1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. リセット的未知のり?その3~..

一旦リセット的に丁寧に話してみようとしてる編の3回目

マイケルサンデル先生の「実力も運の内」の話からアドラー心理学の「嫌われる勇気」の話へ…

最終的には #未知のり で生まれた #アウトプットが先 の話を再度反芻していく…


収録日:8月8日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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00:09
シュウとショウの未知の理への道のり。
この番組は文字通り、シュウとショウの気が向いた時に、
適当に好きなことを話しながら、まだ知らないことはないことわり、
つまり、つまり、未知の理を探していく道のりを描く番組です。
下手をしたら、下手をしたら、二人の持ちっぷりを探すだけの気のままな旅。
ゆるーくお付き合いいただけたら、嬉しいです。
前回からの続き。
この世界では、みんな平等ではない。
そうではない人たちもいます。
だからこそ、ありがたいことでもあります。
そういう環境に前提としていたことも、神としていろいろ考えるべきだと思います。
マイケル・サンデル先生がおっしゃってるような話だと思うんですけど、
サンデル先生だったかな?
実力も運のうちって本も出されてる。
サンデル先生だったよな。
あ、ごめんなさい。僕が知ってるのは白熱教室っていうのをやってたことと、
これからの正義の話をしよう。
それはマイケル・サンデル先生ですよね。
合ってたかな?
多分合ってると思います。
マイケル・サンデル先生ですね。
実力の運のうちっていう。
運も実力のうちってよく聞くじゃないですか。
逆なんですね。実力も運のうち。
っていう放題で出されてるのが、
僕その本自身をしっかり読んでるわけじゃないんですけど、
大名といろんなその他の情報を得た限りでは、
っての話をすると、
結局その俗に言うエリートと呼ばれるような人たちが、
社会的に優位な状態にあるっていうのは、
もちろんその人たちからすれば実力でそれを勝ち取ったというか、
実力でそういう風にしたんだっていう人があるかもしれないけど、
03:01
結局それっていうのは、
そういう風に勉強に集中できたりだとか、
いろいろそういう環境自身のベースがあってだよねっていう。
だから結局その実力って言ってるのは、
運が入ってる。運のうちっていうのは。
もともとのそういうのが入ってる。
だからこそそういう優秀な人たちっていうのは、
それを実力だと誇ることなく、
そこはそういうもともとの環境に恵まれたっていう運があって、
しかもその運っていうのが、
社会的な恩恵じゃないですか。
自分の力じゃなくて、いろんな人たちから還元されてるものだから、
そもそもそこを忘れないで、
世界のために頑張れみたいな。
そんな話だと思うんですけど。
これ本当に読んでないんで、ご兵あったらすみません。
そういうことをおっしゃりたいんだろうなっていうのを感じてて。
そういう話です。
分かるな。
僕もそのタイトルだけから、
そのところは感じられるぐらいには似てるようなことを考えてる気がしてて。
また面白そうな本を一つ知っちゃったな。
本を読む時間もね、なかなかね。
学校できない。
本当に今、読めてないですよね。
あるんですけど。
そうなんですけど、そんな時間のやりくりの中でやるから、
フェアだみたいな感覚もあるから。
だから面白いんでしょうけどね。
ある意味哲学者みたいなので成形を立ててる方々みたいなのは、
それこそギリシャ時代とかの人たちとかっていうのは、
本当なんか羨ましいですね。
なるほど。
考えることを楽しむだけでいい人生。
なるほど。
ちょっと余談ですけどね。
いやいやいや、分かります分かります。
それは最高ですよね。
それもまた面白い。
今全然そう、自分の人生が楽しくないって話じゃないですけど、
そういう人生も面白いですよね。
ですね、すごく分かります。
すごい惹かれますね、それは。
だからそういったところ、今まで合衆法とかでも話されてたり、
06:03
ここでも話したりとかしてて、
やっぱりこう、全体的な見方、
世界の全体的な見方っていうのが、
やっぱりひとつキーワードになるかなって思います。
全体的に見るっていうのは。
全体的に見るからこそ保存則があるわけで、
全体として保存則は成り立つというか、
全体として見るからというか、
ある領域で見たときに保存則みたいなのは議論ができる、
まあその他の条件もいろいろあると思うんですけど、
という話だと思うので、
それからすると、
しゅうさんの、
たしかしゅうさん的に結構思い入れのある本だったと思うんですけど、
嫌われる勇気だったと思うんですけど、
僕もあの本から、
全体的な視点みたいなのはもらったんですね。
もらったところがあって、
共同体感覚っていう言葉が出てくると思うんですけど、
でしたかね。
宇宙世界として共同体として見たときに、
やっぱりその、そういう前提のもとに話が展開されるというか、
うっそら蘇ってきました。
あれはですね、
本当に共同体、世界全体を共同体とみなして、
その共同体としての世界がより良くなることを、
一番の目的とするならば、
あそこで語られているアドラシン理学の考え方っていうのは、
理想的に働くだろうなと。
そうすればその理論上からいくと、
まあそりゃそうだろうと思うけど、
ただ一方でやっぱりそのそれぞれの個体が、
完全にそういう共同体感覚みたいなのを、
得られるわけもないとは思いますし、
まあ理想の話でそうであればいいですけど、
やっぱりそれこそ全体の共同体よりも近しい人たちを優遇しちゃうし、
人間なので優遇しちゃうし、
そういうふうなところから考えたときに、
その個体個体で若干いろんな個人個人でですね、
考え方も違ったりとかするから、
あれでこう世界が救われるとは思わないんですけど、
完全にあの考え方で、
なんかすべてがうまくいくみたいな感じには思わないですけど、
09:00
一つのこの考え方として面白いし、
自分の課題と相手の課題の分離することで、
ストレス、自分のストレスケアというか、
自分のコントロールできない範囲は気にしても仕方ないというようなところの視点を持てるだけで、
生きることが楽にはなるなというような感じの印象の本でしたね。
そうですね。
そのあれですべてが救われるわけではないっていうところを一応念のために、
なんとなくわかった気にはなってるんですけど、
もしかして違う観点が出たら面白そうだなと思って。
ちょっと救われるみたいな言葉はちょっと語弊があるかもしれないんですけど、
みんながみんなその共同体の一部として、
共同体のメリットを一番に考えるとするならば、
あそこで言われてるような、
なんか具体例がちょっとすぐ出てこないんですけど、
例えば教育的なところでいくと、
確か褒めたらダメだみたいな、
褒めることを否定する文脈が確かあるんですよ。
でしたかね。
褒めたりとか。
でもそれっていうのは、
違う視点から見た時に、
全部が全部ダメなことじゃないというか、
違う視点から見た時にというか、
共同体全体的に見た時に、
その最大メリットを考えるなら、
そりゃ褒めるべきでないっていうのは、
ロンリーは成り立ったんですよ。
僕の中ではその本読んでる限りだと。
ただそれはあくまでその全体的なところと、
自分っていうのを同一化できてる人の話で、
結局完全にそこまでいけてない人ばっかりが普通というか、
普通って言う言葉使うとあれですけど、
そうすると自分の子供に対して、
その子供が幸せになってほしい、少なくとも。
そういう風に感じるのが親なので、
そういった時に褒めるっていうことの選択肢としては、
十分その条件によってはあり得るし、
なんかそれをすべきでないっていう話とは、
ちょっと違う話だなと思って。
なるほど。
ただ自分と世界を本当に共通と捉えられた人にとっては、
それはそうでしょうと。
僕の中であの本読んで、
それはそうだと思いますっていう風な感じなんで、
だからそれこそ悟った人たちの話だと思ったんですよね。
そこの自分とその世界をできるだけ共同体のように考えられてる方に、
しゅうさんはすごい近い方だなと思っていて、
12:02
だからこそあの本が気になるっていうところがあるのかなっていうのをちょっと思ってた。
そうかもしれないですね。
僕もよく僕がやってることを、
僕自身はそういうふうに思わないけど、
すごいですねって例えば言ってくれる人がいたとして、
すごいけどやれない的な話をされることもちょいちょいあるみたいな、
だからそれに近いことを言われてるのかなと思ってて、
ちょっとなんていうか、
僕が悟ってるっていう言いたいわけじゃなくて、
でも感覚としてはやっぱりその全体を共同、
あれ?表現なんでしたっけ?
共同体感覚でしたっけ?
共同体感覚。
っていうのは本当にすごくそれを持とう持とうってする思考パターンがあるんですよね。
それは僕の中では多分ビビリーがきっかけでそうなってるっていうのに過ぎないから、
そういう気質の僕だからこそ偶然そうなってるっていうだけの話で、
だから全員がそれをやるっていうのは、
僕自身もそれがいいって思ってるわけじゃないっていうところと、
さっきしょうまさんが言われてたことが近しいのかなと思って、
なるほど、そういう意味で全てを救うわけではないっていう意味ですよね。
そうですね。全てを救うというか、
個別での幸せの定義だったり、そういうのがあるし、
それとその全体的っていうのは乖離があるからですね。
そういう意味です。
みんなが全体を最大の敬うべきものと捉えるんであれば、
それは多分うまくいくだろうなと思うけども、
そうじゃないっていう意味で全てが救われるわけじゃない話ですね。
そうですね。
全然ちょっと、一回読んだだけなんでどこまで捉えられるかわかんないから、
適当なことを言ってるだけですもんね。
すごく良かった、あの本は良かったって言ってる割に、
ちゃんと通しでしっかり読めたのは一回だけなんですよ。
だからその共同体感覚っていう単語すら、
ちゃんとはっきりとは思い出せなかったっていう感じなんですけど、
でも、何でしょうね。
その本に通じる話になるかはわかんないんですけど、
僕はしょうもさんといつも話したくなるのが、
自己組織化的な話をついついしたくなるっていうところがあって、
時間が許せばそれも今日も。
はい、もちろん。大丈夫です。
大丈夫ですか。
はい。
なんか、
そうですね。
さっきの将棋の話にしてもそうなんですけど、
15:02
基本的には構成要素としては条件一緒っていう感じがしていて、
自己組織化現象みたいな、
なんかよくわかんないけど、
分子とかがくっついて膨大な数ですけど、
それがくっつき合った延長みたいなのが人間みたいにして思っているから、
その中で細胞レベルとか分子レベルで言ったら本当に全く同じっていう、
そういう考え方自体が共同体感覚みたいな的発想なのかもしれないんですけど、
やっぱり僕の気になることっていうのはいつもそこにあって、
前回話してた時にはそこにもうちょっと近づきたいみたいな感覚で、
欲張りすぎて多分、
今回うまく言えないな、うまく言えないなって言ってたっていう感じだったような気がするんですね。
自分でも編集しながら本当に何言いたいかわかんないって僕が思ったくらいだったんで、
なんか相当欲張ってたのかもしれないなと思ってはいるんですけど、
最近あの、
樋口塾、最近って言ってももう結構経つかな、樋口塾に入ってこられた、
イクコさんってご存知ですか?
モーちゃんのリアルフレンドのイクコさんがスピリベイラジオっていうポッドキャストやられてて、
聞かれたことあります?
まだちょっと話してないですね。
あれがすごく面白くて、
直近の2回ぐらいで、
ソリューシっていう単語は使ってなかったかもしれないですけど、
それの中に愛があるみたいな、ちょっと僕と似たような表現されてて、
それはでもそのアインシュタインとかのなんか、
ちゃんとしたこう、ごめんなさい、スピリベイラジオちゃんと聞いてもらった方がいいかもしれないけど、
僕の表現すごく間違ってるかもしれないんですけど、
アインシュタインとかがなんかそういう風な表現をされた、
ゼロポイントフィールドみたいなのがあるみたいな話をしていて、
初めて聞くの。
僕もすごくインパクトを受けたっていう割には、1回もちゃんと検索してないんですけど、
そんな、僕としてはすごく僕が言ってることに近いような感じのことをスピリベイラジオで話をされてて、
すごく気になったりしてるんですけど、
なんかそういうところまで、もうちょっとはっきりなんか、
革新的なものを自分で、これだ!みたいに革新を持つっていう意味で、革新的なものを持てたら、
だいぶ違うだろうなっていうのの、その革新持ちたいという欲が前回、すごい出てた。
18:03
で、あそこまで欲張っちゃダメだなと思いつつ、
やっぱりそれでもじわじわじわじわ近づきたいなっていうところがあって、
なんかそれがそういう自己組織化的なものに現れてるような気がものすごくしていて、
だから最初にしょうまさんと自己組織化の話をセルオートマトン的みたいな表現を使いながら話したときに、
僕の中でアウトプットが先っていう発想が出たのは、
そもそものその素粒子的なものに愛があるみたいなのがなんか感覚的にあるから、
アウトプットが先って発想になるんですよね。
素粒子的なものがあるからアウトプット?
えーと、その素粒子の中に愛みたいなものがあるみたいなちょっと表現としては雑ですけど、
そういう感覚があるから、その自己組織化現象的にすべてのものが動いているんだとしたら、
動く可能性があるんだとしたら、そのゼロポイントフィールドだとか素粒子の中に愛みたいなものがあるだろうなって僕が仮定しがちだから、
だとしたらアウトプットが先だっていうところにイメージが紐づいていっちゃうんですよね。
僕の中ではそのインプットが先っていう動きは愛と真逆な奪う的な動きに見えるんですね。
あーそういうところからですね。素粒子とかの大元が抽象概念としての愛みたいなものだとすると、
そこはアウトプットが先になるだろうっていうイメージってことなんですね。
そうそう。だからその前提としてそういうものでできている以上はそこに沿う方がいい結果に向かうだろうし、
心地いい形になるだろうしみたいなのは多分その時にイメージが湧いて、
その時にアウトプットが先っていう風に言い出して、で未だに毎日言っちゃってるみたいな。
あの回が僕も一番衝撃で。
で、その時にはしゅうさん的にはその愛っていうところからアウトプットが先っていう話だったのかもしれないんですけど、
僕的にはその自己組織化ってところとのリンクがすごくしゅうさんがおっしゃられてたことがきっかけで、
何だったかな。やべ、音忘れした。
自己適応型複雑化システムですかね。そこにちょっとリンクしたというか。
自己組織化っていうのは結局個別個別それぞれ同じ要素で同じルールのもと動くんだけれども、
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それもある一定の条件でですね。ただそこには個体それぞれ別のランダム性だったりそういうのも含まれてて、
その結果が結局その全体のシステムに影響を与えて、
その全体その構成要素一つ一つがですね。その全体のシステムっていうのが変容すれば、それからまたインプットされると。
それぞれ個体に何かしらがインプットされるっていう風なイメージを持ったんですよ。
まさにこの資本主義だったり資本主義じゃない人も社会とも言えるかもしれないし、
全体システムっていうのはそういうものじゃないですか。人間一人一人がある条件を持った中で、
それぞれの考え方と条件で自由に適応的に自分が生きていく上で適応的に動くことで、
社会が成り立って、その行動一つ一つが社会に影響を与えて、それによって社会が何か変容して、
その変容がまた社会からのインプットとしてそれぞれの個体に入っていくという、そういうようなイメージを持ったんですよね。
その時に、それっていうのは循環型なんで、インプットが先なのかアウトプットが先なのかみたいなのはニワトリと卵みたいな問題にはなるんですけど、
人の中で少なくともインプットがあって、その中で自分の中で処理された、何かしら処理された結果としてアウトプットがあるとは思うんですけど、
どこまで言ってもニワトリと卵の話になるかもしれないですけど、インプットっていうのは少なからずその社会なりその全体システムからの影響を受けている。
そういうのがあるとすると、それをベースに考えたアウトプットっていうのは何らその全体社会というか、もうその時点でバグが入り込んだ時にどうしようもないみたいな。
インプットが例えば社会から自分にインプットがあったものの中に具体的に何か言うとすると、例えばマスメディアとかが流した情報を鵜呑みにするだとか、そういう話とかはよく言われる例だと思うんですけど、
そうじゃないにしてもインプットする情報っていうのはその捉え方にもよりますし、少なくともその何かしらバグを含んでいる可能性が少なからずあるという意味でアウトプットが先なんだっていうところの論理だと思ったんですよね。
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少なくとも自分の内発的なところから出るところにそういうノイズが入る余地がないからこそ、そっちを先に回し出せばインプットも自然と良くなるはずだっていう論理だと思ったんですよ。
それも含みますねって後から乗っかるみたいな感じになってますけど。
あそこが一番印象に残ってますね。でも自分の内発的なものっていうのは結局これまでのインプットから培われたもので、そこに対してじゃあノイズがなかったのかみたいな話になっていくと、結局延々とやっぱりニワトリとバグなんですけど、
それを延々と繰り返して究極形で考えていった時に、自分の経験を積むっていうところを遡っていった大地の時代とかそういうところまで考えていった時のアウトプットみたいなのを考えていくと、
さっきしゅうさんがおっしゃってたような素粒子だったり、そういうレベルの話になっていって、おっしゃるように愛、しゅうさんがおっしゃるように愛に出てきてるとかっていう話にいくとするとそこに繋がってくるというか。
だからそんな感覚は持ってるんですけど。
そうですね、まさにおっしゃる通りですね。本当にニワトリ卵でどっちが先かっていうのを突き詰めるのは難しいですけど、少なくともイメージ上は人間っていう個体でいうと最初に生まれ落ちた直後みたいな赤ちゃんみたいな状態の時に、
そんな愛みたいな方向に動く心みたいなのをデフォルトで持ってるなーみたいなのから勝手な推測してるっていうところももちろん含むんですけど、それがあるだろうなーっていうのが、それは推測としてあって、
だからどういう形でそれをもっとくっきりさせたかったのか、前回そういう欲が出てきたのかっていうのが自分でももうはっきりはわからないんですけど。
さっき話題に挙げた共同体感覚みたいなところっていうのはあくまで理想論というか、ざっくり言うとそんな感じのところがある中、現実社会としては自己組織化みたいなものが含まれる自己適応型複雑系システムになる。
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何人の中のそれぞれ個体が自由に動く中でそのアウトプットがその全体に影響を与えて、その全体からまた自分たちに戻ってくるっていうようなかなり複雑なシステムになってるっていう方が実際に即している感覚があるから、
全体としての考え方の意識っていうのは多分共通してるんですけど、そういう自己組織化とかっていうの方にやっぱりちょっと意識が向かわれてるんだろうなっていうふうに思いますね。
うん。ですね。はい。なんか、内容的には今までに話したことをそんなに大きく超えなかったのかもしれないんですけど、なんかこんな感じで地べたを這うように苦しみながら一歩一歩近づくしかないかなっていうところにやっぱり行き着く感じですかね。
しゅうさん的には自分の考えに確信を持ちたいっていうところが一つあるかな、その方ですね。
それがゆえにどの辺を言語化したいみたいなのはあるんですかね。
そうですね。ふわっとしたイメージなんですけど、やっぱり一回どっかの回でちょっとだけ、前回だったのかな、その生命誕生みたいなところをもうちょっと自分でくっきりイメージできたらいいなみたいなところですかね。
もうちょっとなんかそういった分野の勉強もしたいとかっていうところの話ですよね。
知識としてっていうよりは直感的にイメージだけでも勝手につかみたいみたいな感じかもしれないですね。
なんかはっきりした知識として得るのは難しそうだなと思ってるんですよね。
なんかちゃんとはっきりこれが生命誕生の謎ですみたいにはっきりくっきり発表されている段階ではないと思っていて、
これから先もそんな簡単に出てくるっていうイメージは湧かないから、それを自分が知識を得ていって研究とかして自分が発見したいみたいなところは到底イメージできないから、
直感的にでもいいからそれをつかみたいなみたいな感じがあって。
で、僕の中ではしょうもさんと話してる時っていうのが一番それに感覚的には一番近づける感じがあるんですよね。
それならいいんですけど、何回も僕も話し相手にさせてもらってるんですけど、同じことを僕が言ってるなーって思ったり、近づくことに手助けになってるのかなっていうのはある?
30:16
いやいやいやいやいや全然全然そんな、僕こそ同じことばっかり言ってるしって僕は思ってるんですけど。
でもどんな話題で何を喋っていても、なんかしょうもさんとはそこら辺の感覚が近いなっていうところで、今日も近況を喋りながら似たような感覚を持ってるなーって、
少なくとも僕は感じながら喋ってるし、話題は実際には何でもよかったんだなーって、ちょっと前回の配信の自分の無理やり言語化しようとしてるのを聞いて、
編集しながら思ったもんで、もうちょっと何の話題であっても結局はそう向かうだろうなーぐらいの安心感の中でゆっくり丁寧に喋るっていう方がいいかなと思って今日は。
そうですね。そういう意味では本当によかったと思う。最初ら辺がそこに繋がるようなところになってきましたし、
やっぱりそこら辺の確信みたいなものだったり、確信に行かないにしても、自信というか、やっぱりそうだよねっていうのは、
そういう事例みたいなのが多ければ多いほど強まっていくと思うし、いろんなどこにそこの発想の種になるものがあるかわかんないんで、
やっぱり全然関係ない話をするところからスタートしてもいいかもしれないですね。それには全然関係なさそうな、しゅーさんが出会わなそうな情報を仕入れておくようにします。
いやいやいやいや、全然、今日話してくれたことも僕が絶対出会わない話だし、しょうまさんはしょうまさんらしさを普段から追求してもらえてたら、それを聞くだけで多分すっごい面白いと思うんで。
ありがとうございます。
いえいえいえいえ、こちらこそありがとうございます。
今日はそんな感じですかね、ちょっと老眼鏡かけてないから今何分経ったか見えてなかったけど。
前回は4回分でしたけど、まぁ今回3回分ぐらいかもしれないけど、特にしょうまさんからこれが話しておきたかったっていうのがなければ、今回はこのぐらいにしておきましょうか。
そうですね、今のところは大丈夫かな。
33:05
まぁ短かった分次回の収録の日程が1ヶ月後じゃないといけないってこともないから、僕がちょっと編集して配信出せるペースにももちろんよりますけど、
まぁ次回もちょっと早いタイミングでお絵かけしてしまうかもしれないので。
あぁ、いや、まぁしてしまうとか言わなくていいですよ。
こういうやりとりになってしまいますね。
過去に何回も言わなくていいですよってしょうまさんに言われてるなぁと思いつつ。
あぁ、そうですね。
そうそうそう。
いや、僕もその記憶がないです。
あぁ、ほんとですか。
結構ね、何回も言われてるのは自覚してるんですけど、ついついやっちゃいますね。
いや、僕も言ってる自覚はないですね。
あぁ、ほんとですか。
じゃあ今日はこんな感じということで、また次回お願いできたらと思います。
はい、そちらこそよろしくお願いします。
はい、今回ありがとうございました。
ありがとうございました。
34:19

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