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シュウとショウの未知の理への道のり
この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に
適当に好きなことを話しながら、まだ知らないことはないことわり
つまり、道のりを探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、下手をしたら、二人の持ちっぷりを並べたり、持ちっぷりを探すだけの気のままな旅
ゆるーくお付き合いいただけたら、嬉しいです。
皆様、ご無沙汰しております。
シュウとショウの未知の理への道のり、ちょっと更新がされていなくて
間がだいぶ空いたんですけれども、だいぶ間が空いている間に年が明けてしまいました。
明けましておめでとうございます。
今年もゆるゆる、超不定期なので、こんな風に間が空いてしまうことも多々あると思いますけれども
シュウとショウの未知の理への道のり、気が向いた時には聞きに来ていただけると嬉しいなと思っております。
今年もよろしくお願いいたします。
ということでもうゆるゆる話し始めてしまいましょうという感じなんですけど
ショウマさんの方から今回ネタというか話したいことができたという感じでしたかね
あと面白いことも一つあるというふうにツイッターでおっしゃっていたのがちょっとワクワクしているところなんですけれども
面白いかどうかわかんないんですけど
ちょっと僕の個人ラジオのシュウの話すラジオの方でこの道のりの中では細かく話したことがないんですけれども
2021年末までで唯一の現金収入のアルバイトを辞めて完全に無職の状態に今入ってまして
それが僕の中ではこの道のりの中でも話をしたアウトプットが先っていう表現を一回したことがあると思うんですけれども
それを自分の生き方を通しても体現するというかそういうイメージを持った生き方自体を勝手に一人で始めてしまおうということで始めてまして
それをじゃあどういうふうに周りに伝播させていくというか
なんとなくそういう人たちで回る社会というのをイメージして僕が始めているもので
それに会議のような形で聞いてくれる方とか周りにいるしぐち塾の仲間たちに参加してもらうような感じで
03:03
ゲストを代わり番号に呼んでという形で今シュウの話すラジオで進めていまして
でも僕の言っていることがなかなかわかりにくいっていうようなことがよく聞かれるようになって
今もそういうテーマで話しているんですけれども
今回そこらへんについてもしょうまさんがこの道のりでも話したらいいんじゃないかというような話があっての今回収録という形になっています
はいそうですねなんかシュウさんの考えというのが結構こう抽象度が結構高い
抽象度
抽象度が高いのでそれを説明しづらい部分も多分あったりすると思うんですよね
完全にその一致するということはないとは思うんですけど
そういう話をしとく中でも一つ大きくポイントとしてあるのはこの地球環境みたいなところの話が結構大きなファクターとしてつながってくるのかなと
シュウさん的にはそこはあくまで一時側面でしかないと思うんですけど
そうですね
ただ大きいファクターなのかなっていうふうには多分皆さんも感じられているところで
そうなるとそこに対してのシュウさんなりのアクションというかが今のやられているようなことかなとは思っていて
ともすると僕も結構問題解決型の人間なので
どちらかというとそういう風な思考を取りがちなので
ある問題があってそれを解決するための活動はどういう風にすべきかというと
そういう意味では発想としてはデザイン的というかというところなんですよね
アートとデザインの話でいうとですね
補足すると今デザインという風に言っているのが何かしら目的ゴールがあって
それに向けて道のりを設計するという風な形をデザインというならそういう思考になりがちと
一方でアートっていうのはゴールが見えない状態で新たな道を開拓していくようなものかなっていう風に
ある意味で言えるのかなという風に思って
別にアート的なことをやらないという話ではないんですけど
サラリーマンを長いことしてますし
根本的に何か問題解決するとか何か問題を解くみたいなのが好きな方なので
そういうところから逆算しがちなところがあるんですよね
それからすると例えば何か問題があって
それを解決するという風なところから考えて
06:00
そういう視点に立つとそこを解決するのが目的なので
その清度っていうんですかね
それに達するための活動として清度とかそういうのも考えていくようなところがあるかなとは自分に思っていて
何か対例を挙げるとするなら
例えば地球温暖化に対して化石燃料できるだけ使わないとかっていう風な話はあると思いますけど
これが例えば周辺諸国がそれに向かって頑張っているのに
ある国が全然そこを無視してガンガン出すとかっていう風な話があった時に
他の国が頑張ってそれをやっている意味があるかとか
そういう風なことをちょっと考えたりもするんですよね
根本的にその活動自身が
例えば地球環境を守るための活動をすること自身はすごく大切なことで素晴らしいことだと思うんですよね
ただそれ自身を現実的に目的を見ているので
そこを一人一人がやってそれが本当に広まってそこに到達するっていうところの
じゃあその一人一人がちゃんと意識を持って広がるっていうところまでの未来が
描きづらいじゃないですか
そこを内発的にそれぞれが始めてくれたらなっていう思いはあるし
そういう広がりに期待する部分もあるんですけど
それが現実的にタイムリミットもある中で
そういうようなところがゴールに向かって
じゃあどういう風に広がってどの段階でここに間に合うように
それが叶うのかとかっていうところを考えるときに
その一人一人が思ってただ活動をするっていうところと
その目的自身が結びつかないというか
つながっているんですけど時間軸を考えたときに
そこに到達するまで間に合うのかっていう不安が常にあるのかなっていうのがあって
何か言いたいことを伝わってますかね
ある程度
その辺が気になるタッチなんですよね
僕がこれはあくまで
その一つ一つの活動自身が無駄だとも思わないし
ただ僕個人的なところからするとそこの活動も大事だけど
その目的を達成するためにどういう風にデザインするかっていうところ
09:08
目的を達成することが目的なのですね
ちょっと日本語変になってますけど
それをゼトするなら
言い方悪いですけど小さい部分じゃなくて
それが最終的につながるように何か想定をしとかないといけない
っていうような考え方を持っちゃう方
想定をしとかないといけない
せっかくそれぞれが頑張ってる
頑張ってるっていう言い方もおかしいのかもしれないですけど
それぞれがやってる活動が身を結ぶっていうところが
みんながそれをこう頑張ってたらそこ身を結びそうだよねっていう予見感みたいなのがないと
みんな頑張りづらいって思うんですよ
だからこれ自分たちやってることをこんなに頑張ってるのに
環境のためをもってやってるけど自分たちだけこんなことしてて
本当にそれで環境は大丈夫なんだろうかみたいな思いは多分常にあるなと思ってて
そういうとこからしたら僕は多分すごい一生懸命その辺考えられてる人ほど
多分やれてないんですよね
人ほどはやれてないってことですね
妻とかはコンポストとかやってたりだとか環境に対する意識とかすごく高いんですけど
それ自身はすごく素晴らしいことだっていうふうに思ってるし
そういうことをですね、そういう人やってる人
僕が進んで自発的にやろうっていう思いっていうのは
前よりかは増えてきてはいるものの
そこの僕の一人の活動で最終的な目的が
さっきの目的とするならですね
叶うかなみたいなところが多分どっかにあって
恥ずかしい話ですけど
そういう風なのが多分あって
そういう風な個人として何か活動をしようっていうところの意識が
多分皆さんほど僕はちょっとない気がするんですよ
そんなこともないんじゃないですかね
それは相対的に僕が感じるところで
もちろん意識はしていて自分なりにはそういう部分はあるとは思うんですけど
ちょっといろいろ言いましたけど
ポイントとしてはどうやったらそこにつながるんだろうっていうのが見えない中での
やっていくことっていうのはすごく難しいことかなと思うというところと
しゅうさん自身の活動がそこにつながるっていうところも
12:01
逆に言ったらある程度見えないと不特定多数の人が応援をするっていうのがしづらいのかなと
今インプッターとしてしゅうさんにインプットをしてくれてる人たちは
しゅうさんの生き様自身に共感して多分してくれてる方だったりとか
しゅうさんの存在自身にお金だったり何かしらのものを提供されてると思うんですね
僕自身本当にそこに何か見返りを求めてるわけではなくて
しゅうさんが面白い生き方をされてるのに対して
本当に応援したいっていう気持ちだけなんですけど
ただそういうふうな仲間っていうんですかね
そういう人たちの数が増えればそれだけでいいのかもしれないんですが
そういう形じゃない方向性でもうちょっとインプッターみたいな人たちを増やしていこうと
いう言い方もおかしいのかな
難しいですよね
そういうところを考えたときに何かしらやっぱりメカニズム的な面白い施策みたいなのは
必要ではないかなっていうふうにちょっと考えてるっていうところなんですね
本来じゃないな
例えば考えてたことがちょっと完全にまとまってないんですけど
例えばしゅうさんみたいな生き方をする方が
例えば僕の友達に数十人数百人いたとしたら
僕は皆さんにインプットできないと思うんですよ
それは皆さんにインプットできなくて
そこに差をつけたくもなくて
そして結果的にみんなにしないっていうふうになるだろうなって思ったんです
まさにそうですね
試行実験をしたときに
ただこれで今これが成り立ってるのは
しゅうさんが極力手放して
資本主義の中でどうにかこうにか生きていくのに
必要な金額っていうのを極限まで絞ってるから
あり得る話だと思ってるんですね
そうですねそれもありますね
だからこのスタイルとして
しゅうさんしかできないことになるのかもしれないですけど
そういった意味合いでそこのシステムとして
成り立っていればいいのかなと思う一方で
15:02
何かしゅうさんのこの生き様を
モデルケースに他の人も
似たようなことができたりだとか
ってことを考えると
何か構造というか仕組みを作れないもんかな
みたいなことはちょっと考えたりしてるところがあるんですよ
はいはいはい
でそこに関してちょっと思いついたことがあるんで
その話をちょっとしようかなみたいな話
それが面白いこと思いついたんだ
自分で面白いって言っちゃったんでちょっと後悔しちゃった
ハードルが上がっちゃったみたいな
ハードルが上がっちゃったなと思って
全然全然
今のところで何かないですか今まで話したことで
まあそう全部何ていうか分かる話でもあるし
一個一個がですね
その側面から見たらそうっていう話でもあって
同時に逆の側面から見ると逆っていうことにもなるっていうのも
こう合わさっちゃってるんですよね
何ていうか今回の鍵みたいなのの一つは
タイムリミットだと僕は思っていて
タイムリミットがなければ全然いいと思うんですよ
でもそれがあるっていうところで
もう僕の意識だけはぴょーんと飛んでいて
ぶっ飛ぶのが得意な性格なもんで
本当にねのりだーくんゲスト回でも言ったんですけど
僕の頭の中ではロジックとして整合性が全部取れてるんですよ
でそれがただあいちゃんゲスト回の時に
あいちゃんが言ってくれた吉田すぐるさんであるとか
それこそリュウゲンさんであるとか
ああいう方たちみたいにきちんとそのロジックが
言語化できるっていう段階にまで行ってない
僕が始めちゃったっていうところが
今回のモヤモヤだと思ってるんですよね
僕の中では
僕はそのでも言語化できないけど
自分の中だけで整合性が取れている
その感覚だけで
ある意味そういう感覚の先にある理想の状態というか
社会全体がこういう意識の人たちが多くなればっていう
まだその世界にないのに
空気椅子みたいなことを勝手に一人で始めてるわけですよ
わかりましたね感覚が
そこに椅子はないのに空気椅子に座るみたいなことやってるんで
その空気椅子に最初に座ったらプルプルプルプル自分も震えるし不自然だし
周りの人は何やってるのって支えてくれるみたいな状態に近いのかなと思って
今のがそうなんですよ
で到底でもあんたずっとこれこのままいるんでしょ椅子ないまま行くんでしょ
足りないでしょ人がみたいな感じになってるのかなと思ったりしていて
18:07
ごめんなさいね勝手にはしょった上にわけのわからないたとえになっちゃったんですけど
そもそもがそういう無理難題というか
その意味でも問題解決型でいくと厳しいと僕は思っちゃっていて
その形を最初に提示できるみたいなことは到底ないんですよね
なので自分がまずは突っ込んで自分自身がズタボロになりながらモルモッティングみたいな形でやるっていう感じなんですよ
僕の中ではそれをすごく楽しい雰囲気でやれてるのがギチさんだと思ってるんですよね
価値が完全に逆転してるじゃないですか
樋口さんを休ませるためにお金を払ってみんなが集まるみたいな
完全に逆転させているけどそれ自体が価値みたいなところをやられていて
正直その裏側にある意識みたいなものは勝手な推測なんですけど
僕は自分と共通するところが樋口さんには少なくともあるんじゃないかっていう感覚はあるんですよね
なのでさっき松間さんが周りに僕と同じようなことをやる人が数十人数百人いた場合に全員にインプットできないっていう表現されたんですけど
それは僕がああいうわかりやすい何かを持ってないっていうところもあると思うんですね
僕もだしその周りの数十人数百人が同じような形だったとしたらそこにインプットができないっていうようなところもあるのかなと思っていて
そうですね今のとこからすると僕がインプットできないって言ったのは
今周さんにインプットできているのはあくまで僕の箇所分所得の中で大丈夫な程度で
周さんの存在自体に押し払いって言ったらなんかあれですけどの感じで
あとその面白そうだからっていうところももちろんあるんですけど
でもなんかそこはまあ極論周さんが好きだからですよね
ありがとうございます
だからそうなってきた時に例えばお友達今樋口塾の友達だったり
古典ラジオコミュニティの友達だったりいろんな友達いますけど
その友達も本当に感情的にその友達を助けたいっていう風なところの感情が多分一番要素としては大きくて
そうなった時にその同じような状況で投資を望んでいる人たちが数十人数百人いた時に
僕の箇所分所得に限界があるので
21:00
そういう意味でそこで値踏みしたくないし値踏みというか
誰に投資するとかっていう風なところができないだろうなっていう意味ですねさっきのは
だからその形として何かしらそこに投資を追ってする具体的なものが仮にあったとしても
ちょっと僕は仕切れる状態にならないなっていう意味合いではあるんですけど
ただその具体的なこう何かものがないからそこに投じるっていうところが何かしらのハードルになるっていう風に
なんかしゅうさんが感じられているのは多分そうだと思います
うんうんうんうんですね
まあだからそれもあくまで一側面としてある要素っていう感じの一つではあるんですけど
で同時にそのインプットをする相手というか今僕がやっているような
例えばその地球環境に対する心配みたいなことを念頭に置いて
もう今のちょっとある意味バランスの悪い社会を作ったような形じゃないバランスの良い意識を持つ人が
いっぱい増えた場合っていうのはある意味そのインプットがいらない世界にもすでに結構近づいている感じはするんですよね
さっきしょうまさんがそのギリギリまで切り詰めたしゅうさんだから成り立つっていう風におっしゃってくれたんですけど
ある意味で今の状態でいくともしかしたらだいぶ多くの人が僕ぐらいとは言わないまでも
今よりはだいぶ切り詰めないといけない可能性はあると思ってるんですよ
全員がそのアウトプットが先で回る社会っていうのは今ほど贅沢みたいなことがそれぞれがしづらい状態にはなるかもしれないと思っていて
その意味ででもそれでもう回るってなっていれば意識して誰かにインプットっていうのをしなくてもいい状態っていうのを
意識して始めてる動きなんですよね
僕がインプッターからインプットを受け取って生きさせてもらう状態っていうのはあくまで一時的っていう風に言ってるのは
そういう意味なところがあってといつかなり長い一時的になるとは思うんですけど
最終的に描かれてる世界がインプットがいらないっていうところを含め
集散の状況までならなくてもいいっていうのは大体理解できてるんですけど
理解できてるというかおっしゃりたいところはある程度捉えられてるかなと思うんですが
24:00
僕が言ったのは一時的な意味でそういった社会を目指して何かアクションを起こす
そこで何かしらそのアクションを起こしながらそういう世界を目指すっていうところで
成り立つようなサイクルを回せるようなことが一時的にでもでき得るっていうのは
集散みたいなことをやらないとできないなっていう意味なんですよ
そういったことで今集散だからこそでき得るなと
集散が目指す世界っていうのがそれこそタイムリミットがある中で
集散だけがそれをやっててそこに行き着くっていうのには時間が足りないんじゃなかろうかと
この集散のこの考えに共感する人が増えてその人たちもその集散みたいな
その人たちなりの何かを始めて広がっていく
指数関数的に広がるっていう風なところが必要なんじゃないかなっていう風には思うわけですね
そのタイムリミット的なところを見た時に
そういう設計的なところを考えるっていうのはちょっとじゃあどうかもしれないんですけど
アート的な話をするなら
でまあその今集散がやられている活動っていうところで
具体的に集散が何をするかとかっていうところもまだ不明確みたいなところもあるっていう風におっしゃってたのと
とかをちょっと考えて少し思ったのが
今はその集散のことをよく知って極端な話さっき言ったように
集散のことが好きな人たちがインプターになってくれてると思ってるんですね
でそういう人たちが増えて回ればそれでもうそれに越したことはないと思うんですけど
もっとそこが増えると結局集散のいろんな活動っていうのにまた幅が出てくるわけですし
そういったとこを考えた時に集散に対して投資をするっていうところは
やっぱりこの資本主義への抵抗というか資本主義への反抗から今の方向性っていうのがあると思うんですけど
反抗とまでは言わないにしても
そこに資本主義的な考え方が入るのはあまり良くないなと思ってて
ただ投資にもそのリターンを期待する投資とそうでない投資があると思うんですよ
27:02
そうでない投資の方に今のインプッターからの投資っていうのはなってると思って
見返りを求めないというか見返りが前提でない投資っていう形であれば
習さんもある程度納得感があるかなと思ってですね
そこから考えた時に具体的に活動として示せる面白いことはないかなと思った時に
まず習さんが今考えてる世界とか考え方とかっていうのが言語化がしっかりできないという風な話をされてたじゃないですか
だからもういっそのことを言語化しなければいいなと思ってですね
正直言うとですね僕言語化してるつもりでいたんですよ
してて自分の中でできたぐらいの気分でいたんですよ
でも分からん分からん分からんっていう反応が来たのでじゃあ何とかせんといかんのかなみたいな感覚なんですよね
一部僕ある程度考えられてることを受け取れてる気はするんですけど
どうもこの前いろいろこれまでの企画会議だったりとか話をしてる中で
あんまりこうやっぱり分かりづらいみたいなところのご意見もあるみたいなので
それからするともういっそのこと言語化をやめてしまったらどうかなと思って
それが面白いっておっしゃってた
そうですね面白いというか
もうちょっと先があるんですけど言語化をやめるっていうことがただ伝えないといけない
それをせっかくしゅうさんだからそれを伝える一枚の絵を描いたらどうかなと思うんですよ
それを言語化しないよっていうのが伝わるような絵
いや言語化しないよじゃなくてしゅうさんのその今持たれてるその頭の中っていうのを
抽象画でも何でもいいんで言語化はせずに絵で表現するっていうことにトライしたらどうかなと思って
抽象画でもってことですか
でもってか抽象画で抽象画っても言わないですけどそこら辺は別に何も縛りないと思うんですが
その言語に言語で表現できないっていうのをその逆に言ってしまえば別に言語で表現せずに絵で表現するっていうのにをやってみたらどうかっていう話です
これは多分できないなっていうのが正直なところなんですけど
30:08
そこがたぶんしゅうさん自身の結果というかそこがイメージできないし
できないでしょ
できないし僕も全然イメージできない
だからこそそれがアートになるし
でそういう風な絵を絵じゃなくても何でもいいと思うんですよね
しゅうさんが何か創作するもので
そういう社会最終的に描く未来の社会をイメージするものを何かしら創作する形を取ることでその活動をやりますと
でそこに対して一時的にインプットをしてくださいと
ただこれ自身は創作するので創作する作品自身の完成するっていうのに対する一つの投資にはなるんですけど
それが完成するかも分かりません
そういう前提はありません
自分に何かしら完成っていうものが見れるっていう見返りが来る前提はまずありません
っていうのもある中で何かしらの創作活動するのに対してのインプットみたいなのを募集しますと
で創作していく中でそれが何で出来上がるかも分からないし
で仮に出来上がったとしてそれが出来上がったからどうだっていう話でもないというか
あんま上手く説明できてないですけど
そこで例えば出来上がった絵が売れるかもしれないじゃないですか
でも売れるかは分からない
ただ売れたらインプットしてくださった人に還元するとかっていう風な形があると
それはインプッターの人たちに対して見返りが前提にないので
でももしかしたら何か面白いものが見れるかもしれない
でそこから還元があるかどうかは分からないにしてもあるかもしれない
そこは分からない状態でちょっとエンタメ的に楽しめるかなと思ったんですね
なるほど
ただ今話した感じからするとあんまり微妙そうですね
ごめんなさい一回おしっこにしてもいいですか
はいどうぞどうぞ
ごめんなさいちょっといやでも多分微妙は微妙かもしれないんですけど
33:03
それがでも切り口としていろいろ自分の考え方が伝わりやすいっていうところに行くかもしれないんで
ちょっとでも一旦おしっこしてきます
はいどうぞ
ごめんなさいごめんなさい
まあいい
そうですねその絵自体がですね僕がほぼ理由がない限り描かないっていうところがあって
そうなんですよねなんていうんですかさっきギチのお二人っていう話をした時のにもちょっとつながるかもしれないんですけど
すごいあの二人の面白さみたいなのってご本人たちがめちゃくちゃ楽しいって思ってることをやってらっしゃるっていうところがあると思っていて
あとは僕がよくミンラボみたいな状態っていうのもよく表現してるんですけど
僕自身がめちゃくちゃ自分の才能というかついついやってしまうことみたいなのを出すっていうのもかなり重要だと思っていて
でみんながそういう状態になればっていうのも僕が思い描いてるアウトプットが先で回る社会っていうのにも一つ大きな要素としてあるんですよね
でそのあれで言った時に僕は絵を描くことはできるというかある程度そういう要素はあるんですけど
シューの話すラジオの前回か前々回で人のために描くみたいなんだったら描けるみたいに言った感じがちょっとあったかなと思うんですよ
人の似顔みたいなこととか
今回も一周くんの絵を描いたりっていうのはそういう一周くんのためにだから描けたみたいな感じが
それをわかる
だから自分の描く状態とか社会とか理想の形みたいなのって本当に自分の頭の中でロジックの整合性は取れてるとはいえ
現実の世界でどうなるかっていうのは本当にやってみないとわかんないっていう感覚で飛び込んじゃっていて
実際にどうなるかわかんない感じなもんでそれを絵で描くみたいなのが
自分自身ロジックで整合性取れてるって言った割にはイメージしづらいしその絵を描きたいなっていう衝動すらわからないかなみたいな感じが
多分そこが大事だと思いますね
しゅうさんが一応絵を勉強されてたってこともあるしそういう素養を持たれてるなっていうのが思ったんで
絵っていう風な話をしたんですけどそこはやっぱりしゅうさんがやりたくないと意味がないと思ってて
36:00
そこ自身は絵っていうよりも言葉じゃなくて創作物でしゅうさんの思いを表現するっていう方がいいんじゃないかなっていうことが提案なんですよね
創作か
それは結構突飛なこと言ってますよ
今言葉ですら伝わらないことを創作物で表現するかっていう話ですから
そこが全然想像もできないしどんなものに仕上がるかわからないからこそ面白いなっていう風に個人的に思ったから面白いっていう風に言ったんですよ
なるほどなるほど
そこ自身に何かしらあんまりしゅうさん自身がピンとこないのであれば
これあくまで一案なんで全然そんなに遠慮される必要ないですし
ごめんなさい今ピンときてないですね
ちょっとでも時間経って聞き直してまた違う発想があるかもしれないんで
案自体何でも大歓迎って言ってるところもあるし
曲でも歌でも絵でも何でも一応作り得る
その意味ではまだ曲の方がピンとくるっていうところはありますね
そっかそっか創作物というとそれがあるな
実質その言語化してロジックでっていうところ自身も難しいので
言葉だったら伝わるかというとそうでもないし
それぞれがそれぞれに受け止めればっていうことを考えたときに
絵でも曲でも歌でも歌だったらちょっと言語も入ってきますけど
何でも言語化で難しいっていうところを逆に考えたときに
何かしらの他の表現方法みたいなのを取るっていうのは一つ面白いかなと
それ自身の作品作りに従事しますっていうところは
一つ明確なアドバルーンになるかなっていうところがあって
それが出来上がるかもわからないっていうふうな状態で
周りの人たちからするとインプット前提じゃないですよっていう状態ですが
仮にそれが出来上がって例えばそれこそ今流行りの
キチンの方でも話題になってますけど
NFTとかで出してもいいですし
そんな形にして売れなきゃ売れないでもいいし売れたら売れたで
じゃあそれどうするかみたいなところで
インプッターさんみんなに歓迎してもいいし
そうじゃなくてどういうふうにするかでもいいだろうし
一つ今資本主義への反抗ではありますけど
反抗っていう言い方で大丈夫ですかね
39:00
無視というか
するというか
資本主義に囚われない生き方をされてるっていうところですけど
そこの活動自身に駆動力勢いをつけるという意味では
一種その資本的なところの力っていうのは
力には多分なると思うので
そこが考えに合うかどうかですけど
そういうふうなやり方をすると
一つ興味を持ってくれるインプッターさんの層っていうんですか
ただしゅうさんのことが好きっていう人たち以外の人たちにも
リーチできるのかなっていうところと
そういうところもあってどうかなっていうふうにちょっと考えてたんですよね
なるほど
若干そうですね
そういう要素を
さっきの絵の時にはなかなかイメージしてなかったんですけど
音楽とかはゆるゆる合奏部の話題が出たりとか
そういうちょっと心が反応する部分があるにはあるんで
ありがとうございます
すぐすぐ何かがポンって出るってことはないと思うんですけど
要素としては全然ありですね
はい
しゅうさん今ちなみにお仕事を辞められて
何をだいたいされてるんですかこう1日
あれですね僕もともと本当はそれだけやってても終わんないぐらい
自給自足に本当に向かおうとしたら
全く時間が足りないっていうぐらいやることがいっぱいあるんですけど
もうでもそれやってたらキリがないから
ある程度のところでも見切りをつけてというか
もう仕方がないなと思ったら車にも乗ったりするしとか
そういう感じなんですよね
で本当は外で鋼で焚いたほうがいいけど
今日はもうどうしても時間がないから風と炎使おうとか
そんなレベルなんですよ
だから生活自体全く変わってないんですよね
僕にも前回聞かれたんですけど
いくらでも時間がかかっちゃうので
そのコストが下がるっていうところに
かけようと前以前おっしゃってたように
逆転しちゃうというか時間とコストのバランスで
そうですね
だからそこを自分の中でいかに割り切って
アウトプットっていうものに意識を向けるかっていうのを
僕はまだ全然上手にできなくて
手探りでやってる感じなんですけど
それこそこのポッドキャストの編集とかも
意外と時間かかっちゃうから
じゃあもうちょっと品質音質化を上げようとしないほうがいいのかなとか
編集全くせずに出したほうがいいのかなとか
その辺のせめげ合いはありますよね
42:01
っていう感じであんまり変わってないんですよ
逆に
ポッドキャストの編集とか楽しいです?
ある程度ですね
そんなめっちゃ楽しいまではいかないですけど
やっぱりいい状態のものができて出してってなると
やっぱり気持ちは気持ちいいですよね
やってる作業自体がもうやってる瞬間ずっと楽しいみたいなんじゃなくて
やってる時はやっぱりある程度時間もかかるし
辛いっていう面もあるんですけど
でもなんていうんですかね
元々古典ラジオコミュニティとかに入ってくる前の
なるべくお金を使わない生活っていうところだけを意識して
一人で活動してるつもりだった時には
本当に完全自給自足みたいなのを常にイメージしてたんですよ
そこにどう向かっていくか
もっともっと切り詰めてって思っていて
時間と収入との逆転現象みたいなのが起きて
それを突き詰めていこうとしていた時には
コツコツでもいいから
例えば外で今鋼でご飯を炊く時に
雨の日はできないんですね
それを自分で手作りで雨を避けられるようなものを
竹とかで作って
屋根も全部竹で作ってっていうようなことをやろうとしてたんですよ
そういうのも仕事をしながらだと厳しいので仕事を辞めて
完全に自分の時間として使える時間が増えれば
そういうのにも取り組めるかなみたいな意識もあったんですけど
実際完全に収入がない状態で
貯蓄が徐々に減っていくっていう状況になると
今度はここにいつまでいられるかなっていう意識も入ってきたんですよ
そうなってくると
手間暇かけてそこに屋根を作るっていうことを
できないなみたいな感覚もちょっとあって
ですね
だから自分の活動としてはちょっと方向性がなかなか見えづらいところになってきていて
だからやれることとしては今の意識としては
身の回りの整理整頓っていうか
なるべく今持ってるものもちょっと全部じゃないにしても
ある程度捨てられるものは捨ててとか
いつでも動ける状態にするっていうことの方が先かなって思って
それを意識し始めてはいますね
本当はなんかある程度
なるべくお金を使わないためには一箇所に定住して
毎年その田んぼとかも徐々に
もっと育てやすいみたいな状況になっていくっていうところを
イメージしてたんですけど
それが本当に続けられるかわかんない状況になってきちゃったなーっていうのは1個ありますね
45:01
怖いっすね
すごいね
すごいなーと思って
いやいや
こないだ12月に東京に行って
道の上駅高谷さんと会わせてもらって
えのびさんっていうホームレスの方のところに会いに行ったんですよ
で、アットホームチャンネルにも映ってる
代々木公園の中でのえのびさんの寝床ってあるんですけど
あれって毎日作ってるんですよ
え?
あの寝床
毎日片付けてるんですよ
へー
じゃないとなんかあれなんですよね
行政の方から出ていくようにみたいな風になっちゃうわけですよ
なるほど
毎日作って毎日片付けてってやってらっしゃるんで
そのぐらいのノリじゃないとなかなか難しい状況
世の中ではあるなーっていう風にも思って
だから理想の形ってまだまだ本当に見えてないから
一旦は僕もだからそのえのびさんスタンスみたいなところに
意識持っていった方がいいのかなっていう感じは今はありますね
現時点ではもうソロの方がいいのかもしれないなーとすら思ってますね
それこそさっきしょうまさんがインプットしたいような相手がいっぱい現れた時に
全員にはインプットできないっていうようなことって
容易に僕の状況でも今
しゅうさんだから成り立つっていう表現をしてくださったんですけど
成り立たない可能性も重々あるので
そこ現状では空気椅子みたいなことをやってるだけなので
やむなしかなーとも思ってるんですよね
定住してた方がいい気はするけど
そこすらちょっと一旦警戒しといた方がいいのかなみたいな感じですかね
今みたいな活動自身をなかなかできる人自身がいないので
そういう意味ではインプットできなくなるみたいなことはないと思うんですけど
そういうところまで試行実験をすると
しゅうさんにすらインプットすべきではないんじゃないかと
いう風なことを考える方もいらっしゃったりもするかな
僕自身がそういう考え方だったんですよ以前は
まさか自分がそれやる側になると思ってなくて
そうなると何かしらやっぱりしゅうさんに投資をすることで
何か自分の目指すことだったり共感できることにつながってる感覚とか
48:01
何か貢献できてる感覚みたいな
資本主義的あるいは資本主義的までとは言わなくても何か意義的
その投資をする意義みたいなものがお題目として
あった方が今しゅうさんがそこに定住できるぐらいの
人たちの共感が集まってきやすいかもしれないなとは思うんですね
しゅうさんのことが好きだけでインプットするっていうところは
先言ったようなところでその行動自身を分け隔てなく
いろんな方にできるわけではないからそもそもそこにもしないできないっていう風な
考え方もあるし
同じこと言ってますけど
別の何かしらの投資する意義でもそう考えると
自分が投資する意義っていうのはもう基本的に自分がそういうことをすることで
例えば環境のためになっているということの具体的な何かしらそういう環境のために
何かしらしゅうさんが具体的に活動されるという風なことをすると
それはそういう環境のためになることをやったんだっていう
自分へのその精神的な見返り報酬みたいなのがある前提のインプットに
やっぱなってしまうので
なんかすごく難しいなぁと思ってますね
僕やっぱりその僕のインプットっていうところを窓口設けといてなんなんですけど
そっちに意識を向けない方がいいんじゃないかなと思ってるんですよ
僕が言うのもなんなんですけど
どっちかというと僕はそうじゃなくて
インプットがなくても周る社会の方がタイムリミットも近いし
そっちメインなんですよねそっちに僕自身は意識が行ってるし
そこにみんなの意識が向くような動きっていうところに
頭を使いたかったりするんですよね
だから僕のインプットが成り立つ成り立たないに意識いっちゃうと
それ自身もすごく難しいことでもあるし
確かにそうですね
エンドレスに時間かかっちゃうんですよねそこに
でもそこ僕本当は目的じゃないんで
心配してくださってるっていうのはもうめっちゃくちゃありがたいんですけど
それはでも一旦脇に置いとこうぐらいの気分ですよね
その辺をやっぱりどうしても考えがちなんですよね
今のしゅーさんの状態を一回バランスさせて
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インプットアウトプットをバランスさせて
アウトプットに集中できるような状態になると
いいかなっていうふうに思ったんですけど
そもそもそれをバランスさせる過程で
インプットに思考を先すぎてアウトプットを考えちゃうと
そもそもの根っこが崩れちゃいますよね
そうなんですよ
ブーズ?
そう地球環境を相手にしてるから
もう僕自身のバランスの良さなんてもな
そもそも求めちゃいけないまでいかないけど
バランス取れるわけがないみたいな感覚もあるし
むしろ一番そこが厳しい状態に僕自身が行くぐらいが
ちょうどいいのかなと思ってもいるんですよどっかで
そうですね今僕も直感的には
インプットを考えずにアウトプットする形で
突き詰めていかれたら
限りなく今の社会と資本主義的なところからは
乖離するような状況になっていって
時間をただただ生きるだけに使う方向性に行った時に
限りなく原始的な方向に進まざるを得ないなという風な感じはしますね
ただなんかシュウさんが描かれてる理想像はそうじゃないと思ってますよね
理想はそうじゃないですね
鶏が先か卵が先かの問題になってきますけど
そこで本質的に見返りを求めないアウトプットみたいなものを
みんなが自然とやってる中で
自然にそれぞれインプットされて回るような社会がいいって言った時に
今のこの資本主義的な社会の中で
そこの中要点というか
原始的な自分と自然との間のバランスだけじゃなくて
資本主義に生きてる人たちと
含まったところでバランスをさせるっていう風になってくると
そこの起点っていうのは
アウトプットをするっていう時に
そこのインプットみたいなものがある程度
保証はされなくても予見されるような動きは
しないといけないのかなとはしないといけないというか
ちょっと途中からわからなくなりました
54:01
ちょっと途中からわからなくなりましたね
申し訳ない
僕もちょっと自分で喋ってて伝わってるかなと思いながら
自然と自分との間だけであれば
アウトプットだけ見返りを求めないみたいなところで
見返りを求めないというか
ただただ生きるためにアウトプットすることで
それがインプットに直結してるので
自然との間だとバランスすると思うんですけど
どっかで必ず
そこのバランス点っていうのは原始時代に戻るだろうなと
でも習さんが求めてるバランス点ってそういうとこじゃなくて
さっき例に挙がってたようなみんなが自分の才能を発揮して
その結果自然に回るような社会だったりとか
ただ本質的なところは
見返りとか報酬とかそういったところが前提にない状態で
みんながそれぞれの特性を持ってアウトプットすること
それが先にあって自然と入ってくる
何かしら入ってきて
持続的にそういう活動が自然と続けられるような社会なのかなとは思ってて
環境も含めたところで考えたときに
自分と地球と社会
ちょっと大きく来ると社会
資本主義社会っていうところで
この3つでバランスさせないといけないじゃないですか
というかこの3つでバランスする必要があるかなと思ってて
ちょっとはっきり分かってないかもしれないやっぱり
そうですね
なんとなくのイメージだけで言うとうんうん言うことはできるんですけど
どういう意図で言われてるのかなっていうのがもしかしたら見えてないかもしれない
意図としてはただ単にその見返りというか
インプットを前提としないようなアウトプット
インプットのことを考えずにアウトプットだけやるっていうところが
大元の信念にあるっていうことだと思うんですよね
大元はインプットを意識しなくてもやれる社会というのを目指すんで
しゅうさん自身がそこを考えてても本末転倒というか
そんな感じになっちゃうっていうところあると思うんですけど
その目指す社会のバランス点っていうのは
57:02
一人の人間と地球の間ってわけじゃないじゃないですか
人間が全体としてバランスをとれる
一人だけバランスとれちゃ意味がないという意味ですかね
あ、いえいえ
じゃなくて
例えば生物的な人間、人類と
その地球の間の話から言ったら
そこでバランスとれればいいっていう話は
基本的に自給自足できればいいってところに収束するじゃないですか
地球に対して人間が普通に食べて生きていけるっていうところは
地球の環境と地球に対して何かしら
人間が地球の土地を使って植物育てたり
それでまたお米ができて食べれたりとかっていうところの
生きていくっていうバランスっていうのは
生物的な観点からすると
その人と地球との間だけでバランス循環できれば成り立ちますよね
一人っていう意味で言われてるんですかね
みんながみんなっていう意味でもです
一人と一人称だけで捉えてもいいと思うんですけど
人類全員が
例えばその地球とだけバランス取るっていう話からすると
みんなが原始時代に戻ればそれバランス取れるじゃないですか
そこがちょっと僕なんか感覚だいぶ違うかもしれない
ごめんなさいそこはみんなであったら
全然原始時代っていう話にすらならないって思っていて
原始時代っていうのはそれぞれの人たちがつながりづらかったから
ああいう状態って思っているだけなんですよね僕の中では
だから究極一人でやるとしたら原始時代と同じようなことをやるしかないっていう感覚が
ちょっと待ってくださいね
僕は原始時代って言ったからあれなのかな
今その地球温暖化だとか環境とかの話っていうのは
近代的な歪みが影響しているというところだと思うんですけど
農耕的なところで村とかある中で生物として生きていくっていうだけに
フォーカスをしている状態っていうのは
世界中のみんながそういう生活に仮に強制的になったとして
地球環境の問題が解決しないっていう意味ですかね
ごめんなさい今ちょっと分からなかった
地球自粛を全員がしないといけない状況に強制的になったとしたらっていう意味ですかさっきの
1:00:02
その何らかの理由で電気とかが例えば通じなくなったとかそういう感じですかね
具体的にはどうでもいいんですけど
極論いろんな要素もあると思うし正しい正しくないは置いておいて
極論その地球が今やばいっていう状況が
人間がこの文明を発展させてきたがゆえっていうところに立った時に
ただ人間が動物と同じように地球環境の中で地球との相互関係の中だけでやっていったら
そこのバランスっていうのは取れるだろうなって思うわけですよ
それさっき言いたかったのはそれだけの話です
人類が地球とだけでバランスを取ろうと思ったら
基本的に生活レベルを落としていけばどこかでバランスするところはあると思うんですよね
それ自身はただ全員が全員できるわけじゃなくて
それをまず一人でやろうと思ったらそっちに近づくよねっていう話だと思うんですよ
しゅうさんがやられてることが
なんか大丈夫ですか?僕話せてますか?
そうするしかないという側面もありますね
あとは僕はその側面とプラスそのぐらい分かりやすい動きをしないと
人に伝わらないなっていう意味合いも同時にあって
その2つでそういう極端な位置に行ってバランスを簡単にできてない状態の方がいいというか
そうなってしまうだろうなって思ってるのはその2つの側面からありますね
しゅうさんが思い描く理想の状態みたいなところがちゃんと捉えられてるかがわかんないんですけど
そこっていうのが人類が生物的な意味合いでの人類が地球との間でバランスを取るっていう意味合いだったら
みんな原始的生活に戻れば成り立つとは思うんですけど
そこが違うんですよね?
いや違うというか生物的にバランスを取る時に原始的な状態にならないといけないかどうかはあんま僕意識してないんですよね
そこはどういう原始的でないとっていうのは?
原始的でないとっていうのはレベルは置いといて今の生活をみんなが維持する中で生物的に生きていくっていうだけだと
地球環境問題ってどうにもならないっていうふうに思ってるんですよね
1:03:02
自給自足的なところからちょっとレベルの上がったものは基本的にダメだっていう意味合いでの?
ダメだというか確実に地球の問題みたいなやつが解決というか問題を考えなくていいバランスポイントとしては
ただ人たちが生きていくっていうことだけにフォーカスして地球とバランス取ればそれは大丈夫だよねって思ってるっていうことで
これは当然かなと思ってるんですけどそこがピンときてないですか?
いやそこを一旦というか僕はもう最終的にそれでもいいと思ってるんですけど最終的に原始時代とは思ってないっていうことですね
今論点がずれてると思います僕と
中山自身は一旦そこまで行ってどこでバランスできるかっていうのを個人的に探されてるじゃないですか
だから今個人の話としたときにシュウさんがただ生きていくっていうところだけ考えたら
原始的という言葉を置いておいてかなり今の社会での生活レベルを落とした状態で
生物的なところでとしてのシュウさんが地球とバランス取ればバランス取れるところは絶対あるじゃないですか
バランス取れるところっていうのが結果として例えばそれこそもう家も持たずに何か育てて食べてみたいな形のところでは
どこかで生きていくっていうことだけは個人対地球として考えた時にですね
個人ってことですよね
その点はどこまで下がるかはわかんないですけどどこかでバランスはするじゃないですか
でもみんながみんなそれをすればいいっていう話で思ってるわけでもなくて
シュウさん自身もそういう生活がいいって思ってるわけでもないですよね
ないですね
だからそのシュウさんの描くこのバランス点っていうのはただ生きていくっていうところじゃなくて
その社会的なこの人間性っていうのとそのただ生きていくっていう生物的な人間性っていうのと
その地球との間でバランスを取ることだと思ってるんですよ
生物的に要は呼吸をして物を食べて生命を維持するっていうところのバランスと
周りの人と文化的な意思疎通とかをするっていうところのっていう風に分けられてるってことですかね
そうですね文化的でもあるし一種資本的でもあると思うんですけど
1:06:02
資本的
今その資本というか
例えばその関わり合いとして誰かが作ったものっていうのを自分が作ってないけど
循環してきていただくみたいな
その意味では僕の中で両方が多分ごちゃ混ぜなんですよね
しょうまさんが2つに多分分けられって話してらっしゃるように感じていて
そこの分け方がまだ多分正確に理解できてないっていう感じだと思うんですよね
僕もそこ自身をちょっと今分けた感じで言ったんですけど
明確にこう分けた理由みたいなのがあるわけではなくて
ただ生きていくっていうところだけにフォーカスすれば
自然とのバランスを取るだけでいいよねっていうところがあって
でもただ生きていくだけじゃなくて楽しく生きたいよねっていうところを考えた時に
それぞれの人の価値観で維持したい生活レベルだったり
そういうところが多様にある中で
地球ともバランスを取るっていう風なところっていうののバランスを取るって考えた時に
そこを文人的に分けた方が何か考えやすいのかなって思ったぐらいなんで
そこに分けたところに何か意図があるわけではないんですけど
説明するのにしゅうさんが描かれてるのが
ただみんなが生きていければいいよね
その中でただ地球環境と一緒に持続的に生きていければいいよねっていうことじゃなくて
地球も持続的に存続しつつ
人類としてもただ生きていくだけじゃなくて
その中でそれぞれ生きる楽しみというか
そういったものとともにうまく回ればいいよねっていう風な感じなんだろうなと思ってたので
そういったような感じの表現をしたんですけど
余計ちょっと分かんなくなっちゃいましたかね
分かんないわけではないです
分かんないっていうよりは僕の感覚とは違うのかもしれないと思いましたね
僕はただ生きていくっていうことと分けてないんですよね
僕は今でもみんなただ生きていくだけでいいと思っていて
1:09:02
そのただ生きていくっていう表現に
ただ呼吸をして生命を維持するっていう意味で言ってないんですよね僕は
そういうことですね
ただ生きていくだけで楽しい状態も作れるし文化的なこともできるし
でも今は欲張りすぎなだけって思ってるので
その欲をもうちょっと抑える
どこがバランスが一番いいのかもやってみないと分かんないので
ただ生きていくが成り立つためには原始時代にみんなが戻るっていう風にも思っていないんですよね
戻る可能性はあるんですけどそこはやってみないと分かんないと思っていて
でも僕ぐらい極端なところに今そういう旗振りっていうと大げさなんですけど
そういうことを一応やばいよねみたいに声を大にして言ってる人間としては
そのぐらい分かりやすい行動を取らないとなかなか伝わらないだろうなっていうところ
プラス実際に今の社会ではこの状態じゃないと仕事を手放した状態で生きていけないという感じですかね
全部がないまぜになっちゃってるもんで
その辺のしゅうさんの考えられてることはだいたい分かってるつもりではいるんですけど
ただ生きていくっていうところがちょっと僕が今表現してたところとちょっとずれがあったんですけど
しゅうさん的にただ生きていくっていうのが文化的社会的だったりのところも含めて
そういう生き方みたいなのはそこも含めて言われてるってことですよね
そうですね今はそうですね前はそこまで分かってなかったんですけど
もともとこの話になったところがそこの文化的なところだったり社会的なところだったりとかっていうのが
今の時代でやろうと思ったらインターネットとかは不可欠ですし
一部その現代の力みたいなものを頼る必要の部分は当然あって
そういったところを踏まえたところでバランス
基本的なバランス点がどこになるのか分からないんですけど
今しゅうさんが描かれてるそこのしゅうさんなりのそこのバランス点っていうところを維持するのに
そこをバランスさせるっていうところを考える過程で
インプットに注意を払わないっていうところは根っことしては大事なところだと思うんですが
1:12:01
インプット自身を期待したりとか前提にしないっていうのはありつつも
しゅうさんが起こすアウトプット自身に
それがインプットに対してどういう風な影響があるだろうかっていうところに
すみませんねちょっと難しい
なんて言ったらいいんだろうな
アウトプットをするときにこのインプットに全く注意を払わない
こういうアウトプットをするともしかしたらこういうインプットがあるかもしれないみたいなところに全く思考をめぐらさないみたいな話だと
そもそもこうやってしゅうさんとお話できなくなってしまうんじゃないかという不安はあるわけですよ
インプットがなくて僕がインターネットの接続のあれすら
どんどん落ちていくと
だからそのアウトプットをするときにインプットがある前提でアウトプットしないとか期待しないっていうところは根っこにあって
そこを考えずに何かしらアウトプットをするっていう風なことが大事っていうのは非常によくわかるんですけど
自分に対してこういうアウトプットをしようっていうアウトプットを何をするかっていうのを考えるときに
インプットが必ずしもあるとはわかんないけどもインプットがあるかもしれないって思うことすら嫌だったりします
厳密に言うと本当はちょっと嫌な面もどっかには抱えてはいますけどでもやむなしみたいな感じで捉えてますね
これちょっと極端な例を出させてもらうと
極端な例出すと反発食らうのかなとかちょっと心配しつつ
葛信さんですよ
葛信太郎さん
わかります?雑踏一の
葛信太郎さんはわかるんですけど全然その周辺の知識がないですね全く
なるほどなるほど
僕も本当にめっちゃよく知ってるってわけじゃないんですけど
破天荒な方だったらしくてお金とかいうことにあんまり意識を向けてない生き方をずっとされてそのまま死ぬまで育ったっていう風な認識を僕はしていて
例で言うとですね自分でお店を出されましたとステーキかなんか食べれるようなお店で芸能人の友達とかが食べに来るとお金を取らない
知り合いが来ると知り合い友達が来るとお金なんか払っちゃダメだよお金なんか払うんだったら来ちゃダメだよとかいう感じだったらしいですね
1:15:01
であとはまあ自分自身に対して価値があるっていう風に思ってたらしくて
お金を持ってるからどうこうとかじゃなくて葛信太郎っていう自分にはめちゃくちゃ価値があるみたいな発想でずっと生きてらっしゃったらしいんですよね
でなんか撮影中にお菓子屋さんかなんかに俳優さん女優さん仲間と一緒に何かを買いに行ったと
でお店の人の態度がちょっとあんまり良くなかったらしいんですよね
欧平というかなんかバカにしたような態度に捉えられるような感じの態度の店員さんだったと
でそれに対して葛信太郎さんがキレてというかショーケースがありますよねお菓子が売ってるショーケース
それを態度の悪い店員に対しておいって言ってここからここまで全部包めって言って
ショーケースの中のものを全部買うっていうことをしたらしいんですよ
まあ要するになんかまあ要は強烈にその態度に対する対応としてそういうことをされたらしいんですけど
そこまでのことができるっていう自信が確信があって多分もう反射的にそういうのが出た方だと思うんですけど
実際その場で財布持ってなかったらしいんですよ
で後から周りの人たちがそれをこう全部買い上げるために後でわたわたするみたいな感じだったらしいんですけど
だからこれは例としてあんまり良くないかもしれないんですけど
僕はそういうもし本当に旗振り役みたいな位置に行くんだとしたらそのぐらいの方がいいのかもしれんっていうのは心のどっかで思っていて
自分はもうその自分がイメージする先っていうのをひたすらイメージして空気椅子なんですけど
その動きをひたすらアウトプットするっていうことに集中して
自分がそのネットに接続できなくなるみたいな心配とかで
普段時間を使ってるのは使わない方がいいのかなみたいに思ったりもします
でも本当にその核心さんみたいになろうっていう話ではないんですよ
一番極端な例を今出しただけで
そういう要素も持ちつつ自分でも心配しつつでも意識としてはなるべくそういう風な
本当に自分でそういう空気椅子みたいなことをやるんであれば本当にそこに意識集中していかないと
これもあんまり良い例が本当に浮かばないんですけど
何となく言いたいことはあります
なるじゃないですけど
そういう態度で自分が生きていればそういう環境が周りに後からできていくみたいな
それはありますねそれは往々にしてあると思いますし
その可能性はあると思います
その核心さんみたいにそこまで自信がないとそこに踏み出せないみたいなところがあるところで
しゅうさんは一歩踏み出してるところがあるので
1:18:03
本当にいざとなったら周りが助けてくれるとかそんな感じな状況になったりもすると思いますし
今の話聞いて思ったのが何かしら活動とかどういう風なことやっていくか
いろいろみんな考えてくださってるじゃないですか
本当にありがたい
だからしゅうさんが何か今募集されてるとしては
僕がしっかり認識できてるかわからないんですけど
僕も結構忘れてるんですよ
どういう活動していけばいいかとか具体案とかそんな感じでしたよね
しゅうさんがやられる活動の具体案とかってなった時に
やっぱりしゅうさんのことみんな心配だから
どういう風にバランスさせるかっていう風なところを
考えたりとかされると思うんですよね
今しゅうさんの話を聞いた僕の感想としては
募集とかっていうのもあんまり意味ないなというか
極端な話ですよ
あんまりそこ自身がしゅうさんがどうしたいかっていうところと
噛み合わないような気がして
しゅうさんはもうしゅうさんのやりたいようにやって
結果どうなるかっていうのも本当も実験してるっていうだけ
だからそこに何をやるかっていう募集があって
もうそこの募集で来る意見っていうのは
多分そのアイディアとして
そのインプットをある程度誘発しようとする考えが
多分働くと思うんですよね
アウトプットが前提っていうのは
塚沢さんの話とかもありましたけど
やっぱりしゅうさんからの内発的な起点なので
他の人が何か言ったことっていうのをやる話じゃないし
もうすけにしゅうさんが動いた
それでやってて
結果やべえ状況になったら周りが勝手に助ける
実質そういう状態になるかっていうのは
もうしゅうさんの存在にかかってて
そこはもう誰もコントロールできるものでもないから
だからもう本当にしゅうさんが勝手に楽しくやって
それでどうなるかっていうのを
ただそこの不安にしゅうさんが耐えられるか
っていうところだけだと思うんですよね
それで周りがどう動くか動けるか
集まってくるか
もう本当になんかすげえ実験だなと思うんです
そういうところから一つ思うのは
やっぱりしゅうさん自身が面白い存在であること
1:21:05
っていうところはやっぱり
みんなに驚きを与えられる存在であることっていうのは
だからまずしゅうさん自身が
もう今もそうですけど
そうなることっていうか
何かをするっていう話じゃなくて
そういう存在になるっていうこと自身が重要なんだろうな
という感じがしました
だから驚きを生むっていうのは
頭に置いておいていいのかなっていう
結果としてですけどね
驚かせようとしても多分
予想と違うリアクションになりそうな気がするので
驚かせようっていうか
驚きっていうのが誰もまだ知らない新しいことだと思うので
常にそれはしゅうさんなりに何かに挑戦していれば
ひっついてくるものだと思うので
いろいろしゅうさんの思考を巡らせることだったりとかですね
だからそこは念頭に置くと言いつつも
自然に出てくるんじゃないかなと思うんですけど
何かちょっと身も蓋もないでやってるかわからないですけど
いやいやいや全然
何かそんな感じで思いましたね今話で
そうですね本当そうだと思います
本当にかつしんさんの例を出しちゃったから
全然違うじゃんって思われそうだなと思いつつ
そういう状況に自分の描くインプットだけで回る社会っていうのを意識して
動くのに集中しつつも
めちゃめちゃ悩み苦しむのがかつしんさんと違って
僕の特徴だと思っていて
そこをさらけ出すみたいな感じにはなると思うんですよね
いいと思いますね
実際このちょっと今日のツイートでツイートしたことで竹細工をまた若干やったり
教えながらもう一回再開しようかなみたいなところがあるんですけど
それもその友達から謝礼をお支払いしてですっていうふうには言ってくれたんですけど
速攻で謝礼はいりませんって返しちゃったんですね
アウトプットが先っていう観点でそうしたんですけど
実際ただ僕の今の状況的にやると
本当実際竹細工をするために使う時間ガソリンとかいうのを考えると
さらにあれなんですよね
貯蓄だけで生きていく状況を加速させてしまう
タイムリミットが近づいてきてしまうっていうところがあって
だから一個一個の行動で空気椅子をやりつつ
活動を活発させればさせるほどタイムリミットが近づくみたいなジレンマがあって
1:24:02
なんか本当にビビりだからっていうところに尽きるんですけど
それでもその探り探りあれですね
本当にHSS型HSPってそういうものなのかもしれないですね
ビビりと好奇心が同居しちゃってるもんで
そういうのをさらけ出して聞く人とか見る人が見たら
嫌な感じする感じなのかなとかいうそういうのも思いつつ
それでもそう言えるしかないみたいな感じになっていくと思いますね
道のりで話すには申し訳ないぐらい完全にこれ集会議だったなと思ったんですけど
全然そのつもりだったんでいいですけどちょっとぼちぼち時間が
なのでまた改めてこの辺の話も
道のりはちょっとそっちの観点とは違う方向性で
しゅうさんの生き方が今後伝播していく
どういう風な感じであとそのしゅうさんのロジックみたいなところを
深掘っていくっていうのも一つ面白いと思うんで
道のりではいろいろとしゅうさんの思想をできる限り言語化とか
そういう風な方向性でもいいですし
僕的に気になっているのはしゅうさんの生き方にかなり重要な単語として
自己組織化とか自己適用型複雑系システムとかっていう単語が結構上がってきてるので
そのへんちょっと
ジョイさんのですね
上市伊藤さんの中で聞いたんですけど
そういう理論みたいなのがあるっぽいんで
そのへんとかちょっと勉強したらまたそのへんもいいですし
あと感情とかそこらへんに関しても最近読んだ本が
ちょうどその後書きだけでもしゅうさん面白いと思われるかなっていう風な感じでもあるので
後書きだけでへーすごい
なんか感じるものがあるかなとか
するとなるといるの順番とか
すごいですね
なんかそのへんはちょっと少しだけ紹介できればなと思う
ぜひぜひ
今度キャストでも配信をしようかなとちょっと思ってますけど
おーそれは父の戯言で配信しよう
はいはい
あとはそうじゃなくてもまたそういった感情だったりのことだったり
このメチノリらしい話とかっていうのはですね
今後もやっていければなと思いますので
ということで締めさせていただきたいと思います
ありがとうございました
はーい