう風に捉える
というところはありますけどね
有意識とか
あらやしきとか
色々あそこら辺はまだ
勉強できていないので
よく分からないですけど
僕もコテンラジオで聞いた
レベルでの話ですよ
そっか
楽しかったし
面白いです
しょうもさんと話すのは
面白かったです
今日はだいたい
こんな感じで
終わりたいと思います
ありがとうございました
ありがとうございました